九十九とは沢山の物、いろいろな物という意味でもあり、百引く一又は百に
一足りないということで、他に様々な捉え方をすることも出来るようだ。
長く大切に使われた物には良い魂が宿り、持ち主に幸運をもたらして
くれもするが、未だ使えるのに捨てられたりぞんざいに扱われた物
には悪い魂が宿り、持ち主に悪さをすることさえあると言う。
(九十九と言う数字には、もう一年使ってくれさえすれば百年もったのに…と
悔しがる物の思いを込めたという説もある)他にも、手放したくないのに泣く泣く
手放された物には、その持ち主の悲しみが宿るとも言う。
このような神さまは時に妖怪とも呼ばれ、破れ提灯・唐傘おばけ・一反木綿
などが有名だ。おばけ箒という妖怪は、怖ろしいことに家に不幸を掃きこみ
続けるとか…! 道理で祖母たちは、箒の先を曲げないように、偏らせないように、
毛羽立たせないようにと、色々と気を配り大事にしていた訳だ。
「物を大切にしないと化けて出るぞ!」と子供を脅かして教育
することは、最近ではいけないことになってしまったらしい。
(子供の人権侵害、幼児虐待、etc...)
こうして物にも魂があるなどいう非科学的な考え方は、「あ〜勿体無い魂」と
共に闇に葬られていくのだろうか。
落ちたものを拾わない、床にあるものを平気でまたいで通る、そんな子供が
増えた。廊下にフックから落ちた体操着袋が落ちていても拾って掛け直すどころか、
平気で蹴る子供までいる。とりわけ大事にされていた文字の書いてあるもの、
本でも新聞でもお構いなしに踏みつけることさえある。
私の祖母がいれば、問答無用、ピシャリと足をはたかれるところだ。
落し物忘れ物は探しもしないし、勿論記名もされていないので、学校の保管棚は
物であふれかえっている。
大人でもそうだ。建築現場で平気で道具もまたぐ大工さんに驚いたことがある。
「道具は大工の魂」だった時代は終わったのだろうか?
目の前のPCにも「九十九神」は憑くかも知れない。
ゆめゆめぞんざいには扱うまいぞ。


今は時間に追われ道具の手入れもおろそかになっているのが現状かも知れませんね。道具を見れば腕が解るなんてことも遠い昔になりつつありますが、よく手入れされた道具は良い仕事をしてくれます。
ゆめゆめぞんざいには扱うまい。
HPも拝見して参りました。石臼もお持ちで自家製粉のそば粉、
お手製のそば打ち台・麺棒・駒板・切板…そして打たれた
お蕎麦の見事さ!本当に驚きました。素晴らしいです。
絶対に良い九十九神様がついていらっしゃいますね。
私も気をつけようっと♪♪
言葉とは本当に生き物だものね。
特に残るものは今以上に慎重にできますように。
最初のお仕事でね、○○書を書くの。
で、最後になって○○さんが
悪く書いてませんか?って心配になって聞いてきたことがあったの。
もちろん、先輩から公の文には悪い事は書かないって
実は鉄則のように教えられててね。
もちろん、見せるわけにはいかなかったのだけれど。
当たり前だけれどその子は無事○格。
言葉って重いよね(しみじみ)
言霊は勿論、文字霊も大切にしたいよね。
だから本当は、キーボードからばかりではなくて、
きちんと手で、しかも水が流れるように上から下へ
縦書きで書きたいのに、つい横書きに…orz
「○○書」!うわっ、今の私には刺激の強い言葉(苦笑)
上のお話はあくまでも
たとえ話ということで☆(笑)
そうだよね、縦書きっていいよね♪
文字霊。。そうだね〜。○○書だって
その人の一生を左右するものだし。
言葉って資本も何も必要なく
人を幸せにできるものの一つだよね。
すばらしいと思うよ。
その人のこころねが言の葉に現れる。
ゆめゆめわするるなかれ、だね。
心音が琴線に触れる、
そんな言の葉を発せられる人になりたい…
夢は大きく〜♪