2016年08月08日

天皇陛下お気持ちの表明


平成二十八年八月八日

象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(全文)
  
 戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。

 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
 
 国民の理解を得られることを、切に願っています。

         *          *          *
  
 テレビの中からとはいえ、天皇陛下の真正面で一人お言葉を拝聴していて、これほどまでに陛下に愛して戴ける日本国民であることのありがたさに胸がいっぱいになりました。 

 そして事ある毎に日本国民の節度ある姿勢が称えられることの多いこの頃ですが、陛下や皇室の方々のわたくしたちへの祈り、思いに恥ずかしくない生き方をしようとの気持が、知らず知らずわたくしたち一人一人の心の奥底に芽生え息づいているのではないかと思い至りました。 国民の象徴として、生き方のお手本として、皇室の方々を仰げる幸せは、何とありがたいことなのでしょう。

 天皇陛下のお務めは、表に出ることでは、国事行為や式典へのご参加、各地のご訪問慰問、伝統行事の継承、専門のご研究などがありますが、何と言ってもその本来のお姿は、神様との仲立ちをされる日本第一の神官であられることと伺いました。

 「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」というお言葉の中に、人目及ばぬ宮中の奥で陛下が全身全霊をもって祈りを捧げていらっしゃるお姿が浮かびます。 お心の内を想像するなど畏れ多いことですが、近年の天変地異に苦しむ国民の姿に、ご自分の体力の衰えにより祈りの力が及ばなくなっているのではないかと苦しまれ、若い力の支えを強く希望されているように、わたくしには思えてなりません。

 一方、現実的見地からすれば、この時期にお気持ちを表明されたことは、4年後の東京五輪開催にご健康問題の影響が及ぶことをご心配されてのことがあるのかもしれません。 昭和天皇陛下御崩御の際、一切のお祝い事自粛の流れがあったことを考えれば、そのようなことは何としても避けねばならないとのお気持ちを抱かれるのは自然なことと思います。

 わたくしの想像などではなく、発表の日付まで末広がりの八揃いの日を選ばれ、日本国民の安寧を祈ってくださる、天皇陛下の本当のお気持ちに応えることのできますよう、関係各位のご努力を切にお願い申し上げます。

                      山桜 拝 
ラベル:皇室
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2016年08月07日

「そなえよつねに」

 「そなえよつねに」= "Be Prepared" は、ガール・スカウト(ボーイ・スカウト)のモットーです。
 
 小池百合子新東京都知事の座右の銘が「そなえよつねに」と伺い、中3までの少女時代にガールスカウトに所属されていたことを公には口にされなくとも、今もスカウト精神を心の中に抱き続けている証を見せて戴いたようで、嬉しくなりました。

 「女性活躍社会」などと打ち出されていても、女性が強く前に出てくると、それだけで拒否反応を見せる殿方がまだまだ多くいらっしゃいます。 そんな世の中を「政界渡り鳥」と揶揄されながらも、しなやかに風を読み良い風に乗って渡りながら力を蓄え、発揮できる時を待っていらしたのだと思います。

 ガールスカウトの約束の中にある、「人に役立つことを心がけ」の言葉も必ず小池さんの心の中に息づいていることと信じています。

 「ひとたび掟誓いしスカウトは、永久にスカウト」なのですから。

 *           *            *

 都知事選の期日前投票を済ませて、長年身の内に抱いて育てて来た正に「懐石?」を摘まみ出して戴く為、暫し籠の鳥になっており、出遅れた話題となりました。 8月は野外は殆どお休みを戴き、久しぶりにゆっくり過ごす予定です。 ブログも更新が追い付くかなぁ・・・ 
posted by 山桜 at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月01日

熊本物産購入で支援

東京で熊本産の物を購入できるお店があります。

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銀座・熊本館」 

熊本に関する情報も満載ですので、是非、サイトをご覧の上、近在の方はお出掛けになってみてください。

現在は殆どが在庫切れのようですが、通販部もあります。 入荷の折にはどうぞよろしくお願い致します。

募金するのも一手ですが、買うことで地元の産業を支えるという支援方法もあると思います。

posted by 山桜 at 22:59| Comment(6) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月22日

建国記念日に寄せた校長先生のブログ

 愛知県一宮市の市立中学の校長先生が建国記念日の由来について中学生に語りかけるように書いたブログにクレームが入り、教育委員会の指摘を受けて削除されてしまいました。 その全文が産経新聞に掲載されていました。 下の産経新聞のリンク先記事からこちらに引用いたしました。 是非、私のコメントなどの先入観なしに一度読んで戴きたいと思います。

 そもそも、建国記念日にその由来を教えない国が世界中のどこにあるでしょうか? 多感な中学生という年頃に、このような素晴らしい校長先生の教えを受けられる子等は幸せです。 

 
 ≪愛知・一宮市立中学校長のブログ全文≫

 2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。

 仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。

 税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。
三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

 「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

 そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

 皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」

 すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。

 この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。

こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

 「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

 それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。

 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。

古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

 私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)

posted by 山桜 at 00:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月08日

2020東京五輪決定!万歳!!

”TOKYO 2020!!”
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 遅くに帰宅してからも全然眠れず、ドキドキドキドキ…し続けながら待ち続け、とうとうその瞬間(5:20)の感激を味わうことが出来ました!

 やった〜〜! バンザ〜イ!!\(^o^)/
 (T0T) な、涙が・・・


 高円宮久子妃殿下の美しい微笑みを湛えたフランス語と英語のメッセージから始まった東京のプレゼンテーションは、委員の皆さんの熱い思いが伝わって来て、手に汗・目に涙で心震わせながら一緒に舞台に立っているような気持でおりました。 日本中で同じような気持ちで見守っていらした皆さんと喜びを共有できて、本当に嬉しいです!
 
 一生懸命に力を尽くして、大きな夢を実現した人の涙は美しい!  私も例え小さな夢でも、一生懸命に取り組んで、いつの日かあのような嬉し涙を流してみたいです。

 マドリードもイスタンブールもかつて訪れた魅力あふれる都市です。 でも、東京は、世界でただ一つの私の生まれ故郷! 自分のふるさとでオリンピックが開かれる…なんという幸せでしょう! ああ、空も明るくなって来ました。 お日様、ありがとうございます! 東京にオリンピックが参ります!

 色々なご意見もあるでしょうが、これで日本がもっともっと元気になることは間違いありません。 気持って大事ですよね。 気持を一つにして、この夢を実現できたことが何よりの証拠です。 原発のことも世界に向けて安倍首相が約束したのですから、東電まかせでなく、国を挙げて解決に全力を注ぐでしょう。 この危機を克服すれば、世界中で原発を抱えている国々にとっても大きな支えになり、日本への信頼も大きく増すでしょう。 廃炉へ向けての技術開発でも先頭を切って進みつつ、それまでの万全の安全稼働と代替エネルギー開発もたゆみなく進めて欲しいです。

世界に誇れる、身も心も「美しい国、日本」である為に、教育が何より大切です。 大人が襟を正し、毅然として手本を示せる存在であり続けたいと思います。 ああ、もう、眠れそうにありません。 今日も一日元気にガンバリま〜するんるん
posted by 山桜 at 05:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月06日

暴走〇〇?

 (久し振りの雨が乾いた心に沁み、書けずに縮みこんでいた心を覚ましてくれました。)

 シャドーキャビネットなどと気取っていても到底政権運営能力のあろう筈ないあの未成熟な民主党が政権をとってしまった時、呆気にとられての脱力とともに一瞬、青島氏が都知事になってしまった悪夢を思い浮かべました。 あの時一番ビックリしたのは当のご本人だったのではないでしょうか。 イジワルばあさんがちょっくら引っ掻き回してやろうと思っていたら、本当に知事をやらねばならなくなってしまい、洒落にならない事態でした。 民主党もマサカの事態にさぞや慌てたことでしょう。 

 どんな時でも優れたバランス感覚は失わない日本国民が、あのように一気に極端に振れてしまうとはどうしたことか。 一斉にシーソーに乗ってバランスがとれるように自分なりに塩梅し左右を選択した積りが、まさかの一方への怒涛の偏りになってしまい…自民党政治に愛想が尽き政権交代までは願わないもののきついお灸をすえる積りだったのが、そう思う人々があまりにも多すぎて政権をひっくり返してしまったということだったのでしょうか。

 そんなマサカのアンバランスで気持ちの悪い日々がこんなにも長く続き、日本の国力がジリジリと低下していく様子には我慢も限界です。 いつまでこんな状態を許しておくのか、野党も国民もだらしがない!

 やむにやまれぬ大和心で奮起された石原前都知事に拍手です。 若い人にその覇気が無いのは情けないけれど、手本を見せる大人が少ない現在、石原氏のように行動を起こし、その背を見せ何とか育てていかねばなりません。 氏は、当初は歓迎されてないように見えた都の職員にも、最後は涙を流すほどに惜しまれていました。 氏の元での仕事は、大変だったかもしれませんし全てが成功した訳でもありませんが、やりがいがあり面白かったのに違いありません。 氏は都知事になられた時から「東京から日本を変える」ことに取り組んで来られ、その為にこそ今回、次の段階に上がられたのだと私は思っています。  決して「途中で投げ出した」のではないのは明らかです。

 何かをなして行く時、あわや暴走に見えるほどに大きな力で牽引する機関車は必要です。 一部のみを取り上げて報道されると乱暴に思えるような氏の言葉も、全体の流れからすれば決して筋の通らないことではなく、世論を喚起する一種の起爆剤として敢えて用いている部分もあると思います。 (誰かにとって不都合な人物を、悪意を持って作為的に貶めるあの報道手法に惑わされてはいけません。 一体あれは誰にとって得なのかを、一旦踏み止まって考えてみることが必要です。)

 さて、野田総理、名を挙げるのも不愉快なあの人やかの人よりはマシですし、友達になれそうな好人物かとも思いますが、よりによってあの人物を文部科学大臣に任命するとは、一国の総理としての末期症状極まれりです。 彼女がどうせ短いだろう任期を睨んで己の足跡を残すべく、何かしでかすのではと嫌な予感がしていましたが、やっぱりやられました。

 少子化社会でむやみに大学を増やすべきではない。 不法就学生の受け皿にしてはならない。 その大意には賛成ですが、何故今この進路決定の大切な時期に、多くの真面目な若者の夢を砕き、何年もかけて指導し指導を受け開設に向けて取り組んでこられた人々の努力を踏み潰さねばならないのでしょう。 時代の流れの中で自然淘汰の閉学もあれば、本当に今必要な開学もあるでしょう。 今回の新設申請大学を認可できない理由があるのなら、それらを直ちに明らかにすべきです。 まさか「何が何でも増設はダメ」という単純な門前払いではありますまい。 だとしたら訳の分からない暴走をしてるのは、ご当人に他ならないではありませんか。
 <<追記:なんとまぁ、先程これを書いている間に、不認可を取り下げたとか。 事務方の伝達ミスの所為にして…?>>

<<しかも
 「3校のどこが悪いなんて具体的に知りませんし、
  悪いとも思っておりません」
 と、お答えいただきまして、全く恐れ入りました。>>

 父君は「人間ブルドーザー」などと評され、時に横暴なほどの強烈な力を揮いながら、どこか憎めない愛される個性もお持ちでした。 残念ながら彼女にはその遺伝子は影をひそめ、行動・言語からは精神的な病をお持ちなのではと心配にさえなります。 どこもお悪くないのだとしたら、先ず夫君の教育からやり直され、そのご手腕を証明していただきたいものです。 

 「日本国の理想像」を明確に持たず語れず築けずの政治家に用はありません。

 同じく私たち一人一人も「我が国のあるべき姿」を思い描き、そこに向けて出来る務めを果たしていかねばなりません。 世界的に見れば、まだまだ日本は安定した国に違いはないのでしょうが、崩れ始めた足元は直ぐに手を打たねば手遅れになります。 最早、誰かが何とかしてくれるのを待っている時ではないのです。

(長々書いたわたくしの思いのたけを、大切な時間を割いて最後まで読んでくださりありがとうございました。)
ラベル:政治 教育
posted by 山桜 at 19:37| Comment(7) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月17日

ご神体に畏れを知らぬ登攀者

 折しも日本列島に大災害が渦巻き、何とか荒ぶる神々にお鎮まり戴こうと人々が真心を込めて祈りを捧げている最中、那智熊野大社のご神体である一の滝にカムを打ち土足で攀じ登って穢す者が現れた。 何と愚かしい所業であることか。

 ご神体を穢したのは、登山界のアカデミー賞とも評される「ピオレ・ドール(金のピッケル)賞」を日本人で初めて受賞した世界的クライマーの一人という。 それ程の人物が、大自然に対して己が力で挑戦してきた経験の中で、人智を超えた大自然の力への畏敬の心を育めなかったのだろうか? ご神域に近づく時、その畏れ多さに身が引き締まり、自然と頭を垂れ崇敬の心が湧き上がるような感覚を、持つことは出来なかったのだろうか?  人々が長い長い年月大切に守ってきた禁足を破ることに心の痛みを覚えなかったのだろうか?  彼には誰にも分かりやすいような天罰が下ることはないかもしれないが、神が彼を選んで与えた試練に立ち向かっていかねばならぬことだろう。

 神の力は人々の心映えによって良きにも悪しきにも傾くと私は思う。 人々の心が穢れ荒み、その澱みが溜まりに溜まればいつしか和魂を荒魂が凌駕する。 それは氏子の方々の日々の精進だけでは抑えきれぬ図りきれない大きなうねりとなり、自然の理によって力の噴出しやすい地域を襲う。 我々一人一人の穢れの積み重ねが遠き地の見ず知らずの多くの人々の命を奪うことになるやもしれぬのだ。 私たちの祖先は、生きている限り穢れは身に纏わりつき積もるものと知っていたが故に、祓い給え清め給えと祈り、心して清浄でありたいと努めてきたのだ。 現代、多くの日本人は、そのことを教えられず知らず過ごし、罪穢れを溜め込みすぎた。 今一度、清く正しく神に恥じない生き方というものを思い出したい。

 不慮の事故や災害により、この世の命が或る日突然の終焉を迎えてしまった方には、次の世での大切なお役目が近いのだと信じたい。 紙一重で生きながらえた方には、まだこの世で果たすべき役目があるのだろう。 どちらが幸せで不幸せかは分からない。 己次第でどちらにもなる可能性がある。 それぞれの世で生かされた命を精一杯生ききるだけだ
posted by 山桜 at 17:17| Comment(10) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月06日

豪雨台風12号


 清里行の途中ながら、刻々と入るノロノロ豪雨台風12号による多大な被害状況…気持ちが旅記録の更新に向かいません。 年初にこの兎年は余りよくない事が生じるとは聞いていたけれど、これ程までに前代未聞の事態が続くとは、想像を遥かに越えていました。

 那智勝浦も新宮も3月に訪れる予定で宿やバスの予約もしていた所です。 熊野の那智大社にも土砂が流入。 程なく訪ねたいと思っていましたが暫くは叶わないかもしれません。 奈良の長谷寺や吉野の金峯山寺も被災。 懐かしい訪問地やネット友の縁の地の名をこうしたニュースで聞くのは辛いものです。 まだまだ被害状況さえ伝わって来ていない被災地もあるかもしれません。 どうかこれ以上の被害が広がりませんように…。

 結納の日に亡くなった娘さんとそのお母さん、二人を失いながら災害対策の陣頭指揮をとる父であり夫である町長さん、土砂にのまれる寸前に窓から息子を逃したお母さん…ほんの数日前まで、まさか我が身にそんなことが降りかかろうとは思いもしなかったことでしょうに。 

 この台風の中、北海道を旅してるケロは、今日もなんとか無事宿に着いたと連絡がありました。 何もかも順調な旅よりも、色々な困難に遭ってその都度判断しながら必要に応じて予定変更等もし、何とか乗り越えた旅の方が後々の糧となるもの。 思えば私もあちこち放浪しては、随分親に心配かけたもので、因果応報かな。 自分の育てた子を信じて待つより他ないですね。 
ラベル:台風
posted by 山桜 at 17:03| Comment(16) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月29日

民主党新代表に野田氏

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 自分に投票権があるのなら、強いてこの五名の中から選ぶのなら野田氏か…。 短い期間だが、報道を見聞きした範囲でそう感じ、家族にも話してきた。 敢えて国民の痛みを伴う増税を口にし、面子に拘らず大連立も構想に入れてきた野田氏を選出できるなら、民主党員の復興へ向ける本気度も見直せる。 そうも思ったが、まさか本当に小鳩推薦の傀儡・海江田氏を破り選ばれてしまうとは驚いた。 まぁ、次の選挙に向けて、「反小沢」の看板を掲げていたほうが有利、との判断も含まれているのかもしれない。

 何にせよ、新代表が海江田氏や前原氏でなくて、本当にホッとした。 目は泳ぎ口先ばかりの上滑りな演説を聴いた方々は、とても今の日本の危機を任せるには頼りないと感じたであろう。 それにしても前原氏は、常にホープと目されながら余程人望が無いらしい。 違法献金問題も内部リーク? 偽メール事件といい、必ず足を引っ張る輩が付いて回る。 

 反して野田氏は親分肌で若手からの人望も厚く、自分の考えを説得力を持って伝える力は持っている。 どっしりと落ち着いた物腰、決してハンサムとは言い難いが、まぁまぁ福顔ではある。 表面上にこやかに笑っていてもどこか謎めいて、腹に一物隠し持っていそうな所がいい。 政治家は薄っぺらに見えてはそれだけで負けだ。 前々から、STAR WARSに出てくるジャバ・ザ・ハットに似ていて妙に印象に残っていた。 一度見たら忘れられない顔というのも大事なものだ。 何でも言いなりになりそうな弱腰より、偶にはこんな風体の日本代表もいい。

 野田さん、頼みますよ! 敢えて、この困難に立ち上がった貴方は、大した志も無く貧乏神が貧乏くじを引いて成ってしまった前任者とは違うのだから。

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      (う〜ん、「素志貫徹」はいいけれど、字はちょっと…。)

 写真選択を間違った…? あんまり応援記事になってない? ジャバの顔を見た後に野田氏を見れば、案外男前に見えません?
ラベル:政治
posted by 山桜 at 15:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

志津川「かね久海産」さん復活!

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あの南三陸町志津川の「かね久海産」さんより、無事見事な海産物が届きました!
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 先日のブログ記事「志津川わかめ」http://yamasakuran.seesaa.net/article/196599614.htmlを読んでくださった方(チャンさん)より、「かね久海産さんは倉庫が無事だったので、注文も出来ますよ」との嬉しいお知らせを戴きました。 飛び上がらんばかりに嬉しかったのは勿論なのですが、本当のことを言えば、被災地詐欺のニュースも聞こえてくるこの頃、心中一抹の不安もありました。 その危惧を察してくださったのか、チャンさんは、無事に「かね久海産」さんから海産物が届いた様子の載ったお友達のブログ【Kashimasi Global】「南三陸産の海苔、わかめが届いた」http://kashimashiglobal.blogspot.com/2011/05/blog-post_04.htmlも紹介してくださったので、もう迷わず注文の電話をすることが出来たのです。

 電話口に出てくださったのは奥様でしょうか…。 やはりお声は少しお疲れのご様子でしたけれど、私が、
 「ずっと生協で注文し、志津川わかめのファンでした。」 
  ブログにも「かね久」さんのことを書いて、応援しています!」
と申し上げると、
 「まぁ〜そうですかぁ!」
と喜んでくださりホッと致しました。

 思い切ってブログに書いて本当に良かったです。 思いがけず「かね久」さんのファンの方々がコメントを寄せてくださいましたし、コメントまでは残していかれずとも、当該記事へのアクセス数の多さにも驚きました。 改めてネット交流の力の素晴らしさを感じた出来事となりました。

 「遠〜く沖縄や広島からね、注文もあったんですよ〜」
奥様は嬉しそうにそう仰ってました。 このように必要な品物を買うことで私でも直接、再建への支援が出来るのが嬉しいです。 若し皆様の中でご希望の方があれば、お電話またはFAXでご注文できますので、お知らせしておきます。 在庫の品がなくなれば、外国からの輸入品も考えておいでとのことでした。 元のように漁に出て加工も出来るようになるまでは、三陸の幸が戴けるのもあと僅かかもしれません。 参考の為、私が注文した品物と価格も書いておきますね。


 (有)かね久(きゅう)海産 
   〒986-0743 宮城県本吉郡南三陸町志津川字沼田150-74
   0226−46−3339(電話・FAX)

  三陸産 湯通し塩蔵わかめ 250g 単価¥600(税抜)
  三陸産 湯通し塩蔵こんぶ 500g    ¥600
  すき昆布(2枚入)               ¥380
  寿司用・焼き海苔              ¥350 
  送料(宮城⇒東京)             ¥650 

ラベル:東日本大震災
posted by 山桜 at 19:18| Comment(8) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月28日

あれから四十九日

 あれから七日が七回めぐり、4月28日で四十九日となりました。 
 あの瞬間から凍り付いてしまったかのような時の流れも人の心も、一斉に吹き出した春の息吹につられ、ようやくほっとほぐれ出した気がします。 こちらでは染井吉野も山桜も葉桜となり、柔らかな若芽の緑もうっそうと茂り木漏れ日の美しい頃、八重桜が盛りとなりました。

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                上も下も同じ桜「楊貴妃」の昼と夜


 無数の花びらが集まり寄り添って、空の上から優しく微笑み揺れていました。 まるで地上の私たちを見守り励まして下さっているようです。 元キャンディーズのスーちゃん(女優・田中好子さん)も天の国の人になって、一足先に逝かれた皆さんと明るく笑いながらお喋りしているでしょうか。 私もそちらへ呼んでいただける日まで、今少し、この世に生まれてきた務めを果たせるように励みますね、と「微笑み返し」^^ 

 4月28日は義父の祥月命日。 秋田では遅い春を待ちかねた百花が一斉に咲きこぼれ、野山の草木も一斉に芽吹きます。 ミズやアイコ、蕨っこは生えたきたべが? 熊の親子に気ぃつけで山菜採りさ行ぎでなぁ… 
ラベル:東日本大震災
posted by 山桜 at 23:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

志津川「わかめ」

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      今は「三陸産わかめ」となっていますが、
      かつてはその名もズバリ「志津川わかめ」でした。
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      (有)かね久海産
      http://www17.ocn.ne.jp/~kane9/kane2.htm

  南三陸町の「志津川」は、実家でも結婚してからも長年欠かさずにお世話になっている我が家愛用の「わかめ」の産地です。 あの大地震があった日も冷蔵庫に3袋のストックがありました。 津波が恐ろしい勢いで町を嘗め尽くしていく映像が流れる中、「わかめ」の袋を手に取り製造会社の名前を確認しながら、『ああ、このワカメを海から上げてくださった方々、製品にして来てくださった方々もあの中に…?』と、胸がつぶれる思いでした。

 今朝、最後の1袋の封を切りました。 もう暫くは、いや、若しかしたら同じ所の製品は二度と頂くことはできないかもしれない…と思うと、勿体無くてなかなか開けることが出来ないでいたのですが、きっときっとの復活を祈り、朝のお味噌汁の為に思い切って開封したのでした。

 するとどうでしょう! つい先程のニュースで、どこの会社かは分からなかったのですが、志津川のワカメ製造工場が映り、ワカメを茹でる機械が無事なことが確認でき「希望の光が見えました」と仰って…自家発電機でポンプを動かし水を引いて機械の洗浄を始めたというではありませんか。 その上、高台の倉庫に貯蔵してあり無事だったワカメを地元のお祭りに並べることができたのだそうです。 売り手も買い手も何とも感慨深げでいらっしゃいました。

 海のワカメも製造工場も元通りに成るまでどれ程かかるか分かりませんが、ふたたび我が家に「志津川わかめ」が届く日は、そんなに遠くないかもしれません。 祈りが通じたようで嬉しくて夢中で一気に書いています。 

 南三陸・志津川のみなさん、長いこと大変お世話になっております。 我が家の家族の身体の何パーセントかは、志津川の産物できています。 欠かすことの出来ない大切な海からの贈り物を守り続けてくださり本当にありがとうございます。 みなさまの復活をずっとずっと応援し支援し続けます! お体たいせつに、一歩一歩立ち上がっていかれますこと、心より祈っております。
posted by 山桜 at 15:55| Comment(20) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月15日

♪♪見上げてごらん♪♪

 大震災の後、色々と取り沙汰されたCMもありましたけれど、最近流れているSUNTORYの沢山の人が次々と歌い継ぐCM、歌の上手い人もそれなりの人も、本当に心を込めて歌ってるのが伝わってきて胸に沁みます。 いくつものパターンがあって、それぞれ同じ歌い手でも使われているパートが違っているので、思わず引き込まれ耳を傾けてしまいます。 同じパターンばかり繰り返されると段々と耳障りになってくることも、やはり勘案されたのでしょうね。

 流れているのは「見上げてごらん夜の星を」「上を向いて歩こう」の2曲で、どちらも坂本九さんのヒット曲…。 あの飛行機事故で突然この世を去ってしまった九ちゃんが、空の上から再び私たちを励ましてくれているようにも思えてきます(涙;;)。 

 「気仙沼ちゃん」といい「九ちゃん」といい、お若い方々には「???」ですね。 お二人とも、日本がまだまだを上を目指し「坂の上の雲」を追いかけていた頃の、笑顔が魅力のアイドルでした。 東日本大震災から復興を遂げて振り返った時、また懐かしく思い出す歌が、これから生まれるかもしれませんね。

 下のリンク先はSUNTORYの公式HPのCM動画ページです。

「見上げてごらん夜の星を A」篇
 http://www.suntory.co.jp/enjoy/movie/d_s/880953903001.html

このページから、下の多数のパターンや出演者のリストを見ることが出来ます。

「見上げてごらん夜の星を A〜D」篇 (各60秒・30秒バージョン)
「見上げてごらん夜の星を E〜K」篇 (各30秒バージョン)

「上を向いて歩こう A〜D」篇    (各60秒・30秒バージョン)
「上を向いて歩こう E〜J」篇    (各30秒バージョン)

 ちなみにブログでSUNTORYのCMを取り上げることが多いですが、別に関係者ではなく、ただのCMファンです。(家人は「ザ・プレミアム・モルツ」のファンですけれど^^) 美味しいビールと素敵なCMをありがとう、サントリーさん! ところでサントリーの社名と大神神社の三つ鳥居が関係あるというのは本当なのですか? だとしたら、何だかいろいろ納得なのですが…。
ラベル:東日本大震災
posted by 山桜 at 20:48| Comment(16) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

気仙沼ちゃんが笑ってた

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 地震速報を見ようと点けたテレビの中に、懐かしい笑顔をみつけました。 あの「気仙沼(けせんぬま)ちゃん」です! 56歳となられたそうですが、変わらぬ人懐っこい笑顔につられて、こちらも思わず笑顔です。 お住まいの気仙沼・大島の民宿も津波で浸水したというのに、その厨房で食事を作って避難所に運び、そこで暮らす皆さんと、電灯は(自家発電で)暗くとも明るい食卓を囲んでいらっしゃいました。(この日、やっと電気が通ったので、明るすぎる食卓になったそうな・笑)

「30年後に笑えるんだったらさ、
          いますぐ笑ったほうがいいよ!」

 
 ニコニコ笑顔で放たれた言葉を貰い、目の前がぱっと明るくなりました。 やはりあの欽ちゃんに見出されて人気者になり、日本中を笑いの渦に巻き込んだ人って、すごいなぁ…

 さすがに御本人が日々実践されている言葉には力がありますねわーい(嬉しい顔)


<追記>
 後から読み返してみたら、ちょっと真意が分かり難い言葉だったかもしれませんね。 気仙沼ちゃんのキャラクターがそもそもちょっと不思議さんでしたしね^^; 私も途中から見たので、気仙沼ちゃんがこの言葉を発せられた背景は分からないのですが、パッと聞いた時に私が想像したのは、どなたか他の方が、

「完全に元通りに復興して
 (何も無かったように)笑って暮らせるには30年はかかるかな…」

というような意味のことを口にされたことに対して、そう仰ったのかな? ということでした。 もし、どなたか本当の理由と、私のうろ覚えではない、気仙沼ちゃんの本当の言葉がお分かりでしたら教えてくださると嬉しいです


posted by 山桜 at 22:26| Comment(6) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月26日

皇居・御所で自主停電

 天皇、皇后両陛下、皇太子殿下ご一家は、東日本大地震の被災地に思いを馳せられ、

 「国民と困難を分かち合いたい」

 「寒いのは(服を)着れば大丈夫」


とおっしゃられ、第1グループに分類された地域の停電時間帯に合わせ、15日以降一日も欠かさず、一回約2時間に渡り自主停電を続けられているという。 明かりや暖房といった電気の使用を一切控え、時にはろうそくや懐中電灯を使用されながら過ごされ、暗い中で夕食をとられたこともあったとか…。 計画に合わせ一日2度の停電をされたことも複数回あったという。


 
 ああ、陛下、私も本当にそうすべきでした。 
 なぜ、そこに気付けなかったのでしょう!

 それどころか私ときたら、

 「計画停電があると思って準備していたのに…」
 「折角協力しようと思っているのに…」
 「やると言ったのなら、やればいいのに…」

 何度も計画停電が中止となると拍子抜けになって、回避されて何よりのことだというのに、ついそんな文句を呟くことさえありました。 出来ることはするなどと言いながら、節電はしつつもきっちり徹底しての停電まではしていませんでした。

 明日からは出来るだけ、陛下や殿下と同じように自主停電に努めます。 私にも、今もっと出来ることを教えてくださり、ありがとうございます。

 両陛下、寒さ厳しき折、どうかお体お労り下さいますように…。

 
ラベル:東日本大震災
posted by 山桜 at 00:49| Comment(5) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月23日

お子さんに目を手を心を

 繰り返されるACのCMではありませんが、今、どうか大人が身近なお子さん方に目を配り、手を当て、心を寄せて下さるよう願ってやみません。

 止まらない余震とその警報音、流される大震災関連の報道、長いこと生きてきた大人の筈の私でさえ、冷静であろうとする気持ちとは裏腹に、もたらされる情報の正しい読み取り、先読み、とるべき行動等を考え、ずっと心臓が高鳴ったままのような落ち着かない状態が続いています。
 
 そんな私の強張った顔を見ると、もう大きな娘であるケロロンでさえ、笑わせようとしておどけたりからかったりして来ます。 彼女持ち前のクールさで何でもない風にしていますけれど、不安な気持ちの裏返しではないかと思います。 ましてや未だ小さなお子さん達の心の不安さはいかばかりでしょう。

 娘をそんな気持ちにさせている不甲斐ない私。 言う資格も無いのですが、反省を込めて…。

 何が起きているのか分からない程小さなお子さんでも、身近な大人の気持ちは伝わります。

「こわいよ」
「さびしいよ」
「こっちを向いてよ」

そう言えないで、黙って我慢しているお子さんが身近にいませんか?

 今、貴方はこわい顔をしてずっとテレビや携帯やパソコンの画面を見てはいませんか? もしそうなら、一度ゆったりと深呼吸し気持ちを整え、笑顔を思い出し、お子さんを抱き寄せ目を見て、

「大丈夫よ」
「大好きよ」
「ここにいるからね」

と暖かい体温と共に伝えて下さい。

 お仕事でそばにいられない時は、電話でも録音でもメモでも、字の読めない子には絵でで写真ででも、いつも心を寄せていることをお伝え下さい。 どうか柔らかな心が守られますように…。 
ラベル:東日本大震災
posted by 山桜 at 21:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月22日

轟音響かせて

 轟音を響かせて、黒い機体が何機も何機も北を指して飛んで行く。

 毎年の訓練キャンプでお世話になっている陸上自衛隊の方々も、あの大きな救援ヘリに乗って何度も被災地へと往復しているに違いない。 操縦席に少女を抱き上げた快活な青年の瞳に今映っているのは、闇に静まる被災地の中の命の灯火だろうか。 

 有事に備え訓練を重ね鍛え上げた心身に、危険を顧みず強い使命感を帯びて向かい行く彼等に、心からの敬意と感謝とありったけの応援を送る。 余震未だ途切れず、放射能の危険去らず。 君死にたまふことなかれ。 無事の任務遂行を祈る。

 遠ざかる機体を見送りつ、私は私の持ち場を守ろう。
  
ラベル:東日本大震災
posted by 山桜 at 22:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月17日

日本の大部分は元気なんだ!

 大震災後、昨日初めて買い物に出ました。 まだ備蓄品で何とか生活できる範囲ですが、町の様子も見ておきたかったので…。 報道などを見て、正直、スーパーの棚など空っぽだろうと覚悟していましたが、山ほどとはいかないまでも程ほどに商品が並んでいるではありませんか。

 しかし、産地を見ると、「熊本産 あさり」「福岡産 鯵」など、普段はあまり見かけない地名が並んでいます。 そう、日本の大部分は普段と変わらず元気に活動していて、こちらに向けて物資を融通してくれているのですよね。

 身体の一部の機能がピンチになれば、ごく自然に正常な部分が補っていくように、日本列島という一つの生命体が、被災地に向けて脈々と支援の気持ちも物資も送ってくれていることをヒシヒシと感じました。 ありがとうございます! 西の方で元気に活動してくれている方々に感謝です。 

 不要不急な品を買い占めることなく、出来るだけの節約をして、自分達の元気も失うことなく、不死鳥の如く蘇る再生を信じて前に進みます。

 震災後、「三陸産 塩鮭」「志津川産 わかめ」の朝食を戴きました。
この鮭を、わかめを海から揚げ、塩漬けし出荷して下さった方々は今、どうしてらっしゃるのでしょう…。 こみ上げる気持ちの中で、被災地の方々から、沢山の恩恵を受けていたことを感謝しながら、祈りを捧げて戴きました。 少しでも恩返しが出来ますよう、御地の産物で英気を養わせて戴きました。 

 血管の詰まりがとれて、物資は向かっています。 あと少し、待っていて下さいね!

 昨日は「福島産 春菊」も買ってきました。 今の時期、ビニールハウスの中の栽培ですし、出荷できている品には何の心配もありません。 購入することが産地への支援になります。 若し、また見かけることがあったら、私は迷わず購入します。

 使用電気のことも考え、取り急ぎ伝えたい気持ちを書きました。 言葉の及ばない点など、どうかお許しください。 
posted by 山桜 at 10:13| Comment(12) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月14日

東京電力・計画停電

東日本大震災の影響を受け、東京電力では本日より計画(輪番)停電を実施しています。

昨晩遅くになってからの報道の上、情報が混乱しており確認が取れたのは11時過ぎでした。 今朝6:20〜停電のグループの方々が、全く知らずに早く就寝されて朝起きたら停電だったらどうするのだろう…と危惧しておりましたが、JR私鉄各社が踏切の電力系統確認が出来ず運行を控えた為(電車運行の為の電力と運休により休みになった会社の電力が抑えられた為)、夕方の第5グループまでの停電は回避されました。 明日以降はどうなるか分かりませんが、ご自分の地域がどのグループに属し、どの時間帯に停電の可能性があるか把握しておかれることが大切です。 未確認の方の為に東京電力のHPのurlを下に掲げておきます。 

クリックして表示された頁に、グループの該当時間帯が載っています。
先ず、それを確認してから該当地域の頁に飛んでください。
同じ区市内でも町によって、グループが異なる場合も多いので、よくご注意下さい。

明日15日のグループ毎の時間帯は、本日14日とは異なります。念の為、コピーして掲げておきます。

【15日の輪番】
 第3グループ 6:20〜10:00 
 第4グループ 9:20〜13:00 
 第5グループ 12:20〜16:00 
 第1グループ 15:20〜19:00
 第2グループ 18:20〜22:00
 
東京電力HP → http://www.tepco.co.jp/index-j.html

また、今日の報道を見ておりますと、

「グループ内の幾つかの地域で、該当時間帯の範囲の中で停電の可能性がある」ということのようですので、この時間帯いっぱい全該当地域が停電するということではないようです。

また、報道でも繰り返されておりますように、停電に伴い断水する地域も生じる可能性がありますので、お風呂や容器などへの水の備蓄をお忘れなく。 力を合わせてこの危機を乗り越えましょう。
ラベル:東日本大震災
posted by 山桜 at 22:39| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月11日

大揺れ地震!

とりあえず、現在、お蔭さまで無事でおります。
家族とも連絡がとれました。 電車が終日運行停止と決まったので
帰宅は叶いませんが、それぞれ宿泊場所は確保できたようです。 
主人の母とは電話で一度話せましたが、その後は繋がりません。
171伝言ダイヤルを残しました。 伝言再生ができるかどうか…
実家は、旅行中の父以外は無事を確認できました。

   緊急用ダイヤルで伝言を残す 171+1+電話番号
   緊急用ダイヤルで伝言を再生 171+2+電話番号


地震は庭にいる時に発生しました。
暑いほどの日差しが眩しい晴天から、一転、かき曇り気温が下がり、
雷でも来るのでは…と怪しんでいると、聞いた事の無い唸るような不気味な音、
キ〜ンと耳鳴りが押し寄せました。
続いてガレージの屋根がミシミシと軋む音、風が出てきたのかと思う間に、
足元が波打つように揺らぎ、吊り鉢が大きく揺れ始め、
「地震!!」
と気付きました。

道の真ん中へ立ち、家が揺れ、電線がバサバサとぶつかり合う様子を
見守る間の不安感は例えようもありません。
嵐の海の船のように、大きな横揺れが長く繰り返し押し寄せました。 
どうか家が崩れたりしませんようにと祈るばかりでした。

丁度、宅配便の集荷をお願いし梱包をしていた時でしたので、
宅配便の運転手さんが来てくれ、話が出来、少し救われました。
ご近所はみなさん不在の様子で、この一角に一人きりで周りの家々の
揺れをも見守っていましたので… 

いざ宅配便の宛名を書こうとして、手が小刻みに震えていることに
気付きました。 冷静になろうとしていても、体の反応は別物でした。

未だに余震が続いていて、船酔い状態も動悸も耳鳴りもおさまりませんが、
家の中では本が棚から落下したり、立て掛けてあった額が倒れたり
したものの、食器などの破損も無く、被害は殆どありません。

福島・宮城・茨城などの被害の大きさを知り、どれだけ恐ろしいことかと…
実際に自分が経験してみて初めて、大きな地震の恐ろしさが成すすべの無さが
身に染みました。 被害に遭われた方々の一刻も早い救済を祈っています。

それでは、次に備えて、すべきことを考えます。

お心配り下さった皆様、ありがとうございました。 
携帯など未だ繋がり難いようですが、山桜は無事です。
ラベル:東日本大震災
posted by 山桜 at 18:26| Comment(19) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする