2018年11月04日

奥多摩不思議空間(4)カモシカの守る小河内神社


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「浮橋」を渡って見上げると、「鶴の湯温泉」が見えました。 女将さんの具合が良くないということで、少なくとも来年の3月までは休業とのこと。

P8034902鶴の湯温泉下1412 (443x332).jpg

 奥多摩湖の周りは「温泉」だらけですね。 源泉は湖底に沈んで、そこからポンプか何かで引き揚げているのでしょうか? どうしてあんなに高い所に温泉があるのか不思議です。 そしてどうして火山も無いのに、そんなに温泉が湧き出ているのかも不思議です。 どんな地脈が流れているのでしょう。

 そんなことを考えて道の先を見れば、古墳のような火山のような綺麗な三角の山容・・・

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 そこが目指す「小河内(おごうち)神社」のご神域です。                    

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 早速、道案内の「猿田彦大神」がお出迎えくださいました。

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 参拝者の為に藤棚のある休憩場所を提供してくださっているのは、参道入口の優しい方。 氏子さんなのでしょう。 猿田彦さまの化身かもしれません。 渡って来た浮橋が綺麗に見渡せました。

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 またもや夢幻のような美しい湖の風景なのに、電線が邪魔ですね。 ありがたい電気を送ってくれているのに罰当りですが、風景的には興醒めで・・・ごめんなさい。

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 余りにも嬉しい出会いで一足先にご紹介してしまった、耳をクルクルしてお話してくれるカモシカさんのお出迎えです。 本当に澄んだ美しい目でまっすぐ見詰められ、心の底まで見透かされた気持ちになりました。
その記事はこちら⇒ 「ニホンカモシカ 耳をクルクル」

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 長い長い真っ直ぐ歩けないような急な坂道、暑い暑い日でした・・・やっと辿りつき小河内神社の鳥居を拝めてホッとしましたが、今度は長〜い階段です。 (左手に優しい女坂があったのに気付いたのは帰り道でした。)

P8034930小河内神社階段 (443x590).jpg

P8034932小河内神社1429 (443x332).jpg

 喪中の身ですので、これ以上踏み込むのは控えここで、手を合せ首を垂れました。

P8034937小河内神社向かいの祠 (443x590).jpg

 神社の向かい側の小山の上に梯子が掛かっていたので上ってみると、小さな祠が祀ってありました。 ご由緒などは何もなく、静かな佇まいでした。

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 その小山の上からの小河内神社

P8034941小河内神社慰霊塔 (443x332).jpg

 慰霊塔にも手を合せ・・・バスの時刻に間に合うように、また坂を下りていく途中、あのカモシカが見送っていてくれて、何だかジーンと心が温まるような別れが寂しいような気持ちでした。

P8034944ビール (210x280).jpg 奥多摩駅に戻って来て、またまたビールが美味しいお店で一息入れました。 なんでしょうねぇ、この一杯のビールの為に、一日歩き回っているのかもしれません。 皆さんは美味しいビール、一気に飲み干していらっしゃいますか? 
posted by 山桜 at 21:30| Comment(4) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月21日

奥多摩の不思議空間(1) 大寺山

                    
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 あれは真夏、猛暑のまっ只中だった頃の奥多摩ハイキング、実際にこの目で見た筈なのに、まるで夢だったような、今、こうして思い出してみても、どこか異国か異空間を歩いたような不思議な光景だった。

P8034766金風呂バス停1054 (443x332).jpg
先ずは登山口のバス停名からして「金風呂」とはいかに・・・「きんぶろ」ではなく「かなぶろ」と読む。 この辺りのバス停には珍名が多く、メディアに取り上げられることも多いが、はっきりとした地名の由来は示されていない。 温泉が出た地域らしいが、多くの源泉は湖底に沈み名前だけが残ったのだろうか?
漢字は後付けなので、音だけで「かな・ぶろ」としてみると「かみな・むろ」=「神様の宿る山(御室)」の可能性もありやなしや?

P8034768金風呂旅館1100 (210x158).jpg P8034769大寺山登山口1100 (218x290).jpg
「すずめのお宿」などという結界めいた名前の旅館を横目に「大寺山」登山口に入る。 

P8034770カワラナデシコ1100 (207x310).jpg P8034772ヒオウギ1104 (218x290).jpg
カワラナデシコ(大和撫子)に ヒオウギ(檜扇、秘奥義)のお出迎えも意味深なこと。

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P8034775イヌザンショウ1114 (210x140).jpg P8034777イタチハギ? (210x140).jpg
イヌザンショウ(犬山椒)にイタチハギ(鼬萩)とは、何の魔除けかと。

P8034778?神社1118 (210x158).jpg P8034779石塔群1118 (210x158).jpg

由来の分からない神社には、こちらも縁の分からない大小の石群が並ぶ。 湖底に沈んだ村から移され祀られているのかもしれないが、何も書いていないので分からない。 話を聞こうにも炎天下に人は見当たらなかった。

P8034780石塔群1118 (210x158).jpg P8034781石祠1118 (218x290).jpg

まだまだ続く石碑群・・・一つ一つ刻まれた文字を確かめる時間も無く、せめて小さな祠に手を合せる。

P8034782廃屋1120 (218x290).jpg P8034784道標1120 (210x158).jpg

焼杉の美しい廃屋には、住んでいた人の住まいへの愛情が残されているように感じた。 

P8034785石窟1120 (218x290).jpg P8034796崩壊路肩1134 (210x158).jpg
こちらにも小さな石室が・・・   先の台風の影響か大きく削られた路肩

P8034803廃ミキサー車1142 (210x158).jpg P8034787崩壊斜面1128 (210x158).jpg
ミキサー車が落ち葉に埋もれ、林道の斜面は、あちこちが崩れている。

P8034804日本山妙法寺1149 (210x158).jpg P8034805日本山妙法寺1150 (210x158).jpg
「日本山妙法寺」と書かれた建物

「日本山妙法寺」とは何ぞやと検索してみると、ナント! 次のような一文が・・・

 「本年(2018年)は、「日本山妙法寺」開創百周年にあたります。大正7(1918)年10月22日、中国遼陽(旧満州)に最初の「日本山妙法寺」が開創されました。」

 えっ、10月22日って明日ですよね。 ちょっとゾクゾクして来ました。 何故急に今頃この記事を書く気になったのか、何かに書かされているのか? 少し怖くなってきましたが、もう成り行きで続けます。 せめてもの抵抗で、その宗教法人について、ここには詳しく記しません。 ご興味のある方は、お調べください。 

 ざっといえば、世界平和を祈念して、このような仏舎利塔を世界中に建立しているようです。 その財源は何なのでしょうか・・・。 あまり深入りせず、不思議の世界をご覧ください。

 繰り返しますが、ここは日本の奥多摩湖畔の山中・・・奥多摩の名だたる山々の頂から見える「謎の白い巨塔」の正体がこちらです。

青空に聳え立ち、白く輝く仏舎利塔
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おそるおそる緑の階段を登ると、年月の経過で傷みも目立つ床はふわふわと浮き上がるような感触。 まさか「雲上」を現している訳ではありますまいが。 その四面には、誕生から入滅までの金色の釈迦如来像が安置されていました。 

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「誕生」: 無憂樹(マメ科)の木の下、母マーヤーの右腋から生まれ、七歩歩んで右手で天、左手で地を示し「天上天下唯我独尊」と唱えられたという場面

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「降魔成道」:印度菩提樹(クワ科)に座し、魔を振り払い遂に悟りを開いかれたという場面

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「初転法輪」:初めて弟子に法を説かれたという場面(真ん中に法輪)

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「涅槃」:娑羅樹(フタバガキ科)の下、入滅されたという場面

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昭和三十四年四月二十日建立 日本語とヒンドゥー語?

奥多摩の山々から見えるということは、奥多摩の山々が殆ど見渡せるという、正に「神の座」と言える程の素晴らしい眺め。 この地を選んだ目はすごい。 ただ、日本人なので、神社だったらよかったのに・・・と、つい思ってしまう。

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暫し不可思議な異空間に身を置いた後、下山に向かいふと振り返ると・・・

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お釈迦様が手を振りお見送りくださって・・・? ありがたいことです。 足元にはヒメヤブラン

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登りは嘗て仏舎利塔建立の工事車両を通すための林道でしたが、下りはなかなか急斜面の山道。 しかも両側が湖に落ちる斜面というスリリングさ。

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青い湖面が近づき、やっと「陣屋」というお蕎麦屋さんの裏手に到達。 勿論、こちらから登ることも出来ますが、振り返るだに大変そう。

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「深山橋」       「陣屋」

P8034880陣屋の田楽 (218x290).jpg P8034883陣屋の盛蕎麦 (210x158).jpg
陣屋さんの田楽でビール、お蕎麦で締め。

さて、陣屋を出て・・・次の「三頭橋」を渡った先に、

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またまた不思議な空間があった・・・(つづく)
posted by 山桜 at 15:29| Comment(2) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月01日

大磯はいかい7「地福寺(藤村夫妻墓地)」

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東寺真言宗「地福寺」

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 向かって右の広い敷地が藤村のお墓、左の小さな敷地が静子夫人のお墓です。 簡素閑居を愛した藤村の気持ちに沿っているものかは分かりません。 墓石はとても素朴でした。 
 また梅の古木の枝の支柱がお墓の中に何本も突き立てられているのを痛々しく感じましたが、この梅たちを愛した藤村は喜んで支えているのでしょうか。 故人は直接何も答えてくれないことは痛い程感じております。 故人と共に生きた者が故人の声を感じて行動せねばと思います。

 大磯の町を愛し先に訪れた終の棲家に転居の2年のち、小説『東方の門』を執筆中に脳溢血で倒れ、
「涼しい風だね」
の言葉を残して71年の生涯を閉じた藤村は、このお寺の梅の古木の花々を愛し当地に葬られることを望んだとされています。 (本当は寺の境内ではなく海の見える南斜面に・・・と望んだとも。)  

 藤村の没後30年、静子夫人はお一人で過ごされたのですね・・・準えるなど恐れ多いことですが、わたくしもこれから先の生きてゆく道に思いを馳せました。

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紅白の梅に混じり、早咲きの桜が満開でした。 早咲きで河津桜に似ていますが少し色が濃いようです。 花期が長いので咲き始め〜散り時で色が変化するのかもしれません。 どちらにしても、寒緋桜X大島桜の系統に思われます。 (つづく)


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2018年02月28日

大磯はいかい2「高麗山・高来神社」

 化粧坂を過ぎた頃、目の前に現れたのは美しい山容の高麗山。
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【高麗(こま)山(165m)】
 江戸時代末期までは高麗寺の霊域として樹木の伐採が禁じられ、明治時代には宮内省官吏の御料林となり、昭和13年に神奈川県に下賜されてからも引き続き保護されてきました。 しかし戦中・戦後の資材確保の為、北〜東斜面の樹木は伐採され、「江戸から続く植生*」は南斜面にのみ残され、今は県の天然記念物に指定されています。

P2281117 (210x280).jpgP2281100 (210x280).jpg【「宮」印の入った御料林の石標】 【アリドウシ(一両)】

(その1)でご紹介した安藤広重の錦絵「東海道五十三次 大磯 虎ケ雨」の右端に描かれているなだらかな山が高麗山です。 奈良時代にこの山側一帯に高句麗からの渡来人が居住し集落を作ったことから「高麗(こま)山」の名前がついたといわれています。

 足利氏内乱の攻防あり、北条早雲(伊勢新九郎)の籠城あり、上杉謙信の本陣が置かれたり、見晴らしの良い典型的な山城として高麗山はたびたび歴史の舞台となってきました。

*「江戸から続く植生」大磯町指定天然記念物
 スタジイ・タブノキなどの常緑広葉樹
 ケヤキ・ムクノキ・イロハモミジなどの落葉広葉樹の混交林。
 モクレイシやカゴノキという高麗山ならではの樹木も自生。

P2281081大磯虚空蔵堂 (210x280).jpgP2281083大磯高来神社 (210x280).jpg 
【高来神社入口右の虚空蔵堂】   【高来神社入口の鳥居】

P2281086大磯高来神社 (210x158).jpgP2281085大磯高来神社 (210x158).jpg 
【二の鳥居の銅注連縄】   【高麗寺慶覚院山門(天台宗)】
明治時代に廃寺になった高麗寺の貴重な仏像等はこの鳥居右奥の「慶覚院」に移されています。 徳川家菩提寺の上野寛永寺と繋がりがあるとのことで葵のご紋が見えました。 次はこちらもゆっくりと参拝したいです。 

P2281087狛犬 大磯高来神社 (210x280).jpgP2281089狛犬 大磯高来神社 (210x280).jpg
阿の狛犬さんの足元の仔犬のお尻がなんともカワイイ!

P2281091狛犬 大磯高来神社 (210x158).jpgP2281090狛犬 大磯高来神社 (210x158).jpg
仔犬さん甘噛みしてますね〜可愛すぎです。 吽の狛犬さんがこっちにも来てくれないかな〜と羨ましそう?

P2281092シイニッケイ 大磯高来神社 (443x590).jpg
【シイニッケイ/椎肉桂】
 スダジイ(推定樹齢300年)の上部にヤブニッケイ(推定樹齢150年)が着根して共存している大磯町指定天然記念物

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P2281096大磯高来神社 (210x280).jpgP2281217大磯高来神社 (210x158).jpg
【高来神社拝殿・本殿】
神武天皇朝 創建
垂仁天皇朝 神皇産霊尊、天津彦穂邇々伎尊を祀る
533年/安閑二年 神功皇后・応神天皇が合祀される
717年/養老元年 本地垂迹・神仏習合により高麗寺別当所管
寛永年間      東照大権現を併祀
1868年/明治元年 神仏分離令で高麗寺は廃寺、高麗神社に
1897年/明治30年 高来神社に改称
          戦国時代の相模国大住郡「高来」に由来

 寛永年間に東照大権現(徳川家康公がご祭神)が併祀されて後、参勤交代の大名たちも皆下馬して参拝せねばならなかったそうな。

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【ナギ/梛】葉と樹肌
 針葉樹でありながら平たい広葉樹形の平行脈の葉を付ける。 

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【高麗山頂上の上宮跡】
 度重なる戦乱の世の攻防の舞台となり荒廃してしまったそうです。 今は高麗の人々は埼玉県日高市の高麗に移住してしまっている為なのか、寂寥感が漂っておりました。

 高麗(こま)と聞けば、埼玉県日高市の高麗の巾着田、高麗神社、高麗王若光(高句麗の王族とされる) を思い出します。 大磯の高麗との関係は、大磯は最初に若光が上陸し大陸文化を伝えた地、日高は後に若光一族も含めた関東の各地の高麗人が武蔵野国に集められ高麗郡が設置され、若光はその郡令に任命され終焉を迎えた地ということになります。 年月を経て、期せずして(どちらも人に連れられて)両地ともに訪れることになった不思議を思います。

 高句麗人と今の朝鮮半島に住む人々(新羅系)は、民族的・言語的に隔たりがあり、祖先と言う根拠はないとされますが、例によって論争の決着は見られないようです。 日本においてもこの部分に誤解があり、大磯の高麗の地でも、現代の嫌韓的拒否反応からなのか看板の文字の削除等が見られるのは残念なことです。 今までは彼の国が騒ぎ立てないように、この時代の歴史にはあまり触れずにいたように思います。 一度この時代からきちんと歴史を見直して、任那問題も含め日本としての歴史認識をしっかりと述べて欲しいものです。 と、また大いに横道にそれて今日も終わってしまいました。 つづく・・・ 


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2018年01月06日

お犬さま

PC229644狛犬 御嶽神社 (207x310).jpgPC229643狛犬 御嶽神社 (207x310).jpg

 武蔵御嶽神社拝殿前の狛犬さんは、山犬とも呼ばれる狼(オオカミ)の姿です。 白い山犬で、白鹿の姿をした邪神に行く手を阻まれた日本武尊を救い、この地に祀られたとの伝えです。 「もののけ姫」のモロの一族、シシガミ様、アシタカのモデルのようにも思えます。 
 戌年の今年に備えてか、長い間工事中だった本殿などの修復も完了し色鮮やかに蘇っていました。

PC229645 (207x310).jpgPC229653御嶽神社 奥の院 (207x310).jpg
蘇った拝殿で鈴もキラキラ      奥宮の遥拝所

 武蔵御嶽神社では、「太占(ふとまに)」という、牡鹿の肩甲骨の裏に溝を掘って火で炙り、生じたひび割れで今年の実りなどを占う行事が今も続けられています(1月3日非公開)。 

P4274395ウワミズザクラ (207x310).jpg その炙る火を熾す薪に使われていたのが、ウワミズザクラ。

「占溝桜」「裏溝桜」から転じた名前です。

 古事記にも記されている古名は「波波迦(ハハカ)」。 とても固い材です。

 桜らしからぬ白い穂状の花を咲かせ余り気付かれませんが、武蔵野の里山にも普通に生えており、赤い実が散る頃には少しだけ「何の実?」と話題になります。 
 
武蔵御嶽神社については、以前の記事も合わせてご覧いただければ幸いです。
2016年1月12日
「氷華シモバシラと御嶽神社初詣(下見・本番)」
2017年7月27日
「御嶽と御岳」


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本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 
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2017年12月21日

ぶらり江戸散歩「月の松」清水観音堂

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月の松 (418x630).jpg

国立国会図書館「錦絵で楽しむ江戸の名所」より

 上の写真の「月の松」は、2012年に150年ぶりに江戸時代の安藤廣重の錦絵にも描かれた、松の枝で満月を表した姿を復元したものです。 山桜も当時訪れて写真も撮ったのですが、探してもブログのどこにも残っておらず、どうやら例のごとく記事にし損ねていたようです。

 看板が邪魔な位置にあるわ(勝手な物言いですが)大勢の人で賑わっているわで、なかなか錦絵通りの構図にはなりませんでした。 松の枝振りも向こうの風景も随分違いますけれど、なかなか面白い試みであり、このような姿に松を育てられたのは大変なご努力の賜物と思います。 江戸っ子の心意気、今も生きるです。

 因みに「月の松」のある清水観音堂は京都の清水寺をを見立てたお堂で、この写真を撮りましたのも小さいながらも「清水の舞台」からです。

 二代将軍徳川秀忠公から上野の山を寄進された天海大僧正が、平安京と比叡山の関係に倣い「東叡山寛永寺」を開き、比叡山が京都御所の鬼門(艮=東北)を守るように、江戸城の鬼門の守りとし、上野の山に比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立された中の一つということですね。


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2017年12月20日

ぶらり江戸散歩「妻恋神社」

PC119387 (443x590)妻恋神社.jpg

 神田の家「井政」の風情に遠き日を懐かしんだ後、道なりに上野方面へ向かいますと「妻恋神社」がありました。 

 伝えによれば、関東制圧中のヤマトタケルノミコト(倭建命『古事記』/日本武尊『日本書紀』と表記)一行の東京湾を三浦半島から房総半島へ渡る船が荒波に翻弄される中、荒ぶる海神を鎮める為、妻のオトタチバナヒメノミコト(弟橘姫命)が海に身を投じ波に飲み込まれてゆきました。 無事渡り終えたヤマトタケルノミコトは、妻の消えた海に向かい妻恋しと、

「吾妻(あづま)はや・・・、吾妻はや・・・、吾妻はや・・・」

と三度呼びかけられました。 
これが関東を「あずま」と呼ぶ由来とされています。
また妻を恋するあまり滞在地から離れられず、

 君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき

の歌を詠まれたとされるのが今の「木更津」で「君去らず」が名前の由来とされています。
また姫の袖が流れ着いたとされる所は「袖ヶ浦」と呼ばれています。 片袖がそれぞれ、袖ヶ浦市と習志野市の袖ヶ浦に漂着したというのも、なんだか信憑性がありそうですね。

 妻を恋するヤマトタケルノミコトの思いを、東征の途中に一行が立ち寄られたされるこの郷の衆が鎮め祀り給うたのがここ「妻恋神社」ということです。

 稲荷神社も合祀したことにより、江戸時代には「妻恋稲荷」と呼ばれ、「王子の稲荷」と並び人気を集めたものと言われます。

 ヤマトタケルノミコトについては、古事記と日本書紀とではかなりそのご性格や物語に違いがありますし、源義経にも通じる「判官贔屓」の心情でその頃の英雄伝説が融合統合されて膨らみ美化された部分もあるようですが、概ね、がっしりとした体躯、女性に好まれる風貌(妻の数の多いこと!)、勇猛果敢、関東征伐に向かって成果を遂げたものの、父(第十二代景行天皇)にはその力ゆえに恐れられ疎まれてしまった「悲劇の英雄」ではあるように思います。

 社殿は残念ながらコンクリート造、気付けば鳥居からの風景しか撮っておりませんでした。 こういう神社は大勢でではなく、改めて一人でしみじみとお参りしたいものと思います。


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2017年12月16日

ぶらり江戸散歩「湯島聖堂・楷の木」

 うっかり屋根ばかり見上げていて書き損なっていましたが、湯島聖堂には森林インストラクターとしては書いておきたい特別な「樹木」がありました。 

 山東省曲阜にある孔子の墓所「孔林」に弟子の子貢が植え、学問の木とも呼ばれる「楷の木(カイノキ)」のことです。 カイノキはここ湯島聖堂はもとより、各地の孔子廟に植え継がれており、牧野富太郎先生は「孔子の木」と命名されています。

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 悠然と枝を伸ばした姿が素晴らしいのですが、残念ながらお手入れがされて枝が大分切り詰められており分かりづらいかもしれませんが、

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 羽状複葉(頂小葉が無いのも特徴)の小葉が対生で整然と並んでいる様子、枝振りが直線的直角的にきっちりとしている様子が、書道の「楷書」という言葉の元になったと、湯島聖堂の「楷樹の由来」には書かれていました。 

 先に「楷書」の言葉があり、その書体に因んで「楷の木」とされたと書かれているものも多いですが、どちらが先なのでしょう。 私としては、自然の風に学んだということで「楷の木」が先であって欲しいという気持ちです。 下に湯島聖堂にある由来書を掲げておきます。(一部緑字 山桜加筆)

楷樹の由来

【楷 かい】 トネリバハゼノキ ウルシ科
 (別名:爛心木/ランシンボク、楷樹/カイジュ、南蛮櫨/ナンバンハゼ、孔子の木/クシノキなど) 
 学名 PISTACIA CHINENSIS. BUNGE
    (ピスタチオ・ナッツと同属近縁です)

 楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で初め子貢が植えたと伝えられ、今日まで植えつがれてきている。 枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。
 
 わが国に渡来したのは、大正四年 林学博士 白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り、東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初である。 これらの苗は当聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられた。 その後も数氏が持ち帰って苗を作ったが性来雌雄異株であるうえ 花が咲くまでに三十年位もかかるため、わが国で種子を得ることはできなかったが、幸いにして数年前から二三個所で結実を見るに至ったので 今後は次第に孫苗がふえてゆくと思われる。

 中国では殆んど全土に生育し、黄連木、黄連茶、その他の別名も多く秋の黄葉が美しいという台湾では爛心木(ランシンボク)と呼ばれている。 牧野富太郎博士はこれに孔子木と命名された。

 孔子と楷とは離すことができないものとなっているが、特に当廟にあるものは曲阜の樹の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える。

 昭和四十四年己酉秋日  矢野一郎 文


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【湯島聖堂の周りの「築地塀」】
 江戸の錦絵などにも描かれている横縞が特徴的なこの築地塀は、土と瓦が交互に積まれた上に屋根が葺いてあります。 時代劇の舞台としても昌平坂、昌平坂学問所(昌平=孔子の生地魯の国の昌平郷に因む)として度々登場し、江戸の世にタイムスリップした気分に浸れて好きな場所です。
 塀の基礎の隙間から生えていたのは【イタビカズラ】クワ科イチジク属  イタビ=イヌビワのことです。 昔の人は、実の形が似ているビワ(バラ科)とイチジクを混同していたのかもしれません。 イチジクの仲間なので傷つけると白い乳液が出ます。 


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2017年12月15日

ぶらり江戸散歩「湯島聖堂・シャチホコ」

 さて、駿河台の方を散歩した後、聖橋を渡って湯島台に入るとすぐ右手が、恥ずかしながら不肖 山桜が最初に七五三詣をいたしました「湯島聖堂」です。

 『なぜ湯島聖堂で七五三?』 実は氏神様の神田明神へ詣でるつもりが父が駐車場を間違え、こちらに先に来てしまったというのが真相です。 お陰様で孔子さまのお導きか、成果はともかくとして勉強するのだけは好きになったようです。

 何度も訪れているのに、この日は妙に大成殿(孔子廟正殿)の屋根の上のシャチホコ?が金色に光っていて気になりました。 綺麗に磨かれたらこんなに光るんですね。 よくよく見ると、なんだか豪快に水を噴き上げてるじゃありませんか!

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大成殿を裏から見た時のお姿です。

 調べてみると、鯱(シャチホコ)の一種ではありますが、

「鬼(ケモノ篇に犬)頭」=キギントウ という聖獣で、

龍頭魚尾・二脚双角、頭上より潮吹きという姿。
その噴水力でもって火除けを担っているのだそうです。

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引いて仰ぐとこんな風です。 屋根の両端に頭を外側にして鎮座しています。

「湯島聖堂」についてのもっと詳しくはこちらへどうぞ
史跡「湯島聖堂」HP

*孔子廟のカテゴリーは「神社・仏閣」ではないのですが、お目こぼしください。 「宗教・哲学」とすればよいでしょうか・・・。 他にもカテゴリーに当て嵌めるのが、難しい時がままあります。


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2017年12月11日

ぶらり江戸散歩「一口(いもあらい)稲荷神社」

 この日は、「ぶらり江戸散歩」研修会で、森林インストラクターの神域お話名人I先生に連れられて、御茶の水〜上野不忍池界隈を、笑ったり頷いたり伸びあがったり蹲ったり、興味を同じゅうする面々と楽しくそぞろ歩き廻りました。

 JR御茶ノ水駅の聖橋口を出て本郷通りを渡った線路沿い(淡路坂=いもあらい坂とも)に、大きな椋の木(ムクノキ)が梢を空いっぱいに広げて聳えたっていました。 その場所こそが、

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【一口(いもあらい)稲荷神社・元宮】

 椋の木には、「元宮」と「由緒」の木札、誰でも持ち帰れるように「風邪咳封御守」が結び付けられていました。 そこから丸善の角まで戻り飯田坂を下ってゆくと、暫くして右手に現在のお社が現れました。

【太田姫稲荷=一口(いもあらい)稲荷神社】
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 都会に残る神社は、どこもビルの谷間になってしまいましたが、お祀りする人の気持ちで高めていけるものと思います。 崇敬の心こそ大切です。
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何故一口稲荷が太田姫稲荷と呼ばれるようになったかは、後述のご由緒をご覧ください。

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「社紋」は太田道灌の紋所「太田桔梗紋」桔梗好きな私、トキメキました。

太田姫稲荷神社/一口(いもあらい)稲荷神社ご由緒
 室町時代末、関東一帯には疱瘡(天然痘)が流行、この地に在した太田持資(後の道灌)の姫も罹患。 その時、京都の東南、山城国の一口(いもあらい)の里の一口稲荷神社が本来五穀の神である上に、穢(けがれや災い)も洗い清めてくれるということからも「え(穢)もあらい稲荷」と呼ばれ、近郷近在の人々の信仰を集めている、という噂を持資(道灌)が聞き、早速山城国「一口稲荷」に平癒を祈願したところ、姫は全快し、大いに感謝、崇敬を高めた持資は江戸城内に勧請。

長祿元年(1457):江戸城鬼門除けとして「一口稲荷」を勧請
天正18年(1590):錦町一丁目に遷座
慶長11年(1606):江戸城増築に伴い聖橋の袂に遷座。
(その頃まだ聖橋はなく下流の昌平橋は「一口橋」と呼ばれ、淡路坂は神社の表参道だった)
明治 5年(1872):太田姫稲荷神社と改称
(東京府より村社に定む。 錦町一丁目、小川町二丁目の一部、駿河台全域の氏神)
大正12年(1923):大震災で類焼
昭和 3年(1928):本社殿を南向き(以前は東北東向き)に新築
昭和 6年(1931):総武線開通工事の為に、現在の駿河台一丁目二番地に移転

ご祭神
「宇迦之御魂神」五穀の神
「穢もあらう」、病を癒し災いを除け、家内安全、商売繁昌の神
菅原道真公、徳川家康公の合祀により、文武の神。
社紋は太田道灌にちなんで、「太田桔梗」

「太田姫」とは
 太田道灌の姫のことではなく、京都にあった一口稲荷神社のご祭神で、道灌に狐の姿で現れて江戸城鬼門に祀れと告げた「太田姫命」のこと。

京都「一口(いもあらい)」
 このお稲荷さんが祀られていた「一口(いもあらい)」の地は、かつての巨椋(おぐら)池(秀吉に埋め立てられて現在は農地)の西岸あたりにあったと伝わり、「一口」の名は、北・東・南の三方が巨椋池によって囲まれ、村への出入り口は西のただ一方だったことによるとか。
 『平家物語』『吾妻鏡』『承久記』『太平記』等の中にも、その地名が記されており、淀とともに京都南部の攻防の要衝の地であった。 
 現在も「東一口」「西一口」とその名を残す。

なぜ「一口」は「いもあらい」と読まれるのか?
・「いもあらい」とは「いみはらい」(忌み祓い)の変化したものという説。
 「忌む(斎む)」「払う(祓う)」は、「身を清め、禍を払う」という意味。
 「はらい」→「あらい(洗い)」に変化。

・巨椋池を昔「いも」と呼び、そこで疱瘡を洗い清めたことからという説。

・疱瘡のことを「いも」「へも」と呼び、池で洗い清めたことからという説。 など等

 そもそも「一口(いもあらい)稲荷さん」が「巨椋(おぐら)池」の地に在って「椋(むく)の木」にご縁があり、巨椋池が無くなってしまっても、椋の巨樹が今もこうして東京の聖橋の袂に生き残っているとは、連綿とした縁の繋がりに驚きです。 

 そういえば、「芋洗坂係長」でしたか? 何だか丸々太って踊る人いましたけど、何か関係あるのでしょうか?

 ぶらりと書き始めたら、なんと、「一口稲荷」だけでこんなに興味が膨らんでしまいました。 続きはまた後ほど・・・


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2017年11月18日

千代田稲荷大明神・高尾

 嘗ては高尾山の寺社への表参道という蛇滝入口からの登り道の途中、川を渡った先の高齢者ホーム上手に「千代田稲荷大明神」はあります。 

 母の実家が神田明神の氏子なので何かご縁を感じ、以前から気になっていたものの、なかなか参拝の機会なく過ごしていました。 この日も2度前を通りながらお参りできず、残念に思っていたところ、こういうことを「ご縁」というのでしょう…奇跡のようなことが重なって思いがけず3度目の正直で参拝することが出来ました。 そしてこの日は母の誕生日、確かにお招きを受けたことと感じます。

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参道口の石鳥居の扁額「千代田稲荷大明神」「日の出辨天」

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「千代田稲荷略縁起」 元は太田道灌により千代田城(江戸城・今の皇居)の守護神として祀られ、後に徳川家康により紅葉山(本丸と西丸の間にある高地、江戸城内で最も高い場所)に祀られ、明治維新の時に「信仰厚き女官(滝山)」により紅葉のご縁で紅葉の名所の高尾へ・・・この「滝山」といえば、TVドラマ「大奥」で浅野ゆうこが演じた大奥総取締(御年寄)でしょうか? 遥々この高尾まで来られたこともあるのかしら、と想像が膨らみます。 渋谷の道玄坂にも同じ名前のお稲荷さんがあるそうで、その関係も気になります。

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鳥居をくぐって石段を登ります。 上の方にもいくつか鳥居が見えます。 一体どれだけ登るのでしょう。

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見上げると真っ赤な紅葉

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一つ目の階段を登り終えて、来し方を振り返り、またどんどんと登って・・・

あらら? え、あれれっ?? 
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PB148558千代田稲荷拝殿跡と本殿 (440x293).jpg
なんと拝殿は、土台だけを遺して跡形もありませんでした。
(帰宅後に調べると、2013年2月11日、賽銭泥棒が賽銭箱にお金がなかった腹いせに放火、全焼してしまったとのこと。 なんと罰当りな…ちゃんと逮捕されているそうですが、灰になってしまった拝殿は本に戻る筈もなく、残念です。)

本殿は残っているようでしたが、何だかあまりお近くで撮影するに忍びなく手を合わせるに留めます。

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狐さんたちは、健気に境内を守ってくれています。
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しなやかに流れるような美しいお姿、そしてとても優しいお顔をされています。 

 奥山に 祠守りて苔狐 紅葉眺めつ 日は落ちて (山桜)

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小さな石の祠にカワイイ狐さんたちが集って楽しそうでした。

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お顔が朧げですが、若しかして辨天様?

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こちらはお不動さまですね。

そろそろ合流する方々の声が聞こえてきたような・・・名残惜しいですが、お暇を申し上げて参道を戻ります。 石段はところどころ浮いているようで、余りにも紅葉が綺麗なのでついつい眺めてしまいますが、油断なりません。
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蛇滝から流れ落ちる沢沿いの道、石段も湿っていて滑りそう・・・最後まで気を抜かず、最初の鳥居に戻りつきました。 静かな心地よいお宮さんでした。 季節ごとにまたお参りしたいと思います。


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2017年11月17日

新四国 高尾山八十八ヶ所巡礼(讃岐編)

讃岐の國(香川県)「涅槃の道場」23霊場
<蛸杉の右> 21、22、20、66番(並び順)
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【シロダモの実】        第六十六番 雲辺寺 ウンペンジ

<蛇滝水行道場柵内>67、68番
(撮影できず)

PB148518メグスリノキ (207x310).jpgPB148519ウリノキ (210x140).jpg
【メグスリノキの落ち葉】   【ウリノキの落ち葉】

<蛇滝下り口左>
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第六十九番 観音寺 カンオンジ    第七十番 本山寺 モトヤマジ

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第七十五番 善通寺 ゼンツウジ(2体、その1、2)

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第六十九番 観音寺 カンオンジ(その2) 

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第七十番 本山寺 モトヤマジ(2体、その3、4)

<高齢者ホーム柵内の高台> 74、72、71、73番(並び順)
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第七十一番 弥谷寺 イヤダニジ   第七十二番 曼荼羅寺 マンダラジ

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第七十三番 出釈迦寺 シュシャカジ   第七十四番 甲山寺 コウヤマジ

ここからが「新四国八十八ヶ所巡礼・高尾山」名物?登り返しです! 滑りそうな足元に気を配りつつ慎重に下って来た道をまた登り直すという、まさに「歩きの修行」のクライマックス、ここで体力に自信がない方は、下りきって蛇滝入口バス停からバスに乗ってJR高尾駅に戻ることも出来ます。 何も無理して一日で回らなくとも、又の機会に続きから回っても良いのですから。

 登り返す途中で、「左 金毘羅社」の碑と微かに残る旧道跡が…ここから登れたら近道なのですが、残念ながら今は廃道、危険なので一般の方は通ることが出来ません。 さぁ、気を取り直して登りましょう。 同じ道でも下りと登りは趣が違いますし、私はこの道が大好きなので全然苦になりません。(それで再度後続班の皆さんと下って千代田稲荷さんへ参拝してきました。)

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千代田稲荷社の参道      参道入口石鳥居の扁額
(別記有りますので、ご参照ください。)

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【ムサシアブミの実と葉】(手前に倒れた姿です)

PB148543スズメウリ (207x310).jpgPB148549セキヤノアキチョウジ (207x310).jpg
【スズメウリ/雀瓜】ウリ科  【関谷の秋丁子】シソ科

<蛇滝の下>
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第七十五番 善通寺(その3) 第六十九番 観音寺(その3)

PB148522 (207x310).jpgPB148625ミヤマフユイチゴ (207x310).jpg
第七十番 本山寺(その5)  【ミヤマフユイチゴの実】

こちらの3体は面差しが似ていますし、同じ奉納元なのでしょう。 何体も奉納があるということは、そのお寺さんの信仰の厚さ、また経済的豊かさも想像されます。

PB078348 (207x310)ツルリンドウ.jpgPB148621ツルギキョウ (207x310).jpg
【ツルリンドウの実】     【ツルギキョウの実】

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PB148600キッコウハグマ (207x310).jpgPB148620ハダカホオズキ (207x310).jpg
【キッコウハグマの花】キク科 【ハダカホオズキの実】ナス科

 さて、75番は幾つもあるのに76番がみつからず、見落としが無いか不安にかられつつ十一丁目茶屋まで登り返して一服。 一号路を金毘羅社へ向かって下ります。

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金毘羅社          第七十八番 郷照寺 ゴウショウジ 
  
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第七十九番 高照寺 コウショウジ  第八十番 国分寺 コクブンジ

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第八十一番 白峰寺 シロミネジ   第八十二番 根香寺 ネゴロジ

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第八十三番 一の宮寺 イチノミヤジ  第八十四番 屋島寺 ヤシマジ

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第八十五番 八栗寺 ヤクリジ    第八十六番 志度寺 シドジ

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第八十六番 志度寺 シドジ

PB148603 (207x310).jpgPB148589 (207x310).jpg第八十七番 長尾寺 ナガオジ

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麦播き銀杏(むぎまきいちょう) 
かつて麓の畑ではこの銀杏の黄葉を麦播きの暦としていたそうです。

 ここから長い長い1号路の下り道、歩きにくい勾配、ヘアピンカーブの連続、滑る舗装路、滑り止めの石道がまた滑る、転ぶとその石が尖っていて大変・・・と、私にとってはここが一番の難所に感じます。

<不動院本堂前> 結願
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第八十八番 大窪寺 オオクボジ 

 最初に「高尾山内八十八大師 巡拝案内図」を頂いた麓の不動院に戻り、お大師様の像に参拝して結願(けちがん)となりました。 案内図の裏面に、不動院・琵琶滝・蛇滝の3か所の印を押して頂くと、薬王院護摩受付所にて「巡拝証」を頂くことが出来ます。 

 この日はちょうど母の誕生日でしたので、「巡拝証」に参拝日と名前を書いていただき(お布施 二百円)ました。 入院中の父も、腰椎骨折している母も、きっと良くなることでしょう。 

 最後までお読みいただきました皆様にも佳きことがありますように・・・。  合掌


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2017年11月16日

新四国 高尾山八十八ヶ所巡礼(伊予編)

伊予の國(愛媛県)「菩提の道場」26霊場 
 四国でも海岸沿いから山の方に入ったところにある霊場にならって、高尾山の中でも少しコースから離れた小高い場所に登っています。 番号順に並んでおらず場所も入り組んでいて、一番見つけるのが難しい所です。 ただ、一般の人があまり歩いていないので、静けさの中でお遍路が出来ていい雰囲気でした。

<有喜院 仏舎利塔広場> 48、49、51、62番 
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第六十二番宝寿寺ホウジュジ    第五十一番石手寺イシテジ

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第四十九番浄土寺ジョウドジ    第四十八番西林寺サイリンジ

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小天狗     飯綱大権現    大天狗

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有喜院 仏舎利塔       第六十三番吉祥寺キッショウジ
(43、45、54、60、47、55番 撮影できず)


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神変堂            神変堂・扁額
神変堂に祀られている「神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)」とは、修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)に光格天皇より贈られた諡号です。 扁額は故吉田元総理の筆です。

<神変堂右>64、65番
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第六十四番前神寺マエガミジ    第六十五番三角寺サンカクジ

前神寺のお像の前で「おお、チャンスの神様!」、前髪しかないんですよね。 三角寺というお名前も面白いです。 謂れが気になります。 吉祥寺も全国的には、キチジョウジと読むほうが少ないのかしら?


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2017年11月15日

新四国 高尾山八十八ヶ所巡礼(土佐編)

土佐の國(高知県)「修行の道場」十六霊場
<大師堂の左側>(並び順)24、25、26、27、28、番外、29
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第二十四番 最御崎寺 ホツミサキジ  第二十五番 津照寺 シンショウジ

 段々とお大師様の像のお顔の違いが分かるようになり、お目にかかって手を合わせるのが楽しみになって参りました。

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第二十六番 金剛頂寺 コンゴウチョウジ 第二十七番 神峯寺 コウミネジ

羅漢さんではないですけれど、どこかに自分や家族や知り合いに似ているお顔があるような気がします。

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第二十八番 大日寺 ダイニチジ     番外霊場

 時々、こうした番外編の石像や石碑が出てきたり、順序良く並んでいなかったり、全く視力も衰えてきたお遍路泣かせであります。 

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第二十九番 国分寺 コクブンジ    真っ赤に実った南天の実

 こんなに鳥にも食べられず、見事にたわわに実った南天は珍しく、やはり霊場には何か特別な気が流れているように思え、南天の実にまで手を合わせたい気持ちになりました。

<大師堂の右側>(並び順)34、35、33、32、31、30、36
(写真見つからず、撮り忘れた模様・・・何が起こったのでしょう、ちょっと怖いような)

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高尾山薬王院本堂の屋根と紅葉    福徳稲荷社

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飯縄(いづな)大権現堂 と その上の崖の補修工事

 山仕事をされている方々の姿に惹きつけらるのは、やはり自然と対峙している真剣勝負の気迫を発していらっしゃるからでしょうか。 いつまでも見ていたい気持ちに駆られます。

<天狗社右>        <飯縄大権現堂右石段沿>
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第三十七番岩本寺イワモトジ    第三十八番金剛福寺コンゴウフクジ

<奥ノ院裏右手>
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左:奥ノ院裏右手の護摩所とその裏手に並ぶ霊場石像二体
右:富士浅間社

<奥ノ院の裏右手の二体>
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羽の生えた烏天狗?      第三十九番 延命寺 エンメイジ

 天狗さん?の方は石碑に浮彫になっていて、その石碑の上に赤いお帽子が被せてあるので、遠目には頭が欠けてしまったように見えどっきり! 近づいてみて、ホッとしました。

 以上 土佐の國の霊場十六ヶ所でした。 
 途中の7ヶ所にもお参りはしているのですが、撮影が抜けてしまったのには、何かきっと理由があるのでしょう。 改めてお参りに行きたいと思います。

 歩いて巡るのも確かに修行ですけれど、こうして後で振り返りをまとめるのもなかなかの修行で・・・これは思ったよりも大変、いささか疲れて参りました。 へとへとの私にお接待は・・・ないですね、自分でお茶っこいれましょう。


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2017年11月14日

新四国 高尾山八十八ヶ所巡礼(阿波編)

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高尾山は紅葉の名所、ようやく日当たりのよい場所では色づいて参りました。

PB078361 (207x310).jpgPB078343 (207x310).jpg「新四国高尾山八十八ヶ所の道」「これより阿波の國」の碑 

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清滝  
 ケーブル清滝駅 と呼びながら、清滝がどこにあるのか知らず仕舞いの方が大勢いらっしゃるようですが、お掃除小僧の裏手にありますので、探してみてください。    

わたくしもこれでいろいろ抱えておりますので、四国八十八ヶ所お遍路に肖りたいと思います。

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清滝の左手に並ぶお大師様 
「高尾山内 八十八大師めぐり」の始まりです。

 実は私は、この赤いお帽子の石像群をずっとお地蔵様だとばかり思っていましたが、以前、FITの先輩に、
「薬王院脇の橅の木は「地蔵ブナ」と呼ばれているけれど、
 ブナの木の前の像はお大師様なのですよ。」
と教えて頂いて、初めてその手に独鈷が握られていることに気が付きました。 お地蔵様であれば、如意宝珠と錫杖です。 なんでもいい加減に見ていると気づかないことだらけです。

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赤や黄色のもみじ葉は、光を透かして一層鮮やかです。

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白いヤツデの花と若い実、柊の花はいい香り

お大師様の像は台に「第何番霊場 〇〇寺」等と刻まれているのですが、判読不明のこともあり間違いがあるかもしれません。 怪しい部分は、次に高尾山へ参った時に確認いたしましょう。

阿波の國(徳島県)「発心の道場」二十三霊場

<清滝の右手高台 第一番〜第八番>
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第一番 霊山寺 リョウゼンジ   第二番 極楽寺 ゴクラクジ

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第一番 霊山寺 リョウゼンジ?  第三番 金泉寺 コンセンジ

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第四番 大日寺 ダイニチジ    第五番 地蔵寺 ジゾウジ

PB078342 (207x310).jpgPB078340 (207x310).jpg(藪蘭の実)第六番 欠?   第七番 十楽寺 ジュウラクジ  

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第八番 熊谷寺 クマタニジ

清滝横で第一番〜第八番(第六番は未確認)のお大師様にお参りした後、ケーブル清滝駅の左手沢沿いの6号路を琵琶滝に向かいます。

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モミジバフウの落ち葉   ノコンギク/野紺菊

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岩屋大師 嵐の中で病気の母親と子供が難儀していたのをみかねた弘法大師様が手を合わせると、雨風をしのげる洞窟が突然開いたとの伝説があります。 

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琵琶滝 滝に打たれる水行の場

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琵琶滝 不動堂  屋根に降り積もっているのは、ムクロジ(無患子)の葉です。 この夏〜秋、沢山の実を拾ってサポニンの造り出す泡の実験をしました。

 6号路から別れる琵琶滝右手からの登りは高尾山でも上級コースとされる、なかなかキツイ道です。 修行をされている方々が「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら登って行かれる姿を時折見かけます。

 四国の遍路の道に高尾山の立地を当てはめて、お大師様は各々ふさわしい場所に建立されています。 このキツイ登りは、四国でも山中を歩く順路を模しているそうです。 急登の途中の右手に忽然と現れる二本松前の広場に、第九番〜第十六番までのお大師様がいらっしゃいます。

<二本松の広場 第九番〜第十六番>
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木漏れ日差す、静穏な佇まいです。

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第九番 法輪寺 ホウリンジ    第十番 切幡寺 キリハタジ

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第十一番 藤井寺 フジイデラ   第十二番 焼山寺 ショウザンジ

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第十三番 大日寺 ダイニチジ    第十四番 常楽寺 ジョウラクジ

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第十五番 国分寺 コクブンジ    第十六番 観音寺 カンオンジ 不明

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【ツルギキョウ/蔓桔梗】の赤い実  【オオモミジ/大紅葉】の紅葉

 二本松広場で暫し休息の後、また十一丁目茶屋への道を登る途中、以前の花を紹介した「ツルギキョウ」が幾つも赤い実をつけていました。 「ツルリンドウ」「ツルニンジン」と名前も草姿も似通っているので、分かっていても言い間違えること有り、出会えたらとっても嬉しいのに、インストラクション上の要注意イイマチガエ植物たちです。

<十一丁目茶屋前>
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第十七番 井戸寺 イドジ

<十一丁目茶屋右高台>
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第十八番 恩山寺 オンザンジ     第十九番 立江寺 タツエジ

<蛸杉右>
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第二十番 鶴林寺 カクリンジ     第二十一番 太竜寺 タイリュウジ

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第二十二番 平等寺 ビョウドウジ (第六十六番 雲辺寺 ウンペンジ)

<神変堂左>
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第二十三番 薬王寺 ヤクオウジ

 これにて、阿波の國の「発心の道場」二十三か所霊場を回ったことになります。(なぜか第二十二番の横に建立の第六十六番 雲辺寺を除く) 順路通りにもきちんと順番にも並んでない所がありますので、刻まれた文字が判読不能なことも多く時に混乱しますが、それもこれも修行ですね。

 さて、土佐の國「修行の道場」へとお遍路の旅は続きます。


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2017年05月14日

嵐山 虚空蔵法輪寺

 お昼と書のお話をご馳走になり、京都でお薦めの場所を伺うと、今からだったら「法輪寺さんやね」「直ぐに行き」とのことで早速、路面電車の駅まで帰る方向が同じと仰る若くて素敵なお弟子さんに送って戴き、可愛らしい懐かしの路面電車に揺られて嵐山へ向かいました。

 嵐山の駅を出ると、溢れんばかりの人の波と暑さでくらくら…いつも殆ど人の居ない東京の田舎町に住んでいるので人ごみは苦手…それでも渡月橋を渡り向こう岸へ辿り着く頃には人影も疎らになって、静けさにホッと一息つきました。 

 何やら急な階段の下に「法輪寺」の道しるべがありましたが、手持ちの地図ではもっと先の筈だし膝痛があるので急な長〜い階段は敬遠して先に進み、あと数歩先という所で我慢できず道を尋ねてしまい、余りに直ぐそこ過ぎて恥ずかしかったです。

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しかも左手のこの階段を上ってしまったら帰り道はこちらとの看板が・・・行きと帰りとで道が決まってるの? 右の写真は、「電電塔」で 電機関係の方の供養塔。 電気の功労者代表として ヘルツ(左)とエジソン(右)のレリーフが嵌め込まれています。 京都の竹がエジソンのフィラメントに使われたのと何か関係があるのかな? 

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山門をくぐり
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ああ、やっぱりどうしても長い長い階段を上るんですね・・・出迎えてくれたのは狛犬さん・・・ではなくて、あれれこれは??

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猫耳で阿と吠えているのは「虎」?  吽の方は「牛」ですね。
ということは「丑寅」 若しかして丑寅の方角で都の鬼門封じ? 
(帰宅後調べた所、虚空蔵菩薩は丑寅生まれの守り本尊とのことでした。)

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そして何故か「羊」さんも? 
(同じく調べた所「羊」は虚空蔵さんの化身またはお使いとされているそうです。)
ずっと私達を見ていたトカゲさんは若しかして?? 

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境内から張り出した舞台からは渡月橋や京都の町が一望できます。

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舞台への入口横には大きな桂の木  光がさして緑が一層鮮やかに

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青紅葉からの木漏れ日が階段に揺れて・・・うっとり見惚れておりました。

 本殿にも多宝塔にもカメラを向けていなかったことに、帰宅後初めて気が付きました。
何故だかそういう気持ちにならなかった、ということなのでしょう。 

【法輪寺】
和銅六(713)年
 元明天皇の勅願により、行基菩薩が木上山葛井寺を創建
天長六(829)年
 弘法大師の弟子 道昌僧都(どうしょうそうず)が中興、
 ご本尊に虚空蔵菩薩を安置
 道昌は、大堰川の修築や法輪寺橋(現在の渡月橋)の設置、
 船筏(ふないかだ)の便の開港等に尽力
貞観十六(874)年
 伽藍が整備され「法輪寺」と寺号を改める

吉田兼好の『徒然草』 清少納言の『枕草子』の中に登場 
応仁の乱や幕末の禁門の変(蛤御門の変)など、度重なる兵火に会うもその都度再興

「嵯峨の虚空蔵さん」と親しまれ、十三参りで有名。
十三参りの帰り道に振り返ると授かった知恵を落とすとの言い伝えあり。
虚空蔵さんは十三番目に誕生したとされる智慧と福徳の仏様。
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2016年01月19日

雪の高幡不動

18日の東京は、未明から積り始めた雪の為に大混乱。
用心の為30分程早めに家を出て、途中でいつもの経路から雪の影響を受けにくそうなモノレール利用の経路に変更し、何とか時間通りに着けそうか…と思った頃、他の路線では間引き運転の影響で改札から中に入れない乗客が溢れてしまう等の混乱が生じており、目的の講座は中止との連絡あり。 かと言って、もう目の前に車両が到着、後ろには乗車順をまつ乗客がびっしりで退路はナシ! 「前に進むしかない!」と乗り込んだものの、次の駅ではもうドアが開いても降りることも出来ない。 もう諦めて人が空くまで乗り続け、高幡不動で降りた。

高幡不動(高幡不動尊金剛寺・高幡山金剛寺)東京では有名なお不動さんなのに未だ一度も参拝しておらず、この日のこの機会のご縁を感じ、お参りすることにした。 雪は既に冷たい霙雨に変わり、道はグズグズになり出していたが、長靴を履いた身にはそんな中をお構いなしに歩くのも楽しい。 

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未だお正月の装いを残した仁王門

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新選組 土方歳三にも雪が(当寺が菩提寺)

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       白い雪の中 朱色の五重塔が鮮やか…

それにしても記憶の中の高幡不動の五重塔はこんなに新しい感じではなかったような…などと見上げていたら、ズドドッ! と、傘の上に雪の塊りが直撃してビックリ! 思わぬ厄払いとなった。 何か憑いていたんだろうか? お不動様、荒っぽいお祓いをありがとうございました。

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山門の奥は大日堂

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長い階段の上に何が…と思いつつ、滑りそうで昇れず残念 (鐘楼があるそうな)

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少し空が明るくなって来て、塔が益々鮮やかに

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晴れる兆しの風が吹き出して、五色の幡のたなびきも美しかった。

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2015年05月11日

奉祝・ご遷座400年「神田祭」

 母の実家が氏子である神田明神さまは、
天平2年(730) 大手町・将軍塚の周辺にご鎮座、
慶長8年(1603) 徳川家康の江戸幕府・江戸城の拡張
        により駿河台に仮ご遷座、
元和2年(1616) 4月、現在地・外神田(江戸城の表鬼門・
艮(うしとら)の地に「江戸総鎮守」
としてご遷座となりました。

 本年2015年は、そのご遷座より400年にあたり、5月の神田祭は奉祝大祭として盛大に執り行われました。 江戸っ子の片端を担う我が身としては、このお祝いに駆け付けないでは居られません。 山でこけて傷めた膝を庇いつつ、叔父の法被も羽織らせて貰って参加して来ました。

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町内会のお神輿の先導役の方々

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続いてお囃子の方々

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明神様が近づくにつれ、集結してきたお神輿は暫し参詣待ち…
異人さんの担ぎ手も。

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ちびっこ神輿も頑張る!

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さぁ、いよいよ明神さまも間近で
益々意気も神輿も舞い上がります!

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我が町内会のお神輿が明神さまの鳥居を潜る瞬間!
ご遷座400年、おめでとうございます!!
posted by 山桜 at 15:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

節分会・大善院

 お稽古の帰り道、賑やかなお囃子に誘われて表通りから続く細い参道をくぐって行くと、色鮮やかな幟がはためき、並んだ出店からは、い〜いにおいが…。 今日は大善院(お不動さん)の節分祭でした晴れ
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 毎年、行ってみたいとは思いつつ、なかなか機会に恵まれず…。 それが今年は丁度、もうすぐ豆まきという時間にお囃子に誘われてお参りだなんて、幸先がいいではありませんか〜ぴかぴか(新しい)

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ご本堂横でお囃子やひょっとこ踊りや獅子舞のご奉納。 最近の子は獅子舞が頭の上で歯をガチガチしてもあんまり泣かないのですね〜 刺激に慣れてるのかしら?

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赤鬼さん、手には金棒、頭にはクルクル巻きの奥様ウイッグ、
そして…、全身ヒョウ柄スーツ… えっ、あれ、鬼ってトラ縞じゃ…?
追い払われる様子も無く、まるで警備員さんのように仁王立ちされてました。

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先頭切って福豆を蒔いて下さったのは、朝日山部屋の徳瀬川関。
(桐山部屋閉鎖により1月23日に一門の朝日山部屋へ移籍。初場所9勝)凛々しい力士に見惚れる鬼さん

 
しかし、何故に節分というこのタイミングで角界の不祥事発表…。 
全国で節分会に出席された角界関係の方々はさぞ肩身が狭かったことでしょう。
 
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右手でカメラ、左手で福豆の2袋キャッチ!
って、我ながらスゴ〜イじゃないですか!? 
ふふふ〜ん、こいつぁ〜春から縁起がいいや〜るんるん(ご機嫌) 
ラベル:節分
posted by 山桜 at 20:00| Comment(18) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月17日

霊園山・聖林寺

 
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山門前には堅く戒律を守る律院と俗世界を隔てる「大界外相」の結界石

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かつて敵方の侵入から寺を守った立派な石垣も今は平和に苔むして…

 この春、梅と桜の花の狭間、娘と一緒に参拝に伺った聖林寺のご住職さんが亡くなられたと瓜亀仙人さんの日記で知りました。瓜亀仙人さんがこの世で一番美しい、この上もなく大好きな仏様と仰り、かのフェノロサも絶賛したと言う十一面観音像で有名なお寺さんです。貴重なご縁に感謝申し上げ、遅れ馳せながら記事を書かせていただき、謹んでご冥福をお祈りいたします。 合掌


【霊園山・聖林寺(りょうおんざん・しょうりんじ)】(真言宗 室生寺派)

 国宝「十一面観音像」(天平時代)で有名な古刹。
 藤原家の氏寺「妙楽寺(現「談山神社」」の別院として創建。
 ご本尊は、子授け・安産・子育て「子安延命地蔵菩薩」(元禄時代・石像)


 この石造の大地蔵菩薩様も素晴らしい慈愛で包んで下さいます。奥の十一面観音様へと足早に通り過ぎてしまっては勿体無いです。

 聖林寺HP  
 (地蔵菩薩・十一面観音・如来荒神像・他のお写真も拝めます)


【国宝・十一面観音菩薩立像】

 第一回指定の国宝。
 天平時代を代表する仏像。
 大神神社の神宮寺「三輪山・大御輪(おおみわ)寺」の元ご本尊。

 神仏分離令の発布前、廃仏の嵐を予期し聖林寺七代和尚・大心(三輪流十一面観音法を唯一伝授された三輪流神道の正嫡)により、大八車に乗せられ聖林寺へ移され難を逃れる。

 かつては、四天王に守られ、前立観音があり、左右に多くの仏像(現法隆寺の「国宝・地蔵菩薩」は左脇侍だった)、背面には薬師如来一万体が描かれた板絵がある荘厳の中にまつられていた。光背(奈良国立博物館に寄託)には、宝相華文が散りばめられていたが大破している。


 今はガラスの向こうで、背絵も光背も四天王も前立観音も脇侍も失われていますが、それでも尚、眩く輝き、キリリと澄んだ眼差しで彼方を此方を見据えていらっしゃいます。その毅然とされた面持ちの一方で、ふわりと柔らかに開かれた手指は、あくまでも優しい表情で、私達を受け入れて下さいます。

 それにしても時代の流れに翻弄されながら、よくぞここまでこうして永らえてこられたものです。この観音像に込められたものがどれほど大きなことだったのかと感じずにはいられません。若し、元の通りに復元が叶ったとしたら、日本に大きな霊験が現れるでしょうか…。でも、そうなったら聖林寺には納まりきらなくなってしまう? 瓜亀仙人さんが寂しがると困りますので、そうっとしておきましょうか…。

 先に掲げた聖林寺のHPを書かれた先代住職(亡くなられた住職のご主人様)倉本弘玄和尚さまは、HPの最後に、この寺の静寂を護るさだめ負われ、経典の「恒作衆生利」を契う御心に深く響くとして、郷土の哲学者・保田與重朗の歌を遺されていました。 どうかこれからも末永く代々のご住職様、奥様とご一緒にふるさとの山河をお見守り下さい。 
  

 けふもまた かくて昔となりならむ

           わが山河よ しずみけるかも



瓜亀仙人さんのブログ「大和浪漫」の中の『天平観音でお通夜』

<追記>
 因みにハリウッド(Hollywood)の漢名「聖林」とは何の関係もなさそうです。そもそもその漢名も、聖なる=holy と ヒイラギ= holly を誤って付けてしまったものとか。つまり本当は「柊林」だったのですね。そのヒイラギもいわゆる西洋ヒイラギでなく、バラ科ナシ亜科のカリフォルニア・ホーリーと呼ばれる植物で、写真を見た範囲ではトキワサンザシ(ピラカンサ)に似ていました。
 


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