2023年03月01日

官ノ倉山 と 周辺 (4)北向不動・八幡神社・小川町


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 石尊山から小川町方面に下る途中の右手に急な細い長い階段が見えてきました。これが北向不動のようです。折角来て未だ余力もあったので、頑張って登ることにしました。北向きなので薄暗く神秘的な雰囲気が漂っています。

北向不動 長い急階段
P1092631 北向不動 階段m.JPG

P1092634 北向不動m.JPG

北向不動尊のお堂      下りの方が要注意
P1092632 北向不動s.JPG P1092633 北向不動 階段下りs.JPG
北向きの仏尊は一際霊験あらたかと伝わっているそうで、北向地蔵尊なども時折見かけますね。

不動の滝          三十六童子供養塔
P1092635 不動の滝s.JPG P1092636 三十六童子供養塔s.JPG
お不動さんと滝、またしてもありましたが、ここの滝は修験の水行をするような大きな滝ではありません。

高尾山でも三十六童子はお不動さまに仕えているとされますが「供養塔」というのが気になって調べてみると、どうも昔小作人を大事にして年貢を取り立てずにお不動さまの山からの利益で立て替えていた荘屋さんが、遂に支えきれなくなり村を去る事になった時、三十六戸あった小作を童子に見立て、共に営んできた村の足跡として建立したものと伝わっているそうです。

巳待供養塔・二十二夜供養塔・庚申塔
P1092637 二十六夜供養塔などm.JPG

登山口前のトイレ      ビワ
P1092639 トイレ登山口s.JPG P1092640 ビワs.JPG
登山道を下りて車道とぶつかるT字路を右手にゆくと綺麗な公衆トイレがあります。このハイキング・コースは木の香りの新しいトイレが設置されていて気持が良いです。

花の少ないこの季節、ビワが随所で花を咲かせていました。ここでは既に終わっていましたが、やがてビワの実になる片鱗が見えます。

見逃しやすい道標      ここに出る(振り返って)
P1092641 見逃しやすい道標s.JPG P1092643 ここに出てくるs.JPG
川(水路)を右に渡る道標は、うっかりしていると見逃しやすいので要注意です。グーグルマップを見返さなかったら通り過ぎてしまうところでした。その先はまた山道になっていて、そこを抜けて振り返った処が右の写真です。

異形となったケヤキの巨木
P1092644 ケヤキ巨木s.JPG P1092645 ケヤキ巨木s.JPG

その先も道標はポツポツとあるのですが、どうも方向を失うような道で小川町方面へ出るのに迷いがちでした。小川町方面から歩く人用の道標は、逆から見ると見づらいのです。観光案内に携わる方に、一度見直して頂きたいものです。

立派な門
P1092646 長福寺?m.JPG

郷社八幡神社
P1092656 八幡神社m.JPG

八幡さまや弁天さまの境内で遊んで育ったので、八幡さまと弁天さまは、素通りできません。丁寧にお参りさせて頂きました。

P1092647 八幡神社m.JPG

P1092648 八幡神社m.JPG

P1092649 八幡神社m.JPG

狛犬(手前の新しめの一対)
P1092655  八幡神社 狛犬s.JPG P1092654 八幡神社 狛犬s.JPG

狛犬(拝殿前の古めの一対)
P1092652 八幡神社 狛犬s.JPG P1092651 八幡神社 狛犬s.JPG
向かって右手の狛犬の方が、更に古そうで何とも愛らしい表情です。

八幡さまのご眷属「鳩」   拝殿の扁額
P1092653 八幡神社 眷属鳩s.JPG P1092650 八幡宮 扁額s.JPG

八幡さまの参道の桜並木は開花時にはさぞ見事なことでしょう。他にも長福寺、古墳や、名跡等いろいろあり、ゆっくり見て回りたかったのですが、何処でお蕎麦を頂くかの方にも気がいってしまい、次回のお楽しみとしました。

図書館           酒造
P1092657 図書館s.JPG P1092658 酒造s.JPG
「和紙の里」「武蔵の小京都」とも呼ばれる歴史ある小川町の風景に合う素敵な図書館。見学や試飲もできる酒造が幾つかあって次の機会の訪問が楽しみです。今回は相棒が車で帰る予定なので、残念ながらパスでした。

お稲荷さん         武州めんの天ぷら蕎麦
P1092661 お稲荷さんs.JPG 1677815816686 蕎麦s.jpg
お蕎麦屋さんの前に「名物 いなり寿司」に誘われてお土産に購入。相棒のケロが検索して決めた駅の先の武州めんに落ち着きました。うどんの有名店で蕎麦を頼んだ相棒の写真です。お芋の天ぷらがとろけるほど柔らかで甘くて最高でした。私は素直にうどんを頼んだのですが、これがまたアゴが外れるほど固いうどんで参りました。いくらなんでも固すぎない?地元の人にはこれが普通なの? お昼すぎにも関わらず大賑わいで、座敷に上がらないと座れない程でした。

小川町は歴史と文化の町、まだまだ興味のある場所が沢山あります。外秩父七峰と共に引き続き探ってみます。

(おわり)


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2023年02月28日

官ノ倉山 と 周辺 (2)三光神社・天王沼(池)


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2023.01.09

 重要文化財 吉田家住宅を後にして更に官ノ倉山への道の途中、地元を治めていた竹沢氏の子孫が創建したという三光神社さんに参拝。

三光神社
P1092609 三光神社m.JPG

三光神社ご由緒
P1092608 三光神社由緒m.JPG
 
 ご由緒を読めば、今は「月日星」の三光としていますが、元は「北辰妙見大菩薩」=北斗七星を祀っていたとのこと。ご縁のある私、道理で心惹かれた訳です。

三光神社摂社         ご神木(スギ)
P1092610 三光神社摂社s.JPG P1092611 三光神社ご神木s.JPG

紅梅(八重寒紅?)      キーウィ
P1092607 紅梅s.JPG P1092613 キーウイs.JPG
早咲きの紅梅がほころび始めていました。 キーウイも鈴生り! 収穫せずに追熟させているのでしょうか。

天王沼(池)        
P1092615 天王池m.JPG
大きな灌漑用水の沼池。

P1092616 天王池m.JPG
大分落ち葉が堆積しているようで、かい掘りした方が良さそうな…? ただ、こう言う浅瀬もある方が、カエル等の産卵には助かるでしょうね。

東屋             小さな神社
P1092614 池ノ端の東屋s.JPG P1092617 神社s.JPG
ほとりには東屋があり、桜の咲く頃には賑わいそうです。 こちらの神社は、ごめんなさい、手を合せるだけでご祭神も確認していませんでした。場所的に水神さま関連でしょうか。それとも「天王沼」なので、牛頭天王で八坂神社?

(つづく)


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2023年02月07日

秩父・水潜寺(破風山つづき)


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満願の湯でゆるりとつるつるの温泉に浸って温まった後、バスに乗り、朝下車した華厳の滝方面に戻り「札所前」下車、秩父札所三十四番の結願の寺へと向かいました。札所巡りは未だ終わってないのに、先に満願の湯に入ってしまいましたが、大丈夫なのかな・・・?

水潜寺(すいせんじ)は、埼玉県秩父郡皆野町の曹洞宗寺院
山号は日沢山(にったくさん)
本尊は千手観世音菩薩
秩父三十四箇所、日本百観音霊場「結願(けちがん)」の寺

秩父札所三十四番 日沢山 水潜寺HP

バス停の直ぐ前から、苔むした参道が続きます。

目を惹かれる美しい苔     二界萬霊を鎮める石塔
P1192734 苔s.JPG P1192723 二界萬霊s.JPG

水潜寺境内図
P1192724 水潜寺境内図m.JPG

有り難い観音さま方がお出迎え
P1192725 日本百観音結願所m.JPG

六地蔵
P1192726 水潜寺 六地蔵.JPG

本堂
P1192727 水潜寺本堂.JPG

長命水の傍らの水掛け地蔵に祈願中のつーさん 可愛い苔たち
P1192728 水潜寺 長命水s.JPG P1192736 苔s.JPG

水潜りの岩屋へと続く道
P1192729 水潜寺 岩屋へm.JPG
水潜りの岩屋は、残念乍ら現在非公開でした。

讃佛堂
P1192731 水潜寺 讃仏堂m.JPG

お札を頂くのに一生懸命で、観音堂を撮っていませんでした・・・(T0T)

千手観音さま         日沢山水潜寺のお札
P1192732 水潜寺 千手観音s.JPG sDSC_0159 (002) 水潜寺お札.jpg

今度はお見送りして下さる観音様方
P1192733 水潜寺 百観音m.JPG

帰りのバスがなかなか来なくて、日陰の寒さの中、苔などを観察。満願の湯で温まっていて幸いでした。

地衣類のハナゴケ属の仲間 アカミゴケ?(参考)5月に見た似たもの
P1192730 白い地衣類s.JPG P5218324 鳩ノ巣 地衣類s.JPG

苔たち 苔や地衣類、未同定のままの掲載でごめんなさい。分かり次第追記します。
P1192737 苔m.JPG

P1192735 苔m.JPG

破風山は、素晴らしい眺望、バラエティに飛んだ山道、古から続く信仰の山、また植生も豊かで、とても魅力的な山でした。
また、花の頃に再訪したい山リストが増えました🎵


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posted by 山桜 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月27日

千葉 照葉樹の森 八幡神社の新年お飾


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 裏山にモクレイシの自生があるということで訪れた塩浦の富士嶽浅間神社では、丁度、氏子の皆さんが集まって新年を迎える準備中でした。鳥居等に飾られているのは、3つのダイダイ、ウラジロ、そしてしたに下げられている海藻は昆布ではなく、ホンダワラ。

 プチプチの玉が沢山ついたホンダワラは、玉藻(魂の宿る藻)として、また、俵に見立てて「穂俵」として、縁起の良いものとされているそうです。

 この玉に関して、下に掲げた「稚児参り」の風習から私が連想したのは、乳房ですが、どうでしょう。おっぱいが沢山出るというのも子育てには大切なことですよね。若しくは、子宝そのものかもしれません。ホンダワラからは、子沢山のイメージも湧いてきます。

富士嶽浅間神社 鳥居  2022.12.25
mPC252445富士嶽浅間神社(塩浦).JPG
門松やお飾が海風にそよいで清々しいです。

富士嶽浅間神社 扁額
PC252446塩浦富士嶽浅間神社 扁額m.JPG

お正月飾り
PC252461塩浦富士嶽浅間神社お飾m.JPG
竹ひごで刺して三つ寄せられたダイダイとホンダワラが地域ならではですね。ダイダイは、代々続くの縁起物。その下にホンダワラだと、やはり子孫繁栄の願いが込められているように感じます。

一心に注連縄を縒っていらっしゃる氏子の皆さん
mPC252450塩浦富士嶽浅間神社.JPG

鎮守様の為に皆で力を合わせる姿、素敵です。
mPC252449塩浦富士嶽浅間神社.JPG

朝日が差し込んで神々しく静粛な雰囲気でした。
mPC252451 塩浦富士嶽浅間神社.JPG

<追記>
 注連縄についてメッセージを頂き、思い出しましたが、こちらでは藁は海水(潮水)に漬けてから綯っていらっしゃるそうです。そのままよりもずっと持ちが良くなるそうです。その他に柔らかになって綯いやすいと伺ったように思うのですが、既に記憶が曖昧で情けないです。メモしておけば良かった・・・。もう、自分の記憶力に自信が無いので、これからは出来るだけきちんとメモを残すことにします。


mPC252452塩浦富士嶽浅間神社.JPG
拝殿からは鳥居越しに海が見えます。
長年潮風に打たれ、まるで見越しの松の様に異形となっているのは、なんとエノキでした。

稚児参りの看板
PC252443 (3)浅間神社看板m.JPG
富士山の山開きの日に合せて、祖父が稚児を背負って海に入り、潮垢離(しおごり)をするのだそうです。潮で厄を落とし、強く立派な子に育つのでしょうね。ずっと続いて欲しい、海辺ならではの羨ましい風習です。

(つづく)


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2022年06月13日

大船観音

 大分膝が良くなって来たのが嬉しくて、調子に乗って出歩き働き・・・ちょっと疲れが溜まって来たようで、今日の外仕事でぐったり・・・。

 こんな時、大船に住む人達は、大きな観音様の慈愛に包まれて癒やされるのでしょうね。羨ましいです。間近に拝めた観音様を思い出して、ぐっすり眠れますように・・・

 大船の観音様は白衣を纏われていて、どこか聖母マリア様にも似ているような・・・とても優しい眼差しです。

大船観音P6048705.JPG

大船観音P6048703.JPG

大船観音P6048707.JPG

 下半身が埋まっているという都市伝説もあるそうですが、半身像であの鎌倉の大仏様より10m以上も大きいのだそうです。もし、立像だったら更に巨大! でも、地盤が弱く立像は無理で半身像になったとのこと。 夢の中なら、立ち上がられた観音様に会えるかも・・・

 皆さま、良い夢を・・・おやすみなさい


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2022年06月12日

鎌倉 常楽寺 北条泰時・木曽義高・大姫の墓所

 昨秋、初めて訪れた常楽寺。その時は、期せずして裏山から訪問したので、木曽義仲の息子・義高とその許嫁だった源頼朝の娘・大姫のお墓?にお参りすることが出来ました。今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、悲劇的な義高の最後、そして大姫の姿を見ているので、再訪し感慨も一入でした。

 そして今回は、お参りし損なっていた北条泰時公のお墓に手を合せることが出来ました。金剛と呼ばれていた子役から、今日の放送で成人した泰時となっていて、こちらも又不思議な機会にお参り出来たものと思います。

粟船山常楽寺 山門
鎌倉 常楽寺P6078760.JPG

鎌倉 常楽寺P6078731.JPG

鎌倉 常楽寺P6078755.JPG

鎌倉 常楽寺P6078754.JPG

鎌倉 常楽寺P6078753.JPG

鎌倉 常楽寺P6078749.JPG

「御成敗式目」で武家政治の基礎を作った三代執権 北条泰時公のお墓
鎌倉 常楽寺 泰時墓小P6078733.JPG 鎌倉 常楽寺 泰時墓小P6078740.JPG
念願の泰時公の墓前に立ってお参りさせて頂いた後、恐れながら撮影したのですが、何枚撮ってもピントが合いません・・・立ち位置が良くないのかとずらしてみて、やっと撮ることが出来ました。

三つ並んだお墓の中央と左のお墓
鎌倉 常楽寺 中墓小P6078738.JPG 鎌倉 常楽寺 左墓小P6078739.JPG

三つのお墓
鎌倉 常楽寺 墓所P6078742.JPG
泰時公のお墓の方から撮ると、またピントが合いませんでした。立ってはいけない場所だったのでしょうか・・・気付かずにいて申し訳無いです。

鎌倉常楽寺墓碑P6078732.JPG

鎌倉 常楽寺P6078744.JPG

鎌倉 常楽寺P6078751.JPG 鎌倉 常楽寺 裏階段P6078763.JPG
今回は山門の方から訪れましたので、裏手の階段を上って

鎌倉 常楽寺 テリハノイバラ小P6078725.JPG 鎌倉 常楽寺 クチナシ小P6078770.JPG

木曽義高公の墓所
鎌倉 常楽寺 木曽殿墓小P6078764.JPG 鎌倉 常楽寺 義高墓小P6078765.JPG

姫宮の塚(義高公の許嫁・大姫 若しくは 泰時公の姫君説あり)
鎌倉 常楽寺 姫塚小P6078766.JPG 鎌倉 常楽寺 アジサイ小P6078777.JPG
前にも書きましたが、義高公のお墓から丁度見える位置でもあり、大姫のお墓であって欲しいと思ってしまいます。

前回は、竜胆の花咲く秋でしたが、今回は紫陽花や蛍袋の咲く梅雨時で、しっとり濡れた参道や苔の道が美しかったです。

鎌倉 常楽寺 ホタルブクロP6078728.JPG

鎌倉 常楽寺 ホタルブクロP6078727.JPG

脇の道沿いの店先で見かけた水鉢
鎌倉 常楽寺 裏P6078771.JPG

 ケロが鎌倉市に引っ越してくれたお蔭で、大好きな鎌倉散策を気軽に楽しめるようになり嬉しいです。本当は大阪や神戸にいる内に関西方面を歩き回りたかったけれど、コロナ禍で叶わなかった分、鎌倉を歩き回りたいです。

 嗚呼、鎌倉とんぼさんがご存命だったら「鎌倉殿の13人」を巡って、どれだけ興味深いお話が伺えたかと残念でなりません。お空の上から、あれもこれも物言いたいとヤキモキされていらっしゃる気がします・・・。

 常楽寺について詳しくは、昨年の記事をご覧下さい。
 「粟船山 常楽寺 その1」
 「粟船山 常楽寺 その2」
 「粟船山 常楽寺 その3」 


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posted by 山桜 at 22:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月18日

粟船山 常楽寺 その3(鎌倉)

 ブログ上では、山門をくぐって仏殿へと参拝したかのように掲載しましたが、実は、グーグルマップを見て歩いたので、ケロの所から最短の入口である常楽寺の裏手の崖、長い階段を上った先の公園から、『本当にここでいいの?』と恐る恐る坂を下っていったのです。

 何の看板も案内もないまま公園のフェンスの直ぐ裏にいきなり現れたのは、

「木曽塚」木曽義高(源義高)公のお墓
木曽義高墓 鎌倉常楽寺PB204642.JPG
 写真では光って読めませんが「木曽清水冠者義高公之墓」と刻まれています。
 義高公は木曽義仲(源義仲)の嫡男。源頼朝の娘「大姫」の許嫁(という形の人質)として兄妹のように鎌倉の地で仲睦まじく育ちましたが、同族ながら不仲だった頼朝により義仲が討ち取られると、義高暗殺の命が下りました。北条政子により密かに逃された義高でしたが、僅か12歳で逃亡途中の入間河原で命を落としました。

 木曽義高は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、市川染五郎さんが演じるのだそうです。えっ、12歳なのに!?と思ったら、八代目の染五郎さんだそうで、私の知っている染五郎さんの息子さんなのですね。

さらに崖を下っていくと、

「姫宮塚」
姫宮塚 鎌倉常楽寺PB204643.JPG
北条泰時の娘の墓説と大姫の墓説があります。義高と大姫の悲劇を思えば、大姫のお墓であって欲しいと思ってしまいます。義高が亡くなった10年程後、婚約者を失った哀しみ、病、政略結婚の策謀などに翻弄された大姫もまた17歳前後の若い命を散らしています。

「粟船稲荷」
粟船稲荷 鎌倉常楽寺PB204644.JPG
可愛いお稲荷さんが、幼くして亡くなった義高と悲劇のお姫さまのお墓を守ってくれているようでした。


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posted by 山桜 at 17:08| Comment(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月17日

粟船山 常楽寺 その2(鎌倉)

 お寺参りの魅力の一つは、手入れの良い植栽を愛でること。常楽寺で出会った私の好きな植物たち・・・

リンドウ(竜胆)リンドウ科 2021.11.20 鎌倉市
リンドウ鎌倉常楽寺PB204650.JPG
源氏の家紋であり鎌倉市の市章でもあるリンドウは、鎌倉の随所で見られますが、これ程美しい状態に出会えるとは!

リンドウ鎌倉常楽寺PB204648.JPG
一輪、岩陰で控えめに咲いている姿も良いものです。

ツワブキ(石蕗)キク科ツワブキ属
センリョウ(千両)センリョウ科センリョウ属
ツワブキ センリョウ 鎌倉常楽寺PB204652.JPG
お寺の下草の定番のように良く見かける植栽ですが、丁度ツワブキの花とセンリョウの実が盛りというのはなかなか見られないかもしれません。ツワブキもセンリョウも、本来、暖温帯の植物。ツワブキは海岸の岩場などに自生するので、正に自然分布地ですね。

トベラ(扉)トベラ科トベラ属
トベラ鎌倉常楽寺PB204655.JPG
トベラも暖温帯の海岸などに良くみられる木です。鎌倉は海沿いの暖地なのだと改めて気付きます。このあと実が弾けて真っ赤なタネが零れ出します。

イヌビワ クワ科イチジク属
イヌビワ?鎌倉常楽寺PB204645.JPG
イヌビワも同じく暖温帯の海岸に多い木です。実生が沢山生えていたので、きっと頭上に大きなお母さんの木があったのでしょう。崖の道でしたので足元ばかり見ていて、上を確認し損ねました。

イヌビワの実 むさしの自然観察園 2021.11.08
イヌビワPB084449.JPG
小さいけれど、イチジクにそっくりな実です。

前々から変だと思うのは、ビワはバラ科なのに何故にイヌイチジクではなくイヌビワなのでしょう? 実の形が似てるから??

また、得意の横道に逸れました。その3に続きます。


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2022年01月16日

粟船山 常楽寺 その1(鎌倉)

 昨年秋、鎌倉の端っこに引っ越したケロの所に遊びに行き、膝痛でも歩いて行けそうなお寺を探して参拝して来ました。

 今年の大河ドラマが「鎌倉殿の13人」ということも忘れてたのですが、このお寺に葬られている方々のお名前を見て、
「あ、そう言えば、来年の大河ドラマは・・・!」
と思いだし、鎌倉に注目が集まるこの時期に、ふいに繋がったご縁にハッとしました。

粟船山(ぞくせんざん)常楽寺(じょうらくじ)
鎌倉常楽寺PB204654.JPG
今は住宅街となった地の奥にひっそりと佇む山門
左手奥に大きく育った棕櫚が、東京より暖かな気候を感じさせます。常緑樹が多い中、未だ黄色い葉を残したイチョウの木が目立ちました。

鎌倉常楽寺PB204646.JPG

鎌倉常楽寺PB204647.JPG
扁額には「建長素堂」の文字もありました。元は密教系でしたが次第に禅宗色を強め、臨済宗(禅宗の一宗)としての創建は建長寺よりも古く、今も臨済宗建長寺派の素として重視されているそうです。

鎌倉常楽寺PB204653.JPG

宗派: 臨済宗建長寺派
本尊: 阿弥陀三尊
創建: 嘉禎三年(1237年)
開基: 北条泰時(やすとき)鎌倉幕府第3代執権
    (第2代執権 北条義時の長男)
開山: 退耕行勇

 泰時は、大河ドラマのキャストで言えば、主人公の北条義時(小栗旬)の長男。鎌倉幕府北条家の中興の祖として、「御成敗式目」を制定したことでも知られていますね。泰時を演じるのは何方になるのか分かりませんが、いずれ登場するのではないでしょうか。

仏殿
鎌倉常楽寺PB204649.JPG

阿弥陀三尊
鎌倉常楽寺PB204659.JPG
中尊 阿弥陀如来、左脇侍 観音菩薩、右脇侍 勢至菩薩 

仏殿の裏手に泰時の墓所があるのですが、初めてで流石に奥まで踏み入る勇気無く、本堂前から手を合せました。

 山号の「粟船山」を見て、ピンと来られた方もいらっしゃると思いますが、「あわふな」=「おおふな」の名前の由来と関係ありそうです。このお寺の前身も「粟船御堂」(北条泰時夫人の母の追善供養の為に建立)だったそうです。

(つづく)


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2021年07月13日

国宝 聖林寺十一面観音菩薩立像展

聖林寺十一面観音立像.jpg
国宝 聖林寺十一面観音菩薩立像 霊園山・聖林寺HPより

 2021年6月22日(火)〜9月12日(日) 東京国立博物館・本館にて、国宝 聖林寺十一面観音立像展(東京国立博物館)が開催されています。(混雑緩和のため、事前予約制です。)

 こちらの十一面観音菩薩様が聖林寺の外へ旅に出られるのは初めてのこと。この歴史的お旅立ちには、なんと拙ブログにもお越し下さっている瓜亀仙人さんより、聖林寺ご住職への助言有ればこそと伺い、今更乍ら畏れ多きご縁に感動しております。

 ワクチン接種が済み、コロナ禍も収まってきたら、是非とも十一面観音菩薩様にご挨拶に伺いたく存じます。

 されば、どのようなご助言か気になりますよね? それには、歴史を紐解かねばなりません。以前に訪問した折に調べて書いた記事はこちら。2010年3月17日「霊園山・聖林寺」ですが、そこから関連箇所を抜粋しますと、

 大神神社の神宮寺「三輪山・大御輪寺(おおみわでら)」の元ご本尊。神仏分離令の発布前、廃仏の嵐を予期された聖林寺七代和尚・大心(三輪流十一面観音法を唯一伝授された三輪流神道の正嫡)により、大八車に乗せられ聖林寺へ移され難を逃れる。

 瓜亀仙人さん(雑草メロンを愛され亀の背の上にお住まいでいらっしゃいます)のブログ「大和浪漫」へのコメントに頂いた返信によりますと、

 「国宝を収める収納庫の耐震工事の関係で、工事期間中、ご住職は十一面観音を預かって下さるところを探して迷っておられたようです。」 

 「ご住職は、十一面観音様が東京への長距離移動で、破損等しないかと心配しておられました。
私は、
 「明治維新の廃仏毀釈で、大神神社から大八車に載せられて、このお寺まで舗装されていない道をゴトゴトと揺られて来られた仏様じゃないんですか!今の技術だと、奈良国立へ行くのと東京国立へ行くのは、ほぼ同じゃあないんでしょうか?オリンピックの年だし、奈良まで来れないたくさんの人が、東京で待ってくれているはずですよ。」
と、申し上げたのです。」

 ありがたや、ありがたや・・・コロナ禍に苦しむ東京都民に観音菩薩様のご慈愛を分けてくださり、心より感謝申し上げます。

 東京国立博物館でお目にかかれた後には、是非、奈良の桜井市にある聖林寺へもお参りにお出かけ下さい。少し行きづらい所ではありますが、あのフェノロサも魅了された観音様に会うには、ゆっくり歩いて心静かに訪ねられるのが良いと思います。その際は、収蔵庫の修理が終わっているか、ご確認下さいね。


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2019年06月03日

六甲山(弓弦羽山)・御影石の由来



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 六甲山の名前の由来の一つが「武庫の山」と知り、また「武庫」という地名は今もあるとケロに聞いて嬉しくなり、その武庫地区の中の「御影」という地名にも興味が惹かれて調べていると・・・

 フィギュアスケートの羽生弦選手のファンの間で聖地となっている、神戸の「御影」にある「弓弦羽神社」の由来についての記載にふと目が留まりました。 大フィーバーで人が騒ぐと興味が持てないというヘソマガリの山桜は、今まで全くこの神社のことを調べたこともありませんでしたので、神戸を訪れたことで繋がりだしたご縁の不思議を感じます。

 社伝によれば、
「往古、神功皇后三韓より御凱陣の時、長門國豊浦より摂津國難波浦に向かわれる途中、忍熊王(おしくまのみこ)が兵を挙げたのをお知りになり、皇后自ら当地で弓矢甲冑を納めて熊野大神を斎奉しご祈念されたところ、戦には大勝し、それより後は諸々の願い事は、全て御心のままに叶いました。

 この故事により、神社背後の秀麗な峰を弓弦羽嶽(弓矢)とも六甲山(甲冑)とも言います。又、神功皇后がこの里の泉(澤の井・阪神御影駅南)に、お姿を写しになった故事によりこの里は「御影」(みかげ)となりました。」

 この「御影」の里が産地で御影の港から出荷された花崗岩が「御影石」の名前の由来ということも、恥ずかしながら初めて知りました。 鎌倉とんぼさんに大変お世話になり、この春の三回忌に建立することが出来たKさんの五輪塔も産地は違えてど「御影石」ということで、深い感慨を覚えます。 正に「おかげさま」でございます。 ご縁に深謝です。
posted by 山桜 at 10:52| Comment(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月28日

自凝(おのころ)島神社



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 毎度のこと電線が邪魔ですが、自凝島神社の遠望です。
P4270423自凝島神社 (440x293).jpg

P4270447自凝島神社 鳥居 (440x660).jpg
 見上げる程大きな真っ赤な鳥居は、未だ新しいもののようです。(昭和57年建立とのこと) 伊弉諾神社もそうでしたが、何だか新しくなってしまっていて、以前の姿を知りたく思ってしまいます。

 「自凝島神社」は「おのころ島神社」と公式HPでもひらがなで表記されてますが、古事記では漢字の音を借りて「淤能碁呂志摩」の表記、この石柱には「磤馭慮島」と刻されていました。
P4270445自凝島神社 (440x660).jpg

 有名な古事記の国生みの伝えによれば、
 「イザナギ・イザナミノミコトの御親神二柱は天の浮橋の上で、共に天の沼矛(あめのぬほこ)を持たれ、まだ混沌とした世界を「こおろこおろ」とかき回し、その矛を持ち上げられると、矛先からぽたりぽたりと滴りおちたものが自ずと凝り固まって島となったという、これが自凝島である。
  二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て、 先ず淡路島を産まれ、次々と大八洲(おおやしま)を産まれていかれた」とのこと。

P4270427自凝島神社 (207x310).jpg P4270428自凝島神社 (207x310).jpg

P4270429自凝島神社 (440x293).jpg

P4270440自凝島神社 (440x293).jpg
実はご一家で御祈祷を受けていらしたので、余り近づかず音も立てずそっとお参りをいたしました。 飽きてしまったのか、女の子が出たり入ったりしていたので、余計に気を散らさないようにと・・・。

P4270430自凝島神社 (207x310).jpg P4270431自凝島神社 (207x310).jpg
古い夫婦松(こえ松)の御神木     境内

P4270439自凝島神社・鶺鴒石 (440x293).jpg
鶺鴒(せきれい)石

 「伊弉諾命・伊弉册命の二神様は、この石の上につがいの鶺鴒が止まり夫婦の契りを交わしている姿を見て、夫婦の道を開かれ御子様をお生みになられました。」とのこと。
 ケロも「新しいご縁を授かりたい時」の手順に法り、良縁を真面目に祈っておりました。

P4270442自凝島神社 (440x660).jpg

 お参りを済ませ、大鳥居に向かって階段を下りながら、
「おのころ島に八尋殿を建て、次に生まれたのが淡路島ということなら、おのころ島と淡路島は別の島のはず。 この神社が建っている地は一体昔はどのような場所だったのだろう?」
 という疑問がむくむくと・・・

 帰宅して調べると、おのころ島は淡路島の東南に浮かぶ勾玉形をした「沼島(ぬしま)」説が有力で、その南東に立つ「上立神岩」は、その周りを巡りながら国生みをされたという「天の御柱」と伝わるのだそうです。 そして沼島には、「おのころ神社」が祀られています。 またもう一カ所、行かねばならぬ所が増えました。

おのころ島神社HP
posted by 山桜 at 23:37| Comment(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月27日

伊弉諾神宮(2)境内



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P4270399伊弉諾神社 (207x310).jpg P4270400伊弉諾神社 (207x310).jpg
カンサイタンポポ      ノジ?/ヒメ?スミレ
ノジスミレかヒメスミレか、葉や距などをきちんと見て来なくてはっきりせず、すみません。

P4270405伊弉諾神社 (440x293).jpg
P4270406伊弉諾神社 (440x660).jpg
夫婦大楠木
元は別々の2本の木が合体、樹齢約900年ですって。 今なお伸びやかに天に枝を伸ばしています。

P4270408伊弉諾神社 (440x293).jpg
お茶室「明日庵」
裏千家「今日庵」と関係があるのかな?と思ったら、第十二代家元 又玅斎(ゆうみょうさい)監修のお茶室で、こちらに寄贈移築されたのだそうです。
P4270409伊弉諾神社 (440x293).jpg

P4270410伊弉諾神社 (440x293).jpg

P4270411伊弉諾神社 (440x660).jpg
雨戸が閉められていて窓などの様子が拝見できず残念でした。

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放生の神池に掛かる赤い橋
P4270415伊弉諾神社 (210x140).jpg P4270416伊弉諾神社 (207x310).jpg
人影に群がりよる鯉たち      亀と蛙

P4270417伊弉諾神社 (440x293).jpg
出店の新名物?
「高くて旨いは当たり前、安くて旨いもんを考えた!」
とのこと。 250円だったかな? 
米粉?と玉ねぎと卵と紅生姜で、想像通りの味です^^;

P4270421伊弉諾神社 (440x293).jpg
「陽の道しるべ」
伊弉諾神宮を中心として、

・真東に伊勢神宮(内宮)
・冬至の日の出位置に熊野那智大社
・冬至日の入り位置に高千穂天岩戸神社
・真西に對馬海津神社
・夏至の日の入り位置に出雲大社
・真北に出石神社
・夏至の日の出位置に藤原京・諏訪大社

これらが何を意味するのか、壮大な思いが広がります。

伊弉諾神宮 公式HP
posted by 山桜 at 22:40| Comment(2) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊弉諾神宮(1)鳥居〜本殿



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 東京を出る時には、まさか淡路島に渡るとは夢にも思っておらず、漠然といつか必ず行きたいと思いつつ、何の下調べもしていなかったので、淡路SAの観光案内のカウンターで地図を頂き、絶対に欠かせない淡路の國一の宮・伊弉諾(いざなぎ)神社と自凝島(おのころじま)神社を参拝することにしました。

 伊弉諾大神の幽宮(かくりのみや)の上に鎮座の神社ということで古色蒼然としたお宮さんを想像していたのですが・・・
P4270383伊弉諾神社・鳥居 (440x293).jpg
 真新しく明るい雰囲気の神明鳥居と灯篭群にちょっと拍子抜けしました。 阪神淡路大震災で以前の鳥居・灯篭等は倒壊してしまい、再建されたのではないかと思います。 震災前の鳥居などの様子を知りたいと、ネット検索を掛けてみましたが、見当たりませんでした。 若し次に来られたら、歴史資料館等を見て周ってみたいです。 

P4270384伊弉諾神社・太鼓橋 (440x293).jpg
伊弉諾の命の幽宮のお濠の名残と伝わる「放生の神池」に掛かる太鼓橋を渡り、

P4270868伊弉諾神社・手水 (440x660).jpg
手水(ちょうず)舎へ。 龍口から水が湧き出でていることが多いのですが、こちらでは亀さんの口から。 そして「盥漱」の文字が刻まれた石は「船型」に見えます。 「亀と船」海人族の文化でしょうか?
P4270385伊弉諾神社・手水 (440x293).jpg

P4270387伊弉諾神社ゆるキャラ (207x310).jpg ゆるキャラさん方のお出迎え
 囲まれても恥ずかしいので
 そっと後ろを失礼しました。

 左が「あわ神(じん)」
 右が「あわ姫(ひめ」
 というお名前の様です。

 ご興味がありましたら
 下記のサイトへどうぞ
 淡路市マスコットキャラクター
 あわ神のプロフィール


 


P4270388伊弉諾神社・注連縄 (440x660).jpg
神門には「一宮皇大神」の文字。 地元では「いっくうさん」と親しまれているそうです。
注連縄から下がる紙垂が、見慣れた雷型のものではなく、大麻(おおぬさ)のように房のようになっていました。
その間に下がっている三つ編みが絡んだようなものは何という名で、どんな意味があるのでしょう?

P4270869伊弉諾神社・神官 (210x140).jpg P4270390伊弉諾神社・巫女 (210x140).jpg
凛々しく清々しい神職さんと巫女さん方

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拝殿は、舞殿も兼ねる入母屋造。 
P4270393伊弉諾神社 (440x293).jpg
来たる令和の佳き時代と大神さまの弥栄を祈りました。

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本殿と祓殿の間に掛かる渡り廊下
(祓殿で身を清めてから本殿に渡る習わし)

P4270401伊弉諾神社 (440x293).jpg
本殿は、三間社流造向拝付(桧皮葺きの屋根が前方の幣殿と連結し一屋根に見える)
本殿大床下には、神陵を築いていた数十個の聖なる石が格納されているのだそうです。
P4270403伊弉諾神社 (440x660).jpg
今の本殿は、嘗て伊弉諾大神の幽宮・神陵のあった墳丘を明治時代に整地して移築されたもので、以前は禁足地であり、本殿も墳丘前に鎮座していたとのこと。 何故神陵の墳丘を整地してまで移築したのか、その理由はなんなのでしょう?

P4270395伊弉諾神社 (440x293).jpg
静かな本殿裏 新緑、木漏れ日、小鳥の声・・・こちらも嘗ては私など足を踏み入れらない禁足の地だったのでしょう。 暫し古に思いを馳せ手を合せる時をお許しください。(つづく)

伊弉諾神宮 公式HP
posted by 山桜 at 22:20| Comment(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月08日

「花祭」甘茶と蓮根



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 お釈迦様のお誕生日「灌仏会」の4月8日、久々のオフ日で残り一錠となった花粉症の薬を頂きに病院へ行った帰り道、「花祭り」「甘茶」の文字に誘われて門を潜ると・・・
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 ご住職が満面の笑みで手招きされ「甘茶」を振る舞ってくださいました。 甘茶を頂いたのは初めてではないと思うのですが、余りにも美味しく優しい甘み(上品ながら甘味はとても強い)で程よい温かさの甘茶は正に「甘露甘露」で五臓六腑に沁み渡り、身体の中から元気が湧いて参りました。
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境内にはアマチャの木も植えられていました。
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アマチャ/甘茶 アジサイ科(APG分類)
ヤマアジサイの甘味変種とされる。 ガクアジサイには中毒成分があるが、アマチャにはない。 但し、余り濃い甘茶は避けるべき。 生葉に甘みは無いが、下記のように乾燥・発酵させることにより甘味成分を生ずる。

<甘茶の精製法など:養命酒さんのサイトです>
https://www.yomeishu.co.jp/genkigenki/crudem/140327/index.html

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「天上天下唯我独尊」と発声されながらお釈迦様がお生まれの時、九頭竜9匹の龍が産湯の為に降り注がせたという「甘露」に因み、お釈迦様にも甘茶をお注ぎ掛けました。

 私が余り何度も美味しい美味しいと感激して言ってしまったので、ご住職はペットボトルにも甘茶を入れて持たせてくださいました。 その上、ふと目に留まった睡蓮鉢にプカプカ浮かぶ蓮根の訳をお尋ねすると、
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「植え替えで出た蓮根ですので、よろしかったらお分けしましょうか?」
と、夢のような嬉しいお申し出。 仏縁に感謝申し上げ、元気な芽が出始めた蓮根を2本もありがたく頂戴し、大事に持ち帰りました。 今年は、茶碗蓮の種も入手したばかりで、蓮の船が同時に着いたようです。 上手く咲かせられたら嬉しいことです。
posted by 山桜 at 23:08| Comment(2) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月04日

奥多摩不思議空間(4)カモシカの守る小河内神社


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「浮橋」を渡って見上げると、「鶴の湯温泉」が見えました。 女将さんの具合が良くないということで、少なくとも来年の3月までは休業とのこと。

P8034902鶴の湯温泉下1412 (443x332).jpg

 奥多摩湖の周りは「温泉」だらけですね。 源泉は湖底に沈んで、そこからポンプか何かで引き揚げているのでしょうか? どうしてあんなに高い所に温泉があるのか不思議です。 そしてどうして火山も無いのに、そんなに温泉が湧き出ているのかも不思議です。 どんな地脈が流れているのでしょう。

 そんなことを考えて道の先を見れば、古墳のような火山のような綺麗な三角の山容・・・

P8105031小河内神社の山 (443x332).jpg

 そこが目指す「小河内(おごうち)神社」のご神域です。                    

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 早速、道案内の「猿田彦大神」がお出迎えくださいました。

P8034943藤棚下ベンチ1446 (443x590).jpg
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 参拝者の為に藤棚のある休憩場所を提供してくださっているのは、参道入口の優しい方。 氏子さんなのでしょう。 猿田彦さまの化身かもしれません。 渡って来た浮橋が綺麗に見渡せました。

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 またもや夢幻のような美しい湖の風景なのに、電線が邪魔ですね。 ありがたい電気を送ってくれているのに罰当りですが、風景的には興醒めで・・・ごめんなさい。

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 余りにも嬉しい出会いで一足先にご紹介してしまった、耳をクルクルしてお話してくれるカモシカさんのお出迎えです。 本当に澄んだ美しい目でまっすぐ見詰められ、心の底まで見透かされた気持ちになりました。
その記事はこちら⇒ 「ニホンカモシカ 耳をクルクル」

P8034929小河内神社鳥居1427 (443x590).jpg

 長い長い真っ直ぐ歩けないような急な坂道、暑い暑い日でした・・・やっと辿りつき小河内神社の鳥居を拝めてホッとしましたが、今度は長〜い階段です。 (左手に優しい女坂があったのに気付いたのは帰り道でした。)

P8034930小河内神社階段 (443x590).jpg

P8034932小河内神社1429 (443x332).jpg

 喪中の身ですので、これ以上踏み込むのは控えここで、手を合せ首を垂れました。

P8034937小河内神社向かいの祠 (443x590).jpg

 神社の向かい側の小山の上に梯子が掛かっていたので上ってみると、小さな祠が祀ってありました。 ご由緒などは何もなく、静かな佇まいでした。

P8034938 (443x590).jpg

 その小山の上からの小河内神社

P8034941小河内神社慰霊塔 (443x332).jpg

 慰霊塔にも手を合せ・・・バスの時刻に間に合うように、また坂を下りていく途中、あのカモシカが見送っていてくれて、何だかジーンと心が温まるような別れが寂しいような気持ちでした。

P8034944ビール (210x280).jpg 奥多摩駅に戻って来て、またまたビールが美味しいお店で一息入れました。 なんでしょうねぇ、この一杯のビールの為に、一日歩き回っているのかもしれません。 皆さんは美味しいビール、一気に飲み干していらっしゃいますか? 
posted by 山桜 at 21:30| Comment(4) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月21日

奥多摩の不思議空間(1) 大寺山

                    
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 あれは真夏、猛暑のまっ只中だった頃の奥多摩ハイキング、実際にこの目で見た筈なのに、まるで夢だったような、今、こうして思い出してみても、どこか異国か異空間を歩いたような不思議な光景だった。

P8034766金風呂バス停1054 (443x332).jpg
先ずは登山口のバス停名からして「金風呂」とはいかに・・・「きんぶろ」ではなく「かなぶろ」と読む。 この辺りのバス停には珍名が多く、メディアに取り上げられることも多いが、はっきりとした地名の由来は示されていない。 温泉が出た地域らしいが、多くの源泉は湖底に沈み名前だけが残ったのだろうか?
漢字は後付けなので、音だけで「かな・ぶろ」としてみると「かみな・むろ」=「神様の宿る山(御室)」の可能性もありやなしや?

P8034768金風呂旅館1100 (210x158).jpg P8034769大寺山登山口1100 (218x290).jpg
「すずめのお宿」などという結界めいた名前の旅館を横目に「大寺山」登山口に入る。 

P8034770カワラナデシコ1100 (207x310).jpg P8034772ヒオウギ1104 (218x290).jpg
カワラナデシコ(大和撫子)に ヒオウギ(檜扇、秘奥義)のお出迎えも意味深なこと。

        P8036165ヒオウギ.JPG

P8034775イヌザンショウ1114 (210x140).jpg P8034777イタチハギ? (210x140).jpg
イヌザンショウ(犬山椒)にイタチハギ(鼬萩)とは、何の魔除けかと。

P8034778?神社1118 (210x158).jpg P8034779石塔群1118 (210x158).jpg

由来の分からない神社には、こちらも縁の分からない大小の石群が並ぶ。 湖底に沈んだ村から移され祀られているのかもしれないが、何も書いていないので分からない。 話を聞こうにも炎天下に人は見当たらなかった。

P8034780石塔群1118 (210x158).jpg P8034781石祠1118 (218x290).jpg

まだまだ続く石碑群・・・一つ一つ刻まれた文字を確かめる時間も無く、せめて小さな祠に手を合せる。

P8034782廃屋1120 (218x290).jpg P8034784道標1120 (210x158).jpg

焼杉の美しい廃屋には、住んでいた人の住まいへの愛情が残されているように感じた。 

P8034785石窟1120 (218x290).jpg P8034796崩壊路肩1134 (210x158).jpg
こちらにも小さな石室が・・・   先の台風の影響か大きく削られた路肩

P8034803廃ミキサー車1142 (210x158).jpg P8034787崩壊斜面1128 (210x158).jpg
ミキサー車が落ち葉に埋もれ、林道の斜面は、あちこちが崩れている。

P8034804日本山妙法寺1149 (210x158).jpg P8034805日本山妙法寺1150 (210x158).jpg
「日本山妙法寺」と書かれた建物

「日本山妙法寺」とは何ぞやと検索してみると、ナント! 次のような一文が・・・

 「本年(2018年)は、「日本山妙法寺」開創百周年にあたります。大正7(1918)年10月22日、中国遼陽(旧満州)に最初の「日本山妙法寺」が開創されました。」

 えっ、10月22日って明日ですよね。 ちょっとゾクゾクして来ました。 何故急に今頃この記事を書く気になったのか、何かに書かされているのか? 少し怖くなってきましたが、もう成り行きで続けます。 せめてもの抵抗で、その宗教法人について、ここには詳しく記しません。 ご興味のある方は、お調べください。 

 ざっといえば、世界平和を祈念して、このような仏舎利塔を世界中に建立しているようです。 その財源は何なのでしょうか・・・。 あまり深入りせず、不思議の世界をご覧ください。

 繰り返しますが、ここは日本の奥多摩湖畔の山中・・・奥多摩の名だたる山々の頂から見える「謎の白い巨塔」の正体がこちらです。

青空に聳え立ち、白く輝く仏舎利塔
P8034807仏舎利塔1158 (443x332).jpg

P8034808仏舎利塔1159 (443x332).jpg

P8034809仏舎利塔1201 (443x332).jpg

おそるおそる緑の階段を登ると、年月の経過で傷みも目立つ床はふわふわと浮き上がるような感触。 まさか「雲上」を現している訳ではありますまいが。 その四面には、誕生から入滅までの金色の釈迦如来像が安置されていました。 

P8034811天上天下唯我独尊 (443x590).jpg
「誕生」: 無憂樹(マメ科)の木の下、母マーヤーの右腋から生まれ、七歩歩んで右手で天、左手で地を示し「天上天下唯我独尊」と唱えられたという場面

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「降魔成道」:印度菩提樹(クワ科)に座し、魔を振り払い遂に悟りを開いかれたという場面

P8034813初転法輪 (443x590).jpg
「初転法輪」:初めて弟子に法を説かれたという場面(真ん中に法輪)

P8034810涅槃・入滅 (443x332).jpg
「涅槃」:娑羅樹(フタバガキ科)の下、入滅されたという場面

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昭和三十四年四月二十日建立 日本語とヒンドゥー語?

奥多摩の山々から見えるということは、奥多摩の山々が殆ど見渡せるという、正に「神の座」と言える程の素晴らしい眺め。 この地を選んだ目はすごい。 ただ、日本人なので、神社だったらよかったのに・・・と、つい思ってしまう。

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暫し不可思議な異空間に身を置いた後、下山に向かいふと振り返ると・・・

P8034827手を振る?お釈迦様 (210x280).jpg P8034828 (207x310).jpg

お釈迦様が手を振りお見送りくださって・・・? ありがたいことです。 足元にはヒメヤブラン

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登りは嘗て仏舎利塔建立の工事車両を通すための林道でしたが、下りはなかなか急斜面の山道。 しかも両側が湖に落ちる斜面というスリリングさ。

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青い湖面が近づき、やっと「陣屋」というお蕎麦屋さんの裏手に到達。 勿論、こちらから登ることも出来ますが、振り返るだに大変そう。

P8034877 (218x290).jpg P8034879陣屋1300 (210x158).jpg
「深山橋」       「陣屋」

P8034880陣屋の田楽 (218x290).jpg P8034883陣屋の盛蕎麦 (210x158).jpg
陣屋さんの田楽でビール、お蕎麦で締め。

さて、陣屋を出て・・・次の「三頭橋」を渡った先に、

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またまた不思議な空間があった・・・(つづく)
posted by 山桜 at 15:29| Comment(2) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月01日

大磯はいかい7「地福寺(藤村夫妻墓地)」

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東寺真言宗「地福寺」

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 向かって右の広い敷地が藤村のお墓、左の小さな敷地が静子夫人のお墓です。 簡素閑居を愛した藤村の気持ちに沿っているものかは分かりません。 墓石はとても素朴でした。 
 また梅の古木の枝の支柱がお墓の中に何本も突き立てられているのを痛々しく感じましたが、この梅たちを愛した藤村は喜んで支えているのでしょうか。 故人は直接何も答えてくれないことは痛い程感じております。 故人と共に生きた者が故人の声を感じて行動せねばと思います。

 大磯の町を愛し先に訪れた終の棲家に転居の2年のち、小説『東方の門』を執筆中に脳溢血で倒れ、
「涼しい風だね」
の言葉を残して71年の生涯を閉じた藤村は、このお寺の梅の古木の花々を愛し当地に葬られることを望んだとされています。 (本当は寺の境内ではなく海の見える南斜面に・・・と望んだとも。)  

 藤村の没後30年、静子夫人はお一人で過ごされたのですね・・・準えるなど恐れ多いことですが、わたくしもこれから先の生きてゆく道に思いを馳せました。

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紅白の梅に混じり、早咲きの桜が満開でした。 早咲きで河津桜に似ていますが少し色が濃いようです。 花期が長いので咲き始め〜散り時で色が変化するのかもしれません。 どちらにしても、寒緋桜X大島桜の系統に思われます。 (つづく)


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2018年02月28日

大磯はいかい2「高麗山・高来神社」

 化粧坂を過ぎた頃、目の前に現れたのは美しい山容の高麗山。
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【高麗(こま)山(165m)】
 江戸時代末期までは高麗寺の霊域として樹木の伐採が禁じられ、明治時代には宮内省官吏の御料林となり、昭和13年に神奈川県に下賜されてからも引き続き保護されてきました。 しかし戦中・戦後の資材確保の為、北〜東斜面の樹木は伐採され、「江戸から続く植生*」は南斜面にのみ残され、今は県の天然記念物に指定されています。

P2281117 (210x280).jpgP2281100 (210x280).jpg【「宮」印の入った御料林の石標】 【アリドウシ(一両)】

(その1)でご紹介した安藤広重の錦絵「東海道五十三次 大磯 虎ケ雨」の右端に描かれているなだらかな山が高麗山です。 奈良時代にこの山側一帯に高句麗からの渡来人が居住し集落を作ったことから「高麗(こま)山」の名前がついたといわれています。

 足利氏内乱の攻防あり、北条早雲(伊勢新九郎)の籠城あり、上杉謙信の本陣が置かれたり、見晴らしの良い典型的な山城として高麗山はたびたび歴史の舞台となってきました。

*「江戸から続く植生」大磯町指定天然記念物
 スタジイ・タブノキなどの常緑広葉樹
 ケヤキ・ムクノキ・イロハモミジなどの落葉広葉樹の混交林。
 モクレイシやカゴノキという高麗山ならではの樹木も自生。

P2281081大磯虚空蔵堂 (210x280).jpgP2281083大磯高来神社 (210x280).jpg 
【高来神社入口右の虚空蔵堂】   【高来神社入口の鳥居】

P2281086大磯高来神社 (210x158).jpgP2281085大磯高来神社 (210x158).jpg 
【二の鳥居の銅注連縄】   【高麗寺慶覚院山門(天台宗)】
明治時代に廃寺になった高麗寺の貴重な仏像等はこの鳥居右奥の「慶覚院」に移されています。 徳川家菩提寺の上野寛永寺と繋がりがあるとのことで葵のご紋が見えました。 次はこちらもゆっくりと参拝したいです。 

P2281087狛犬 大磯高来神社 (210x280).jpgP2281089狛犬 大磯高来神社 (210x280).jpg
阿の狛犬さんの足元の仔犬のお尻がなんともカワイイ!

P2281091狛犬 大磯高来神社 (210x158).jpgP2281090狛犬 大磯高来神社 (210x158).jpg
仔犬さん甘噛みしてますね〜可愛すぎです。 吽の狛犬さんがこっちにも来てくれないかな〜と羨ましそう?

P2281092シイニッケイ 大磯高来神社 (443x590).jpg
【シイニッケイ/椎肉桂】
 スダジイ(推定樹齢300年)の上部にヤブニッケイ(推定樹齢150年)が着根して共存している大磯町指定天然記念物

P2281095大磯高来神社 (440x330).jpg
P2281096大磯高来神社 (210x280).jpgP2281217大磯高来神社 (210x158).jpg
【高来神社拝殿・本殿】
神武天皇朝 創建
垂仁天皇朝 神皇産霊尊、天津彦穂邇々伎尊を祀る
533年/安閑二年 神功皇后・応神天皇が合祀される
717年/養老元年 本地垂迹・神仏習合により高麗寺別当所管
寛永年間      東照大権現を併祀
1868年/明治元年 神仏分離令で高麗寺は廃寺、高麗神社に
1897年/明治30年 高来神社に改称
          戦国時代の相模国大住郡「高来」に由来

 寛永年間に東照大権現(徳川家康公がご祭神)が併祀されて後、参勤交代の大名たちも皆下馬して参拝せねばならなかったそうな。

P2281098ナギ (210x280).jpgP2281099 (210x280).jpg
【ナギ/梛】葉と樹肌
 針葉樹でありながら平たい広葉樹形の平行脈の葉を付ける。 

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【高麗山頂上の上宮跡】
 度重なる戦乱の世の攻防の舞台となり荒廃してしまったそうです。 今は高麗の人々は埼玉県日高市の高麗に移住してしまっている為なのか、寂寥感が漂っておりました。

 高麗(こま)と聞けば、埼玉県日高市の高麗の巾着田、高麗神社、高麗王若光(高句麗の王族とされる) を思い出します。 大磯の高麗との関係は、大磯は最初に若光が上陸し大陸文化を伝えた地、日高は後に若光一族も含めた関東の各地の高麗人が武蔵野国に集められ高麗郡が設置され、若光はその郡令に任命され終焉を迎えた地ということになります。 年月を経て、期せずして(どちらも人に連れられて)両地ともに訪れることになった不思議を思います。

 高句麗人と今の朝鮮半島に住む人々(新羅系)は、民族的・言語的に隔たりがあり、祖先と言う根拠はないとされますが、例によって論争の決着は見られないようです。 日本においてもこの部分に誤解があり、大磯の高麗の地でも、現代の嫌韓的拒否反応からなのか看板の文字の削除等が見られるのは残念なことです。 今までは彼の国が騒ぎ立てないように、この時代の歴史にはあまり触れずにいたように思います。 一度この時代からきちんと歴史を見直して、任那問題も含め日本としての歴史認識をしっかりと述べて欲しいものです。 と、また大いに横道にそれて今日も終わってしまいました。 つづく・・・ 


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2018年01月06日

お犬さま

PC229644狛犬 御嶽神社 (207x310).jpgPC229643狛犬 御嶽神社 (207x310).jpg

 武蔵御嶽神社拝殿前の狛犬さんは、山犬とも呼ばれる狼(オオカミ)の姿です。 白い山犬で、白鹿の姿をした邪神に行く手を阻まれた日本武尊を救い、この地に祀られたとの伝えです。 「もののけ姫」のモロの一族、シシガミ様、アシタカのモデルのようにも思えます。 
 戌年の今年に備えてか、長い間工事中だった本殿などの修復も完了し色鮮やかに蘇っていました。

PC229645 (207x310).jpgPC229653御嶽神社 奥の院 (207x310).jpg
蘇った拝殿で鈴もキラキラ      奥宮の遥拝所

 武蔵御嶽神社では、「太占(ふとまに)」という、牡鹿の肩甲骨の裏に溝を掘って火で炙り、生じたひび割れで今年の実りなどを占う行事が今も続けられています(1月3日非公開)。 

P4274395ウワミズザクラ (207x310).jpg その炙る火を熾す薪に使われていたのが、ウワミズザクラ。

「占溝桜」「裏溝桜」から転じた名前です。

 古事記にも記されている古名は「波波迦(ハハカ)」。 とても固い材です。

 桜らしからぬ白い穂状の花を咲かせ余り気付かれませんが、武蔵野の里山にも普通に生えており、赤い実が散る頃には少しだけ「何の実?」と話題になります。 
 
武蔵御嶽神社については、以前の記事も合わせてご覧いただければ幸いです。
2016年1月12日
「氷華シモバシラと御嶽神社初詣(下見・本番)」
2017年7月27日
「御嶽と御岳」


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