2011年06月30日

日光I二荒山神社

 今日は半年分の穢れを祓う「夏越の大祓」ですね。 皆様、夏の大掃除は無事にお済みでしょうか? 未だの方はせめて気持ちだけでも「茅の輪くぐり」をどうぞ…
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       夏越の大祓「茅の輪くぐり」
          (日光二荒山フタラサン神社HP ライブカメラより)

日光三山の神、

男体山(二荒山・2486m)大己貴命
女峯山(2464メートル)田心姫命
太郎山(2368メートル)味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネ命)
               別名 迦毛大御神(カモノオオミカミ)
               鋤=農耕神であり、雷の神 
               今日は丁度雷様が大暴れしてらっしゃいます…       

を総称して「二荒山大神」と称し、主祭神としています。

この三神は親子として親しまれおり、境内には「縁結び」で有名な「夫婦杉」の他に「親子杉」も祀られています。 折角の親子旅なので「親子杉」をご紹介しますね。
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最初の頃にご紹介した桃かと見まがうような大木の「八汐つつじ」が見事に咲いていたのが、この神社です。
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そうそう、先にご紹介した共通セット券には「二荒山神社」の券も付いていますが、参拝は自由(無料)ですので回収されることもなく、手許にその一枚だけ残ります。 外人さんなどは不思議に思わないかしら…。 それとは別に神社の左手奥にある「二荒山神社 神苑」は有料で、修学旅行生が喜びそうな?ちょっと遊びを添えて、弘法大師お手植えの高野槙、化け灯篭、神輿舎、幾つもの末社、などを巡回できるようになっています。 

冷たい雨が降り続いていましたし、ケロも最早それらで遊んで喜ぶ歳でもなく、この日、なんだか心惹かれたのは、霊泉の水面に浮かんでは消える沢山の輪…それがそのままふわっと傍らの石にも波立つように伝わって、私の心にもその輪が広がってゆくようでした。
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posted by 山桜 at 21:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月26日

日光H東照宮

 お天気が良ければ、去年の春に歩いた東照宮の裏山をぐるりと回わるハイキングコースを通り、役行者のお堂や白糸の滝や二荒神社の別院・滝尾神社をケロにも参拝させたかったのですが、流石に日光を訪れながら三度続けて「東照宮・輪王寺」をはずすというのは天が許さなかったようで…山歩きには激しすぎる雨ですし、ケロの靴は既にグズグズですしね…(苦笑)

 それに、ずっと
 「拝観料1300円って高〜い!」
と思っていたのですが、二社一寺共通券ですと、輪王寺(宝物殿・逍遥園含む)・東照宮(眠り猫・奥院除く)・二荒神社の神苑(神社は元々参拝自由)・大猷院などを含めてのお値段でした。 今までは、各々で1300円くらいが必要なのかと思っていたので…(勝手な思い込みですみません!)。 しかし、このようなセット券ではなくて個別でも参拝出来るのでしょうか…。 その辺り、今回も確認を忘れてしまいました。

<追記>
 先程ネット検索で調べた限りでは、何だか実際に入手した券と
 異なり、二社一寺共通券が輪王寺宝物殿/逍遥園や二荒神社
 神苑は別料金で ¥1000 となっていました。 

 もう手許に券は残ってない(拝観時に切り取られて回収)ので
 確かめようも無いのですが、実際に宝物殿などを券で回って
 いるので、私たちが入手出来たのは、それらが含まれての共通
 券だったのは間違いないと思います。

 そして、東照宮だけで眠り猫や奥院も含まれて¥1300
 という券も存在していて、以前に思っていた通り、単独で
 ¥1300も間違いではなかったのです。

 どちらにしても、それぞれで個別に納めるよりは共通券は
 確かにお得な設定には違いないので、回りたい所をよく確かめて
 から券を入手することをお薦めします。



 さて、日光・東照宮。 徳川三代将軍家光が祖父初代家康を祀る為に創建。
余りにも知られた名所旧跡なので、へそ曲がり視点で眺めて参りました。

「見ざる・聞かざる・言わざる」の「三猿」の「隣の猿」たち…
「少しは、僕たちのことも見てよ〜」「こっちから見てやろう」って?
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 巻き毛がむくむくの狛犬さん。 
甘えたような表情は、まるで寵愛を受けてそだったかのように穏やか。
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 日本的好みの「空間の美」とはかけ離れた「埋め尽くし」の装飾。 柱や壁までもびっしりと隅々まで彫刻や蒔絵や画彩が施されてされています。
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 華やかな彫刻群の中には、割りに普通な?人々の姿も。
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 「お母さ〜ん! 餌ちょうだ〜い!!」って雛鳥も居たんですね〜
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 ケロは靴も靴下も濡れていたので、どこにも上がらず(修学旅行で拝観したと)、建物の外回りや彫刻群や灯篭などをよくよく鑑賞できたそうで、私もそうすればよかったなぁ…。 久しぶりに聞きたかった「鳴龍」の共鳴も記憶の中のものと何だか違っていて、ガッカリ。 こういうものは、やはり適した気候ってあるのでしょうね。 湿っぽい時は一番ダメなのかもしれませんね。

 なんだか東照宮を巡りながら、悪霊から身を守る為に全身を経文で埋め尽くした(耳だけ忘れたけれど…)「耳なし芳一」や、キリスト纏わる全ての物語を未来をも含めて?表現し続けているバルセロナの「サグラダファミリア」を思い出していました。

 長い戦国時代を潜り抜け、やっとつかんだ徳川の世の平安な日々を、お爺様ならびに神仏に何とかして守護して戴こうという家光の切なるな願いが込められているのでしょうか。 お蔭で「三代目のジンクス」を打ち破った家光さん。 果たして、当時も「三代目は身上をつぶす」と、言われてたのかしら??

 日光山の神さま仏さま、関八州守護のみならず、また東日本のみならず、日本全土を、この未曾有の自然災害の危機から、どうかお守りくださいませ。
 
ラベル:日光 東照宮 神社
posted by 山桜 at 23:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月23日

日光G輪王寺・逍遥園

 多楽さんが、日光の並び(化け)地蔵様達に会いにいらしたと伺い、日光の旅日記が(毎度のことながら)途中だったことを思い出しました。 梅雨風邪もようやく一段落したところで、そろりそろりと続けます。

 あの梅雨冷えは何処へ? 急に真夏日がやって来て、草木も人もぐったりですね。 せめて春まだ浅き日光の爽やかな冷気をお届けしましょう。

 日光山輪王寺・宝物殿の「逍遥園」を一人で心行くまで巡りました。 男体山など付近の山々を借景として作られた池泉回遊式庭園です。 江戸時代、門主として京都から来た皇族出身の僧・輪王寺宮法親王を慰さめるために作られたのだそうです。

 この日は朝からかなりの雨降りで、同行のケロは水溜りに嵌ってしまい靴も靴下もビショビショ、寒さも相俟ってすっかりテンションが下がってしまい、宝物殿で休憩中です…。

 八汐つつじや水芭蕉に彩られた池面には、雨の雫が点々と波紋を広げていました。
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 お茶室にもなりそうなお休処。 (何も説明がないので何とも…)
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 人が歩かない処は、殆ど見事な苔に覆われています。
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 振り返ると先ほど小さな建物が池端に静かに佇んで見えました。
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 龍のように伸び上がる古木もすっかり苔に覆い尽くされて…
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池は細長く中ノ島を持ち、池岸は入り組んでいて、少し歩くだけで全く異なる表情を見せてくれます。 向こうの山を借景に、低い常緑樹の中から背の高い落葉樹が伸びて高原のような味わいも。
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日本中の多種の紅葉を集めた秋の美しさが有名で近年はライトアップもされています。 また、東日本のサツキの発祥地ということで、私の大好きな品種「晃山」「日光」もこちらが故郷だということを始めて知りました。 サツキともみじの頃は、大賑わいなのでしょうね〜 静かな季節に歩けて幸いでした。

 元々は小堀遠州作と伝わるお庭ですが、繰り返し改修が行われたようで当時の面影が偲ばれるものは少なそうです。 写真(下中)の石橋の長平石の形は若しかしたらそうでしょうか…? 写真左・自然石をくり抜いて造られたような塔 写真右・枝跡の残る樹の柱が用いられている門 小さなお休み処の中の襖絵(こういう装飾がある所は都風というか侘びたお茶室とは少し違う風情を感じます)何故か由来も説明も何も無いので、どういったものなのか皆目分からないのが残念です。)
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(1クリックで写真は拡大されます。)

「宝物殿」の展示は、東京国立博物館の「大徳川展」でお目に掛かっていたことと、宝物保存の為に仕方ないのでしょうけれど(それとも節電?)、とても薄暗くて何だか…。

「輪王寺」の「三仏殿」「護摩堂」は改修中で足場や幕に覆われており、狭い通路を流れ作業のような説明を浴びながら通り過ぎ、一番熱の入った弁がお守りや護符やストラップやらのお薦めで…改修には先立つものが必要なのでしょうけれど、もう少し静かにゆったりと参拝したかったです。

posted by 山桜 at 19:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月10日

Spirited away−何故ここに?

 環水平アークを初めて見た後、思いもかけない異空間へと迷い込みました。 ただ、開門時間内であれば湖への近道を抜けられるというので、地図を片手にお寺(この山域全体は「狭山不動尊」と呼ばれている)の中へ入っていくと…

 いきなり迎えてくれたのが、「日光東照宮!?」というようなこの門です。

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【勅額門】元、東京芝・増上寺の徳川家台徳院一品大相国公(二代将軍秀忠公)の御廟に、寛永九年(1632年)三代将軍家光公が建立したもの。 勅額は後水尾天皇の筆。 国指定重要文化財。

 なるほど、家光公の建立であれば東照宮に似ているのも道理ですね。

 続いてまたもや、この豪華さときたら…!

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【御成門】やはり同じ芝・増上寺の秀忠公の御廟に、その子家光公が同年に建立したもの。 格子天井の中央に丸い鏡天井が設けられているのが珍しい特徴とのこと。
 
 金色の飛天像…の下には「葵の御紋」?

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 鏡天井の中には天女が… あ、ここにも「三葉葵」の御紋が見えます。

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 こちらは離れて見るとこんな風に囲われていて、中をくぐることは出来ません。

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 この右手奥には、秀忠公のご正室、今年の大河ドラマの主役「江姫(崇源院)」の御廟(芝・増上寺)から移設した【丁子門】などもあるのですが、東日本大震災により危険な箇所が生じたそうで、残念ながら「立入禁止」となっていました。 折も折、脚光を浴びるという滅多にない年に、そんなことになってしまうとは…案外お江さんは、あんまり騒がれたくないのかもしれないですね。

 打って変わってすっきり堂々、武骨さがいかにも武家らしい門です。

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【不動寺総門】 元、長州藩主・毛利家の江戸屋敷門。 総ケヤキ造。

 狭山不動さんの本堂は元は京都・東本願寺から移築した七間堂でしたが、平成13年に不審火で焼失。 今は味気ないコンクリの建物で、なにやら人の出入が多いのもあって、写真を撮るのを忘れてしまいました。

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【第一多宝塔】
 桃山時代(1555年)大阪府高槻市梶原にある畠山神社(もと梶原寺)に美濃国林丹波守が建立したもの。

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【第二多宝塔】
 室町時代中期、永宝七年(1435年)兵庫県東條町天神の椅鹿寺に播磨国守護赤松満男教康が建立したもの。

 なんという優美な曲線の集まりでしょう

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第二多宝塔の前の灯篭。 前側には「鷺」・裏側には「濡」の文字が。
どんな意味があるのでしょう。

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【弁天堂】

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【康信寺】 ユネスコ村にあった時は「孔子廟」とされていたらしいです。
 そして、なんと、その中に祀られているのは、台湾の文武廟にある孔子廟に祀られていた孔子・孟子・子思の本家像で、台湾に今ある方がレプリカなのだとか…。 どういう経緯か分かりませんが、恐らくこれも堤氏が黄金時代に入手されたものなのでしょう。 ご自分の名前の字を寺名に入れてらっしゃるのですね。

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【大黒天】もと奈良・極楽寺、柿本人麻呂の歌塚堂 もう、何故ここに?

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無造作に立ち並べられた夥しい数の灯篭の群れ、それぞれに誰の為に誰が寄進したか記されているのに、何でこんな所に・・・ 増上寺境内にホテルを建てる時、こちらに運んだきりなのでしょうか・・・

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【奈良十津川 桜井寺山門】
こちらもまたマニアが見たらビックリものですよね・・・何故、ここに!?

 ジブリ映画「千と千尋の神隠し」を見た時、「テーマパークの跡地」というキーワードから、『もしかして「ユネスコ村」?』と思い浮かべ、そういえば、あの丘陵の住宅地、向こうの世界へ行く前にくぐった門や石仏、遊園地の駅の待合い? 湖の底のように広がる風景もどこかで見たことがあるような気がしていました。
(つづく)
posted by 山桜 at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月12日

去年はナポリ(結婚記念日)

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サンタ・ルチア港の「卵城Castel dell'Ovo」 お城の下に埋められた卵が割れる時はナポリも…
そんな「卵城」を眺めて陽気に日光浴中のオジサマ方もまるでピッカピカの卵!?

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 ホテルに戻ると実家の両親から結婚記念日を祝うスプマンテが届いていて…乾杯!

 今年は主人と二人「塩の花」という意味のフレンチ・レストランで昼食のお祝いをしました。 こちらは日本風にアレンジされたチマチマと小奇麗なお料理ではなく、バターも生クリームもハーブもそして自慢のお塩も効いた、お肉・お魚・お野菜の命をそれぞれしっかり戴いたという満足感のある、芯のぶれない食べ応えのあるフレンチです。 ケロロンが居れば写真も撮りやすいけれど、二人だけだとなんだか気恥ずかしくて、お料理の写真さえ撮れないものですね…。

 大手術から9年、後の辛い治療から2年、あれこれ万全とはいかないものの元気に働ける体力も付き、味覚もまずまず戻ってきた中で平穏に迎えられた記念日に、心より感謝致します。 
posted by 山桜 at 19:25| Comment(9) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月09日

一年前はヴェネチア

 台風が猛暑を吹き払い、久々に風涼しく肌寒いほどの夕べ、ほっと一息、ふとカレンダーを眺めれば、『あ〜一年前はヴェネチアにいたんだ…』 懐かしさに、一年ぶりにイタリアの旅アルバムを開いてみました。

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ヴェネチアのカナル・グランテ(大運河)にかかる「リアルト橋」より望む

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↑クリック(PCによっては更に+印の虫眼鏡をクリック)すると迫力の大画面(ちょっとどうなんだか…笑) 臨場感を味わいたい方は是非!

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           リアルト橋(別名・白い巨像)

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♪オ〜ソ〜レ〜ミ〜ヨ〜 観光客を乗せたゴンドラが続々と運河に繰り出します 

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狭い運河、頭すれすれの低い橋、わざわざスリルのある所を通ってのサービスは柳川と同じ?

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海辺の陽気な太陽が水面・白い壁・鮮やかな色彩に反射してきらめく船着場。  

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クルーザーに乗り換えて海に出れば、狭い空間から開放され景色も心も晴れ晴れ
あれあれ、ガイドさんが指差す先には…

パパラッチに追いかけられるジョージ・クルーニー! 
噂の彼女を同伴してヴェネチア国際映画祭に来ていたようです。

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2010年04月05日

大神(みわ)様参道のたこ焼き

 ちょっと間が開いてしまいましたが、大和路の旅日記を続けます。
先にお参りした大神教本院さんの先へと参道を進むと、ついさっき白玉屋さんでみむろ最中とお茶を戴いたばかりだというのに、またしても誘惑の香りが二人の鼻腔を刺激…くんくん…ケロロンが突然早足にタタタタタ…

 そうか〜 あの白玉いっぱい!は、『たこ焼きお食べ〜』のお告げだったかも〜るんるん

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 甘酸っぱいソースの匂いに吸い寄せられるように店先に立てば、「かど店」のおばさんは次々とたこ焼き型にタネを流し、大粒のタコや紅生姜などをポンポンと投入、あふれた分のタネも慣れた手つきで丸め込み、クルクルとひっくり返して見事なまん丸に…焼き加減をこまめにチェックし、脇目も振らずたこ焼きの面倒を見ておいででした。

 途中で丸みが少なかったり、ちょっと焦げすぎたりした分を見逃さずささっと脇へ除けるのもプロの早業。 こういう誤魔化しのない正直さが、又お客さんを呼ぶんですよね。 

 前の人が沢山買って、『あ〜うちの分が無くなるかも…』とドキドキしましたが、いくつか除けてもちゃ〜んと足りる数だけ焼いてはるんですなぁ お見事! そうしてやっと順番が来て、おばさんが働き者のあったかい手で器に盛ってくれたたこ焼きは…

 「おおっ大きい〜! 東京の倍もありそう!?」

その上、さっき規格外でハネてた分をポンポンと山積みに重ねてくれました。 

 「わっ、オマケ! ありがとうございます〜なんか、懐かしいなぁ…」

 昔は東京でもね、こんな風でしたよ…。 今ではこういうオマケの嬉しさ、殆ど忘れかけていましたけど。 

 ソースもマヨネーズも全部かけて貰って、アツアツのたこ焼きを、もう歩き始めると同時に頬張るケロロン…大神の神様、本当にお行儀が悪くてすみません(。。;) 私も立ち止まりふぅふぅして戴きましたが、なにせ大粒なもので中まで冷めません。 慌ててハフハフしたものの、すっかり口の中を焼いてしまい、旅の間中ずっ〜とヒリヒリのままでした。。。 

 アツアツの思い出と共に、今まで食べた中で一番大きくて美味しくて優しさの詰まったたこ焼きでした。 「村上かど店」のおばさん、ご馳走様でした。 この写真を見る度、あの味とやさしい笑顔を思い出します。 いつまでもお元気で〜きっと又おばさんのたこ焼き戴きに参りますね〜^^揺れるハート

(「村上かど店」の女将さんの承諾を得て撮影させて戴きました。)

posted by 山桜 at 09:56| Comment(16) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

大神様から白玉いっぱい!

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 先の一の(大)鳥居をくぐって少し先の参道右手に、善人さんより「大神(おおみわ)神社に詣でる時は、上(大神神社)下(大神教本院)だけの片参りにならないように…」と教わっていた「大神(おおみわ)教本院」が見えました。

 早速、この地へお招き戴いた御礼とご挨拶、そして幾久しくの弥栄をお祈り申し上げ、頭上を振り仰げば…降り注ぐ光の中に浮かび上がったのは、善人さんより聞き及んでいたあの古墳から出土した木棺で作られたという大きな額! 後ずさりしてしまうような圧倒的存在感に、思わずお写真を一枚撮らせて戴くと、ぱぁ〜っと光の玉が溢れんばかり…まるで大歓迎して下さっているようで、じ〜んと胸が熱くなりました。

 この旅の間中、大神様がお見守り下さると心より大安心致しました。
こちらのお参りを欠かさぬように教えて下さった善人さんのお蔭です。
またもやご縁をありがとうございました

 また後に「山の辺の道」の柳本でこの木棺が掘り出されたという古墳の近くも通りました。 どんなお方が埋葬されていたのでしょう…。 若しかしたら、遠い遠い遠〜〜〜いご先祖様だったりして。 歴史の息づく土地を歩くと、いつもの妄想癖も一層広がりがちぴかぴか(新しい)

写真上:光あふれる「大神教」の木棺で出来た額

写真中:「大神教」拝殿
      主斎神:三輪大神
           (大神大物主神、大己貴神、少彦名神、事代主神)

写真下:珍しい三柱鳥居(むすび鳥居・ひふみ鳥居)
     三ツ輪の神理(幸魂・奇魂・荒魂、三神の理)
     造化の三神の経倫の姿
     三種の神器に表わされる智・仁・勇
     倫理的には天・地・人
     過去・現在・未来の姿
     心理的には知・情・意 などを表すとされる。

     (京都・蚕ノ社、東京・三囲神社も三柱鳥居がある。)


【大神教本院とは】

 大神教本院の前身は、

 ・大神神社の神楽や祈祷
 ・御神符・守札などの授与
 ・信者への講社業務

などを大神神社大神教会の名のもとに行なってきた講社組織。

明治15年(1882年)、政府は官国幣社の神職が教導職を兼補することを廃止。 また内務省は神宮・官国幣社の神官が葬儀に関与してはならないことを定めた。 神社は祭祀儀礼を中心とし、独自の教説を有する教団は教派神道として独立。 

このことにより古くからの土地に伝わる「大三輪信仰」の絶滅を憂いた、当時の大神神社の小嶋禰宜が、宮司の了承を得て大神神社から大神教会を独立させ「大神教会」を創立し、今日まで古来から変わらずの大三輪信仰を伝え続けている。



参考ブログ・ホームページ

「大神教」
 http://www.shinshuren.or.jp/kyoudan/(05)oomiwa.html

酒徒善人さんのブログ「e411y」より
 [大神教本院の額のこと]
 http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2010/03/post_acf2.html

Don PanchoさんのHP「橿原日記」より
 [大神教の拝殿の額として残存していた最古級の古墳木棺]
 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2009_01_25.htm

国家神道に関する年表
 http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/40387/%8D%91%89%C6%90_%93%B9/19/


posted by 山桜 at 15:15| Comment(10) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

白玉屋に白玉は無し

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             大神神社の大鳥居の向こうに聳える大神山(お山がご神体)

 見晴らし台から見えた大神神社大鳥居の手前で、善人さんブログに登場の「白玉屋」さんを発見! 「白玉」には目が無いケロロンは、参拝前というのに早くも白玉団子で一服を熱望。 早速暖簾をくぐり店内喫茶部へ。 しかし、席についてお品書きを見ても「白玉」の文字は見当たらず…。 

 山桜「あのぉ…白玉はないのですか?」
 店員さん「すみません、白玉は屋号で最中のお店なんです…」
 山桜&ケロ「あぁ〜(目を見合わせ絶句…)」

 すっかりしょぼくれて肩を落とした私達を気の毒に思われたか、優しい店員さんはお品書きには無い、

      「みむろ最中2つとお煎茶 ¥250」

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のお試しセットを薦めて下さった。 二人で¥500で香ばしい皮もつやつやの粒餡も美味しい最中とお茶で元気回復、喉の渇きも癒えました。 白玉屋のお姉さん、ありがとうございました。 

 そして、この時食べきれずに持ち帰った最中一つずつが後に私達を、歩き疲れた末の空腹地獄から救ってくれたのです。 これもまた神様の采配の妙でした。

 <追記 2010.03.22>
  ちなみに「みむろ(三室)」と「みもろ(三諸)」は同義で
  「神の降り来臨する場所 神を斎き祀る深い森」の意味。
  こちらでは三輪山のこと。
  飛鳥の神奈備山など各地に「みむろ」「みもろ」の山がある。

posted by 山桜 at 20:00| Comment(10) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

やまとしうるわし

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久延彦神社高台から大神神社大鳥居方面を望む(大鳥居左は耳成山)

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   天の香具山          畝傍山            耳成山  
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 小さな写真は1クリックで大きくなります。
 連なる青垣のように重なり続く山々をご覧になれます。
 香具山・畝傍山・耳成山の大和三山が左→右へゆっくり
 動いているように見えてきませんか?

     二上山
     

 やまとは国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる

                         やまとしうるわし


 夜麻登波 久爾能麻本呂婆 

        多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流

                         夜麻登志宇流波斯 


 外国によって貶められた文字で表現された「邪馬台」も、古事記の中の万葉仮名では「夜過ぎて麻(朝日)登る」と美しい表記です。 万葉仮名は音だけを当てたように見える時もあれば、明らかに文字の意味を取ったと思われるものもあり、又ただひたすら見た目の美しさに重きを置いた時もあると書の桃里先生に教えて戴き、長年の疑問が氷解し正に目から鱗でした。 万葉仮名、本当に面白くてマイブームです。



 桜が咲いて「遷都1300年」ブームで人々が押し寄せる?前に奈良を歩いて参りました。 「山の辺の道」の久延彦神社近くの高台から、なだらかに連なる山々を眺めた時、ごく自然にヤマトタケル命が詠まれたというこの歌が浮かんできました。 なんと優しく柔らかな曲線の美しい青き山々に囲まれた穏やかな土地なのでしょう…

 やまとしうるわし…

 大和路・ケロロンとの母娘二人旅の始まりです
  

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2010年03月14日

東大寺「修二会」最終日

《2010年3月14日》
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 山の辺の道を歩いた後、柳本の駅からJR桜井線(万葉まほろば線)で奈良駅へ戻り(駅の観光案内は17:00にシャッターが閉まります! 観光案内地図などは早めにゲットしておきましょう。 私たちに地図を渡し、ものすごい早口で説明して下さった直後にガラピシッと閉めはりました…。)

 東大寺へ向かう循環バスに乗って門前でバスを降り、17:27やっと遅い昼食?「にしん蕎麦」をいただき元気を盛り返し、参道で出迎えてくれた鹿さんたちをろくに構いもせず(ちょっとだけ遊び…ケロロンに「ついて来るから構っちゃダメ!」と叱られました;;)

 東大寺南大門をくぐり…
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 修二会最終日を迎える東大寺二月堂前へ足を早めました。 最終日はあまり観光客に知られていないので、有名な12日の「お水取り」よりは人出が少ないらしいとはいえ、混雑は避けられない(観光案内の方談)そうで、いい場所に立てるか不安でしたが、なんとか上手く拝めそうな位置に入ることが出来ました。 後から来て背の高い人〜、前に立たないで〜 お帽子脱いで〜(禿てて?)カメラの三脚上げないで〜(泣;;)

辺りは明るく、まだまだ時間があるなぁ…と思っている内に暮色が迫り明かりも点りだしました。 この明かりが消えるといよいよ始まるというサインだそうです(アナウンスでそう聞いたのですが、真ん中の街灯は最後まで消えませんでした…)
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 18:35 向かって左の階段を駆け上がってくる火の玉が見えました!
それがダ〜ッと目の前の欄干を左から右へ横切ってゆき、右の隅で止まったかと思うと、次の火の玉がまた現れて駆け上りダダ〜っと横切っていきます。 普通この火の玉は次々と現れては駆け抜け去っていくのだそうですが、最終日だけは最後まで10個の火の玉全てが欄干に留まって揃い踏みを見せてくれます。

 火の勢いが落ちそうになるとぶんぶん回したり上下に揺すったりして勢いを上げています。 何だかものすごく元気いっぱいの火の玉もあれば、割りに穏やかに漂っているのもいて、なかなか個性的です。
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 欄干に横一列に勢揃いした火の玉は、まるで連獅子の如く激しくぶんぶんと回り踊り狂い辺りに火の粉を滝のように撒き散らしながら、炎の乱舞の最後を飾ります。 今こうして写真で振り返ってみれば、なんと始まりから終わりまで、たったの5分間! とてもそんな短いひと時だったとは思えません。 人の体感時間って本当に不思議です。 

 このありがたい火の粉を浴びることが出来る場所に入れるのは限られた東大寺の徽章を持つ会員、それも男性だけとのことで・・・私もケロロンも永遠に無理ということですね〜残念! そう遠くない所から素晴らしい行の修めを拝めただけでも何か良いことありそうな春の訪れの宵でした。

 思えば東京生まれの私が「お水取り」を身近に感じられたのは、幽黙さんに、「お水取り」の竹から削り出した茶杓を頂戴した時からでした。 それが今年はとうとうその場に来ることが出来ました。 奇しきご縁とお導きに感謝致します。

去年の日記: 「お水取り」で春到来
http://yamasakuran.seesaa.net/article/115474161.html

 

        *        *        *

【東大寺二月堂修二会(しゅにえ) <お水取り・お松明>】

*はじまり
 天平勝宝4年(752)東大寺開山良弁(ろうべん)僧正の高弟、
 実忠(じっちゅう)和尚によって始められたと伝えられる。
 以来平成21年の1259回まで一度も途絶えることなく続けられる
 「不退の行法」。

*「修二会」の名の由来
 現在3月1日より2週間に渡り行われるこの法会は、元来旧暦2月1日
 から行われていた為、二月に修する法会で「修二会」と呼ばれた。
 二月堂の名も由来も同じ。

*「お水取り」の名の由来
 行中3月12日深夜(13日午前1時半頃)、若狭井(わかさい)という
 井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる
 「お水取り」の儀式が行われる為。

*「お松明(たいまつ)」の名の由来
 この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、
 夜毎大松明に火が灯され、参集した人々を照らし出す為。

*法要の全体像
 ・12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める
  練行衆11名の僧侶が発表される。
 ・翌2月20日より、前行「別火(べっか)」が始まり、
  3月1日からの本行に備える。
 ・3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、
  二月堂に於て修二会の本行が勤められる。

 「修二会」の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、我々が日常に犯している様々な過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で練行衆が懺悔し、「天下泰平」「五穀豊穣」「万民快楽(けらく)」等を願い祈りを捧げる行を勤める。 前行、本行を合わせほぼ1ヶ月、準備期間を加え3ヶ月に及ぶ。
 
 華厳宗大本山 東大寺公式HPより抜粋編集



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2010年03月13日

三輪明神・大神神社

大和國一之宮 三輪明神 大神(おおみわ)神社

御祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
配  祀 大己貴神(おおむなちのかみ)大国主神のまたの御神名
      少彦名神(すくなひこなのかみ)


 大鳥居からも秀麗なお姿を拝し奉った「三輪山」−三輪の大神様が鎮まるこの三諸の神奈備山がご神体そのものです。 このことは古事記にも下のように記載されています。

【古事記 大国主神 少名毘古那神 三諸山の神】
(大国主神がくえびこ(カカシ)に名を教えて貰った少名毘古那神と力を合わせて国を作り固められた後、少名毘古那神は海の向こうの常世の国へ渡ってしまわれた。 残された大国主神は…)

 ここに大国主神愁へて告りたまはく、
 「吾独(われひとり)して何かよくこの国を得作らむ。 
  いづれの神と吾とよくこの国を相作らむ」
とのりたまひき。 この時、海を光(てら)して依り来る神あり。 その神言りたまはく、
 「よく我が前を治めば、吾よく共に相作り成さむ。
  若し然らずは、 国成り難けむ。」

 ここに大国主神、
 「然らば治め奉る状は奈何(いかに)」
とまをしたま(申し給)へば、
 「吾をば倭の青垣の東(ひむかし)の山上(やまのべ)に斎き奉れ」
と答へ言りたまひき。 こは三諸山の上(へ)に坐(いま)す神なり。


 それでは、二の鳥居へ向かいましょうか…。 言葉は不要ですね。 何かを感じて戴ければ幸いです。

(この回からご覧になられた方は、是非、一の鳥居大神教本院参道のたこ焼の回より先に訪問して下さると、より臨場感があるかと思います^^) 


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            拝殿(重要文化財)

 これより先は畏れ多くカメラを向ける気持ちになれませんでした。 また白い襷を戴けば、なんと最近はご神体の三輪山に登れるというのですが、こちらも足を向ける気持ちになれませんでした。 ケロロンも襷を掛けるのが嫌だったらしく、仰ぎ拝し手を合わせ頭を垂れました。

 留守番の主人の病平癒を祈り、大神神社のお守りと狭井神社の御神水を戴いて参りました。 大神神社へお参りする時は、空のペットボトルなど水を戴く容器を持参されると、拝殿左手に鎮座する狭井神社の「薬井戸」で自由に汲むことが出来るようです。 私は遠い他国から参りましたので、心ばかりお納めして分けて戴きました。


 早いもので、大神神社さんにお参りしてから一ヶ月が過ぎようとしています。 折りしも先の週末は春の大神祭、お神輿が渡りお能が奉納されるなど大いに賑わったことでしょう。 角のたこ焼き屋さんもさぞ大忙しだったでしょうね。 私も丁度週末は大神様参道のお店の味を思い出しながら白玉を転がし転がし我が家でたこ焼きを作っておりました。


 三輪山の大物主大神について古事記に別に有名な物語があります。


【崇神天皇 二、三輪山の大物主神 よりの現代語要約】

 崇神天皇の御世に疫病が流行り民が死に絶えそうな時、天皇の夢に大物主大神が顕れ仰せになった。
 「疫病は私の意志である。 意富多々泥古(おほたたねこ)という者
  に私を祭らせるならば、祟りも起きず国も安らかになるであろう」

 そこで天皇は四方に人を使わせ意富多々泥古を探し出し、
 「そなたは誰の子か?」
とお尋ねになると、
 「大物主神が活玉依毘売(たまよりびめ)を妻としてお生まれになった御子の御子の御子、建甕槌神(たけみかづちのかみ)の子の意富多々泥古です。」
とお答えになった。

 天皇は大いに喜ばれ、意富多々泥古を神主として迎え三輪山に意富美和之大神(おおみわのおおかみ)を斎(いつ)き祭られた。 また国内の天神(あまつかみ)地祗(くにつかみ)の社を定め祭られ、坂の上から河の瀬の神に至るまで漏れなく祭られたので、国は安らかになった。


 この意富多々泥古という者が大神の子孫であると知られた訳は…。

 活玉依毘売は容姿輝くほどに美しい姫であったが、突然夜毎比類なく美しく気高い男が訪れるようになり、ほどなく姫は身籠った。 夫のない身で身籠った姫を案じた両親は、男の素性を確かめる為、姫に知恵を授けて言った。
 「赤土を床に撒き、糸巻の麻糸に通した針を男の衣の裾に刺せ」

 翌朝、針につけた麻糸は鍵穴から抜け出て長く伸び、糸巻に残った麻糸は僅かに三輪だけだった。 その糸を辿って行くと三輪山の神の社で留まっていたので、生まれてくる子が三輪の大物主神の子であると分かった。

 麻糸が三輪だけ糸巻に残っていたことからこの地を「美和(みわ)」と名づけたという。

 意富多々泥古命は、神の君(みわのきみ)・鴨君(かものきみ)の祖先である。



 この神話を知れば、白く細い麻糸のような三輪素麺、そうやすやすと口に運べない気がしてきませんか? 勿論、思いは馳せつつ、美味しく戴きますけれど^^  あれ、最後はまた食べ物の話になってしまいましたね。

 奈良〜京都〜日光、なにやら糸が繋がって見えて参りました。


大和国一之宮三輪明神大神神社 公式HP http://www.oomiwa.or.jp/
大神神社 境内図 http://www.oomiwa.or.jp/frame/f03.html


            


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2009年10月08日

応接間の設え・ミラノ

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 先にご紹介した「ミラノの応接間」=ガッレリア・ヴィットリオ・エマヌエレU世のアーケード街が十字に交わる部分は八角形になっており、その上をガラスのドームが覆っています。

 八角形の内の4面にあたる建物上部には4大陸の女神を表すフレスコ画(どの面がどの大陸の女神かは思い出せないですが、ヨーロッパ大陸の女神の絵のバックだけが青空なので分かりやすいです)が描かれています。 (9月18日の日記のトップの写真がそれです。)

 また八角形の内、4方向に開けた通路の上には、それぞれの方角にあたるイタリアの古くから続く(サヴォイア王朝が治めた)街のシンボルのモザイク画が埋め込まれています。

 
中央         サヴォイア王朝*の紋  「赤字に白十字」
 北(スカラ座方面) ミラノ        「白地に赤十字」
 東(マクドナルド)  フィレンツェ    「百合(アイリスとも)」
 南(大聖堂方面)  ローマ       「牝狼と双子」
 西(プラダ)      トリノ        「雄牛」

09-09italy 060.jpg  milano.gif  Firenze.png  She-wolf_suckles_Romulus_and_Remus.jpg
サヴォイア家     ミラノ        フィレンツェ       ローマ
 「白十字」     「赤十字」       「百合」         「牝狼と双子」


(人が多くて全部の紋章の写真は撮れませんでしたので、Wikipedia等の参考画像で補填しておきます。) 

 そして、西・トリノのシンボル「雄牛」がトップの写真です。 

 誰が言い出したものか、この雄牛のある部分の上で、

「左足の踵で
 反時計回りにまわりながら
 願い事を唱えると叶う(子宝に恵まれるとも)」

と言われています。 ある「部分」というのは、写真をご覧になればお分かりかと思いますが、とても痛そうな所でして…。 

 先の日記へのコメントによると酒徒善人さんは、ちゃんとこの上で回られたそうです。 我が家はどうもそういうことの出来ない小心者揃いで、各国からの旅行者が次々とクルクル回る間隙を縫い、一番心臓の強い?私が写真を撮るのが精一杯でした^^; 出来るなら、こんなに痛々しくない場所でお祈りしたいで〜す。


*サヴォイア王朝
 共和国となる前のイタリア王国を治めていた王朝。



          CIMG0086.JPG       09-09italy 069.jpg
          スカラ座方面からの入口(多分)    景観に合わせたマクドナルド


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2009年10月02日

スフォルツェスコ城の方円・ミラノ

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  スフォルツェスコ城への前面中央入口・時計付の「フィレーテの塔」
         カステッロ広場の噴水     (山桜携帯付属カメラ)

 スフォルツェスコ(スフォルツァ家の)城は、中世最大の城の遺構です。 元ミラノ領主ヴィスコンティ家の城跡を基に、1450年、ミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァが改築・築城しました。 現在は美術館などとして使われており、ミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」などが展示されています。 築城に際しては、当時スフォルツァ公に仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチも装飾などに関わっていたそうです。

 四角い城塞型の堅牢な雰囲気の城で、フィレーテの塔は前面の中央に、城塞の四隅には、日本で言えば「櫓(やぐら)」のような塔が設けられています。 前方左右の櫓は円塔(写真下は向かって左の塔)で、後方左右の櫓は角塔…。

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                         (ケロロン携帯付属カメラ)

 「何故そのような位置関係に…?」
と思っている時、某所で鎌倉とんぼさんが前方後円墳や方円の組み合わせで成り立っている五輪塔のことを書いていらしたのを拝見し、
 「おおおっ、西洋でもこの塔の方円形、位置には何か意味が込められているのでは?」
 と疑い調べ始めてみたものの、なかなかその線は浮かんで来ず、出てきたのはデザイン性と実用性ばかり。 ドーム天井やアーチには天空や神聖を表しているようなのですが…

 強度は丸塔>角塔とのことなので、前面に丸塔一対なのかもしれません。 全部同じではデザイン的に面白くないので後ろは角塔一対にしたのかしら? 魔除けとか魔封じとか何か出てきても良さそうなものですが…これからも興味のアンテナを張り続けていようと思います^^
(こうやって直ぐに脱線ループに引き込まれてしまうので、ちっとも先に進めずにおります。 でも、そういう時間が至福の時なので止められないのです…)

 レンガ壁一面にポツポツと並んでいる穴は、見張りや狙撃の為の穴などではなく、実はレンガを組む(補修?)時の足場の木材が刺さっていた跡なのだそうです。 ちょっとコンクリ打ちっ放しの壁の雰囲気と似ている気がしました。 巧まずして偶然生まれたデザインなのですね。

Castello Sforzesco 公式HP
http://www.milanocastello.it/ing/home.html 

 訪問したのはイタリア最後の日ですが、方円形つながりで、ポンペイで見たお墓の遺構をこちらに載せておきます。 上の部分に丸い覆いが有ったような…?

  CIMG1018.JPG ←1クリックで原寸大になります。


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2009年09月30日

蛇の紋章

イタリア救急車のマーク
カドゥケウスの杖とヘビ
アスクレピオスヘビ
ヒギエイア(ハイジア)の杯 トレビの泉にも像あり
アルファロメオ社のマーク
スフォルツァ家の紋
WHOのマーク
The WHO emblem
WHO's emblem was chosen by the first World Health Assembly in 1948. The emblem consists of the United Nations symbol surmounted by a staff with a snake coiling round it. The staff with the snake has long been a symbol of medicine and the medical profession. It originates from the story of Aesculapius who was revered by the ancient Greeks as a god of healing and whose cult involved the use of snakes. (Aesculapius, incidentally, was so successful at saving lives that, the legend goes, Hades the god of the underworld complained about him to the supreme god Zeus who, fearing that the healer might make humans immortal, killed Aesculapius with a thunderbolt.)

へびつかい座

15世紀イタリア
http://homepage.mac.com/linstedt/linische/italia.html


  





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2009年09月24日

虹の輪を超えて

 帰国後、一足先にミラノの日記を書いてしまいましたが、ここで一日バック、成田〜ミラノの様子から思い起こして…。

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日本海を越えた頃、ケロロン、雲海の上に浮かぶ大きな虹の輪を発見!虹って上空から見ると真ん丸なのですね〜知りませんでした〜ぴかぴか(新しい)

…ということは、虹の橋の袂の下の宝物って永遠に見つからない?
いえいえ私たちは、虹の輪の向こうの宝物を探しに旅立ったのかも^^

<追記2009-09-25>
 後で落ち着いて考えてみたら、虹って上空から見えたからってその時地上からも同時に見えるというものではないような…? いい加減な思い付きで書いてしまってすみませんたらーっ(汗)) 

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 ユーラシア大陸の北部に広がる雄大な自然の景観に圧倒されつつ、
(残念ながら山脈の名前も川の名前も不明。調べたら分かるかな〜)
直行便は12時間程でイタリア・ミラノのマルペンサ空港へ到着。

 お得なツアーならではの郊外ホテルは『古い病院!?』と思われるような外観ながら内装はマァマァ…何時でも何処でも眠れる野人家族は、成田で仕入れた夜食を戴き、出の悪いシャワーを適当に工夫して浴び、スヤスヤとミラノの夜の眠りについたのでした。(つづく?)


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2009年09月18日

無事戻りました^^

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 ガッレリーア*・ヴィットーリオ・エマヌエーレU世
 ガラス屋根のアーケードに覆われた十字型商店街 
 の中央にあるドーム。「ミラノの応接間」とも称されるそうです。

    *ガッレーリア(Galleria)は英語のギャラリーに相当する言葉で、
     アーケードに覆われた回廊状の大型商店街を指します。
     「ヴィットーリオ・エマヌエーレU世アーケード街」って感じでしょうか。

 ガッレーリア(画廊)の名の通り、足元のモザイクも建物も天井画も彫刻もショップのショーウインドウも…隅々まで美で埋め尽くされています。

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 ドーム傍のマックでカプチーノ(1ユーロ=140円位)休憩(写真右)
 ちゃんとしたBAR(バール:日本の喫茶店に近いお店)では、銀座並みのお値段でしたので〜(^^;)

 携帯もデジカメも新しい物に変えたばかりで慣れておらず、山ほど撮影したものの写真サイズの設定が大き過ぎ、調節しないと上手くブログに載せられずに迷走中ですあせあせ(飛び散る汗)

 明日から又出掛けてしまうので、このバタバタがひと段落した頃に、旅の思い出話はポツリポツリとアップしていけたらと思っています。 



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2009年03月31日

ケロロンの卒業旅行

受験勉強から解放されたケロロン、春休み中よ〜く遊び歩きました。

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        小〜中学校の友達との旅は伊豆
       早咲きの河津桜と海と金目鯛他の海の幸を味わい…
   (伊豆の旅は公開不能の写真だらけらしいのでこれだけ^^;)

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         高校のクラスの友との旅は
          北海道「旭山動物園」 
親と同じ大きさなのにモアモアの羽毛で可愛いのか微妙なペンギンの雛

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     故郷と同じ雪と氷の中でハイテンションな白熊

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        凛々しく美しい姿が雪に映える虎
    雪の中なのにキリンもとっても元気だったそうで、
    結構アフリカの動物も順応性が高いのですね。 


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         高校の部活の友達との旅は大阪
快晴青空に聳える大阪城   ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
                   (似非ネズミーランドだったそうな)

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           キラメク通天閣
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ビリケンさん    白鯛焼     たこ焼
 
大阪は思ったより普通で東京とあまり変わらず、軽快な大阪弁も
愉快な大阪人の生態なども殆ど経験できず期待外れだったと…。
「大阪のイメージ」ってマスコミが作り上げすぎ?

 ちっとも家にいなかったので、部屋も片付かず入学式の準備も
ままならず… 明後日からは大学入学前のオリエンテーションも
始まり、新生活へ向けての追い込みが大変そうですあせあせ(飛び散る汗)


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2009年03月22日

白い静寂

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    暫し白い静寂にゆったりと包まれて参りました。
   戻ってきたら東京はむせるような春になっていて、
   「見るなの座敷」の「春」の襖を開けてしまったかと…

   そのバチが当たったか、ただの打撲と思っていた肩付近の
   骨にヒビが入っていたようで、花粉症のクシャミが響くこと
   ヒビクコト(><) もう暫く大人しくしています(。。;)


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2008年05月03日

スペイン雑記5「生きてる建築」

 アントニ・ガウディは幼少の頃から、自然の造形を深い洞察力でみつめており、生物から構想を得た有機的な曲線のデザインは、彼の建築群の大きな特徴として有名だ。 例えば、

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イボイボの突起に覆われたような尖塔は細長い巻貝のようであり、その内部の階段も、巻貝の内部の螺旋そのもののデザインである。

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 奥の建築中の部分の鉄骨群の無機質感に比べ、手前の柱は骨や関節筋肉、神経細胞、若しくは甲殻類の内部のようにも思える。

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 この天井部の作りを見ていると、どうも蟹が食べたくなってくる。 蟹の同体の部分を壊さずに蟹肉だけを取り去った時のあの感じだ。

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網状になった糸に小さな重りを沢山ぶら下げ、それにより描かれた形を上下反転したものが、垂直加重に対する自然な構造形態だという理論で建築を行ったと言われる。 これは多分それを再現した模型。(自由時間でガイドさんもおらず日本語表記もなかったので、正確なことは分からない。)

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 こちらも多分、ガウディの作った模型の再現展示。

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 生誕の門の二つの柱を支える「海亀」と「陸亀」 不変を表すとか。 亀が土台を支えている考えは蓬莱山と通じているようで、どこから構想と得たのか興味を惹かれた。

 この他にも「ガウディ・コード」とも言われる謎めいた彫刻が、よくみると随所に残されている。 有名な「林檎を咥えた蛇」「カメレオン」「かたつむり」「人面魚」「人面トカゲ?」「不思議な文字群」etc… 石で造られ無言で語り続ける壮大な物語だ。

 サグラダ・ファミリアを初めて映像で見た時、子供の頃浜辺で作った砂の城を思い浮かべた。 砂を海水でどろどろにして、『セメント〜!』と言いながら、握った拳の中から滴り落として作った塔にそっくりと
思った。

 有機的ということは必然的に生死を伴う。 サグラダ・ファミリアも永遠に崩壊と再生を繰り返しながら有り続けるのが、ガウディの描いた本来の姿なのかもしれない…と、また勝手な妄想に浸っている。


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