2012年08月15日

茶の湯関連の日記について

 
 昨日のお知らせにも書いたことですが、カテゴリー「茶の湯」で検索されていらした方に伝わっていないようですので、改めてこちらにお詫びを申し上げます。

 自分なりには、気を配っていた積りでしたが、やはり茶の湯関連で公に書くべきでないことを書いてしまいネット上でご指導を賜り、今も関連記事は概ね非公開になっております。 「茶の湯」や「表千家」で検索してお越しいただいた方々には、ご期待に添えませず大変申し訳ありません。

 拙い茶の湯の日誌を書いたことで素敵なお茶の先輩方とご縁を戴くことが出来ましたこと、本当に幸い甚でありました。 今も、こんな私をお見捨てにならず、もう少し閉じられた世界で交流を続けさせていただき有難いことです。 

 ただ、稽古日誌をきちんと「人に見せられるように」書かなくなってから、ちょっと覚えが悪くなったかも…どうも私は何でも書いて整理して覚えるタイプなのかもしれません。 いえいえその分、体を動かしてより稽古を積めば良いのですよね! 


 「出来ない理由を挙げるより出来る方法を考えたい。」

 「〜したい」だらけで、相も変わらず取り散らかしている私ですが、これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。 

 山桜 拝


 
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2006年11月14日

東京国立博物館・庭園

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            「春草廬(しゅんそうろ)」
 江戸時代、河村瑞賢が淀川改修工事の際に建てた休憩所→大阪→
 横浜・三渓園→ 所沢市・松永安左エ門(耳庵)の柳瀬荘→
 現在地に移築。「春草廬」の扁額は、曼殊院良尚法親王筆。

 安住の地を得て、ゆったり旅の疲れを癒しているような風情でした。
 

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        「転合庵(てんごうあん)」対岸からの遠景
 小堀遠州が桂宮から茶入「於大名(おだいみょう)」を賜った折、
 その披露の為、京都伏見の六地蔵に建てた茶室→大原寂光寺に移築→
 茶入と共に当館に寄贈され現在地に移築。

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                  庵の内部

 こちらのお茶室は良く使われているようで、お香の残り香が漂い
 内部にも生気がありました。 右の写真は光の入り具合のせいか
 不思議なセピア色モノクロ状態になってしまいました。



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            「六窓庵(ろくそうあん)」

 17世紀中頃、奈良・興福寺慈眼院に建てられた金森宗和好みの茶室。

 元興福寺大乗院、現在奈良国立博物館に移された「八窓庵」
 東大寺塔頭四聖房の「隠岐録」と共に「大和の三茶室」といわれた。

 解体輸送中の船の難破、第二次大戦中の解体・疎開などをくぐり抜け、
 昭和22年(1947)9月、数奇屋の名工木村清兵衛により現在地に再建。
 水屋、寄付、腰掛などは明治14年に古筆了仲(こひつりょうちゅう)に
 よって設計、増築。

 肝心なところは見えないし、小さなどう使ったのかよく分からない
 建物が…上の解説を読み、あれがそうだったのかなと思い返すも
 知識の乏しい私にはイササカ難物でした。
 


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            「九条館」
 京都御所内の九条邸→東京赤坂の九条邸に移築。当主の居室。
 昭和9年(1934)九条家から寄贈、現在地に移築。
 床張付、襖などには狩野派による楼閣山水図が描かれており、
 欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りされています。

 お屋敷をこっそり覗く子供のように硝子窓に顔を寄せて写真を撮り
ました。 木枠にはめられた昔の硝子の何とも言えぬ歪みによる
光の揺らめきが好きです。

 この他「応挙館」、燈籠、五重塔、石碑、有馬家墓石(昔この庭園は
寛永寺境内で、なぜか今もこの墓石だけが残されているそうな)など
見所はいろいろです。 桜の頃はまた一層華やかでしょう。
(公開は春秋の年二回)



posted by 山桜 at 00:00| Comment(16) | TrackBack(0) | 茶の湯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする