お月見と称して月を愛でる風習には、次の二晩があり、両夜の名月を見ると
縁起が良いとされる。又、十五夜を愛でて十三夜を愛でないことを「片見の月」と
忌む地方もある。
旧暦八月(葉月)十五日(2005年は 9月18日):十五夜、中秋の名月、芋名月・・・
旧暦九月(長月)十三日(2005年は10月15日):十三夜、後見の月、栗/豆/小麦名月・・・
ところで何故、葉月十五日の満月を「十五夜」として愛でるのに、長月では十五夜は
無視され、あと少し満月に足りない「十三夜」の月の方を愛でるのだろうか?
毎年疑問に思い調べてみるのだが、なかなか納得出来る答えがみつからない。
今年は、↓同じことを思い調べていらした先輩のサイトに廻り合った。
「やまとうた」by:水垣久さん
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/orihure4.html
宇多天皇(887〜897)の十三夜の月「無双」賞賛説。やはりここに行き詰る様だ。
写真や図解で見れば、十三夜の月は確かにまん丸では無いのだが、肉眼で見れば
十三夜の月は、「あ、満月?」と思うほどに丸く見える。宇多法皇も、その夜の月が
あまりに美しかったので十三夜月とは知らず、思わず「並ぶもの二つと無し」とお褒めの
言葉を発せられたのだろうか?
しかし後の世となれば、上記サイトにも掲載されている和歌のように、
そのわずかに望に満たない月に却って美を見出す様にもなる。
雲消えし 秋のなかばの空よりも 月は今宵ぞ 名におへりける (西行法師)
先まくり 今二夜をば 満てずして くまなきものは 長月の月 (能因法師)
既に満ちてしまって欠けて行くばかりの月よりも、ぐんぐんと満ちていく月に
あやかって元気を貰いたかったのかもしれない。桜も満開より八分咲きを好む、
そんな日本人の気持ちに添い、やがて風習となっていったのだろうか・・・。
2005年10月15日
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