週末、鎌倉へ行って参りました。例によっての引率で、なかなか思うような写真は撮れませんでしたが、春弥生の鎌倉を少しだけご案内致します。
北鎌倉の駅で降り、円覚寺の入り口で思いがけず素敵な方のお出迎えを受け、あまり観光客が立ち入らない塔頭へ案内して戴くことができました。これはそこから見渡せる風景です。
雨に洗われた新緑と茅葺屋根。 急に強まった日差しで温められた茅葺屋根からは白い靄が立ち上り、渦を巻いて空に吸い込まれてゆきました。1年生の女の子はこの屋根を見て、
「ピラミッド!」
と嬉しそうに指差しておりました。
この後、鎌倉には何故やぐら(洞窟)墓が多いのか、盗まれてしまった五輪塔のことなど、実際にその場を見ながらのお話を伺うことが出来、(どなたがいらして下さったか、もうお分かりの方も多いですね^^)柔らかな子供の頭にはとても印象的だったようです。すっかり五輪塔を覚えてしまい、五輪塔を見る度に
「これはあそこから盗まれたものかな?」
と言うのには困りましたが…(苦笑)
境内の縁台で、お茶と美しい春のお菓子のおもてなしを頂戴致しました。勿体無いお心づくしをありがとうございました。
ここでかの先生とはお別れ、きっと「鎌倉の窓」を更新されるべく素敵なお写真を撮りにいかれたのではないでしょうか…。
秋に訪れた時、改装中だった佛日庵では、お茶室「烟足軒」もすっかり綺麗になって、春の日差しを受けていました。
この洋館は旧前田侯爵邸「鎌倉文学館」です。 鎌倉ゆかりの文学者、川端康成・大佛次郎・夏目漱石・芥川龍之介・与謝野晶子・泉鏡花らの(縁の文学書は300人を越えるそうです)直筆原稿や手紙・愛用品などを収集保存、展示しています。
館内のステンドグラス バルコニー下の
小鳥が作ったつぼつぼ?
花のお寺「光則寺」の樹齢150年?超の花海棠
こんなに大きな花海棠は初めてみました。
貝母(バイモ)
光則寺では、四季折々の野草と茶花の名前と場所、その盛りの時期ががぎっしりと書き込まれた案内図を戴きました。これ程あると教えられては、他の季節にも是非訪れなくては!夏目漱石の大学時代の友人の別荘が近くにあったので、度々漱石が訪れていたお寺なのだそうです。
明くる日の鶴岡八幡宮境内では、二組の国際結婚カップルの門出に巡り合いました。ご結婚おめでとうございます!花嫁さんの白無垢姿を見慣れない子供達は、
「あのオレンジの人がお嫁さん?」
と大きな声で言うので、赤面しました。成る程、綺麗なかんざしもつけていてお姫様みたいですものね… 花嫁さん、ごめんなさいね。 とてもお綺麗でしたよ^^
人気ブログランキング
2007年03月30日
2007年03月25日
能登の思い出(2)
間断無く連続して頭からお湯をかけられるとどうなるか?
私はそれをAちゃんによって逆体験させて貰った。 間断無くと言っても、向こうがお湯を掬っている隙にサッと息ぐらいできるじゃないかと思われるかもしれないが、髪の毛を伝って滴るお湯というものはかなり粘っこいもので、うっかり息などしようものなら一緒にお湯も吸い込んでしまう。 ずっと長い間息を止めていた末に、お湯を吸い込んで咽ればどんな悲惨なことになるか、ああ、書いていて息苦しくなって来た。 皆さんはくれぐれも興味本位に真似をなさいませんように…。
お寺のお風呂であわや窒息!という経験をして興奮気味の私達を迎えたのは、怪しげな一対の屏風の前に敷かれた2組の布団だった。既に他には一切の人の気配も無い。 その屏風の後には、何様が鎮座ましましておいでだったのだろう? 今となっては知る由もない。 しかし多分、屏風無しでは若い二人の女の子が眠ることも出来ないようなものが控えていたのは、間違いない?
闇夜のサイクリングと風呂騒動でぐったりした私達は、今思えば意味深な屏風のことなど気にもせず、たちまち眠りに落ちた。それから何時間位たったろう…ふと、じっとりとした息苦しさを覚えて私は目を開けた。 が、体が動かない。 金縛り!? これが噂に聞く金縛りというものなのか! 半ばパニック状態になりながら、動かせる眼を頼りに辺りを見回すと…猫!猫!猫!猫!猫!!
白やら黒やら三毛やら、一体全体どこからこれだけの猫が集まって来たのか!?と思うほど沢山の猫が私達の布団の上に乗っていた。 布団の上だけでなく、回り中何匹もの猫に囲まれていた。
「Aちゃん! Aちゃん!!」
隣で眠る友を必死に起こそうとするが、口がパクパクするだけでちっとも声にならない。 屏風の前の白猫が大きな欠伸をしてニヤと笑った。 私は急に脱力して、その後の記憶が無い。
布団を上げた記憶も朝食を戴いた記憶も無い。 あるのは、
「すごく重たいお布団だったね〜 何だか肩が凝ったよ!」
と言う、友の言葉だけ。
「そりゃぁね、重いよ、あれだけ乗っかってれば…。」
猫のことをAちゃんに教えたが、同じ様に夜中に目覚めたAちゃんは猫など一匹も見なかったと言う。
いや私は確かに猫に出会った。 記憶を消されているのが何よりの証拠である(笑)。 あの後、私は猫の世界へ招待されたのだろうか? 私の体のどこかには、猫の世界の何かが埋め込まれているのだろうか? 私は今でも月明かりの下の自分の影を見るのが、少し怖い。 (おわり)
人気blogランキングへ ←ポチッと応援、感謝感激
私はそれをAちゃんによって逆体験させて貰った。 間断無くと言っても、向こうがお湯を掬っている隙にサッと息ぐらいできるじゃないかと思われるかもしれないが、髪の毛を伝って滴るお湯というものはかなり粘っこいもので、うっかり息などしようものなら一緒にお湯も吸い込んでしまう。 ずっと長い間息を止めていた末に、お湯を吸い込んで咽ればどんな悲惨なことになるか、ああ、書いていて息苦しくなって来た。 皆さんはくれぐれも興味本位に真似をなさいませんように…。
お寺のお風呂であわや窒息!という経験をして興奮気味の私達を迎えたのは、怪しげな一対の屏風の前に敷かれた2組の布団だった。既に他には一切の人の気配も無い。 その屏風の後には、何様が鎮座ましましておいでだったのだろう? 今となっては知る由もない。 しかし多分、屏風無しでは若い二人の女の子が眠ることも出来ないようなものが控えていたのは、間違いない?
闇夜のサイクリングと風呂騒動でぐったりした私達は、今思えば意味深な屏風のことなど気にもせず、たちまち眠りに落ちた。それから何時間位たったろう…ふと、じっとりとした息苦しさを覚えて私は目を開けた。 が、体が動かない。 金縛り!? これが噂に聞く金縛りというものなのか! 半ばパニック状態になりながら、動かせる眼を頼りに辺りを見回すと…猫!猫!猫!猫!猫!!
白やら黒やら三毛やら、一体全体どこからこれだけの猫が集まって来たのか!?と思うほど沢山の猫が私達の布団の上に乗っていた。 布団の上だけでなく、回り中何匹もの猫に囲まれていた。
「Aちゃん! Aちゃん!!」
隣で眠る友を必死に起こそうとするが、口がパクパクするだけでちっとも声にならない。 屏風の前の白猫が大きな欠伸をしてニヤと笑った。 私は急に脱力して、その後の記憶が無い。
布団を上げた記憶も朝食を戴いた記憶も無い。 あるのは、
「すごく重たいお布団だったね〜 何だか肩が凝ったよ!」
と言う、友の言葉だけ。
「そりゃぁね、重いよ、あれだけ乗っかってれば…。」
猫のことをAちゃんに教えたが、同じ様に夜中に目覚めたAちゃんは猫など一匹も見なかったと言う。
いや私は確かに猫に出会った。 記憶を消されているのが何よりの証拠である(笑)。 あの後、私は猫の世界へ招待されたのだろうか? 私の体のどこかには、猫の世界の何かが埋め込まれているのだろうか? 私は今でも月明かりの下の自分の影を見るのが、少し怖い。 (おわり)
人気blogランキングへ ←ポチッと応援、感謝感激
能登の思い出(1)
平成19年3月25日9時42分、能登半島が震度6強の地震に襲われました。 私に沢山の思い出を下さった、愛する能登半島の被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。 私も出来るだけの援助をする積りでおります。 どうか少しでも早く皆さまに平穏な日々が戻りますように…。
* * *
あれは入社前、学生最後の春、秘境好き?の友達と二人で能登を旅した。
私は唯一の自慢だが運動神経だけは良かったのである。 自転車もすぐに乗れた…が初ライディングの時、勢いあまってカーブで電柱に激突した。 口から血が流れ落ちた。 以来、自転車に乗る気が失せてしまった。 叔父の自転車の後に乗っていて足を巻き込まれたこともあるので、後に乗るのも怖い。
その頃住んでいたのは便利な土地だったし、足も早かったので特に不便はなかった。 友達の自転車について走り続けたので、足は益々鍛えられた。 今でもその恩恵に浴している。 後で何が役に立つかは本当に分からない。
そんな私が二人乗りのレンタサイクルの後に乗せられて、能登を巡ったのだ。 申し訳ないけれど『大丈夫だよ!』という友の見積もりは甘かった。
田舎の道は、アスファルトの補修を重ねてか蒲鉾型に盛り上がっていることがある。 縁がストンと落ちているのだ。 私達はそこに車輪を取られた。 原因は勿論私である。 ズルッと自転車ごと側溝に落ちて車道側に倒れた私の髪の毛の上をトラックが通り過ぎた。 まさに髪一重だった。 生きてて…良かった。 トラックの運転手さん、多分気付いてなかったと思うが、ごめんなさい。
その後も遅々として進まない自転車、原因は勿論私である。 美しい岬の景観を染め上げて暮れていく夕日。 しかしその後には深い闇が待っていた。 予約していたお寺のユースホステルまで後何キロあるのかも、道が正しいのかも分からなくなった。 口数も減り、聞こえるのは、黙々とこぐペダルの軋みと息づかいの音…。
遠くに赤い小さな灯火が見えた。 交番!ではなく、駐在所だった。 「駐在所」というローカルな響きがあたたかで嬉しかった。 が、駐在さんは留守だった。 肝心な時にいないのが駐在さん、それ以来その勝手なイメージが私の中で出来上がった。 たまたまその時居られなかった駐在さん、ごめんなさい。
次に見えたのは青白い電話ボックスの灯り。 やっと見つけた公衆電話からお寺に電話すると、連絡が遅い!と怒られた。 本当に申し訳ない、悪いのは私達。 でもこれは不測の事態、お寺の方には、もう少し優しい慈悲深い言葉を期待していた。
ああ、もう晩御飯は出せないとは、あまりなお言葉! 丁度その時、どこからかチャルメラの響きが…
「Aちゃん、夜鳴きラーメン食べちゃおうよ!」
「ダメだよBちゃん、そんなの追いかけたら迷子になるよ!」
最もである、友が正しい。 冷静な友を持って良かった。
頭の中は温かいラーメンの妄想でいっぱいに…その温もりでなんとか走りぬくことが出来たのかもしれない。 あの時のチャルメラおじさん、顔も知らない貴方だけど、ありがとう。
やっとの思いでお寺のユースに辿り着くと、さっきの電話に出た人とは絶対に違う和尚さん?が優しく出迎えて下さった。 もう夕飯はキャンセルされてしまったのに、巨大な炊飯ジャーの中に入れてあった白と緑の大きな葬式饅頭?を一つずつ、
「ほうれ、これで良ければお食べ」
と、分けて下さった。
誰もいなくなった畳の上にビニール敷きの食堂で、抜けそうになった敷物の鋲留めを押し込みながら、ご飯粒がついたままのほかほかのお饅頭を戴いたご恩は、終生忘れない。
その後、シャワーの無いお風呂に生まれて初めて入った。シャンプーを洗い流すのに、順番に手桶でお湯を汲んで掛け合った。 私は親切心から、必死に途切れることなく友の頭にお湯をかけ続けたのだが、ふと気付くと友は必死に手を振って私を制している。
「息ができないよっ! もう、Bちゃんに殺されるところだった!」
友よ許し給え。 私はあの日、貴女を2度あの世へ送りかけました。
(続く)
人気blogランキングへ ←ポチッと応援、感謝感激
* * *
あれは入社前、学生最後の春、秘境好き?の友達と二人で能登を旅した。
私は唯一の自慢だが運動神経だけは良かったのである。 自転車もすぐに乗れた…が初ライディングの時、勢いあまってカーブで電柱に激突した。 口から血が流れ落ちた。 以来、自転車に乗る気が失せてしまった。 叔父の自転車の後に乗っていて足を巻き込まれたこともあるので、後に乗るのも怖い。
その頃住んでいたのは便利な土地だったし、足も早かったので特に不便はなかった。 友達の自転車について走り続けたので、足は益々鍛えられた。 今でもその恩恵に浴している。 後で何が役に立つかは本当に分からない。
そんな私が二人乗りのレンタサイクルの後に乗せられて、能登を巡ったのだ。 申し訳ないけれど『大丈夫だよ!』という友の見積もりは甘かった。
田舎の道は、アスファルトの補修を重ねてか蒲鉾型に盛り上がっていることがある。 縁がストンと落ちているのだ。 私達はそこに車輪を取られた。 原因は勿論私である。 ズルッと自転車ごと側溝に落ちて車道側に倒れた私の髪の毛の上をトラックが通り過ぎた。 まさに髪一重だった。 生きてて…良かった。 トラックの運転手さん、多分気付いてなかったと思うが、ごめんなさい。
その後も遅々として進まない自転車、原因は勿論私である。 美しい岬の景観を染め上げて暮れていく夕日。 しかしその後には深い闇が待っていた。 予約していたお寺のユースホステルまで後何キロあるのかも、道が正しいのかも分からなくなった。 口数も減り、聞こえるのは、黙々とこぐペダルの軋みと息づかいの音…。
遠くに赤い小さな灯火が見えた。 交番!ではなく、駐在所だった。 「駐在所」というローカルな響きがあたたかで嬉しかった。 が、駐在さんは留守だった。 肝心な時にいないのが駐在さん、それ以来その勝手なイメージが私の中で出来上がった。 たまたまその時居られなかった駐在さん、ごめんなさい。
次に見えたのは青白い電話ボックスの灯り。 やっと見つけた公衆電話からお寺に電話すると、連絡が遅い!と怒られた。 本当に申し訳ない、悪いのは私達。 でもこれは不測の事態、お寺の方には、もう少し優しい慈悲深い言葉を期待していた。
ああ、もう晩御飯は出せないとは、あまりなお言葉! 丁度その時、どこからかチャルメラの響きが…
「Aちゃん、夜鳴きラーメン食べちゃおうよ!」
「ダメだよBちゃん、そんなの追いかけたら迷子になるよ!」
最もである、友が正しい。 冷静な友を持って良かった。
頭の中は温かいラーメンの妄想でいっぱいに…その温もりでなんとか走りぬくことが出来たのかもしれない。 あの時のチャルメラおじさん、顔も知らない貴方だけど、ありがとう。
やっとの思いでお寺のユースに辿り着くと、さっきの電話に出た人とは絶対に違う和尚さん?が優しく出迎えて下さった。 もう夕飯はキャンセルされてしまったのに、巨大な炊飯ジャーの中に入れてあった白と緑の大きな葬式饅頭?を一つずつ、
「ほうれ、これで良ければお食べ」
と、分けて下さった。
誰もいなくなった畳の上にビニール敷きの食堂で、抜けそうになった敷物の鋲留めを押し込みながら、ご飯粒がついたままのほかほかのお饅頭を戴いたご恩は、終生忘れない。
その後、シャワーの無いお風呂に生まれて初めて入った。シャンプーを洗い流すのに、順番に手桶でお湯を汲んで掛け合った。 私は親切心から、必死に途切れることなく友の頭にお湯をかけ続けたのだが、ふと気付くと友は必死に手を振って私を制している。
「息ができないよっ! もう、Bちゃんに殺されるところだった!」
友よ許し給え。 私はあの日、貴女を2度あの世へ送りかけました。
(続く)
人気blogランキングへ ←ポチッと応援、感謝感激
2005年11月25日
初めてのオフ会@
「初霜」(でんのうさん撮影) 東慶寺 山門(鎌倉とんぼさん撮影)
今日は、いつの間にか居心地が良くて常駐するようになったサイトのオフ会が
鎌倉の地で開催された。ネットを通じて何人かの友達が出来、実際に会ってお話する
ようにもなれたが、オフ会と言うものに参加するのは、これが初めての経験だった。
常日頃の書き込みからみて、いずれ劣らぬ博識と経験の持ち主がずらりとご臨席と
あって、前日から失礼の無いように、遅刻だけはすまいと極度の緊張状態に・・・(笑)
当日朝、予定の電車に乗れてホッとしたのも束の間、乗換駅に近づくにつれ鈍重な
走りに・・・そしてとうとう停止。結局10分弱の遅れとなり乗継は絶望的・・・ところが、
どういう訳か乗る予定の電車の発車も遅れており、滑り込みセーフ!
幸先良いのか悪いのか、結果オーライのまるで私の人生の縮図のよう?
待ち合わせ駅は、平日と言うのに休日かと見まごう如き賑わいで、臨時改札口まで
開いていた。紅葉のシーズンで日和も良かったこともあろうが、やはり中高年の
占める人口比率が大きいことを改めて実感。この年齢層が主流の世の中が確実に
始まっている。どうか円熟した人々による円熟した文化が花開いていくように・・・。
私も既に片足?入った身で、責任は大きい。
さて、待ち合わせ場所に到着。 皆さんは何処に・・・?
嗚呼、鎌倉の先生! ひときわ輝くオーラで勿体無くもお出迎え戴き身の縮む思い。
そしてもうひと方、長身の青年が辻説法の修行僧のようにすくっと姿勢良く、
そしてにこやかに立っておいでだった。
早起きは何とやら、朝組の私達二名は、鎌倉先生に美味しいお茶とお菓子を
ご馳走になった。 先ずは「初霜」と言う名も姿も実も美しいお菓子。
季節を耳目舌で味わった後、心を込めて点てて下さったお薄を戴き夢心地。
もうここで帰ったとしても良い位幸せなひと時だった。
幸福な余韻に浸りつつ、先ず案内して戴いたのは東慶寺。
あれ程賑わっていた人々も流石に分散し、ほどほどの加減になっていた。
葺き替えられたばかりの黄金色の山門に続く階段の両脇には、可憐な竜胆が
三々五々、清楚な青い壷のような花に木漏れ日を受けて静かに揺れていた。
箒の目を立てて掃き清められたお庭は、敷石を踏み外すのも憚られるよう。
鎌倉先生にお茶室に纏わる話を伺いながら歩んだ先は松ヶ岡宝蔵。
重要文化財の「初音蒔絵火取母(あこた形香炉)」「葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱」などを拝見。
優しい慈愛に満ちた面差しの仏様とも暫しお話することができた。
最後に「坐禅」という題だったか、悟りを開こうと坐禅を組んで居並ぶ面々が
全て魑魅魍魎妖怪鬼畜という絵巻物を拝見しつつ、本当に大変失礼なことながら、
本日これからお会いするであろう方々と自分の姿が重ねあわされて、一人笑いを
かみ殺していたことにご両人は気付かれたであろうか?
宝蔵を出て少し先の頭上には「十月桜」、そして右手の岩肌には「岩タバコ」の群落。
逆転した季節に咲く花、厳しい岩肌に住処を定めそこ以外では生きていけない植物。
植物も人間も不思議な天地の理の中に生きている。
その先は普通の人々があまり踏み込むことのない、しかし重要な遺蹟である墓所。
鎌倉先生とご一緒であればこそ、このような所もじっくりと見せて戴くことができた。
お昼近くになり、後発組のお二方と合流。またしても、ネットがなければ私など、
一生接点のある筈もなかったような大変な方々との対面に(小泉チルドレンの常套句
の引用ではないが)身の引き締まる思いでカチカチの私。そんな私を天にも届くような
朗らかな高らかなお声で迎え、また優しいお言葉をかけて下さり、ありがたさで胸が
いっぱいに・・・。 気難しい怖いお方だったらどうしようという思いも杞憂に終わり
俄然肩が軽くなった。
とんびがピーヒョロローと空に円を描いて高く飛び去った。 (つづく)