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2026.01.08 花木くらぶ番外編
石浜神社から橋場不動尊方面に戻り白鬚橋の交差点を右折、ガイドブックなどに「地図を見ても迷う」と書かれていた平賀源内さんのお墓を探しました。
通りかかった地元の方に伺った、
「お墓は分からないけれど、この道沿いに平賀源内と刻まれた石碑が立っている」というのが、これですね!
ココを左折するとまた地図が・・・
更にアップ・・・なぜ橋場不動尊や石浜神社が載っていない? なるほど・・・この地図では確かに分かりづらいかも。
迷っている風の人が戻ってきた?ので間違えたのだと思い、通り過ぎた道が実は正解でした。「迷っている風の人」って、自分が迷っているのにね、失礼しました。
住所は台東区橋場なので、「橋場不動尊の裏手」というのは間違いではないけれど、そう書いてあったら本堂の裏かなと思いますよね・・・。それも迷う一因では?
平賀源内墓所入口
「蔦重ゆかりの地」の幟が立っていました。
「平賀源内墓(国指定史跡)」解説板
埋葬された総泉寺(秋田・佐竹藩ゆかり)は関東大震災で燃え落ち、板橋に引っ越してしまったけれど、源内さんの墓所は元の場所に保存され、後に築地塀を巡らせて国指定史跡とされたとのこと。
平賀源内は享保十三年(1728)、讃岐国志度浦(現香川県志度町)に生まれる(生年には諸説ある)。高松藩士白石良房の三男で名は国倫。源内は通称である。寛延二年(1749)に家督を継ぎ、祖先の姓である平賀姓を用いた。本草学・医学・儒学・絵画を学び、事業面では成功しなかったが、物産開発に尽力した。物産会の主催、鉱山開発、陶器製造、毛織物製造などをおこない、エレキテル(摩擦起電機)を復元製作、火浣布(石綿の耐火布)を発明した。一方で風来山人・福内鬼外などの号名をもち、「風流志道軒伝」などの滑稽本や、浄瑠璃「神霊矢口渡」などの作品を残している。
安永八年(1779)十一月に誤って殺傷事件を起こし、小伝馬町の牢内で十二月十八日に病死、遺体は橋場の総泉寺(曹洞宗)に葬られた。墓は角塔状で笠付、上段角石「安永八己亥十二月十八日 智見霊雄居士 平賀源内墓」と刻む。後方に従僕福助の墓がある。
総泉寺は昭和三年(1928)板橋区小豆沢へ移転したが、源内墓は当地に保存された。昭和四年に東京府史蹟に仮指定され、昭和六年には松平頼壽(旧高松藩当主)により築地塀が整備される。昭和十八年に国指定史跡となった。
平成十七年三月 台東区教育委員会
平賀源内さんのお墓 清々しい佇まいが嬉しい。
大河ドラマ「べらぼう」でも活躍したばかり、今も訪れる人も途切れないようです。
角塔状で笠付、上段角石
「安永八己亥十二月十八日 智見霊雄居士 平賀源内墓」
後方 従僕福助さんのお墓
改修記念碑
裏面に杉田玄白の碑文ありとのこと・・・
最後の処だけ分かる。「べらぼう」見てたから。
「嗟非常人 好非常事 行是非常 何非常死」
ああ非常の人 非常の事を好み
行い是れ非常 何ぞ非常に死するや・・・(合掌)
こちらは・・・「静軒先生之碑」と読めますが、
下の方は摩滅していて分かりづらい。どのようなご縁なのか??
以前にも書きましたが、私にとって「源内先生」と言えば「天下御免」の山口崇さんなのですが、この日は安田顕さんのファンの方がお参りにみえていました。あの浮世絵の肖像には安田顕さんの方がそっくりでしたね!

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