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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編
浅草文化観光センターの展望テラスから下り、全員揃ったところで再度、雷門〜仲見世〜宝蔵門〜浅草寺へと参りました。
仲見世のお店も開き始め、人も増えて少し賑わって来ていました。
人が写らないように撮っていますが、既に賑わい始めています。
宝蔵門(山門・仁王門)
縁起:平公雅が天慶5年(942)に武蔵守に任官。祈願成就の御礼として仁王門を建立。
数度の焼失と再建の後、徳川家光の寄進により慶安2年(1649)に落慶した仁王門は、昭和20年(1945)の東京大空襲にて消失。
昭和39年(1964)大谷ご夫妻寄進により再建。経蔵を兼ねて伝来の経典や寺宝を収蔵することより、仁王門から宝蔵門と改称。
宝蔵門に収蔵されている経典「元版一切経(国指定の重要文化財)」は、元は鎌倉の鶴岡八幡宮に収蔵。明治神仏分離の際に焼却処分される寸前、浅草寺に深く帰依していた尼僧・貞運尼が買い取り浅草寺に奉納。
この経典を鎌倉から浅草まで運ぶ際、町火消し十番組の組頭・新門辰五郎が尽力。境内にあった新門の門番を務めたことから新門と名乗る。
浅草寺 宝蔵門
五重塔
浅草寺 五重塔
浅草寺 本堂
ご本尊:聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)
縁起:飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、宮戸川(現隅田川)畔に住む檜前浜成・竹成兄弟が、投網の中に一躰の像を発見。仏像と知らず、像を水中に投じ場所を変えて何度か網を打つが、その度、像が網にかかるばかりで魚は捕れず、兄弟はこの像を持ち帰り土地の長・土師中知(名には諸説あり)に見て貰い、聖観世音菩薩の尊像であると判明。
「御名を称え一心に願い事をすれば、必ず功徳をお授けくださる仏様である」
と語り聞かせた中知は、やがて私宅を寺に改め、観音さまの礼拝供養に生涯を捧げた。
浅草寺縁起には、観音さま示現の日、一夜にして辺りに千株ほどの松が生じ、3日を過ぎると天から金の鱗をもつ龍が松林の中に下ったと記される。この瑞祥が山号「金龍山」の由来。
恵日須・大黒天は一つのお堂(影向堂)の中に奉納されている。
「施無畏」(畏無施)の扁額と天井画
「施無畏(せむい)」とは無畏(畏れを無くす)を施すこと。浅草寺(浅草観音)に「施無畏」掲げられているのは、観世音菩薩こそが施無畏者であることから。
金龍山の龍
浅草寺では大黒天/恵日須を探しましたがみつからず、7日までだったら幟でも立っていたのでしょうか・・・。二柱を祀る影向堂は本堂左手の薬師堂の奥だったのですね。またもっと手前の弁天山には弁財天さんもいらしたのですね〜、下調べ不足でした。
実は、この時点では、ぐるっと廻ってから、また浅草寺・浅草神社に戻ってきて、ゆっくりと参拝する予定だったので、先を急いでさっと巡ってしまったのでした。
この日、予定通りにはいかない処がいろいろ面白かったのですけれど、七福神めぐりとしては「全クリ」が出来ず、またの機会となりました。「またおいで」と呼ばれてるのですよね、良かった〜♪

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