2025年12月23日

大石良雄他十六人忠烈の跡

自然観察ランキング
ご訪問ありがとうございます

2025.12.10 低山はいかい倶楽部

赤穂義士が眠る泉岳寺から細い路地などを通り…
PC100110 細い路地m.JPG

屋敷林の茂る長い塀沿いに進むと…
PC100111 長い塀と屋敷林m.JPG

赤穂義士自刃の地の門
PC100112 赤穂義士自刃の地m.JPG

門の中
PC100113 赤穂義士自刃の地m.JPG
流石にここでは、ぎゅっとこめかみが痛くなって苦しかった。
静かに手を合せる。

自刃された赤穂義士の方々のお名前
PC100114 自刃赤穂義士名m.JPG

大石良雄他十六人忠烈の跡 解説
PC100115 大石良雄他忠烈の跡解説m.JPG

「大石良雄他十六人忠烈の跡」は、東京都港区高輪の旧跡。
元禄16年2月4日(1703年3月20日)熊本藩細川家の下屋敷において赤穂浪士の大石良雄(大石内蔵助)ほか16人が切腹した地。
元肥後熊本藩細川家の江戸下屋敷。現在は都営高輪アパートの敷地内。
三田の伊予松山藩屋敷跡(現イタリア大使館)には、大石の息子の大石主税良金ら十士切腹の地がある。

後に細川家によって破壊された墓の台座部分、供養塔の名残と思われる石が散見される。
義士たちを預かった細川家では当初、義士たちを守り神として大切に供養し史蹟として残していたが、後の様々な事情により残すことが出来なくなったとのこと。
解説板には「切腹した場所は、大書院舞台側、大書院上の間の前庭で、背後に池を背負った地で腹を切ったという」とある。それがこの地なのか、池が背後に有るのかは、はっきりと分からなかったが、ここに長く留まることは出来なかった。

人気ブログランキング山野草・高山植物ランキング
↑ ポチッとして下さると、ランキングにカウントされます。応援ありがとうございます

PVランキングの方は、ポチッと不要で見て下さるだけで反映されるそうです。

<スマホの方は「PC版」選択で、PC版デザインでご覧頂けます。>

人気ブログランキングでフォロー
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック