2026年01月21日

浅草七福神めぐり(17)吉原弁財天本宮

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

吉原神社から通りに出て道なりに左に曲がると1分ほどで、飛地として祀られている吉原弁財天本宮に着きました。なんでしょう…すっと入っていけない気持で足が止まりました。

吉原弁財天本宮
P1080623 吉原弁財天m.JPG
当地にあった花園池(のち弁天池とも)に、関東大震災の火災から逃れる為、遊女ら約500名が飛び込み命を落とされたのだそうです。

P1080624 吉原弁財天本宮ml.JPG
東京芸大生による鮮やかな壁画が、当地で沢山の方が亡くなったと知り暗く沈みがちな気持を明るくしてくれました。それでもやはり、コメカミが疼き、肩が重くてしんどかったです。ずっと手を合せておりました。

縁起・由緒:江戸時代初期までこの附近は湿地帯で多くの池が点在していたが、明暦3年(1657)の大火後、幕府の命により湿地の一部を埋立て、日本橋の吉原遊郭が移された。以来、昭和33年までの300年間に及ぶ遊郭街新吉原の歴史が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。

遊郭造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊郭楼主たちの信仰を集める。現在は浅草七福神の一社として、毎年正月には多くの参拝者が訪れる。

池は花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正12年の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、490人が溺死したという悲劇が起こった。弁天祠附近の築山に建つ大きな観音様は、溺死した人々の供養のため大正15年に造立されたものである。昭和34年吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった。(台東区教育委員会)

P1080625 吉原弁財天m.JPG

P1080626 吉原弁財天m.JPG

P1080629 吉原弁財天m.JPG

埋め立てられ僅かに残った小さな池に錦鯉が泳いでいました。
P1080627 吉原弁財天s.JPG

関東大震災被災者のご供養されている吉原観音さま
P1080630 吉原弁財天 吉原観音m.JPG
大正15年建立。

P1080631 吉原弁財天 吉原観音m.JPG

観音様の足元など境内には数多の石碑などが納められていましたが、あまり個人的なご供養に触れるのは良くない気持がして控えました。

吉原では何処にいても華やかさの下の悲哀を感じ、天上での幸せ、転生しての幸せを願わずにはおれません。

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posted by 山桜 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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