2026年02月03日

浅草七福神めぐり(19)矢先稲荷神社(福禄寿)

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

鷲神社前の大通り(国際通り)を南下、Y字分岐を右に進み、言問通りに出たら右折、金竜小(カッコイイ校名!)学校前交差点を左折すると「合羽橋道具街」。

急に人通り、それも外国人さんが増え、こちらの方が「国際通り」ぽいぐらい。調理道具も人気ですが、一際賑わっているのが食品サンプルのお店!我々もちょっと覗いて見ましたが、お土産に買うには高価すぎ…小さめのキーホールダーでも2,000円前後、見るだけで失礼しました。外国人向け価格? 職人さんの技の結晶ですから仕方ないですかね。

鷲神社から真っ直ぐなら20分程ですが、合羽橋に立ち寄るなら30分ほどで矢先稲荷神社です。合羽橋の交差点の先、右手に案内の看板があるのを見逃さないように。

矢先稲荷神社 鳥居
P1080643 浅草 矢先稲荷神社m.JPG

P1080644 浅草 矢先稲荷神社m.JPG
ご祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 穀物神
     ご神体は上野東叡山寛永寺の祖、慈眼(じげん)大師
     (天海大僧正)の寄進
     木造で翁の型をして稲を荷う 7寸8分 弘法大師作
    福禄寿 
     白髪白髯、調和のとれた円満な福相最高理想のお姿
縁起・由緒:寛永十九年(1642)11月23日、家光公が京都「三十三間堂」を模した「浅草三十三間堂」を建立された際、その鎮守として創建。
京都に倣い「通し矢」が行われており、その的の先に鎮座した事から「矢先稲荷」と称された。
元禄十一年(1698)の火災で「浅草三十三間堂」は焼失し深川に移転。当社はそのまま残され、地域の鎮守となった。

浅草名所七福神 矢先稲荷神社

浅草三十三間堂があった頃の絵図
P1080645 浅草 矢先稲荷神社m.JPG
通し矢を射る的の先に矢先稲荷神社が鎮座しています。

この当時のまま残されているとしたら、鳥居の位置だけ変わっているのかもしれません。

今は鳥居をくぐって右手に拝殿がありましたので、この絵図で言えば、三十三間堂の塀の左手前角の左(馬が向かって行こうとしている箇所)に今の鳥居が立っている感じでしょうか。

周りがすっかり変わってしまっているので想像が難しいですが、目を閉じれば浅草三十三間堂が見えるようでした。

拝殿の天井絵は日本乗馬史をモチーフにした実に見事な100枚で、靴を脱ぎ拝殿に上がれば拝観可能です。今年は折角の午年ですので、拝観の予定でしたが、丁度ご祈祷がなされていたので、我々はあんみつ休憩を先にとり、後程再訪することにしました。

気になる松飾りの結び目
P1080646 浅草 矢先稲荷神社m.JPG
浅草に来てからあちこちで目にしてきて、元ガールスカウト的にずっと気になっているこの結び目。さる処に問い合せをしたのですが、残念乍ら今の処お返事は頂けておりません。

もしかしたら固く解けにくい結び方「男結び」の変形か飾り結びなのかもしれませんが、謎のままです。よ〜くみれば、自分でも結べそう? 縄結びには実用の美がありますね。

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2026年01月31日

浅草七福神めぐり(18)鷲神社(寿老人)

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

浅草七福神めぐりも、あと残すところ2社。吉原弁財天の数分の近くに鎮座されているのが、「酉の市」で授与されるあの福を掻き込む「熊手」で有名な鷲(おおとり)神社さんです。

鷲(おおとり)神社
P1080633 浅草 鷲神社ml.JPG
七福神めぐりの笹のお飾も未だそのままで、今日一賑やかでおめでたい雰囲気!
260108134759559 浅草七福神 鷲神社m.JPG
弁財天と干支のお馬さんが一番目立つ所、いいねぇ♪
P1080642 浅草 鷲神社m.JPG

真っ赤な鳥居が青空に映える
P1080634 浅草 鷲神社m.JPG

次は石鳥居(天保十年建立)
P1080635 浅草 鷲神社m.JPG

石鳥居をくぐって振り返り見ると…
P1080641 浅草 鷲神社m.JPG

行く先には茅の輪
P1080636 浅草 鷲神社m.JPG

お社の真ん中が何やら光ってます!
P1080640 浅草 鷲神社m.JPG

輝く大きな「おかめさん」!
P1080638 浅草 鷲神社m.JPG
天岩戸前で舞った天宇受売命(あめのうずめのみこと)とされています。

「なでおかめ」
P1080639 浅草 鷲神社 なでおかめ説明m.JPG
欲張らず、願いを込めて撫でてお参りしました。どうも鼻(金運)と右頬(良縁)を撫でる人が多いようで以前の写真ではその2箇所が黒ずんでいましたが、金色に塗りかえたのかしら?

さて、おかめさんのインパクトが強すぎて、寿老人さんはどこにいらしたのか…「七福神めぐり」の7日までなら、ココにいらっしゃいますと幟でも立っていたのかもしれませんが、総じて肝心の「七福神」さんを見逃しがちです。

竜宮城っぽい雰囲気の瑞鷲渡殿(神楽殿と拝殿の間)
P1080637 浅草 鷲神社m.JPG

ご祭神:天日鷲命(あめのひわしのみこと)
     国の土地を開き、開運、殖産、商賣繁昌
    日本武尊(やまとたけるのみこと)

縁起・由緒:天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が岩戸の前で舞われた折、弦(げん)という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称される様になりました。

後に日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。この故事により日本武尊が併せ祭られ、御祭神の一柱となりました。

酉の市/酉の祭:上記のように日本武尊が「熊手」を奉納したのが十一月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが「酉の祭」、現在の「酉の市」。正しくは「酉の祭(トリノマチ)」と呼ばれた神祭の日でしたが、市が立ち始め次第に「酉の市」に。

熊手:鷲神社の熊手御守は開運・商売繁昌のお守りとして「酉の市」のみに授与される。一般に「かっこめ」「はっこめ」といわれ神様の御分霊。江戸中期より天保初年頃までは柄の長い実用品の熊手におかめの面と四手をつけたものでした。その後色々な縁起物をつけ今の様な宝船、平、桧扇、文化、みの、御所車など多くの種類となり、毎年流行を取り入れた熊手も話題を呼ぶ。

唐の芋:「子をふやし」「頭になる」との縁起

栗餅、切山椒:粟餅は一名黄金餅ともいわれ、切山椒と共に古くから名物として商われている。

浅草 鷲神社公式HP

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2026年01月30日

浅草七福神めぐり(17)吉原弁財天本宮

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

吉原神社から通りに出て道なりに左に曲がると1分ほどで、飛地として祀られている吉原弁財天本宮に着きました。なんでしょう…すっと入っていけない気持で足が止まりました。

吉原弁財天本宮
P1080623 吉原弁財天m.JPG
当地にあった花園池(のち弁天池とも)に、関東大震災の火災から逃れる為、遊女ら約500名が飛び込み命を落とされたのだそうです。

P1080624 吉原弁財天本宮ml.JPG
東京芸大生による鮮やかな壁画が、当地で沢山の方が亡くなったと知り暗く沈みがちな気持を明るくしてくれました。それでもやはり、コメカミが疼き、肩が重くてしんどかったです。ずっと手を合せておりました。

縁起・由緒:江戸時代初期までこの附近は湿地帯で多くの池が点在していたが、明暦3年(1657)の大火後、幕府の命により湿地の一部を埋立て、日本橋の吉原遊郭が移された。以来、昭和33年までの300年間に及ぶ遊郭街新吉原の歴史が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。

遊郭造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊郭楼主たちの信仰を集める。現在は浅草七福神の一社として、毎年正月には多くの参拝者が訪れる。

池は花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正12年の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、490人が溺死したという悲劇が起こった。弁天祠附近の築山に建つ大きな観音様は、溺死した人々の供養のため大正15年に造立されたものである。昭和34年吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった。(台東区教育委員会)

P1080625 吉原弁財天m.JPG

P1080626 吉原弁財天m.JPG

P1080629 吉原弁財天m.JPG

埋め立てられ僅かに残った小さな池に錦鯉が泳いでいました。
P1080627 吉原弁財天s.JPG

関東大震災被災者のご供養されている吉原観音さま
P1080630 吉原弁財天 吉原観音m.JPG
大正15年建立。

P1080631 吉原弁財天 吉原観音m.JPG

観音様の足元など境内には数多の石碑などが納められていましたが、あまり個人的なご供養に触れるのは良くない気持がして控えました。

吉原では何処にいても華やかさの下の悲哀を感じ、天上での幸せ、転生しての幸せを願わずにはおれません。

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2026年01月29日

浅草七福神めぐり(16)吉原神社・九郎助稲荷他(弁財天)

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

石浜神社〜吉原神社の道中が長く、あちこち寄道していましたが、本筋の「浅草七福神めぐり」に戻ります。

吉原神社
P1080621吉原神社m.JPG

逢初桜(あいぞめざくら)
P1080620 吉原神社m.JPG
逢初とは恋焦がれている人に初めて会うという意味。江戸時代より遊客の出逢いを叶える桜として新吉原入口の玄徳稲荷社脇に植えられ、同じく稲荷社脇にあった「駒止松」、新吉原入口の「見返り柳」と合わせて「廓の三雅木」として知られていました。現在の逢初桜は平成24年植樹。

「藍染」って言う度、何だか胸がときめくのは「逢初」の引き合わせだったのですね。藍染を身に纏うと良い出会いがありそう?

P1080615 吉原 九郎助稲荷他m.JPG
吉原神社は、かつての吉原遊廓にお祀りされていた五つの稲荷神社と遊廓に隣接する吉原弁財天の合計6つの神社がおまつりされています。

P1080616 吉原 九郎助稲荷他m.JPG
由緒・縁起:吉原遊廓と共に歩んでこられた神社。吉原遊廓は元和3年(1617)、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が江戸市中に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町(ふきやちょう)の東隣(現・日本橋人形町周辺)に集めたことが始まり。辺りは葦が生い茂る「葦原」転じて「吉原」と命名される。

次第に吉原が江戸の中心地となって来てしまった為、明暦3年(1667)、当時・竜泉寺村の現在地に移転。以後、日本橋にあった吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」と呼ぶ。

「新吉原」にあった廓の守護神である五つの稲荷社が、明治14年に合祀され「吉原神社」とされました。
・吉原大門手前
「吉徳稲荷社」縁結び・家内安全・商売繁盛・五穀豊穣
・廓内の四隅
「榎本稲荷社」家内安全・商売繁盛・五穀豊穣
「明石稲荷社」火災除け・町内安全
「開運稲荷社」開運・幸運・幸福を招く
「九郎助稲荷社」縁結び・五穀豊穣・所願成就
「吉原弁財天」開運・財運・歌舞音曲芸能上達・弁舌

「お穴さま」
P1080619 吉原神社m.JPG
地中の神様で神社の土地をお守りしています。心を込めてお参りすると必ず福が得られると伝えられ大切にお護りされています。

当初の吉徳稲荷社旧地の社殿は、関東大震災にて焼失。
震災後は水道尻付近の仮社殿にてお祀り。
昭和9年に当地へ新社殿を造営、新吉原隣接の花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀。
昭和20年の東京大空襲でまたも焼失、昭和43年に現社殿が造営されて現在に至る。

新しめのお稲荷さん
P1080617 吉原 九郎助稲荷他m.JPG
九郎助稲荷さんの化身、綾瀬はるかさんがひょっこり現れそうな…

「べらぼう」では吉原に活気を取り戻す為に蔦重が画策した「俄(にわか)」は、九郎助稲荷(現吉原神社)の祭礼として8月1日から晴天30日間行われました。

稲荷社で祭事を行い、廓内では男女の芸者衆が仮装して踊りや芝居を演じながら練り歩きいたり、移動式の舞台(屋台)を引き廻し各茶屋前で出し物を披露したりと大賑わいでした。

あくまでも九郎助稲荷のお祭りの奉祝行事としての催しなので、文化年間頃までは大門に竹を立てしめ縄を張り、祭礼の空間であることを示したとのこと。

P1080618 吉原神社m.JPG

吉原神社 公式HP

ちょっと混乱しがちですが、吉原弁財天は、吉原神社と吉原弁財天本宮の2ヶ所にお祀りされており、「吉原弁財天本宮」は、「吉原神社」の飛地で徒歩1分ほど離れています。東京芸大生による鮮やかな壁画あり…ということで、次にお参りに伺います。

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2026年01月25日

浅草七福神めぐり(12)お化け地蔵(七福神外)

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

案内地図、源内さんのお墓の先にもう一つ気になるもの、載ってましたよね? 

そう、「お化け地蔵」です!

これもちょっと距離感が掴めず、また通りすがりの方に伺うと
「もうちょっと先、左側に見えるから」
「ありがとうございます
 ・・・
「うわうわ、見えて来た〜、本当にお化けだ〜!」

お化け地蔵!
P1080592 浅草 お化け地蔵m.JPG
ど〜んと迫力満点、
流石はお江戸浅草、期待の上を行ってくれるね〜
P1080593 浅草 お化け地蔵m.JPG
享保六年(1721)建立
かつて禅宗の名刹・総泉寺の境内にあり、お寺が震災後に引っ越した後もこのお隣のお寺・曹洞宗 松吟寺(元総泉寺塔頭・松吟庵)と共に遺されたとのこと。源内さんのお墓からお化け地蔵まで結構な距離でしたが、あそこからここまでも総泉寺の敷地内だったとは・・・とてもとても大きなお寺さんだったのですね。

P1080594 浅草 お化け地蔵m.JPG
横から見ると、関東大震災で2つに折れ、修復補強されているのが分かります。嘗ては大きな傘も被っていたそうで、頭部も取り替えられています。

P1080597 浅草 お化け地蔵m.JPG

供養塔
P1080595 浅草 お化け地蔵m.JPG
元総泉寺境内にあった諸仏像等の為の供養塔。
震災で被害に遭ったのでしょうか。

P1080596 浅草 お化け地蔵m.JPG

常夜灯
P1080598 浅草 お化け地蔵m.JPG
こちらも古いもので寛政二年(1790)建立
その右のオレンジ色の案内には'Haunted Jizo'とありました。ちょっとニュアンスが違うんじゃ無いかな。お地蔵様は菩薩さま、そんなおどろおどろしいものでは無いはずなんだけど・・・。

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2026年01月23日

浅草七福神めぐり(11)平賀源内 墓所(七福神外)

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

石浜神社から橋場不動尊方面に戻り白鬚橋の交差点を右折、ガイドブックなどに「地図を見ても迷う」と書かれていた平賀源内さんのお墓を探しました。
P1080577 浅草 平賀源内の墓.JPG

通りかかった地元の方に伺った、
「お墓は分からないけれど、この道沿いに平賀源内と刻まれた石碑が立っている」というのが、これですね!
P1080578 浅草 平賀源内の墓m.JPG

ココを左折するとまた地図が・・・
P1080580浅草 平賀源内の墓m.JPG

P1080579 浅草 奥浅草地図ml.JPG
更にアップ・・・なぜ橋場不動尊や石浜神社が載っていない? なるほど・・・この地図では確かに分かりづらいかも。

迷っている風の人が戻ってきた?ので間違えたのだと思い、通り過ぎた道が実は正解でした。「迷っている風の人」って、自分が迷っているのにね、失礼しました。

住所は台東区橋場なので、「橋場不動尊の裏手」というのは間違いではないけれど、そう書いてあったら本堂の裏かなと思いますよね・・・。それも迷う一因では?

平賀源内墓所入口
P1080581 平賀源内の墓m.JPG
「蔦重ゆかりの地」の幟が立っていました。

「平賀源内墓(国指定史跡)」解説板
P1080591 平賀源内の墓m.JPG
埋葬された総泉寺(秋田・佐竹藩ゆかり)は関東大震災で燃え落ち、板橋に引っ越してしまったけれど、源内さんの墓所は元の場所に保存され、後に築地塀を巡らせて国指定史跡とされたとのこと。

 平賀源内は享保十三年(1728)、讃岐国志度浦(現香川県志度町)に生まれる(生年には諸説ある)。高松藩士白石良房の三男で名は国倫。源内は通称である。寛延二年(1749)に家督を継ぎ、祖先の姓である平賀姓を用いた。本草学・医学・儒学・絵画を学び、事業面では成功しなかったが、物産開発に尽力した。物産会の主催、鉱山開発、陶器製造、毛織物製造などをおこない、エレキテル(摩擦起電機)を復元製作、火浣布(石綿の耐火布)を発明した。一方で風来山人・福内鬼外などの号名をもち、「風流志道軒伝」などの滑稽本や、浄瑠璃「神霊矢口渡」などの作品を残している。
 安永八年(1779)十一月に誤って殺傷事件を起こし、小伝馬町の牢内で十二月十八日に病死、遺体は橋場の総泉寺(曹洞宗)に葬られた。墓は角塔状で笠付、上段角石「安永八己亥十二月十八日 智見霊雄居士 平賀源内墓」と刻む。後方に従僕福助の墓がある。

 総泉寺は昭和三年(1928)板橋区小豆沢へ移転したが、源内墓は当地に保存された。昭和四年に東京府史蹟に仮指定され、昭和六年には松平頼壽(旧高松藩当主)により築地塀が整備される。昭和十八年に国指定史跡となった。

平成十七年三月 台東区教育委員会

P1080589 平賀源内の墓m.JPG

平賀源内さんのお墓 清々しい佇まいが嬉しい。
P1080586 平賀源内の墓m.JPG
大河ドラマ「べらぼう」でも活躍したばかり、今も訪れる人も途切れないようです。
P1080582 平賀源内の墓m.JPG
角塔状で笠付、上段角石
「安永八己亥十二月十八日 智見霊雄居士 平賀源内墓」
P1080585 平賀源内の墓m.JPG

後方 従僕福助さんのお墓
P1080583 平賀源内の墓m.JPG

改修記念碑
P1080587 平賀源内の墓m.JPG

裏面に杉田玄白の碑文ありとのこと・・・
P1080588 平賀源内の墓m.JPG
最後の処だけ分かる。「べらぼう」見てたから。
「嗟非常人 好非常事 行是非常 何非常死」
ああ非常の人 非常の事を好み 
行い是れ非常 何ぞ非常に死するや・・・(合掌)

こちらは・・・「静軒先生之碑」と読めますが、
P1080590 平賀源内の墓m.JPG
下の方は摩滅していて分かりづらい。どのようなご縁なのか??

以前にも書きましたが、私にとって「源内先生」と言えば「天下御免」の山口崇さんなのですが、この日は安田顕さんのファンの方がお参りにみえていました。あの浮世絵の肖像には安田顕さんの方がそっくりでしたね!

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2026年01月22日

浅草七福神めぐり(10)石浜神社(寿老神)

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*見逃していた写真が出てきたので追加掲載しました。01.25

2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

橋場不動尊前から再び隅田川沿いに北上、右手に白鬚橋をみて道路を渡ると石浜神社手前に広がる石浜城址公園。奥手に石浜神社の大鳥居が見えていますが、お手洗いや休憩はこちらで済ませておくと安心です。

石濱神社の幟が見えて来ました。
P1080556 浅草 石浜神社m.JPG

石浜城址公園入口
P1080557浅草 石浜神社m.JPG

境内入って直ぐ左、外に「こたつ」まである「石濱茶寮 楽」さん
P1080558 浅草 石浜神社 お休み処m.JPG
江戸時代の浮世絵にも描かれていて、名物は「豆腐田楽」「炭火焼き団子」「焼鳥」など。
営業時間は、11:30〜21:00 (水曜定休) 開店前でしたが、中に声を掛けるとお弁当の仕込み中で、残念ながら我々はこたつでお団子を頂き損ねました。遅くまでやっていて、きっとお酒も楽しめるのでしょうね。春の宵など、花見で一杯・・・いいなぁ
(神社参拝可能時間は通常9:00〜16:00)

藤棚の下で、持ち寄りのおやつタイム
P1080570 浅草 石浜神社休憩所 おやつタイム.JPG
こちらは、公園内のお休み処。高い土手の向こうは大川(隅田川)で、この日は冬にしては暖かく心地よい風が頬を撫でてくれました。(時系列順ではありませんが、参拝後の寛ぎのひととき)

七福神めぐりの為の看板と幟
P1080560 浅草 石浜神社m.JPG
石浜神社では、確か「寿老人」ではなく「寿老神」だったと思うのですが、七福神めぐりの皆さんに分かり易いようにでしょうか。

一の鳥居
P1080576 浅草 石浜神社 鳥居m.JPG
安永8年(1780) 麁香様の開帳の年に建立。カマボコ型の笠木は神明型鳥居には珍しい。
(帰りに撮影したので、はためいていた幟が下ろされ始めていました。上の写真と見比べるとバレますね。)

二の鳥居
P1080574 浅草 石浜神社 鳥居m.JPG
寛延2年(1749)建立。額束(がくづか 横柱の中央にある短い支柱)があるのは、神明型では珍しい

笠木がカマボコ型の珍しい形
P1080573 浅草 石浜神社 鳥居m.JPG

石浜神社 社殿
P1080568 浅草 石浜神社m.JPG

P1080561 浅草 石浜神社m.JPG

ご祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ) 
    天の下のすべての根源をなし天地四方を照らす太陽神。
    わが国ご祖神。
    この世と万物の秩序安泰をお守りくださる大神。

    豊受大御神(とようけのおおみかみ)
    天の下のすべてに必要な作物・食物を産み出され、
    お守り下さる神。

縁起・由緒:聖武天皇の御代 神亀元年(724)、勅願によってご鎮座以来1297年の歴史を持つ。源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、蒙古襲来の折の必勝祈念で鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣ご奉納などを経て、中世初めには大社として発展。殊に、千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は篤く、関八州より、多くの参詣者を集めたと伝わる。

麄香神社(あらかじんじゃ) ご祭神は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)の二柱。家室の土台の守り神、さらには木匠の始祖として、安永八年(1779)8月8日ご鎮座されました。大工、家づくり、ものづくりの神様。職方、職人のためのご祭神は、他に類例の少ないところから、江戸末期以来大いに近隣諸職の信仰と人気を呼んだとのこと。

寿老神
P1080572 浅草 石浜神社 寿老人m.JPG
昭和52年(1977)、浅草七福神の復活に際し、延命長寿の神として奉安されたもの。

富士山遙拝所
P1080562 浅草 石浜神社 富士山遙拝所m.JPG

P1080567 浅草 石浜神社 富士山遙拝所m .JPG

白狐神の祠
P1080563 浅草 石浜神社 白狐神m.JPG

白狐神の洞
P1080565 浅草 石浜神社 白狐神m.JPG
この洞に白狐が住んでおり、好物の油揚げを供え「おいでおいで」と呼び、それに応えて白狐が油揚げを食べれば願いが叶うと言われていたそうです。

白狐神の上の宝珠など
P1080566 浅草 石浜神社 白狐神m.JPG

招来(おいで)稲荷神社
P1080564 浅草 石浜神社 招来稲荷神社m.JPG
嘗て、石浜神社南隣に石濱城主の千葉介守胤が一族繁栄を願い、天文年間(1532〜54)に真崎稲荷社を建立。戦場の先駆けへの願いを込め「真っ先」→「真崎」と名付けられたとか。一橋徳川家の祈願所となり庶民の出入りができなくなったかわりに、奥宮として、この招来稲荷神社が設けられました。

さて、浅草七福神めぐりの約半分ほどを歩いたところで、かなり予定時間をオーバー。また参加メンバーにやや疲れが見えて来たこともあり、おやつ休憩(上掲)をとり、昼食処の変更候補を探さねばならず、いろいろ見逃し撮影漏れがあり、次の機会(花見かな〜)が待たれます♪

石浜神社公式HP 
の中の石浜神社縁の「浮世絵」の数々
江戸の風情が楽しめます。この辺りは「真崎稲荷」に因み「真崎」とも呼ばれていたのですね。

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2026年01月21日

浅草七福神めぐり(9)橋場不動尊(布袋尊)

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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

 招き猫と縁結びの今戸神社から隅田川沿いに北上、植物観察抜きなら20分ほどで、橋場二丁目の交差点の先左に橋場不動尊の石柱が見えて来ます。

真新しい石柱には「砂尾山 不動院」と刻んでありました。
P1080548 浅草 橋場不動尊 砂尾山不動院m.JPG
確認すると「砂尾山橋場寺不動院」こちらが正式なお名前ですが、「橋場不動尊」の呼び名で長く親しまれて来たのですね。
古い写真の入口は両側が狭まっており、石柱も左右に2つ立っていたので、最近この様に開けて立て直したのでしょう。

P1080547 浅草 橋場不動尊m.JPG

P1080549 浅草 橋場不動尊m.JPG

P1080547 浅草 橋場不動尊m.JPG
現在の本堂は弘化二年(1845)建立。
小堂ながら美しく、江戸時代の特徴をよく現しています。
江戸時代には、周辺の三条公、有馬侯、池田備前侯等をはじめとする武家屋敷の人々の尊信を集めていたとのこと。
明治末年の大火や関東大震災、戦炎などから、不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍を免がれたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として、信仰の的となっています。

P1080553 浅草 橋場不動尊m.JPG
ご本尊:不動明王(秘仏)

天平宝字四年(760)、奈良東大寺大仏の建立に尽力した良弁僧正が、相州大山寺*で刻まれた一木三体不動(一本の木で三体の仏像を彫る)の内の一体とされる。

*相州大山寺:現神奈川県 関東三大不動「雨降山 大山寺」。あの雨乞い「大山詣」で有名な大山です。

 石尊山→大山→ご本尊と同じ木からのお不動様との出会いというご縁の流れ、有り難し・・・。早速「縁結び」のご利益?

悪魔降伏の威想を備え、信ずる者には必ず霊験を与え給う不可思議の尊像として、古来よりご秘仏とされ非公開。お前立の不動明王像(作者不明 鎌倉期)は周囲を圧する偉容。こちらでお前立の不動明王、薬師如来、布袋尊などのお姿を拝観できます。
「砂尾山橋場寺不動院の歴史・由来・教義」公式HP

縁起・由緒:天平宝字四年(760年)上記三体の内の一体を託された寂昇上人によって開創。当初は法相宗。
寛元年(1163)、中興の祖 教円坊(一説には長円)により、天台宗に改宗され浅草寺の末寺となるが、現在は浅草寺と本末関係はなく、比叡山延暦寺の末寺。

橋場の地名:太田道灌が下総の千葉氏を攻めるため、この地に橋をかけたことから。

砂尾薬師:不動尊と共に薬師如来も安置されています。
「本尊をば砂尾不動と称して一堂に安置し傍に薬師尊あり。是むかし砂尾修理太夫が念持仏にして則同人の建立する寺ならん。文明年間、太田持資入道道灌と砂尾修理太夫「石浜の合戦」におよびしも此辺にしてやありけん。」
等と言う記載が残っているのに、何故か正史と見做されず偽伝扱いされて来ているようです。

寺名にも地名にも「砂尾」が残っているのに、砂尾修理太夫の創建や太田道灌との石浜の合戦が無視されている理由は、上記縁起が余りにも立派であり、また江戸城築城の太田道灌と戦っていたというのは後世では黒歴史となったからでしょうか・・・? お寺側でも新しい資料の出現で、その真偽が解明されることを願っていらっしゃいます。

P1080551 浅草 橋場不動尊 布袋尊m.JPG
布袋尊:江戸時代から伝わる布袋尊像。肩に袋がなくお腹が袋代わりの形をしている珍しいお姿。
「砂尾山橋場寺不動院の歴史・由来・教義」公式HPこちらの下の方までスクロールして頂くとご拝観頂けます。

お地蔵様とお百度石
P1080550 浅草 橋場不動尊 お授地蔵 お百度石m.JPG
HPに記載ありの「石工が夢で呼ばれてお連れしたお地蔵様」でしょうか。

こちらのお寺には「白蛇の夢」の弁財天さんのお話など、興味深い伝えが多く心惹かれます。

樹齢700年の大銀杏 
P1080555 浅草 橋場不動尊m.JPG
本堂の右前に聳えています。江戸時代、隅田川往来の目印になったといわれています。ここの船着き場から吉原に向かった客も多かったそうです。我々もこの日足を運ぶ道筋を、ワクワクしながら通ったのでしょうか。

公式HPの中に、お寺の裏手に「平賀源内」のお墓あり、と書かれていたので、本堂の裏手を眺めてみましたが檀家さん以外立ち入り禁止でしたので、そっと手を合せて去りました。しかし、ご縁あって、この日、なんと源内さんのお墓参りが叶うのです! 
縁結びの福の神、ありがとうございます(^^)

生垣のサザンカ 端正な一重、白、爪紅、品種不明
P1080552 浅草 橋場不動尊 サザンカm.JPG

砂尾山橋場寺不動院 公式HPトップ頁

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2026年01月19日

浅草・七福神めぐり(0)

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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

途中まで書いてしまってから地図を貼ってみたら、「浅草七福神めぐり(もうで)」のことや、そもそも「七福神」って・・・について書いていなかったことに気づきました。

皆さんご存じの通りで今更かとも思いますが、詣でる前に調べたことを備忘録として残しておきます。

浅草名所・七福神もうで 案内
P1200712 浅草七福神もうで パンフml.JPG

P1200711 浅草七福神めぐり 地図ml.JPG
上下(表裏)共に浅草名所七福神会さん編

 *七福神などの名称や表記は、各寺社の表記に準じています。

浅草七福神
江戸文化発祥の地・浅草で七福神めぐりが流行したのは江戸時代からと伝わります。
七福神は複数の寺社で重複して祀られており、浅草では九つの寺社を巡ります。その理由としては、
「九は数の極み、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩であり、集まる意味を持ち、また天地至数易では陽を表わす」
という古事に由来しているとされています。

七福神めぐり(もうで)
仏教(インド)の毘沙門天、大黒天、弁財天。
儒教(中国)の福禄寿、寿老人、布袋尊。
日本古来の神の恵比寿神。
この七柱の神を福徳円満の神として、年の初めに一年の家内安全、息災延命を願って巡拝されました。

「七福神宝船之図」歌川広重
広重 七福神宝船之図m.jpg
後列左より 福禄寿、弁財天、毘沙門天
前列左より 布袋尊、大黒天、恵比須神、寿老人

恵比寿/恵日須
伊邪那岐命・伊邪那美命の間に生まれた子「蛭子」(ヒルコ)、もしくは大国主神の息子「事代主神」(コトシロヌシ)などを祀ったもので古くは「大漁追福」の漁業の神。時代と共に福の神とし「商売繁盛」「五穀豊穣」をもたらす神となった。七福神で唯一、日本由来の神。
風折烏帽子、狩衣、指貫、右手に釣り竿、左手に鯛。

大黒天
インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神。日本古来の大国主神と習合。大黒柱と現されるように食物・財福を司る神となった。また親子関係(大国主命の御子が事代主命=恵比寿)から恵比寿と並んで描かれることが多い。
大黒頭巾、大袋、打ち出の小槌、米俵の上に座る。

毘沙門天
元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神。福徳増進の神であったが、仏教に取り入れられてから、戦いの神としてしだいに民衆に信仰される。日本では毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)と呼ばれる。
甲冑、左手に宝塔、右手には如意宝珠、両足で邪鬼悪鬼を踏む。

弁才天/弁財天
七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。仏教に取り入れられ、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となった。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されることが多い。日本では宗像三女神の中の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、海の神、航海の神、水の神・・・と習合されることが多い。
(白蛇)宝冠、領巾(ひれ)、琵琶を弾く。

福禄寿
道教の宋の道士天南星、又は、道教の神で南極星(カノープス)の化身の南極老人。寿老人と同一神ともされる。福(幸福)と禄(財)と寿(長命)の三つの福を授ける。
短身、長頭(被り物なし)、大きな耳たぶ、長い白髭、経巻をむすびつけた杖と宝珠を持ち、鶴を従える。

寿老人・寿老神
道教の神で南極星(カノープス)の化身の南極老人。福禄寿と同一神ともされる。白鬚明神ともされる。
長い白髭、長頭(目立たないこと、また被り物をしていることも)、「司命の巻(人の寿命が書かれている)」を吊り下げた杖と団扇、桃を持ち、鹿を従える。

布袋尊
唐の末期の明州(現中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の禅僧。大きなお腹に笑顔の大らかな風貌が好まれ、手にした袋から財を出し与えてくれる。弥勒菩薩の化身とも。
太って突き出た腹を露わにし、笑顔で大袋を背負う。

個人的には、いつも「福禄寿と寿老人」が分からなくなります(@@;) 同一神ともされており、似たようなお姿・持ち物なので・・・。

福禄寿は頭に何も被っておらず、鶴を従えているので「頭ツルツル」と覚えようかな。禄が音が同じ鹿を連想させるから間違うのですよね。

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2026年01月18日

浅草七福神めぐり(7)今戸神社(福禄寿)

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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

待乳山聖天さんから元の道に戻り、また少し隅田川沿いを歩きY字路を左に進むと今戸神社さんが見えて来ます。ここで、あらためて地図を確認。

浅草七福神もうで 地図
P1200711 浅草七福神めぐり 地図ml.JPG
浅草名所七福神会さん編

今戸神社
P1080537 今戸神社m.JPG

新選組の沖田総司終焉の地・・・?
P1080537 今戸神社 沖田総司m.JPG
そして「招き猫発祥の地」? 確か他にもあったような・・・?

諸説・伝承があるが、浅草寺・浅草神社周辺で今戸焼の「丸〆猫」が売られていた記録が残っており、この今戸焼の産地が今戸八幡神社の辺りであったようです。
他にも、世田谷区・豪徳寺、京都・檀王法林寺、愛知・常滑(産地)などにも縁の伝承あり。そう言えば、来月、豪徳寺の近くに行く予定が・・・また何かのご縁が繋がり始めた気配!

P1080539 今戸神社 沖田総司m.JPG
肝心の碑は木蔦に覆われてしまったのか、みつからず・・・

拝殿
P1080540 今戸神社 拝殿m.JPG
ご祭神:應神天皇(おうじんてんのう)
     武運長久、大愛(慈愛を込めて子を育てる)
    伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
    伊弉冉尊(いざなみのみこと)
      産霊の神 縁を結び、生産の基盤を固める神
      伊弉諾尊(男神)・伊弉冉尊(女神)夫婦神
    福禄寿(ふくろくじゅ)福と財と長命の神

縁起・由緒:後冷泉天皇の御代 康平六年(1063)、源頼義・義家父子が、奥州の安部貞任・宗任討伐の折、篤く祈願し鎌倉・鶴ヶ岡と浅草・今之津(現在の今戸)に京都の石清水八幡を勧請し今戸八幡を創建。

昭和十二年、隣接した白山神社を合祀、今戸神社と改称。

戦乱兵火に遭うごとに再建を繰り返し、家光により寛永十三年(1636)に再建されるも、大正十二年(1923)の関東大震災、昭和二十年(1945)の東京大空襲でも重ねて被災。

昭和四十六(1971)年、現在の荘厳な社殿が氏子崇敬者の浄財によって造営された。

「招き猫発祥の地」境内に猫の意匠が多数。
「東京下町八社めぐり」の中の一社でもある。
福禄寿さんは白髪童顔の温和な容姿。

招き猫が沢山います。
P1080542 今戸神社 招き猫m.JPG

馬に乗った福禄寿さん
P1080543 今戸神社 福禄寿m.JPG

大銀杏と絵馬
P1080538 今戸神社 大銀杏と絵馬m.JPG
「縁結びの神」なので、縁=円い絵馬 なのだそうです。
「円を結ぶ」のですね。

茅の輪
P1080541 今戸神社 茅の輪m.JPG
大勢潜ったのでしょうね、ちょっとへたって四角く・・・鎌倉とんぼさんがご覧になったら・・・

今戸神社 公式HP

デュランタ/ハリマツリ クマツヅラ科ハリマツリ属 
P1080544 今戸神社 デュランタ ハリマツリm.JPG
番外編とは言え「花木くらぶ」の面々、植物観察は抜かりなく・・・葉と長く伸びた花序の名残からデュランタと皆の意見が一致しました。デュランタの果実が生っているのを私は初めて見ました。

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2026年01月17日

浅草七福神めぐり(6)待乳山聖天

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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

浅草神社前の通りを東へ向かい、隅田川沿いの隅田公園を右に見ながら15分弱ほどで次の待乳山聖天さんです。

冬枯れの梢越しの東京スカイツリー
P1080521 冬枯れと東京スカイツリーm.JPG
右手の隅田川の向こうに東京スカイツリーが見えます
P1080522 東京スカイツリーm.JPG

左手の角に待乳山聖天さんの門が見えて来ます。
P1080523 待乳山聖天m.JPG
ここからは入れませんので、門前を左折して進みます。

まつちやましょう「で」ん
P1080524 まつちやましょうでんm.JPG
ずっと「しょうてん」と読んでいて、濁ると初めて知りました。

P1080525 待乳山聖天ml .JPG

P1080526 待乳山聖天ml .JPG
ご本尊:大聖歓喜天(たいしょうかんぎてん)
    十一面観音菩薩の化身とされる。
「象頭の双身が向かい合って抱き合う」
 という独特なお姿、強大なお力の秘仏。

浅草寺の縁起にも記された金の龍
=天から下った大聖歓喜天
「龍脈が流れる地」として各時代の大物の信仰厚く、現代でも「願い事が叶う」最強のパワースポットとして信仰を集めている。

二股の大根と巾着袋:
子孫繁栄、富の象徴で御利益を端的に表わすとされる。

待乳山:推古天皇の御代、地中より渾然と湧き出でた、
    江戸で一番低い山(標高10m)とされる。

まつちやまの語源は河川に削られ残った「真土」の山(盛土ではない、砂地や泥地ではない)説、浅草寺縁起などに名の残る土師真中知の邸宅があったことによる説などがある。

1月7日には、奉納された大根による「ふろふき大根」が振る舞われる。

七福神の毘沙門天は、大歓喜天の脇侍として奉じられている。

二股の大根と巾着袋の意匠は至る所に
P1080527 待乳山聖天ml.JPG

お下がり大根 (マサさん撮影)
IMG_7050待乳山聖天のおさがりのダイコン2 久保さんm.JPG
昨日は「ふろふき大根」が振る舞われた日ですのに、まだ「お下がり大根」が沢山! 丁度地元の方がいらしていて「持ち帰って良いのよ。どうぞどうぞ」と仰ってくださったので、大聖歓喜天さんの好物のお大根、皆でありがたく頂戴して参りました。山桜の分をずっと担いでいてくださったYさん、ありがとうございます。

東京風「待乳山から隅田川」
P1080528 東京風景 待乳山から隅田川ml.JPG

江戸一低いとはいえ「山」なので、なんと親切なことに
境内には足腰の弱い方の為のモノレールがあります(無料)
P1080531 待乳山聖天 モノレールm.JPG
「さくら号」が、ボタンを押すと迎えに来てくれます。

3名、乗り込んでみてくださいました。
P1080532 待乳山聖天 モノレールに乗り込む.JPG

260108101248690 浅草 待乳山聖天 モノレールm.JPG

260108101307210 待乳山聖天 モノレールm.JPG
乗り心地は良かったそうです♪

モノレールの内部
P1080533 待乳山聖天 モノレールm.JPG

お下がり大根を頂き、モノレールにも乗って、浅草七福神めぐり、ますます楽しくなって参りました♪

待乳山聖天 待乳山本龍院

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2026年01月14日

浅草七福神めぐり(5)被官稲荷神社(七福神外)

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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

浅草神社の境内、被官稲荷神社の石鳥居が高く聳えていました。両の柱には「新門辰五郎」の名が刻まれています。かの有名な火消しの頭領にして侠客の元締め、新門辰五郎親分奉納の鳥居です。

確かにこの目で新門辰五郎と刻まれた鳥居を仰ぎ感慨に耽っていたのに、写真がない・・・撮らなかったのですかねぇ どうも幹事役というものは、あれこれ気が削がれていて記憶無く・・・。

被官(ひかん)稲荷神社
P1080517 浅草 被官稲荷神社m.JPG
ご祭神:倉稲魂神(うかのみたまのみこと) 
    五穀豊穣、福徳円満、商売繁盛、立身出世、芸能向上

縁起:安政元年(1854)、新門辰五郎の妻が重い病に倒れた折、山城(現 京都府南部)の伏見稲荷神社に祈願、病気は全快。
翌年、伏見稲荷神社からご祭神分身を勧請。お社を創建、被官稲荷神社と名付けられる。現在は浅草神社の末社として境内に祀られる。被官稲荷神社正面の鳥居は新門辰五郎の奉納。

「被官」の名称の由来は不明なれど、官を被(こうむ)る、ということから就職・出世にも御利益有りと信仰されています。

お社:安政二年(1855)創建。一間社流造の杉皮葺。間口1.5m、奥行約1.4m。覆屋(大正期の建築物)で保護。関東大震災、東京大空襲にも奇跡的に焼け残った大変貴重な建築物。

P1080520 浅草 被官稲荷神社m.JPG

お狐さん
P1080518 浅草 被官稲荷神社m.JPG
花火師「鍵屋」の由来となった鍵を持っています。
(伏見稲荷系、鍵屋は特に奈良・五條市由来)

P1080519 浅草 被官稲荷神社m.JPG
分家「玉屋」の由来となった宝珠は奥の狐さんで見えます。

可愛らしいお姿
浅草 被官稲荷神社 お姿.jpg
ご一体1500円 公式HPより拝借の画像

新門辰五郎について (株)新門さんのHP内に飛びます。
このページの最後「新門の由来」を読むと、被官稲荷の被官はこの辺りが関係するのではと思うのですが、どうなのでしょう。

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2026年01月13日

浅草七福神めぐり(4)浅草神社(恵比須神)

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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

浅草寺 本殿のお隣、右の鳥居を潜ると・・・浅草神社です。
こちらでは、大好きな狛犬さんと松飾りの縛り方に目がいったか写真を殆ど撮っておらず、同行のマサさん撮影のお写真を分けて頂きました。マサさん、いつもお世話になってばかりで、すみません(。。;)お忙しい中、お写真を探して送ってくださり、誠にありがとうございます。

浅草神社 拝殿   (マサさん撮影)
RIMG4209浅草神社拝殿m 久保s.JPG

ご祭神: 土師真中知命(はじのまなかちのみこと)
      聖観音像の礼拝供養に生涯を捧げた土地の長
     檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
      聖観音像を投網で救った兄
     檜前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)
      聖観音像を投網で救った弟
     
縁起・由緒:浅草浦(現隅田川)で漁師の檜前浜成・武成兄弟の投網に聖観音菩薩像が掛かり、問われて兄弟にその功徳を説いた土地の長 土師真中知は後に浅草寺の僧となり聖観音菩薩像の供養に生涯を捧げた。後に観音様の夢のお告げにより、兄弟と土師氏が三柱の神となって祀られたのが三社様とも呼ばれる浅草神社。

ご社殿:
慶安二年(1649)第三代徳川将軍家光公により建立寄進される。
度重なる火災、戦争、関東大震災の被害を免れ350年たった現在も当時の面影をそのままに残しています。
奥の本殿、拝殿と弊殿が渡り廊下で繋がる権現造り。

ご神木:槐(エンジュ)の木 
    漁師兄弟が、最初に聖観音菩薩像を槐の木に安置。
夫婦狛犬:寄り添って並ぶ。夫婦和合、縁結び。
被官稲荷神社:新門辰五郎奉納の鳥居(詳細別掲)
恵比寿さま:極彩色で温和な表情とのことですが、非公開。

目を奪われた見事な狛犬さん
P1080513 浅草神社 狛犬m.JPG

P1080514 浅草神社 狛犬m.JPG
天保七年(1836)三月奉納 石工・象潟町 大岩とあります。

象潟といえば秋田県、「陸の松島」とも称される鳥海山崩壊により生まれた「九十九島」が有名。

また象潟の大岩といえば「唐戸石」。元は海底にあったものが隆起によって地上に押し上げられた大岩で、波で洗われて出来た模様が残っています。

若しかしたら、この狛犬さんたちも象潟の岩から生み出されているのでしょうか? 土台の岩には波模様が浮かんでいるように見えました。
こうして惹きつけられたのも、Kさんの故郷・秋田由来だったからでしょうか。不思議なご縁を感じざるを得ません。

<追記> 更に調べると、この象潟町は浅草にあった旧・浅草象潟町であったようです。
 浅草象潟町 1872〜、1934再編、1966廃止、1934〜1966は象潟一〜三丁目(1934成立)と象潟町が並存。後者(旧町の残存部)は1966年、住居表示実施で浅草4となる。

町名の由来は、江戸時代に(現・秋田県)本荘藩主の六郷氏が当地に下屋敷を設けたとき、故郷の景勝地である「象潟(きさかた)」にちなんで、屋敷付近を「浅草象潟町」と呼んだことに始まる。

1966年の住居表示変更で、象潟1〜3丁目が浅草3〜5丁目に変更されたが、旧名を残す町内会があることから1993年に浅草馬道地区町会連合会と秋田県象潟町(現・にかほ市)が姉妹地の盟約を交わした。

*秋田の象潟から運んだ石かどうかは分かりませんが、ご縁は繋がっていて嬉しいです。


浅草神社の狛犬さんと言えば「夫婦狛犬」さんの方が有名なのですが、正面の鳥居から入らずに脇からお邪魔したので、この日はお目にかかれずでした。やはり再訪を待たれている様です。

浅草神社 拝殿  (マサさん撮影)
RIMG4212浅草神社拝殿2m 久保s.JPG
家光公の三葉葵 と ご神門の三投網ですね。

三柱の神(三社さま)の石碑
P1080515 三社様の碑m.JPG
新しいものですが、モチーフは同じ三投網。

浅草神社 拝殿の扁額など  (マサさん撮影)
RIMG4215浅草神社 拝殿3 久保s.JPG

松飾りの縛り方
P1080516 浅草 松飾り 縛りm.JPG
この日は、まだ松飾りが残っていて、何処の寺社でもこの龍か馬の頭のような縛り方が気になりました。調べても名称や謂れなどが分からず終い。目下、とある処に問い合せ中なのですが、お返事頂けるかドキドキです。

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2026年01月11日

浅草七福神めぐり(3)金龍山 浅草寺 (大黒天/恵日須/弁財天)

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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

浅草文化観光センターの展望テラスから下り、全員揃ったところで再度、雷門〜仲見世〜宝蔵門〜浅草寺へと参りました。

仲見世のお店も開き始め、人も増えて少し賑わって来ていました。
P1080508 浅草 仲見世ml.JPG

P1080502 浅草 宝蔵門ml.JPG
人が写らないように撮っていますが、既に賑わい始めています。

宝蔵門(山門・仁王門)
P1080503 浅草 宝蔵門ml.JPG
縁起:平公雅が天慶5年(942)に武蔵守に任官。祈願成就の御礼として仁王門を建立。

数度の焼失と再建の後、徳川家光の寄進により慶安2年(1649)に落慶した仁王門は、昭和20年(1945)の東京大空襲にて消失。

昭和39年(1964)大谷ご夫妻寄進により再建。経蔵を兼ねて伝来の経典や寺宝を収蔵することより、仁王門から宝蔵門と改称。

宝蔵門に収蔵されている経典「元版一切経(国指定の重要文化財)」は、元は鎌倉の鶴岡八幡宮に収蔵。明治神仏分離の際に焼却処分される寸前、浅草寺に深く帰依していた尼僧・貞運尼が買い取り浅草寺に奉納。

この経典を鎌倉から浅草まで運ぶ際、町火消し十番組の組頭・新門辰五郎が尽力。境内にあった新門の門番を務めたことから新門と名乗る。

浅草寺 宝蔵門

五重塔
P1080510 浅草 浅草寺 五重塔m.JPG
浅草寺 五重塔

浅草寺 本堂
P1080509 浅草 浅草寺ml.JPG
ご本尊:聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)

縁起:飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、宮戸川(現隅田川)畔に住む檜前浜成・竹成兄弟が、投網の中に一躰の像を発見。仏像と知らず、像を水中に投じ場所を変えて何度か網を打つが、その度、像が網にかかるばかりで魚は捕れず、兄弟はこの像を持ち帰り土地の長・土師中知(名には諸説あり)に見て貰い、聖観世音菩薩の尊像であると判明。

「御名を称え一心に願い事をすれば、必ず功徳をお授けくださる仏様である」
と語り聞かせた中知は、やがて私宅を寺に改め、観音さまの礼拝供養に生涯を捧げた。

浅草寺縁起には、観音さま示現の日、一夜にして辺りに千株ほどの松が生じ、3日を過ぎると天から金の鱗をもつ龍が松林の中に下ったと記される。この瑞祥が山号「金龍山」の由来。

恵日須・大黒天は一つのお堂(影向堂)の中に奉納されている。

「施無畏」(畏無施)の扁額と天井画
P1080511 浅草寺 天井画 龍m.JPG
「施無畏(せむい)」とは無畏(畏れを無くす)を施すこと。浅草寺(浅草観音)に「施無畏」掲げられているのは、観世音菩薩こそが施無畏者であることから。

金龍山の龍
P1080512 浅草寺 天井画 龍m.JPG

浅草寺では大黒天/恵日須を探しましたがみつからず、7日までだったら幟でも立っていたのでしょうか・・・。二柱を祀る影向堂は本堂左手の薬師堂の奥だったのですね。またもっと手前の弁天山には弁財天さんもいらしたのですね〜、下調べ不足でした。

実は、この時点では、ぐるっと廻ってから、また浅草寺・浅草神社に戻ってきて、ゆっくりと参拝する予定だったので、先を急いでさっと巡ってしまったのでした。

この日、予定通りにはいかない処がいろいろ面白かったのですけれど、七福神めぐりとしては「全クリ」が出来ず、またの機会となりました。「またおいで」と呼ばれてるのですよね、良かった〜♪

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2026年01月10日

浅草七福神めぐり(2)浅草文化観光センター8階からの展望

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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

さて、待ち合わせ時刻になったので「浅草文化観光センター」前に戻り、8階の展望テラスへ登って、これから歩いて廻る浅草の町を見渡しました。

浅草文化観光センター
(画像は台東区公式観光情報サイトより編集)
浅草文化観光センターm.jpg
浅草文化観光センター公式サイト

このビルの8階にある展望テラスから浅草の町を俯瞰。
260108090831559 浅草 文化観光センター展望テラスからm.JPG
センターは9:00開館、一番乗りでした。
雷門〜仲見世〜宝蔵門〜浅草寺 人並みでぎっしりだったお正月が嘘のような静けさです。
高い所から見渡す浅草一望、清々しい!

東京スカイツリー
mP1080506 浅草 文化観光センター8階の展望.JPG
下から見上げた時とは一味違います。首が痛くならない(笑)
あの金の雲は目では見えていましたが、ビルの影かな?

色々なガイドマップなども頂けますので、浅草観光前に寄ってみると面白いですよ。

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2026年01月09日

浅草七福神めぐり(1)雷門・仲見世・宝蔵門・五重塔

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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

混雑を避け、松が明けてから「浅草七福神めぐり」に出掛けました。人が少なくなった中、ゆっくりと江戸散歩を楽しみました。
山桜の母方の実家は神田明神の氏子ですが、浅草橋に親戚もおり、浅草は何度も遊びに来ている馴染みの町です。

浅草寺 総門 雷門(風雷神門)
P1080495 浅草 雷門m.JPG
(正面のお顔が写り込んでいた部分を消去しています)

P1080496 浅草 雷門m.JPG

黒田屋
P1080497 浅草 黒田屋m.JPG
浅草に来ればいつも寄っているお店も開店前。
和紙・小間物・版画など楽しい者がいっぱいです♪

未だシャッターが上がる前の仲見世
P1080498 浅草 仲見世m.JPG

伝法院通 仲見世左手
P1080499 浅草 伝法院通ml.JPG

スカイツリー 仲見世右手
P1080500 スカイツリーm.JPG

宝蔵門が見えて来ました。
P1080501 浅草 仲見世 浅草寺m.JPG

五重塔と宝蔵門
260108084859734 浅草寺ml.JPG
踏まれる心配もなく、鳩ものんびり歩いていました。

(つづく)

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2025年12月16日

泉岳寺(3)浅野家と赤穂義士の墓

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2025.12.10 低山はいかい倶楽部

さて、いよいよ浅野家と赤穂義士のお墓へお参りです。ここからは300円のお線香代を納め、竹皿に山盛りのお線香を頂いて参ります。
「二本ずつお供えして下さい」
とのことでしたが、喉が弱い私は燻されるのがしんどくて少し多めにお供えしていたら、当たり前ですが足りなくなり周りの方々が少しずつ分けて下さった次第。しかし、皆さんは何故余っていたのか…? 

浅野長矩(内匠頭)公のお墓
PC100100 泉岳寺 浅野長矩の墓m.JPG
元禄一四(1701)年、松の廊下での刃傷沙汰で即日切腹。喧嘩両成敗の後定法に反し、吉良公にはお咎めなし。さぞ無念だったことでしょう。

浅野家のお墓
PC100101 泉岳寺 浅野家の墓m.JPG

八房の梅
PC100102 泉岳寺 八房の梅m.JPG
元禄十五(1702)年、大石内蔵助と間瀬久太夫が主君の仇討ちの成功祈願のため、明石の月照寺へ参拝した折、間瀬久太夫が祈願の証として持参の梅を移植した「一つの花から八つの実を結ぶので八房の梅」の後継梅。
私は明石で、人麿山 月照寺、柿本神社に参拝し「八房の梅」にも出会ってきたので驚きました。

明石 柿本神社の八房の梅 2019.04.30
P4300662柿本神社 八房梅 (207x310).jpg P4300660柿本神社 八房梅 (207x310).jpg
P4300661柿本神社 八房梅 (440x293).jpg

明石 月照寺の八房の梅 2019.04.30
P4300679月照寺 八房梅 (440x293).jpg
「八房の梅」「人丸社」にもありましたが、こちらの方が古そうなので親株でしょうか? 本当に一つの花に八つも実が生るのか分かりませんが、少なくとも3〜4の実が一カ所についていて、それが2か所くっついていたら、八房に見えるかもしれません。 これは五房でした、惜しい!

<参考過去ログ>
「明石探訪(5)人丸山 柿本神社」
「明石探訪(6) 人麿山 月照寺」

義士たちのお墓
PC100103 泉岳寺 志士たちの墓m.JPG
四十七士に加え、仇討ちを熱望しつつ叶わず前日に切腹した萱野三平を加えた四十八名のお墓があります。

大石良雄(内蔵助)のお墓
PC100104 大石内蔵助の墓m.JPG

大石主税のお墓(良雄の息子)最年少 享年16歳
PC100105 泉岳寺 大石主税の墓m.JPG

堀部安兵衛のお墓
PC100106 泉岳寺 堀部安兵衛の墓m.JPG
最長老 堀江弥兵衛(享年77歳)の養子 討ち入り時の死者無しを成し遂げた戦略的武闘派。
戒名 刃雲輝剣信士
義士たちの戒名には、全て「刃」の文字が頭にありました。

PC100107 浅野家と四十七士の墓 義士祭提灯m.JPG
安らかなれ…合掌

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2025年12月15日

泉岳寺(2)山門・本堂・井戸

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2025.12.10 低山はいかい倶楽部

萬松山 泉岳寺 山門
PC100093 泉岳寺m.JPG
嘗ては、手前の中門の外に総門もあり、3つの門構えだったのだそうです。総門跡は見ることが出来るのでしょうか。

この日、不思議なご縁の巡り合わせで訪れた泉岳寺では、丁度、地元の小学生たちが自作の解説書きを手に一生懸命のガイドを繰り広げていました。
PC100095 泉岳寺 小学生のガイドm.JPG
地元の出来事から歴史に興味を持ち始める良い切欠にもなりますね。人前で話をするのは得手不得手があるように、解説書きの方に力を発揮した子も居ることでしょう。小学生とは思えない美しい文字や内容にも目を見張りました。

12月12日〜14日には義士祭もあるそうです。
PC100085 義士祭ポスターm.JPG
遥かな時を超えても愛される赤穂義士。彼らはこんな未来をどう思っているかしら。嬉しくない筈はないですよね。生まれ変わってこの地に住んでいる義士もいるかもしれません。

本堂へ
PC100097 泉岳寺m.JPG

萬松山 泉岳寺 本堂
PC100096 泉岳寺m.JPG
泉岳寺は曹洞宗(禅宗)のお寺。先ず、本堂にお参りです。
曹洞宗と言えば、行く年来る年で映像が流れる福井の永平寺、横浜鶴見の総持寺の2つの本山があります。

元は外桜田(現ホテルオークラ近辺)に徳川家康公により、慶長一七年(1612)年創立されましたが、寛永一八(1641)年 寛永の大火で消失、高輪に移転。家光公は、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じて復興を進められました。浅野家と泉岳寺のご縁はそれ以来とのこと。

本堂の扁額「獅子吼(ししく)」
mPC100098 泉岳寺 扁額 獅子吼.JPG
文政二年(1819) 卯八月 中将源齊宣 とあります。
中将齊宣は薩摩藩第九代藩主 島津斉宣公(天璋院篤姫の義理の祖父)官位は左近衛中将

「獅子吼」とは、お釈迦様の説法のこと。
百獣の王の咆吼が悪や魔を平伏させる如き力を持つの意。

首洗いの井戸
PC100099 泉岳寺 井戸m.JPG
義士が本懐を遂げ討ち取った吉良上野介公の首を洗ったと伝わる井戸です。痛ましい思いで井戸を写すのは憚られ、脇から失礼しました。

脇から拝んだお蔭で、玉垣に『オッペケペー節』で有名な川上音二郎(かわかみおとじろう)の名をみつけました。音二郎は泉岳寺の赤穂義士の墓が荒れ果てているのを見て、貧者救済の名目で寄付を行ない、その寄付で寺は首洗の井戸をも整備したのだそうです。有り難いことです。

吉良公は、赤穂義士からみれば宿敵ですが、領地では名君と伝わります。討ち入りは、逆恨みによりテロ行為とも…。そんなお互いの悲しい思いも「オッペケペー」の声が聞こえてくると、癒やされるようで救われました。恨む心に支配される人生は勿体ないです。

そう言えば、こちらが、2025年の名言第2位です。

「誰かを許すのは、その人のためじゃない 
 許せない相手に、自分の人生を支配させないためだ」

 旅人KAD氏が、旅先で出会ったドイツ人にもらった言葉

(つづく)

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2025年12月14日

泉岳寺(1)中門・参道

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2025.12.10 低山はいかい倶楽部

本日は雨、討ち入りの時は雪になったといますが、この後、どうなることか…

先日、縁あって泉岳寺へ詣で、浅野家と赤穂義士のお墓にお参りしてきました。

萬松山 泉岳寺 中門
PC100087 泉岳寺 中門m.JPG

中門の扁額
PC100088 泉岳寺 中門 扁額.JPG

中門脇の小門から中へ
PC100089 泉岳寺 中門 通用口m.JPG

山門へ至る参道
PC100090 泉岳寺 山門へm.JPG

山鹿龍陣太鼓を掲げる参道の小泉商店 
PC100091 泉岳寺 参道のお店m.JPG

門前の日本料理「紋屋」
PC100092 泉岳寺 参道 紋屋m.JPG
静かな佇まいながら、知らず引込まれそうな雰囲気。

萬松山 泉岳寺 山門
PC100109 泉岳寺 門m.JPG

萬松山 泉岳寺 境内図
PC100108 泉岳寺 境内図ml.JPG

(つづく)

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2025年06月22日

宝登山(8)寶登山神社(里宮)参拝

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2025.05.03 埼玉森林インストラクター会 自然散策会

行きには時間の都合で鳥居下でご挨拶しただけだった寶登山神社に参拝。

長い階段を昇ります…
P5031763 寶登山神社m.JPG

寶登山神社 拝殿・本殿
P5031758 寶登山神社m.JPG

【ご祭神】公式HPより
神日本磐余彦かんやまといわれひこのみこと
我が国をお肇はじめになられた初代・神武天皇で、皇室のご祖先にあたります。九州の日向の国を出発してから瀬戸内海を経て河内、そして紀伊に迂回をし熊野、艱難辛苦の旅の末ついに中洲の大和に入り、橿原の地にて御位につきました。

大山祇神おおやまづみのかみ
山を司る神、人の生活に欠かせぬ水に始まり動植物、いわゆる山の幸を無限に恵み給う神。神犬の大口真神を御眷属としてお使わし下さり我々をご守護下さいます。

火産霊神ほむすびのかみ
ホは火を表し、ムスビは物を生成する神秘の力を表し、燃え盛る炎が人の生活に必要な様々なものを生み出しして無限の幸を授けて下さると共に、火を司って下さる。

【ご由緒】
 今からおよそ1900年の昔の事、第12代景行天皇の皇子日本武尊が東国平定後に秩父の地にお入りになり、秀麗な山容に魅了されミソギを済ませ山頂へと向かいます。しかし突然の山火事に進退が極ったその時忽然と山犬たちが出現し瞬く間に火を消し止め、尊一行を頂上まで案内すると山犬たちは姿を隠してしまいました。この不思議に尊は山の神が御眷属の大口真神たる山犬をお遣わしになり、自分たちを救ってくださったとお悟りになり、山頂に神籬を設え尊の祖先にあたる第一代神武天皇・山の神の大山祇神・火の神火産霊神を祀り、山の名を「火を止める山」と表し「火止山=ほどさん」と定めました。このことが寳登山神社の始りと伝えられるのです。

P5031757 寶登山神社m.JPG

P5031756 寶登山神社m.JPG

帰りの時刻でも、沢山の参拝者で賑わっていました。
P5031761 寶登山神社m.JPG
境内はとても広い様子でしたが、残念乍ら急ぐメンバーもあり、またの機会に…。

神楽殿
P5031762 寶登山神社m.JPG
フラメンコ×神楽「ヤマトタケル」奉納演舞
〜フラメンコの情熱と神話の融合を体感〜 の準備中で、神楽殿でフラメンコを舞うという不思議な風景を垣間見られました。神様も異国の舞いを楽しまれたことでしょう♪
 
案内のポスターより
「スペインを発祥の地とするフラメンコと、日本神話に登場するヤマトタケルノミコトをフラメンコダンサー永田健氏が情熱をもって演じます。神話との融合は見応えがあり、スペイン大使館でも絶賛されたステージを奉納いたします。」

(つづく)

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