そんな折、予てより著作を何冊か拝見していた日本文化継承研究会「大和しうるわし」を開かれている、大和古流廿一世当主 友常氏が、「七夕」についてのご講演をされると聞きお話を伺いに出かけた。
以下『』内は、友常氏による、友常家の伝承によると・・・、というお話の要約である。
『七夕は大和古来の祀りと大陸からの伝来が融合して今日の形となったもの。
大和の男=彦は牽牛(牛飼い)ではなく、農民である。その女(妻)は織物で夫を支える織姫。元々は真面目な働き者の日本人のご先祖様夫婦を祀る行事。』
『中国の牽牛・織女は、逢瀬に夢中になり務めを疎かにした為に皇帝の命により、
逢瀬を年一回と定められた。 一方、大和の彦は、村長(むらおさ)が「○○に一度位に
逢瀬を控えよ」と言ったのを、「年に一度!」と聞き間違え自らそう宣言してしまったが為に、その後の運命を自ら招いた。』
また、私は、日本では太陽や月にまつわる伝承に比べ、星にまつわる伝承の少ないことが気になっていたのだが、これについては・・・
『農耕民族はお日様と共に暮らすので夜は早く寝る。また闇に対する恐れが大きいので星空を眺めるという習慣は育たなかった。一方遊牧民族は夜通し牧畜の番をする為、星空を眺めて空想を広げる時間が充分あった。』
友常氏から上記の様なヒントを戴き、何やら私の中の探索遺伝子が蠢き始めた。この様な状態になると、不思議と関連するものにご縁が繋がる(リンクする)ことが多い。ふと立ち寄った本屋で「ヤマトタケル」の絵本に惹かれて立ち読み・・・その帰りには「天皇家の”ふるさと”日向をゆく」梅原猛・著 に目が止まり、買い求めた。
ヤマトタケルと七夕、最初は何の関連があるとも思わなかったが、後に講演会のことをやゆよんと話している時に、「自分で言ったこで自分の将来が決まるという所大事だよ」と言われ、ハッとした。
古事記によると、倭健命(ヤマトタケルノミコト)は山の神を討とうと向かう途中、出会った白猪(実は山の神の化身)に向かって「山の神を討った還りに殺そう」と言挙げしたばかりに、山の神の祟りを受け酷い痛手を受け、やがて命を落としてしまう。
ヤマトタケルと七夕の彦さんには、迂闊に言挙げしたことで、将来の苦しみを自ら招いてしまったという共通点があった。
又、白い鳥に化身して空へ飛び立たれたことは、天の川の白鳥座*の姿が私の頭の中では重ね合わされる。 西洋の星座であり直接関連は無いのだろうが。
(続きは又後ほど・・・)
第2部です・・・
お断りしておくが、私は未だ○○氏の説を支持とか△△氏のファンとか言えるほどの知識も読書量も無い。梅原氏の著書を手に取ったのも初めてで、ただ祝詞の中の「日向の小戸のあはき原」がどこなのか気になったからだった。しかし読み進むうちに、私の関心事、七夕に繋がる要素が次々と現れ胸が高鳴った。
『彦星=牽牛ではなく、彦は大和の男の代表名で農耕民族である。』この友常家の伝承を前提としなければ、今回の私の考は始まらない。この前提を押さえておいて戴きたい。
以下、前掲の梅原氏著「天皇家の"ふるさと"日向をゆく」より引用。
「チホ」とは霊力を持った稲穂という意味に解される・・・(略)・・・高千穂は稲作農業の地として知られていたのであると思う。
このことは、ニニギノミコトの一族の名前を見ても良く判る。アマテラスオオミカミの息子(すなわちニニギの父)は、マサカツアカカツチハヤヒアメノオシホミミノミコトといい、これは「正しく勝つ、私は勝つ、勝つ力の素早い霊力を持った天孫族の立派な威力のある「稲穂の長者という意味である。また彼の妻(すなわちニニギの母)は、タカミムスビノカミの娘ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコトであるが、これは「多くの機織りで織った優れた布の姫」という意味である。
・・・(略)・・・
そしてこの「稲穂の長者」と「すぐれた布の姫」の間に生まれた子が、アメニキシクニニキシマアマツヒコヒコホノニニギノミコトである。・・・(略)・・・「ホノニニギ」とは、本居宣長が言うように稲穂がいっぱい実っているさまを表した名前であろう。]
[『日本書紀』には、コノハナノサクヤヒメは機織りが上手であったという記述がある・・・。以上
つまり天孫降臨された天皇家の始祖=日本人の遠いご先祖様=ニニギノミコトもその父君も、豊かな稲穂を齎す農耕民族の神であり、ニニギノミコトの母上も妻となられたコノハナノサクヤヒメも機織り上手な姫であったのだ。
そしてニニギノミコトとコノハナノサクヤヒメが初めて出会ったのは、笠沙の御崎の小川のほとりであると言う。 「笠沙の御崎の小川=カササギの渡せる橋と天の川」そのものではないだろうか?
もう一点重要なのは、ニニギノミコトは、妹コノハナノサクヤヒメの姉イワナガヒメを共に娶れば約束された永遠の命をイワナガヒメを帰してしまうことで失ったことだ。これは、自らの意思で示したことにより受けた呪詛という点で、彦・ヤマトタケルの件と共通する。
これらのことを考え合わせると、七夕祭は「日本の一番最初のご夫婦、稲作と機織=日本の大切な産業)の神様を祀る行事」なのではないだろうか? 笹の枝はたわわに実る稲穂、数々の飾りは織物の綾でそれを糸によって織り成しているものとも思われる。
そして迂闊な言挙げにより呪詛を受けたことを忘れず「言霊に宿る力」を大切にする気持が、短冊で和歌を奉じる現代の祭の形にも受け継がれているのではないだろうか?
(以上ざっと書き上げたので、以後随時更新するかもしれません。また引用を明記した部分以外は私個人の考察によるものであり、無断引用をお断りします。)
【8月12日追記】
彦星・織姫、倭健命・弟橘比売命、邇邇芸命・木花之佐久夜琵売
この3組に共通していたことを、もう一つ書き忘れていたので書き加えておくと・・・
それは「悲恋」であったということだ。
彦星・織姫:お互いに夢中になるがあまり務めを怠り仲を裂かれ、
年に一度の逢瀬となった。
倭健命・弟橘比売命:
倭健命の東征の行く手を阻む荒れた海を鎮める為、
弟橘比売命は海中に身を投じた。
邇邇芸命・木花之佐久夜琵売:
木花之佐久夜琵売の父大山津見神は、邇邇芸命との結婚を喜んで
許可したが、邇邇芸命は、石のごとき永遠の命をとの祈りを込めて
共に送られた姉の石長比売の醜さを疎んじ送り返した為に儚い命の
運命となった。
その上、木花之佐久夜琵売は、一夜にして身篭ったことを疑われ、
出口の無い産屋に火を放った中での出産により潔白を証明しなければ
ならなかった。・・・などと困難が付き纏った。
また、この結婚は「天津神」と「国津神」との間の結婚である。
ロミオとジュリエットの様な障害があったかもしれない。
<<2005.09.05追記>>
*白鳥座の和名は「十文字星」「天の川星」筑波地方では「筑波の傘星」などと
呼ばれている(「宙の名前」林完次より)
鳥と見立てている記録は見つからなかった。
また、七夕の二星との位置も少しずれている。この為「後七夕」という異称もある。
このことから、白鳥座=カササギ説は少し無理があるようだが、古来日本には
カササギは生息しておらず、七夕の伝説上の鳥であった。
源氏物語・浮舟の巻の「寒き洲崎に立てるかささぎの姿」は、アオサギをのことを
カササギとして述べたものであるという。(「瓜と龍蛇」網野善彦他編 より)
青鷺と言っても、頭や羽がやや灰青色を帯びている位で、こちらであれば
白鳥(しらとり)と呼べるかもしれない。
しかし、実際のカササギは、カラス科であり頭胸〜背〜羽上部〜尾までは、
所謂カラスの濡場色と呼ばれる光の加減で緑や紫に光る黒色、肩と風切り羽の先と
腹部が純白という、黒白の対象が鮮やかな鳥である。
白鳥(しらとり)と呼ぶのはちょっと難しいか…。
ラベル:七夕
こちらでのコメントを控え、メール等でコメント下さった方々、
ありがとうございました。
東北4大祭りも、仙台七夕のみならず七夕祭り関連なのですね。
秋田の竿灯の上の提灯にも「七夕」の文字がありました。
お盆も七夕も大陸から渡来した行事と書かれているものが多いですが、
元々日本にあった祖先祀りの下地があればこそ、現代まで脈々と
大切に続けられてきたのだと、確信できました。
ほのぼのするよね〜♪
上手くコメントできないけれどさo(⌒▽⌒)o
やゆよさんのリンクからこちらにたどりつき
ました。記事を拝見し、ここに友常先生の
講演会に参加されている旨が書かれていた
ので、足跡を残させて頂きました。
これからもお邪魔しますので、よろしくお願い
致します。
ようこそお出で下さいました。
友常先生の講演会は未だ3回だけの新参者ですが、
謎掛けが沢山隠されている様に感じ、一言一句聞き逃せませんね…
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。