
(自転車道路の走行方向矢印)
ずんずん進め 俺はイージス
俺が歩けば 回りが避ける
俺の進路を邪魔する奴にゃ
体当たりをお見舞いするぜ
街中も、そこら中、イージス艦だらけです。
イージス連中には、お互いにそっと肩を引きあって、「江戸仕草」よろしく、粋に擦れ違おうなどという意識は、微塵も感じられません。
相手方が道が狭くて擦れ違えそうもないと判断し、予め手前で止まって道を譲ってくれていたとしても、お礼の会釈一つしない所か、まるでそうして貰ったことにも気付かないかのように、一瞥もくれず堂々と真中を通り過ぎる始末です。
こんな人達に、「あたご」の批判をする資格などありません!
嘗て江戸でそういう仕草が自然に出来ない人は「田舎もん」と後ろ指を指されたそうですが、今や東京は人種の坩堝(るつぼ)、生粋の江戸っ子の方が絶滅危惧種でしょう。
車社会では、交通法規があって従わなければ違反となりますから、運転者が同じような人間であってもこれほどの我儘は見られません。歩行者同士のこの不愉快な摩擦は、正に「無法地帯」から生じていると思われます。 最早「暗黙の了解」「何となくうやむや」で乗り切れる域を超えています。
私が子供の頃「車は左/人は右」と教わりました。
また「道路を歩く時は右端を歩きなさい」とも教わりました。
しかし、今、それを守ろうとしても出来ないことが多いのです。
理由を挙げれば、
・歩道が道路の片側にしかないことが多い。
・歩道を歩いている人は、歩道の左側を歩いていることが多い。
・「右側を歩く」と教えられていない人が多い?
歩道が道の左側にしかない場合、仕方なく道路の左側を歩くにしても、その歩道の中では右側を歩こうとします。 しかし、人の流れは殆どの場合、左側通行なのです。 逆らって右側を歩けば、却って私の方が非常識!と言われかねない状況です。
・人間は心臓が左寄りなので重心も左に傾き、自然と左に寄る。
・右利きの人は、本能的に右の利き手を人に向け防御の形を取る
ので、左に寄る。
などという説もあるように、特に意識しないと人は自然と左側を通る傾向にあるようです。 この為か、駅構内などでは「左側通行」となっていることが多いのです。
この際、「車は右/人は左」に変更してしまえば良いと思っても、車も道路も信号も交通法規も何もかも全部変えるとなれば、直ぐに実現は難しすぎます。
そうであれば、せめて、
・人対人の場合は「左側通行」又は従来通り「右側通行」
と、どちらかに決め、徹底指導することは出来ないものでしょうか?
本来真面目な気質の日本人なら、そうと決まれば守れるはずです。
私は歩くことが多いのですが、人と擦れ違う度には、殆ど自ら避けて譲ってばかり。 お年寄りや体の不自由な方に対してならば、当然のことですが、どうみても私より若そう・元気そうな人々の傍若無人*な振る舞いには首をかしげるばかりです。
誰もが知っているような言葉ですがあらためて書きます。
*傍若無人=傍らに人無きが若(ごと)し
<追記 08-03-07>
イージス艦「あたご」と漁船との衝突事故は、未だ原因が解明されて
おらず、「あたご」側のみの責任とは言えない状況なども指摘されております。
この日記は、実際の事故における「イージス」を責めるものではなく、
「イージス」を誹謗する我彼の中に、同じ種の傲慢さ、うやむやさが
潜んでいないか、それを問うております。


すれ違う車の多いこと多いこと。これも思いやり欠如の具現化ですよね。
自分の車線側に対向車がはみ出して向かってくれば、ひえ〜〜〜っと思うのは
誰しも同じ筈。相手の立場に立って考えると言うことを、親や地域が
教えてくれていないんですかね。
そう考えると、躾と言う漢字は実に良く出来ているなと感心します。
狭い国で皆が心地よく暮らすための日本人の知恵とも言うべき躾。
ディベート方式のアメリカ風を続ければ、最後に待っているのは戦争でしょうね。
今の世相を言い表わした最高の表現です。その通り。
車がすれ通れない細い山道で一番その気質が表れます。
ところどころすれ違える様に待機場所を作ってあるのですが
その時の状況判断で自分が待機しておれば、全てスムーズに
流れるのですが、相手が待ってくれるものとイージス艦の様に
飛び出して突っ込んで来るのです。もう後の祭りです。
後から後から続いて来るので、前にも後ろにも行けずお手上げです。
何時間も待つしかありません。こんなのが最近増えていますね(涙)
という思いが少しでも脳裏を過ぎる瞬間が
ものすごく怖い
そんな印象です
道路交通法は車やバイクだけではなく
自転車や歩行者も対象です
今度自転車の規制が厳しくなるそうな
携帯見ながらの自転車とか罰金刑になる
小生も車は運転しますが
常に怖いんです
はい
傍若無人=傍らに人無きが若(ごと)し
で、思い出したこと、父が書道をやっていまして、私も書をやりたいと言いますと、空海の「風信帖」をくれて、「この字を習って、好きな言葉を書いて来い」ですって。手本と言うものは一切書いてくれませんでした。そして、書いていったのが「傍若無人」父は「ウ・ウーン」とうなりました。小姑や姑に囲まれて、息が詰まりそうだった新婚時代、傍若無人はあこがれの境地だったのです。変なこと書き込んで、マタマタ、すみません。
尚武のこころを取り戻すことも同様です。
但し、戦う相手を間違えない事。
教育の問題、政治の問題、マスコミの問題・・。
例えば、教科書には権利についての記述が何十ページにも渡ってあっても、義務は数行。
自分の権利ばかりを主張する者であふれるのは当然でしょう。
日本は草莽が起ちあがり、日本の日本たる連綿とした歴史を作ってきた国ではないでしょうか。今は最も困難な時代かも知れません。
しかしどうにかしなくてはいけない・・。
かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂 松陰
お返事が遅れてしまい、大変申し訳ありません。
どうか、今少しお時間を下さいませ…<( _ _ )>
さても
予
かねてより不思議におもふことあり
まさに日本の不思議なり
それ
なぜに
誰も彼も自動車免許がとれる哉???
自動車は凶器なりて
それを動かすには
相当なる技量と思考力及び創造力なければ
ならぬものを
技量なく思考力及び創造力の欠如したる輩の
数多に免許与へるは
「狂人に武器」なり
いとおそろしきことかな
南無大日あかひと如来・・・
車社会では未だマシかと思っていたのですが、実際は
かなり酷いようですね。 カーブで対向車線に膨らむなんて
他者まで巻き込み兼ねない危険運転ですよねヽ(#`Д´)ノ!
それで思い出しましたが、歩行時でも曲がり角で鉢合わせ
しそうになることが多いです。 見えない先のことを考え、
歩調を緩め、足音や気配を察知する位の気遣いを忘れないで
欲しいですね。 こちらはほぼ止まり相手の通過を待っているのに、
(多分、自分が最短距離のコーナー内側を通りたかったのでしょう)
さも邪魔そうに舌打されることさえあります。 そして思わずそこで
「すみません」
と言ってしまうのですよねぇ、悲しい性…。
「はぁ?」
と言ってディベートしてみたい。 今度こそ〜(笑)
ディベート大国アメリカでも、Winwinという相手の面子を潰さない
討論が見直されていますね。
思いやりは万国共通と思うのは幻想でしょうか…
お互いに頭を下げて挨拶を交せれば、それだけで爽やかに
擦れ違うことが出来るのに、こちらだけが続くと修行が足りず
どうしてもモヤモヤ〜が生じてきてしまいます。
気に入らぬ 風もあろうに 柳かな
仙高ウんの境地はまだまだ遠いです(^^;
車ではそういうことがきちんと譲り合えているとばかり
思っていました。 最近は、そういう待機場所さえ無視して
我先に飛び出す運転手が増えているのですね…嘆かわしい!
そう言えば、高速渋滞時の路肩走行も一台が行くと、続々と!
自分さえ良ければ…が、浅ましく恥ずかしい行為であると言う
教えは何処に行ってしまったのか。 道徳の時間が自習やら
TVの教育番組を見る時間になり、さらには総合学習という名の
中途半端な単元に喰われ、すっかり死に体になっていた日々の
ツケが廻って来ているのでしょうか。
しかしその前に家庭での親の姿勢ですよね…
子供は親の前も後姿もみんな見ているんです!(><)
詳しいことは分かりませんが、イージスは対空防御の為の艦で、
遠距離からのミサイル感知能力などにはとても優れているものの、
目の前の海の漁船は見えなかったんでしょうか…?
空ばっかり見ていて躓くなんて、心もとない防衛ですね。
「自分さえ良ければ」は、社会生活を営む上で最も恥ずべき
行為であるという教えを、小さい内からきちんと心に植えて
置かなければいけないと思います。
税金も年金も給食費も払いたくない人々を育てた同じ土壌が、
道も譲り合えない人々を生み育てたのでしょう。
人も自転車も車もみんな一緒の道を行くという環境でも
何とかやって来られたのは、日本人の良識と思いやりの心が
あったから…それが崩れてきて、街中を歩くのが怖ろしいです。
誤変換もなかなか味わいがあって消しがたく思いましたが、
気付いた範囲でちょこっと直しておきました。
>小姑や姑に囲まれて、息が詰まりそうだった新婚時代
そういう環境だったら傍若無人の境地に憧れますとも!
今「ちりとてちん」では、人とぶつかるのを避けて本音を
言わずに過ごしてきた人達の苦しみが描かれています。
傍若無人にも、周りに構わず好き放題するのと、周りと関わらず
自分の殻に閉じこもるのと、二通りあるんですね…。
親が変われば子が変わる、校長が変われば学校が変わる…
子供に一番影響力の大きい人の意識が変われば、小さな動きでも
やがて大きな新しい波が育っていくと思います。
このままではいけないと思っている人が、世間の大勢を占めて
いると信じています。 お互いに、自分の目の届く範囲、
力の及ぶ範囲から、これではいけないと思うことを改善していき
ましょう。 今直ぐに!
>なぜに誰も彼も自動車免許がとれる哉???
>「狂人に武器」なり
殿、しかり、しかり、誠に仰せの通り!
加うれば、
何故に資質無き、誰も彼にも教員免許取得が可能なりや?
また、何故に満足な訓練も積まぬ仮免状態の内から教職最前線
の矢面に立たされる哉?
モンスターの前にヒヨコを出せば、忽ち喰われるは必定。
情熱溢れ教職を目指し、たちまちに夢破れ去り行く若人よ、嗚呼!