2025年05月25日

水戸 仏日山 常照寺

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 伯父の法事で水戸の常照寺へ行って来ました。幼い頃から幾度となく参拝してきた懐かしいお寺さんです。ただ、いつもご本堂でお経を唱えて頂きお墓へお参りして終わりなのが残念。今回も足元が危ない母から目が離せず、写真の1枚も撮らず終いでした。

 子供の頃は、参道の並木の根元でジグモの巣を引っ張り上げたり、アリジゴクに蟻を落としたりしていたなぁ 
「外で遊んでいなさい」
って言われて外に出されたのかな。思い出すと蝉の声が聞こえてくるので夏休みだったのかもしれません。

 改めてどんなお寺さんか調べてみると、なかなか面白そう・・・

 水戸 仏日山 常照寺

 水戸光圀公が最後に手がけていたお寺さんで、城跡でもあったのですね。
 次は祖母や伯父やご先祖様のお墓参りにゆっくり訪ねてみたいものです。

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ラベル:水戸
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2025年05月15日

飯能・多峯主山界隈(4)観音寺〜善導寺

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2025.04.10 飯能 埼玉森林インストラクタ−会

【コース】西武・飯能駅〜歴史的建造物めぐり〜観音寺裏手〜諏訪八幡神社〜善導寺・・・

飯能駅から歴史的建造物などを見学し、白象のいる観音寺の裏手に回ります。以前はお寺を参拝して中を通り抜けて行かれたのですが、今はそれは出来なくなっていました。

観音寺裏手の道
P4101266 天覧山 近道?m.JPG

静かな道からは諏訪八幡神社へも参拝できます。
P4101267 天覧山 近道s.JPG P4101268 飯能 神社 鳥居s.JPG

この道沿いには私の好きなヒメウズが沢山咲いていました。
P4101270 ヒメウズm.JPG

中央公園通を北上、右手に中央公園
P4101271 八重シダレザクラm.JPG
公園ではシダレザクラが満開

更にすすむと能仁寺山門前
P4101272 能仁寺s.JPG P4101273 能仁寺s.JPG
天覧山へ向かう場合はこちらに登山口がありますし、素敵なお寺さんですのでゆっくり参拝もお薦めです。

今回、天覧山へは行かず善導寺へ・・・

くさもち観音 松林山善導寺 観音堂
P4101277 善導寺m.JPG
愛情込めてお手入れされた境内に心洗われました。何かのご縁を感じます。
4月18日の観音様の縁日に草餅を振る舞ったことから「くさもち観音」と呼ばれて親しまれているそうです。(今は、縁日近くの日曜日に草餅の日になっているようで、毎年変わりますのでご確認の上、お出かけ下さい。)

P4101274 善導寺m.JPG

木造 聖観音座像
P4101275 飯能 善導寺 観音様m.JPG
檜寄木造 像高43.2cm
法衣垂下(ほうえすいか)像(衣の裾が長く垂れる美しい造形)
後期宋風彫刻の特徴を表し、製作時期は南北朝時代、14世紀後半
作者は、詫磨派(たくまは)系の鎌倉仏師、
造立地は鎌倉と推定されます。

松林山善導寺 観音堂HP
飯能市指定有形文化財 聖観音像

(つづく)

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2025年04月30日

竹宇 甲斐駒ヶ嶽神社 その2

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次々に現れる・・・押し寄せる・・・霊神碑・石仏・石碑群
mP4031010 竹宇駒ヶ岳神社 石像.JPG

霊神碑について
P4031012 竹宇駒ヶ岳神社 霊神碑についてm.JPG

P4031011 竹宇駒ヶ岳神社 霊神碑m.JPG

それぞれに発する力が大波小波のよう・・・圧倒されます
P4031013 竹宇駒ヶ岳神社ml.JPG

P4031014 竹宇駒ヶ岳神社m.JPG

烏天狗は猿田彦大神?
P4031015 竹宇駒ヶ岳神社 霊神碑 天狗?m.JPG

龍神の滝
P4031017 竹宇駒ヶ岳神社s.JPG P4031018 竹宇駒ヶ岳神社s.JPG

P4031016 竹宇駒ヶ岳神社m.JPG

拝殿・本殿の裏手から左手にぐるりと回った下の道

尾白川を見下ろし甲斐駒ヶ岳を仰ぐ様に立つ石碑
P4031050 竹宇駒ヶ岳神社m.JPG

拝殿・本殿
P4031051 竹宇駒ヶ岳神社m.JPG

神楽殿
P4031052  竹宇駒ヶ岳神社 神楽殿m.JPG

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2025年04月29日

竹宇 甲斐駒ヶ嶽神社 その1

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2025.04.03

尾白川渓谷に下りる前に、甲斐駒ヶ嶽神社(奥宮は山頂)の竹宇の里宮に参詣しました。横手の里宮の方は神代からの里宮との記録がありますが、竹宇の里宮には公式の記録がなく、横手里宮から約300年程前に独立し創建されたようです。

ヒキガエルさんのお出迎え   霧雨の中をゆく一行
P4030995 ヒキガエルs.JPG P4030997 雨の中s.JPG

甲斐駒ヶ岳登山口道標     徳仁親王殿下ご登頂記念碑
P4030996 甲斐駒ヶ岳登山口s.JPG P4031059 徳仁親王殿下登頂記念碑s.JPG
何か気配を感じる登山口の道標・・・ 山好きの殿下も今や天皇陛下。

霧雨にけむる苔むした巨石たち
P4031061 竹宇駒ヶ岳神社 巨石m.JPG

mP4030998 尾白川渓谷 巨石.JPG

日向山登山口
mP4030999 甲斐駒ヶ岳登山口.JPG
真っ白な「天空のビーチ」が有名な日向山へはこちらから

P4031003  尾白川渓谷 巨石m.JPG

竹宇駒ヶ嶽神社
P4031058 竹宇駒ヶ岳神社m.JPG

P4031056 竹宇駒ヶ岳神社m.JPG

P4031055 竹宇駒ヶ岳神社m.JPG

手水舎
P4031001 竹宇駒ヶ岳神社 手水舎m.JPG

P4031008竹宇駒ヶ岳神社m.JPG

mP4031009 竹宇駒ヶ岳神社.JPG

ご祭神:
 主祭神 大己貴神(おおなむちのかみ)
 配 祀 少彦名神(すくなひこなのかみ)刀利大権現
     天手力男神(あめのたぢからをのかみ)摩利支天

ご由緒:
甲斐駒ケ岳は富士山と共に古代より人々が畏敬の念を抱き信仰の対象としてきた霊山。

聖徳太子に献上された天津速駒(あまつはやこま)という白馬がこの山で生まれたのに因み「駒ケ岳」と称されるようになったと伝わる。

霊峰 甲斐駒ヶ岳(2,966m)は、江戸時代・文化年間、信州の今右エ門の次男 権三郎、後の弘幡行者(こうばんぎょうじゃ)・威力不動明王により開山。甲斐駒ヶ岳登山口にあたる竹宇の地に里宮として約300年前「駒ケ嶽神社」を建立。

大己貴神(おおなむちのかみ・大国主神・大黒さま)を主祭神とし、少彦名神、天手力男神等、七柱の神々を祀る。

ご祭日は本来4月12日(近年は4月10日〜16日の間の日曜日)。太々神楽が奉奏され、氏子、崇敬者、講社の参拝で賑わう。

地元はもとより京浜方面、或いは阪神地区にまでも「駒ケ岳講」が結成され、広く厚く信仰をあつめて今日に及ぶ。

甲斐駒ヶ岳神社HP

(つづく)

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2025年04月28日

横手 駒ヶ嶽神社 その2

桜と小鳥
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2025.04.02

拝殿、本殿にお参りし、左手に上がっていくと・・・

横手 駒ヶ嶽神社 神剣 霊神石仏群
P4020966 横手駒ヶ嶽神社 神剣 石碑群m.JPG

ご神木 数多の霊神石仏群 
P4020967 横手駒ヶ嶽神社 ご神木 石碑群m.JPG
そこここに神様仏様がお姿を表わされているが如くです。

立ち並ぶ霊神石仏群に圧倒されます。明治の神仏分離以降も「駒ヶ嶽講」として継続でき、無事に保たれてきて幸いでした。
何人も穢してはならない聖域と感じます。

P4020968 横手駒ヶ嶽神社 石神石碑群ml.JPG

一段上にまたも霊神石仏群    
P4020973 横手駒ヶ嶽神社 石塔石碑群s.JPG P4020970 横手駒ヶ嶽神社 石塔前の階段s.JPG 

P4020969 横手駒ヶ嶽神社 石塔石碑群m.JPG
ああ、今日、ここに参拝できて本当に良かった・・・ご縁を感じます。きっと再び訪れることになるでしょう。

妙見大菩薩 御真言
P4020974 横手駒ヶ嶽神社 妙見大菩薩m.JPG

馬頭観音 御真言
P4020975 横手駒ヶ嶽神社 馬頭観音m.JPG

苔(地衣類)むした石碑     甲斐駒ヶ岳 横手登山口道標
P4020971 横手駒ヶ嶽神社 苔むした石碑s.JPG P4020977 甲斐駒ヶ岳 横手登山口s.JPG

甲斐駒ヶ岳 横手登山口
P4020979 甲斐駒ヶ岳登山口m.JPG

コブシの大木
P4020986 コブシm.JPG

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2025年04月27日

横手 駒ヶ嶽神社 その1

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2025.04.02 北杜市

甲斐駒ヶ岳へとつづく黒戸尾根への登山口は、横手と竹宇の2ヶ所で、それぞれに駒ヶ嶽神社があり、地元では横手駒ヶ嶽神社(横手前宮)、竹宇駒ヶ嶽神社と呼び慣わせていますが、社名としてはどちらも「駒ヶ嶽神社」となっています。

横手駒ヶ嶽神社鳥居前の観世音菩薩石像 御真言
P4020955 観世音菩薩石像 御真言m.JPG

駒ヶ嶽神社 鳥居前
P4020984 横手駒ヶ嶽神社m.JPG

霧雨の中、幽玄さがいや増していました。
P4020958 横手駒ヶ嶽神社 鳥居前m.JPG

この階段をどれ程の行者、登山者が踏み登っていったか・・・
P4020985 横手駒ヶ嶽神社m.JPG

手水舎
P4020956 横手駒ヶ嶽神社 手水m.JPG

神楽殿
P4020959 横手駒ヶ嶽神社m.JPG

神楽殿天井
P4020964 横手駒ヶ嶽神社 神楽殿 天井m.JPG

狛犬さん
P4020960 横手駒ヶ嶽神社 狛犬s.JPG P4020961 横手駒ヶ嶽神社 狛犬s.JPG

祈祷殿
P4020962 横手駒ヶ嶽神社 祈祷殿m.JPG

拝殿の扁額
P4020965 横手駒ヶ嶽神社 扁額m.JPG

御由緒より

神代に建御名方命(たけみなかたのみこと)この地に至りし時、雄大にして崇高な山の姿に うたれ、
「この山はいと高く清々しき地なり、
 かれここにあが御親の神を祭るべし」
と云うに始まる。
雄略天皇の御代二年六月に改めて雲州宇迦山(出雲大社)より遷祀したと伝わる。

ご祭神は国家鎮護・五穀守護の神
大己貴命(おおむなちのみこと)=大国主命

天之御中主神、高皇産霊神、少彦名命、素盞鳴命、保食之神等 の諸神を合祀

駒ケ嶽は甲信に誇る高山であり、懸崖数千丈の絶壁にして上古より神仙の集る霊山として知られる。
白鳳二年、役の小角が当山にて仙術を修め、富士山とともに当山の開闢とも伝わる。

往古新羅三郎義光はこの神に祈願して子を授かり、 その子孫が武運に勝れ繁栄するよう、山頂の巨石に延久主義光の五字がかすかに残っていたと社伝にあり。

釜無川等四川が駒ケ嶽に源を発し、その下流一帯は馬の産地であり当山の源流には神馬の精が宿っているといわれ、この水により多くの名馬がうまれたと云われる。
厩戸皇子の御愛馬は、この渓流によってうまれた神馬と云われ、郡名も本山より巨摩郡と称すと云う。

また広大な山中には珠玉、薬草を産し沢山の人がその恩恵に浴している。牧場からの貢馬は神前にて安全を祈願し、山中から採 集された薬を共に朝廷に献上され、大同年間畏こくも天皇の病を癒し奉ったと伝えれられている。

文化十三年六月、信濃国の延命行者(小尾 権三郎)は入山禁止の駒ケ嶽に特に許されて入山し、幾多の苦難を克服し嶮岨なこの山に始めて登山の途を開かれた。世に駒ケ嶽開山として尊敬せられ神徳顕著により崇敬者の登山する者が多い。

以来駒ケ嶽教(神仏習合)として発展し広く県の内外に多くの講社が結成され境内及び御嶽には神々の石碑が奉納され文政六年元三大師を勧請 の砌り東叡山の宮様より慈恵大師尊形を御下賜になり、同年 神祇管領卜部朝臣長卿より巨摩嶽神社の軸物を賜わる。 また神祇管領家より駒ケ嶽神社の額字を賜わり、刻して前宮の鳥居に掲げる。

昭和五十五年、代太神楽が白州町無形文化財に指定された。

(つづく)

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2025年04月14日

渋沢丘陵(11)白笹稲荷神社

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2025.03.30 低山はいかい倶楽部

【コース】
小田急線渋沢駅〜泉蔵寺〜白山神社〜頭山・渋沢丘陵方面分岐
〜 頭高山休憩所〜頭山山頂〜頭山/渋沢丘陵方面分岐〜
かりがねの松〜宇主山龍王〜栃窪会館〜震生湖湖畔〜福寿弁財天
〜白笹稲荷神社〜今泉湧水池〜秦野駅
 所要歩行時間4時間30分 歩行距離:約12.4km

秦野 白笹稲荷神社

“食”を守り “生きる力”を再生するお稲荷さん 丹沢のふもと秦野の里の清水が湧き出る水の社

大鳥居
P3300866 白笹稲荷 鳥居m.JPG

お稲荷さん(宇迦御魂命 うかのみたまのみこと)は、稲作・穀物の神様。農作物の生育に必要なのが水源。鎮座地「秦野市今泉字芹沢小字一貫田」は、日量5千トンの豊かな水に恵まれた一貫田湧水の地。 神社の境内にも天然の湧き水があり、鎮座地に相応しい清々しき地です。

神社境内図
P3300867 白笹稲荷神社境内図ml.JPG

黄金の泉
P3300868 黄金の泉m.JPG
泉の中に一定の期間だけ発生するヒカリモが光を受けて黄金色に光り、金運のご利益があるそうです。「一定の期間とはいつなのか?」は記載が無く分かりませんでした。
↓ 調べてみました。

<ヒカリモ>黄金藻類に属する単細胞生物。通常4月〜6月の浮遊期に複数の層の細胞塊を形成し、ここに光が当たると鏡のように反射して光るとされている。しかし、光る仕組みについては他説もあり実際には完全に解明されていない。限られた環境下で自生し、光が差す方向からでないと一見ただの藻に見えるなど光って見えるための条件も必要になる。(日本で最初に発見された千葉・竹岡のヒカリモ、秦野市で2020年6月発見されたヒカリモの記事等より取捨抜粋)

なるほど・・・詳しく「光る時期」を書けない訳ですね。

拝殿・本殿へと上る面々
P3300869 白笹稲荷神社m.JPG

表情豊かな お稲荷さん眷属の狐さんたち
mP3300870 白笹稲荷 狐さんたち.JPG

ちょっとなまめかしい?ような珍しいポーズ!
P3300871  白笹稲荷 狐さんたちm.JPG

それを見る狐さんの眼差しもいい味出てます♪
P3300872  白笹稲荷 狐さんたちm.JPG

P3300873  白笹稲荷s.JPG P3300876  白笹稲荷s.JPG

黄金色の稲穂を加えた眷属のお狐さん
P3300874  白笹稲荷 狐さんm .JPG

これは何だと思いますか?
P3300877  白笹稲荷 お揚げさん掛けm.JPG
丁度いらした神職さんに伺うと「お稲荷さんに奉納するお揚げ掛け」で、「今日はたまたま何も掛かっていませんけれど、この竹の枝にお揚げを掛けて奉納して頂いています」とのことでした。

「(拝殿の)中の天井絵もどうぞ・・・」と勧めて頂いたのに、上がって拝見する時間がなく残念でした。その天井絵他の詳しいことにご興味を持たれた方は、下記の公式HPをごらんください。

関東三大稲荷

「白笹稲荷神社」公式HP


ゆっくり再訪したいお社がまた増えました。

(つづく)

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2025年01月10日

木曽御嶽信仰 八海山・三笠山

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白旗神社の境内で目に留まり、気になっていたこの石碑

PA128461 白旗神社 三山大神の碑m.JPG

 木曽御嶽信仰では有名なものだったのですね。今までも見かけていたかもしれませんが、今回、特に気になったということは、呼んで頂けたのでしょうから、調べないわけには参りません。

 御嶽山を開山したのは役小角ですが、江戸時代に御嶽山の王滝口を開いた普寛上人(秩父の大滝出身でしたね)が開いたのが八海山・三笠山の二山で、御嶽三大神として祀られているのだそうです。

 それが何故、白旗神社の境内にあるのかが、私には謎なのですが・・・「同じ源氏同士、仲良くしよう」ということ? 藤沢市内にある御嶽神社のご祭神は日本武尊。日本武尊と源義経は、女性と見まごう美青年、親族に疎まれる悲劇性など共通点も多いことと関係あり?

 直ぐに横道に逸れるのが悪い癖・・・先に進みます。以下、自分の思考の為のメモ段階で、纏まり無くすみません(。。;)

八海山は、酒名でも知られる新潟の山
三笠山は、どら焼きで有名な奈良の三笠山ではなく、
     長野県木曽郡王滝村にある標高2256mの山の方

御嶽山大神は、座王(蔵王)大権現(後述)
八海山大神は、大頭羅神王 (後述)
三笠山大神は、刀利天 (後述)

御嶽大神は、
 神道では、次の三柱の神と習合
  ・国常立命(くにのとこたちのみこと)
    天地開闢のはじめに出現、造化育成を司る
  ・大己貴命(おおなむちのみこと)
    国造り、産業発展、縁結び、子宝繁栄を司る
  ・少彦名命(すくなひこなのみこと)
    延命長寿、病気平癒、薬、酒などを司る

  ・日本武尊
  ・金山比古命 と習合する例も。

 修験道では「蔵王大権現」として
  ・釈迦如来
  ・千手観音
  ・弥勒菩薩 の三尊の合体したものとされる。

 大頭羅神王 日本書紀に国常立尊の次に登場する国狭槌尊

 刀利天 豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
     古事記では豐雲野神、神代七代の第二の神、
     日本書記では天地開闢に登場する神代七代の第三の神

     火と竃の神として信仰されている三宝大荒神と同体
     帝釈天と同体とも

 神道と修験道、習合、異名同体、名前が沢山出てきましたね〜面白くなって参りました! 思えば、昨年、武蔵御嶽神社のある御岳山の御師「神坐す山の物語」の舞台のお宿に泊まったのがご縁の始まりか・・・。いやいや、また眠れなくなるので、今日はここまで・・・。

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2025年01月09日

相州藤沢 白旗神社

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相州藤沢 白旗神社

 ケロのお蔭でご縁が出来た神社さん。私にとっては聞き慣れない神社名でしたので、少しずつでも知っていきたくて調べ始めました。

 因みにこちらの「白旗」は源氏の旗印であり、「降参」を意味する「白旗をあげる」とは関係ありません。

 「白旗をあげる=降参」は、言葉の通じない国同志の国際的な取り決めで、1907年オランダ国際平和会議で戦時国際法として決定されています。戦時下でも何かしら手許にある白い布が便利だったからと言われています。源氏からしたら不本意?

大鳥居と御典橋
PA128435 白旗神社m.JPG
大通りの交差点の向こう、白旗川に架かる御典橋を渡り大鳥居を潜ると静かな御神域に入ります。
大鳥居は大地震対策で日本初のグラスファイバー製(昭和59年建立) 高さ8m、幅6m 明神鳥居

ご由緒
PA128436 白旗神社 ご由緒m.JPG
起源は相模国 寒川神社の寒川比古命をお祀りした寒川神社。
源頼朝公の怒りをかい源義経公は奥州平泉衣川館において自害。
首級は鎌倉腰越で和田義盛・梶原景時に首実検された後、海へ。
夜間に義経公・弁慶の首級は、白旗川を上りこの地に漂着した。
頼朝は、源氏の白旗から白旗明神としてこの地に祀るよう指示。
弁慶の首は、白旗神社のそばに八王子社として祀られる。

さて、言わずと知れた源義経公以前、最初から祀られているご祭神「寒川比古命」。古事記などには登場せず、一体どのような神様なのでしょう。

白旗神社HPの「神社の歴史」の記載
寒川比古命は、太古の時代に、関東地方を開拓された神様です。農業、漁業、土木、商工業、建築など、さまざまな開発をされ、関東文化の基礎を築かれました。そのため、土地や人々、仕事全般の守護神として、また唯一の八方除の守護神とし て、人々に親しまれてきました。地相・家相・方位・日柄・厄年等に由来するすべての悪事や災難をとり除かせられ、開運をもたらすといわれます。

なるほど、関東地方の神様なのですね。それにしても、「唯一の八方除の守護神」となられた理由がイマイチはっきりしませんね。何か鬼門などの方角と関係がありそうです。先ず、本家の寒川神社に参拝に行き実際に感じ取りたいです。

また、日本語に当てられている漢字は意味をなす場合と音だけの場合がありますので寒川比古命の「さむかわ」だけに着目すると、「さがみ」と似た語感が気になります。相模と何か関係があるのでしょうか。

相模国高坐の寒川神社の前には、霊峰富士山を源とする相模川が流れています。神おわします高坐、神霊をあらわす「さ」かみ川・・・神秘の地であることは間違いなさそうです。う〜ん、いろいろ思考は広がりますが、例によって収拾がつかなくなるので宿題としておきます。

最初の階段の上の参道
PA128438 白旗神社m.JPG

源義経公縁起
PA128440 白旗神社 義経公m.JPG

源義経公鎮魂碑
PA128439 白旗神社m.JPG

狛犬さん
PA128451 白旗神社 狛犬s.JPG PA128450 白旗神社 狛犬s.JPG

白旗神社 社殿
DSC_1927 (002) 白旗神社m.JPG

DSC_1939 (002) 白旗神社m.JPG
幾度かの消失などを乗り越えて現在の社殿は、
文政11年(1828)より7年かけ天保6年(1835)12月に完成。
本殿、弊殿、拝殿を連ねる典型的な流権現造。
外壁部の彫刻は江戸時代の匠による貴重な文化財。

扁額
PA128443 白旗神社 扁額m.JPG

弁慶の力石
DSC_1929 (002) 白旗神社 弁慶の力石m.JPG

PA128446 白旗神社 弁慶m.JPG
山桜もしっかりと力石に触れて御加護を頂いて参りました。

PA128453 白旗神社m.JPG
参拝後に降りる左手の階段の先に箒目も美しい砂と木立が目に留まりました。次には謂れを知りたいです。

神輿殿に横に続く階段を降りていきます。
PA128455 白旗神社 階段m.JPG

波に洗われた海辺の岩で出来ている?
PA128456 白旗神社 階段m.JPG

神輿殿
PA128457 白旗神社 祈祷殿m1.JPG
こちらでチビケロは初宮詣のご祈祷を受けました。

大きな藤棚
PA128459 白旗神社 藤棚m.JPG
花の頃にもお参りしたい。

三笠山 御嶽山 八海山
PA128461 白旗神社 三山大神の碑m.JPG
どういうご縁の三山大神なのでしょう。確か義経は木曽の義仲を討ったのでしたよね・・・

様々な歴史を経て現代も守り続けておわしますのですね。
PA128458 白旗神社m.JPG
鳥居の向こうの喧噪に戻りたくないなぁ

「しっかりと、今を大切に生きよ!」
PA128462 白旗神社 義経公と弁慶m.JPG
義経公と弁慶に励まされ、今年も人生を楽しみながら生きて参ります。

相州藤沢 白旗神社HP
相模国一之宮 寒川神社

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2025年01月02日

初詣 義経と弁慶

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ご訪問ありがとうございます

今年の初詣は、相州藤沢 白旗神社へ。
昨年、チビケロの初宮詣でもお世話になりました。鳥居の外まで列が長く伸び、出店も沢山で大賑わい。

源義経公と弁慶
DSC_2272 白旗神社 義経 弁慶m.JPG
唯一、参拝者を入れず写せた1枚。

白旗神社(ご祭神:寒川比古神、源義経公)については、また日を改めてご紹介いたします。

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2024年11月09日

天神山 金蔵院 観音寺(小金井市)

ご訪問ありがとうございます

 「野川とはけの道ハイキング」の本番、願ってもないハイキング日和の好天に恵まれ、高く抜ける青空の下、気持の良い秋の一日となりました。

 先ず「野川とはけ」について絵図と共に説明。はけ=崖の古語であり、これからその崖を下って野川に向かいます。私は旧小金井市民、懐かしい故郷を皆さんにご案内する機会を得て、張り切って出発しました。

 武蔵小金井駅前は、再開初で大きなお屋敷等は大型店舗やマンションに様変わりしましたが、土地勘で近道も自在です(^^;)

金蔵院(こんぞういん) 天神山 金蔵院 観音寺
ムクノキ 椋木    
PB048818 金蔵院 ムク巨樹m.JPG

ケヤキ
PB048816 金蔵院 ケヤキ巨樹m.JPG

表通りから階段を下り、裏手からお邪魔。開星稲荷裏に大きく聳える推定樹齢400年以上、小金井市天然記念物のムクノキ、ケヤキ、「萩寺」由縁の白萩(センダイハギ)、枝垂れ桜など観察。

金蔵院 薬師堂        白萩(センダイハギ)
PB048813 金蔵院 薬師堂s.JPG PB048820 金蔵院 白萩s.JPG

金蔵院 本堂
PB048814 金蔵院 本堂m.JPG
享和三年(1803)火災で消失、16年後の文政二年(1819)に再建
大正十一年に破風作りの屋根に改修
平成二年十一月に改築建立

今日の無事を本堂の観音様にお祈りし、表門へ。
この見事な枝垂れ桜の咲く頃にまたお参りに来たいです。

尚綗学舎跡・村役場跡の解説板
PB048821 金蔵寺 学校の碑ml.JPG
村民に親しまれた観音様であったことを物語るように、明治初期に第一小学校の前身である寺子屋(尚綗学舎)が設けられ、大正時代には村役場が併設されていたとのこと。

金蔵院 表門
PB048822 金蔵院 表門m.JPG

PB048815 金蔵院 由緒ml.JPG
元々の看板が、かなり日焼けしていて判読困難ですみません(。。;)以下、公式HPよりの抜粋まとめ。

永禄年間(約450年余前)以前に開山
真言宗豊山派
ご本尊 十一面観自在菩薩(本山 奈良 長谷寺)

小金井市に現存する最古の寺院
(住職・堯存(ぎょうそん)が1566年(永禄9年)に遷化した記録が残っており、それ以前の開山と推定)

真言宗豊山派府中市妙光院末二十八ヶ寺の一寺で、小金井村の鎮守天満宮(現小金井神社)の別当寺であったことから「天神山」の山号を頂く。

檀家は上・下小金井村と小金井新田まで広い範囲に分布。

国分寺崖線(通称“はけ”)のすぐ下に位置しており、はけ下一帯は湧水に恵まれ古くから人々が定住。小金井発祥の地とされる。

金蔵院 公式HP こちらによれば、本山は奈良県桜井市の長谷寺とのこと。こちらへもお越し下さる瓜亀仙人さんの地元で、ご縁を感じます。
 
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2024年06月26日

「十二さま」とは?

ご訪問ありがとうございます

最近、尾瀬、玉原などで相次いで「十二さま」を祀る神社に出会い、栃木の太平山(おおひらやま)の麓で「客人(まろうど)神社」という、他所からやってくる神様を祀る神社に詣で「客人とは?」と考える機会も得ました。

このように、関連事項が畳みかけてくる時は、学びのご縁が巡ってきている時! 逃す手はないですね

尾瀬 山神宮 大清水登山口手前
P6076977 尾瀬 山神宮m.jpg
最初に「十二さま」という聞き慣れない神様の名前を、「尾瀬の語りべ」M氏に伺ったのは、この神社前でした。その時に、
「十二さまってどんな神様ですか?」
と伺いたかったのですが、送って頂いた上に質問攻めでは余りにも厚かましく、口に出来ませんでした。いや・・・一度は口にしたかも・・・お返事なく、聞こえなかったかな、失礼だったかな、と諦めたような記憶が・・・??
こちらのご祭礼日は、5月13日だそうです。
<追記>「12」の禁忌で13日にしたのかと思ったのですが、後で虚空蔵菩薩さまを祀ったのが始まりと知り、「13日は虚空蔵菩薩さまの縁日」だったことを思い出しました。

尾瀬 十二山神社
P6077154 尾瀬 十二山神社m.jpg

P6077152 尾瀬 十二山神社m.JPG
同じ日に、また尾瀬で「十二山神社」に出会い、縁起を読み、十二さまが「山の神」であることが分かりました。

尾瀬 山ノ鼻 十二山神
P7129679 尾瀬 山の鼻  十二山神m.jpg
なんと、尾瀬の山ノ鼻、研究見本園入口傍にも「十二山神」が祀られていました。

こちらでは、9月12日が「十二山神様」のお祭日とのこと。
おおっ、山桜とKさんの結婚記念日と同じ。やはり何かご縁があるのかな。

尾瀬のビジターセンター情報によれば、
「十二山神様」は山で働く人たちの守護神であり、安産の神様、女神様であり、醜女であるという伝承もあって、自分より醜いものがあれば喜ぶとして、顔が醜いオコゼを供える習慣もあるようです。

玉原 十二山宮
P5206043 玉原 十二山宮 扁額s.JPG P5206041 玉原 十二山宮s.jpg
そして今年の出会いは玉原の「十二山宮」でした。
P5206042 玉原 十二山宮m.jpg

先ず「十二さま?」と思って頭に浮んだのは、「12の月のおくりもの」(スロバキア民話)、また、それを元に創作された「森はいきている」というロシアの物語です。どちらも、一年の12の月にそれぞれの神様がいらっしゃるという考え方に基づいています。

しかし、どうやら日本の「十二さま」は、それらとは少し違う「山ノ神」さまのようで、最初から学び直しです。

「十二さま」は、
・主に雪深い東北地方で篤い信仰がある。
・春には里に降り、秋には山へ帰っていく神霊。
 →雪解けで始まり、雪で閉ざされる農耕、山仕事に関連?
 →祖霊がやって来て帰る、春彼岸、秋彼岸に関係あり?
 しかし、彼岸は多忙な為、お盆に神事が催される。
・里と山の境界線辺りに祀られていることが多い。
・他所からやっている「客人神」としての性格があり?

なぜ「十二」なのか。
・一年十二ヶ月に十二人の子を産むという山ノ神の属性に由来。
 (例)山ノ神は「女性で一年に十二の子をお産みになる。(岩手県九戸郡山形村)
・十二というのは具体的な数というよりも「極まった数」として神威の大きさを表している。
 これは山ノ神がお産、子育てをつかさどる神としても崇められたことに関連する?

 その他には、
・神仏習合による神格として薬師如来の眷属十二神将とする説。
・熊野十二所権現との関連を指摘する説。

また、奥只見観光公式サイトによれば、
・十二山神社の本尊「虚空蔵菩薩」は、今をさかのぼること八百余年、平安時代末期にこの地に移り住み、尾瀬ヶ原や尾瀬沼を発見し、尾瀬の地名の由来でもあると言われている尾瀬ノ三郎房利が、京の都を離れる際に、思いを寄せていた御妃より密かに形見として賜ったもので、この地の住民に与えられ、その後、村人達により守り本尊として崇められてきました。 虚空蔵菩薩は、人々に知恵を授けるともいわれています。 また、明け方の空にひときわ明るく輝き、その美しさで人々の目を引きつける「明けの明星」は、虚空蔵菩薩の化身とされており、金星 (ビーナス)は愛と豊穣と美の女神の名前としても知られています。とありました。

なるほど、それで「尾瀬」では、一際、十二さま信仰が篤い訳なのですね。しかし、虚空蔵菩薩と山の神の関係が分かりません。未だ追い続けたい点の一つです。

数の禁忌
・十二という数は畏れ多いがゆえに、かえって禁忌とされることがある。
 木樵が山へ入るとき12人になることを嫌い、また山小屋などで12人が会することを恐れ木の枝等で作った人形で13人に擬し、山中の祠に納める。(津軽)
・山ノ神講の講員が十二人に減らないように努める。(長岡)
・12の付く日に山に入らない。(山仕事をしない。)

山ノ神を女神とする伝承
・子を産むので必然的に女神。
・男性を好み、女性を嫌う。
・山で探し物をする時、男性自身を露わにするとみつかる。
・山仕事や神事に女性を関わらせない。
・醜女とされることが多い。
(自分の妻のことを「山ノ神」と称するのを聞いたことがある。)

う〜ん、ますます興味津々です。今まで知らなかった「十二さま」について、これからも学んでいきたいです。

<参考書籍>
 「十二山ノ神の信仰と祖霊観」 (上)(下)
  東洋大学ライフデザイン学部教授 菊地章太 

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2024年05月10日

琴平丘陵初夏(4)修験堂

ご訪問ありがとうございます

岩場を登った上にいらした仏さま
P3033902 仏像m.JPG
右手が説法印なので阿弥陀如来さまでしょうか。

P3033903 仏像m.jpg

その後ろに突如現れる白木造りの修験堂
P3033904 修験堂m.jpg

P3033925 修験堂m.jpg

P5025374 修験堂m.jpg

P3033907 修験堂m.JPG
影森琴平神社の旧奥ノ院の場所、大岩断崖上に建つ。
先ず正面で祈念し、お堂外の細い回廊を周り、真ん中の柱のマニ車の干支を一つずつ(外側に「南無阿弥陀仏」と刻まれていますが、横に干支が記されています)まわし、12回で干支が一回りすることで一回の行だそうです。(今は、回廊も一部壊れており、一部立ち入り禁止で廻れません)

P5095536 修験堂内s 1120.jpg P5095538 修験堂内 1121s.jpg

修験堂から下る急階段
P5095540 修験堂からの階段m 1123.jpg

ヤブレガサ         ミヤマハコベ?
P5025375 ヤブレガサs.jpg P5025376 ミヤマハコベs.JPG

新緑の道でポーズ       アカネ
P5095541 新緑の道でポーズ 1127s.jpg IMG_6814 アカネ 1126s.jpg

オオバイノモトソウ      チゴユリには小さな実が
IMG_6760 オオバイノモトソウ 1049s.jpg IMG_6826 チゴユリの小さな実 1139s.jpg

オニグルミの木と雄花
P5025409 オニグルミs.jpg P5025383 オニグルミ 雄花s.jpg 

(つづく)

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2024年05月09日

琴平丘陵・初夏(3)岩井堂

ご訪問ありがとうございます

ツクバネウツギ 衝羽根空木 スイカズラ科ツクバネウツギ属
P5095513 ツクバネウツギ 1018m.jpg
萼の部分が衝羽根の形をしています。

護国観音さま下の岩場を下る
P5095521 岩場クリア中1s 1034.jpg P5095522 岩場をクリア中2s 1034.jpg

ヤマツツジ        ヒトリシズカ 一人静 センリョウ科 
P5025359 ヤマツツジs.jpg P5025357 ヒトリシズカs.jpg

キヌタソウ 砧草 アカネ科ヤエムグラ属
P5025356 キヌタソウm.jpg

ハンショウヅル 半鐘蔓 キンポウゲ科センニンソウ属
P5095523 ハンショウヅルm 1039.jpg

マルバウツギ 丸葉空木 アジサイ科ウツギ属
P5095525 マルバウツギm.JPG

切通に掛かる鉄の橋     橋の袂の石祠
P3033884 鉄の橋 切通s.jpg P3033883 橋の袂の石祠s.jpg

岩井堂付近案内図 回避した320段以上の階段
P3033886 岩井堂付近案内図s.jpg P3033885 回避した長い階段s.jpg

札所26番 岩井堂
P5025364 岩井堂m.JPG

秩父札所26番。萬松山圓融寺の境外仏堂。臨済宗建長寺派。
嘗て秩父三十四ヶ所札所の第26番観音が安置されていた堂宇、今は無人。弘法大師が諸國遍路の際に霊験を感じて岩間に壇を設けて、三七日の秘法を修業したと伝わる。その後秩父太郎重弘が堂舎を再興、子の重能・孫の重忠代々の信仰を集め、佛國禅師が当地に霊験を感じて禅定したと伝わる。
圓融寺では、岩井堂の建立時期を畠山重忠が二俣川の合戦で謀殺された元久2年(1205)としている。
円融寺からレゾナック社敷地内経由だと、320段以上の階段を登る修行?が待つ。

岩井堂の舞台の上の参加者の皆さん
P5095531 岩井堂 廣川班m 1111.jpg

岩井堂の舞台上
P5025370 岩井堂 舞台m.jpg

岩井堂の舞台から下を覗く
P5095532 岩井堂舞台から下を覗くm.jpg

P5095533 岩井堂舞台から下を覗くm.jpg

千社札だらけ・・・聖観世音のご詠歌が読めない
P5095534 岩井堂m.jpg

秩父札所26番はこちらなので再掲
DSC_1724 (002) 26番円融寺お札m.jpg

岩井堂裏の岩窟
P5025371 岩井堂裏の岩窟m.jpg
嘗てはこちらも修行の場だったか。

岩井堂から修験堂への岩場
P5095535 岩井堂から修験堂への岩場m 1114.jpg

(つづく)

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琴平丘陵・初夏(2)大渕寺・護国観音

ご訪問ありがとうございます

札所27番 竜河山大渕寺/龍河山大淵山
     (りゅうがさん だいえんじ)
  
IMG_6688 大淵寺 入口 0950s.jpg P3033830 龍河山 大淵寺s.jpg

P5095505 大淵寺m 0950.JPG
曹洞宗 ご本尊:聖観世音菩薩(伝・弘法大師作)

木の幹を呑み込んだ跡?のある大岩
P5025330 大淵寺 大岩s.jpg P5025332 大淵寺s.jpg 

「恵みの延命水」を頂く(S)    鐘楼堂
IMG_6695 大淵寺観世音菩薩の延命水を頂く 0953s.jpg P3033834  大淵寺 鐘堂s.jpg
「延命水」は、天然湧水で年間渇水することがない。この水を飲めば「三十三ヶ月延命出来るとの言い伝え。
「鐘楼堂」は、第51代横綱「玉の海」による追善相撲を記念して昭和46年(1971)に建立。

大淵寺 付近図
P3033835  大淵寺 付近図m.JPG

大淵寺 月影堂 3月下見時残雪あり
P3033839  大淵寺 月影堂m.jpg

月影堂に参拝
P5095507 大淵寺 月影堂m 1000.jpg
下見時、マサさんが手を合せた時と同様、皆さんの参拝時にさぁっと日が差し、お堂も明るく輝きだしました。観音様に歓迎されていると確信、余りのありがたさに更に頭を垂れました。

月影堂の縁起
P3033840  大淵寺 謂れの額m.jpg
昔、宝明(ほうめい)という名の行脚僧が、影森の地で病に倒れた。
そこへ訪れた弘法大師は、宝明の病の話を聞くと、聖観音像を彫り与えた。宝明は病の回復を祈願し礼拝を続けると病が完治。これに歓喜した宝明は、聖観音像を本尊として、観音堂を建立したという。 

札所27番お札
DSC_1723 (002) 27番大淵寺お札m.jpg
 夏山や しげきが下の 露までも 心へだてぬ 月の影もり

お札を頂く前に、お札の意味に思いをいたし、観音様にお参りを忘れぬように・・・。

月影堂右手「琴平丘陵ハイキング」入口  お不動様
P3033841 琴平ハイキング入口s.jpg P3033842 お不動さまs.jpg

どんぐりとツチグリ (S)  ツクバネウツギ
IMG_6707 ツチグリ 1012s.jpg P5095513 ツクバネウツギs 1018.jpg

ギンラン
P5025340 ギンランm.jpg         
P5025360 ギンランm .jpg

ササバギンラン
P5025353 ササバギンランm.jpg

月影堂の上に出る      琴平丘陵ハイキングコース道標
P3033844 月影堂の上s.jpg P3033845 琴平ハイキング道標s.jpg

マルバウツギ(S)
IMG_6702 マルバウツギ 1007s.jpg

キンラン 10:19
P5095514 キンランm 1019.jpg

ツクバネウツギ 10:19 (S)   護国大観音への道標 10:21 (S)
IMG_6719 ツクバネウツギ 1019s.jpg IMG_6723 護国大観音への道標 1021s.jpg

護国観音 (S)
IMG_6733 護国大観音 1025m.jpg
1935年(昭和10年)建立。大淵寺の背後に立つ巨大(高さ約17m)コンクリート製の観音像。
高さ五十五尺九寸(17m弱)は「ごこく」の語呂合わせとのこと。

高崎観音・大船観音と共に関東三大観音の1つ。戦前には、巨大仏の造立ブームあり。
日本仏教では女性的に表現されることが多い観音菩薩の中で、こちらは肉感的で力強い体格と、蓮華の代わりに宝剣を持った左手が特徴。これは戦前の世相によると考えられる。

護国大観音から北北西 城峯山方面 (S)
IMG_6729 護国大観音から北北西 城峯山方面 1024m.jpg

護国観音からの展望 (G)
1716033093542 護国観音からの展望m 小田さん.jpg

護国観音より小鹿野二子山(左端の尖塔)など 03.03
P3033851 護国観音より 二子山m.jpg

護国観音より両神山 03.03
P3033850 護国観音よりm.jpg

写真・キャプション協力:参加者(S)印 S.Akiraさん、(G)ガッコちゃん

(つづく)

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琴平丘陵・初夏(1)円融寺

ご訪問ありがとうございます

3月に下下見に行った琴平丘陵、初夏となり本番の日を迎えました。

影森駅までは、乗換が多いのですが、いろいろな車両が見られて楽しい♪
P5095500 西武線の電車1s.jpg DSC_1561 (002) 西武線 ハリーポッター号s.jpg
沿線の四季の花々       ハリーポッター号

西武線の西武秩父駅から秩父鉄道・御花畑駅は鉄道会社が違い、乗り入れていないので歩かねばならないのです。線路はちゃんと並行して走っているのにねぇ これって連絡通路のお店が乗り入れを反対しているのかしら? 西武線の秋津とJRの新秋津と同様? 

秩父鉄道 御花畑駅ホームと写真家 8:32 (S)
IMG_6613 秩父鉄道お花畑駅ホームと写真家 0832s.jpg P3033800 お花畑駅s.jpg
秩父鉄道・御花畑駅は、今年の1月にレトロ風大正浪漫風にリニューアルされたばかり。

影森駅と武甲山 8:45 (S)
IMG_6622 影森駅と武甲山 0845m.jpg
因みに「影森」の地の由来は、武甲山の影の森とのこと。山の影が届く程間近に聳えています。(左の立派な駅舎に見えるのはお手洗い)

今井屋さん外観と味噌ポテト
P5025308 今井屋s.jpg P5025310 今井屋 味噌ポテトs.jpg
「今井屋」さんに味噌ポテトの買い出しへ。なんと味噌ポテト1パックに焼きそば1パックのサービス付きという大盤振る舞い!(いつもそうとは限りませんよ〜💦)女将さん、ご馳走様でした

影森駅周辺をちょっと散策・・・
IMG_6624 影森駅 砂を積載した貨車 0905s.jpg P5025311 影森駅から 護国観音s.JPG
砂を積載した貨車 9:05 (S)    駅から護国観音を望む
貨物列車の警笛の音、重さに軋むレールの音が懐かしい。
これから向かう護国観音さまのお姿が山の中に・・・。

ハコネウツギ(G)
1716033092595 ハコネウツギm 小田さん.jpg

箱根ウツギ 9:16 (S)       稲荷神社 9:16 (S)
IMG_6631 箱根ウツギ 0916s.jpg sIMG_6629 稲荷神社 0916s.jpg
民家の塀の外にハコネウツギが滝のように溢れて咲いていました。ニシキウツギとハコネウツギは、どちらも紅白が混じり咲きますが、花筒の底部が「箱のように角張っている」のがハコネウツギ、覚えやすいでしょ?

札所26番岩井堂の別当寺 円融寺の牡丹 9:27 (S)    
IMG_6660 円融寺の牡丹 0927m.jpg
札所26番岩井堂は無人の為、お札はこちらで頂きます。円融寺には「未了の庭」「牡丹の庭」があり、どちらにも牡丹が沢山植えられています。下見時が満開でしたが、本番でも未だ咲いていてくれました。

萬松山円融寺(まんしょうざん えんゆうじ)
臨済宗建長寺派 ご本尊は「聖観世音菩薩(伝・恵心僧都作)
畠山重能(重忠の父)の開基と伝わることから、平安時代後期創建と推測。

秩父札所26番 岩井堂・萬松山円融寺のお札
DSC_1724 (002) 26番円融寺お札m.jpg
これから「訪ねいる岩井堂」に期待が高まります。

P5025318 円融寺 未了の庭m.jpg

P5025317 円融寺 ボタンs.jpg P5025316 円融寺 ボタンs.jpg

P5025315 円融寺 牡丹s.jpg P5025321 円融寺 ボタンs.jpg

本堂に参拝           円融寺門前 9:28 (S)
P5095501 円融寺参拝s 928.JPG IMG_6665 円融寺門前 0926s.jpg

円融寺入口とその手前の影森用水跡?
P5025324 円融寺名碑s.JPG P5025323 影森用水跡s?.jpg

影森用水は、安政四年(1857)当時の名主・関田宗太郎が私財を投じ、水の不便な影森村民の苦難を救うために三輪渓に水をとり、戸毎に通水。後には橋立川、湯の沢に水源を取り水路を開き新田を開墾。この水路が本当にその跡なのかは不明です。すみません。

円融寺には向かって右裏手の「未了の庭」の方から入って、表入口へ出ました。

朝曇り空の武甲山 9:38 (S)
IMG_6673 朝曇り空の武甲山 0938m.jpg

ナンジャモンジャノキ/ヒトツバタゴ (下見時)
P5025325 ナンジャモンジャノキ ヒトグバタゴm.jpg
ナンジャモンジャノキの花は、未だ沢山咲いていてくれました。

ニガナ似の不明種       クサフジ 9:45
P5025326 ?s.jpg P5095503 クサフジs 0945.jpg

ハリエンジュ/ニセアカシア 9:45
P5095504 ハリエンジュs 0945.JPG

写真撮影:(S)印・S.Akiraさん、(G)ガッコちゃん、無印 山桜

(つづく)

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2024年04月16日

客人/まろうど神社(栃木)

ご訪問ありがとうございます

客人(まろうど)神社 入口
PB091764 客人神社入口m.jpg

鳥居左の建物の中の庚申塔など
P3214154 客人神社内の庚申塔m.jpg

客人神社 鳥居と階段
PB091765 客人神社 鳥居m.jpg

PB091766 客人神社への階段m.JPG

PB091767 客人神社 振り返るm.jpg

PB091769 客人神社m.JPG

P3214155 客人神社m.jpg

客人(まろうど)=稀人(まれひと)「稀なる来訪者」。 
いかなるご縁か異国(常世/とこよ、隔世/かくりよ、祖先霊の住み賜う国)からこの地にやって来た客人は、悪霊悪疫から土地を守って下さる「神」として崇める信仰が芽生えた。お盆の行事もこの信仰との結びつきが考えられると言う。

*「まれびと」の称は1929(昭和4年)、民俗学者 折口信夫が提示。「客人」を「まれびと」と訓み、本来、神と同義語であり、その神は常世の国から来訪することなどを現存する民間伝承や記紀の記述から推定した。沖縄におけるフィールド・ワークが、まれびと概念の発想の契機とされる。沖縄・奄美諸島での「ニライカナイ」も遠い海の彼方の楽土=常世の国。

さて、この神社の主祭神は、武御名方命/タケミナカタノカミ とされています。
タケミナカタノカミは、「建」御名方神の表記が多いのですが、こちらでは敢えて「武」を用いているのにも意味があるかもしれません。どちらにしても建御名方神は、日本神話の国譲り(天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話)において、大国主命が国譲りの是非を委ねた事代主神が承諾した後も最後まで抵抗し、力比べをして諏訪の国まで投げ飛ばされ、諏訪神社に祀られた神様ですから、建や武の字を持たれるのも頷けます。

そう、主祭神が建御名方神(諏訪湖の龍神でもある所から水神、農業の神とされる)であれば「諏訪神社」である筈が、何故「客人神社」となっているのか。元は地主神が祀られていた場所に、建御名方神を勧請したので「客人神社」とされている訳でしょうか。

客人神社と言えば、昨年漸く初参りが叶った大宮の氷川神社の元宮とされるのが「門客人神社」。

大宮氷川神社境内図
P2203144 大宮氷川神社境内図m.jpg

門客人神社 本殿から向かって右に鎮座。
大宮氷川神社 門客人神社m.jpg

大宮氷川神社に氷川大神が勧請される前、この地には地主神「アラハバキ神」が祀られていました。(現在のご祭神は、八岐大蛇退治後、須佐之男命の妻となったクシナダヒメのご両親アシナヅチ・テナヅチ神。)

門客人神社が、氷川神社の中でも重要で、こちらにお参りしないと御利益半減となるとまで言われているのは、こちらこそが「元宮」だからなのでしょう。

それでは、大平町の客人神社に元々祀られていた神様はどなたなのか。先ずは、門氷川神社と同様にアラハバキ神として考えてみます。アラハバキ神は謎の多い神様で、縄文ブームの流れでは、あの「遮光器土偶」に擬えられたこともあり、また一本足、大蛇、大木等のお姿とも言われ、様々な考察があります。確か、「蛇」や「扇」の吉野裕子先生も考察されていますので、読み直してみたい。

河國一之宮砥鹿神社の社伝には、「アラハバキ神とはオオナムチノミコト(大国主命の異名)の荒魂(あらみたま)である」とあります。客人神社から更に登った山上の太平山神社の現在のご祭神は、

瓊瓊杵尊/ニニギノミコト、
天照大御神/アマテラスオオミカミ
豊受姫大神/トヨウケヒメノオオカミ

の三柱の神様ですが、第十一代垂仁天皇の御代に、

大物主神/オオモノヌシノカミ
天目一大神/アメノマヒトツノオオカミ

の神様が鎮座されたことが始まりとされています。今、こちらの二柱の神様は、太平山神社奥宮に祀られています。
大物主神とは、奈良の大神神社/オオミワ神社の御祭神で、こちらも大国主命の異名という説もあります。この辺りは、大和の元酒徒善人、瓜亀仙人さんに教えて頂きたい所です。

そして、天目一大神、こちらが今、とても気になる存在で、ついつい考えてしまうのですが、
「一つ目、一本足の神様」
というお姿は、出雲の製鉄の民(片目で火を見、片足で蹈鞴を踏む)に関わり、引いては、台風の姿(台風の目は一つで一本足)とも重なる様で荒々しいご神威を感じます。製鉄の神ということから、剣や武の神ともされています。

また、これは、私の個人的な思いですが、一つ目で一本足で鉄製となると「針」を連想してしまいます。針といえば、毎夜娘の元に忍んで通う神の正体(実は大物主神)を確かめるために神の衣に糸を通した針を刺しておいた所、糸は鍵穴を抜けて三室山まで続いていた・・・残りの糸が僅かに三巻だったので「三輪山」となったという伝えがあります。(後の三輪素麺にも繋がる)

そうだとそれば、大物主神と天目一大神が共に祀られていることにも縁(えにし)を感じてしまうのです。

少し話が逸れてしまったようですが・・・いつものことで(。。;) 太平山神社奥宮に今も祀られている大物主神と天目一大神が、麓の客人神社で嘗て祀られていたアラハバキ神のまたのお姿であったとしてもおかしくない、今はそう感じています。しかし、その辺りのことは、神社の由来にも何も書かれていないのは、敢えてなのでしょうか。

「鍵穴」と言えば、前方後円墳の形は鍵穴ですよね。過去への扉の鍵のように思えて来ました。太平山から眺めた「陸の松島」の中には、古墳としか思えないような小山もありました。久し振りに妄想の世界に浸れたのも、太平山・晃石山へ詣でたお蔭、神様に呼んで頂けたのかもしれません。

下山してから、この立て札に出会いました。やはり・・・しかも将門さま! ご縁です。
P3214230 古墳立て札s.JPG

「天地(あめつち)に遊ぶ」は、こうした考察を広げる場でもあったこと、懐かしく思い出しました。


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posted by 山桜 at 20:03| Comment(8) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月30日

低山はいかい 仙元山界隈 (6)西光寺へ

ご訪問&応援、ありがとうございます

(低山はいかい 仙元山界隈 (1)〜(5)は、開催日の1月24日に(1)を、以降続けての日付に移動しました。この(6)も、皆さんに概ねご覧頂けた後、そちらの続きに移動します。)

里の風景に癒やされながら歩いていると、イチョウらしい樹形ながら著しく樹高が低く、しかも並んで植えられている木が沢山見えて来ました。

「これは、若しかしてギンナン畑では!?」
そう思って近づくと、やはり大粒のギンナンが無人販売所に置かれていました。ふっくら大きくて美味しそう!しかもお安い♪

ギンナン畑         無人販売コーナー
P1243337 ギンナン畑s.jpg P1243336 ギンナン無人販売s.jpg
真っ赤なタカノツメも一緒にお土産に購入しました。ギンナン(小袋200円)、丸々と実が詰まっていてとても美味しかったです。 タカノツメ(100円)もそろそろ切れそうだったので、とってもタイムリー☆

ほころびかけた白梅の蕾   村社 下里八宮神社
P1243338 膨らむ白梅つぼみs.jpg P1243339 村社 八宮神社s.jpg
八宮神社は、後に7つの神社に分霊したので、その七宮の総社ということで「八宮神社」となったそうです。

ご祭神が、高龗神(たかおかみのかみ)他、伊豆能賣神(いずのめのかみ)と、古事記などでもお名前だけで出自が明らかにされていない謎の神々なのです。

また、墨江三龗神・海見三柱神の方は、住吉三神と関係がありそうで、とてもとても気になるのですが、これはまたの機会に・・・

木橋を渡る
P1243340 木橋を渡るs.jpg P1243341 木橋を渡るs.jpg

木橋を渡ったこの辺りは西光寺裏の北向き斜面で、「カタクリの里」としてカタクリの自生地が保護されています。季節には斜面一面がカタクリの花で薄紫色に染まるということで、是非またその頃に訪れてみたいです。

西光寺 縁起
P1243347 西光寺 由来m.jpg
瑞龍山西光寺は、曹洞宗のお寺で、天文2年(1533)西光院殿前黄門瑞龍浄喜大居士が創建。江戸幕府より寺領10石の御朱印状を受領していました。本堂内の奪衣婆像は、「しょうづかのお婆さん」と称されて産婦の祈願として、飛び地境内の龍谷薬師堂は眼病の御利益として信仰を集めているそうです。

鐘楼門
P1243346 西光寺 鐘楼門m.jpg
山門の上に鐘楼が下がっているのを初めて見ました。そして、何と、その鐘楼はFITの大先輩のS女史のご実家が奉納されたとの由。品格のある方なので、さすが納得の名家なのでしょう。

P1243343 西光寺 鐘楼門m.jpg

P1243344 西光寺m.jpg

P1243345 西光禅寺 扁額s.jpg

六地蔵
P1243348 六地蔵m.jpg
辻に並ぶ六地蔵様に見送られて、楽しい小川町低山はいかいもそろそろ終わり、バス停に向かいます。

ふりかえりの会は、川越! 小京都から小江戸へ〜♪(おわり)


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posted by 山桜 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月25日

低山はいかい 仙元山界隈 (2)板碑

ご訪問&応援、ありがとうございます

和紙体験学習センターを出て進むと六地蔵さまのお出迎え。

六地蔵            馬頭観世音板碑蕎麦のお堂
P1243268 六地蔵s.jpg P1243270  馬頭観世音板碑近くのお堂s.jpg

馬頭観世音板碑        石尊大権現の石灯籠
P1243269 馬頭観世音 板碑s.jpg P1243272 石尊大権現s.jpg
交通の要地という土地柄、辻には馬頭観世音さま。
先月登った同じ小川の石尊山にも祀られていた石尊大権現さまも!

槻川
P1243273 槻川?m.jpg
豊かな川の流れに恵まれ、和紙漉きや酒造が栄え、町を支えてきました。

板碑いろいろ
P1243275 板碑s.jpg P1243280 板碑s.jpg
何故こんなに板碑があちこちに建てられているのか、この後、理解する時が来ます。

北青山圓城寺
P1243276 円城寺s.jpg P1243277 円城寺s.jpg

町指定文化財 二連板石塔婆二基 (鎌倉時代後期) 緑泥片岩
P1243279 板碑2s.jpgP1243278 板碑1s.jpg
向かって左側が延文六年(1361)、右側が正中二年(1325)
一枚の板碑に二枚分が彫られている二連(双式)板碑が二基並んでいます。

右の板塔婆の上部 蓮華座に阿弥陀如来(キリーク)の薬研彫り
P1243278 板碑m.jpg

左の板塔婆の全体
P1243279 板碑m.JPG

どちらにも「阿弥陀如来」を表わす種子字の「キリーク」が蓮華座の上に薬研彫りされ二つ並んでいます。その下には「光明真言」が梵字で彫られています。

梵字の中で、仏の姿を現わすものを特に「種子、種子字」と言います。蓮華座の上に置かれていることからも、そのことが分かりますね。

(参考)円城寺二連板碑「石仏と石塔」河合哲雄さんのHPより 

圓城寺を出て少し進むと・・・

JR八高線 単線!       道標
P1243281 八高線s.jpg P1243282 道標s.jpg
先月も見て驚きましたが、東京のJRなのに単線です。先に敷かれていた私鉄の東武東上線の方が利用客が多そうですが、八高線は南北を繋ぐ役割を担っていて貴重な存在です。

やっと道標に「仙元山」の文字が!

(つづく)


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posted by 山桜 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月13日

御嶽神社参拝 下りのお楽しみ



89歳を迎えた母、神坐す山の御力を得て、無事登頂。玉垣の奥からの「奥ノ院遙拝」も叶え、感激でした。

御嶽神社 奥ノ院(男具那社、男具那山)遙拝所
PB142027 御岳山 奥ノ院m.jpg
何度拝んでも美しい姿。多摩湖から見える御岳山は、姿から見て、この奥ノ院かなと思います。美しい円錐形の山容から「甲羅山」ともよばれていたそうです。

また、日本武尊が、この地に武具を納めたことから「武蔵」の名があるとも伝わります。それで畠山重忠公もこちらに武具を奉納されたのでしょう。

常磐堅磐社(ときわかきわしゃ)
PB142028 御嶽神社m.jpg
朝日が差すお社は、また格別の神々しさ。

参道の老舗「紅葉屋」名物の胡桃蕎麦
DSC_1161 (002) 御岳山 紅葉屋 胡桃蕎麦m.jpg
参拝後のお楽しみは「紅葉屋さん」。行列が出来ていて諦めることも多いですが、今年は8月に続いてまた頂くことが出来ました。胡桃のつけ汁は見た目よりもふんわりのさっぱり系、幾ら頂いても飽きることなく、また訪れたくなってしまいます。女将さんの笑顔もいつも素敵、舞茸の天ぷらもご馳走様でした。

リンドウ
PB142031 御岳山 リンドウm.jpg
ちょっと道から外れていましたが、青い花に呼ばれ、出会うことが出来ました。

早朝とはまた別の光に輝く紅葉
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同じ景色も違って見えます。
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山々の展望
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キチジョウソウ       テンナンショウの仲間
PB142041 御岳山 キチジョウソウs.jpg PB142037 御岳山 テンナンショウの仲間s.jpg

東馬場家
PB142043 御岳山 東馬場家s.jpg PB142044 御岳山 東馬場家s.JPG
母とお茶の寄り道をしたかったのですが、この日はお休みで残念。

ヤクシソウ
PB142045 御岳山 ヤクシソウm.jpg

ケーブル近くの赤鳥居     ナギナタコウジュ
PB142048 御岳山 赤鳥居s.jpg PB142050 御岳山 ナギナタコウジュs.jpg
前日は、この辺りから母の歩が進まずドキドキしましたが、遂に無事、赤鳥居まで戻って来られて、心底ホッとしました。背筋が伸びた時の母の姿と薙刀コウジュの凜々しさが重なりました。

ツリフネソウ         キバナアキギリ
PB142049 御岳山 ツリフネソウs.jpg PB142051 御岳山 キバナアキギリs.jpg
私がLINEで送る山野草の写真を見て、母は、
「山に行って可愛いお花を見てみたい」
とも言い出したので、秋の花が咲き残っていてくれて、とても嬉しかったです。

神様、最後の最後まで母に山の恵みを見せて下さり、ありがとうございました。

さて、母は『また山へ行きたい』と言ってくれるかな? どこなら登れるかなぁ


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posted by 山桜 at 20:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする