「かなしみ」
石垣 りん
私は六十五歳です。
このあいだ転んで
右の手首を骨折しました。
なおっても元のようにはならないと
病院で言われ
腕をさすって泣きました。
『お父さん
お母さん
ごめんなさい』
二人ともとっくに死んでいませんが
二人にもらった体です。
いまも私はこどもです。
おばあさんではありません。
* * *
甘く感傷的な恋の詩より、
傷ついて病んで血を流す叫びより
今は年を重ねた人の
亡き父母への
詫びのかなしみが胸に迫る。
お父さん、お母さん
二人が笑うと
とても嬉しい。
私は二人のこどもだから。
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2008年02月27日
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残された沢山の手紙を読みましたが、
写真の顔をじっと見ることができませんでした・・・
僕を生んでくれてありがとう。
何とか真面目に六十五歳まで
平穏に生きてこれたのですが
これからは分からない
何が出来るとも言えないのですが
これで いいのだろうか?と
誰かの叫び声が聞こえるのです
私もやはりお二人と同じ血なのだ
お父さん お母さん ごめんなさい
こんなに素直にいえたら
なんてステキだろう。。。o(⌒0⌒)o
深く感じ入る詩ですね。。。
石垣りん様の詩
いづれも
はつとさせらるるものあり
いとすばらし
頓首
時に両親の夢を見て泣いてしまう日もあるのだそうです。
親が子を思う気持ちは深く
子が親を思う気持ちは切ないほど一途。
(そうでないことが当たり前になってはいけませんよね)
石垣りんさんの詩への思いを寄せて下さり、
ありがとうございます。 <( _ _ )>
皆様それぞれの思いは、そっと、そのままに…。
今回、私のコメントは差し控えたいと思います。
(胸がいっぱいで書けなくなってしまって…すみません。)
今から13年も前に書いたものが、人気記事のトップに来ていて、今更乍ら、生き続ける「石垣りん」さんの詩の力に圧倒されています。
この間に、私も父を失いました。長く膝を患っている今の私を見て、父はとても心配していることでしょう。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
生きている母の、そして今も見守っていてくれる父の笑顔を見るために、この病を跳ね飛ばしてやりたい。