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2025.04.02 北杜市
甲斐駒ヶ岳へとつづく黒戸尾根への登山口は、横手と竹宇の2ヶ所で、それぞれに駒ヶ嶽神社があり、地元では横手駒ヶ嶽神社(横手前宮)、竹宇駒ヶ嶽神社と呼び慣わせていますが、社名としてはどちらも「駒ヶ嶽神社」となっています。
横手駒ヶ嶽神社鳥居前の観世音菩薩石像 御真言
駒ヶ嶽神社 鳥居前
霧雨の中、幽玄さがいや増していました。
この階段をどれ程の行者、登山者が踏み登っていったか・・・
手水舎
神楽殿
神楽殿天井
狛犬さん
祈祷殿
拝殿の扁額
御由緒より
神代に建御名方命(たけみなかたのみこと)この地に至りし時、雄大にして崇高な山の姿に うたれ、
「この山はいと高く清々しき地なり、
かれここにあが御親の神を祭るべし」
と云うに始まる。
雄略天皇の御代二年六月に改めて雲州宇迦山(出雲大社)より遷祀したと伝わる。
ご祭神は国家鎮護・五穀守護の神
大己貴命(おおむなちのみこと)=大国主命
天之御中主神、高皇産霊神、少彦名命、素盞鳴命、保食之神等 の諸神を合祀
駒ケ嶽は甲信に誇る高山であり、懸崖数千丈の絶壁にして上古より神仙の集る霊山として知られる。
白鳳二年、役の小角が当山にて仙術を修め、富士山とともに当山の開闢とも伝わる。
往古新羅三郎義光はこの神に祈願して子を授かり、 その子孫が武運に勝れ繁栄するよう、山頂の巨石に延久主義光の五字がかすかに残っていたと社伝にあり。
釜無川等四川が駒ケ嶽に源を発し、その下流一帯は馬の産地であり当山の源流には神馬の精が宿っているといわれ、この水により多くの名馬がうまれたと云われる。
厩戸皇子の御愛馬は、この渓流によってうまれた神馬と云われ、郡名も本山より巨摩郡と称すと云う。
また広大な山中には珠玉、薬草を産し沢山の人がその恩恵に浴している。牧場からの貢馬は神前にて安全を祈願し、山中から採 集された薬を共に朝廷に献上され、大同年間畏こくも天皇の病を癒し奉ったと伝えれられている。
文化十三年六月、信濃国の延命行者(小尾 権三郎)は入山禁止の駒ケ嶽に特に許されて入山し、幾多の苦難を克服し嶮岨なこの山に始めて登山の途を開かれた。世に駒ケ嶽開山として尊敬せられ神徳顕著により崇敬者の登山する者が多い。
以来駒ケ嶽教(神仏習合)として発展し広く県の内外に多くの講社が結成され境内及び御嶽には神々の石碑が奉納され文政六年元三大師を勧請 の砌り東叡山の宮様より慈恵大師尊形を御下賜になり、同年 神祇管領卜部朝臣長卿より巨摩嶽神社の軸物を賜わる。 また神祇管領家より駒ケ嶽神社の額字を賜わり、刻して前宮の鳥居に掲げる。
昭和五十五年、代太神楽が白州町無形文化財に指定された。
(つづく)

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