2023年05月06日
下北半島 (5)恐山・弐
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地蔵堂 (恐山菩提寺のご本尊 延命地蔵菩薩像が鎮座)
登れる高い所があれば登らずにはおれない性質、地蔵堂の向かって左手から、奥の院へと向かいました。
山へ入ると、ここまで来ると硫黄の影響も薄れるのか、植物たちが目につきました。
マイヅルソウ
イソツツジ
小さなシャクナゲのようなイソツツジ、初めて見ました。一輪だけ白い花が開いていて可憐。
木の冬芽
この枝振り、この冬芽、オニグルミっぽいけれど、それにしては木が小さくて・・・何なのでしょう?
地蔵山 奥の院 不動明王
奥の院からの景色
大師説法の地 八角円堂
極楽浜へ
極楽浜へ
極楽浜
東日本大震災供養塔
宇曾利山湖 大盡山(おおつくしやま 827.7m)
青く鎮まる宇曾利山湖の向こうに聳える大盡(尽)山は、湖を囲む「蓮華八葉」と呼ばれる外輪山の中でも、その美しい円錐形の山容で際立った存在です。
恐山周辺に広がるヒバとブナの原生的な天然林は、自然環境維持や野生動植物保護のため、「恐山山地森林生態系保護地域」に指定されています。
青く神秘的な湖の水質は、水素イオン濃度pH3.5付近の酸性なので、迂闊に手などを入れない方が良いです。宇曽利湖の北東部から流れ込む沢にpH3以下の強酸性のものがあり、湖底から硫化水素が噴出し湖水に溶解している上に、流出河川が1本しかないことなどから強酸性となってしまっています。
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2023年05月05日
下北半島 (4)恐山・壱
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宇曽利湖と向こうに連なる恐山山地
「蓮華の花びら」に例えられる山々が見えて来ました。
また、「宇曾利」とは、東北地方で「入江」の意味だそうです。
振り返り見た「総門」 山門の扁額
恐山菩提寺「山門」
「恐山」に訪れたのは2度目で30年以上振り。最初にお参りした時に感じた「近寄りがたい霊場」の雰囲気は弱まり、私の感度が鈍ったのか成長したのか?はたまたこの地も現代化したのか、あまり恐いとは感じませんでした。
風が吹くと一斉に回っていた風車もチラホラで数が激減していたのは、水子が減って子供が元気に育っているのですから良いことなのでしょう。もしも供養もされなくなったのなら悲しいことですが。
本堂
他に比べて質素な造りの本堂は山門の手前左手という不思議な配置。「供養の道場」の為のお堂らしく、山門を潜った突き当りにある立派なお堂は地蔵堂で、恐山菩提寺の地蔵菩薩がご本尊とのこと。
地蔵堂(山門手前から)
地蔵堂(山門潜った後)と薬師堂
ロープの向こうの湯の小屋 首の落ちた亀?
後で調べると、古滝の湯(男性用)、冷抜の湯(女性用)、薬師の湯(寺務所用)、花染の湯(混浴)という温泉だそうです。看板の文字がよめませんでしたが、写真は冷抜の湯?
亀さんは、10年程前の写真では首が繋がっていたので、ここ数年で落ちてしまったようです。木で出来た台も亀さんの様にみえ、亀の背にもまた亀が乗っています。延命地蔵と関係があるとすれば、代々の長生きと子孫繁栄の姿でしょうか。
白砂と赤砂と硫黄
「知らすな」「明かすな」そして「言おう」? 日本語って意味深です。
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2023年05月04日
下北半島 (3)恐山(おそれざん)へ
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コンビニ朝食の後、昨日歩いた道やまた違う道も通って下北駅へ向かいます。
朝日の中の常念寺
夕暮れの中とはひと味違う佇まい。
支流の川沿いに並ぶ旅館に渡る橋 水量を測る横木
雪の残る釜臥山 田名部川沿い遊歩道から
田名部川沿い新緑と桜
釜臥山
駅前からレンタカーで出発、新緑の中の道は気持ちいい
恐山に近づいて来ました
いよいよ「霊場恐山」の門を潜り・・・
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2023年05月03日
下北半島 (2)下北駅〜むつ市(田名部)
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下北駅から、花探しをしながらぶらぶら歩く内に少しずつ日が傾き、日の沈み行く方向、鳥居の中に例の山の頂が・・・
田名部(たなぶ)熊野神社
これはもう、あのお山(後調べで「釜臥山」恐山山地最高峰)は、神坐なのでしょうね。
田名部川、鯉のぼり、釜臥山(かまふせやま)
それにしても、あのお山のてっぺんの無粋な建物はなんなのか? 何だか罰当たりな気がしますが、きっと地元に役立つもので仕方ないのでしょう。
田名部川 飲み屋横丁
なかなか良い感じの飲み屋さんが並んでいます。
下北半島総鎮守 田名部神社
ご祭神は、味租高比古根命(示現太郎大明神:宇都宮の二荒神社より宇曽利山に飛来され、後、霊夢に従い田名部に移られたと伝わるそうですが、調べても良く分からず謎めいた神様です・・・)、誉田別命、宇曽利山大山祇大神、管下神社大神
浄土宗 不退山 常念寺
ご本尊の木造阿弥陀如来坐像(桧材、寄木造、像高約90cm、漆箔)は、大正4(1915)年に国宝(現在は法改定により国指定重要文化財)に指定されています。
ようやく辿り着いたホテルに荷物を置き、早速、ケロが予約してくれていた居酒屋さんへ!
居酒屋 こうちゃん
清酒 關乃井(せきのい) お通し
關乃井は、下北半島の酒蔵で、醸造量が少なく下北半島でしか飲めないと大将のこうちゃんに伺い、それでは飲まねばと!
馬刺し 軟骨 椎茸
香り良くとろける馬刺し!真ん中の白い切り身は「たてがみ」、馬のたてがみ部分の脂肪とコラーゲンで、口の中でふんわりととろけます。
串焼きは確か他にも幾つか頼んだ筈ですが、写真を撮る前に頂いてしまったのでしょう。
お刺身
ホタテもイカも大間のマグロも美味し〜い♪
だし巻き卵 お漬物
だし巻き卵は、他の地元と思われるお客様が必ず頼み、厨房からは卵をお箸で丁寧に解く音がひっきりなしに聞こえてくるので、気になって気になって・・・遂に注文。流石にほわほわと柔らかの熱々で、実に優しいお味。
ホタテ貝焼き
もうお腹いっぱいになった頃、ようやく出てきたホタテの味噌貝焼(かやき)で締めくくり。大将が何やらピンク色のお酒をサービスして下さり、いいほろ酔い加減の第一夜は更けました。
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2023年05月02日
下北半島 (1)東京〜下北駅
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もう1ヶ月以上前、ケロと下北半島への旅に出ました。ケロは現役バリバリなのでGWしかお休みがとれず・・・新幹線もお宿の予約も大変な上に高額・・・それでも予約が取れてよかった! ケロ、素敵な旅のプレゼントをありがとう!
東京駅で選んだ駅弁を早速新幹線の中で「いただきま〜す!」
新幹線は、八戸駅で下車、そこから「青い森鉄道」に乗換、下北駅へ向かいます。名前も車両も可愛らしい「青い森鉄道」は、
一面の菜の花畑
何も知らずに来て、あまりの美しさに驚いたのですが、「陸奥横浜」駅周辺は、日本最大規模の菜の花畑で有名なのだそうです。しかし、車窓の外に流れる黄色い絨毯を捉えるのはなかなか難しく、苦労して撮れていたのは、やっと2枚だけ。
初めてのローカル線の旅は、車窓の風景も耳慣れない駅名も新鮮で楽しいなぁ♪ もはや写真を撮るのも忘れて流れていく風景を眺めている内に・・・
下北駅に到着 乗ってきた電車
次の駅へ向かう電車を見送り 下北駅外観
本州最北の駅「下北駅」の看板
早い時刻の新幹線はとれず、下北駅に到着したのはもう夕方の5時近く。それでも未だ未だ明るく、ゆるりと散歩しながら、お宿がある町(現むつ市、旧 田名部町)へと向かいました。この辺りの事情はよく知りませんでしたが、下北駅の近くにはホテルや飲食店があまりなく、バス等に乗るか歩くかしないと賑やかな町へ行けないのです。恐らく、この下北から先に昔あった鉄道が廃線になった名残なのではないかな。そんな雰囲気でした。
「何か珍しい植物はないかな?」
と、のんびり歩きながらも、目はキョロキョロ・・・
「おっ、これは??」
?
いきなり見たことの無い花! キクザキイチゲが八重になったようなお花ですが、未だ調べてもいなくて名前も分からず、すみません。
ケロは、私がいくら花探しで道草を食っても慣れたもの。こういう相棒は嬉しいなぁ
そして、この夕日の沈む方に聳える山は・・・いやもう絶対に名のある山に違いない!(未だ何も知らず・・・)
むむむ、次に現れたのは、さすがリンゴ王国の青森、リンゴの野生種? エゾノコリンゴかな?
エゾノコリンゴ?
住宅地を抜ける道には、そこかしこにチューリップが花盛り♪
チューリップ
はぁ〜いきなり花たちの大歓迎で、重いザックも忘れてスキップしたい気持です🎵
(つづく)
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2023年01月09日
官ノ倉山 と 周辺 (1)重文 吉田家住宅
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1月の初め、埼玉県小川町の官ノ倉山とその周辺をケロと一緒に歩いて来ました。埼玉県の小川町は、元気プラザなどにキャンプで何度か来ていましたが、駅付近の山歩きは初めてでした。
2023.01.09
JR八高線と東武東上線が乗り入れている小川町駅、八高線の竹沢駅、東武東上線の東武竹沢駅の3つの駅が利用可能。帰りに何処へ寄り道するかで出発地の候補を選ぶことになります。今回は、小川町駅付近で寄り道をする予定でゴールに、東武竹沢駅をスタートに。
東武竹沢駅 道標
未だ新しい駅舎。駅前にお店などは無く、ハイキングへの道標と慈光尊の祠が建てられています。
慈光尊の祠
慈光尊の由緒
小川町の観光マップ
霜を帯びた葉 木部(きべ)の公衆トイレ
冷え込んだ朝で地面の草には霜が降りていました。
キリの実 凍った池
国指定重要文化財 吉田家住宅 外観
国指定重要文化財でありながら、中に入ったり上がったり、食事が出来たり、体験イベントに参加出来たりする、享保6(1721)年に建築の記録が残る、埼玉県最古の古民家です。
トウガラシ アズキ
床の間のある部屋 囲炉裏の煙
ゴマ ダイズ
」
小正月の飾り木「削り花」
魔除けの力を持つ真っ白な「ニワトコ」や「ヌルデ(オッカドノキ)」を削って作ります。名称は「削り花」など色々あるようですが、この地方では何と呼ぶのか聞き損ねました。余りゆっくりしていると、山へ行くのが遅くなるので中の方に声を掛けづらかったのです。本当はここでゆっくりしてみたかった・・・次回を楽しみにしています。
国指定重要文化財 吉田家住宅
(つづく)
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2022年06月15日
鎌倉ぶらさんぽ
さて、ケロの処から何処へ行こうか・・・そうそう、長谷寺の観音様、1300年記念でおみ足に触れられる「御足参り」中と聞いていたので、折角だから行ってみようと出掛けたら、なんと紫陽花苑が30分待ち! そもそも並んで待つのが嫌いな上、膝にも宜しくないので諦めて、懐かしい長谷寺の裏の小路をぶらぶら歩き始めました。
大好きな御霊神社(権五郎神社)へお参り。高徳院の大仏様や長谷寺の観音様の大賑わいが嘘のように静かなお宮さんです。それでも鎌倉ブームで参拝者が増えた為なのか、以前には無かったと思う「境内撮影禁止」の立て札が出ていました。
お参りを終えて振り返る御霊神社
参道を江ノ電が横切るので、撮り鉄さんらしき姿がありました。もしかしたら「境内撮影禁止」も、その影響? 彼らは至ってマナーの良しでした。
電車が来ないうちに私も1枚、踏切で撮らせて頂きました。
元鎌倉はせYHは「むつき庵」に
ガールスカウトで何度かお世話になりました。夕食は、新鮮なお刺身の大盤振る舞い、そして朝食のサンドイッチ、美味しかったなぁ
今は大人のおむつの相談などをされているようです。YHという宿泊形態は、コロナ禍で大打撃を受けたと聞きますが、こちらはどうだったのでしょう・・・。
ちょっと重いけれど、忘れずに美味しい「力餅」も買って由比ヶ浜に出ました。
風が強くてウィンドサーファーが大喜びでしょう。私はコンタクトレンズに砂が入るので、長居はできず退散です。
水路沿いにホウライシダ(アジアンタムの類い)
鎌倉は羊歯の種類が多くて緑が綺麗です。自生種のホウライシダなのか、栽培種のアジアンタムの類いが逸出しているのか分かりません。
江ノ電
江ノ電と紫陽花、THE 鎌倉の一風景
江ノ電沿いの奇妙な松
高尾山の「蛸杉」を思い出しました。あちらは参道の道の邪魔にならないように足を引っ込めたとの言い伝えですが、こちらも江ノ電の邪魔にならないように枝を折り曲げたのでしょうか??
ぶらぶら歩いて、途中でお茶とケーキでお休みして、鶴岡八幡宮の段葛の始まりの鳥居まで来たら、
狛犬さんもマスクをしていました。いつになったら、マスクが取れるのでしょうねぇ
いつか鎌倉に住んでみたいという夢が、ケロのお蔭でほぼ叶いました。気楽にぶらりと散歩に出られるとは、なんて幸せなのでしょう・・・ありがとう、ケロ! 又遊びに行くね〜♪
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大好きな御霊神社(権五郎神社)へお参り。高徳院の大仏様や長谷寺の観音様の大賑わいが嘘のように静かなお宮さんです。それでも鎌倉ブームで参拝者が増えた為なのか、以前には無かったと思う「境内撮影禁止」の立て札が出ていました。
お参りを終えて振り返る御霊神社
参道を江ノ電が横切るので、撮り鉄さんらしき姿がありました。もしかしたら「境内撮影禁止」も、その影響? 彼らは至ってマナーの良しでした。
電車が来ないうちに私も1枚、踏切で撮らせて頂きました。
元鎌倉はせYHは「むつき庵」に
ガールスカウトで何度かお世話になりました。夕食は、新鮮なお刺身の大盤振る舞い、そして朝食のサンドイッチ、美味しかったなぁ
今は大人のおむつの相談などをされているようです。YHという宿泊形態は、コロナ禍で大打撃を受けたと聞きますが、こちらはどうだったのでしょう・・・。
ちょっと重いけれど、忘れずに美味しい「力餅」も買って由比ヶ浜に出ました。
風が強くてウィンドサーファーが大喜びでしょう。私はコンタクトレンズに砂が入るので、長居はできず退散です。
水路沿いにホウライシダ(アジアンタムの類い)
鎌倉は羊歯の種類が多くて緑が綺麗です。自生種のホウライシダなのか、栽培種のアジアンタムの類いが逸出しているのか分かりません。
江ノ電
江ノ電と紫陽花、THE 鎌倉の一風景
江ノ電沿いの奇妙な松
高尾山の「蛸杉」を思い出しました。あちらは参道の道の邪魔にならないように足を引っ込めたとの言い伝えですが、こちらも江ノ電の邪魔にならないように枝を折り曲げたのでしょうか??
ぶらぶら歩いて、途中でお茶とケーキでお休みして、鶴岡八幡宮の段葛の始まりの鳥居まで来たら、
狛犬さんもマスクをしていました。いつになったら、マスクが取れるのでしょうねぇ
いつか鎌倉に住んでみたいという夢が、ケロのお蔭でほぼ叶いました。気楽にぶらりと散歩に出られるとは、なんて幸せなのでしょう・・・ありがとう、ケロ! 又遊びに行くね〜♪
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2022年01月10日
露天風呂付きの温泉で・・・(秩父)
この連休、母と娘と私の三人で温泉に行く計画でした。ところがまぁ、直前になって、そそっかしい母がまたもや転んで骨折、キャンセル料も勿体ないので仕方なく、娘(ケロ)と私で出掛けてきました。(母は弟一家と暮らしていますので留守番でも安心です。)
特別それが良くて予約したわけでは無いのですが、部屋に露天風呂がついていました。でも、露天風呂って、内風呂で先ず温まってからなら良いけれど、いきなり入るのは寒いですよね・・・。
それで横着して、裾を捲くって湯船に腰掛け足だけ浸かろうとしたのです。ケロは上手に膝を浮かせて入ったのですが、私は膝に力も入りづらく下手っぴで、気がついたらお尻の方までお湯がつたわってびしょ濡れに! ぽかぽかぽかぽか温かくて立ち上がるまで全然気付きませんでした。
一張羅が濡れてしまい、乾かすのが大変なことに もう夜景を見に行くのも諦めて、浴衣に着替えて大きな温泉の方でゆるりと寛ぎました。なんと大浴場の方の露天風呂には無料のお酒のサービスがあって、湯船で升酒を楽しめました。折角なので、ほんの少しだけ頂きました。
(この写真は、ケロ撮影のものでお酒たっぷりです。いいなぁ)
贅沢なひととき・・・寒い中、出掛けなくて大きなお風呂も空いていて、却ってラッキーだったかもしれません。
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特別それが良くて予約したわけでは無いのですが、部屋に露天風呂がついていました。でも、露天風呂って、内風呂で先ず温まってからなら良いけれど、いきなり入るのは寒いですよね・・・。
それで横着して、裾を捲くって湯船に腰掛け足だけ浸かろうとしたのです。ケロは上手に膝を浮かせて入ったのですが、私は膝に力も入りづらく下手っぴで、気がついたらお尻の方までお湯がつたわってびしょ濡れに! ぽかぽかぽかぽか温かくて立ち上がるまで全然気付きませんでした。
一張羅が濡れてしまい、乾かすのが大変なことに もう夜景を見に行くのも諦めて、浴衣に着替えて大きな温泉の方でゆるりと寛ぎました。なんと大浴場の方の露天風呂には無料のお酒のサービスがあって、湯船で升酒を楽しめました。折角なので、ほんの少しだけ頂きました。
(この写真は、ケロ撮影のものでお酒たっぷりです。いいなぁ)
贅沢なひととき・・・寒い中、出掛けなくて大きなお風呂も空いていて、却ってラッキーだったかもしれません。
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2019年07月09日
明石探訪(7)最終章
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「時の道」で昔の人の足跡を追うように歩き回って、辿りついた先は・・・
「子午線標示柱(現トンボの標識)」と「時計塔(天文科学館)」
先日もご紹介した「旧トンボの標識」。 再計測の結果、ここから11.1m移動して、現子午線標示柱が立っていますが、あちこち読むと、ここも正確には違っているとかいないとか・・・。 その11.1mずれたのも、時報のずれだったとか…突き詰めると、私の頭脳では段々訳が分からなくなってきたので、ここはもう、うやむやのまま先に進みます。 興味のある方はご自分で正確なところ、ご解明願います。
日時計と時計塔
別に、難しいことから逃げて日時計の時代に遡ろうとしてるわけでは…
あ〜っ、ほらほら、そうですよ! そもそも明石に降りたのは、明石大橋を間近に見たかったからでした! 灯篭の間から覗いているじゃないですか・・・ 手前の円い屋根は、天文科学館のプラネタリウムです。 この昔と今が混在している風景、外国の方にとっては、JAPANの魅力の一つなんですって。
明石大橋
ここ人丸山の東の端が、自然の高台から明石大橋が見える一番近い場所かなぁ 此処から下りれば、柿本神社の東鳥居です。
さて、ここまで歩いてきた「時の道」の様子が分かりやすい絵地図が月照寺さんのHPの中にあったので、貼っておきますね。 山桜は、この矢印とは違い、明石城のお堀横から文化博物館前を通り妙見社・本松寺の前に出ました。
「月照寺周辺案内図」
さ〜て、暗くなる前に、最寄りの「人丸前駅」から電車に乗って帰ろうかな…と思っていたら、
「んんんっ!!! あれって、何!?」
手前の建物が何とも邪魔ですが、山の間から白い靄が流れだし、すーっと真横に長く長く伸びていました。
「あ〜っ、ダメだ気になって帰れない…消えない内に、もっと近くで見たいっ!」
明石市立天文科学館 また、今度ね〜
天文科学館の形の交番やら素敵な建物も横目でみつつ〜
この黒塀の中も気になりつつ、駆け抜けて〜〜
やっと障害物のない所までやって来た時には、白い靄は海の中へと消えかけていました。
白龍か白大蛇か・・・山から生まれ海の中へと渡ったのを見届けたような気になって手を合せ、暫し放心。
(今地図を見れば、若しかしてここは「明石港」だったのかしら?)
半ばもぬけの殻のようになって気が付くと…
異国のようでいて、どこか懐かしい江戸の風景でもあるような船の群れがゆらゆらと。
由緒のありそうなお寺・・・もう道を渡る気力がなくて。
浜光明寺
「魚の棚(うおんたな)」商店街
名物の「明石焼」などで賑わっていた様子ですが、お魚屋さんはそろそろ店じまいも多くて忙しそうで・・・
その勢いに負けて、蛸の干物くらいしか写真も撮れず・・・
JR「明石駅」にヨロヨロと辿りつきケロの所へ。 お土産は飯蛸の串刺し☆ Kさんのお母さんが煮てくれたのは、米粒のような卵を持ったイイダコでしたが、この煮タコにはお米が詰められてました。 似て異なるものなりに、美味しかったです♪
今度はケロと一緒に、見逃した場所と明石の美味しいものに出会う為にも、明石再訪できたらいいなぁ(明石探訪・おしまい)
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2019年07月08日
明石探訪(6)人麿山月照寺
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先に書きました「妙見社と本松寺」のように、明治の神仏分離令以前は、「人丸社(柿本神社)」が「人麿山月照寺」の鎮守社として一体の神宮寺でした。 そして、明石城内からこちらに遷座してきたのだそうで、そういえば城内に「人丸塚」がありました! 往時はあの辺りが境内だったのでしょう。
二手に分かれていたあの時の道の途中で、左手の階段の道を来れば、位置的には手前の月照寺前に先に到着したのですが、右手の坂を下り、更に「亀の水」に寄り道して、ぐるりと回って上って来たので先に「人丸社(柿本神社)」を参拝することになりました。 人生の岐路の選択の結果のようで、何やら面白いことです。
こちらの寺名の石碑も真新しいですね・・・桃山様式を伝えていたご本堂なども、あの大震災で全壊してしまったそうですが、今は再建されています。
元は真言宗、今は曹洞宗のお寺。
柿本人麻呂さんの念持仏、「海上波切船乗十一面観世音菩薩」を安置し、明石海峡を往来する船の海上安全を守っていてくださいます。 この像は、聖徳太子の御作、持統帝の念持仏だったものを、人麻呂が帝から賜ったものです。
秘仏として、60年に一度の御開帳のみ。
鐘楼
東経135度の日本標準時子午線上に立つ県下随一の大梵鐘(約3.1t)で、一撞の余韻は3分半に及び明石海峡に響き渡ります。
白砂青松、枯山水の美しいお庭
「八房の梅」「人丸社」にもありましたが、こちらの方が古そうなので親株でしょうか? 本当に一つの花に八つも実が生るのか分かりませんが、少なくとも3〜4の実が一カ所についていて、それが2か所くっついていたら、八房に見えるかもしれません。 これは五房でした、惜しい!
ご由緒:「赤穂四十七士の一人、間瀬久太夫正明が大石内蔵助良雄と共に当寺に参詣して、素願の成就を祈り、持参の鉢植の梅を手植したのがこの梅である。この梅は一つの花に八つの実がなるので「八房の梅」と名づけられた。
人丸観世音菩薩 北村西望氏作
水琴窟の妙なる音に誘われて観音様の前に・・・素直に手を合せ首を垂れ、ひと時の静かな時間を過ごしました。
続いて人丸社の「盲杖桜」とも関係があるのか、視力の弱い人を救ってくださるという「ふれ愛観音」さまにも触れ合い「視力維持」をお祈りし、ふと見上げると、只者ではない風格の木造りの門、
「ええっ、こんな脇に凄い門!! これは一体??」
山門(県指定文化財)
伏見城の薬医門、明石城の切手(きって)門としての二役を果し、明治初年ここに移築。「秀吉建立の歴史を刻む豪壮な風格の山門」とな・・・ただただ圧倒され、見上げてしまいました。 しかし、瓦の紋などはしっかり葵のご紋に替えられてますね。
秀吉さんもこの辺に触れたかもしれないなぁ…なんて、ちょっと手を重ね、深呼吸してから勿体無いのでまた境内を通って戻りました。
月照寺の境内からも天文科学館の塔が聳えて見えます。 子午線上に建っているのですから当然で、今まで敢えてそちらの現代にあまり触れずに来ましたが、次は思い切りそちらにシフトします。
人麿山月照寺公式HP
月照寺には、
霊元上皇から三十六歌仙式紙(明石市指定文化財)
桜町天皇から一座短籍(旧国宝・重要文化財)
後桜町天皇から短籍等
が奉納され、その後も文人墨客の来訪絶えることなく、書画の寄進も多く、それらの大部分は、明石市立文化博物館にて保存されているそうです。 そうそう、その前を通って強い引力?を感じたのですけれど、残念ながら先を急いでしまいました。 次はじっくりお宝を拝見しに参りたいです。
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2019年07月07日
明石探訪(5)人丸山・柿本神社
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さて、手前の「亀の水」でお浄めを済ませ、柿本神社の鳥居をもう一度潜り・・・
新しい鳥居の「柿本神社」扁額 旧い扁額と崩れた鳥居
改めてよく見ると、鳥居に修復の跡が・・・震災の痕跡と歴史の足跡を辿りつつ、先程の階段を上り返しました。
葵のご紋を有する五輪塔
既に記憶が曖昧ですが、何も由緒書きが無かったような…明石城主だった松平家に縁の供養塔でしょうか。
旧「子午線表示柱・トンボの標識」
昭和5(1930)年建立 地球型のカゴの上に、日本の古名「あきつ島」を象徴するトンボ(古名あきつ)を載せたもの。 この「トンボの標識」を目にしたことが、漫画家・松本零士氏が宇宙への思いに目覚めた切欠とのこと。 それだけの力が籠っているのを感じるインパクトでした!
トンボの標識で天を仰ぎ過ぎたのか、やっと柿本神社前に辿りついたのに、
「柿本神社」門 写真が斜め・・・すみません(。。;)
「人丸山」扁額
鳥取懸八橋 穴?井耕作謹書
狛犬さん 由緒書
「柿本神社」拝殿
何本もはためいていた赤い幟は、翌日の「令和」の始まりを寿ぐもので、きっと大賑わいだったことでしょう。
「令和」に込められた思いのように、美しい調和の時代となりますように…。
「柿本神社」扁額には、従一位勲一等源朝臣建通?八十九翁謹書
「柿本大明神」の方には、何方のお名前もありませんでした。
「柿本人麻呂さんのお姿と和歌」
皇(おおきみ)は神に
しませば天雲(あまくも)の
雷(いかづち)の上に
いほりせるかも
このような書が少しは読めるようになったのも、ももり先生のお蔭です。
(原書を探しました)
天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首
皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為流鴨
上の和歌が刻まれた石碑。 「仮名遣いも散らし書きも、書き手によって色々なのがまた面白い」ということも教えて頂きました。
「八房の梅」
さてさて、この「八房の梅」のご由緒を拝見していた頃でしょうか、一人のご婦人が近付いてらして、
「ご朱印を頂きたいのですが、何方もいらっしゃらないようで…」
と、訪ねられました。
平成最後の日、私もご朱印が頂けたらいいなと思っていたので、一緒に社務所の様子などを伺ってみたのですが、いつもは外に下がっているであろう位置に呼び鈴が出ていませんでした。『お出掛けなのでしょうね』と諦めましたが、ご婦人は遠くからわざわざ、ご朱印を頂きにいらしたということで諦めきれぬご様子で、お隣のお休み処の方にもお尋ねに・・・。 心静かに過ごしたかったので、そ〜っとお暇しました。 神職さん方は、翌日の「令和」の始まりに向けて、潔斎されていらしたのでしょうか。
ご朱印婦人のお供で写真を撮り忘れましたが、「八房の梅」と並び有名なのが、
ほのぼのと明石の浦の朝霧に
島がくれゆく舟をしぞ思ふ
この人麻呂さんのお歌に因む伝説のある「盲杖桜」の木。
「盲杖桜(もうじょうざくら)」の伝説
筑紫国から参拝に来たひとりの盲人が、人丸塚に7日間参籠したのち、和歌を一首詠んだ。
ほのぼのとまこと明石の神ならば
一目は見せよ人丸の塚
すると片目が開いて見えるようになったが、すぐにもとに戻ってしまった。 そこで盲人はさらに7日間参籠して、下の句を変えて詠んだ。
ほのぼのとまこと明石の神ならば
われにも見せよ人丸の塚
今度は両目が開いて見えるようになり、前回のようにふさがることもなかったので、彼は不要になった桜の木でできた杖を社の前に突き刺して帰ったところ、やがてその杖から根を生やし花が咲いたという。以来「盲杖桜」と呼ばれ、人々に親しまれている・・・とのこと。 次のお参りは、この桜の咲く頃がいいかなぁ
「亀の碑」
ご祭神の人麻呂さんの略歴が、漢字でびっしりと書かれた石碑を、亀(贔屓)さんが背負っています。 なんでも、 一息で全部読むことが出来たら下の亀さんが動くのだとか・・・。 いやいや、私には途切れ途切れに読むのさえ、とても無理です。
柿本神社から振り返る景色には、明石市天文科学館の塔が聳えていました。
この後、明石大橋を望み、月照寺へ参拝と続くのですが、人丸山を下りて東の鳥居前にて「柿本神社」篇を終わります。
柿本神社 公式HP
http://www.kakinomoto-jinja.or.jp/
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2019年07月06日
明石探訪(4)人丸山「亀の水」
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明石駅で降りたのは、明石大橋を近くで見ようと思ってのことでしたが、駅の観光案内所で地図を頂いた後の目的地は、柿本人麻呂さんをお祀りしているであろう柿本神社でした。
新元号が「令和」となり、和歌に人々の気持ちが向きだしたこの頃、人麻呂さんはさぞかし喜んでおいでだろうなぁ・・・と縁の神社にお参りしたくなったのです。
「人丸山」という地区に入り、左・階段の登り口、右・下り坂の分岐に来ました。
「人麿山月照寺」への道標 「人丸社(柿本神社)」への道標
町名というか山名は「人丸山」、お寺の山号は「人麿山」、このような漢字表記の使い分けは寺社巡りをしていると良くありますね。 月照寺の書体は今風、人丸社の方は昔風、私は古い素直な書の方が好きだなぁ
どちらに進んでも着くのですが、まぁ、階段を上りたくない気持ちと、大きな木や茂みが呼んでいる気がするので、右の坂道を下りることにしました。 木々の緑を仰ぎながら進みゆくと、またしても大震災の傷跡と思われる様子が次々と現れました。
ポンペイの遺跡のように、石で組まれていた柵が崩壊したままでした。
参拝記念に奉納された方々のお名前などが見てとれて面白いので、何処でもよく目で追って読む癖があります。 明石は昔から港もあり淡路も近く、交通の要衝でしたから商人や外国人の参拝も多かったのですね。
京都の堀〼、大阪の遊郭、どちらにも「堀江」の文字があるのは偶然?・・・遊郭の花魁たちも一緒で華やかな参拝風景だったのでしょうか。
このまま参道沿いにまっすぐ行けば人丸社なのですけれど、どうもこっちの階段が気になって・・・後でまた上ることになるのですが、やはり下ってみることにしました。
見えて来た鳥居を潜ると、左手に「亀の水」の石標
「亀の水」 ナント、大きな亀さん?が口から勢いよく水を湧き出させていました。 耳もあるし、個人的には「贔屓」かなとも思うのですが、ここではそれも含めての「亀さん」なのでしょう。
「亀の水・由緒書」
この「告」は、筆跡は違うでしょうけれど、本当に手水鉢の寄進者の飯塚宣政氏が書いた文言? 「夜間、水汲みながらお喋りすると近所迷惑です」なんて、内容がちょっと現代風に思えますし、あら、「マナー」なんて言葉もありますね、やはり現代の方の代筆ですね。 勝手に名前を使っても飯塚さんなら大丈夫という信頼関係?
常陸の國にも飯塚姓にも、ご縁があるので、まさかこんなに離れた明石で双方の名に巡り合えるなんて、不思議で嬉しい気持ちでした。
六甲山系の花崗岩(御影石)?のような手水鉢は、緑の苔と水垢に染まって「鳴海織部風」?
亀さんの正面からみた「遺跡・亀の水」
ありがたく喉を潤わせて頂き、いよいよ(やっと^^;?)柿本神社へ!
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2019年07月05日
明石探訪(3)妙見社
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丘の上の明石神社から少しずつ坂を下って進むと、海風に向かって一心に祈る像・・・尊いお姿に思わず手を合せてしまいました。 そしてそのお隣には、十字架を頂く教会が・・・ お互いを尊重し「和を以て貴し」 或る意味、日本らしい風景と言えるかもしれません。
世界平和祈願 日蓮大聖人 像 明石上ノ丸教会
どちらも真新しいのは、やはり大震災後に再興されたからなのでしょう。 神戸の街並も新しい建築物が多くて、頭の中の神戸のイメージとは違っていましたが、街が一新される程の・・・こちら在住の知人お話によれば、もう思い出したくない辛く悲しい大災害、地域全体からいつも平和を祈り続ける気持ちが伝わって来ます。
やがて緩やかな曲り角に差し掛かると、濃淡紅色満開のツツジの花に囲まれた心惹かれるお社が見えました。
わぁ〜妙見さまです! 何やら手招きしてくださっているような・・・。 これはとても素通りできません。 お招きに誘われて参拝させていただきました。
こちらは被害が少なかったのでしょうか・・・それとも丁寧な再建がなされたのでしょうか・・・古い面持ちのままのように見えました。
力強い扁額の書・・・大光山嗣法第三十五 僧正日陵書
調べると、日蓮宗の大本山大光山本圀寺のお聖人でした。
本圀寺は鎌倉の松ケ谷から遷って来たのですね。
今はこうして後日検索ができるので、知らなかったことばかりのところ、勉強になりました。
神社の鳥居を潜った筈が、先程手を合せた日蓮さん縁のお社だったとは・・・。 こういう時は、何かのご縁に引かれるままに進むが一番。
あれあれ、この風景の既視感は・・・「千と千尋の神隠し」でハクが走り抜ける花園の中に迷い込んだようでした。
お社の天井には「妙見宮」「妙見大菩薩」沢山の提灯が下がり、扁額には「開運殿」とありました。
ご祭神:妙見尊(開運妙見大菩薩)
妙見さまは、北辰(北極星と北斗七星)であり、
天之御中主神と同一とされ、方位・運命守護、
信奉者の運勢を切り拓いてくださる尊神様。
こちらの妙見尊さまは、島 左近(あの石田三成に禄の半分を以て懇願され、遂に家臣になったと伝わる猛将)の守り本尊「妙見大菩薩玄武像」で、島家の後裔により奉納されたと伝わっています。
お招き下された妙見さまとのご縁にありがたく、大切なケロの為に祈願をば・・・。 そして、もはや何処に付けられていたか記憶が定かでない、開運殿の紅葉のご紋とは別のこちらのご紋は一体・・・「十六八重菊」は皇室のご紋、その中に「八重桔梗」もっとよくご由緒など見て置くべきでした。 ネット検索でもこれぞという記載はヒットせず、謎はまたの機会にとっておきましょう。 検索に出てこない謎って、嬉しいなぁ
ゆっくり妙見さまとお話して、清々しい気持ちで階段をおりていくと、門の真ん中の不思議な石像に目が留まりました。
亀さん? いや重い物を背負っているのですから「霊獣・贔屓」でしょうか? 石鉢だったかな?を背負っていました。 ああ、用途が何だったのか・・・もう覚えていません。 なんでもサッサと記録しておかねばいけませんね。 まぁ、「又おいでなさい」という有難いお沙汰かもしれません。
あ、でもでも、「ニセカラクサケマン」のように、情報をお寄せいただけたら、もうそれはそれで大変嬉しいです! 上記の「十六八重菊・八重桔梗紋」についても同様に、ご存知の方は、どうぞよろしくお願いいたします。
「妙見社」縁起
お隣の日蓮宗・本松寺(ほんしょうじ)さん
妙見社は、元はこちらの本松寺が、元禄四(1691)年に船上(ふなげ:船上城の天守閣?は、今は明石城の巽櫓になっていると先日書きました、あの船上が再び登場)より、この地に遷った折に鎮守社として創建され、あの明治の神仏分離令により別れ別れにされたものの、今でも関係は結ばれているそうです。
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2019年07月04日
明石探訪(2)時の道・弥生公園・明石神社
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明石城址は、もっと奥の方まで広がっているようですが、出かけるのが遅かったのであまり時間に余裕なく、薬研堀のある東側から出て、目当ての方面へと向かいました。 暫く歩くと住宅の前に見慣れぬ植物を発見!
全体的に花も葉もムラサキケマンに似た風情の柔らかさですが、花の形は「ケマンソウ」や「コマクサ」の方に似ていました。 そして、ナント、つる性なのです。 全く私の頭の中のデータ検索に引っかからない植物でした。 外来種でしょうか? それともこちらでは普通に見られる野草なのでしょうか? 引き続き調べ、名前が分かりましたらご報告しますね。 どなたかご存知でしたらご教示くださると嬉しいです。
(玉井人ひろたさんより
「ニセカラクサケマン」とご教示頂きました。ありがとうございます!)
さて、観光案内所で頂いた地図を片手に探しても、次の目的地「明石神社」が分からず道行く人何人かに、
「明石神社へは、どの道を行ったら良いのでしょうか?」
と尋ねたのですが、そもそも「明石神社」を知らない方ばかり。 地名を頂く有名な神社とばかり思っていたので意外でした。
ふと、上を見ると「時の道」の表示が! 分岐した道の右でも左でもなく真ん中を上るとは、これは盲点でした。 坂の多い町は、平面的な地図では難しいですね。 等高線が必要ですよ・・・(^^;
「上ノ丸弥生公園」
弥生時代、古墳時代の遺跡が発掘された跡に作られた公園。
倒壊予防処置?が施されていた。 幾ら補強されていても、この中で休む気持ちにはなれないかなぁ
説明書きには、美味しそうな海産物名が・・・古墳時代の昔から明石では蛸壺でタコを捕ってたのですね。
「明石神社」鳥居
天和2年(1682)創建の古社と思いきや、鳥居は新しく境内もさっぱりしていて、想像とは全く違いました。 これもあの阪神淡路大震災の被害を受けてのことなのでしょう。
その鳥居のすぐ脇の竹の棹には、オレンジ色のモヤモヤが沢山付いていました。 サビ病の一種が出ているのだろうと思います。→ さび病菌の一種メダケアカゴロモ病菌の仕業でした。
境内
この右手には、真っ白なコンクリート造の社殿があって、中には明石城下で築城時〜明治維新まで時を告げていた時打ち大太鼓が奉納されてもいるのですが、何となく「不本意である」という雰囲気を感じて写真を撮れませんでした。 第九代明石城主 松平直常が松平家の先祖、徳川家康、松平直良、直明の霊を祀ったのが最初ということなので、東照宮のような所だったのでしょうか。
手水鉢 には 天保十二年の文字が見えて、往時を何とか偲ばせてくれました。
勝手な想像ですが、宮司さんは、往時のような姿での再建を望まれていらっしゃるのではないでしょうか。 地元の方々のお気持ちもあるでしょうし、資金もかかることでしょうし、余所者が口を出すことではないですね。(つづく)
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2019年07月03日
明石探訪(1)明石城
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あっという間に2か月も前になってしまい、我ながら目まぐるしい日々に驚きますが、少しでも早く、大切なことを忘れない内に書き留めておきます。
GWの10連休の前半、ケロの所に遊びに行ってる間、ケロがお仕事中の日があり、独りで知らない町をぶらぶらしに出かけました。
それは平成最後の日の4月30日、何処へ行こうか特に決めることも無く駅に向かい、やって来た電車に乗って気になる町でふらりと降りるつもりでした。
「おお、須磨! これがあの、
淡路島 かよふ千鳥のなく声に
幾夜ねざめぬ須磨の関守
のあの須磨・・・何だか鎌倉の由比ヶ浜にも似てるような・・・。
向こうに見えるのは淡路島かな?」
などとボーっと海を見ている内に通り過ぎてしまい、やがて大きな橋が見えて来ました。 先日淡路島に行った時に渡った明石大橋? 淡路島に行くときには素通りしてしまったので、この明石で降りてみようかな・・・
明石駅を降りると目の前はお濠、その周りに鮮やかな町名入りの幟が沢山はためいていました。 何と今年は「市制百周年」なんだそうです。 そういえば、明石市長さんのニュースは賑やかでしたが、そんなことは知りませんでした。 そんな記念の年に招かれて降りたようで、ちょっと嬉しいな。
「あれれ、天守閣が二つ?」
左右対称のようで、よく見ると一番上の屋根の妻の向きが違いますね。 お城の事に詳しくないので良く分かりませんが、どんな意味があるのでしょう。
明石城は船からの大砲の標的にならぬよう天守閣を作らなかったという説もあり、代わりに四隅に櫓を建てたとのこと。日本に12基しか現存しない三重櫓の内の2基なのだそうです。
坤櫓(ひつじさるやぐら)左 巽櫓(たつみやぐら)右
坤(ひつじさる)櫓: 南西に位置。入母屋造で妻は南北。伏見城からの移築。明石城最大の櫓で巽櫓より一回り大きい。明石城の天守閣代わりだった可能性も。
巽(たつみ)櫓:南東に位置。入母屋造で妻は東西。船上(ふなげ)城(の天守閣か?)からの移築後消失再建、大震災被災後修復
(宮本)武蔵の庭園というのは何処かとウロウロしたのですが、この辺り・・・? 何となくそれらしきものはこれくらい? 水が濁って滞っている所はどうも苦手なので、そそくさと通り過ぎました。 雲行きも怪しいので、またの機会に探訪することに。
さてさて、藤棚のたわわに溢れ咲く薄紫の花房の下でお昼。 コンビニで買った可愛い彩の細巻の詰め合わせ。 今は軽く食べて置いて、何処かで美味しいものを・・・と目論んでました。 しかし、こんな素敵な特等席に何方もいないのは、このお天気の所為かな。 満開の藤棚の下、独り占めでした。
アベマキの木肌はコルク状 アベマキの葉(葉裏が白い)
ハゼノキの花
アべマキもハゼノキも西日本に多い植物なので、こちらでは珍しくも無いのでしょう。 枝を拾っている私はオカシナ人に見えたかも・・・まぁ、もう、そういう視線には慣れてますけれどね。
「白骨松」
というドキッとするような名札が付いていましたが、独特の樹肌の模様と色から、中国原産のシロマツ(白松・ハクショウとも)思われます。 日本のアカマツやクロマツは二本の針葉が束生していますが、シロマツは通常、三本束生しています。 三本ずつ生えているのがお分かりでしょうか。 何故、こんなおどろおどろしい名前を付けたのかしら。 白松なら、皆さん「へぇ〜」って珍しがって足を止めるでしょうに、この名前では、縁起でもないと足早に通り過ぎてしまうのでは?
薬研堀
薬研堀に面した石垣にも藤の蔓が広がって、沢山の花房が下がっていました。
駅で貰ったパンフレットに、とっても気になる神社名を発見したので、地図を頼りにぶらぶら向かいます。(つづく)
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2019年04月29日
大鳴門橋遠望〜ポニョが走る海
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神話の聖地、伊弉諾神宮、おのころ島神社を後にして・・・
青緑に広がるキャベツ畑の道を抜け、淡路島南の鳴門海峡を間近に臨む「うずの丘」に到着。
お目当ては、↓こちら 2013年ご当地バーガー・グランプリ1位!
淡路島 オニオン・ビーフ・ハンバーガー
すみません💦美味しそうに撮れなかったので、こちらのサイトで美味しさをご想像ください。
淡路島バーガー
オニオンが先に付く通り、厚切りの玉ねぎカツ・玉ねぎチップ・玉ねぎフォンダン(くたくた煮)が主役。 甘辛いビーフとトマトソースが玉ねぎの味を引き立てています。 その上、オニオンリングのサイドメニューまで頼んでしまったので、もう食べても食べてもまた甘くておいしい、玉ねぎ〜玉ねぎ〜の玉ねぎ三昧でした。
お腹いっぱいになって外に出ると、
大鳴門橋、そしてその向こうは憧れの四国ですね〜
大鳴門橋の両側の海には、渦潮が見えるような・・・
次にケロの所に来られたら、橋を渡ってあの未踏の四国へ連れて行ってくれるかな?
青い海に浮かぶ小島
サクラマス幟
ケロは、
「こわ〜っ、身が削がれたサーモン?」
などと言ってましたが、これはサクラマス(ヤマメは同種の陸封型)の婚姻色ではなかろうかと。 確か婚姻色が桜色になるのでサクラマスと呼ばれているのでは? でも、こんなに真っ赤だったかなぁ?? 後で確かめますね〜
<追記> サクラマスの婚姻色を確かめると、桜色にはなりますが、このように真っ赤ではなくヤマメの桜色の部分が濃くなった位の色合いでした。 それでこの「のぼり」を拡大してよ〜くみると、真ん中にうっすら白っぽい筋が透けて見えるようで、やはり目の良いケロが言うとおり、皮を剥がれたか三枚おろしにされた姿の様です 幾ら身の色が綺麗だからと言って、そのような姿で風に吹かれているなんて、あんまりな気がします。
同じ道を戻るのも詰まらないので、西海岸沿いの道を帰ります。
「あれっ、またキャベツ畑!?」
と思う程、キャベツにそっくりな色の海原が目線よりも上に見えて、「崖の上のポニョ」でポニョが荒れる海の波の上を走るシーンを思い出してしまいました。
余りにも海が迫ってきて落ち着かないので、車を止めて一休み。 こうして眺めれば、何という事も無い穏やかな海でした。 この辺りで出土したアンモナイトのモニュメント。
私がなんのかんのと騒いで煩かったか、そろそろ運転に疲れたのか、ここから高速に乗って帰路へ。
最初に渡った明石海峡大橋を再び渡って戻ると、六甲山系の山並みが見えて来ました。
ロープウェイが見えるので、あれは摩耶山かな? 山崩れが見えるのは長峰山かな? 目に留まる、気になるというのはご縁があるということですね。(つづく)
2019年04月28日
おのころ島神社へ
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ちゃんと調べて出掛けていたら、伊弉諾神社に続いて岩上神社にお参りに向かったことでしょうに、残念ながら今回はご縁が無く何も知らず、淡路島のなだらかな山並みに見惚れながらドライブ・・・
<2019-04-27>
途中で一盛り5〜6個もあるようなタケノコが100円でビックリしたり、そこで車を留めずに後悔して、途中の産直野菜のお店を見つけ、大きなタケノコ250円? 見事なワケギ100円? そして瑞々しい新玉ねぎ450円? 確かイチゴも・・・(もう半月以上も経って、安かったという記憶だけで、値段はうろ覚えになってしまいました。 写真も撮って無し。)などを車に詰め込み、また出発!
こんもりした緑の山(墳丘?)と真っ赤な鳥居が見えて来ました。 おのころ島神社に間違いないでしょう。
(つづく)
2019年04月27日
淡路島へ初渡り
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10連休前の25日はハイキング、26日は出発ギリギリまで報告やら後処理やらを片付けて、殆ど着の身着のまま常時ものザックを背負って新幹線に飛び乗り、ケロの所に遊びに行きました。
金曜の夜は美味しいお店は何処もいっぱいで、ちょっと残念な(笑)居酒屋さんでしたが、ビールで乾杯! しょっぱいだの何だのと文句を言いつつ、そう言い合える相手がいる嬉しさに杯が進みました。 相手が居ればこんなに喋るのだなぁ・・・としみじみ。
翌朝は絶好のドライブ日和、ケロが淡路島へ連れて行ってくれました。 日本中バックパックで歩き回ったのに、淡路島も四国も未踏だったので、初渡りにドキドキ。 初めてっていいものですねぇ
明石海峡大橋、渡りま〜す!
「青い空!」
「光る海!」
「おおっ、向こう岸が見えて来た」
「わぁ、淡路島、大きいね〜!」
青ねぎとオニオンスライス山盛りの「玉ねぎポン酢たこ焼き」@淡路SA です。
淡路島が玉ねぎの産地とは知っていましたが、これからず〜っと新玉ねぎの甘い香りに追いかけられる道中となりました。
(つづく)
2018年11月02日
奥多摩不思議空間(3)湖に浮かぶ橋
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タイムスリップしたような不思議な感覚を抱いたまま湖沿いに歩き続けると、
対岸の赤い橋、湖に消えていく細い岬などに、水底に沈む前の村落の姿の糸口が見える気がしました。
北向きに見ているのに北が下で湖の位置が実際に見えているのと逆という、頭が捩れそうな不思議な地図。 どうしてこの向きに描く必要があったのか、全く理解出来ません。 「責任者は誰!?」 と言っても仕方ないので、道しるべに従って湖の方へ下ります。
急な階段を下っていくと、樹林の間から眼下に青い湖が見えて来ましたが、浮橋の袂はぐるっと回った先で結構遠いのですよ・・・。 いろいろ不思議なことばかり。 どんな理由があるのでしょう?
やっと辿りついた通称「ドラム缶橋」は、既にドラム缶で出来た橋ではなくなって久しく、正式名称は「麦山浮橋」といいます。
水面に浮かぶ橋は、水の上を歩いてみたいという夢を叶えてくれます。 但し、ちょっと安定し過ぎていてスリル感は不足ですが、安全第一ですからしかたありませんね。 それでも橋の上で左右に広がる景色の中に立つと、湖との一体感があって素敵です。
無数の小魚の群れも見えました!
夢の世界から現実に戻る時って寂しいですね。 名残惜しい橋を蹴って陸地に渡り、橋を振り返りつつ浮世への階段を上りました。
本当にドラム缶を使っていた頃の写真と今の写真。
2018年10月23日
奥多摩の不思議空間(2) 夢の残影
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白日夢を見たような気持ちでまた橋を渡る(橋を渡るという行為自体、また異空間への入口だった訳ですが)と、
渓谷の集落を水底に沈めた湖は至る所で入り組んだ景観を現し、往時はどのような暮らしがあったのかと思いがめぐります。 ふと何かを感じて振り返れば、
あの白い巨塔のレーダーのような部分(実際は日傘を現しているそうです)が山の上から聳え出し、こちらを見下ろしているようでした。 見送ってくれているとありがたい気持ちになるか、監視されているのかとゾクッとするかは、気の持ち様でしょうか。
真夏の花サルスベリと晩秋の花ヤクシソウが、同時に咲いていました。 まるで「見るなの屋敷」のよう。
「えっ? これは何!?」
唐突に、林業で使っているとも思えない古びたケーブルの鉄塔が目の前に・・・
それも湖の向こう岸につながっている?? 一体何を運んでいたのでしょう? 実は下見の時には、その正体が分からず、帰宅して調べた所、それは・・・
ケーブルが続いているその先に向かう、苔むした階段を登ると、何やら緑陰から建物が覗いて見えました。
通路らしきものが途絶えたので斜面を攀じ登ると、プラットフォームのある駅舎が現れました。
なんと、ロープウェイに車両がそのままぶら下がっています。 興奮と驚きでブレブレです。
落ち着いてみれば、どのくらい経過しているものか分からないものの、それ程荒れても壊れてもいないままの姿で、木漏れ日の中に佇むロープウェイ・・・
明るい日差しの中で見たせいか、嫌な感じや不気味な雰囲気はありませんでした。
ドアも開いていたので、そ〜っと乗ってみると、
「みとうさんぐち」の駅名表示板。 ということは、向こう岸に「かわの」という駅も未だあるのでしょうか。(後で聞いた話では、残ってはいますが立ち入り禁止とのこと。 何故、こちらの駅は閉鎖もされず自由に入れるのかが却って不思議に思えます。)
動力部の部屋は、当然真っ暗ですが覗くことは出来ました。
プラットフォーム側から入ってしまったので、正規の入口に向かって逆に歩いての振り返りになります。( 先を急いでいて、適当にパシャパシャ撮ったので、暗い所の写真がブレていてごめんなさい。)
改札口からプラットフォームへ降りる階段・・・この辺りで「千と千尋の神隠し」の中のシーンを思い出しました。
駅舎正面玄関の間
駅舎正面玄関の外側
駅舎正面から左手に見える車両
再び降りて来た階段から振り返れば駅舎も見えていましたが、知らなければ見えないものですから、敢えて立ち入り禁止などのロープを張らない方が目立たないのでしょう。 登山靴でやっと登れるような道ですから、不用意に立ち入らずそっと静かに時の狭間に埋もれさせて置くべきだったかもしれません。 興味と好奇心が勝ってしまい、ごめんなさい。
(奥多摩湖ロープウェイは、湖を横断する夢を乗せて開業したものの、後に橋が架かったために客足が途絶え、持ち主は行方不明のままとのこと。 撤去するにも資金がかかる為、地元の方々も町も対応に苦慮しているのでしょう。)