2017年05月14日

嵐山 虚空蔵法輪寺

 お昼と書のお話をご馳走になり、京都でお薦めの場所を伺うと、今からだったら「法輪寺さんやね」「直ぐに行き」とのことで早速、路面電車の駅まで帰る方向が同じと仰る若くて素敵なお弟子さんに送って戴き、可愛らしい懐かしの路面電車に揺られて嵐山へ向かいました。

 嵐山の駅を出ると、溢れんばかりの人の波と暑さでくらくら…いつも殆ど人の居ない東京の田舎町に住んでいるので人ごみは苦手…それでも渡月橋を渡り向こう岸へ辿り着く頃には人影も疎らになって、静けさにホッと一息つきました。 

 何やら急な階段の下に「法輪寺」の道しるべがありましたが、手持ちの地図ではもっと先の筈だし膝痛があるので急な長〜い階段は敬遠して先に進み、あと数歩先という所で我慢できず道を尋ねてしまい、余りに直ぐそこ過ぎて恥ずかしかったです。

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しかも左手のこの階段を上ってしまったら帰り道はこちらとの看板が・・・行きと帰りとで道が決まってるの? 右の写真は、「電電塔」で 電機関係の方の供養塔。 電気の功労者代表として ヘルツ(左)とエジソン(右)のレリーフが嵌め込まれています。 京都の竹がエジソンのフィラメントに使われたのと何か関係があるのかな? 

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山門をくぐり
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ああ、やっぱりどうしても長い長い階段を上るんですね・・・出迎えてくれたのは狛犬さん・・・ではなくて、あれれこれは??

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猫耳で阿と吠えているのは「虎」?  吽の方は「牛」ですね。
ということは「丑寅」 若しかして丑寅の方角で都の鬼門封じ? 
(帰宅後調べた所、虚空蔵菩薩は丑寅生まれの守り本尊とのことでした。)

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そして何故か「羊」さんも? 
(同じく調べた所「羊」は虚空蔵さんの化身またはお使いとされているそうです。)
ずっと私達を見ていたトカゲさんは若しかして?? 

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境内から張り出した舞台からは渡月橋や京都の町が一望できます。

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舞台への入口横には大きな桂の木  光がさして緑が一層鮮やかに

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青紅葉からの木漏れ日が階段に揺れて・・・うっとり見惚れておりました。

 本殿にも多宝塔にもカメラを向けていなかったことに、帰宅後初めて気が付きました。
何故だかそういう気持ちにならなかった、ということなのでしょう。 

【法輪寺】
和銅六(713)年
 元明天皇の勅願により、行基菩薩が木上山葛井寺を創建
天長六(829)年
 弘法大師の弟子 道昌僧都(どうしょうそうず)が中興、
 ご本尊に虚空蔵菩薩を安置
 道昌は、大堰川の修築や法輪寺橋(現在の渡月橋)の設置、
 船筏(ふないかだ)の便の開港等に尽力
貞観十六(874)年
 伽藍が整備され「法輪寺」と寺号を改める

吉田兼好の『徒然草』 清少納言の『枕草子』の中に登場 
応仁の乱や幕末の禁門の変(蛤御門の変)など、度重なる兵火に会うもその都度再興

「嵯峨の虚空蔵さん」と親しまれ、十三参りで有名。
十三参りの帰り道に振り返ると授かった知恵を落とすとの言い伝えあり。
虚空蔵さんは十三番目に誕生したとされる智慧と福徳の仏様。
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2016年01月19日

雪の高幡不動

18日の東京は、未明から積り始めた雪の為に大混乱。
用心の為30分程早めに家を出て、途中でいつもの経路から雪の影響を受けにくそうなモノレール利用の経路に変更し、何とか時間通りに着けそうか…と思った頃、他の路線では間引き運転の影響で改札から中に入れない乗客が溢れてしまう等の混乱が生じており、目的の講座は中止との連絡あり。 かと言って、もう目の前に車両が到着、後ろには乗車順をまつ乗客がびっしりで退路はナシ! 「前に進むしかない!」と乗り込んだものの、次の駅ではもうドアが開いても降りることも出来ない。 もう諦めて人が空くまで乗り続け、高幡不動で降りた。

高幡不動(高幡不動尊金剛寺・高幡山金剛寺)東京では有名なお不動さんなのに未だ一度も参拝しておらず、この日のこの機会のご縁を感じ、お参りすることにした。 雪は既に冷たい霙雨に変わり、道はグズグズになり出していたが、長靴を履いた身にはそんな中をお構いなしに歩くのも楽しい。 

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未だお正月の装いを残した仁王門

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新選組 土方歳三にも雪が(当寺が菩提寺)

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       白い雪の中 朱色の五重塔が鮮やか…

それにしても記憶の中の高幡不動の五重塔はこんなに新しい感じではなかったような…などと見上げていたら、ズドドッ! と、傘の上に雪の塊りが直撃してビックリ! 思わぬ厄払いとなった。 何か憑いていたんだろうか? お不動様、荒っぽいお祓いをありがとうございました。

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山門の奥は大日堂

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長い階段の上に何が…と思いつつ、滑りそうで昇れず残念 (鐘楼があるそうな)

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少し空が明るくなって来て、塔が益々鮮やかに

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晴れる兆しの風が吹き出して、五色の幡のたなびきも美しかった。

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2015年05月11日

奉祝・ご遷座400年「神田祭」

 母の実家が氏子である神田明神さまは、
天平2年(730) 大手町・将軍塚の周辺にご鎮座、
慶長8年(1603) 徳川家康の江戸幕府・江戸城の拡張
        により駿河台に仮ご遷座、
元和2年(1616) 4月、現在地・外神田(江戸城の表鬼門・
艮(うしとら)の地に「江戸総鎮守」
としてご遷座となりました。

 本年2015年は、そのご遷座より400年にあたり、5月の神田祭は奉祝大祭として盛大に執り行われました。 江戸っ子の片端を担う我が身としては、このお祝いに駆け付けないでは居られません。 山でこけて傷めた膝を庇いつつ、叔父の法被も羽織らせて貰って参加して来ました。

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町内会のお神輿の先導役の方々

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続いてお囃子の方々

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明神様が近づくにつれ、集結してきたお神輿は暫し参詣待ち…
異人さんの担ぎ手も。

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ちびっこ神輿も頑張る!

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さぁ、いよいよ明神さまも間近で
益々意気も神輿も舞い上がります!

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我が町内会のお神輿が明神さまの鳥居を潜る瞬間!
ご遷座400年、おめでとうございます!!
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2012年04月30日

大洗磯前神社(再訪)

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   大洗磯前神社本殿と八重桜(関山?)

 何かと嬉しいご縁がある大洗磯前(いそざき)神社へこの春も参りました。

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  長い釣り糸(竿?)を垂らすウラシマソウ

 東斜面のウラシマソウも健在でした。 写真を撮っていたらお掃除中の方が『ここに何十年も住んでいて初めて見た』と仰っていました。 地味な花(苞)ですし、なかなか目に留まらないかもしれませんね。 テンナンショウの仲間好きも少なくはないのですが(笑)

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 今まで素通りしていた南からの参道で「茶釜稲荷神社」の鳥居が目に留まり、「茶釜」の名に釣られてお参りしていると、ちょうど参道を掃き清められてきた神職の方とお話しすることができました。 「茶釜」の名の由来は、昔近くにあって転居された旅館の経営者さんの屋号が「茶釜」といい、そのお宅に祭られていたお稲荷さんなので「茶釜稲荷」、 転居の際こちらの境内に祭祀を委ねられたとのこと。 なぜ屋号が「茶釜」だったのかは分からないそうですが、きっと茶の湯に関係の深いお家だったのでは…と想像を膨らませています。 春から茶釜に誘われたのは、益々茶の湯の道に精進せよとのことでしょうか??

 (参道の写真はお参りした帰りに最初の鳥居に向かって戻る途中で、神職さんのお写真はかなり離れてから振り返りそっとズームで失礼しました。)

タグ:神社 大洗
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2011年06月10日

Spirited away−何故ここに?(編集中)

 環水平アークを初めて見た後、思いもかけない異空間へと迷い込みました。 ただ、開門時間内であれば湖への近道を抜けられるというので、地図を片手にお寺(この山域全体は「狭山不動尊」と呼ばれている)の中へ入っていくと…

 いきなり迎えてくれたのが、「日光東照宮!?」というようなこの門です。

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【勅額門】元、東京芝・増上寺の徳川家台徳院一品大相国公(二代将軍秀忠公)の御廟に、寛永九年(1632年)三代将軍家光公が建立したもの。 勅額は後水尾天皇の筆。 国指定重要文化財。

 なるほど、家光公の建立であれば東照宮に似ているのも道理ですね。

 続いてまたもや、この豪華さときたら…!

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【御成門】やはり同じ芝・増上寺の秀忠公の御廟に、その子家光公が同年に建立したもの。 格子天井の中央に丸い鏡天井が設けられているのが珍しい特徴とのこと。
 
 金色の飛天像…の下には「葵の御紋」?

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 鏡天井の中には天女が… あ、ここにも「三葉葵」の御紋が見えます。

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 こちらは離れて見るとこんな風に囲われていて、中をくぐることは出来ません。

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 この右手奥には、秀忠公のご正室、今年の大河ドラマの主役「江姫(崇源院)」の御廟(芝・増上寺)から移設した【丁子門】などもあるのですが、東日本大震災により危険な箇所が生じたそうで、残念ながら「立入禁止」となっていました。 折も折、脚光を浴びるという滅多にない年に、そんなことになってしまうとは…案外お江さんは、あんまり騒がれたくないのかもしれないですね。

 打って変わってすっきり堂々、武骨さがいかにも武家らしい門です。

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【不動寺総門】 元、長州藩主・毛利家の江戸屋敷門。 総ケヤキ造。

 狭山不動さんの本堂は元は京都・東本願寺から移築した七間堂でしたが、平成13年に不審火で焼失。 今は味気ないコンクリの建物で、なにやら人の出入が多いのもあって、写真を撮るのを忘れてしまいました。

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【第一多宝塔】
 桃山時代(1555年)大阪府高槻市梶原にある畠山神社(もと梶原寺)に美濃国林丹波守が建立したもの。

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【第二多宝塔】
 室町時代中期、永宝七年(1435年)兵庫県東條町天神の椅鹿寺に播磨国守護赤松満男教康が建立したもの。

 なんという優美な曲線の集まりでしょう

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第二多宝塔の前の灯篭。 前側には「鷺」・裏側には「濡」の文字が。
どんな意味があるのでしょう。

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【弁天堂】

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【康信寺】 ユネスコ村にあった時は「孔子廟」とされていたらしいです。
 そして、なんと、その中に祀られているのは、台湾の文武廟にある孔子廟に祀られていた孔子・孟子・子思の本家像で、台湾に今ある方がレプリカなのだとか…。 どういう経緯か分かりませんが、恐らくこれも堤氏が黄金時代に入手されたものなのでしょう。 ご自分の名前の字を寺名に入れてらっしゃるのですね。

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【大黒天】もと奈良・極楽寺、柿本人麻呂の歌塚堂 もう、何故ここに?

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無造作に立ち並べられた夥しい数の灯篭の群れ、それぞれに誰の為に誰が寄進したか記されているのに、何でこんな所に・・・ 増上寺境内にホテルを建てる時、こちらに運んだきりなのでしょうか・・・

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【奈良十津川 桜井寺山門】
こちらもまたマニアが見たらビックリものですよね・・・何故、ここに!?

 ジブリ映画「千と千尋の神隠し」を見た時、「テーマパークの跡地」というキーワードから、『もしかして「ユネスコ村」?』と思い浮かべ、そういえば、あの丘陵の住宅地、向こうの世界へ行く前にくぐった門や石仏、遊園地の駅の待合い? 湖の底のように広がる風景もどこかで見たことがあるような気がしていました。
(つづく)
posted by 山桜 at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

節分会・大善院

 お稽古の帰り道、賑やかなお囃子に誘われて表通りから続く細い参道をくぐって行くと、色鮮やかな幟がはためき、並んだ出店からは、い〜いにおいが…。 今日は大善院(お不動さん)の節分祭でした晴れ
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 毎年、行ってみたいとは思いつつ、なかなか機会に恵まれず…。 それが今年は丁度、もうすぐ豆まきという時間にお囃子に誘われてお参りだなんて、幸先がいいではありませんか〜ぴかぴか(新しい)

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ご本堂横でお囃子やひょっとこ踊りや獅子舞のご奉納。 最近の子は獅子舞が頭の上で歯をガチガチしてもあんまり泣かないのですね〜 刺激に慣れてるのかしら?

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赤鬼さん、手には金棒、頭にはクルクル巻きの奥様ウイッグ、
そして…、全身ヒョウ柄スーツ… えっ、あれ、鬼ってトラ縞じゃ…?
追い払われる様子も無く、まるで警備員さんのように仁王立ちされてました。

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先頭切って福豆を蒔いて下さったのは、朝日山部屋の徳瀬川関。
(桐山部屋閉鎖により1月23日に一門の朝日山部屋へ移籍。初場所9勝)凛々しい力士に見惚れる鬼さん

 
しかし、何故に節分というこのタイミングで角界の不祥事発表…。 
全国で節分会に出席された角界関係の方々はさぞ肩身が狭かったことでしょう。
 
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右手でカメラ、左手で福豆の2袋キャッチ!
って、我ながらスゴ〜イじゃないですか!? 
ふふふ〜ん、こいつぁ〜春から縁起がいいや〜るんるん(ご機嫌) 
タグ:節分
posted by 山桜 at 20:00| Comment(18) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月05日

霊園山・聖林寺

 
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山門前には堅く戒律を守る律院と俗世界を隔てる「大界外相」の結界石

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かつて敵方の侵入から寺を守った立派な石垣も今は平和に苔むして…

 この春、梅と桜の花の狭間、娘と一緒に参拝に伺った聖林寺のご住職さんが亡くなられたと瓜亀仙人さんの日記で知りました。 瓜亀仙人さんがこの世で一番美しい、 この上もなく大好きな仏様と仰り、かのフェノロサも絶賛したと言う十一面観音像で有名なお寺さんです。 貴重なご縁に感謝申し上げ、遅れ馳せながら記事を書かせていただき、謹んでご冥福をお祈りいたします。   合掌


【霊園山・聖林寺(りょうおんざん・しょうりんじ)】(真言宗 室生寺派)

 奈良時代の名作、国宝「十一面観音像」(天平時代)で有名な古刹。
 藤原家の氏寺「妙楽寺(現「談山神社」」の別院として創建。
 ご本尊は、子授け・安産・子育て「子安延命地蔵菩薩」(元禄時代・石像)

(この石造の大地蔵菩薩様も素晴らしい慈愛で包んで下さいます。
 奥の十一面観音様へと足早に通り過ぎてしまっては勿体無いです。)

 HP → http://www.shorinji-temple.jp/ 
(地蔵菩薩・十一面観音・如来荒神像・他のお写真も拝めます)


【国宝・十一面観音像】

 第一回指定の国宝。
 天平時代を代表する仏像。
 大神神社の神宮寺「三輪山・大御輪寺(おおみわでら)」の元本尊。

 神仏分離令の発布前、廃仏の嵐を予期し聖林寺七代和尚・大心(三輪流十一面観音法を唯一伝授された三輪流神道の正嫡)により、大八車に乗せられ聖林寺へ移され難を逃れる。

 かつては、四天王に守られ、前立観音があり、左右に多くの仏像(現法隆寺の「国宝・地蔵菩薩」は左脇侍だった)、背面には薬師如来一万体が描かれた板絵がある荘厳の中にまつられていた。 光背(奈良国立博物館に寄託)には、宝相華文が散りばめられていたが大破している。


 今はガラスの向こうで、背絵も光背も四天王も前立観音も脇侍も失われていますが、それでも尚、眩く輝き、キリリと澄んだ眼差しで彼方を此方を見据えていらっしゃいます。 その毅然とされた面持ちの一方で、ふわりと柔らかに開かれた手指は、あくまでも優しい表情で、私達を受け入れて下さいます。

 それにしても時代の流れに翻弄されながら、よくぞここまでこうして永らえてこられたものです。 この観音像に込められたものがどれほど大きなことだったのかと感じずにはいられません。 若し、元の通りに復元が叶ったとしたら、日本に大きな霊験が現れるでしょうか…。 でも、そうなったら聖林寺には納まりきらなくなってしまう? 瓜亀仙人さんが寂しがると困りますので、そうっとしておきましょうか…。

 先に掲げた聖林寺のHPを書かれた前代住職(亡くなられた住職のご主人様)倉本弘玄和尚さまは、HPの最後に、この寺の静寂を護るさだめ負われ、経典の「恒作衆生利」を契う御心に深く響くとして、郷土の哲学者・保田與重朗の歌を遺されていました。 どうかこれからも末永く代々のご住職様、奥様とご一緒にふるさとの山河をお見守り下さい。 
  

      けふもまた かくて昔となりならむ

                 わが山河よ しずみけるかも



瓜亀仙人さんのブログ「大和浪漫」の中の『天平観音でお通夜』http://blog.goo.ne.jp/urikame2007/e/05e694f583955d975e9a1d6379fe674c


<追記>
因みにハリウッド(Hollywood)の漢名「聖林」とは何の関係もなさそうです。 そもそもその漢名も、聖なる=holy と ヒイラギ= holly を誤って付けてしまったものとか。 そのヒイラギもいわゆる西洋ヒイラギでなく、バラ科ナシ亜科のカリフォルニア・ホーリーと呼ばれる植物で、写真を見た範囲ではトキワサンザシ(ピラカンサ)に似ていました。

 
 
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2010年01月25日

「初天神」と「お初天神」

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 年が改まって最初の天神様(菅原道真公をお祀りする神社)のご縁日の25日は「初天神」と呼ばれ、いつもよりご利益が大きいと聞こえ、学問の神様のお力を最後の頼みにと受験生の参拝も多い日です。

 「初天神」といえば、落語が有名ですね。 子供向けの絵本も出ています。 
             

 落語の荒筋なんて面白くもありませんが、かいつまんで書けば…

 おかみさんから「初天神」に息子の『金坊も連れて行っとくれ』と言われた親父さん、アレコレねだられるので嫌だなと思っていると、丁度そこに金坊帰宅。 連れて行かないのなら、近所に『ゆんべのおとっつあんとおっかさんのあれやこれやを…』と脅かされ、仕方なく連れて行くことに。 案の定あの手この手で上手くねだられて、飴だの凧だの買ってやってしまう。 しかし凧を手にした親父さん、すっかり凧揚げに夢中になってしまい、金坊曰く「こんなことならお父つぁんを連れてくるんじゃなかった…」 (お後がよろしいようで〜)

 一方、ご存知の方が多いと思いますが、「お初天神」といえば、近松門左衛門作「曽根崎心中」の舞台となった大阪の露天神社(つゆのてんじんしゃ)のことをさすのだそうです。

  「誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え
   取伝へ貴賤群集の回向の種
   未来成仏疑ひなき恋の手本となりにけり」

 元禄時代、この神社の境内で実際にあった心中事件を元に、人形浄瑠璃「曽根崎心中」は書かれ、その女主人公・遊女「お初」にちなみ「お初天神」と呼ばれるようになったのだそうです。(お相手は手代の「徳兵衛」)

 恥ずかしながら、わたくしそのこと、露も知らず今日に至った訳でして…。 今まで「お初天神」は「初天神」を丁寧に呼んでいるのだとばかり思っていました。 どうも関西のことに疎くていけません。 いえいえ、それ以前の一般常識なのでしょうけれど、今日一つ利口になった記念に書いておくことに致します。


<ご縁日・覚書> 

 5日=水天宮    8日=薬師如来  10日=金比羅さま
13日=虚空蔵菩薩 15日=阿弥陀如来 16日=閻魔さま
16日=聖天さま(歓喜天) 17日=千手観音菩薩
18日=観世音菩薩(観音さま)     23日=八幡さま 
24日=地蔵菩薩  25日=天神さま  28日=不動明王
午の日=お稲荷さま
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2008年08月05日

神になった日本人

 茶道・藪内流TV体験入門の後は、こちらです。

NHK教育 「知るを楽しむ・この人この世界」

神になった日本人

 民俗学者小松和彦教授が、日本各地の歴史上の人物を祀る「人神神社」を訪ね、祀ってきた日本の人々の心を探ります。

    本放送 毎週月曜日 夜 10:25〜10:50
    再放送 翌週月曜日 朝  5:05〜 5:30

 番組HP http://www.nhk.or.jp/shiruraku/index.html

 第一回
人はいかにして神になるのか−藤原鎌足」奈良県・談山神社

 談山神社といえば、ブログ友酒徒善人(今は瓜亀仙人さん)さん縁の神社で、私のPCの秋の壁紙は、↓善人さん撮影、紅葉の談山神社・十三重の塔が飾っています。
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 酒徒善人さんのブログ「e411y」(現在は瓜亀仙人さんで「大和浪漫 http://blog.goo.ne.jp/urikame2007)には、このような談山神社関連記事
2008/02/17 「談山神社十三重の塔」等も沢山掲載されています。

 山の裾野に広がる田畑やお屋敷の中にきっと善人さんのお宅も…と思い、手を振るような気持でテレビ画面を見守っておりました^^

 
 さて、奈良県桜井市・談山(たんざん)神社*の公式HPによれば、蘇我氏の政治専横に危惧を抱き国の行く末を憂いていた鎌足は、偶然、蹴鞠会で勢い余り脱げた皇子の沓を手にしたことで、聡明な皇太子・中大兄皇子(後の天智天皇)と話を交えることとなり意気投合し、遂には、多武峰(とうのみね)の山中に於いて「大化改新」(蘇我入鹿暗殺に始まる)に向けての談合を行い、見事成し遂げます。

 これより多武峰は、談山(かたりやま)、談の峰などと呼ばれるようになり、鎌足の死後、唐留学より戻った長男定慧(じょうえ)が、夢枕の父の言葉に従い、摂津に埋葬された亡骸を掘り起こし一部をここに移しその上に十三重の塔を立て、生涯を国政に尽くした父・鎌足公を讃えて、ご祭神として祀ったのが、談山神社の起こりとされています。

 以来、藤原氏に何かが起きる前触れにこの山が鳴動するとか…そんなことを書いていたら、今、こちらは一転俄かに掻き曇り、草木を揺るがし地を打つ激しい雷雨となりました! 雷は神鳴り、古人ならずとも神様のお怒りか、お告げかと強く感じ入らずにはおれません。 )

 しかし、梅原猛は著書「塔」の中で、「家伝」の記載によれば、定慧の帰国は天智四年(665年)、しかも帰国後三ヶ月で亡くなっている。 一方、鎌足の死は669年、定慧は鎌足を埋葬することは出来なかった筈、と述べています。 

 しかも、定慧の母は孝徳天皇の元后であり、鎌足の妻となった時には既に定慧を身篭っていた…つまり定慧は天皇のご落胤だったことから、出家させていましたが、後に中大兄皇子は孝徳天皇の一族を疎み、抹殺していく中で、その血を引く定慧をも殺めたのではないかという推測がなされます。 そうなると、寧ろ(血は繋がらなくとも)父として我が子の死を悼み詫び、鎌足がこの地に立派な塔を立て、定慧が怨霊などにならないように祀ったのではないか、そして、そのことを隠す為に敢えて「鎌足のお告げにより鎌足を祀る」ものとして伝えて来たのではないかと言うのです。

 前者の伝えでは、神社(元は寺)のご祭神は、鎌足公=顕彰神、後者の説によれば、ご祭神は、定慧=祟り神、の性格を帯びることとなり、全く性質が異なってきます。 

 小松氏は、十三重塔の下の遺骨と多武峰山頂に埋葬されている遺骨を同じ人物のものと考えていらっしゃるようでしたが、私は、あの立派な塔の下には定慧が、そしてそれを見守るように山頂の質素な墓には鎌足が眠っているように、何の根拠もありませんが…思えてなりませんでした。

 脇にそれますが、鎌足誕生の折、狐が鎌を咥えてやってきたことから「鎌子」と名付けられた、という話が壺でした^^

*談山神社 明治の廃仏毀釈前までは「多武峰寺」とよばれ、
        多くの伽藍・塔があったという。


        *        *        *

第2回 8月11日 史上最大の祟り神 ―崇徳上皇
第3回 8月18日 北朝の寺、南朝の社 ―後醍醐天皇
第4回 8月25日 怨霊から顕彰神となった義民 ―佐倉惣五郎


小松和彦
1947年東京生まれ。 民俗学者・国際日本文化研究センター教授。 東京都立大学大学院博士課程修了。文化(社会)人類学・民俗学専攻。 信州大助教授、大阪大教授を経て、国際日本文化研究センター教授。
日本の歴史・文化の周縁に追いやられた鬼・異人・妖怪などの存在を手がかりに、日本人の心の奥底に潜むものを探る研究をつづける。

主な著書に『異人論』『悪霊論』(以上、ちくま学芸文庫)、『憑霊信仰論』『日本妖怪異聞録』(以上、講談社学術文庫)、『妖怪文化入門』(せりか書房)、『異界と日本人』(角川選書)、『神になった人びと』(光文社知恵の森文庫)、『日本妖怪学大全』(編、小学館)など多数


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2008年01月05日

谷中七福神

 「谷中・七福神めぐり」に行って参りました。
谷中・七福神は江戸で最も古い歴史を持ち、起源は江戸中期・享和年間
(1801−1803年)まで遡るのだそうです。 江戸っ子が新年の幸運を
祈りつつ、そぞろ歩いた同じ道を今も辿れるのは嬉しいですね。

 写真はあまり撮れませんでしたので、七福神像などをご覧になりたい
方は、こちらのサイトが詳しいです。
「谷中七福神巡拝案内」
http://www.asahi-net.or.jp/~UY7M-SSK/yanaka/yanaka_7fuku.html

 上野からでも田端からでも巡れますが、歩き終えた後に余裕があれば、
色々と散策しやすそうなので田端→上野のコースを選択しました。

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       木版刷りのご朱印色紙(和紙)です。

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 恵比寿さまの鯛、弁天さまの琵琶を肴に七福神様の楽しい宴

一、田端 東覚寺「福禄寿(人望)」 (田端駅北口から歩約5分)
  体中に赤紙を張られている仁王尊が目印です。
  (良くなりたい所に貼るのだそうです。)
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 福禄寿さまは上品な御爺さまという雰囲気でした。 寿老人と同一神
とも言われ、南極老人星(竜骨座のカノープス。全天でシリウスに次ぎ
2番目に明るい星だが、北半球では地平・水平線ぎりぎりにやっと
見えることがあるだけで、中国ではこの星を見ると寿命が延びると
される。 日本では時化を報せる星ともされる。)の化身とされます。

 こちらで上掲の色紙などを求める方が多く混み合うことが多いです。
 
二、日暮里 青雲寺「恵比寿(正直)」 (東覚寺から歩約18分)
  恵比寿さんは木彫り彩色の可愛らしい像。鯛の正面顔が印象的。
  スタンプの台が柔らかく窪んでしまい上手く押せないのが残念。
  手描きで想像補正したので、本物と違います。
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三、日暮里 修性院「布袋尊(大量)」 (青雲寺から歩約2分)
  子供好きな「ひぐらしの布袋様」として親しまれています。
  でっぷりふくよかで眉毛の濃い布袋様は、お会いしただけで笑顔に
  なってしまう正に福の神の面持ち。 一緒に拝観した子が、
  「これじゃぁ、メタボだよ〜!」
  と大きなお腹を見て笑ったので、周りの方々も思わず笑顔に。
  子供好きな布袋様もきっと喜んでおいででしたでしょう。
  子供が描いた布袋様の絵なども飾られていて、今も変わらず愛され
  ていらっしゃる様子が嬉しいです。
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(履物を脱いでお参りします。 渋滞の元ブーツは、避けましょう!)

 この間に竹細工の「翠屋」、飴の「後藤」、ドラマ「ごくせん」の舞台
にもなった「谷中ぎんざ」や「夕焼けのだんだん」、朝倉彫塑館など
見所が色々ありますので、ゆっくり時間を取れると楽しいです。
「あ〜ここ、ヤンクミが通ったの見た〜!」
って、やはり子供の記憶力はすごいですね。 私も再放送を見たばかり
だったので、大江戸(漫画では黒田)一家はどの辺り?なんて…(笑)

四、谷中 長安寺「寿老人(長寿)」 (修性院から歩約13分)
  福禄寿と同一神とも老子の化身ともされます。
  寿老人が連れているのは千五百年生きた玄鹿と言われています。
  狩野芳崖の墓所があります。 こちらも履物を脱ぎます。
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  七福神めぐり以外のお寺も沢山あって寺町情緒たっぷりです。
  この後、著名人のお墓も沢山ある谷中の墓地の中を通ります。

 幸田露伴「五重塔」のモデルとなった五重塔の跡
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五、谷中 天王寺「毘沙門天(威光)」 長安寺から歩約6分
 毘沙門天さまと聞けばどうも「我こそは…」のGacktの声が耳に…。
 ご朱印はお堂の左手奥で戴けます。  
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六、鶯谷 護国院「大黒天(富財)」 (天王寺から歩約17分)
 古いお堂に五色の幕が映えて美しいです。
 こちらも履物を脱いでお参りします。 中はほっと寛げる温かさに
 包まれた空間で思わず長居してしまいました。
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 温暖化では霜(雪)避け傘もまるで日傘ですね。

 護国院の角を曲がれば、もう上野公園の一角が見えてきます。 上野高校の隣の壁の向うは動物園。 昔は動物園のにおいがしてきたものですが、最近はとても気配りがされているようで、動物園があることにも気付かない程です。

 森鴎外住居跡を右に見る頃には公園内のモノレールも見えて来ます。 右手に公園入口が見えたら公園内を歩けば弁天堂はすぐそこです。

七、不忍 弁天堂「弁財天(愛敬)」 (護国院から歩約20分)
 不忍池の中に浮かぶ弁天堂は大人気。 いつも大勢の人で賑わって
います。 お線香の煙を良くなりたい所に…というと、女性は顔に
男性は頭に、が定番?

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 ついに無事に七福神さまをお参りし、ご朱印も七つ集まりました。
これで今年もお多福(顔が〜(●´▽`●))、間違いなしです!


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2008年01月04日

大甕倭文神社

大甕倭文神社(おおみかわぶんしづ*じんじゃ)

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拝殿は海を臨む為か谷に面しており、前が狭くて窮屈な写真でお許しを

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狛犬さんは荒ぶる神の姿を髣髴させるようながっしり厳つい雰囲気です

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 立派なお神輿も倉が解放されており拝観することができました。
 六角形というのが変わっていますね。 甕=亀なんて妄想がまた…

ご祭神: 武葉槌命(たけはづちのみこと)

以下『大甕倭文神宮縁起』より抜粋してまとめました。

 天照大御神が天孫・瓊瓊岐尊(ににぎのみこと)を豊葦原中津国(とよあしはらなかつくに)に降臨させるに当り、鹿島・香取の二武神を遣わし、国津神・荒ぶる神々(元々その地を治めていた神々)を平定させようとしました。 

 武神の誉高き二神は国津神、荒ぶる神々をはじめ草木石類に至るまで平定しましたが、常陸国の悪神・天津甕星(またの名を天香々背男・あまのかがせお)は、大甕上に陣取り東国地方の陸地はおろか海上にまで一大勢力をもっており、さすがの鹿島・香取の神もこの勇猛なる大勢力の前に為す術がありませんでした。

 その時この二武神に代り甕星・香々背男討伐の任を受けられたのが、当社の御祭神「武葉槌命・たけはづちのみこと」でありました。武葉槌命は、武神としては勿論、知恵の神としても優れておいでになり、(織物を始めとする組織的な産業を最初に起された神)知恵を駆使した巧な戦略の前に甕星・香々背男の一大勢力も遂に屈しました。

 数ある伝説の一つでは、武葉槌命が大甕山にて甕星・香々背男の変じたる巨石を蹴ったところ割れて、
・海中に落ち「おんねさま」「神磯」と呼ばれる磯  大洗の神磯?
・石神  東海村石神  石神社 
・石塚  常北町石塚  風隼神社
・石井  笠間市石井  石井神社
に飛んだと伝えられています。
(上記三社については、HP「神奈備にようこそ」の中のhttp://kamnavi.jp/en/higasi/oomika.htm の頁を参照致しました。) 

 また現在の大甕神社の神域を成しております「宿魂石」は、甕星・香々背男の荒魂を封じ込めた石であるとも伝えられています。

 甕星・香々背男の勢力を打ち払われた武葉槌命は、此の大甕の地に留り命の優れた知恵の産物である製塩の術・織物の術をはじめ様々な生活の術を常陸地方は無論のこと、東日本の一帯に広められ人々の生活の向上に貫献されました。 武菓槌命は「おだて山」即ち美しい山と人々から敬愛の念を持って呼ばれる大甕山上に葬られていると伝えられております。


        *     *     *     *
 
 このように縁起には「悪神」と記されている天津甕星・天香々背男ですが、これは平定する側からのとらえ方であり、地元では領民に慕われたよき神(治者)であったと伝わっています。 天孫族の傘下に入ることを最後まで拒み続けた地元の大きな武力をも持った治者であったのではないでしょうか。 勿論、平定後を治められた武葉槌命が偉大な神であられたことは間違いなく、どちらにしても豊かな土地で産業も栄え、平和な世を得られた領民は幸せだったことでしょう。

 ただ、心の中では天津甕星・天香々背男への畏敬と敬慕の心が生き続けていたのではないかと、この境内に立ちひしひしと思われました。 ご祭神はあくまでも平定を遂げられた武葉槌命ですが、天津甕星・天香々背男を鎮め奉る気持が強く伝わって来るのです。

 今回は山上の本殿まで詣でることが出来ませんでしたが、次回は必ず「宿魂石」を拝み、天津甕星・天香々背男ともっとお話がしたいと思います。

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 境内に奉納されていた船の錨です。 最初に目にしたときは、
「ああ、海の近くの神社らしい! 珍しいなぁ」
と感動しただけでしたが、後にふと心に浮かんで来た言葉にハッと
しました。

 「錨=怒り を 治める」

 この錨についての縁起等は探した範囲では見当たりませんでしたが、
やはり…そうなのでしょうか?


<追記 2008-01-21>
 「久慈町の娘」さんより、コメントにてご教示戴けましたので、

  倭文(×わぶん → ○しづ) に

  訂正致します。 このような嬉しい交流があると本当に
  ブログを書いていて良かった〜♪と思います。
  久慈町の娘さん、ありがとうございました。 <( _ _ )> 


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タグ:神社 常陸
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2007年08月14日

大洗磯前神社

 お盆参りの帰りに大洗の海沿いに宿をとりました。
翌朝、日の出を拝んでから、浜に面するこんもりとした山の中に鎮座
する大洗磯前(いそさき)神社へ参拝致しました。

「大洗磯前神社」公式HP http://oarai-isosakijinja.or.jp/

  御祭神 大己貴命(おほなむのみこと)
        少彦名命(すくなひこなのみこと)


  常陸国上言 鹿嶋郡大洗磯前有神新降 初郡民有煮海為塩者
  夜半望海 光耀属天 明日有両怪石 見在水次 高各尺許
  体於神造 非人間石 塩翁私異之去 後一日 亦有廿餘小石
  在向石左右 似若侍坐 彩色非常 或形像沙門 唯無耳目 
  時神憑人云 我是大奈母知少比古奈命也 昔造此国訖 
  去徃東海 今為済民 更亦来帰
  
       *         *         * 

   常陸国の言い伝えによれば、或る日鹿島郡の大洗の磯前に、
  見たこともない神様が表れたという。 初郡に海水を煮て
  塩を作る者がおった。 その者が夜半海を眺めていると 
  天に光輝くものがあった。 

   翌朝波打ち際に二つの奇怪な石があった。 高さは一尺程
  だった。 それは人間ではなくさながら神様のお姿のようで
  あった。 この塩翁の驚きの体験のあったさらに次の日には、
  20余りの小石が2つの奇怪な石の左右に恰も侍坐するように
  現われた。 奇怪な石たちは鮮やかに彩られ、目や耳は無く
  沙門(修行僧?)のようなお姿をしていた。

   その時、神様は人に憑依して、
  「わたしたちは、大奈母知(おほなもち)・少比古奈命
  (すくなひこなのみこと)である。 昔、この国を造り終えて、
   一旦東の海(常世の國?)に去ったが、今人々を救うために
   ここに再び帰り来る」
   と告げた。                     (山桜・訳)

    「文徳実録」(856年/斉衡三年)十二月 戊戌の条

                    (上記黒字部分、追記訂正 2007-08-24)
         
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               大洗海岸の日の出

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        水平線が丸く見えるほど開けた大海原  
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    ご祭神二柱の神様が現れたという海中の岩に立つ「神磯の鳥居」

     あらいその岩にくだけて散る月を

             一つになしてかへる月かな 


    こちらを訪れた時、水戸黄門光圀公が詠まれたお歌です。

    この鳥居の真正面から昇る日の出を、好天に恵まれて
    迎えるのは、下調べをしてもなかなか難しそうですね。
    
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神磯の鳥居を背にして階段を上り、道路を渡ると大きな二の鳥居。
この左手の県道を跨いで立つ大鳥居(15.6m)が一の鳥居です。
嘗てはそこからが境内であったのだそうです。

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二の鳥居下の狛犬さんは、荒磯の海風に洗われてか、風化著しくも温和な表情で出迎えてくれました。 参拝者が積み置いたのか足許にはたくさんの小石が…

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一礼して二の鳥居をくぐると、長い急な階段が伸びています。
足腰に自身の無い方は、こちらを登らずに、一の鳥居横の緩やかな参道を上ってこられるようです。

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     階段を上りきると神門の手前にはスマートな陶器の狛犬さん

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幽黙さんの真似をして彫刻にも注目してみました。
波と生物の彫刻は良く見かけますが、さすが荒磯に向って立つ神社の波の彫刻は荒々しい迫力があります。 波間から顔を覗かせているお魚がちょっと可愛らしい^^

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 拝殿です。 現在彩色の復元?中のようで、正面の一部だけ鮮やかに彩られていました。

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 何だか雰囲気が随分異なりますね。 東照宮みたいになるのでしょうか?
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 以前は拝殿の両側に狛犬のように対で置かれていた蛙が、今回は3匹になって並んでいました。 きっと奉納蛙が増えたのですね。

 そういえば、前日の美しい夕焼け空にガマ蛙の形の筑波山が綺麗に浮かんでいました。 茨城の人は将門公の眷属でもあるガマ蛙に愛着を持っているようですね。

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     本殿(向って左から) 美しい屋根の造形

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     本殿(向って右から) 
     大きな屋根に比べて少し華奢に思える建物部の調和には
     どこか優雅な美しさがあります。 

     大きな屋根は オホナムチノ命、
     小さな建物は スクナヒコナノ命、
     などと思わず想像してしまいました。

 一つの山を成す広い境内には摂社末社も数多く、それぞれに手厚く大切に祭られていました。 境内のお掃除の箒目も清々しく、大変気持の良い神社でした。 ご縁に感謝申し上げます。

 次は対で祀られているという「酒列(さかつら)磯前神社」(少彦名命が主祭神)にも是非、参拝したいと思います。

                        (2007-08-23 投稿 08-24 一部加筆訂正)

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posted by 山桜 at 00:00| Comment(29) | TrackBack(4) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月09日

当たり矢!

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 先日は正面鳥居から出入りしていて気付かなかった神社の境内、
この日はどういう訳か脇から出てみようとすると、その道沿いには
弓道場があり、的に見事に命中した矢がささっていました。

 これは縁起がいい!と眺めていると、丁度、矢を集めに向う方が
通りかかられたので、お声を掛けて写真を撮らせて戴きました。
(遠いので、命中した矢はぼやけていますね…^^;)

 すると、思いがけず『どうぞ中でご覧下さい』とのお言葉が!
失礼があってはと少々戸惑いつつも嬉しくご一緒し、先生の凛々しい
お姿を、間近で見学させて戴く機会を得ることが出来ました。

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 気を集中し、ゆっくりと力強く大きく弓を引かれると………お見事! 
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         遠めでよく見えませんでしたが、大当たり!!

 清々しい気持で神社にお参りすると、必ず良いことがありますね♪
見ず知らずの通りすがりの者を、快く招き入れて下さった皆さまに
心より感謝申し上げます。 

 ああ、私もいつの日にか…。



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 皆さまの温かい応援のお蔭で、現在「人文(全般・その他)ランキング」
 16位 まで復調いたしました。皆さまにお読み戴けていると思うと、
 毎日の励みになります。 いつもいつも本当にありがとうございます。
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2006年12月29日

立川諏訪神社

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                  立川諏訪神社

 信州諏訪大社より、武勇の神、建御名方神(タケミナカタノカミ)*を
嵯峨天皇の御代、弘仁2年(811年)にこの地に勧請したのが始まり。
武勇の神様に因み、夏祭りには奉納相撲が行われ、獅子舞も盛んです。

 建御名方命: 元は諏訪湖の水神、水潟(ミナカタ)の神との説あり。
 古事記では、父神・大国主命に、天照大御神の遣いとして国譲りを
 迫る建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)に、父・兄神が承服する
 中、一人抵抗して力比べを挑んだ末、諏訪湖に封印されてしまうが、
 類稀なる勇ましき武勇の神、狩猟の神、そして水神として祀られる。

 建御雷之男神との力比べが「相撲の起源*」ともされており、
こちらの神社の境内にも下のような土俵が設けてありました。  

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            境内に設けられた土俵

 *「相撲の起源」には他にも、日本書紀にある奈良の當麻蹶速
 (たいまのけはや)と出雲の野見宿禰(のみのすくね)との力比べ
  が有名です。

   
 今日は年末の忙しい最中というのに、精密検査の続きで病院へ…
そんな朝に見たTVの週末占い。わたしの星座「天秤座」は最下位、
しかし、ラッキーポイントは大きな神社ということで、何とか幸運を
手繰り寄せようと病院近くの大きな神社へ詣でて参りました^^

 すっかり年越しの準備が整った神社の境内は清々しく、青空の下、
お参りが出来、天地の元気(あめつちのはちめ)を体いっぱいに
戴いて参りました。 紅白の絞りの椿の花がちらりほらりふっくら
ほころび始めているのを嬉しく眺めて参りました。

 検査結果などは年越しとなりましたが、新年を無事家で迎えることが
出来、ホッとしております。

 今年のブログはこれで納めとなるかもしれません。
皆さまのお蔭で今年もとても実り多き年となりました。
いくらお礼申し上げても足りません。 本当にありがとうございました。
新年も、皆さまの益々のご活躍とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

                                   山桜 拝 
 
posted by 山桜 at 00:00| Comment(16) | TrackBack(1) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月16日

北鎌倉・円覚寺

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 関東の道の多くは鎌倉に通じているのですが、私の家の近くにも、「鎌倉古道」という往時の面影を残す道があります。 散歩の時にここを通ると、馬のヒヅメの音が聞こえ、無性に鎌倉へ行きたくなります。

 「いざ、鎌倉!」 今回は鎌倉は初めてという友達の希望で、北鎌倉の円覚寺をゆったりと時間をかけて回り、その足で不思議なご縁に導かれるまま、今思い出してもちょっと大胆な冒険をしてしまいました。

 北鎌倉駅を降りると、ふわっと甘い油揚げを炊く匂い。名物に・・・の言葉が頭をかすめ、いつも素通りしていたのですが、今回は朝が早かったのもあり、ついに空腹に負けて購入。 
 「お昼にお食事処が混んでいたら、これを食べればいいしね!」
   ??〓 1128.jpg

               瑞鹿山円覚寺 三門

 三門をくぐるとベンチが・・・ちょっとお茶を飲んで一服・・・。
寿司折から漏れる誘惑の香りにまたしても負け、早々に戴くことに。
未だ作りたての為か、お揚げと酢飯がしっくりしていませんでしたが、
空腹は最上の・・・です。 美味しゅうございました^^

  二人で一折の助六寿司で軽くお腹を満たした後、この日第一の目的地、
佛日庵へ向いました。 今回の旅、私はお供の腰元気分。 主役の友達
が写真を撮っていたのを傍観、どういう訳か自分も撮った気になって
いたようで、後で殆ど写真を撮っていなかったことに気付きました。

仕方がないので、宜しければ春先に佛日庵を訪ねた時の日記を・・・。
http://yamasakuran.seesaa.net/article/14691654.html
この日記の中にある緋毛氈をしいた腰掛でお薄と豆鳩のお菓子を
戴きました。 佛日庵は本堂?とお茶室「烟足軒」が工事中で、
いつもの静けさはありませんでしたが、非公開のお茶室の中が少し
だけ覗けました。 とても人懐っこいワンコが撫でてくだ〜さいと
ばかりにお腹を上にしてゴロリ。撫で撫でしながら、ひらりんちの
小太郎くんを思い出して可笑しくなりました。

 その後は一番奥の黄梅院で聖観音さまを拝み、咲き零れる秋草に
心和まされながらまた登ってきた道を戻ると、国宝の舎利殿を背景に
大勢のお坊様方が記念撮影中・・・その様子をまたカメラに収める人達。
私も撮ろうとしたのですが、真っ白な長いお髯の方を認めたら、
シャッターが切れなくなってしまったので、それ以上の失礼はやめて
置きました。
 
 前回は法事の準備中で入れなかった方丈のお庭で大きなビャクシン
の木と百観音さんを拝み、続いて山の上の弁天堂へ階段を昇りますと、
いつも混雑している茶店もこの日はひっそりと静かで拍子抜け。 
錦に染まり始めた北鎌倉の山々をゆったりと眺めることが出来ました。

 三門を挟んで向かい側の塔頭(たっちゅう)松嶺院は、春の牡丹で
有名ですが、今は秋の草花が可憐に咲いていました。鎌倉とんぼさん
お勧めのこの塔頭は、春秋の限定期間のみの公開です。
??〓 1135.jpg??〓 1119.jpg??〓 1127.jpg
 (写真左から、柿とピラカンサ、リンドウ、大文字草)
 (右2枚の写真は炉開きの日記でも使用しました。)

 最後に弓矢が沢山納められている桂昌庵と弓の稽古場を拝見し
円覚寺を後に致しました。 これだけ時間をとって何度来ていても
未だに全てを拝観できずにいます。 今度は冬に来ようかな。
posted by 山桜 at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月24日

鳩峰神社〜荒幡富士(埼玉)

 今日はハイキング引率の為の実地踏査。 西武園駅北口から出発。
すぐに八国山。緑濃い道を少し上ると気持ちの良い尾根道に出る。
  画像 228.jpg金銀に咲くスイカズラの甘い香り、
    目の前をはらはらと舞い落ちるエゴノキの白い花…
 画像 408.jpg

 ふと遠くで雷鳴…? 気のせい? 飛行機? いや雲の色も怪しい。
折角出掛けてきたが、引き返すべきかと思い迷いつつもついつい進む。

 尾根道の途中、「←久米水天宮・鳩峰神社」の看板に従って左に道を
降りる。森を出るとサーっと雨足が降り注いできた。小走りに道端の
看板を見ながら歩くと「仏眼寺」 ここで雨宿りをさせて戴こうと
お参りをしている間に雨は上がり薄日も零れてきた。 まるで仏様の
ご加護を戴けたようで、今日の実踏決行の意志を固める。
            画像 404.jpg薄日にグミの実がキラリ
       画像 415.jpg
「鳩峰八幡神社」
 延喜21年(921)京都・石清水八幡宮を分祀したものと伝えられる。
 ご祭神は誉田別命(応神天皇)、
 息長帯比売命(神功皇后・応神天皇母上)、他
 画像 414.jpg
  深い杜の木々の間から漏れる日差しが揺れて光る参道を進むと、
参道では一滴の雨も落ちていないのに、お社殿前には確かに白く細い雨が
降り注いでいた。見間違いではないのかと、落ち着いて目を見開くが
確かにそこには雨が降っていた。何故そこだけ…?信じられない気持ちで
恐るおそる近づくといつの間にか雨は止み、社殿がボーっと光り出した。
 画像 424.jpg
 社殿は見世棚造(一間社流れ造) 
 室町時代以前の建築とも言われる県指定文化財
 
 狛犬が、こっちへ向って駆けて来る! ここの狛犬は体も真正面を
向いていて、何だか人なつっこそうで思わずそんな風に感じてしまった。
今日のお招きを感謝してお参りをして奥へ向うと…
     画像 422.jpg
 神さまは、雨で清めて下さった後、暖かな光で迎えて下さった。
 あまりの勿体無さに自然と涙が…。神さまありがとうございます。

 画像 421.jpg
 お隣の「久米水天宮」ご祭神は安徳天皇。安産の神様。
 1月5日には、だるま市と重松流祭り囃子の奉納で賑わう。

 鳩峰神社と久米水天宮の間の道を進み、
      画像 420.jpg
      トトロの森2号地を抜け
          画像 419.jpg
一度山を降りて住宅地や茶畑の中を歩き、また向かいの山を上る。
荒幡小学校の前に広がる丘陵公園の上からまた虹のような光が…
          画像 423.jpg

 程なくして、木花之佐久夜琵売をお祀りする「浅間神社」に到着。
拝殿・本殿の後には、想像を遥かに上回る大きな富士塚、
「荒幡富士」が聳えていた。
 画像 433.jpg
 画像 427.jpg
 高さはおよそ12m、本物の富士山よろしくジグザグの登山道の折々
1合目〜9合目の石碑を数えながら上ると、見晴らし最高の頂上に!
          画像 429.jpg

画像 430.jpg 画像 432.jpg

 合祀された近郷の社・祠の神さまも、16年の歳月をかけ塚の造営に
心を注いだ崇敬者、その末裔の方々によって大切に祀られていた。



posted by 山桜 at 00:00| 東京 ☔| Comment(8) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月07日

戸隠の由来伝説

画像 173.jpg
        奥社 随神門 

戸隠神社は、次の5つの神社(社の位置の上から)

    奥社:ご祭神 天手力男神・アメノタヂカラオノカミ
 九頭龍社:ご祭神 九頭竜大神・クズリュウノオオカミ
    中社:ご祭神 天八意思兼命・アメノヤゴコロオモイカネノミコト
火之御子社:ご祭神 天鈿女命・アメノウズメノミコ
   宝光社:ご祭神 天表春命・アメノウワハルノミコト

の総称で、元々の土地神様であった九頭竜大神以外は、天岩戸(アメノイワト)開きの神事に功績のあった神々様をお祀りしています。

 戸隠神社公式HP http://www.togakushi-jinja.jp/

  奥社の天手力男神様にまつわる「戸隠の由来神話(古事記)

 天照大御神が弟神スサノオノミコトの振る舞いを悲しみ、天岩戸にお隠れになってしまった時、オモイカネノミコトの名案により、アメノウズメノミコトが天岩戸の前で面白おかしく舞い踊り、それに興味を持たれた天照大御神がそっと岩戸から外を覗いた瞬間、天手力男神が思い切り岩戸を引きあけ、中から天照大御神を引きいだすと二度と岩戸を締められないように、高天原から地上に岩戸を投げ隠した。 それが地上に突き刺さって出来たのが今の戸隠山と言うことである。
   
 もう一つの「戸隠の由来伝説(阿裟縛抄・顕光寺流記)」

 昔、この土地を支配し荒れることもあった九頭一尾の龍大神が、学問行者の七日間祈念により鎮まり、これで成仏できると言って、岩屋戸の中にお隠れになった。このことから戸隠山と呼ばれるようになった。 今でも時に龍神が身震いすることにより、雪崩が起きるのだとも言う。 (「阿裟縛抄」「顕光寺流記」)  

 (今回山桜は、この龍神の身震いかと思われるような、
  轟音と共に雪煙を巻き上げた大きな雪崩を目撃しました。)
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2006年03月09日

円覚寺・佛日庵など

butunitian.JPG ensokuken.JPG

 鎌倉へ行って来ました。 引率の下見なので足早な行程が多かった
のですが、最初に詣でた円覚寺の中の佛日庵では、ゆったりと臥竜梅
などを眺めながら、お抹茶と豆鳩の形のお菓子を戴くことが出来ました。
(写真は他の方が写っておりますので小さくしてあります。)

 こちらは、円覚寺を建立した北条時宗公・北条家廟所であり、
十一面観音菩薩(鎌倉観音霊場第三十三番)と時宗・貞時・高時の
木像が鎮座されています。

 お堂の右手を少し上がった所には、茶室・烟足軒(えんそくけん/写真右)
があり、時宗公の縁日のうち、4月4日と10月4日にお茶会が開かれると
言うことです。 折角だからゆかりの川端康成「千羽鶴」を読もうかな。

 佛日庵を出て少し上がった右手の岩穴は「白鹿洞」と呼ばれ、落慶式の折
無学祖元(仏光国師)がお経を唱えると法話を聞きにこの穴から一群の
白鹿が表れたとの奇瑞伝承を持ち、このことから円覚寺の山号を「瑞鹿山」と
定めたそうです。
(この日会った方からお経と伺ったように記憶していたのですが、法話が正しい
 ようなので訂正致します。申し訳ありません。)


 穴あらば覗かずにはいられない性分なので、早速穴の中へ・・・。
中の暗闇に段々と目が慣れてくると、何やらのものものの気配が! 
慌てて首を引っ込めて合掌した私でした・・・。(不躾なことで申し訳ありません。)

 境内は「ミツマタ」の花盛りでした。 蕾は綿毛の付いた細長いクリーム色
のものが沢山集まっているのですが、その先が咲き開くと中は鮮やかな黄色で、
まんまるの黄色いカンザシのようになって可愛らしく、すっかり見惚れてばかり
で写真を撮るのを忘れてしまいました。残念! 

 参拝を終え、山門を出て階段を降り線路を越えると白鷺池(びゃくろち)の上
に伸びた枝の上で、本当に一羽の白鷺が羽衣のような美しい羽の繕いを
していました。私にとっての奇瑞・眼福でありました。
タグ:鎌倉 円覚寺
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2006年02月01日

戸隠の神さま!

 ・・・もう、本当に驚きです!

1月29日、湯島天神の境内・摂社の「戸隠神社」の前にて、

 「また戸隠にキャンプに行けますように…。」

と祈ったことを書きましたが、何と今日、キャンプ研修の企画が変更になり…

 GWに私は戸隠のキャンプ場に行くことになりました!

 戸隠の神さま、ありがとうございます!
道理であの時、ニコニコ迎えて下さった訳です。
こっちへおいでと呼んで下さっていたのですね。


    *     *     *

 去年、鎌倉とんぼさんに、相撲の始祖神は野見宿禰(のみのすくね)、
更にその元を辿れば、天手力男神(あめのたぢからをのかみ)こそ相撲の始祖と
言えるでしょうとのお話を伺った。

 その時、天手力男神をを祀る神社を調べると戸隠神社奥社だったので、以前に
一度詣でてはいるが、次は御由緒を踏まえた上で是非お参りしたいと思っていた。

 更に今回、その野見宿禰が、代々天皇家のご葬儀を司り、埴輪合葬の考案者と
される土師連(はじのむらじ)→土師臣(はじのおみ)→菅原家の始祖であり、
菅原道真公のご先祖様であることも知った。

 不思議な巡り会わせで、どうやらその筋を辿りに出掛けなければならないようだ。
何に導かれているのか、とても楽しみです。


     *     *     *

 戸隠の山は一度見たら忘れられない、激しく切り立って荒々しい一種異様な
様相を呈しているが、記紀などの神話によれば、もう二度と天照大御神
お隠れにならないように、天手力男神がブンと投げ捨てた「天岩戸」
大地にド〜ンと突き立った姿なのだという。
なんとスケールの大きな話ではありませんか!


 戸隠山のお姿 「信州百名山」サイトより
 
http://www.naganoken.jp/mount/hokushin/gogaku/togakusiyama.htm
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2006年01月31日

天満宮の飛梅

 松風さんのブログで早咲きの梅のお話になった時、太宰府天満宮
「飛梅」というがあることを知った。

ところが、今度はm-tamagoさんのブログで、菅原道真公を慕って
大宰府へ飛んでいった元の梅はであったと教えて戴いた。

 飛び立った時は梅で、根付いた先では梅?
これはどうしたことかと、調べてみた。

 道真公はどちらの梅も愛され、本邸を梅殿」別邸を梅殿」
称された。 さてはて、どちらの線もありそうな気配。

 有名なお歌

   東風吹かば においおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

の初出は、『拾遺和歌集』だが、梅の色の言及は無い。
(この頃の歌は今伝わるものとは、少し違っている)

   東風吹かば にほひをこせよ 梅花 主なしとて 春を忘るな


 その後、承久元年(1219年)作の『北野天神縁起絵巻』に於いて、
を眺める道真公の姿が描かれてより以後、公が別れを
惜しんだ梅は「梅」が定説になったように思われる。

 絵にするのならやはり「梅」が映えるからか…。 
熱き思いに応えて、空を飛ぶような力も「」を連想させるかもしれない。
菅原家邸宅址の菅大臣神社の「飛梅」も梅とのこと。

 では、何故、大宰府天満宮の「飛梅」は「梅」になってしまったのだろう?
実は、大宰府の飛梅も元々は梅だったが、度重なる代替わりや植え替え
を経ていつの間にか梅になってしまったということだった。

 交配を繰り返して作られた植物には、こういうことが生じることはある。
しかし、主を追って真っ赤な心で飛んできた梅の思いも、年月を経て昇華し、
純白になっていった。 そんな風にも思われる。

 無念の涙を流されたかもしれぬ道真公も、祟り神として畏れられた
昔から、学問の神として後の人々に慕われるようになり、今はく清かに
お鎮まりのことと思う。
posted by 山桜 at 00:00| Comment(12) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする