翌朝、日の出を拝んでから、浜に面するこんもりとした山の中に鎮座
する大洗磯前(いそさき)神社へ参拝致しました。
「大洗磯前神社」公式HP http://oarai-isosakijinja.or.jp/
御祭神 大己貴命(おほなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
常陸国上言 鹿嶋郡大洗磯前有神新降 初郡民有煮海為塩者
夜半望海 光耀属天 明日有両怪石 見在水次 高各尺許
体於神造 非人間石 塩翁私異之去 後一日 亦有廿餘小石
在向石左右 似若侍坐 彩色非常 或形像沙門 唯無耳目
時神憑人云 我是大奈母知少比古奈命也 昔造此国訖
去徃東海 今為済民 更亦来帰
* * *
常陸国の言い伝えによれば、或る日鹿島郡の大洗の磯前に、 見たこともない神様が表れたという。 初郡に海水を煮て 塩を作る者がおった。 その者が夜半海を眺めていると天に光輝くものがあった。
翌朝波打ち際に二つの奇怪な石があった。 高さは一尺程だった。 それは人間ではなくさながら神様のお姿のようであった。 この塩翁の驚きの体験のあったさらに次の日には、20余りの小石が2つの奇怪な石の左右に恰も侍坐するように現われた。 奇怪な石たちは鮮やかに彩られ、目や耳は無く沙門(修行僧?)のようなお姿をしていた。
その時、神様は人に憑依して、
「わたしたちは、大奈母知(おほなもち)・少比古奈命(すくなひこなのみこと)である。 昔、この国を造り終えて、一旦東の海(常世の國?)に去ったが、今人々を救うためにここに再び帰り来る」
と告げた。 (山桜・訳)
「文徳実録」(856年/斉衡三年)十二月 戊戌の条
(上記黒字部分、追記訂正 2007-08-24)
大洗海岸の日の出
水平線が丸く見えるほど開けた大海原
ご祭神二柱の神様が現れたという海中の岩に立つ「神磯の鳥居」
あらいその岩にくだけて散る月を
一つになしてかへる月かな
こちらを訪れた時、水戸黄門光圀公が詠まれたお歌です。
この鳥居の真正面から昇る日の出を、好天に恵まれて迎えるのは、下調べをしてもなかなか難しそうですね。
神磯の鳥居を背にして階段を上り、道路を渡ると大きな二の鳥居。
この左手の県道を跨いで立つ大鳥居(15.6m)が一の鳥居です。 嘗てはそこからが境内であったのだそうです。
二の鳥居下の狛犬さんは、荒磯の海風に洗われてか、風化著しくも温和な表情で出迎えてくれました。 参拝者が積み置いたのか足許にはたくさんの小石が…
一礼して二の鳥居をくぐると、長い急な階段が伸びています。
足腰に自身の無い方は、こちらを登らずに、一の鳥居横の緩やかな参道を上ってこられるようです。
階段を上りきると神門の手前にはスマートな陶器の狛犬さん
幽黙さんの真似をして彫刻にも注目してみました。
波と生物の彫刻は良く見かけますが、さすが荒磯に向って立つ神社の波の彫刻は荒々しい迫力があります。 波間から顔を覗かせているお魚がちょっと可愛らしい^^
拝殿です。 現在彩色の復元?中のようで、正面の一部だけ鮮やかに彩られていました。
何だか雰囲気が随分異なりますね。 東照宮みたいになるのでしょうか?
以前は拝殿の両側に狛犬のように対で置かれていた蛙が、今回は3匹になって並んでいました。 きっと奉納蛙が増えたのですね。
そういえば、前日の美しい夕焼け空にガマ蛙の形の筑波山が綺麗に浮かんでいました。 茨城の人は将門公の眷属でもあるガマ蛙に愛着を持っているようですね。
本殿(向って左から) 美しい屋根の造形
本殿(向って右から)
大きな屋根に比べて少し華奢に思える建物部の調和には
どこか優雅な美しさがあります。
大きな屋根は オホナムチノ命、
小さな建物は スクナヒコナノ命、
などと思わず想像してしまいました。
一つの山を成す広い境内には摂社末社も数多く、それぞれに手厚く大切に祭られていました。 境内のお掃除の箒目も清々しく、大変気持の良い神社でした。 ご縁に感謝申し上げます。
次は対で祀られているという「酒列(さかつら)磯前神社」(少彦名命が主祭神)にも是非、参拝したいと思います。
(2007-08-23 投稿 08-24 一部加筆訂正)
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神様方がお喜びだったのでしょう、きっと!
昔むかしの御社殿や寺院の彩色は華美だったので
すね。それが風雪で剥げ衰えてわび的世界を醸し
出しています。どちらが善いのかは判りません。
ありがとうございます。
この青い空と青い海
この白い雲
海辺に建つ鳥居
そして由緒ある神社
これぞ、大和国(日本)の素晴しさですよね〜
本当に、素晴しいです(写真も)笑。
恵風和暢に寄っていただければカラスウリを見ながら
日本一の蕎麦をご馳走したかったです。
次の機会には是非とも!
カラスウリ(雄花)の開花のコメントダブってしまいました。
お手数ですがどちらか削除願えれば幸いです。
神磯の鳥居
二の鳥居前の狛犬
伊部狛犬
波間の魚
嗚呼
そして本殿のこの造形の匠の美しさ
祭神の「大己貴」は
「大穴牟遅」と書くので
「おおなむち」ではないでしょうかね
「少彦名」は薬の神ともされていて
海の向こうからやってきた神とされていて
海沿いに多く見られますね
「大己貴」と「少彦名」の二神が
国造りをしたことが
「古事記」に記されています
「大己貴」は「大黒天」にも同定される
「大国主尊」でもありますが
「大己貴」が共に国造りをする神を
探していたときに
「少彦名」を紹介したのが
「久延毘古」です♪
医師薬の神様ですから。
先日大洗に行ってお守りを買ったのはこのためだったんだなあと。
うちの先祖、この鳥居のところから朝日を見ていたみたいですよ。
海洋博物館で買った小さい貝をお土産にしたら好評でした。
一の鳥居の狛犬さん、行く度に崩れて行ってる気がします。でも笑ってる。
蜘蛛の巣とか色んな虫が住み着いていて楽しそう。
美術館へは行かれましたか?
渋沢翁の写真が語りかけてきます。
窓が額縁になっていて、そこから鳥居も見えて記念撮影できます。
コーヒーも出してくれますよ(*゚ー゚)
日の出前に目覚ましをセットしてありましたが、鳴る前に
パッと目が覚めました。 もう空が白んでおり、その時起き
なけば見られない美しい空も見ることが出来ました。
こんな時には、『ああ、神様が呼んで下さった…』などと
自惚れてしまいます^^
今の姿からは想像出来ないほど色鮮やかなご社殿が多かった
のでしょうね。 私は白木のお宮さんの方が好きなのですが、
元々はそうだったというお宮さんが極彩色の姿に戻るというのも
又楽しみなことです。
ご一緒して下さり、ありがとうございます。
このような高台の鎮守様に日拝していれば、足腰も弱らず
健康的ですよね〜 私は(足許が末広な)高い所が好き
なので、それだけで嬉しくなってしまいます♪
本当にそうですね〜 神社にお参りして清浄な気を胸いっぱい
吸い込むと一日清々しく過ごせますね^^
美しい日本の景色もそれを見守る神社も、崇敬する氏子さん
方の清らかな心あればこそで、正にそこに住まう人々の姿を
映し出していますね。
有名神社へ参拝の前に、先ず産土神社を見直さなければ
いけませんね。
>恵風和暢に寄っていただければ…
勿体無いお言葉ありがとうございます。<( _ _ )>
ご先祖様一同とお姑様と家族と一緒でしたので、流石に
それは厚かましくて…(笑)
大洗の前日に「蕎○」という、海を見渡せるお店で、
美味しいお蕎麦を戴きました。 丁度打ったお蕎麦が切れた
所で少し待ちましたが、打ちたて茹でたては香が素晴らしく
ご機嫌でした。(それでもネットの中のお父さんのお蕎麦の
香りが私のこれまでの蕎麦人生でダントツの良い香りでした!)
ダブルコメントはどうぞお気になさらずに…。
毎度サーバーの能力が悪くて申し訳ありません!
流石に見逃しませんね〜(^▽^;)「じ」じゃなくて「ぢ」
かな〜なんて確認に来てみたら、既にご指摘が!
「おほ」は手元の古事記にそのように仮名がふられていた
ので倣いましたが、現代かなづかいなら「おお」ですね。
そして今一度調べなおしてみると、「ぢ」も「ち」も例があるの
ですが、ここでは追記した伝えの中に「知」の字があてられているので、
幽黙さんが仰るように「ち」を使うことにします。
陶器の狛犬さんは「伊部狛犬」と言うのですね。
本当に流石は「久延毘古」の幽黙さん、何でも良くご存知で
いつもいつも助けて戴きありがとうございます!
大物主命は古事記では大國主命の数多い別名の中に連なって
おらず、諸説ありますが、どうも私には、
「名前を呼んではいけない」神様のような畏怖を感じます。
大國主・大己貴(穴牟遅)・葦原色許男・八千矛・宇都志國玉
他はどれも親しみやすいようなお名前ですのにね…
海の中の鳥居もいいね〜o(⌒▽⌒)o
なにかが在る。。。気がするから不思議♪
私は鰐口はお寺か神仏混淆の名残のある神社のもので、
神社では鈴だと思っていました。 鰐口が「本来の神社」の
証であるとの理由をお教え戴けると嬉しく存じます。
「鈴」は神道とは深い縁のあるもので、古くは天照大御神が
お籠りになられた天岩戸の前で、面白おかしく舞いを披露された
天宇受売命(あめのうずめのみこと)も鈴を手にしていらっしゃる
お姿が描かれています。
鈴は「清(すず)やか」そして「鎮(しず)め」の意味を持ち、
神様の御心を鎮める巫女も「すずしめ」と呼ばれていました。
ですから私は神社で鈴緒を揺らす時、決して家の呼鈴を鳴らす
ような気持では致しません。 神様の御心が鎮まりますようにと、又、
自分自身も鈴の音で清めて戴いてから神様にご挨拶申し上げたいと
いう気持でおります。
ほんの数日違いでひらりんと同じ神社に参拝したなんて、
いつもながら不思議なご縁を感じるよねぇ…
上掲の伝えの中にも、
「今人々を救うために ここに再び帰り来る」
とのご託宣があるし、将門公も胸に誓うものをお持ちになり
ながら、神磯の朝日をご覧だったのかもしれないね。
ひらりんは酒列磯前神社にも参拝できたのかな?
私は前は通るのだけれど、なかなかお参りできなくて…
次はもう出発前から家人に頼んでおいて必ず詣でたいよ〜
海洋博物館、どうも小さい割に入館料がアレで未だ一度も
入ったことが…内容はどうだった??
一の鳥居の狛犬さんが崩れてしまった分、またお参りした
人達が小石を拾い上げているようで、微笑ましいよね^^
「大洗美術館」はお正月に行った時に訪ねたよ!
コーヒーを戴きながら、額窓からの景色を独り占めだった…
素晴らしい百人一首のコレクションが展示されていて夢中で見たよ♪
丁度その前に渋沢翁ゆかりの何かとご縁があったばかりだったので、
またしても!と驚いたことは覚えているんだけど、その前のことが
何だったのかが思い出せない…嗚呼…orz
やゆよんは海の一族の末裔だから、神磯の鳥居には何か
感ずるものが多いかもしれないね〜
特に立ち入り禁止などにはなっていないようだけど、
今まで一度もあの鳥居の立つ岩に、神社の人以外の人が
上がっているのを見たことがないの。
目には見えない結界が張られているのかな?
そういうものを感じないようにはなりたくないね…
様々な観るべきものを施した神社、清々しいひと時を、ありがとうございました。
手元に届いたばかりの新しいPCから見る映像は、殊更に美しく綺麗です-☆
余談ですが、以前白内障の手術を終えた義母が、「世の中がこんなに明るいとは!
全てのものが鮮明に見え過ぎて、今まで気付かなかったシミや皺の一つ一つまで!」
と、驚いていました。そんな言葉を思い出す程^^、はっきりくっきりで感激です♪
(一ヶ月以上前から液晶に問題が生じ、映像がとても見辛くなっていたので、今は
嬉くて、あっちゃこっちゃ、拝見し直しています*^^;ゞ)
あの放射能事件(バケツで核融合)のすぐ後のことでした。
観光客もなく静かな海岸でした。
今回の雑草メロンは熟すと黄色っぽい色になりました。
食べていないので分かりませんが、甘くはないとおもいます。
雌花は咲きましたか?
まずは一うなり・・・
♪あー〜 さいしょねー〜
いそーでー〜ぇ
めいー〜しょー〜はー〜ぁ
大洗ー〜さー〜まー〜よー〜ぉ
松がー〜 見へー〜まー〜すーぅ
ほのー〜ぼー〜のーとー〜ぉ
見へーますー〜ぅ 磯ー〜ぉ
ほのー〜ぼー〜のーとー〜ぉ
あーー さいしょねー〜
をを!姫!!
大洗においでなる哉
地元にゐながらも
姫が記事に
ふむふむ・・・
をうをう・・・
ほふほふ・・・
ふーむ・・・
と興味深く拝読したれり
知らぬ事多くして
いと恥ずかしきかな
御教授賜るは
いと嬉し 有難し
頓首
伊部狛犬つながりということで
TB送らせていただきました
宜しくお願いいたしますです(_ _)
それに念仏やご詠歌の祭も鈴は大切なものでもありますね。
ただ社殿の前に下げるものではないように思われます
現在大きな鈴がぶら下げられている日光東照宮なども以前は鰐口だったのですが明治政府によって取り外されすべて武器弾薬となってしまったそうです(宮司の談)。
その後もそれは全国的に続き神社の拝殿の前は鈴に置き換えられていったのがほとんどだそうです。
ただ由緒あるところの一部には根強い反対抵抗があって残したらしく現存するようです。
<神社>という言葉そのものも明治政府によってできた造語ですので(以前は明神、権現、大社)正確に言えば鰐口ありきでその後に神社ができたですね
下記のような参考文を見つけました。
>現存する日本最古の歴史書である古事記(712)には、 和爾(ワニ)のみ記載されている。 ・・・・・(中略)
古い神社の拝殿軒下には、鰐口(ワニグチ)と称する胴鉦があり、神社を参拝する人は、これを打ち鳴らしてから参拝することになっており、 四国の金比羅様の御神体はワニで、伊勢神宮の博物館にあるサメコレクションは東洋一といわれている。・・・・
http://www.fis-net.co.jp/topic/fishname/same.html
詳しくは上記URLにてどうぞ
諸説はあるようですが、・・・私の考えはこんなことからの根拠となっていますよ。
(^_^)
ここは今「大洗磯前神社」となっていますが当初の名前(紳号)は「大洗磯前薬師菩薩明神」ですから、明神様のようですね。
最近は神社仏閣も「観光名所」のようになっていますが、
本来はその素晴らしい景観は、そこにおわしまする神様こそが
眺めて「よきかな〜」と御心を鎮めていらっしゃったもの
ですのに、そこからの眺めを遮るような高層ビルを建てて
景観を横取りするような輩には天罰が…と密かに思って
おります^^;
白内障の手術は早くすれば良かった〜と、皆さん仰いますね!
私も昨日ちょっとお洒落な眼鏡を新調、昼間はコンタクト
ですが、朝晩の視界がスッキリして最高の気分です☆⌒(*^∇゜)v
大洗にいらしたのは、筑波での研修の時ですか?奈良には海が
無いので、海からの日の出が拝める神社は珍しかったのでは?
日記の更新がなかなか出来ずにご報告が遅れましたが、
遂に雑草メロンの小さな実を発見しました!
いつの間に雌花が咲いて受粉したのやら〜どうもゴーヤの花に
紛れて目立たなかったようで、見逃してしまい残念です。
雑草メロンには猛暑が功を奏したようですね☆
おお〜っ殿、朗らかな歌声が大海原に広がるようです!
大荒磯の潮騒が聞こえて参りました〜ありがとうございます。
常陸風土記など、常陸は伝承の宝庫ですね!
出雲と常陸の神話には共通することが多く、その繋がりなど、
興味は広がるばかりです♪ これからも地元の話題など
どうか色々とご教示戴けますと幸いです^^
桃岩YHは当時キ○ガイYHなんて呼ばれてましたよ〜^^;
全国に名物ペアレントさんやヘルパーさんがいらして、
お目にかかるのが楽しみでした。 今やヘルパーさんというと
介護関係の人ですね。。。
そうそう、滝壷の温泉もありましたっけ、懐かしいなぁ
当時は断崖絶壁にとりつくようにして降りた乙女の泪という
瀧にも、今や遊歩道が出来ているそうな…すんなり降りて
見ても、あの感動は二度と味わえないと思います。
人生(大袈裟)には不便が宝なことも有りますね〜
アズライト(藍銅鉱)にはちょっと特別な思い入れがあるのです。
な〜んだというようなことですが、お会いした時に覚えていたら
お話しますね〜♪
取材&TB、ありがとうございます!
いいなぁ〜一つの記事から、こういう膨らみが生まれるのが
本当にネットの良い所です。
最初陶器製の狛犬を見た時、
「あ、益子か笠間からの奉納かな?」
と思ったのですが、やはり伊部ものなのかしら?
そうとしたら、どのような経緯でここに奉納されたのかも
興味が生まれてきます! 次にお参りした時、神社の方が
いらしたら、お尋ねしてみますね〜☆
丁寧なお返事を戴き、恐縮です! ありがとうございました。
そもそも社殿を建立すること自体、仏教の寺院を取り入れた
ものですから、そのような説も成り立つのかもしれませんね。
豊玉姫の生まれながらのお姿・和爾についても今は概ね鮫
ということになっておりますが、こちらも諸説ありますね〜
太陽や山や大岩や大木や瀧など、偉大なる自然の姿そのもの
をご神体として崇敬するのが、日本の神ながらの道の本来の
形なのだと思います。
神様の数だけ神社の形式も種々ありますので、鈴が鰐口か
だけでなく、どの形が本来?のもとするかは難しい所なのか
な…という所で、宿題にさせて戴きたいと思います^^;
新しいテーマを教示して下さり、ありがとうございました^^
大洗磯前神社が薬師菩薩明神とされたのは、仏僧の姿の
石が現れたことに由来するようですね。 私は明治政府の
ように神仏混淆が悪いこととは思っていません。
寧ろ「和を以って貴しとする」わが国の気風による自然な
融合だったと思っております。