12月19日のお稽古「夜伽の茶事」
【「夜伽」?「夜咄」?】
「夜ばなしの茶事」として最初に目にしたのは「『夜伽』の茶事」という文字だったと思うのですが、後々出版物などを確認しますと「夜咄」を使ったものが多く、夜伽の方は「よとぎ」と読めば、艶っぽい響きで誤解を招きかねないので、段々と使われなくなったのかもしれません。
「長い夜の慰みにする話」の意味を持つ、お伽話の「伽」の方が私は好きなので、ここでは「夜伽の茶事」と書いておきます。
本来は日没後に開かれる茶事ですが、夜間主婦が家を長く空けるのは、宜しくないので、午後2時半から雨戸を締めての茶事となりました。
【寄付(待合)】
待合で支度を整えた頃、湯気も嬉しい甘酒のおもてなしがありました。もっちりと濃い麹発酵させた甘酒には黒文字が添えてあり、かき混ぜてふぅふぅと熱々を戴くと、優しい甘さが喉から体の隅々までしみわたり、芯からホカホカして参りました。
【迎付】
お迎えにより露地に出ますと、先程は無かった露地行灯が出されており、物珍しさに思わず覗き込んだり触ったり…程なく蹲前で、亭主の
お出迎えです。 正客と亭主が手蝋燭を取り替えるのは、燃えて減ってしまったであろう蝋燭を新しいものとお取り替えする為なのでしょうか?
お互いの炎を交換するという行為には何かもっと深い気持の「交感」があるように思えました。
【席入】
未だ明るい外から潜り入った茶室の中には、闇の中ゆらゆらと灯火が揺れていました。 床の間の前の和蝋燭*の燭台をかざして掛物を拝見、
闇に浮かび上がるお軸の文字には、常よりも力強い迫力を感じました。
櫨(はぜ)の実から作られた和蝋燭の灯りは洋蝋燭とは異なる暖い色調、遥かに明るくも持ちも良いのだそうです。作り方の行程など詳しくは、後掲のHPをご参照下さい。
【短檠について】
炉前に進みますと、蝋燭よりも一段と明るい燈台が目に入りました。「短檠(たんけい)」と言うお道具(上掲の拙いスケッチ・寸ずまり…orz)で、雀瓦という前後に穴のあいた蓋物になたね油が入っており、そこに「い草」の髄(畳表にする表皮を取り除いた芯の部分)を干した長い燈芯の束を浸して燃やしています。短檠は正客の傍らに据えてあり、長い燈芯を順次送り出し、焔を絶やさないようにするのは、正客の務め
となります。
い草の燈芯は予め水に浸して柔らかにしてあるのですが、段々と乾いてしまうと脆く切れやすくなり、このお務めはなかなかのコツがいるのだそうです。 後で燈芯を触ってみますと、発泡スチロールのようなふわっとした弾力がありました。 繊維の隙間が上手い具合に油を良く吸い上げるのでしょう。
【薄茶】
ご挨拶が済むと早々に薄茶が振舞われました。
「夜、寒い中(夜伽の茶事は夜長の寒い時期に行われます)お集まり戴きありがとうございます。先ず何はともあれ、温かなお茶をどうぞ」
の気持から、道具も所作も簡略になっています。
大きな違いで目についたのは、水次ヤカンが水指代わりであること、お点前の位置が炉に正面なこと、お茶をお出しする位置が常より客前近くであることでした。
ヤカンが普段お茶をお出しする位置に置いてある為もありましょうが、少しでも早くという気持の表れでもあるように思えました。又、正客さんの、
「おもあいで(二人分一緒に)」
というお申し出も、一刻も早く皆にお茶を…との配慮からになります。
【炭点前】
次いで炭点前。 亭主が羽箒で炉縁を清め終わるのを合図に正客より炉前に進み出て、お点前を拝見します。(下がる時も羽箒が合図。「羽で招かれ、羽ではける」と覚えました。)
闇に目が慣れてくると、暗くて見えないと思っていたものも段々とよく見えるようになってきます。 しかし、一旦炎を見てしまうと、元の木阿弥に。 視界にできるだけ炎を入れないようにするのがコツと会得しました。)
炭点前の後、香合の拝見が周る頃合で丁度、炉にくべたお香が薫り始めました。 席中を人が動くことにより風がおき、薫りの帯も闇を漂い出すのですね。
【懐石】
「時分どきですので、お凌ぎを差し上げます。」
のご挨拶で懐石が供されました。 油火や蝋燭火だけの薄暗がりの中で食事をするのは、三宅島で台風に遭遇、停電した時以来のことで、何がどうなるやら期待で胸が高まります。
さ〜て、お膳が運ばれ、お料理に目を凝らしますが、光が乏しいということは、色が殆ど無い世界。 白と黒と灯火の橙色だけ…(そう書いてハタと気付きました! 橙(だいだい)色とは、木に灯る燈の色の意味だったのでしょうか? 深緑の中に柑橘の実がなっている様子は、確かに暗がりの中の灯火に見えますね♪)
流石経験を積まれた先生は良くご存知で、暗がりの中でもよく目立つ「白い」食材を効果的に用いていらっしゃいました。 また、不足する
視覚を補うように、香り・食感・温度などを大切にされていたことにも今、お料理の品々を思い出しつつ気付いて感動再びです。
お酒が何度も廻って参りまして、少しずつ戴いた積りでしたが、ほんのり酔いがまわったようで、私だけでなく皆さん緊張が解けて楽しい打ち解けた気分に…何度も笑い声が上がりました。 本当に夜でしたら、これはイケナカッタのかしらん?
主菓子は「木菟(みみずく)」(特注品でしたので写真は無しです。)目鼻口のあるお菓子は、どこから戴いてよいやら悩みますね。
【中立】
中立で外に出ますと、曇天の上日も傾いていた薄暗い景色が、闇に慣れた目にはとても明るく、まるで雪が降り積もったかのように見え、驚きました。
【後座の席入】
夜間の設定ですので、後座整いの報せは鳴り物は打たず、半東さんの迎えとなりました。 休憩の間にも外は暮色を強め、露地行灯の暖かみ
のある灯りがはっきりと浮かび上がって、一層風情を増しておりました。
常の茶事であれは、後座には花が生けてありますが、夜伽の茶事では花はなく(花色なども良く分らない上に、灯火で花影が伸びて揺れる様子はあまり佳い風情とは言えぬ為)、代わりに「石菖(セキショウ)*」の盆鉢が飾ってありました。 石菖の香りが灯火のにおい消しになると言われているのだそうです。
【濃茶・薄茶】
さてさて、ここまで思い出しつつ書いてきましたが、お酒の所為でしょうか…(^^; 濃茶・薄茶と続くのですが、どうもこの後の詳細があやふやです。
はっきりと覚えているのは、丸卓の上に棗を乗せた棚影が短檠の灯火によって壁に映し出され、市女笠を被ったお姫様の姿がゆらめいているように見えたことです。『あのお姫様は一体どなただったのでしょう…?』そんなことを思いながら、またあの笠の名前は何と言うのだったかを
思い出せずに悶々としながら、ふと遊行七恵さんの所へ遊びに行き、何と一発目にクリックしたタイトルの中にその市女笠姿のお写真が!
「遊行七恵の日々是遊行」12/17『おん祭のパレードを追う』より http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-1001.html
こんなことが度々あるからネットのご縁って不思議で面白いです。春日さんのおん祭と関係のあるお姫様だったのでしょうか…
そうそう、お茶碗など拝見する時に回された三足の燭台は「小灯(ことぼし)」と呼ばれていました。可愛らしい名前です。
茶事の後、お稽古納めの席となり、お汁粉と煎茶をご馳走になり、今日の茶事のこと、今年のお稽古のことなどを振り返り和やかに談笑。最後に初釜へのご招待を戴き、ホッとしつつも新たに気が引き締まる思いで楽しいお席を後に致しました。 来年もお稽古頑張ります!
【帰宅後…】
「家に帰ってからビックリするわよ」と伺ってはおりましたが…本当に鼻の中が真っ黒でした! 煤ってスゴイのですね〜(笑)でも嫌な感じが全くないのは、天然の材料の所為でしょうか?
<覚書>
掛物:「無事是貴人」
茶杓:「埋み火」
菓子:「みみずく」
懐石: 麦飯、とろろ汁、海老入しんじょ・山伏茸の葛あん
南瓜のそぼろ餡、子メロン漬物、蕪の柚子漬
*和蝋燭(飛騨観光協会HP)
http://www.city.hida.gifu.jp/kanko/takumi/warousoku/index.html
*石菖(セキショウ): サトイモ科の常緑多年草。 渓流の縁等に群生。特に根茎に香気がある。 菖蒲湯には元はこの石菖(漢名は菖蒲)を
用いたが、後により入手容易な大型のショウブ(同じくサトイモ科で池沼溝等に群生)を用いるようになった。 花菖蒲や庭石菖はアヤメ科の植物で、葉の形が類似するだけの全くの別種です。
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2007年12月23日
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京都だけでしょうか??夜伽って言うと、なくなった方の最初の日の夜、枕元で過すことを言います。でも、勿論本来は艶っぽいことですね。お茶も本当に奥深いんですねぇ。
うわ、あちらでのお話がぁ〜(笑)
お通夜に限らず、夜通しお話して過ごすことを夜伽と云う
らしいのですが、私もよく分かりません。 京都では普通に
用いている言葉ですか? 千家のお茶は京都発祥ですから、
その辺りのことも考えて「夜咄」の方を選んでいるのかも
しれませんね。 さて、どうしたら良いのかしら…
暫くしたら「夜咄」に変更してるかもしれません(^^;
ももりさん、教えて下さってありがとうございました!
昔からこうやって夜の集まりがあって
そこに茶事が入ってきたんだろうけれど
より一層夜を楽しめるようになった気もするね。
うーんo(⌒▽⌒)oすてきだわ〜♪
でも準備が大変そう・・・(^^;)
お料理とかも暗い中でする。。。のかなあ。
山桜さんは恵まれていらっしゃいますね^^
灯火の揺れで、気分が悪くなると言った友人がいました。 目のやり場も大事ですね^^
道具も大きい物、道具の色もはっきりした色を使い
着物の色も考えますね。
あ〜お近くならお稽古に通いたいです〜
あ〜残念です><
山桜さんはお幸せですよ^^
私も先日夜咄の茶事の勉強会にいってきました。
前茶形式なので お菓子代わりに甘酒がでたのですね。
初めての経験は星ヶ岡でお坊様とご一緒させていただきました。膳燭の和蝋燭の明かりのもと 全員が着物姿で 思わずタイムスリップしたような錯覚になり、感動した覚えがあります。
茶事では 和蝋燭も新しいものを使った方がよいそうです。
和蝋燭も 石菖もいつか購入したいと思っています。
て 言いながら 茶事の予定はないのですが。(笑)
「クリスマスケーキもいいけど、和菓子の方が・・・」ということで、和菓子のお店に寄りました。
正月用の菓子が並んでいて興味津々でした。
昔、山でのテント生活で、暖をとるのに蝋燭を灯して鼻が真っ黒になったのを思い出しました。
聞いたことはありましたが、この様に詳細な流れを拝見したのは初めてです。趣ありますねー。
灯りが主役のように思えます。
今でこそ、非日常的な幽玄の世界に感じますが、電気のない昔はこれが普通だったんでしょうね。
戦国時代、江戸時代にタイムスリップ出来そうですね。機会があれば参加したいです!!
毎日妄想の日々を送ってDVDを何度も見て自分なりに考えていますが〜やっぱり実際経験された日記は有難い事です。
闇夜のカラスさんになったり〜
幽霊になったりと想像がどんどん膨らみます。
『海外版』として頑張ってみますね〜
私の手引書のように詳しく書いて下さり感謝申し上げま〜〜〜す。 チュッ〜〜。
夜伽はももりさんも挙げられてた通りの意味でも古老は使うてはりますが、御伽衆のことなど思い合わせると、色々興趣がつきませんね。
仄暗い中での視覚・嗅覚・触覚って深いものだと思います。
それにしても揺らめく幻影はやはり、奈良から武蔵野へ影向された姫神のお姿なのでしょうか。
>目鼻口のあるお菓子は、どこから戴いてよいやら
かにパンを食べるときは必ず分解するわたしです♪
「茶」自体が、今より格段に貴重なものであったという
ことが「茶事」という儀式のような席が催されるように
なった理由の一つだろうね。 素晴らしい「茶」をどんな
趣向でお客様にふるまえばより効果的に美味しく楽しんで
戴けるか…多くの茶人が思いを巡らせてきた実りではないかな〜
だから準備も「大変」じゃなくて、先生曰く、
「楽しくてたまらないの。 お茶事をしたいからお茶するのよ〜」
ですって! そんな風になれたら素敵だよね〜♪
お料理も灯火の下でされたかどうかは伺わなかったよ〜^^
夜伽の茶事、催される方は多くないのですか? そう言えば、
朝茶の時も先輩方に『なかなかお招きされる機会なんてないのよ、
私たちは幸せなのよ〜』と伺いました。
そのようなことは何も知らず、ただただ先生のお人柄が素敵〜!
と憧れて門をくぐったのですが、私はとても幸運だったのですね♪
電灯の下では変わりないような視力が、灯火だけの世界と
なりますと、個人・年齢などによりかなり差が出るようです。
お歳を召された方をお招きする時は、一層の心配りが必要と
思いました。
あの甘酒はお薄の為のお菓子代わりの意味合いもあったの
でしたか〜気付きませんでした! ありがとうございます。
本当にタイムスリップしてしまった気分になりますね〜
おまけに灯火は揺れ、お酒もまわってきては、
「ここは何処? 私は誰?」
状態になって(笑) アブナイアブナイ、若しかして酸欠って
こともありますから、本当に気をつけないといけませんね。
新しい和蝋燭とは、作ってから日が浅いという意味ですか?
煤は短ケイの油火からが一番多いそうですが、和蝋燭からの
分は新しい方が古いものより少ないのでしょうか?
石菖って割に身近に生えている多分あれでは〜?と思っている
ものがあるので、今度香りをチェックしに行ってみます♪
斑入りとか黄緑葉の名品ではありませんが^^;
メタボ予防には和菓子に緑茶の方がいいようですね♪
ただ最近は生クリーム入りの大福とか銅鑼焼とか要注意な
ハイブリッド菓子?がありますけど(笑)
テント背負って山に籠もると五感も第六感も冴え渡り、
眠っていた力が目覚めますね〜 あの感覚が魔力で止められ
ないのですよ…鼻は都会の雑踏から帰ってきた時も黒くなります。
灯火があって闇が生きる、闇にあって人の感覚が蘇る…
確かに細かい部分の目での拝見はしづらくなりますが、
その分他の感覚が研ぎ澄まされ、目が見えていたときには
気付けなかった発見があります。
キャンプの時もそうなのですが、火ばかり長く見詰めて
しまうと、闇に目がきかなくなって危険です。
試しに片目だけ覆って蝋燭の火を暫く見た後火を消して、
開いていた方の目で闇を見れば真っ暗、反対に覆っていた
方の目で見れば「ええっ!」と驚くほど明るいです。
電気の恩恵を受け、人間の闇の中での視力は退化の一途…
夜伽の茶事のような機会で、時には昔の暮らしの中に身を
置いて、振り返ってみることも大切と思いました。
あやめさんも先生も、いつもお茶を楽しまれていらっしゃる
様子が生き生きと伝わってきて、私まで興奮して参ります。
フロンティア時代を懐かしむような気持で、アメリカの方も
灯火の下での夜伽を喜ばれるのではないでしょうか?
いつか地元の方々もご招待して「夜伽の茶事」が催せたら
素晴らしいな〜なんて、私まで勝手に妄想してしまいました。
アメリカ版アレンジあって然るべきと思いますし、お話
伺える日を楽しみに待っておりま〜す! ☆⌒(*^∇゜)v
この度は奈良からのご支援、ありがとうございました!
こんな偶然ってあるのですよね〜アンテナ立っちゃった(笑)
お茶用語の漢字って実に色々で、絶対にコレ!というのが
有るのか無いのか未だによく分からないのです。
口伝の世界でしたから漢字に拘らなかったのかもしれません。
かと思うと掛物の禅語などは漢字だらけで…(苦笑)
春日さんからのお使者だったのでしょうかね〜
影を見た瞬間にそのお姿が浮かんだので、やはりどなたか
いらしてたのは確実だと思います〜ふふふっ
蟹パン! 私も分解しますよ〜っ(*´∀`)人(´∀`*)ナカーマ
出来たてという意味ではなく、茶事なので なるべく新品(使いかけではなく)のほうが良いのでは?と思っています。
私は道具を持って実際に自分でしたわけではないのですが、燈芯を短く切ると ゆれが少なくなり 明るくなるそうです。(たぶん 煤も少ないかな?)
聞きかじりでごめんなさい。
お答え戴きありがとうございます♪
和蝋燭は火を点ける前に見せて戴きましたが、全部新品でした。
先輩が『蝋燭が燃え切らぬ内にお茶事を終えるのよ』と仰って
いたので、やはり新しい蝋燭でないと時間が計れませんね。
和蝋燭は燈芯の部分まで最初は蝋が被っているので、切ると
したら、燃え出した後ですね。 その辺りは見ておらず、
分りませんでした。 来年はチェックしてみます^^
揺らめく幻影。。。市女笠のお姫様・・・ついつい日記ごと拝見したくて
遊行七恵様のブログに飛んでしまいました。お二人のコラボ、素敵です-☆
観月茶会でお点前をした時、和蝋燭の臭いに閉口した経験がありますが、
壁や障子、畳に映し出される揺らめく影は、本当に幻想的で、
夜伽の茶事は、以前からずっと憧れています*^^*
私は和蝋燭のニオイは殆ど気にならず、どんなだったか
思い出せなくて?? お香がいつもと違う銘で甘やかな薫り
だったことだけは覚えてるのですが、銘は忘れちゃった(^^;
ず〜っと昔に母と観た映画「細雪」の中で、揺らめく和蝋燭
の中で美しい四姉妹が会食するシーンがあって、憧れてました。
あの華やかさとは別の世界でしたけれど、どちらも素敵!
電気の隅々まで照らし出す明るさで、失ってしまった古き夜の
風情に、うっとり浸れた宵(酔い?)の内でした。
今日は主婦らしく黒豆、小豆を煮て準備!します。
来年も宜しくお願いします!良い年をお迎え下さい。
3日がかりで炊き上げた鰊の甘煮もお煮しめも、そろそろ
『またこれ…?』と言われる頃になってしまいました(^^;
今年も既に加速してきているような〜 まだまだ若いという
ことと思うようにしたいですが、たまにはのんびり何もすることが
無く、ぼけ〜っとしたいような… そうなったらそれで退屈
なのでしょうけれど〜
ご挨拶が遅れ大変失礼致しました。 こんな私ですが、
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。<( _ _ )>
これ程のレポートを、私は一生かかっても書けないなあ、の思いです。
残念ながら私自身お茶から離れているので、友人の還暦の茶事に招かれてもう5年経ちました。移住しますが、移住先で茶友が出来るか否か、茶の団体に属さない限り難しそうです。茶事など、猶のこと。元々大寄せ茶会は、私とは合わないので…….
イヤ、前向きに動いて、輪を広げていこう!と気持ちを新たにしました。
えっ、何処かへ移住されるのですか? 割りに近くにお住まいと伺いながら、一度もお目にかかれないままに・・・。
夜伽の茶事、「京都の冬の楽しみ」だったかの番組で見て、懐かしくなって掘り出してしまいました。我ながら初々しい感想で、残しておいて良かったと思います。多聞さんに過分にお褒め頂き、雪の朝でも心がホカホカになりました♪
新天地でのご縁の輪が広がり、ワクワクしますね! おっと出掛けねば、尻切れですみません(。。;)
良い気分でお出かけなされたならば、良かったです。
私は、実家へ帰って家を守る、ということなんです。
お蔭様で雪道も転ばずに行って帰って来られました(^^)
ご実家へ戻られるのですね。それでは昔なじみの方々もいらっしゃって心強いでしょう。お茶をやってみたいと思われる方、沢山おいでと思います。是非、和の世界の輪を広げてください。