2018年01月06日

お犬さま

PC229644狛犬 御嶽神社 (207x310).jpgPC229643狛犬 御嶽神社 (207x310).jpg

 武蔵御嶽神社拝殿前の狛犬さんは、山犬とも呼ばれる狼(オオカミ)の姿です。 白い山犬で、白鹿の姿をした邪神に行く手を阻まれた日本武尊を救い、この地に祀られたとの伝えです。 「もののけ姫」のモロの一族、シシガミ様、アシタカのモデルのようにも思えます。 
 戌年の今年に備えてか、長い間工事中だった本殿などの修復も完了し色鮮やかに蘇っていました。

PC229645 (207x310).jpgPC229653御嶽神社 奥の院 (207x310).jpg
蘇った拝殿で鈴もキラキラ      奥宮の遥拝所

 武蔵御嶽神社では、「太占(ふとまに)」という、牡鹿の肩甲骨の裏に溝を掘って火で炙り、生じたひび割れで今年の実りなどを占う行事が今も続けられています(1月3日非公開)。 

P4274395ウワミズザクラ (207x310).jpg その炙る火を熾す薪に使われていたのが、ウワミズザクラ。

「占溝桜」「裏溝桜」から転じた名前です。

 古事記にも記されている古名は「波波迦(ハハカ)」。 とても固い材です。

 桜らしからぬ白い穂状の花を咲かせ余り気付かれませんが、武蔵野の里山にも普通に生えており、赤い実が散る頃には少しだけ「何の実?」と話題になります。 
 
武蔵御嶽神社については、以前の記事も合わせてご覧いただければ幸いです。
2016年1月12日
「氷華シモバシラと御嶽神社初詣(下見・本番)」
2017年7月27日
「御嶽と御岳」


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2017年12月21日

ぶらり江戸散歩「月の松」清水観音堂

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月の松 (418x630).jpg

国立国会図書館「錦絵で楽しむ江戸の名所」より

 上の写真の「月の松」は、2012年に150年ぶりに江戸時代の安藤廣重の錦絵にも描かれた、松の枝で満月を表した姿を復元したものです。 山桜も当時訪れて写真も撮ったのですが、探してもブログのどこにも残っておらず、どうやら例のごとく記事にし損ねていたようです。

 看板が邪魔な位置にあるわ(勝手な物言いですが)大勢の人で賑わっているわで、なかなか錦絵通りの構図にはなりませんでした。 松の枝振りも向こうの風景も随分違いますけれど、なかなか面白い試みであり、このような姿に松を育てられたのは大変なご努力の賜物と思います。 江戸っ子の心意気、今も生きるです。

 因みに「月の松」のある清水観音堂は京都の清水寺をを見立てたお堂で、この写真を撮りましたのも小さいながらも「清水の舞台」からです。

 二代将軍徳川秀忠公から上野の山を寄進された天海大僧正が、平安京と比叡山の関係に倣い「東叡山寛永寺」を開き、比叡山が京都御所の鬼門(艮=東北)を守るように、江戸城の鬼門の守りとし、上野の山に比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立された中の一つということですね。


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2017年12月20日

ぶらり江戸散歩「妻恋神社」

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 神田の家「井政」の風情に遠き日を懐かしんだ後、道なりに上野方面へ向かいますと「妻恋神社」がありました。 

 伝えによれば、関東制圧中のヤマトタケルノミコト(倭建命『古事記』/日本武尊『日本書紀』と表記)一行の東京湾を三浦半島から房総半島へ渡る船が荒波に翻弄される中、荒ぶる海神を鎮める為、妻のオトタチバナヒメノミコト(弟橘姫命)が海に身を投じ波に飲み込まれてゆきました。 無事渡り終えたヤマトタケルノミコトは、妻の消えた海に向かい妻恋しと、

「吾妻(あづま)はや・・・、吾妻はや・・・、吾妻はや・・・」

と三度呼びかけられました。 
これが関東を「あずま」と呼ぶ由来とされています。
また妻を恋するあまり滞在地から離れられず、

 君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき

の歌を詠まれたとされるのが今の「木更津」で「君去らず」が名前の由来とされています。
また姫の袖が流れ着いたとされる所は「袖ヶ浦」と呼ばれています。 片袖がそれぞれ、袖ヶ浦市と習志野市の袖ヶ浦に漂着したというのも、なんだか信憑性がありそうですね。

 妻を恋するヤマトタケルノミコトの思いを、東征の途中に一行が立ち寄られたされるこの郷の衆が鎮め祀り給うたのがここ「妻恋神社」ということです。

 稲荷神社も合祀したことにより、江戸時代には「妻恋稲荷」と呼ばれ、「王子の稲荷」と並び人気を集めたものと言われます。

 ヤマトタケルノミコトについては、古事記と日本書紀とではかなりそのご性格や物語に違いがありますし、源義経にも通じる「判官贔屓」の心情でその頃の英雄伝説が融合統合されて膨らみ美化された部分もあるようですが、概ね、がっしりとした体躯、女性に好まれる風貌(妻の数の多いこと!)、勇猛果敢、関東征伐に向かって成果を遂げたものの、父(第十二代景行天皇)にはその力ゆえに恐れられ疎まれてしまった「悲劇の英雄」ではあるように思います。

 社殿は残念ながらコンクリート造、気付けば鳥居からの風景しか撮っておりませんでした。 こういう神社は大勢でではなく、改めて一人でしみじみとお参りしたいものと思います。


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2017年12月16日

ぶらり江戸散歩「湯島聖堂・楷の木」

 うっかり屋根ばかり見上げていて書き損なっていましたが、湯島聖堂には森林インストラクターとしては書いておきたい特別な「樹木」がありました。 

 山東省曲阜にある孔子の墓所「孔林」に弟子の子貢が植え、学問の木とも呼ばれる「楷の木(カイノキ)」のことです。 カイノキはここ湯島聖堂はもとより、各地の孔子廟に植え継がれており、牧野富太郎先生は「孔子の木」と命名されています。

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 悠然と枝を伸ばした姿が素晴らしいのですが、残念ながらお手入れがされて枝が大分切り詰められており分かりづらいかもしれませんが、

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 羽状複葉(頂小葉が無いのも特徴)の小葉が対生で整然と並んでいる様子、枝振りが直線的直角的にきっちりとしている様子が、書道の「楷書」という言葉の元になったと、湯島聖堂の「楷樹の由来」には書かれていました。 

 先に「楷書」の言葉があり、その書体に因んで「楷の木」とされたと書かれているものも多いですが、どちらが先なのでしょう。 私としては、自然の風に学んだということで「楷の木」が先であって欲しいという気持ちです。 下に湯島聖堂にある由来書を掲げておきます。(一部緑字 山桜加筆)

楷樹の由来

【楷 かい】 トネリバハゼノキ ウルシ科
 (別名:爛心木/ランシンボク、楷樹/カイジュ、南蛮櫨/ナンバンハゼ、孔子の木/クシノキなど) 
 学名 PISTACIA CHINENSIS. BUNGE
    (ピスタチオ・ナッツと同属近縁です)

 楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で初め子貢が植えたと伝えられ、今日まで植えつがれてきている。 枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。
 
 わが国に渡来したのは、大正四年 林学博士 白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り、東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初である。 これらの苗は当聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられた。 その後も数氏が持ち帰って苗を作ったが性来雌雄異株であるうえ 花が咲くまでに三十年位もかかるため、わが国で種子を得ることはできなかったが、幸いにして数年前から二三個所で結実を見るに至ったので 今後は次第に孫苗がふえてゆくと思われる。

 中国では殆んど全土に生育し、黄連木、黄連茶、その他の別名も多く秋の黄葉が美しいという台湾では爛心木(ランシンボク)と呼ばれている。 牧野富太郎博士はこれに孔子木と命名された。

 孔子と楷とは離すことができないものとなっているが、特に当廟にあるものは曲阜の樹の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える。

 昭和四十四年己酉秋日  矢野一郎 文


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【湯島聖堂の周りの「築地塀」】
 江戸の錦絵などにも描かれている横縞が特徴的なこの築地塀は、土と瓦が交互に積まれた上に屋根が葺いてあります。 時代劇の舞台としても昌平坂、昌平坂学問所(昌平=孔子の生地魯の国の昌平郷に因む)として度々登場し、江戸の世にタイムスリップした気分に浸れて好きな場所です。
 塀の基礎の隙間から生えていたのは【イタビカズラ】クワ科イチジク属  イタビ=イヌビワのことです。 昔の人は、実の形が似ているビワ(バラ科)とイチジクを混同していたのかもしれません。 イチジクの仲間なので傷つけると白い乳液が出ます。 


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2017年12月15日

ぶらり江戸散歩「湯島聖堂・シャチホコ」

 さて、駿河台の方を散歩した後、聖橋を渡って湯島台に入るとすぐ右手が、恥ずかしながら不肖 山桜が最初に七五三詣をいたしました「湯島聖堂」です。

 『なぜ湯島聖堂で七五三?』 実は氏神様の神田明神へ詣でるつもりが父が駐車場を間違え、こちらに先に来てしまったというのが真相です。 お陰様で孔子さまのお導きか、成果はともかくとして勉強するのだけは好きになったようです。

 何度も訪れているのに、この日は妙に大成殿(孔子廟正殿)の屋根の上のシャチホコ?が金色に光っていて気になりました。 綺麗に磨かれたらこんなに光るんですね。 よくよく見ると、なんだか豪快に水を噴き上げてるじゃありませんか!

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大成殿を裏から見た時のお姿です。

 調べてみると、鯱(シャチホコ)の一種ではありますが、

「鬼(ケモノ篇に犬)頭」=キギントウ という聖獣で、

龍頭魚尾・二脚双角、頭上より潮吹きという姿。
その噴水力でもって火除けを担っているのだそうです。

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引いて仰ぐとこんな風です。 屋根の両端に頭を外側にして鎮座しています。

「湯島聖堂」についてのもっと詳しくはこちらへどうぞ
史跡「湯島聖堂」HP

*孔子廟のカテゴリーは「神社・仏閣」ではないのですが、お目こぼしください。 「宗教・哲学」とすればよいでしょうか・・・。 他にもカテゴリーに当て嵌めるのが、難しい時がままあります。


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2017年12月11日

ぶらり江戸散歩「一口(いもあらい)稲荷神社」

 この日は、「ぶらり江戸散歩」研修会で、森林インストラクターの神域お話名人I先生に連れられて、御茶の水〜上野不忍池界隈を、笑ったり頷いたり伸びあがったり蹲ったり、興味を同じゅうする面々と楽しくそぞろ歩き廻りました。

 JR御茶ノ水駅の聖橋口を出て本郷通りを渡った線路沿い(淡路坂=いもあらい坂とも)に、大きな椋の木(ムクノキ)が梢を空いっぱいに広げて聳えたっていました。 その場所こそが、

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【一口(いもあらい)稲荷神社・元宮】

 椋の木には、「元宮」と「由緒」の木札、誰でも持ち帰れるように「風邪咳封御守」が結び付けられていました。 そこから丸善の角まで戻り飯田坂を下ってゆくと、暫くして右手に現在のお社が現れました。

【太田姫稲荷=一口(いもあらい)稲荷神社】
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 都会に残る神社は、どこもビルの谷間になってしまいましたが、お祀りする人の気持ちで高めていけるものと思います。 崇敬の心こそ大切です。
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何故一口稲荷が太田姫稲荷と呼ばれるようになったかは、後述のご由緒をご覧ください。

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「社紋」は太田道灌の紋所「太田桔梗紋」桔梗好きな私、トキメキました。

太田姫稲荷神社/一口(いもあらい)稲荷神社ご由緒
 室町時代末、関東一帯には疱瘡(天然痘)が流行、この地に在した太田持資(後の道灌)の姫も罹患。 その時、京都の東南、山城国の一口(いもあらい)の里の一口稲荷神社が本来五穀の神である上に、穢(けがれや災い)も洗い清めてくれるということからも「え(穢)もあらい稲荷」と呼ばれ、近郷近在の人々の信仰を集めている、という噂を持資(道灌)が聞き、早速山城国「一口稲荷」に平癒を祈願したところ、姫は全快し、大いに感謝、崇敬を高めた持資は江戸城内に勧請。

長祿元年(1457):江戸城鬼門除けとして「一口稲荷」を勧請
天正18年(1590):錦町一丁目に遷座
慶長11年(1606):江戸城増築に伴い聖橋の袂に遷座。
(その頃まだ聖橋はなく下流の昌平橋は「一口橋」と呼ばれ、淡路坂は神社の表参道だった)
明治 5年(1872):太田姫稲荷神社と改称
(東京府より村社に定む。 錦町一丁目、小川町二丁目の一部、駿河台全域の氏神)
大正12年(1923):大震災で類焼
昭和 3年(1928):本社殿を南向き(以前は東北東向き)に新築
昭和 6年(1931):総武線開通工事の為に、現在の駿河台一丁目二番地に移転

ご祭神
「宇迦之御魂神」五穀の神
「穢もあらう」、病を癒し災いを除け、家内安全、商売繁昌の神
菅原道真公、徳川家康公の合祀により、文武の神。
社紋は太田道灌にちなんで、「太田桔梗」

「太田姫」とは
 太田道灌の姫のことではなく、京都にあった一口稲荷神社のご祭神で、道灌に狐の姿で現れて江戸城鬼門に祀れと告げた「太田姫命」のこと。

京都「一口(いもあらい)」
 このお稲荷さんが祀られていた「一口(いもあらい)」の地は、かつての巨椋(おぐら)池(秀吉に埋め立てられて現在は農地)の西岸あたりにあったと伝わり、「一口」の名は、北・東・南の三方が巨椋池によって囲まれ、村への出入り口は西のただ一方だったことによるとか。
 『平家物語』『吾妻鏡』『承久記』『太平記』等の中にも、その地名が記されており、淀とともに京都南部の攻防の要衝の地であった。 
 現在も「東一口」「西一口」とその名を残す。

なぜ「一口」は「いもあらい」と読まれるのか?
・「いもあらい」とは「いみはらい」(忌み祓い)の変化したものという説。
 「忌む(斎む)」「払う(祓う)」は、「身を清め、禍を払う」という意味。
 「はらい」→「あらい(洗い)」に変化。

・巨椋池を昔「いも」と呼び、そこで疱瘡を洗い清めたことからという説。

・疱瘡のことを「いも」「へも」と呼び、池で洗い清めたことからという説。 など等

 そもそも「一口(いもあらい)稲荷さん」が「巨椋(おぐら)池」の地に在って「椋(むく)の木」にご縁があり、巨椋池が無くなってしまっても、椋の巨樹が今もこうして東京の聖橋の袂に生き残っているとは、連綿とした縁の繋がりに驚きです。 

 そういえば、「芋洗坂係長」でしたか? 何だか丸々太って踊る人いましたけど、何か関係あるのでしょうか?

 ぶらりと書き始めたら、なんと、「一口稲荷」だけでこんなに興味が膨らんでしまいました。 続きはまた後ほど・・・


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2017年11月18日

千代田稲荷大明神・高尾

 嘗ては高尾山の寺社への表参道という蛇滝入口からの登り道の途中、川を渡った先の高齢者ホーム上手に「千代田稲荷大明神」はあります。 

 母の実家が神田明神の氏子なので何かご縁を感じ、以前から気になっていたものの、なかなか参拝の機会なく過ごしていました。 この日も2度前を通りながらお参りできず、残念に思っていたところ、こういうことを「ご縁」というのでしょう…奇跡のようなことが重なって思いがけず3度目の正直で参拝することが出来ました。 そしてこの日は母の誕生日、確かにお招きを受けたことと感じます。

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参道口の石鳥居の扁額「千代田稲荷大明神」「日の出辨天」

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「千代田稲荷略縁起」 元は太田道灌により千代田城(江戸城・今の皇居)の守護神として祀られ、後に徳川家康により紅葉山(本丸と西丸の間にある高地、江戸城内で最も高い場所)に祀られ、明治維新の時に「信仰厚き女官(滝山)」により紅葉のご縁で紅葉の名所の高尾へ・・・この「滝山」といえば、TVドラマ「大奥」で浅野ゆうこが演じた大奥総取締(御年寄)でしょうか? 遥々この高尾まで来られたこともあるのかしら、と想像が膨らみます。 渋谷の道玄坂にも同じ名前のお稲荷さんがあるそうで、その関係も気になります。

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鳥居をくぐって石段を登ります。 上の方にもいくつか鳥居が見えます。 一体どれだけ登るのでしょう。

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見上げると真っ赤な紅葉

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一つ目の階段を登り終えて、来し方を振り返り、またどんどんと登って・・・

あらら? え、あれれっ?? 
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PB148558千代田稲荷拝殿跡と本殿 (440x293).jpg
なんと拝殿は、土台だけを遺して跡形もありませんでした。
(帰宅後に調べると、2013年2月11日、賽銭泥棒が賽銭箱にお金がなかった腹いせに放火、全焼してしまったとのこと。 なんと罰当りな…ちゃんと逮捕されているそうですが、灰になってしまった拝殿は本に戻る筈もなく、残念です。)

本殿は残っているようでしたが、何だかあまりお近くで撮影するに忍びなく手を合わせるに留めます。

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狐さんたちは、健気に境内を守ってくれています。
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しなやかに流れるような美しいお姿、そしてとても優しいお顔をされています。 

 奥山に 祠守りて苔狐 紅葉眺めつ 日は落ちて (山桜)

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小さな石の祠にカワイイ狐さんたちが集って楽しそうでした。

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お顔が朧げですが、若しかして辨天様?

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こちらはお不動さまですね。

そろそろ合流する方々の声が聞こえてきたような・・・名残惜しいですが、お暇を申し上げて参道を戻ります。 石段はところどころ浮いているようで、余りにも紅葉が綺麗なのでついつい眺めてしまいますが、油断なりません。
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蛇滝から流れ落ちる沢沿いの道、石段も湿っていて滑りそう・・・最後まで気を抜かず、最初の鳥居に戻りつきました。 静かな心地よいお宮さんでした。 季節ごとにまたお参りしたいと思います。


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2017年11月17日

新四国 高尾山八十八ヶ所巡礼(讃岐編)

讃岐の國(香川県)「涅槃の道場」23霊場
<蛸杉の右> 21、22、20、66番(並び順)
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【シロダモの実】        第六十六番 雲辺寺 ウンペンジ

<蛇滝水行道場柵内>67、68番
(撮影できず)

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【メグスリノキの落ち葉】   【ウリノキの落ち葉】

<蛇滝下り口左>
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第六十九番 観音寺 カンオンジ    第七十番 本山寺 モトヤマジ

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第七十五番 善通寺 ゼンツウジ(2体、その1、2)

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第六十九番 観音寺 カンオンジ(その2) 

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第七十番 本山寺 モトヤマジ(2体、その3、4)

<高齢者ホーム柵内の高台> 74、72、71、73番(並び順)
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第七十一番 弥谷寺 イヤダニジ   第七十二番 曼荼羅寺 マンダラジ

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第七十三番 出釈迦寺 シュシャカジ   第七十四番 甲山寺 コウヤマジ

ここからが「新四国八十八ヶ所巡礼・高尾山」名物?登り返しです! 滑りそうな足元に気を配りつつ慎重に下って来た道をまた登り直すという、まさに「歩きの修行」のクライマックス、ここで体力に自信がない方は、下りきって蛇滝入口バス停からバスに乗ってJR高尾駅に戻ることも出来ます。 何も無理して一日で回らなくとも、又の機会に続きから回っても良いのですから。

 登り返す途中で、「左 金毘羅社」の碑と微かに残る旧道跡が…ここから登れたら近道なのですが、残念ながら今は廃道、危険なので一般の方は通ることが出来ません。 さぁ、気を取り直して登りましょう。 同じ道でも下りと登りは趣が違いますし、私はこの道が大好きなので全然苦になりません。(それで再度後続班の皆さんと下って千代田稲荷さんへ参拝してきました。)

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千代田稲荷社の参道      参道入口石鳥居の扁額
(別記有りますので、ご参照ください。)

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【ムサシアブミの実と葉】(手前に倒れた姿です)

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【スズメウリ/雀瓜】ウリ科  【関谷の秋丁子】シソ科

<蛇滝の下>
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第七十五番 善通寺(その3) 第六十九番 観音寺(その3)

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第七十番 本山寺(その5)  【ミヤマフユイチゴの実】

こちらの3体は面差しが似ていますし、同じ奉納元なのでしょう。 何体も奉納があるということは、そのお寺さんの信仰の厚さ、また経済的豊かさも想像されます。

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【ツルリンドウの実】     【ツルギキョウの実】

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PB148600キッコウハグマ (207x310).jpgPB148620ハダカホオズキ (207x310).jpg
【キッコウハグマの花】キク科 【ハダカホオズキの実】ナス科

 さて、75番は幾つもあるのに76番がみつからず、見落としが無いか不安にかられつつ十一丁目茶屋まで登り返して一服。 一号路を金毘羅社へ向かって下ります。

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金毘羅社          第七十八番 郷照寺 ゴウショウジ 
  
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第七十九番 高照寺 コウショウジ  第八十番 国分寺 コクブンジ

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第八十一番 白峰寺 シロミネジ   第八十二番 根香寺 ネゴロジ

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第八十三番 一の宮寺 イチノミヤジ  第八十四番 屋島寺 ヤシマジ

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第八十五番 八栗寺 ヤクリジ    第八十六番 志度寺 シドジ

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第八十六番 志度寺 シドジ

PB148603 (207x310).jpgPB148589 (207x310).jpg第八十七番 長尾寺 ナガオジ

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麦播き銀杏(むぎまきいちょう) 
かつて麓の畑ではこの銀杏の黄葉を麦播きの暦としていたそうです。

 ここから長い長い1号路の下り道、歩きにくい勾配、ヘアピンカーブの連続、滑る舗装路、滑り止めの石道がまた滑る、転ぶとその石が尖っていて大変・・・と、私にとってはここが一番の難所に感じます。

<不動院本堂前> 結願
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第八十八番 大窪寺 オオクボジ 

 最初に「高尾山内八十八大師 巡拝案内図」を頂いた麓の不動院に戻り、お大師様の像に参拝して結願(けちがん)となりました。 案内図の裏面に、不動院・琵琶滝・蛇滝の3か所の印を押して頂くと、薬王院護摩受付所にて「巡拝証」を頂くことが出来ます。 

 この日はちょうど母の誕生日でしたので、「巡拝証」に参拝日と名前を書いていただき(お布施 二百円)ました。 入院中の父も、腰椎骨折している母も、きっと良くなることでしょう。 

 最後までお読みいただきました皆様にも佳きことがありますように・・・。  合掌


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2017年11月16日

新四国 高尾山八十八ヶ所巡礼(伊予編)

伊予の國(愛媛県)「菩提の道場」26霊場 
 四国でも海岸沿いから山の方に入ったところにある霊場にならって、高尾山の中でも少しコースから離れた小高い場所に登っています。 番号順に並んでおらず場所も入り組んでいて、一番見つけるのが難しい所です。 ただ、一般の人があまり歩いていないので、静けさの中でお遍路が出来ていい雰囲気でした。

<有喜院 仏舎利塔広場> 48、49、51、62番 
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第六十二番宝寿寺ホウジュジ    第五十一番石手寺イシテジ

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第四十九番浄土寺ジョウドジ    第四十八番西林寺サイリンジ

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小天狗     飯綱大権現    大天狗

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有喜院 仏舎利塔       第六十三番吉祥寺キッショウジ
(43、45、54、60、47、55番 撮影できず)


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神変堂            神変堂・扁額
神変堂に祀られている「神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)」とは、修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)に光格天皇より贈られた諡号です。 扁額は故吉田元総理の筆です。

<神変堂右>64、65番
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第六十四番前神寺マエガミジ    第六十五番三角寺サンカクジ

前神寺のお像の前で「おお、チャンスの神様!」、前髪しかないんですよね。 三角寺というお名前も面白いです。 謂れが気になります。 吉祥寺も全国的には、キチジョウジと読むほうが少ないのかしら?


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2017年11月15日

新四国 高尾山八十八ヶ所巡礼(土佐編)

土佐の國(高知県)「修行の道場」十六霊場
<大師堂の左側>(並び順)24、25、26、27、28、番外、29
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第二十四番 最御崎寺 ホツミサキジ  第二十五番 津照寺 シンショウジ

 段々とお大師様の像のお顔の違いが分かるようになり、お目にかかって手を合わせるのが楽しみになって参りました。

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第二十六番 金剛頂寺 コンゴウチョウジ 第二十七番 神峯寺 コウミネジ

羅漢さんではないですけれど、どこかに自分や家族や知り合いに似ているお顔があるような気がします。

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第二十八番 大日寺 ダイニチジ     番外霊場

 時々、こうした番外編の石像や石碑が出てきたり、順序良く並んでいなかったり、全く視力も衰えてきたお遍路泣かせであります。 

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第二十九番 国分寺 コクブンジ    真っ赤に実った南天の実

 こんなに鳥にも食べられず、見事にたわわに実った南天は珍しく、やはり霊場には何か特別な気が流れているように思え、南天の実にまで手を合わせたい気持ちになりました。

<大師堂の右側>(並び順)34、35、33、32、31、30、36
(写真見つからず、撮り忘れた模様・・・何が起こったのでしょう、ちょっと怖いような)

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高尾山薬王院本堂の屋根と紅葉    福徳稲荷社

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飯縄(いづな)大権現堂 と その上の崖の補修工事

 山仕事をされている方々の姿に惹きつけらるのは、やはり自然と対峙している真剣勝負の気迫を発していらっしゃるからでしょうか。 いつまでも見ていたい気持ちに駆られます。

<天狗社右>        <飯縄大権現堂右石段沿>
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第三十七番岩本寺イワモトジ    第三十八番金剛福寺コンゴウフクジ

<奥ノ院裏右手>
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左:奥ノ院裏右手の護摩所とその裏手に並ぶ霊場石像二体
右:富士浅間社

<奥ノ院の裏右手の二体>
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羽の生えた烏天狗?      第三十九番 延命寺 エンメイジ

 天狗さん?の方は石碑に浮彫になっていて、その石碑の上に赤いお帽子が被せてあるので、遠目には頭が欠けてしまったように見えどっきり! 近づいてみて、ホッとしました。

 以上 土佐の國の霊場十六ヶ所でした。 
 途中の7ヶ所にもお参りはしているのですが、撮影が抜けてしまったのには、何かきっと理由があるのでしょう。 改めてお参りに行きたいと思います。

 歩いて巡るのも確かに修行ですけれど、こうして後で振り返りをまとめるのもなかなかの修行で・・・これは思ったよりも大変、いささか疲れて参りました。 へとへとの私にお接待は・・・ないですね、自分でお茶っこいれましょう。


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2017年11月14日

新四国 高尾山八十八ヶ所巡礼(阿波編)

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高尾山は紅葉の名所、ようやく日当たりのよい場所では色づいて参りました。

PB078361 (207x310).jpgPB078343 (207x310).jpg「新四国高尾山八十八ヶ所の道」「これより阿波の國」の碑 

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清滝  
 ケーブル清滝駅 と呼びながら、清滝がどこにあるのか知らず仕舞いの方が大勢いらっしゃるようですが、お掃除小僧の裏手にありますので、探してみてください。    

わたくしもこれでいろいろ抱えておりますので、四国八十八ヶ所お遍路に肖りたいと思います。

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清滝の左手に並ぶお大師様 
「高尾山内 八十八大師めぐり」の始まりです。

 実は私は、この赤いお帽子の石像群をずっとお地蔵様だとばかり思っていましたが、以前、FITの先輩に、
「薬王院脇の橅の木は「地蔵ブナ」と呼ばれているけれど、
 ブナの木の前の像はお大師様なのですよ。」
と教えて頂いて、初めてその手に独鈷が握られていることに気が付きました。 お地蔵様であれば、如意宝珠と錫杖です。 なんでもいい加減に見ていると気づかないことだらけです。

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赤や黄色のもみじ葉は、光を透かして一層鮮やかです。

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白いヤツデの花と若い実、柊の花はいい香り

お大師様の像は台に「第何番霊場 〇〇寺」等と刻まれているのですが、判読不明のこともあり間違いがあるかもしれません。 怪しい部分は、次に高尾山へ参った時に確認いたしましょう。

阿波の國(徳島県)「発心の道場」二十三霊場

<清滝の右手高台 第一番〜第八番>
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第一番 霊山寺 リョウゼンジ   第二番 極楽寺 ゴクラクジ

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第一番 霊山寺 リョウゼンジ?  第三番 金泉寺 コンセンジ

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第四番 大日寺 ダイニチジ    第五番 地蔵寺 ジゾウジ

PB078342 (207x310).jpgPB078340 (207x310).jpg(藪蘭の実)第六番 欠?   第七番 十楽寺 ジュウラクジ  

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第八番 熊谷寺 クマタニジ

清滝横で第一番〜第八番(第六番は未確認)のお大師様にお参りした後、ケーブル清滝駅の左手沢沿いの6号路を琵琶滝に向かいます。

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モミジバフウの落ち葉   ノコンギク/野紺菊

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岩屋大師 嵐の中で病気の母親と子供が難儀していたのをみかねた弘法大師様が手を合わせると、雨風をしのげる洞窟が突然開いたとの伝説があります。 

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琵琶滝 滝に打たれる水行の場

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琵琶滝 不動堂  屋根に降り積もっているのは、ムクロジ(無患子)の葉です。 この夏〜秋、沢山の実を拾ってサポニンの造り出す泡の実験をしました。

 6号路から別れる琵琶滝右手からの登りは高尾山でも上級コースとされる、なかなかキツイ道です。 修行をされている方々が「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら登って行かれる姿を時折見かけます。

 四国の遍路の道に高尾山の立地を当てはめて、お大師様は各々ふさわしい場所に建立されています。 このキツイ登りは、四国でも山中を歩く順路を模しているそうです。 急登の途中の右手に忽然と現れる二本松前の広場に、第九番〜第十六番までのお大師様がいらっしゃいます。

<二本松の広場 第九番〜第十六番>
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木漏れ日差す、静穏な佇まいです。

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第九番 法輪寺 ホウリンジ    第十番 切幡寺 キリハタジ

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第十一番 藤井寺 フジイデラ   第十二番 焼山寺 ショウザンジ

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第十三番 大日寺 ダイニチジ    第十四番 常楽寺 ジョウラクジ

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第十五番 国分寺 コクブンジ    第十六番 観音寺 カンオンジ 不明

PB148460ツルギキョウ (207x310).jpgPB148465オオモミジ (207x310).jpg
【ツルギキョウ/蔓桔梗】の赤い実  【オオモミジ/大紅葉】の紅葉

 二本松広場で暫し休息の後、また十一丁目茶屋への道を登る途中、以前の花を紹介した「ツルギキョウ」が幾つも赤い実をつけていました。 「ツルリンドウ」「ツルニンジン」と名前も草姿も似通っているので、分かっていても言い間違えること有り、出会えたらとっても嬉しいのに、インストラクション上の要注意イイマチガエ植物たちです。

<十一丁目茶屋前>
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第十七番 井戸寺 イドジ

<十一丁目茶屋右高台>
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第十八番 恩山寺 オンザンジ     第十九番 立江寺 タツエジ

<蛸杉右>
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第二十番 鶴林寺 カクリンジ     第二十一番 太竜寺 タイリュウジ

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第二十二番 平等寺 ビョウドウジ (第六十六番 雲辺寺 ウンペンジ)

<神変堂左>
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第二十三番 薬王寺 ヤクオウジ

 これにて、阿波の國の「発心の道場」二十三か所霊場を回ったことになります。(なぜか第二十二番の横に建立の第六十六番 雲辺寺を除く) 順路通りにもきちんと順番にも並んでない所がありますので、刻まれた文字が判読不能なことも多く時に混乱しますが、それもこれも修行ですね。

 さて、土佐の國「修行の道場」へとお遍路の旅は続きます。


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2017年05月14日

嵐山 虚空蔵法輪寺

 お昼と書のお話をご馳走になり、京都でお薦めの場所を伺うと、今からだったら「法輪寺さんやね」「直ぐに行き」とのことで早速、路面電車の駅まで帰る方向が同じと仰る若くて素敵なお弟子さんに送って戴き、可愛らしい懐かしの路面電車に揺られて嵐山へ向かいました。

 嵐山の駅を出ると、溢れんばかりの人の波と暑さでくらくら…いつも殆ど人の居ない東京の田舎町に住んでいるので人ごみは苦手…それでも渡月橋を渡り向こう岸へ辿り着く頃には人影も疎らになって、静けさにホッと一息つきました。 

 何やら急な階段の下に「法輪寺」の道しるべがありましたが、手持ちの地図ではもっと先の筈だし膝痛があるので急な長〜い階段は敬遠して先に進み、あと数歩先という所で我慢できず道を尋ねてしまい、余りに直ぐそこ過ぎて恥ずかしかったです。

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しかも左手のこの階段を上ってしまったら帰り道はこちらとの看板が・・・行きと帰りとで道が決まってるの? 右の写真は、「電電塔」で 電機関係の方の供養塔。 電気の功労者代表として ヘルツ(左)とエジソン(右)のレリーフが嵌め込まれています。 京都の竹がエジソンのフィラメントに使われたのと何か関係があるのかな? 

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山門をくぐり
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ああ、やっぱりどうしても長い長い階段を上るんですね・・・出迎えてくれたのは狛犬さん・・・ではなくて、あれれこれは??

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猫耳で阿と吠えているのは「虎」?  吽の方は「牛」ですね。
ということは「丑寅」 若しかして丑寅の方角で都の鬼門封じ? 
(帰宅後調べた所、虚空蔵菩薩は丑寅生まれの守り本尊とのことでした。)

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そして何故か「羊」さんも? 
(同じく調べた所「羊」は虚空蔵さんの化身またはお使いとされているそうです。)
ずっと私達を見ていたトカゲさんは若しかして?? 

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境内から張り出した舞台からは渡月橋や京都の町が一望できます。

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舞台への入口横には大きな桂の木  光がさして緑が一層鮮やかに

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青紅葉からの木漏れ日が階段に揺れて・・・うっとり見惚れておりました。

 本殿にも多宝塔にもカメラを向けていなかったことに、帰宅後初めて気が付きました。
何故だかそういう気持ちにならなかった、ということなのでしょう。 

【法輪寺】
和銅六(713)年
 元明天皇の勅願により、行基菩薩が木上山葛井寺を創建
天長六(829)年
 弘法大師の弟子 道昌僧都(どうしょうそうず)が中興、
 ご本尊に虚空蔵菩薩を安置
 道昌は、大堰川の修築や法輪寺橋(現在の渡月橋)の設置、
 船筏(ふないかだ)の便の開港等に尽力
貞観十六(874)年
 伽藍が整備され「法輪寺」と寺号を改める

吉田兼好の『徒然草』 清少納言の『枕草子』の中に登場 
応仁の乱や幕末の禁門の変(蛤御門の変)など、度重なる兵火に会うもその都度再興

「嵯峨の虚空蔵さん」と親しまれ、十三参りで有名。
十三参りの帰り道に振り返ると授かった知恵を落とすとの言い伝えあり。
虚空蔵さんは十三番目に誕生したとされる智慧と福徳の仏様。
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2016年01月19日

雪の高幡不動

18日の東京は、未明から積り始めた雪の為に大混乱。
用心の為30分程早めに家を出て、途中でいつもの経路から雪の影響を受けにくそうなモノレール利用の経路に変更し、何とか時間通りに着けそうか…と思った頃、他の路線では間引き運転の影響で改札から中に入れない乗客が溢れてしまう等の混乱が生じており、目的の講座は中止との連絡あり。 かと言って、もう目の前に車両が到着、後ろには乗車順をまつ乗客がびっしりで退路はナシ! 「前に進むしかない!」と乗り込んだものの、次の駅ではもうドアが開いても降りることも出来ない。 もう諦めて人が空くまで乗り続け、高幡不動で降りた。

高幡不動(高幡不動尊金剛寺・高幡山金剛寺)東京では有名なお不動さんなのに未だ一度も参拝しておらず、この日のこの機会のご縁を感じ、お参りすることにした。 雪は既に冷たい霙雨に変わり、道はグズグズになり出していたが、長靴を履いた身にはそんな中をお構いなしに歩くのも楽しい。 

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未だお正月の装いを残した仁王門

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新選組 土方歳三にも雪が(当寺が菩提寺)

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       白い雪の中 朱色の五重塔が鮮やか…

それにしても記憶の中の高幡不動の五重塔はこんなに新しい感じではなかったような…などと見上げていたら、ズドドッ! と、傘の上に雪の塊りが直撃してビックリ! 思わぬ厄払いとなった。 何か憑いていたんだろうか? お不動様、荒っぽいお祓いをありがとうございました。

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山門の奥は大日堂

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長い階段の上に何が…と思いつつ、滑りそうで昇れず残念 (鐘楼があるそうな)

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少し空が明るくなって来て、塔が益々鮮やかに

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晴れる兆しの風が吹き出して、五色の幡のたなびきも美しかった。

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2015年05月11日

奉祝・ご遷座400年「神田祭」

 母の実家が氏子である神田明神さまは、
天平2年(730) 大手町・将軍塚の周辺にご鎮座、
慶長8年(1603) 徳川家康の江戸幕府・江戸城の拡張
        により駿河台に仮ご遷座、
元和2年(1616) 4月、現在地・外神田(江戸城の表鬼門・
艮(うしとら)の地に「江戸総鎮守」
としてご遷座となりました。

 本年2015年は、そのご遷座より400年にあたり、5月の神田祭は奉祝大祭として盛大に執り行われました。 江戸っ子の片端を担う我が身としては、このお祝いに駆け付けないでは居られません。 山でこけて傷めた膝を庇いつつ、叔父の法被も羽織らせて貰って参加して来ました。

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町内会のお神輿の先導役の方々

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続いてお囃子の方々

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明神様が近づくにつれ、集結してきたお神輿は暫し参詣待ち…
異人さんの担ぎ手も。

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ちびっこ神輿も頑張る!

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さぁ、いよいよ明神さまも間近で
益々意気も神輿も舞い上がります!

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我が町内会のお神輿が明神さまの鳥居を潜る瞬間!
ご遷座400年、おめでとうございます!!
posted by 山桜 at 15:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

節分会・大善院

 お稽古の帰り道、賑やかなお囃子に誘われて表通りから続く細い参道をくぐって行くと、色鮮やかな幟がはためき、並んだ出店からは、い〜いにおいが…。 今日は大善院(お不動さん)の節分祭でした晴れ
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 毎年、行ってみたいとは思いつつ、なかなか機会に恵まれず…。 それが今年は丁度、もうすぐ豆まきという時間にお囃子に誘われてお参りだなんて、幸先がいいではありませんか〜ぴかぴか(新しい)

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ご本堂横でお囃子やひょっとこ踊りや獅子舞のご奉納。 最近の子は獅子舞が頭の上で歯をガチガチしてもあんまり泣かないのですね〜 刺激に慣れてるのかしら?

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赤鬼さん、手には金棒、頭にはクルクル巻きの奥様ウイッグ、
そして…、全身ヒョウ柄スーツ… えっ、あれ、鬼ってトラ縞じゃ…?
追い払われる様子も無く、まるで警備員さんのように仁王立ちされてました。

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先頭切って福豆を蒔いて下さったのは、朝日山部屋の徳瀬川関。
(桐山部屋閉鎖により1月23日に一門の朝日山部屋へ移籍。初場所9勝)凛々しい力士に見惚れる鬼さん

 
しかし、何故に節分というこのタイミングで角界の不祥事発表…。 
全国で節分会に出席された角界関係の方々はさぞ肩身が狭かったことでしょう。
 
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右手でカメラ、左手で福豆の2袋キャッチ!
って、我ながらスゴ〜イじゃないですか!? 
ふふふ〜ん、こいつぁ〜春から縁起がいいや〜るんるん(ご機嫌) 
ラベル:節分
posted by 山桜 at 20:00| Comment(18) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月05日

霊園山・聖林寺

 
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山門前には堅く戒律を守る律院と俗世界を隔てる「大界外相」の結界石

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かつて敵方の侵入から寺を守った立派な石垣も今は平和に苔むして…

 この春、梅と桜の花の狭間、娘と一緒に参拝に伺った聖林寺のご住職さんが亡くなられたと瓜亀仙人さんの日記で知りました。 瓜亀仙人さんがこの世で一番美しい、 この上もなく大好きな仏様と仰り、かのフェノロサも絶賛したと言う十一面観音像で有名なお寺さんです。 貴重なご縁に感謝申し上げ、遅れ馳せながら記事を書かせていただき、謹んでご冥福をお祈りいたします。   合掌


【霊園山・聖林寺(りょうおんざん・しょうりんじ)】(真言宗 室生寺派)

 奈良時代の名作、国宝「十一面観音像」(天平時代)で有名な古刹。
 藤原家の氏寺「妙楽寺(現「談山神社」」の別院として創建。
 ご本尊は、子授け・安産・子育て「子安延命地蔵菩薩」(元禄時代・石像)

(この石造の大地蔵菩薩様も素晴らしい慈愛で包んで下さいます。
 奥の十一面観音様へと足早に通り過ぎてしまっては勿体無いです。)

 HP → http://www.shorinji-temple.jp/ 
(地蔵菩薩・十一面観音・如来荒神像・他のお写真も拝めます)


【国宝・十一面観音像】

 第一回指定の国宝。
 天平時代を代表する仏像。
 大神神社の神宮寺「三輪山・大御輪寺(おおみわでら)」の元本尊。

 神仏分離令の発布前、廃仏の嵐を予期し聖林寺七代和尚・大心(三輪流十一面観音法を唯一伝授された三輪流神道の正嫡)により、大八車に乗せられ聖林寺へ移され難を逃れる。

 かつては、四天王に守られ、前立観音があり、左右に多くの仏像(現法隆寺の「国宝・地蔵菩薩」は左脇侍だった)、背面には薬師如来一万体が描かれた板絵がある荘厳の中にまつられていた。 光背(奈良国立博物館に寄託)には、宝相華文が散りばめられていたが大破している。


 今はガラスの向こうで、背絵も光背も四天王も前立観音も脇侍も失われていますが、それでも尚、眩く輝き、キリリと澄んだ眼差しで彼方を此方を見据えていらっしゃいます。 その毅然とされた面持ちの一方で、ふわりと柔らかに開かれた手指は、あくまでも優しい表情で、私達を受け入れて下さいます。

 それにしても時代の流れに翻弄されながら、よくぞここまでこうして永らえてこられたものです。 この観音像に込められたものがどれほど大きなことだったのかと感じずにはいられません。 若し、元の通りに復元が叶ったとしたら、日本に大きな霊験が現れるでしょうか…。 でも、そうなったら聖林寺には納まりきらなくなってしまう? 瓜亀仙人さんが寂しがると困りますので、そうっとしておきましょうか…。

 先に掲げた聖林寺のHPを書かれた前代住職(亡くなられた住職のご主人様)倉本弘玄和尚さまは、HPの最後に、この寺の静寂を護るさだめ負われ、経典の「恒作衆生利」を契う御心に深く響くとして、郷土の哲学者・保田與重朗の歌を遺されていました。 どうかこれからも末永く代々のご住職様、奥様とご一緒にふるさとの山河をお見守り下さい。 
  

      けふもまた かくて昔となりならむ

                 わが山河よ しずみけるかも



瓜亀仙人さんのブログ「大和浪漫」の中の『天平観音でお通夜』http://blog.goo.ne.jp/urikame2007/e/05e694f583955d975e9a1d6379fe674c


<追記>
因みにハリウッド(Hollywood)の漢名「聖林」とは何の関係もなさそうです。 そもそもその漢名も、聖なる=holy と ヒイラギ= holly を誤って付けてしまったものとか。 そのヒイラギもいわゆる西洋ヒイラギでなく、バラ科ナシ亜科のカリフォルニア・ホーリーと呼ばれる植物で、写真を見た範囲ではトキワサンザシ(ピラカンサ)に似ていました。

 
 
ラベル:奈良 桜井 観音
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2010年01月25日

「初天神」と「お初天神」

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 年が改まって最初の天神様(菅原道真公をお祀りする神社)のご縁日の25日は「初天神」と呼ばれ、いつもよりご利益が大きいと聞こえ、学問の神様のお力を最後の頼みにと受験生の参拝も多い日です。

 「初天神」といえば、落語が有名ですね。 子供向けの絵本も出ています。 
             

 落語の荒筋なんて面白くもありませんが、かいつまんで書けば…

 おかみさんから「初天神」に息子の『金坊も連れて行っとくれ』と言われた親父さん、アレコレねだられるので嫌だなと思っていると、丁度そこに金坊帰宅。 連れて行かないのなら、近所に『ゆんべのおとっつあんとおっかさんのあれやこれやを…』と脅かされ、仕方なく連れて行くことに。 案の定あの手この手で上手くねだられて、飴だの凧だの買ってやってしまう。 しかし凧を手にした親父さん、すっかり凧揚げに夢中になってしまい、金坊曰く「こんなことならお父つぁんを連れてくるんじゃなかった…」 (お後がよろしいようで〜)

 一方、ご存知の方が多いと思いますが、「お初天神」といえば、近松門左衛門作「曽根崎心中」の舞台となった大阪の露天神社(つゆのてんじんしゃ)のことをさすのだそうです。

  「誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え
   取伝へ貴賤群集の回向の種
   未来成仏疑ひなき恋の手本となりにけり」

 元禄時代、この神社の境内で実際にあった心中事件を元に、人形浄瑠璃「曽根崎心中」は書かれ、その女主人公・遊女「お初」にちなみ「お初天神」と呼ばれるようになったのだそうです。(お相手は手代の「徳兵衛」)

 恥ずかしながら、わたくしそのこと、露も知らず今日に至った訳でして…。 今まで「お初天神」は「初天神」を丁寧に呼んでいるのだとばかり思っていました。 どうも関西のことに疎くていけません。 いえいえ、それ以前の一般常識なのでしょうけれど、今日一つ利口になった記念に書いておくことに致します。


<ご縁日・覚書> 

 5日=水天宮    8日=薬師如来  10日=金比羅さま
13日=虚空蔵菩薩 15日=阿弥陀如来 16日=閻魔さま
16日=聖天さま(歓喜天) 17日=千手観音菩薩
18日=観世音菩薩(観音さま)     23日=八幡さま 
24日=地蔵菩薩  25日=天神さま  28日=不動明王
午の日=お稲荷さま
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2008年08月05日

神になった日本人

 茶道・藪内流TV体験入門の後は、こちらです。

NHK教育 「知るを楽しむ・この人この世界」

神になった日本人

 民俗学者小松和彦教授が、日本各地の歴史上の人物を祀る「人神神社」を訪ね、祀ってきた日本の人々の心を探ります。

    本放送 毎週月曜日 夜 10:25〜10:50
    再放送 翌週月曜日 朝  5:05〜 5:30

 番組HP http://www.nhk.or.jp/shiruraku/index.html

 第一回
人はいかにして神になるのか−藤原鎌足」奈良県・談山神社

 談山神社といえば、ブログ友酒徒善人(今は瓜亀仙人さん)さん縁の神社で、私のPCの秋の壁紙は、↓善人さん撮影、紅葉の談山神社・十三重の塔が飾っています。
        tanzanjinja.jpg
 酒徒善人さんのブログ「e411y」(現在は瓜亀仙人さんで「大和浪漫 http://blog.goo.ne.jp/urikame2007)には、このような談山神社関連記事
2008/02/17 「談山神社十三重の塔」等も沢山掲載されています。

 山の裾野に広がる田畑やお屋敷の中にきっと善人さんのお宅も…と思い、手を振るような気持でテレビ画面を見守っておりました^^

 
 さて、奈良県桜井市・談山(たんざん)神社*の公式HPによれば、蘇我氏の政治専横に危惧を抱き国の行く末を憂いていた鎌足は、偶然、蹴鞠会で勢い余り脱げた皇子の沓を手にしたことで、聡明な皇太子・中大兄皇子(後の天智天皇)と話を交えることとなり意気投合し、遂には、多武峰(とうのみね)の山中に於いて「大化改新」(蘇我入鹿暗殺に始まる)に向けての談合を行い、見事成し遂げます。

 これより多武峰は、談山(かたりやま)、談の峰などと呼ばれるようになり、鎌足の死後、唐留学より戻った長男定慧(じょうえ)が、夢枕の父の言葉に従い、摂津に埋葬された亡骸を掘り起こし一部をここに移しその上に十三重の塔を立て、生涯を国政に尽くした父・鎌足公を讃えて、ご祭神として祀ったのが、談山神社の起こりとされています。

 以来、藤原氏に何かが起きる前触れにこの山が鳴動するとか…そんなことを書いていたら、今、こちらは一転俄かに掻き曇り、草木を揺るがし地を打つ激しい雷雨となりました! 雷は神鳴り、古人ならずとも神様のお怒りか、お告げかと強く感じ入らずにはおれません。 )

 しかし、梅原猛は著書「塔」の中で、「家伝」の記載によれば、定慧の帰国は天智四年(665年)、しかも帰国後三ヶ月で亡くなっている。 一方、鎌足の死は669年、定慧は鎌足を埋葬することは出来なかった筈、と述べています。 

 しかも、定慧の母は孝徳天皇の元后であり、鎌足の妻となった時には既に定慧を身篭っていた…つまり定慧は天皇のご落胤だったことから、出家させていましたが、後に中大兄皇子は孝徳天皇の一族を疎み、抹殺していく中で、その血を引く定慧をも殺めたのではないかという推測がなされます。 そうなると、寧ろ(血は繋がらなくとも)父として我が子の死を悼み詫び、鎌足がこの地に立派な塔を立て、定慧が怨霊などにならないように祀ったのではないか、そして、そのことを隠す為に敢えて「鎌足のお告げにより鎌足を祀る」ものとして伝えて来たのではないかと言うのです。

 前者の伝えでは、神社(元は寺)のご祭神は、鎌足公=顕彰神、後者の説によれば、ご祭神は、定慧=祟り神、の性格を帯びることとなり、全く性質が異なってきます。 

 小松氏は、十三重塔の下の遺骨と多武峰山頂に埋葬されている遺骨を同じ人物のものと考えていらっしゃるようでしたが、私は、あの立派な塔の下には定慧が、そしてそれを見守るように山頂の質素な墓には鎌足が眠っているように、何の根拠もありませんが…思えてなりませんでした。

 脇にそれますが、鎌足誕生の折、狐が鎌を咥えてやってきたことから「鎌子」と名付けられた、という話が壺でした^^

*談山神社 明治の廃仏毀釈前までは「多武峰寺」とよばれ、
        多くの伽藍・塔があったという。


        *        *        *

第2回 8月11日 史上最大の祟り神 ―崇徳上皇
第3回 8月18日 北朝の寺、南朝の社 ―後醍醐天皇
第4回 8月25日 怨霊から顕彰神となった義民 ―佐倉惣五郎


小松和彦
1947年東京生まれ。 民俗学者・国際日本文化研究センター教授。 東京都立大学大学院博士課程修了。文化(社会)人類学・民俗学専攻。 信州大助教授、大阪大教授を経て、国際日本文化研究センター教授。
日本の歴史・文化の周縁に追いやられた鬼・異人・妖怪などの存在を手がかりに、日本人の心の奥底に潜むものを探る研究をつづける。

主な著書に『異人論』『悪霊論』(以上、ちくま学芸文庫)、『憑霊信仰論』『日本妖怪異聞録』(以上、講談社学術文庫)、『妖怪文化入門』(せりか書房)、『異界と日本人』(角川選書)、『神になった人びと』(光文社知恵の森文庫)、『日本妖怪学大全』(編、小学館)など多数


ラベル:知るを楽しむ NHK
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2008年01月05日

谷中七福神

 「谷中・七福神めぐり」に行って参りました。
谷中・七福神は江戸で最も古い歴史を持ち、起源は江戸中期・享和年間
(1801−1803年)まで遡るのだそうです。 江戸っ子が新年の幸運を
祈りつつ、そぞろ歩いた同じ道を今も辿れるのは嬉しいですね。

 写真はあまり撮れませんでしたので、七福神像などをご覧になりたい
方は、こちらのサイトが詳しいです。
「谷中七福神巡拝案内」
http://www.asahi-net.or.jp/~UY7M-SSK/yanaka/yanaka_7fuku.html

 上野からでも田端からでも巡れますが、歩き終えた後に余裕があれば、
色々と散策しやすそうなので田端→上野のコースを選択しました。

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       木版刷りのご朱印色紙(和紙)です。

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 恵比寿さまの鯛、弁天さまの琵琶を肴に七福神様の楽しい宴

一、田端 東覚寺「福禄寿(人望)」 (田端駅北口から歩約5分)
  体中に赤紙を張られている仁王尊が目印です。
  (良くなりたい所に貼るのだそうです。)
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 福禄寿さまは上品な御爺さまという雰囲気でした。 寿老人と同一神
とも言われ、南極老人星(竜骨座のカノープス。全天でシリウスに次ぎ
2番目に明るい星だが、北半球では地平・水平線ぎりぎりにやっと
見えることがあるだけで、中国ではこの星を見ると寿命が延びると
される。 日本では時化を報せる星ともされる。)の化身とされます。

 こちらで上掲の色紙などを求める方が多く混み合うことが多いです。
 
二、日暮里 青雲寺「恵比寿(正直)」 (東覚寺から歩約18分)
  恵比寿さんは木彫り彩色の可愛らしい像。鯛の正面顔が印象的。
  スタンプの台が柔らかく窪んでしまい上手く押せないのが残念。
  手描きで想像補正したので、本物と違います。
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三、日暮里 修性院「布袋尊(大量)」 (青雲寺から歩約2分)
  子供好きな「ひぐらしの布袋様」として親しまれています。
  でっぷりふくよかで眉毛の濃い布袋様は、お会いしただけで笑顔に
  なってしまう正に福の神の面持ち。 一緒に拝観した子が、
  「これじゃぁ、メタボだよ〜!」
  と大きなお腹を見て笑ったので、周りの方々も思わず笑顔に。
  子供好きな布袋様もきっと喜んでおいででしたでしょう。
  子供が描いた布袋様の絵なども飾られていて、今も変わらず愛され
  ていらっしゃる様子が嬉しいです。
     08-1 037.jpg
(履物を脱いでお参りします。 渋滞の元ブーツは、避けましょう!)

 この間に竹細工の「翠屋」、飴の「後藤」、ドラマ「ごくせん」の舞台
にもなった「谷中ぎんざ」や「夕焼けのだんだん」、朝倉彫塑館など
見所が色々ありますので、ゆっくり時間を取れると楽しいです。
「あ〜ここ、ヤンクミが通ったの見た〜!」
って、やはり子供の記憶力はすごいですね。 私も再放送を見たばかり
だったので、大江戸(漫画では黒田)一家はどの辺り?なんて…(笑)

四、谷中 長安寺「寿老人(長寿)」 (修性院から歩約13分)
  福禄寿と同一神とも老子の化身ともされます。
  寿老人が連れているのは千五百年生きた玄鹿と言われています。
  狩野芳崖の墓所があります。 こちらも履物を脱ぎます。
     08-1 040.jpg
  

  七福神めぐり以外のお寺も沢山あって寺町情緒たっぷりです。
  この後、著名人のお墓も沢山ある谷中の墓地の中を通ります。

 幸田露伴「五重塔」のモデルとなった五重塔の跡
 08-1 030.jpg

五、谷中 天王寺「毘沙門天(威光)」 長安寺から歩約6分
 毘沙門天さまと聞けばどうも「我こそは…」のGacktの声が耳に…。
 ご朱印はお堂の左手奥で戴けます。  
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六、鶯谷 護国院「大黒天(富財)」 (天王寺から歩約17分)
 古いお堂に五色の幕が映えて美しいです。
 こちらも履物を脱いでお参りします。 中はほっと寛げる温かさに
 包まれた空間で思わず長居してしまいました。
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 08-1 024.jpg 

 温暖化では霜(雪)避け傘もまるで日傘ですね。

 護国院の角を曲がれば、もう上野公園の一角が見えてきます。 上野高校の隣の壁の向うは動物園。 昔は動物園のにおいがしてきたものですが、最近はとても気配りがされているようで、動物園があることにも気付かない程です。

 森鴎外住居跡を右に見る頃には公園内のモノレールも見えて来ます。 右手に公園入口が見えたら公園内を歩けば弁天堂はすぐそこです。

七、不忍 弁天堂「弁財天(愛敬)」 (護国院から歩約20分)
 不忍池の中に浮かぶ弁天堂は大人気。 いつも大勢の人で賑わって
います。 お線香の煙を良くなりたい所に…というと、女性は顔に
男性は頭に、が定番?

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 ついに無事に七福神さまをお参りし、ご朱印も七つ集まりました。
これで今年もお多福(顔が〜(●´▽`●))、間違いなしです!


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ラベル:七福神
posted by 山桜 at 00:00| Comment(16) | TrackBack(1) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月09日

当たり矢!

           ??〓 1290.jpg
 先日は正面鳥居から出入りしていて気付かなかった神社の境内、
この日はどういう訳か脇から出てみようとすると、その道沿いには
弓道場があり、的に見事に命中した矢がささっていました。

 これは縁起がいい!と眺めていると、丁度、矢を集めに向う方が
通りかかられたので、お声を掛けて写真を撮らせて戴きました。
(遠いので、命中した矢はぼやけていますね…^^;)

 すると、思いがけず『どうぞ中でご覧下さい』とのお言葉が!
失礼があってはと少々戸惑いつつも嬉しくご一緒し、先生の凛々しい
お姿を、間近で見学させて戴く機会を得ることが出来ました。

??〓 1289.jpg??〓 1288.jpg??〓 1287.jpg
 気を集中し、ゆっくりと力強く大きく弓を引かれると………お見事! 
          ??〓 1296.jpg
         遠めでよく見えませんでしたが、大当たり!!

 清々しい気持で神社にお参りすると、必ず良いことがありますね♪
見ず知らずの通りすがりの者を、快く招き入れて下さった皆さまに
心より感謝申し上げます。 

 ああ、私もいつの日にか…。



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posted by 山桜 at 00:00| Comment(22) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする