2016年01月19日

雪の高幡不動

18日の東京は、未明から積り始めた雪の為に大混乱。
用心の為30分程早めに家を出て、途中でいつもの経路から雪の影響を受けにくそうなモノレール利用の経路に変更し、何とか時間通りに着けそうか…と思った頃、他の路線では間引き運転の影響で改札から中に入れない乗客が溢れてしまう等の混乱が生じており、目的の講座は中止との連絡あり。 かと言って、もう目の前に車両が到着、後ろには乗車順をまつ乗客がびっしりで退路はナシ! 「前に進むしかない!」と乗り込んだものの、次の駅ではもうドアが開いても降りることも出来ない。 もう諦めて人が空くまで乗り続け、高幡不動で降りた。

高幡不動(高幡不動尊金剛寺・高幡山金剛寺)東京では有名なお不動さんなのに未だ一度も参拝しておらず、この日のこの機会のご縁を感じ、お参りすることにした。 雪は既に冷たい霙雨に変わり、道はグズグズになり出していたが、長靴を履いた身にはそんな中をお構いなしに歩くのも楽しい。 

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未だお正月の装いを残した仁王門

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新選組 土方歳三にも雪が(当寺が菩提寺)

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       白い雪の中 朱色の五重塔が鮮やか…

それにしても記憶の中の高幡不動の五重塔はこんなに新しい感じではなかったような…などと見上げていたら、ズドドッ! と、傘の上に雪の塊りが直撃してビックリ! 思わぬ厄払いとなった。 何か憑いていたんだろうか? お不動様、荒っぽいお祓いをありがとうございました。

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山門の奥は大日堂

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長い階段の上に何が…と思いつつ、滑りそうで昇れず残念 (鐘楼があるそうな)

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少し空が明るくなって来て、塔が益々鮮やかに

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晴れる兆しの風が吹き出して、五色の幡のたなびきも美しかった。

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2015年05月11日

奉祝・ご遷座400年「神田祭」

 母の実家が氏子である神田明神さまは、
天平2年(730) 大手町・将軍塚の周辺にご鎮座、
慶長8年(1603) 徳川家康の江戸幕府・江戸城の拡張
        により駿河台に仮ご遷座、
元和2年(1616) 4月、現在地・外神田(江戸城の表鬼門・
艮(うしとら)の地に「江戸総鎮守」
としてご遷座となりました。

 本年2015年は、そのご遷座より400年にあたり、5月の神田祭は奉祝大祭として盛大に執り行われました。 江戸っ子の片端を担う我が身としては、このお祝いに駆け付けないでは居られません。 山でこけて傷めた膝を庇いつつ、叔父の法被も羽織らせて貰って参加して来ました。

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町内会のお神輿の先導役の方々

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続いてお囃子の方々

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明神様が近づくにつれ、集結してきたお神輿は暫し参詣待ち…
異人さんの担ぎ手も。

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ちびっこ神輿も頑張る!

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さぁ、いよいよ明神さまも間近で
益々意気も神輿も舞い上がります!

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我が町内会のお神輿が明神さまの鳥居を潜る瞬間!
ご遷座400年、おめでとうございます!!
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2012年04月30日

大洗磯前神社(再訪)

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   大洗磯前神社本殿と八重桜(関山?)

 何かと嬉しいご縁がある大洗磯前(いそざき)神社へこの春も参りました。

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  長い釣り糸(竿?)を垂らすウラシマソウ

 東斜面のウラシマソウも健在でした。 写真を撮っていたらお掃除中の方が『ここに何十年も住んでいて初めて見た』と仰っていました。 地味な花(苞)ですし、なかなか目に留まらないかもしれませんね。 テンナンショウの仲間好きも少なくはないのですが(笑)

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 今まで素通りしていた南からの参道で「茶釜稲荷神社」の鳥居が目に留まり、「茶釜」の名に釣られてお参りしていると、ちょうど参道を掃き清められてきた神職の方とお話しすることができました。 「茶釜」の名の由来は、昔近くにあって転居された旅館の経営者さんの屋号が「茶釜」といい、そのお宅に祭られていたお稲荷さんなので「茶釜稲荷」、 転居の際こちらの境内に祭祀を委ねられたとのこと。 なぜ屋号が「茶釜」だったのかは分からないそうですが、きっと茶の湯に関係の深いお家だったのでは…と想像を膨らませています。 春から茶釜に誘われたのは、益々茶の湯の道に精進せよとのことでしょうか??

 (参道の写真はお参りした帰りに最初の鳥居に向かって戻る途中で、神職さんのお写真はかなり離れてから振り返りそっとズームで失礼しました。)

タグ:神社 大洗
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2010年10月05日

霊園山・聖林寺

 
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山門前には堅く戒律を守る律院と俗世界を隔てる「大界外相」の結界石

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かつて敵方の侵入から寺を守った立派な石垣も今は平和に苔むして…

 この春、梅と桜の花の狭間、娘と一緒に参拝に伺った聖林寺のご住職さんが亡くなられたと瓜亀仙人さんの日記で知りました。 瓜亀仙人さんがこの世で一番美しい、 この上もなく大好きな仏様と仰り、かのフェノロサも絶賛したと言う十一面観音像で有名なお寺さんです。 貴重なご縁に感謝申し上げ、遅れ馳せながら記事を書かせていただき、謹んでご冥福をお祈りいたします。   合掌


【霊園山・聖林寺(りょうおんざん・しょうりんじ)】(真言宗 室生寺派)

 奈良時代の名作、国宝「十一面観音像」(天平時代)で有名な古刹。
 藤原家の氏寺「妙楽寺(現「談山神社」」の別院として創建。
 ご本尊は、子授け・安産・子育て「子安延命地蔵菩薩」(元禄時代・石像)

(この石造の大地蔵菩薩様も素晴らしい慈愛で包んで下さいます。
 奥の十一面観音様へと足早に通り過ぎてしまっては勿体無いです。)

 HP → http://www.shorinji-temple.jp/ 
(地蔵菩薩・十一面観音・如来荒神像・他のお写真も拝めます)


【国宝・十一面観音像】

 第一回指定の国宝。
 天平時代を代表する仏像。
 大神神社の神宮寺「三輪山・大御輪寺(おおみわでら)」の元本尊。

 神仏分離令の発布前、廃仏の嵐を予期し聖林寺七代和尚・大心(三輪流十一面観音法を唯一伝授された三輪流神道の正嫡)により、大八車に乗せられ聖林寺へ移され難を逃れる。

 かつては、四天王に守られ、前立観音があり、左右に多くの仏像(現法隆寺の「国宝・地蔵菩薩」は左脇侍だった)、背面には薬師如来一万体が描かれた板絵がある荘厳の中にまつられていた。 光背(奈良国立博物館に寄託)には、宝相華文が散りばめられていたが大破している。


 今はガラスの向こうで、背絵も光背も四天王も前立観音も脇侍も失われていますが、それでも尚、眩く輝き、キリリと澄んだ眼差しで彼方を此方を見据えていらっしゃいます。 その毅然とされた面持ちの一方で、ふわりと柔らかに開かれた手指は、あくまでも優しい表情で、私達を受け入れて下さいます。

 それにしても時代の流れに翻弄されながら、よくぞここまでこうして永らえてこられたものです。 この観音像に込められたものがどれほど大きなことだったのかと感じずにはいられません。 若し、元の通りに復元が叶ったとしたら、日本に大きな霊験が現れるでしょうか…。 でも、そうなったら聖林寺には納まりきらなくなってしまう? 瓜亀仙人さんが寂しがると困りますので、そうっとしておきましょうか…。

 先に掲げた聖林寺のHPを書かれた前代住職(亡くなられた住職のご主人様)倉本弘玄和尚さまは、HPの最後に、この寺の静寂を護るさだめ負われ、経典の「恒作衆生利」を契う御心に深く響くとして、郷土の哲学者・保田與重朗の歌を遺されていました。 どうかこれからも末永く代々のご住職様、奥様とご一緒にふるさとの山河をお見守り下さい。 
  

      けふもまた かくて昔となりならむ

                 わが山河よ しずみけるかも



瓜亀仙人さんのブログ「大和浪漫」の中の『天平観音でお通夜』http://blog.goo.ne.jp/urikame2007/e/05e694f583955d975e9a1d6379fe674c


<追記>
因みにハリウッド(Hollywood)の漢名「聖林」とは何の関係もなさそうです。 そもそもその漢名も、聖なる=holy と ヒイラギ= holly を誤って付けてしまったものとか。 そのヒイラギもいわゆる西洋ヒイラギでなく、バラ科ナシ亜科のカリフォルニア・ホーリーと呼ばれる植物で、写真を見た範囲ではトキワサンザシ(ピラカンサ)に似ていました。

 
 
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2008年08月05日

神になった日本人

 茶道・藪内流TV体験入門の後は、こちらです。

NHK教育 「知るを楽しむ・この人この世界」

神になった日本人

 民俗学者小松和彦教授が、日本各地の歴史上の人物を祀る「人神神社」を訪ね、祀ってきた日本の人々の心を探ります。

    本放送 毎週月曜日 夜 10:25〜10:50
    再放送 翌週月曜日 朝  5:05〜 5:30

 番組HP http://www.nhk.or.jp/shiruraku/index.html

 第一回
人はいかにして神になるのか−藤原鎌足」奈良県・談山神社

 談山神社といえば、ブログ友酒徒善人(今は瓜亀仙人さん)さん縁の神社で、私のPCの秋の壁紙は、↓善人さん撮影、紅葉の談山神社・十三重の塔が飾っています。
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 酒徒善人さんのブログ「e411y」(現在は瓜亀仙人さんで「大和浪漫 http://blog.goo.ne.jp/urikame2007)には、このような談山神社関連記事
2008/02/17 「談山神社十三重の塔」等も沢山掲載されています。

 山の裾野に広がる田畑やお屋敷の中にきっと善人さんのお宅も…と思い、手を振るような気持でテレビ画面を見守っておりました^^

 
 さて、奈良県桜井市・談山(たんざん)神社*の公式HPによれば、蘇我氏の政治専横に危惧を抱き国の行く末を憂いていた鎌足は、偶然、蹴鞠会で勢い余り脱げた皇子の沓を手にしたことで、聡明な皇太子・中大兄皇子(後の天智天皇)と話を交えることとなり意気投合し、遂には、多武峰(とうのみね)の山中に於いて「大化改新」(蘇我入鹿暗殺に始まる)に向けての談合を行い、見事成し遂げます。

 これより多武峰は、談山(かたりやま)、談の峰などと呼ばれるようになり、鎌足の死後、唐留学より戻った長男定慧(じょうえ)が、夢枕の父の言葉に従い、摂津に埋葬された亡骸を掘り起こし一部をここに移しその上に十三重の塔を立て、生涯を国政に尽くした父・鎌足公を讃えて、ご祭神として祀ったのが、談山神社の起こりとされています。

 以来、藤原氏に何かが起きる前触れにこの山が鳴動するとか…そんなことを書いていたら、今、こちらは一転俄かに掻き曇り、草木を揺るがし地を打つ激しい雷雨となりました! 雷は神鳴り、古人ならずとも神様のお怒りか、お告げかと強く感じ入らずにはおれません。 )

 しかし、梅原猛は著書「塔」の中で、「家伝」の記載によれば、定慧の帰国は天智四年(665年)、しかも帰国後三ヶ月で亡くなっている。 一方、鎌足の死は669年、定慧は鎌足を埋葬することは出来なかった筈、と述べています。 

 しかも、定慧の母は孝徳天皇の元后であり、鎌足の妻となった時には既に定慧を身篭っていた…つまり定慧は天皇のご落胤だったことから、出家させていましたが、後に中大兄皇子は孝徳天皇の一族を疎み、抹殺していく中で、その血を引く定慧をも殺めたのではないかという推測がなされます。 そうなると、寧ろ(血は繋がらなくとも)父として我が子の死を悼み詫び、鎌足がこの地に立派な塔を立て、定慧が怨霊などにならないように祀ったのではないか、そして、そのことを隠す為に敢えて「鎌足のお告げにより鎌足を祀る」ものとして伝えて来たのではないかと言うのです。

 前者の伝えでは、神社(元は寺)のご祭神は、鎌足公=顕彰神、後者の説によれば、ご祭神は、定慧=祟り神、の性格を帯びることとなり、全く性質が異なってきます。 

 小松氏は、十三重塔の下の遺骨と多武峰山頂に埋葬されている遺骨を同じ人物のものと考えていらっしゃるようでしたが、私は、あの立派な塔の下には定慧が、そしてそれを見守るように山頂の質素な墓には鎌足が眠っているように、何の根拠もありませんが…思えてなりませんでした。

 脇にそれますが、鎌足誕生の折、狐が鎌を咥えてやってきたことから「鎌子」と名付けられた、という話が壺でした^^

*談山神社 明治の廃仏毀釈前までは「多武峰寺」とよばれ、
        多くの伽藍・塔があったという。


        *        *        *

第2回 8月11日 史上最大の祟り神 ―崇徳上皇
第3回 8月18日 北朝の寺、南朝の社 ―後醍醐天皇
第4回 8月25日 怨霊から顕彰神となった義民 ―佐倉惣五郎


小松和彦
1947年東京生まれ。 民俗学者・国際日本文化研究センター教授。 東京都立大学大学院博士課程修了。文化(社会)人類学・民俗学専攻。 信州大助教授、大阪大教授を経て、国際日本文化研究センター教授。
日本の歴史・文化の周縁に追いやられた鬼・異人・妖怪などの存在を手がかりに、日本人の心の奥底に潜むものを探る研究をつづける。

主な著書に『異人論』『悪霊論』(以上、ちくま学芸文庫)、『憑霊信仰論』『日本妖怪異聞録』(以上、講談社学術文庫)、『妖怪文化入門』(せりか書房)、『異界と日本人』(角川選書)、『神になった人びと』(光文社知恵の森文庫)、『日本妖怪学大全』(編、小学館)など多数


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2008年01月05日

谷中七福神

 「谷中・七福神めぐり」に行って参りました。
谷中・七福神は江戸で最も古い歴史を持ち、起源は江戸中期・享和年間
(1801−1803年)まで遡るのだそうです。 江戸っ子が新年の幸運を
祈りつつ、そぞろ歩いた同じ道を今も辿れるのは嬉しいですね。

 写真はあまり撮れませんでしたので、七福神像などをご覧になりたい
方は、こちらのサイトが詳しいです。
「谷中七福神巡拝案内」
http://www.asahi-net.or.jp/~UY7M-SSK/yanaka/yanaka_7fuku.html

 上野からでも田端からでも巡れますが、歩き終えた後に余裕があれば、
色々と散策しやすそうなので田端→上野のコースを選択しました。

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       木版刷りのご朱印色紙(和紙)です。

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 恵比寿さまの鯛、弁天さまの琵琶を肴に七福神様の楽しい宴

一、田端 東覚寺「福禄寿(人望)」 (田端駅北口から歩約5分)
  体中に赤紙を張られている仁王尊が目印です。
  (良くなりたい所に貼るのだそうです。)
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 福禄寿さまは上品な御爺さまという雰囲気でした。 寿老人と同一神
とも言われ、南極老人星(竜骨座のカノープス。全天でシリウスに次ぎ
2番目に明るい星だが、北半球では地平・水平線ぎりぎりにやっと
見えることがあるだけで、中国ではこの星を見ると寿命が延びると
される。 日本では時化を報せる星ともされる。)の化身とされます。

 こちらで上掲の色紙などを求める方が多く混み合うことが多いです。
 
二、日暮里 青雲寺「恵比寿(正直)」 (東覚寺から歩約18分)
  恵比寿さんは木彫り彩色の可愛らしい像。鯛の正面顔が印象的。
  スタンプの台が柔らかく窪んでしまい上手く押せないのが残念。
  手描きで想像補正したので、本物と違います。
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三、日暮里 修性院「布袋尊(大量)」 (青雲寺から歩約2分)
  子供好きな「ひぐらしの布袋様」として親しまれています。
  でっぷりふくよかで眉毛の濃い布袋様は、お会いしただけで笑顔に
  なってしまう正に福の神の面持ち。 一緒に拝観した子が、
  「これじゃぁ、メタボだよ〜!」
  と大きなお腹を見て笑ったので、周りの方々も思わず笑顔に。
  子供好きな布袋様もきっと喜んでおいででしたでしょう。
  子供が描いた布袋様の絵なども飾られていて、今も変わらず愛され
  ていらっしゃる様子が嬉しいです。
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(履物を脱いでお参りします。 渋滞の元ブーツは、避けましょう!)

 この間に竹細工の「翠屋」、飴の「後藤」、ドラマ「ごくせん」の舞台
にもなった「谷中ぎんざ」や「夕焼けのだんだん」、朝倉彫塑館など
見所が色々ありますので、ゆっくり時間を取れると楽しいです。
「あ〜ここ、ヤンクミが通ったの見た〜!」
って、やはり子供の記憶力はすごいですね。 私も再放送を見たばかり
だったので、大江戸(漫画では黒田)一家はどの辺り?なんて…(笑)

四、谷中 長安寺「寿老人(長寿)」 (修性院から歩約13分)
  福禄寿と同一神とも老子の化身ともされます。
  寿老人が連れているのは千五百年生きた玄鹿と言われています。
  狩野芳崖の墓所があります。 こちらも履物を脱ぎます。
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  七福神めぐり以外のお寺も沢山あって寺町情緒たっぷりです。
  この後、著名人のお墓も沢山ある谷中の墓地の中を通ります。

 幸田露伴「五重塔」のモデルとなった五重塔の跡
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五、谷中 天王寺「毘沙門天(威光)」 長安寺から歩約6分
 毘沙門天さまと聞けばどうも「我こそは…」のGacktの声が耳に…。
 ご朱印はお堂の左手奥で戴けます。  
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六、鶯谷 護国院「大黒天(富財)」 (天王寺から歩約17分)
 古いお堂に五色の幕が映えて美しいです。
 こちらも履物を脱いでお参りします。 中はほっと寛げる温かさに
 包まれた空間で思わず長居してしまいました。
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 温暖化では霜(雪)避け傘もまるで日傘ですね。

 護国院の角を曲がれば、もう上野公園の一角が見えてきます。 上野高校の隣の壁の向うは動物園。 昔は動物園のにおいがしてきたものですが、最近はとても気配りがされているようで、動物園があることにも気付かない程です。

 森鴎外住居跡を右に見る頃には公園内のモノレールも見えて来ます。 右手に公園入口が見えたら公園内を歩けば弁天堂はすぐそこです。

七、不忍 弁天堂「弁財天(愛敬)」 (護国院から歩約20分)
 不忍池の中に浮かぶ弁天堂は大人気。 いつも大勢の人で賑わって
います。 お線香の煙を良くなりたい所に…というと、女性は顔に
男性は頭に、が定番?

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 ついに無事に七福神さまをお参りし、ご朱印も七つ集まりました。
これで今年もお多福(顔が〜(●´▽`●))、間違いなしです!


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タグ:七福神
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2006年12月29日

立川諏訪神社

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                  立川諏訪神社

 信州諏訪大社より、武勇の神、建御名方神(タケミナカタノカミ)*を
嵯峨天皇の御代、弘仁2年(811年)にこの地に勧請したのが始まり。
武勇の神様に因み、夏祭りには奉納相撲が行われ、獅子舞も盛んです。

 建御名方命: 元は諏訪湖の水神、水潟(ミナカタ)の神との説あり。
 古事記では、父神・大国主命に、天照大御神の遣いとして国譲りを
 迫る建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)に、父・兄神が承服する
 中、一人抵抗して力比べを挑んだ末、諏訪湖に封印されてしまうが、
 類稀なる勇ましき武勇の神、狩猟の神、そして水神として祀られる。

 建御雷之男神との力比べが「相撲の起源*」ともされており、
こちらの神社の境内にも下のような土俵が設けてありました。  

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            境内に設けられた土俵

 *「相撲の起源」には他にも、日本書紀にある奈良の當麻蹶速
 (たいまのけはや)と出雲の野見宿禰(のみのすくね)との力比べ
  が有名です。

   
 今日は年末の忙しい最中というのに、精密検査の続きで病院へ…
そんな朝に見たTVの週末占い。わたしの星座「天秤座」は最下位、
しかし、ラッキーポイントは大きな神社ということで、何とか幸運を
手繰り寄せようと病院近くの大きな神社へ詣でて参りました^^

 すっかり年越しの準備が整った神社の境内は清々しく、青空の下、
お参りが出来、天地の元気(あめつちのはちめ)を体いっぱいに
戴いて参りました。 紅白の絞りの椿の花がちらりほらりふっくら
ほころび始めているのを嬉しく眺めて参りました。

 検査結果などは年越しとなりましたが、新年を無事家で迎えることが
出来、ホッとしております。

 今年のブログはこれで納めとなるかもしれません。
皆さまのお蔭で今年もとても実り多き年となりました。
いくらお礼申し上げても足りません。 本当にありがとうございました。
新年も、皆さまの益々のご活躍とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

                                   山桜 拝 
 
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2006年11月16日

北鎌倉・円覚寺

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 関東の道の多くは鎌倉に通じているのですが、私の家の近くにも、「鎌倉古道」という往時の面影を残す道があります。 散歩の時にここを通ると、馬のヒヅメの音が聞こえ、無性に鎌倉へ行きたくなります。

 「いざ、鎌倉!」 今回は鎌倉は初めてという友達の希望で、北鎌倉の円覚寺をゆったりと時間をかけて回り、その足で不思議なご縁に導かれるまま、今思い出してもちょっと大胆な冒険をしてしまいました。

 北鎌倉駅を降りると、ふわっと甘い油揚げを炊く匂い。名物に・・・の言葉が頭をかすめ、いつも素通りしていたのですが、今回は朝が早かったのもあり、ついに空腹に負けて購入。 
 「お昼にお食事処が混んでいたら、これを食べればいいしね!」
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               瑞鹿山円覚寺 三門

 三門をくぐるとベンチが・・・ちょっとお茶を飲んで一服・・・。
寿司折から漏れる誘惑の香りにまたしても負け、早々に戴くことに。
未だ作りたての為か、お揚げと酢飯がしっくりしていませんでしたが、
空腹は最上の・・・です。 美味しゅうございました^^

  二人で一折の助六寿司で軽くお腹を満たした後、この日第一の目的地、
佛日庵へ向いました。 今回の旅、私はお供の腰元気分。 主役の友達
が写真を撮っていたのを傍観、どういう訳か自分も撮った気になって
いたようで、後で殆ど写真を撮っていなかったことに気付きました。

仕方がないので、宜しければ春先に佛日庵を訪ねた時の日記を・・・。
http://yamasakuran.seesaa.net/article/14691654.html
この日記の中にある緋毛氈をしいた腰掛でお薄と豆鳩のお菓子を
戴きました。 佛日庵は本堂?とお茶室「烟足軒」が工事中で、
いつもの静けさはありませんでしたが、非公開のお茶室の中が少し
だけ覗けました。 とても人懐っこいワンコが撫でてくだ〜さいと
ばかりにお腹を上にしてゴロリ。撫で撫でしながら、ひらりんちの
小太郎くんを思い出して可笑しくなりました。

 その後は一番奥の黄梅院で聖観音さまを拝み、咲き零れる秋草に
心和まされながらまた登ってきた道を戻ると、国宝の舎利殿を背景に
大勢のお坊様方が記念撮影中・・・その様子をまたカメラに収める人達。
私も撮ろうとしたのですが、真っ白な長いお髯の方を認めたら、
シャッターが切れなくなってしまったので、それ以上の失礼はやめて
置きました。
 
 前回は法事の準備中で入れなかった方丈のお庭で大きなビャクシン
の木と百観音さんを拝み、続いて山の上の弁天堂へ階段を昇りますと、
いつも混雑している茶店もこの日はひっそりと静かで拍子抜け。 
錦に染まり始めた北鎌倉の山々をゆったりと眺めることが出来ました。

 三門を挟んで向かい側の塔頭(たっちゅう)松嶺院は、春の牡丹で
有名ですが、今は秋の草花が可憐に咲いていました。鎌倉とんぼさん
お勧めのこの塔頭は、春秋の限定期間のみの公開です。
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 (写真左から、柿とピラカンサ、リンドウ、大文字草)
 (右2枚の写真は炉開きの日記でも使用しました。)

 最後に弓矢が沢山納められている桂昌庵と弓の稽古場を拝見し
円覚寺を後に致しました。 これだけ時間をとって何度来ていても
未だに全てを拝観できずにいます。 今度は冬に来ようかな。
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2006年05月24日

鳩峰神社〜荒幡富士(埼玉)

 今日はハイキング引率の為の実地踏査。 西武園駅北口から出発。
すぐに八国山。緑濃い道を少し上ると気持ちの良い尾根道に出る。
  画像 228.jpg金銀に咲くスイカズラの甘い香り、
    目の前をはらはらと舞い落ちるエゴノキの白い花…
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 ふと遠くで雷鳴…? 気のせい? 飛行機? いや雲の色も怪しい。
折角出掛けてきたが、引き返すべきかと思い迷いつつもついつい進む。

 尾根道の途中、「←久米水天宮・鳩峰神社」の看板に従って左に道を
降りる。森を出るとサーっと雨足が降り注いできた。小走りに道端の
看板を見ながら歩くと「仏眼寺」 ここで雨宿りをさせて戴こうと
お参りをしている間に雨は上がり薄日も零れてきた。 まるで仏様の
ご加護を戴けたようで、今日の実踏決行の意志を固める。
            画像 404.jpg薄日にグミの実がキラリ
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「鳩峰八幡神社」
 延喜21年(921)京都・石清水八幡宮を分祀したものと伝えられる。
 ご祭神は誉田別命(応神天皇)、
 息長帯比売命(神功皇后・応神天皇母上)、他
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  深い杜の木々の間から漏れる日差しが揺れて光る参道を進むと、
参道では一滴の雨も落ちていないのに、お社殿前には確かに白く細い雨が
降り注いでいた。見間違いではないのかと、落ち着いて目を見開くが
確かにそこには雨が降っていた。何故そこだけ…?信じられない気持ちで
恐るおそる近づくといつの間にか雨は止み、社殿がボーっと光り出した。
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 社殿は見世棚造(一間社流れ造) 
 室町時代以前の建築とも言われる県指定文化財
 
 狛犬が、こっちへ向って駆けて来る! ここの狛犬は体も真正面を
向いていて、何だか人なつっこそうで思わずそんな風に感じてしまった。
今日のお招きを感謝してお参りをして奥へ向うと…
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 神さまは、雨で清めて下さった後、暖かな光で迎えて下さった。
 あまりの勿体無さに自然と涙が…。神さまありがとうございます。

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 お隣の「久米水天宮」ご祭神は安徳天皇。安産の神様。
 1月5日には、だるま市と重松流祭り囃子の奉納で賑わう。

 鳩峰神社と久米水天宮の間の道を進み、
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      トトロの森2号地を抜け
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一度山を降りて住宅地や茶畑の中を歩き、また向かいの山を上る。
荒幡小学校の前に広がる丘陵公園の上からまた虹のような光が…
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 程なくして、木花之佐久夜琵売をお祀りする「浅間神社」に到着。
拝殿・本殿の後には、想像を遥かに上回る大きな富士塚、
「荒幡富士」が聳えていた。
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 高さはおよそ12m、本物の富士山よろしくジグザグの登山道の折々
1合目〜9合目の石碑を数えながら上ると、見晴らし最高の頂上に!
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 合祀された近郷の社・祠の神さまも、16年の歳月をかけ塚の造営に
心を注いだ崇敬者、その末裔の方々によって大切に祀られていた。



posted by 山桜 at 00:00| 東京 ☔| Comment(8) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月07日

戸隠の由来伝説

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        奥社 随神門 

戸隠神社は、次の5つの神社(社の位置の上から)

    奥社:ご祭神 天手力男神・アメノタヂカラオノカミ
 九頭龍社:ご祭神 九頭竜大神・クズリュウノオオカミ
    中社:ご祭神 天八意思兼命・アメノヤゴコロオモイカネノミコト
火之御子社:ご祭神 天鈿女命・アメノウズメノミコ
   宝光社:ご祭神 天表春命・アメノウワハルノミコト

の総称で、元々の土地神様であった九頭竜大神以外は、天岩戸(アメノイワト)開きの神事に功績のあった神々様をお祀りしています。

 戸隠神社公式HP http://www.togakushi-jinja.jp/

  奥社の天手力男神様にまつわる「戸隠の由来神話(古事記)

 天照大御神が弟神スサノオノミコトの振る舞いを悲しみ、天岩戸にお隠れになってしまった時、オモイカネノミコトの名案により、アメノウズメノミコトが天岩戸の前で面白おかしく舞い踊り、それに興味を持たれた天照大御神がそっと岩戸から外を覗いた瞬間、天手力男神が思い切り岩戸を引きあけ、中から天照大御神を引きいだすと二度と岩戸を締められないように、高天原から地上に岩戸を投げ隠した。 それが地上に突き刺さって出来たのが今の戸隠山と言うことである。
   
 もう一つの「戸隠の由来伝説(阿裟縛抄・顕光寺流記)」

 昔、この土地を支配し荒れることもあった九頭一尾の龍大神が、学問行者の七日間祈念により鎮まり、これで成仏できると言って、岩屋戸の中にお隠れになった。このことから戸隠山と呼ばれるようになった。 今でも時に龍神が身震いすることにより、雪崩が起きるのだとも言う。 (「阿裟縛抄」「顕光寺流記」)  

 (今回山桜は、この龍神の身震いかと思われるような、
  轟音と共に雪煙を巻き上げた大きな雪崩を目撃しました。)
posted by 山桜 at 00:00| Comment(18) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月31日

天満宮の飛梅

 松風さんのブログで早咲きの梅のお話になった時、太宰府天満宮
「飛梅」というがあることを知った。

ところが、今度はm-tamagoさんのブログで、菅原道真公を慕って
大宰府へ飛んでいった元の梅はであったと教えて戴いた。

 飛び立った時は梅で、根付いた先では梅?
これはどうしたことかと、調べてみた。

 道真公はどちらの梅も愛され、本邸を梅殿」別邸を梅殿」
称された。 さてはて、どちらの線もありそうな気配。

 有名なお歌

   東風吹かば においおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

の初出は、『拾遺和歌集』だが、梅の色の言及は無い。
(この頃の歌は今伝わるものとは、少し違っている)

   東風吹かば にほひをこせよ 梅花 主なしとて 春を忘るな


 その後、承久元年(1219年)作の『北野天神縁起絵巻』に於いて、
を眺める道真公の姿が描かれてより以後、公が別れを
惜しんだ梅は「梅」が定説になったように思われる。

 絵にするのならやはり「梅」が映えるからか…。 
熱き思いに応えて、空を飛ぶような力も「」を連想させるかもしれない。
菅原家邸宅址の菅大臣神社の「飛梅」も梅とのこと。

 では、何故、大宰府天満宮の「飛梅」は「梅」になってしまったのだろう?
実は、大宰府の飛梅も元々は梅だったが、度重なる代替わりや植え替え
を経ていつの間にか梅になってしまったということだった。

 交配を繰り返して作られた植物には、こういうことが生じることはある。
しかし、主を追って真っ赤な心で飛んできた梅の思いも、年月を経て昇華し、
純白になっていった。 そんな風にも思われる。

 無念の涙を流されたかもしれぬ道真公も、祟り神として畏れられた
昔から、学問の神として後の人々に慕われるようになり、今はく清かに
お鎮まりのことと思う。
posted by 山桜 at 00:00| Comment(12) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする