2007年11月26日
博多の仙がいさん
指月布袋画賛 を月様 幾ツ 十三七ツ
もう終わってしまいましたが、10月に出光美術館の「没後170年記念・せんがい・SENGAI−禅画にあそぶ−」展に行って参りました。
(会期中にレポを書けば、多少なりとも助けになったかもしれませんのに不甲斐無く…。仙高ウん出光さん、ごめんなさい。)
上の「指月布袋画賛」は出光佐三氏が最初に目に留め購入し、コレクション第1号とした、出光美術館にとって記念すべき作品です。
布袋様とはだかんぼ?の子供は、お月様を指差して仰いで何を楽しそうに話しているのでしょう。 見ている私まで「わ〜い!」と一緒にはしゃぎたくなってしまいます。
「博多の仙高ウん」こと仙豪`梵(1750-1837 逝年88歳)は、良寛・白隠と並ぶ江戸時代を代表する禅僧(臨済宗・古月派)でしたが、紫衣勧奨を三度断り生涯黒衣の僧として通しました。数々の反骨精神を表す逸話や頓知話を残しています。
博多・聖福寺住職を62歳で弟子に譲り隠居してからは、意欲的に旅に出て、修験僧のように山々を登り古社に参り(60歳過ぎで健脚!)、また地誌・史跡の研究探訪、古物収集、珍奇石鑑賞/収集、と益々精力的に生き生きとした生涯を過ごしました。 その間にも禅の教えをユーモラスに描いては広め、その人柄の表れた画は人々に親しまれました。 沢山の人が画を求めて訪れたのでしょう。
うらめしや わがかくれ家は雪隠か
来る人ごとに 紙おいていく
・・・そんな歌が残されています。
道化のような笑みを浮かべた蛙には、どきっとするような画賛が…
坐禅蛙画賛 坐禅して 人か佛になるならハ
頭骨画賛
よしあしハ
目口鼻から
出るものか
良し悪しも所詮は人間の感覚
その人間もいずれは野辺の髑髏…
そんなことを思って歩を進めると、
今度は、流水の中に揺れる葦に賛を添えた「葦画賛」がありました。
よしあしの 中を流れて 清水哉
また黒々と力強い筆致の大きな書「堪忍」の横に風にそよぐ柳の木の描かれた「堪忍柳画賛」には、
氣に入らぬ風も あろふに 柳哉
ブティック店員や女子高生のモノマネで人気の柳原可奈子の名前って、若しかしてここからとられたのでしょうか〜?
シュールな作が続きましたので、次は可愛らしいのを三点。
狗子画賛 きゃんゝ 虎画賛 猫ニ似タモノ
これは何に見えますか? ドラえもん? タマちゃん?
とど画賛 本名トゞ(表示外漢字) 北國海ニ多シ 薬効本艸二見
「とど」となっていますが、パタパタしている尻尾のような後足はアシカのようですし、顔はアザラシにも見えます。 トドもアシカもはっきり区別されていなかったのかもしれませんね。 それにしても「薬効本艸(草)」を調べたらしい画賛にも仙高フ好奇心の強さが垣間見られ微笑ましいです。
自由奔放ないわゆる「仙拷譁@」ばかり見ていますと、ちょっと絵の上手い素人絵かと勘違いしてしまいそうになりますが、よく見れば書も画も実に達者です。 基本をきちんと積んだ人と分ります。
ちなみにこの下の画も仙拷謔フ「布袋」です。 一番上の布袋さんとはエライ違いですね〜(笑) ちょっとピカソみたいとこの時は思ったのですが、後にももりさんのブログでピカソの芸術の原動力は女性への情熱と伺って、複雑な気持(苦笑) でも人間愛には変わりないですよね。
以前、且座の「み菓子」絡みでご紹介しました画です。
一円相画賛 これくふて 茶のめ
そして、あまりにも有名かつ問題作のこちらです。
○△□ いや □△○?
賛がつけられていない為に、様々な解釈が試みられてきました。
かつて海外へ紹介した際の議論の中で、出光氏は「宇宙」と解釈し、鈴木大拙は自著の中でこの説を受け「The Universe」として紹介したそうです。
私は、筆致から見ると、左から順に □→△→○ と描かれていることから、段々角が取れて丸くなっていく姿?などと思いましたが、皆さんはいかが感じられますでしょうか。
私のお気に入りの可愛い仙高ウんキャラクター達です。
芭蕉飛び込む水の音を聞く蛙 お囃子さん あんぐりしてる小犬
サンタみたいな大黒さん 布袋さんの真似する子
利休さんもこの通り
仙高ウんは、万物に仏が宿るとの思いから、不思議な姿を留めた珍奇石の収集という趣味がありました。 天然石そのままでまるで鮑貝のような手水鉢(写真のみ・在「虎白院」)や「神授硯・金剛」と銘をつけた天然石の硯、仙高ェ描いたような愛らしい形の「亀石」、貝とフジツボなどが合体して出来た「貝殻観音像」など、見つけた時の仙高フ嬉しそうな顔が浮かぶものばかりでした。
遺愛品の文机(神社の古材製)・印・茶杓・茶碗、その箱にまで顔がついていて「九十九神」が現れたようです。 もう使われることもなく陳列されている遺愛品たちが、大層機嫌よく見えるのも、存分に仙高ウんに愛された故なのでしょう。
出光美術館は最大の仙鴻Rレクションを持っています。
今回、機会に恵まれなかった方も、是非、次の展覧会をお見逃しなく!
私が思わず展覧会場で声を出して笑ってしまったのは、この仙高ウん展が初めてです。 凝り固まった心をほんわか温めて戴きました。
*やはり仙高ウんの「ガイ」の漢字(涯のつくりの方)は、
文字化けが出る画面があるようで、申し訳ありません。
タイトルはひらがなに変更しました。 若し、内容も読めない
方がいらしたらお知らせ下さい。 本文中の文字も変更します。
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お写真まで掲載してのご紹介で
素人の私でもわかりやすいよ♪ありがとう♪
□△○の、墨の濃さが逆に濃くなるのも
面白いね。よく考えられた作品なのかも。(かもって・・・)
上からも、下からも、どちらも真理という意味合いも感じられるようになってるのかな。
単純だけれど、いいよねo(⌒▽⌒)o
この絵を見るとおでん食べたくなるんだ☆ふふ☆
仙崖さんキャラで好きなのは
自画像ですかねぇ(^ ^;
まるっぽい三角形というか
膨らんだお餅みたいなのに
ちょっと斜め後から見た横顔の輪郭のような
線があるだけの…
ね〜可愛いでしょ〜やゆよんが喜んでくれそうだな〜と
思いながらこのレポ書いてたので、嬉しいよ〜♪
○△□の墨の濃淡はどう見ても意識的だよね〜
落款の所には「扶桑最初禅窟」って書いてあるのよ…
これは署名のようで賛でもあるような気も…
「洞窟」の入り口が□で坐禅する人が△で洞窟が○とかね〜
私の妄想癖が猛烈に刺激されるわ〜(笑)
若しかしたらあんまり「何か書いて下さい」って言われすぎて、
え〜いって勢いで□△○…かもしれないしね−☆
そうするとやはり薄い方から書かないと難しいかな、筆を三本
持ち替えたら勢い無くなっちゃいそうだし…なんて、こういう
ことはももりさんや丹人さんに伺ってみないと…^^;
うんうん、ちび太が持ってた串刺しの「おでん」ぽいね!
△
○ ← コレコレ〜♪
□
|
あ〜やはり…さすが幽黙さん、良くご存知で〜〜(><;)
幽黙さんも絶対に仙高ウんがお好きだろうな〜と思いながら
書いてました。
あの「おじゃる」に出てくる満願神社の貧ちゃん神さんみたいな
「自画像」を一番最後に載せる積りだったんですが間に合わず
一先ず見切りアップしてしまいました。
実はこの頁、未完成で今もこっそり直しが入っております。
「死にとうない」も書きたいし、他の逸話も拾いたいし…って、
キリが無いので更新も遅れてしまうんですよね(−−;)
…いつもながら反省です。 何かご存知のことがあったら又教えて
下さいませ〜 お話を伺うのいつも楽しみにしております♪
来時知来処 来る時来る処を知り
去時知去処 去る時去る処を知り
不撤手懸崖 懸崖に手を撤せず
雲深不知処 雲深くして処を知らず
生まれてくるときは生まれてくるところを知っている
死んでいくときは死んでいくところを知っている
でも今自分は崖っぷちに手を掛けてぶら下がって手を離せないでいる
足元は雲が深くて自分がどこにいるのかわからないよ〜怖いよ〜
というくらいの意味です
そんな仙崖さんの亡くなるときの最後の言葉が
「死にとうない」だったわけですね
でも実際の仙崖さんは修行中に一度谷底に落ちて
死に掛けているようですね
その死に掛けたということがある意味仙崖さんの悟りを手助けして
今の私たちが知る仙崖さんというキャラクターを生んだのかもしれないですね
そんなこともあって、少々“表装”に興味があるのです。
わぁ〜詳しく書いて下さってありがとうございます!
一度死線を彷徨った人が開眼する話というと、ビートたけしを
思い出します。 急にお花畑みたいな絵を描き出したり、映画
監督になったり… 神様にもっと生きよと送り返された人なの
でしょうか。
最後まで「死にとうない」と思って生きられる人生は素敵
だと思います。 「もう死にたい」などということにならぬよう、
「ぎょーさん笑ろて」生き生きとした人生を送りたいです^^
あ〜私もこの頃は、お茶で「仕服」「出袱紗」「お軸の拝見」等が
ありますので表装にも一層興味が惹かれるようになりました。
図版になってしまうと、殆ど表具は削られてしまうので、
展覧会では目を皿のようにして見ています(^^;
中身より表装の方が高いなんて、お宝鑑定団でも、
ままありますね。
酒徒善人さんのお軸、どんな仕上がりかアップされるのを
楽しみにしております。
さくらん、教えてくれてありがとね♪
扶桑かあ♪よくその単語は聞くよね☆
妄想すると、扶桑の入り口はこの禅の入り口より
始まる・・・
まるで、禅は生命の木(世界のあちこちに残る神話の木)を体感する始なり、って
言ってるみたいで面白いよo(⌒▽⌒)o
わははo(⌒▽⌒)oわはは←すっかりその世界 笑
禅は感じる人それぞれに世界が広がっていくものだよね〜
なんて、良く分らないけどさ〜(極めていい加減)
そう言えば、例の「南泉斬猫」の画もあったのよ。
それがまた、賛が意味深で… 画の中の両首座同様に
考えすぎて首が捩れちゃったよ…(苦笑)
素朴で雄大さが感じて、大好きです。
これだけ、一同に集めて眺めてみると
壮観ですよね〜
こんなのがスラスラと描ける様になりたいものです(笑)
仙高ウん…懐かしいです。
わたしは結婚前、出光興産に勤めていて、そこのカレンダーが仙高ウんなんです。
たぶん今もそうだと思います。
一年が終わったら絵を表装される方もいらっしゃるとか。
ちょうど師走の時期、わたしはカレンダー係りで忙しかったことを思い出しました。
いつも自分とかぶるんですよ><
皆様のコメントは大変 勉強になりました^^
ほっこり心が和んで惹かれます。「秘すれば花」という言葉が
いつも思い浮かんでしまいます。シンプルで迷いの無い筆使い、
不遇な生い立ちを、全く感じさせない仙涯さんの生き方が、
ひたひたと沁みてくるような、なんや、巧い事表現できませんけど〜ぉ^^
いいですね
あの人の禅画 大好きです
眺めていると心温まります。
子供の頃は、子供のらくがきみたい(失礼)な仙がいさんを
見ても、あまり感じ入ることはありませんでしたが、大人に
なってみて、やっとこの軽みのある可笑しさに秘められた
含蓄が少しは分るように?なれた気がします。
展覧会場にいた私は、「あんぐり小犬」みたいだったと
思いますよ〜 恥ずかし〜〜(苦笑)
>出光興産に勤めていて…
なんと、まぁ素敵なご縁−☆ そうでしたか〜
もう来年の出光さんのカレンダーが家にも届いてますよ〜!
勿論、今も変わらず仙がいさんシリーズです♪
(どれだけ所蔵があるのでしょう^^;)
なかなか表装に出せない私のような者の為に、出来れば
書画の部分だけでなく、表装の部分もカレンダーに載せて
戴けると嬉しいのですが、無理なのでしょうか〜?
はい、さかもっちゃんさんは布袋さまですよ〜(笑)
だってみんなに幸せを下さる「福の神」様ですもの〜!
それも布袋様だけでなく「七福神」さまのようです☆⌒(*^∇゜)v
私のような門外漢♪には、禅の世界は「やさしいことでも熟考
させる為に何だか難しげに表現してわざと分りにくくしてるのでは?」
と思えてしまうこともあるのですが、仙がいさんの書画は、そんな
素人にも、禅を分りやすく親しみやすくして下さっていて(そう見える
だけで奥はもっと深いのでしょうけれど)いて、嬉しくなります。
喜六も遂に「徒然亭若狭」の名前を戴きましたね〜
おかみさんが「徒然亭霞草」だったので、儚い命に
なってしまったのではと思った草若師匠は、女の子には「草」を
つけないようにしたのかしら…?
な〜んて、またB子並みな妄想しちゃいました(^^;
ももりさんには仙がいさんのような、愉快でいてギクリと
させられるような書画が描けるのでは〜と思ってしまいます♪
談山神社へいらしたのですね〜 酒徒善人さんのお話では
すごい混雑の様子でしたが、ももりさんは流石に誰もいない
スポットへ迷い込む名人ですね^^
とうがらしさんも仙がいさんがお好きでしたか〜♪
やはりお茶を嗜んでおいでのお母様のお好みでしょうか?
眺めているとほっこりにんまりしてきますよね〜
お茶を戴きたくなって…~~~旦o(^-^@)
なにも波風立てる必要はない、黙って書き込まないでいれば
良いのだと何度も思ったのですが、普段、気になっている言葉
の中の一つでしたので… ももりさんの感覚の方が、やはり
芸術家でいらして、ずっと現代的で新しいのだと思います。
黴臭いことを言ってると嫌われちゃいますね。
なのに言ってしまうのがこの山桜でして、困った性分です…orz
トテモいい画ですね
心が温まりました
HN変更されたのでしたね! 「とうがらしさん」もいらして
おいででしたので、『あら、とうがらしさん又HN変えられた
のかな?』なんて勘違いしてしまいました(^^;
なかなか更新出来なくて、ミクシイにもご挨拶に伺う程に
しか行けず、登録甲斐のないマイミクで申し訳ありません。
仙ガイさんでホッコリ和んで戴けたようで嬉しいです^^
そんな風に言って戴けて、とても嬉しいです!
良かった〜♪ \(^O^)/
このところ、衛星放送で「ちりとてちん」と「都の風」を録画し
続けて見ているので、大阪・若狭・京都・奈良などの関西の言葉が
ごちゃまぜになって、頭に沁み込んでしまっていて、先ほど電話で
お話している時にも、似非関西弁が出てしまい、我ながら可笑しく
なってしまいました。
標準語とは異なる響きの美しい言葉で憧れてしまいます。