2010年04月05日

大神(みわ)様参道のたこ焼き

 ちょっと間が開いてしまいましたが、大和路の旅日記を続けます。
先にお参りした大神教本院さんの先へと参道を進むと、ついさっき白玉屋さんでみむろ最中とお茶を戴いたばかりだというのに、またしても誘惑の香りが二人の鼻腔を刺激…くんくん…ケロロンが突然早足にタタタタタ…

 そうか〜 あの白玉いっぱい!は、『たこ焼きお食べ〜』のお告げだったかも〜るんるん

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 甘酸っぱいソースの匂いに吸い寄せられるように店先に立てば、「かど店」のおばさんは次々とたこ焼き型にタネを流し、大粒のタコや紅生姜などをポンポンと投入、あふれた分のタネも慣れた手つきで丸め込み、クルクルとひっくり返して見事なまん丸に…焼き加減をこまめにチェックし、脇目も振らずたこ焼きの面倒を見ておいででした。

 途中で丸みが少なかったり、ちょっと焦げすぎたりした分を見逃さずささっと脇へ除けるのもプロの早業。 こういう誤魔化しのない正直さが、又お客さんを呼ぶんですよね。 

 前の人が沢山買って、『あ〜うちの分が無くなるかも…』とドキドキしましたが、いくつか除けてもちゃ〜んと足りる数だけ焼いてはるんですなぁ お見事! そうしてやっと順番が来て、おばさんが働き者のあったかい手で器に盛ってくれたたこ焼きは…

 「おおっ大きい〜! 東京の倍もありそう!?」

その上、さっき規格外でハネてた分をポンポンと山積みに重ねてくれました。 

 「わっ、オマケ! ありがとうございます〜なんか、懐かしいなぁ…」

 昔は東京でもね、こんな風でしたよ…。 今ではこういうオマケの嬉しさ、殆ど忘れかけていましたけど。 

 ソースもマヨネーズも全部かけて貰って、アツアツのたこ焼きを、もう歩き始めると同時に頬張るケロロン…大神の神様、本当にお行儀が悪くてすみません(。。;) 私も立ち止まりふぅふぅして戴きましたが、なにせ大粒なもので中まで冷めません。 慌ててハフハフしたものの、すっかり口の中を焼いてしまい、旅の間中ずっ〜とヒリヒリのままでした。。。 

 アツアツの思い出と共に、今まで食べた中で一番大きくて美味しくて優しさの詰まったたこ焼きでした。 「村上かど店」のおばさん、ご馳走様でした。 この写真を見る度、あの味とやさしい笑顔を思い出します。 いつまでもお元気で〜きっと又おばさんのたこ焼き戴きに参りますね〜^^揺れるハート

(「村上かど店」の女将さんの承諾を得て撮影させて戴きました。)

posted by 山桜 at 09:56| Comment(16) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

大神様から白玉いっぱい!

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 先の一の(大)鳥居をくぐって少し先の参道右手に、善人さんより「大神(おおみわ)神社に詣でる時は、上(大神神社)下(大神教本院)だけの片参りにならないように…」と教わっていた「大神(おおみわ)教本院」が見えました。

 早速、この地へお招き戴いた御礼とご挨拶、そして幾久しくの弥栄をお祈り申し上げ、頭上を振り仰げば…降り注ぐ光の中に浮かび上がったのは、善人さんより聞き及んでいたあの古墳から出土した木棺で作られたという大きな額! 後ずさりしてしまうような圧倒的存在感に、思わずお写真を一枚撮らせて戴くと、ぱぁ〜っと光の玉が溢れんばかり…まるで大歓迎して下さっているようで、じ〜んと胸が熱くなりました。

 この旅の間中、大神様がお見守り下さると心より大安心致しました。
こちらのお参りを欠かさぬように教えて下さった善人さんのお蔭です。
またもやご縁をありがとうございました

 また後に「山の辺の道」の柳本でこの木棺が掘り出されたという古墳の近くも通りました。 どんなお方が埋葬されていたのでしょう…。 若しかしたら、遠い遠い遠〜〜〜いご先祖様だったりして。 歴史の息づく土地を歩くと、いつもの妄想癖も一層広がりがちぴかぴか(新しい)

写真上:光あふれる「大神教」の木棺で出来た額

写真中:「大神教」拝殿
      主斎神:三輪大神
           (大神大物主神、大己貴神、少彦名神、事代主神)

写真下:珍しい三柱鳥居(むすび鳥居・ひふみ鳥居)
     三ツ輪の神理(幸魂・奇魂・荒魂、三神の理)
     造化の三神の経倫の姿
     三種の神器に表わされる智・仁・勇
     倫理的には天・地・人
     過去・現在・未来の姿
     心理的には知・情・意 などを表すとされる。

     (京都・蚕ノ社、東京・三囲神社も三柱鳥居がある。)


【大神教本院とは】

 大神教本院の前身は、

 ・大神神社の神楽や祈祷
 ・御神符・守札などの授与
 ・信者への講社業務

などを大神神社大神教会の名のもとに行なってきた講社組織。

明治15年(1882年)、政府は官国幣社の神職が教導職を兼補することを廃止。 また内務省は神宮・官国幣社の神官が葬儀に関与してはならないことを定めた。 神社は祭祀儀礼を中心とし、独自の教説を有する教団は教派神道として独立。 

このことにより古くからの土地に伝わる「大三輪信仰」の絶滅を憂いた、当時の大神神社の小嶋禰宜が、宮司の了承を得て大神神社から大神教会を独立させ「大神教会」を創立し、今日まで古来から変わらずの大三輪信仰を伝え続けている。



参考ブログ・ホームページ

「大神教」
 http://www.shinshuren.or.jp/kyoudan/(05)oomiwa.html

酒徒善人さんのブログ「e411y」より
 [大神教本院の額のこと]
 http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2010/03/post_acf2.html

Don PanchoさんのHP「橿原日記」より
 [大神教の拝殿の額として残存していた最古級の古墳木棺]
 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2009_01_25.htm

国家神道に関する年表
 http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/40387/%8D%91%89%C6%90_%93%B9/19/


posted by 山桜 at 15:15| Comment(10) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

白玉屋に白玉は無し

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             大神神社の大鳥居の向こうに聳える大神山(お山がご神体)

 見晴らし台から見えた大神神社大鳥居の手前で、善人さんブログに登場の「白玉屋」さんを発見! 「白玉」には目が無いケロロンは、参拝前というのに早くも白玉団子で一服を熱望。 早速暖簾をくぐり店内喫茶部へ。 しかし、席についてお品書きを見ても「白玉」の文字は見当たらず…。 

 山桜「あのぉ…白玉はないのですか?」
 店員さん「すみません、白玉は屋号で最中のお店なんです…」
 山桜&ケロ「あぁ〜(目を見合わせ絶句…)」

 すっかりしょぼくれて肩を落とした私達を気の毒に思われたか、優しい店員さんはお品書きには無い、

      「みむろ最中2つとお煎茶 ¥250」

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のお試しセットを薦めて下さった。 二人で¥500で香ばしい皮もつやつやの粒餡も美味しい最中とお茶で元気回復、喉の渇きも癒えました。 白玉屋のお姉さん、ありがとうございました。 

 そして、この時食べきれずに持ち帰った最中一つずつが後に私達を、歩き疲れた末の空腹地獄から救ってくれたのです。 これもまた神様の采配の妙でした。

 <追記 2010.03.22>
  ちなみに「みむろ(三室)」と「みもろ(三諸)」は同義で
  「神の降り来臨する場所 神を斎き祀る深い森」の意味。
  こちらでは三輪山のこと。
  飛鳥の神奈備山など各地に「みむろ」「みもろ」の山がある。

posted by 山桜 at 20:00| Comment(10) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

やまとしうるわし

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久延彦神社高台から大神神社大鳥居方面を望む(大鳥居左は耳成山)

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   天の香具山          畝傍山            耳成山  
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 小さな写真は1クリックで大きくなります。
 連なる青垣のように重なり続く山々をご覧になれます。
 香具山・畝傍山・耳成山の大和三山が左→右へゆっくり
 動いているように見えてきませんか?

     二上山
     

 やまとは国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる

                         やまとしうるわし


 夜麻登波 久爾能麻本呂婆 

        多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流

                         夜麻登志宇流波斯 


 外国によって貶められた文字で表現された「邪馬台」も、古事記の中の万葉仮名では「夜過ぎて麻(朝日)登る」と美しい表記です。 万葉仮名は音だけを当てたように見える時もあれば、明らかに文字の意味を取ったと思われるものもあり、又ただひたすら見た目の美しさに重きを置いた時もあると書の桃里先生に教えて戴き、長年の疑問が氷解し正に目から鱗でした。 万葉仮名、本当に面白くてマイブームです。



 桜が咲いて「遷都1300年」ブームで人々が押し寄せる?前に奈良を歩いて参りました。 「山の辺の道」の久延彦神社近くの高台から、なだらかに連なる山々を眺めた時、ごく自然にヤマトタケル命が詠まれたというこの歌が浮かんできました。 なんと優しく柔らかな曲線の美しい青き山々に囲まれた穏やかな土地なのでしょう…

 やまとしうるわし…

 大和路・ケロロンとの母娘二人旅の始まりです
  

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2010年03月14日

東大寺「修二会」最終日

《2010年3月14日》
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 山の辺の道を歩いた後、柳本の駅からJR桜井線(万葉まほろば線)で奈良駅へ戻り(駅の観光案内は17:00にシャッターが閉まります! 観光案内地図などは早めにゲットしておきましょう。 私たちに地図を渡し、ものすごい早口で説明して下さった直後にガラピシッと閉めはりました…。)

 東大寺へ向かう循環バスに乗って門前でバスを降り、17:27やっと遅い昼食?「にしん蕎麦」をいただき元気を盛り返し、参道で出迎えてくれた鹿さんたちをろくに構いもせず(ちょっとだけ遊び…ケロロンに「ついて来るから構っちゃダメ!」と叱られました;;)

 東大寺南大門をくぐり…
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 修二会最終日を迎える東大寺二月堂前へ足を早めました。 最終日はあまり観光客に知られていないので、有名な12日の「お水取り」よりは人出が少ないらしいとはいえ、混雑は避けられない(観光案内の方談)そうで、いい場所に立てるか不安でしたが、なんとか上手く拝めそうな位置に入ることが出来ました。 後から来て背の高い人〜、前に立たないで〜 お帽子脱いで〜(禿てて?)カメラの三脚上げないで〜(泣;;)

辺りは明るく、まだまだ時間があるなぁ…と思っている内に暮色が迫り明かりも点りだしました。 この明かりが消えるといよいよ始まるというサインだそうです(アナウンスでそう聞いたのですが、真ん中の街灯は最後まで消えませんでした…)
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 18:35 向かって左の階段を駆け上がってくる火の玉が見えました!
それがダ〜ッと目の前の欄干を左から右へ横切ってゆき、右の隅で止まったかと思うと、次の火の玉がまた現れて駆け上りダダ〜っと横切っていきます。 普通この火の玉は次々と現れては駆け抜け去っていくのだそうですが、最終日だけは最後まで10個の火の玉全てが欄干に留まって揃い踏みを見せてくれます。

 火の勢いが落ちそうになるとぶんぶん回したり上下に揺すったりして勢いを上げています。 何だかものすごく元気いっぱいの火の玉もあれば、割りに穏やかに漂っているのもいて、なかなか個性的です。
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 欄干に横一列に勢揃いした火の玉は、まるで連獅子の如く激しくぶんぶんと回り踊り狂い辺りに火の粉を滝のように撒き散らしながら、炎の乱舞の最後を飾ります。 今こうして写真で振り返ってみれば、なんと始まりから終わりまで、たったの5分間! とてもそんな短いひと時だったとは思えません。 人の体感時間って本当に不思議です。 

 このありがたい火の粉を浴びることが出来る場所に入れるのは限られた東大寺の徽章を持つ会員、それも男性だけとのことで・・・私もケロロンも永遠に無理ということですね〜残念! そう遠くない所から素晴らしい行の修めを拝めただけでも何か良いことありそうな春の訪れの宵でした。

 思えば東京生まれの私が「お水取り」を身近に感じられたのは、幽黙さんに、「お水取り」の竹から削り出した茶杓を頂戴した時からでした。 それが今年はとうとうその場に来ることが出来ました。 奇しきご縁とお導きに感謝致します。

去年の日記: 「お水取り」で春到来
http://yamasakuran.seesaa.net/article/115474161.html

 

        *        *        *

【東大寺二月堂修二会(しゅにえ) <お水取り・お松明>】

*はじまり
 天平勝宝4年(752)東大寺開山良弁(ろうべん)僧正の高弟、
 実忠(じっちゅう)和尚によって始められたと伝えられる。
 以来平成21年の1259回まで一度も途絶えることなく続けられる
 「不退の行法」。

*「修二会」の名の由来
 現在3月1日より2週間に渡り行われるこの法会は、元来旧暦2月1日
 から行われていた為、二月に修する法会で「修二会」と呼ばれた。
 二月堂の名も由来も同じ。

*「お水取り」の名の由来
 行中3月12日深夜(13日午前1時半頃)、若狭井(わかさい)という
 井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる
 「お水取り」の儀式が行われる為。

*「お松明(たいまつ)」の名の由来
 この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、
 夜毎大松明に火が灯され、参集した人々を照らし出す為。

*法要の全体像
 ・12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める
  練行衆11名の僧侶が発表される。
 ・翌2月20日より、前行「別火(べっか)」が始まり、
  3月1日からの本行に備える。
 ・3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、
  二月堂に於て修二会の本行が勤められる。

 「修二会」の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、我々が日常に犯している様々な過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で練行衆が懺悔し、「天下泰平」「五穀豊穣」「万民快楽(けらく)」等を願い祈りを捧げる行を勤める。 前行、本行を合わせほぼ1ヶ月、準備期間を加え3ヶ月に及ぶ。
 
 華厳宗大本山 東大寺公式HPより抜粋編集



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2010年03月13日

三輪明神・大神神社

大和國一之宮 三輪明神 大神(おおみわ)神社

御祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
配  祀 大己貴神(おおむなちのかみ)大国主神のまたの御神名
      少彦名神(すくなひこなのかみ)


 大鳥居からも秀麗なお姿を拝し奉った「三輪山」−三輪の大神様が鎮まるこの三諸の神奈備山がご神体そのものです。 このことは古事記にも下のように記載されています。

【古事記 大国主神 少名毘古那神 三諸山の神】
(大国主神がくえびこ(カカシ)に名を教えて貰った少名毘古那神と力を合わせて国を作り固められた後、少名毘古那神は海の向こうの常世の国へ渡ってしまわれた。 残された大国主神は…)

 ここに大国主神愁へて告りたまはく、
 「吾独(われひとり)して何かよくこの国を得作らむ。 
  いづれの神と吾とよくこの国を相作らむ」
とのりたまひき。 この時、海を光(てら)して依り来る神あり。 その神言りたまはく、
 「よく我が前を治めば、吾よく共に相作り成さむ。
  若し然らずは、 国成り難けむ。」

 ここに大国主神、
 「然らば治め奉る状は奈何(いかに)」
とまをしたま(申し給)へば、
 「吾をば倭の青垣の東(ひむかし)の山上(やまのべ)に斎き奉れ」
と答へ言りたまひき。 こは三諸山の上(へ)に坐(いま)す神なり。


 それでは、二の鳥居へ向かいましょうか…。 言葉は不要ですね。 何かを感じて戴ければ幸いです。

(この回からご覧になられた方は、是非、一の鳥居大神教本院参道のたこ焼の回より先に訪問して下さると、より臨場感があるかと思います^^) 


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            拝殿(重要文化財)

 これより先は畏れ多くカメラを向ける気持ちになれませんでした。 また白い襷を戴けば、なんと最近はご神体の三輪山に登れるというのですが、こちらも足を向ける気持ちになれませんでした。 ケロロンも襷を掛けるのが嫌だったらしく、仰ぎ拝し手を合わせ頭を垂れました。

 留守番の主人の病平癒を祈り、大神神社のお守りと狭井神社の御神水を戴いて参りました。 大神神社へお参りする時は、空のペットボトルなど水を戴く容器を持参されると、拝殿左手に鎮座する狭井神社の「薬井戸」で自由に汲むことが出来るようです。 私は遠い他国から参りましたので、心ばかりお納めして分けて戴きました。


 早いもので、大神神社さんにお参りしてから一ヶ月が過ぎようとしています。 折りしも先の週末は春の大神祭、お神輿が渡りお能が奉納されるなど大いに賑わったことでしょう。 角のたこ焼き屋さんもさぞ大忙しだったでしょうね。 私も丁度週末は大神様参道のお店の味を思い出しながら白玉を転がし転がし我が家でたこ焼きを作っておりました。


 三輪山の大物主大神について古事記に別に有名な物語があります。


【崇神天皇 二、三輪山の大物主神 よりの現代語要約】

 崇神天皇の御世に疫病が流行り民が死に絶えそうな時、天皇の夢に大物主大神が顕れ仰せになった。
 「疫病は私の意志である。 意富多々泥古(おほたたねこ)という者
  に私を祭らせるならば、祟りも起きず国も安らかになるであろう」

 そこで天皇は四方に人を使わせ意富多々泥古を探し出し、
 「そなたは誰の子か?」
とお尋ねになると、
 「大物主神が活玉依毘売(たまよりびめ)を妻としてお生まれになった御子の御子の御子、建甕槌神(たけみかづちのかみ)の子の意富多々泥古です。」
とお答えになった。

 天皇は大いに喜ばれ、意富多々泥古を神主として迎え三輪山に意富美和之大神(おおみわのおおかみ)を斎(いつ)き祭られた。 また国内の天神(あまつかみ)地祗(くにつかみ)の社を定め祭られ、坂の上から河の瀬の神に至るまで漏れなく祭られたので、国は安らかになった。


 この意富多々泥古という者が大神の子孫であると知られた訳は…。

 活玉依毘売は容姿輝くほどに美しい姫であったが、突然夜毎比類なく美しく気高い男が訪れるようになり、ほどなく姫は身籠った。 夫のない身で身籠った姫を案じた両親は、男の素性を確かめる為、姫に知恵を授けて言った。
 「赤土を床に撒き、糸巻の麻糸に通した針を男の衣の裾に刺せ」

 翌朝、針につけた麻糸は鍵穴から抜け出て長く伸び、糸巻に残った麻糸は僅かに三輪だけだった。 その糸を辿って行くと三輪山の神の社で留まっていたので、生まれてくる子が三輪の大物主神の子であると分かった。

 麻糸が三輪だけ糸巻に残っていたことからこの地を「美和(みわ)」と名づけたという。

 意富多々泥古命は、神の君(みわのきみ)・鴨君(かものきみ)の祖先である。



 この神話を知れば、白く細い麻糸のような三輪素麺、そうやすやすと口に運べない気がしてきませんか? 勿論、思いは馳せつつ、美味しく戴きますけれど^^  あれ、最後はまた食べ物の話になってしまいましたね。

 奈良〜京都〜日光、なにやら糸が繋がって見えて参りました。


大和国一之宮三輪明神大神神社 公式HP http://www.oomiwa.or.jp/
大神神社 境内図 http://www.oomiwa.or.jp/frame/f03.html


            


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2009年10月08日

応接間の設え・ミラノ

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 先にご紹介した「ミラノの応接間」=ガッレリア・ヴィットリオ・エマヌエレU世のアーケード街が十字に交わる部分は八角形になっており、その上をガラスのドームが覆っています。

 八角形の内の4面にあたる建物上部には4大陸の女神を表すフレスコ画(どの面がどの大陸の女神かは思い出せないですが、ヨーロッパ大陸の女神の絵のバックだけが青空なので分かりやすいです)が描かれています。 (9月18日の日記のトップの写真がそれです。)

 また八角形の内、4方向に開けた通路の上には、それぞれの方角にあたるイタリアの古くから続く(サヴォイア王朝が治めた)街のシンボルのモザイク画が埋め込まれています。

 
中央         サヴォイア王朝*の紋  「赤字に白十字」
 北(スカラ座方面) ミラノ        「白地に赤十字」
 東(マクドナルド)  フィレンツェ    「百合(アイリスとも)」
 南(大聖堂方面)  ローマ       「牝狼と双子」
 西(プラダ)      トリノ        「雄牛」

09-09italy 060.jpg  milano.gif  Firenze.png  She-wolf_suckles_Romulus_and_Remus.jpg
サヴォイア家     ミラノ        フィレンツェ       ローマ
 「白十字」     「赤十字」       「百合」         「牝狼と双子」


(人が多くて全部の紋章の写真は撮れませんでしたので、Wikipedia等の参考画像で補填しておきます。) 

 そして、西・トリノのシンボル「雄牛」がトップの写真です。 

 誰が言い出したものか、この雄牛のある部分の上で、

「左足の踵で
 反時計回りにまわりながら
 願い事を唱えると叶う(子宝に恵まれるとも)」

と言われています。 ある「部分」というのは、写真をご覧になればお分かりかと思いますが、とても痛そうな所でして…。 

 先の日記へのコメントによると酒徒善人さんは、ちゃんとこの上で回られたそうです。 我が家はどうもそういうことの出来ない小心者揃いで、各国からの旅行者が次々とクルクル回る間隙を縫い、一番心臓の強い?私が写真を撮るのが精一杯でした^^; 出来るなら、こんなに痛々しくない場所でお祈りしたいで〜す。


*サヴォイア王朝
 共和国となる前のイタリア王国を治めていた王朝。



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          スカラ座方面からの入口(多分)    景観に合わせたマクドナルド


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2009年10月02日

スフォルツェスコ城の方円・ミラノ

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  スフォルツェスコ城への前面中央入口・時計付の「フィレーテの塔」
         カステッロ広場の噴水     (山桜携帯付属カメラ)

 スフォルツェスコ(スフォルツァ家の)城は、中世最大の城の遺構です。 元ミラノ領主ヴィスコンティ家の城跡を基に、1450年、ミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァが改築・築城しました。 現在は美術館などとして使われており、ミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」などが展示されています。 築城に際しては、当時スフォルツァ公に仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチも装飾などに関わっていたそうです。

 四角い城塞型の堅牢な雰囲気の城で、フィレーテの塔は前面の中央に、城塞の四隅には、日本で言えば「櫓(やぐら)」のような塔が設けられています。 前方左右の櫓は円塔(写真下は向かって左の塔)で、後方左右の櫓は角塔…。

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                         (ケロロン携帯付属カメラ)

 「何故そのような位置関係に…?」
と思っている時、某所で鎌倉とんぼさんが前方後円墳や方円の組み合わせで成り立っている五輪塔のことを書いていらしたのを拝見し、
 「おおおっ、西洋でもこの塔の方円形、位置には何か意味が込められているのでは?」
 と疑い調べ始めてみたものの、なかなかその線は浮かんで来ず、出てきたのはデザイン性と実用性ばかり。 ドーム天井やアーチには天空や神聖を表しているようなのですが…

 強度は丸塔>角塔とのことなので、前面に丸塔一対なのかもしれません。 全部同じではデザイン的に面白くないので後ろは角塔一対にしたのかしら? 魔除けとか魔封じとか何か出てきても良さそうなものですが…これからも興味のアンテナを張り続けていようと思います^^
(こうやって直ぐに脱線ループに引き込まれてしまうので、ちっとも先に進めずにおります。 でも、そういう時間が至福の時なので止められないのです…)

 レンガ壁一面にポツポツと並んでいる穴は、見張りや狙撃の為の穴などではなく、実はレンガを組む(補修?)時の足場の木材が刺さっていた跡なのだそうです。 ちょっとコンクリ打ちっ放しの壁の雰囲気と似ている気がしました。 巧まずして偶然生まれたデザインなのですね。

Castello Sforzesco 公式HP
http://www.milanocastello.it/ing/home.html 

 訪問したのはイタリア最後の日ですが、方円形つながりで、ポンペイで見たお墓の遺構をこちらに載せておきます。 上の部分に丸い覆いが有ったような…?

  CIMG1018.JPG ←1クリックで原寸大になります。


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2009年09月30日

蛇の紋章

イタリア救急車のマーク
カドゥケウスの杖とヘビ
アスクレピオスヘビ
ヒギエイア(ハイジア)の杯 トレビの泉にも像あり
アルファロメオ社のマーク
スフォルツァ家の紋
WHOのマーク
The WHO emblem
WHO's emblem was chosen by the first World Health Assembly in 1948. The emblem consists of the United Nations symbol surmounted by a staff with a snake coiling round it. The staff with the snake has long been a symbol of medicine and the medical profession. It originates from the story of Aesculapius who was revered by the ancient Greeks as a god of healing and whose cult involved the use of snakes. (Aesculapius, incidentally, was so successful at saving lives that, the legend goes, Hades the god of the underworld complained about him to the supreme god Zeus who, fearing that the healer might make humans immortal, killed Aesculapius with a thunderbolt.)

へびつかい座

15世紀イタリア
http://homepage.mac.com/linstedt/linische/italia.html


  





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2009年09月24日

虹の輪を超えて

 帰国後、一足先にミラノの日記を書いてしまいましたが、ここで一日バック、成田〜ミラノの様子から思い起こして…。

   09-09italy.jpg
日本海を越えた頃、ケロロン、雲海の上に浮かぶ大きな虹の輪を発見!虹って上空から見ると真ん丸なのですね〜知りませんでした〜ぴかぴか(新しい)

…ということは、虹の橋の袂の下の宝物って永遠に見つからない?
いえいえ私たちは、虹の輪の向こうの宝物を探しに旅立ったのかも^^

<追記2009-09-25>
 後で落ち着いて考えてみたら、虹って上空から見えたからってその時地上からも同時に見えるというものではないような…? いい加減な思い付きで書いてしまってすみませんたらーっ(汗)) 

CIMG0923.JPGCIMG0924.JPGCIMG0925.JPG
             CIMG0926.JPG

 ユーラシア大陸の北部に広がる雄大な自然の景観に圧倒されつつ、
(残念ながら山脈の名前も川の名前も不明。調べたら分かるかな〜)
直行便は12時間程でイタリア・ミラノのマルペンサ空港へ到着。

 お得なツアーならではの郊外ホテルは『古い病院!?』と思われるような外観ながら内装はマァマァ…何時でも何処でも眠れる野人家族は、成田で仕入れた夜食を戴き、出の悪いシャワーを適当に工夫して浴び、スヤスヤとミラノの夜の眠りについたのでした。(つづく?)


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2009年09月18日

無事戻りました^^

09-09italy 061.jpg

 ガッレリーア*・ヴィットーリオ・エマヌエーレU世
 ガラス屋根のアーケードに覆われた十字型商店街 
 の中央にあるドーム。「ミラノの応接間」とも称されるそうです。

    *ガッレーリア(Galleria)は英語のギャラリーに相当する言葉で、
     アーケードに覆われた回廊状の大型商店街を指します。
     「ヴィットーリオ・エマヌエーレU世アーケード街」って感じでしょうか。

 ガッレーリア(画廊)の名の通り、足元のモザイクも建物も天井画も彫刻もショップのショーウインドウも…隅々まで美で埋め尽くされています。

     09-09italy 060.jpg       09-09italy 054.jpg

 ドーム傍のマックでカプチーノ(1ユーロ=140円位)休憩(写真右)
 ちゃんとしたBAR(バール:日本の喫茶店に近いお店)では、銀座並みのお値段でしたので〜(^^;)

 携帯もデジカメも新しい物に変えたばかりで慣れておらず、山ほど撮影したものの写真サイズの設定が大き過ぎ、調節しないと上手くブログに載せられずに迷走中ですあせあせ(飛び散る汗)

 明日から又出掛けてしまうので、このバタバタがひと段落した頃に、旅の思い出話はポツリポツリとアップしていけたらと思っています。 



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2009年03月31日

ケロロンの卒業旅行

受験勉強から解放されたケロロン、春休み中よ〜く遊び歩きました。

        izu.JPG
        小〜中学校の友達との旅は伊豆
       早咲きの河津桜と海と金目鯛他の海の幸を味わい…
   (伊豆の旅は公開不能の写真だらけらしいのでこれだけ^^;)

        penguin.JPG
         高校のクラスの友との旅は
          北海道「旭山動物園」 
親と同じ大きさなのにモアモアの羽毛で可愛いのか微妙なペンギンの雛

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     故郷と同じ雪と氷の中でハイテンションな白熊

P1000359.JPG
        凛々しく美しい姿が雪に映える虎
    雪の中なのにキリンもとっても元気だったそうで、
    結構アフリカの動物も順応性が高いのですね。 


osakajo.JPGphoto (2).JPG
         高校の部活の友達との旅は大阪
快晴青空に聳える大阪城   ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
                   (似非ネズミーランドだったそうな)

        tutenkaku.JPG    
           キラメク通天閣
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ビリケンさん    白鯛焼     たこ焼
 
大阪は思ったより普通で東京とあまり変わらず、軽快な大阪弁も
愉快な大阪人の生態なども殆ど経験できず期待外れだったと…。
「大阪のイメージ」ってマスコミが作り上げすぎ?

 ちっとも家にいなかったので、部屋も片付かず入学式の準備も
ままならず… 明後日からは大学入学前のオリエンテーションも
始まり、新生活へ向けての追い込みが大変そうですあせあせ(飛び散る汗)


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2009年03月22日

白い静寂

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   090315_111215_Ed_Ed_M.JPG

    暫し白い静寂にゆったりと包まれて参りました。
   戻ってきたら東京はむせるような春になっていて、
   「見るなの座敷」の「春」の襖を開けてしまったかと…

   そのバチが当たったか、ただの打撲と思っていた肩付近の
   骨にヒビが入っていたようで、花粉症のクシャミが響くこと
   ヒビクコト(><) もう暫く大人しくしています(。。;)


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2008年05月03日

スペイン雑記5「生きてる建築」

 アントニ・ガウディは幼少の頃から、自然の造形を深い洞察力でみつめており、生物から構想を得た有機的な曲線のデザインは、彼の建築群の大きな特徴として有名だ。 例えば、

spain08 032.jpgspain08 033.jpgspain08 042.jpg
イボイボの突起に覆われたような尖塔は細長い巻貝のようであり、その内部の階段も、巻貝の内部の螺旋そのもののデザインである。

      spain08 035.jpg
 奥の建築中の部分の鉄骨群の無機質感に比べ、手前の柱は骨や関節筋肉、神経細胞、若しくは甲殻類の内部のようにも思える。

      spain08 045.jpg
 この天井部の作りを見ていると、どうも蟹が食べたくなってくる。 蟹の同体の部分を壊さずに蟹肉だけを取り去った時のあの感じだ。

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網状になった糸に小さな重りを沢山ぶら下げ、それにより描かれた形を上下反転したものが、垂直加重に対する自然な構造形態だという理論で建築を行ったと言われる。 これは多分それを再現した模型。(自由時間でガイドさんもおらず日本語表記もなかったので、正確なことは分からない。)

      spain08 034.jpg
 こちらも多分、ガウディの作った模型の再現展示。

   spain08 040.jpg   spain08 041.jpg
 生誕の門の二つの柱を支える「海亀」と「陸亀」 不変を表すとか。 亀が土台を支えている考えは蓬莱山と通じているようで、どこから構想と得たのか興味を惹かれた。

 この他にも「ガウディ・コード」とも言われる謎めいた彫刻が、よくみると随所に残されている。 有名な「林檎を咥えた蛇」「カメレオン」「かたつむり」「人面魚」「人面トカゲ?」「不思議な文字群」etc… 石で造られ無言で語り続ける壮大な物語だ。

 サグラダ・ファミリアを初めて映像で見た時、子供の頃浜辺で作った砂の城を思い浮かべた。 砂を海水でどろどろにして、『セメント〜!』と言いながら、握った拳の中から滴り落として作った塔にそっくりと
思った。

 有機的ということは必然的に生死を伴う。 サグラダ・ファミリアも永遠に崩壊と再生を繰り返しながら有り続けるのが、ガウディの描いた本来の姿なのかもしれない…と、また勝手な妄想に浸っている。


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2008年04月29日

スペイン雑記4「聖家族って?」

 空と大地の話ばかりでは、スペインのイメージが偏りすぎてしまう。

 スペインと言えば世界遺産。 その登録数は37で世界一を誇る。

 中でもバルセロナ・オリンピック以降、日本でも一躍有名になったのは、アントニオ・ガウディ(カタルーニャ名:アントニ・ガウディ)設計のサグラダ・ファミリア教会。
      spain08 043.jpg
 真っ青な空に映える生誕の門(ファザード)がバッチリ♪ 
 とシャッターを切った瞬間に屋上付バスが前に…(−−;)

 サグラダ・ファミリアとは、むろん秋田訛の「桜田さん一家」ではなく、英語ではSaint Famiy、日本語にすれば「聖家族」の意味となるカタルーニャ語である。

 先程から、しつこく「カタルーニャ語」と書いているが、バルセロナは、カタルーニャ州の州都であり、元々の州民は、

 「私達はスペイン人ではない。 カタルーニャ人だ。」

と今も胸を張り、カタルーニャ語を公用語として話しているとのことで、私も分かる範囲で敬意を表そうとしている。 (日本で一般的なカタロニアという表記は英語由来の発音らしい。)

 ところで「聖家族」とは、何を指すのだろう? キリスト教に馴染みの無い方々には、ピンと来ないかもしれないが、養父・聖ヨゼフ、聖母マリア、イエス・キリストの3人家族を表す。

 上の写真の4本の塔の前面中央にある彫刻は、イエス生誕を物語るもので、(記憶が正しければ)ステンドグラス上のアーチの上で手を挙げているのが聖ヨゼフ、その下にイエスを抱く聖母マリアの姿がある。

 この東面の部分を「生誕のファサード(門)」と呼ぶ。
   spain08 036.jpg

 このように、サグラダ・ファミリア全体が、イエスの生涯を物語っており、「石で造られた聖書」とも呼ばれる所以である。

 上の写真では切れてしまっているが、聖家族の向って右脇でハープを奏でている天使?像が、日本人主任彫刻家・外尾 悦郎さんの代表作とのガイドさんの弁。携帯付属カメラのズームでピンボケぎりぎりに迫ると…
      spain08 037.jpg
 うっとりするような天上からの調べが聞こえてくるようだ。

 この生誕物語の真裏の西面には、全く異なる現代的作風の彫刻で受難物語が描かれている「受難のファサード(門)」がある。
      spain08 039.jpg
 聖書物語をご存知の方には、どの部分が何を物語る彫刻かよくお分かりになり、感慨もひとしおのことと思う。 その脇には更に前衛的な彫刻群があったが、個人的にあまり好きになれず写真を撮らなかった。 ああ、やはり資料として撮れば良かった…ダメだなぁ) 

 また将来メインの入り口になる筈の南面が「栄光のファサード(門)」北面は「復活のファサード」建設中?そちらにまわらなかったので、良く分からないのが残念。 これら4面の塔付き門の中央には更に高い
尖塔が聳え、更に全体を覆う屋根が付くらしいが、まだまだ完成までにはあと20年はかかるらしい。 

 既に最初に作れらた部分は修復が必要になってきており、新しく作りながら修復もするという、どこかの国の道路のような永遠の建築現場になりそう?? しかも直下を通る地下鉄の計画があるとか…
 「こんな建築、地震が無いからできるんだよね〜」
と思って見ていたが、そんなことになったらどうなるのだろう??

<追記と訂正 2008/05/01>>
 どうも生来、東西南北と右左の感覚がイマイチで混乱していた部分を 訂正・加筆致しました。 まだおかしな部分がありましたら是非、教えて下さ〜い!


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2008年04月28日

スペイン雑記3「踊る葡萄の木」

     spain08 014.jpg

     スペインの葡萄畑を初めて見た時の衝撃は

「ああっ、ピカソ!!」

真っ赤な土の上に踊る真っ黒な葡萄の木のシルエット。
高さこそ概ね揃えて剪定されているが、二つと同じ形はない。
各々の個性が見事に主張され、様々に脈打ちながら生きている。

    spain08 016.jpg

spain08.jpg 車窓からの写真では小さくて分かり難いので頭の中に残ったイメージをスケッチ

 この太い幹の先から新芽を吹き、蔓を伸ばして 地面を這っていく。 日本のような高い棚にもフランスのような垣根にも巻き付かせない。

 乾燥した大地を自らの蔓で覆い尽くし、地中の水分の蒸発を防ぐのだ。

 乾燥しているが故に、地上を這った蔓に実らせても腐ることなく収獲できるという。

  picasso1.jpg

 ブドウ畑で踊る木々を眺めていたら、ピカソの絵が浮かんで来た。どんな画家の心の中にも、決して失われない故郷の風景が生き続けて
いるのだろう。


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スペイン雑記2「天と地と」

spain08 004.jpg

 
      「天と地と」

     赤茶けた平原を
     黒いアメーバが
    舐めるが如く這い進む
 
   それは空に浮かぶ真白な雲の影   
    どこまでも平らな大地は
     天の姿を映して輝く
          

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ラベル:スペイン
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2008年04月27日

スペイン雑記1「赤い大地と地中海」

「赤い大地と地中海」

spain08 001.jpg あっという間にというか漸くというか、どうやら無事にスペインから戻って参りました。  

 あまりにも短期間にあまりにも多くのものを見聞きしてしまったので、頭の中がごった煮の沸騰中…とても

  「○月□日 何処何処へ行きました。」

等と時系列正しく纏められそうになく、せめて思いつくままのスペイン雑記のようなものを書き残してみようかと思います。

     *   *   *


 写真の左側はスペイン北東部の海岸線・右側は地中海。 
 バルセロナ空港への着陸待ちの為、同じ所を旋回してくれたお蔭で一度撮り損なった場面を思い通りの構図で撮ることができた。 ラッキー♪何だか幸先いい感じ。

 スペインの土は赤い、最近日本でも流行のあの明るめの煉瓦の色。
この明るい色彩に憧れて取り入れたくなる気持は私にもよく分かる。しかし、その土地の色だからこそ、建物に用いても自然に風景に馴染んで美しいのだと思う。 

 穏やかなエメラルドグリーンの地中海も今や汚染が進んでいると後で耳にしたが、この時はそんなことは少しも感じず、ただただ赤い大地と青緑の海の対比に、何て美しいのだろうと見惚れるばかりだった。


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ラベル:スペイン 地中海
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2008年01月04日

大甕倭文神社

大甕倭文神社(おおみかわぶんしづ*じんじゃ)

  08-1 006.jpg
拝殿は海を臨む為か谷に面しており、前が狭くて窮屈な写真でお許しを

  08-1 004.jpg   08-1 001.jpg
狛犬さんは荒ぶる神の姿を髣髴させるようながっしり厳つい雰囲気です

  08-1 005.jpg
 立派なお神輿も倉が解放されており拝観することができました。
 六角形というのが変わっていますね。 甕=亀なんて妄想がまた…

ご祭神: 武葉槌命(たけはづちのみこと)

以下『大甕倭文神宮縁起』より抜粋してまとめました。

 天照大御神が天孫・瓊瓊岐尊(ににぎのみこと)を豊葦原中津国(とよあしはらなかつくに)に降臨させるに当り、鹿島・香取の二武神を遣わし、国津神・荒ぶる神々(元々その地を治めていた神々)を平定させようとしました。 

 武神の誉高き二神は国津神、荒ぶる神々をはじめ草木石類に至るまで平定しましたが、常陸国の悪神・天津甕星(またの名を天香々背男・あまのかがせお)は、大甕上に陣取り東国地方の陸地はおろか海上にまで一大勢力をもっており、さすがの鹿島・香取の神もこの勇猛なる大勢力の前に為す術がありませんでした。

 その時この二武神に代り甕星・香々背男討伐の任を受けられたのが、当社の御祭神「武葉槌命・たけはづちのみこと」でありました。武葉槌命は、武神としては勿論、知恵の神としても優れておいでになり、(織物を始めとする組織的な産業を最初に起された神)知恵を駆使した巧な戦略の前に甕星・香々背男の一大勢力も遂に屈しました。

 数ある伝説の一つでは、武葉槌命が大甕山にて甕星・香々背男の変じたる巨石を蹴ったところ割れて、
・海中に落ち「おんねさま」「神磯」と呼ばれる磯  大洗の神磯?
・石神  東海村石神  石神社 
・石塚  常北町石塚  風隼神社
・石井  笠間市石井  石井神社
に飛んだと伝えられています。
(上記三社については、HP「神奈備にようこそ」の中のhttp://kamnavi.jp/en/higasi/oomika.htm の頁を参照致しました。) 

 また現在の大甕神社の神域を成しております「宿魂石」は、甕星・香々背男の荒魂を封じ込めた石であるとも伝えられています。

 甕星・香々背男の勢力を打ち払われた武葉槌命は、此の大甕の地に留り命の優れた知恵の産物である製塩の術・織物の術をはじめ様々な生活の術を常陸地方は無論のこと、東日本の一帯に広められ人々の生活の向上に貫献されました。 武菓槌命は「おだて山」即ち美しい山と人々から敬愛の念を持って呼ばれる大甕山上に葬られていると伝えられております。


        *     *     *     *
 
 このように縁起には「悪神」と記されている天津甕星・天香々背男ですが、これは平定する側からのとらえ方であり、地元では領民に慕われたよき神(治者)であったと伝わっています。 天孫族の傘下に入ることを最後まで拒み続けた地元の大きな武力をも持った治者であったのではないでしょうか。 勿論、平定後を治められた武葉槌命が偉大な神であられたことは間違いなく、どちらにしても豊かな土地で産業も栄え、平和な世を得られた領民は幸せだったことでしょう。

 ただ、心の中では天津甕星・天香々背男への畏敬と敬慕の心が生き続けていたのではないかと、この境内に立ちひしひしと思われました。 ご祭神はあくまでも平定を遂げられた武葉槌命ですが、天津甕星・天香々背男を鎮め奉る気持が強く伝わって来るのです。

 今回は山上の本殿まで詣でることが出来ませんでしたが、次回は必ず「宿魂石」を拝み、天津甕星・天香々背男ともっとお話がしたいと思います。

    08-1 007.jpg
 境内に奉納されていた船の錨です。 最初に目にしたときは、
「ああ、海の近くの神社らしい! 珍しいなぁ」
と感動しただけでしたが、後にふと心に浮かんで来た言葉にハッと
しました。

 「錨=怒り を 治める」

 この錨についての縁起等は探した範囲では見当たりませんでしたが、
やはり…そうなのでしょうか?


<追記 2008-01-21>
 「久慈町の娘」さんより、コメントにてご教示戴けましたので、

  倭文(×わぶん → ○しづ) に

  訂正致します。 このような嬉しい交流があると本当に
  ブログを書いていて良かった〜♪と思います。
  久慈町の娘さん、ありがとうございました。 <( _ _ )> 


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ラベル:常陸 神社 茨城
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2007年08月14日

大洗磯前神社

 お盆参りの帰りに大洗の海沿いに宿をとりました。
翌朝、日の出を拝んでから、浜に面するこんもりとした山の中に鎮座
する大洗磯前(いそさき)神社へ参拝致しました。

「大洗磯前神社」公式HP http://oarai-isosakijinja.or.jp/

  御祭神 大己貴命(おほなむちのみこと)
        少彦名命(すくなひこなのみこと)


  常陸国上言 鹿嶋郡大洗磯前有神新降 初郡民有煮海為塩者
  夜半望海 光耀属天 明日有両怪石 見在水次 高各尺許
  体於神造 非人間石 塩翁私異之去 後一日 亦有廿餘小石
  在向石左右 似若侍坐 彩色非常 或形像沙門 唯無耳目 
  時神憑人云 我是大奈母知少比古奈命也 昔造此国訖 
  去徃東海 今為済民 更亦来帰
  
       *         *         * 

   常陸国の言い伝えによれば、或る日鹿島郡の大洗の磯前に、  見たこともない神様が表れたという。 初郡に海水を煮て  塩を作る者がおった。 その者が夜半海を眺めていると天に光輝くものがあった。 

   翌朝波打ち際に二つの奇怪な石があった。 高さは一尺程だった。 それは人間ではなくさながら神様のお姿のようであった。 この塩翁の驚きの体験のあったさらに次の日には、20余りの小石が2つの奇怪な石の左右に恰も侍坐するように現われた。 奇怪な石たちは鮮やかに彩られ、目や耳は無く沙門(修行僧?)のようなお姿をしていた。

   その時、神様は人に憑依して、
  「わたしたちは、大奈母知(おほなもち)・少比古奈命(すくなひこなのみこと)である。 昔、この国を造り終えて、一旦東の海(常世の國?)に去ったが、今人々を救うためにここに再び帰り来る」
   と告げた。  (山桜・訳)

    「文徳実録」(856年/斉衡三年)十二月 戊戌の条

          (上記黒字部分、追記訂正 2007-08-24)
         
     ? 123.jpg
               大洗海岸の日の出

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        水平線が丸く見えるほど開けた大海原  
   ? 115.jpg
    ご祭神二柱の神様が現れたという海中の岩に立つ「神磯の鳥居」

     あらいその岩にくだけて散る月を

             一つになしてかへる月かな 


 こちらを訪れた時、水戸黄門光圀公が詠まれたお歌です。

 この鳥居の真正面から昇る日の出を、好天に恵まれて迎えるのは、下調べをしてもなかなか難しそうですね。
    
     ? 132.jpg
 神磯の鳥居を背にして階段を上り、道路を渡ると大きな二の鳥居。
この左手の県道を跨いで立つ大鳥居(15.6m)が一の鳥居です。 嘗てはそこからが境内であったのだそうです。

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二の鳥居下の狛犬さんは、荒磯の海風に洗われてか、風化著しくも温和な表情で出迎えてくれました。 参拝者が積み置いたのか足許にはたくさんの小石が…

          ? 119.jpg
一礼して二の鳥居をくぐると、長い急な階段が伸びています。
足腰に自身の無い方は、こちらを登らずに、一の鳥居横の緩やかな参道を上ってこられるようです。

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     階段を上りきると神門の手前にはスマートな陶器の狛犬さん

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幽黙さんの真似をして彫刻にも注目してみました。
波と生物の彫刻は良く見かけますが、さすが荒磯に向って立つ神社の波の彫刻は荒々しい迫力があります。 波間から顔を覗かせているお魚がちょっと可愛らしい^^

   ? 117.jpg
 拝殿です。 現在彩色の復元?中のようで、正面の一部だけ鮮やかに彩られていました。

     ? 126.jpg
 何だか雰囲気が随分異なりますね。 東照宮みたいになるのでしょうか?

     ? 125.jpg
 以前は拝殿の両側に狛犬のように対で置かれていた蛙が、今回は3匹になって並んでいました。 きっと奉納蛙が増えたのですね。

 そういえば、前日の美しい夕焼け空にガマ蛙の形の筑波山が綺麗に浮かんでいました。 茨城の人は将門公の眷属でもあるガマ蛙に愛着を持っているようですね。

     ? 124.jpg
     本殿(向って左から) 美しい屋根の造形

     ? 128.jpg
     本殿(向って右から) 
     大きな屋根に比べて少し華奢に思える建物部の調和には
     どこか優雅な美しさがあります。 

     大きな屋根は オホナムチノ命、
     小さな建物は スクナヒコナノ命、
     などと思わず想像してしまいました。

 一つの山を成す広い境内には摂社末社も数多く、それぞれに手厚く大切に祭られていました。 境内のお掃除の箒目も清々しく、大変気持の良い神社でした。 ご縁に感謝申し上げます。

 次は対で祀られているという「酒列(さかつら)磯前神社」(少彦名命が主祭神)にも是非、参拝したいと思います。 
                        (2007-08-23 投稿 08-24 一部加筆訂正)
posted by 山桜 at 00:00| Comment(29) | TrackBack(4) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする