
拝殿は海を臨む為か谷に面しており、前が狭くて窮屈な写真でお許しを


狛犬さんは荒ぶる神の姿を髣髴させるようながっしり厳つい雰囲気です

立派なお神輿も倉が解放されており拝観することができました。
六角形というのが変わっていますね。 甕=亀なんて妄想がまた…
ご祭神: 武葉槌命(たけはづちのみこと)
以下『大甕倭文神宮縁起』より抜粋してまとめました。
天照大御神が天孫・瓊瓊岐尊(ににぎのみこと)を豊葦原中津国(とよあしはらなかつくに)に降臨させるに当り、鹿島・香取の二武神を遣わし、国津神・荒ぶる神々(元々その地を治めていた神々)を平定させようとしました。
武神の誉高き二神は国津神、荒ぶる神々をはじめ草木石類に至るまで平定しましたが、常陸国の悪神・天津甕星(またの名を天香々背男・あまのかがせお)は、大甕上に陣取り東国地方の陸地はおろか海上にまで一大勢力をもっており、さすがの鹿島・香取の神もこの勇猛なる大勢力の前に為す術がありませんでした。
その時この二武神に代り甕星・香々背男討伐の任を受けられたのが、当社の御祭神「武葉槌命・たけはづちのみこと」でありました。武葉槌命は、武神としては勿論、知恵の神としても優れておいでになり、(織物を始めとする組織的な産業を最初に起された神)知恵を駆使した巧な戦略の前に甕星・香々背男の一大勢力も遂に屈しました。
数ある伝説の一つでは、武葉槌命が大甕山にて甕星・香々背男の変じたる巨石を蹴ったところ割れて、
・海中に落ち「おんねさま」「神磯」と呼ばれる磯 大洗の神磯?
・石神 東海村石神 石神社
・石塚 常北町石塚 風隼神社
・石井 笠間市石井 石井神社
に飛んだと伝えられています。
(上記三社については、HP「神奈備にようこそ」の中のhttp://kamnavi.jp/en/higasi/oomika.htm の頁を参照致しました。)
また現在の大甕神社の神域を成しております「宿魂石」は、甕星・香々背男の荒魂を封じ込めた石であるとも伝えられています。
甕星・香々背男の勢力を打ち払われた武葉槌命は、此の大甕の地に留り命の優れた知恵の産物である製塩の術・織物の術をはじめ様々な生活の術を常陸地方は無論のこと、東日本の一帯に広められ人々の生活の向上に貫献されました。 武菓槌命は「おだて山」即ち美しい山と人々から敬愛の念を持って呼ばれる大甕山上に葬られていると伝えられております。
* * * *
このように縁起には「悪神」と記されている天津甕星・天香々背男ですが、これは平定する側からのとらえ方であり、地元では領民に慕われたよき神(治者)であったと伝わっています。 天孫族の傘下に入ることを最後まで拒み続けた地元の大きな武力をも持った治者であったのではないでしょうか。 勿論、平定後を治められた武葉槌命が偉大な神であられたことは間違いなく、どちらにしても豊かな土地で産業も栄え、平和な世を得られた領民は幸せだったことでしょう。
ただ、心の中では天津甕星・天香々背男への畏敬と敬慕の心が生き続けていたのではないかと、この境内に立ちひしひしと思われました。 ご祭神はあくまでも平定を遂げられた武葉槌命ですが、天津甕星・天香々背男を鎮め奉る気持が強く伝わって来るのです。
今回は山上の本殿まで詣でることが出来ませんでしたが、次回は必ず「宿魂石」を拝み、天津甕星・天香々背男ともっとお話がしたいと思います。

境内に奉納されていた船の錨です。 最初に目にしたときは、
「ああ、海の近くの神社らしい! 珍しいなぁ」
と感動しただけでしたが、後にふと心に浮かんで来た言葉にハッと
しました。
「錨=怒り を 治める」
この錨についての縁起等は探した範囲では見当たりませんでしたが、
やはり…そうなのでしょうか?
<追記 2008-01-21>
「久慈町の娘」さんより、コメントにてご教示戴けましたので、
倭文(×わぶん → ○しづ) に
訂正致します。 このような嬉しい交流があると本当に
ブログを書いていて良かった〜♪と思います。
久慈町の娘さん、ありがとうございました。 <( _ _ )>

