2014年12月22日

朔旦冬至

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平成26年(2014年)12月22日はほぼ19年に一度のおめでたい日とされる「朔旦冬至」。  旧暦の11月1日と冬至が一致する日です。

「冬至」: 太陽の南中高度が最も低く、昼が最も短い日(北半球)

 「朔」: 一日(ついたち) 漢字は月が元に戻るの意

 「旦」: 朝、夜明け   漢字は朝日が昇る象形

 旧暦では冬至が暦の起点(冬至の日を含む新月〜新月前日を11月とする)でしたが、毎年その日を計算して暦を作らねばならなかったので、1日と冬至がピッタリと重なるということは、とてもすっきりとして気持ちがよかったのでしょうね。 数字的にも1が三つ並んでますし^^

 伊勢神宮の式年遷宮が20年に一度なのも、朔旦冬至と関連があるのでは?という説もあるそうです。

 12月の暦をめくり目にした「朔旦冬至」について検索中、以前お世話になっていながら連絡先も分からなくなっていた方のことをふと思い出し気になっていたら、思いがけない出来事から消息が分かって驚きました。 ご縁とは複雑に絡み合っていたかと思うとふっと解けて繋がる・・・不思議なものですね。

 冬至関連の記事も公開し直しました。 下のタグの「冬至」からも飛べます。

 「朔旦冬至」について、「こよみのぺーじ(byかわうそ@暦さん)」の「朔旦冬至」の記事が詳しいです。
http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/201310120.htm
タグ:冬至
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2009年06月30日

夏越の大祓

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 年越と夏越、年に2度、私たちには用心して越えねばならぬ大きな関門(これを「瀬」と表現したのが「年の瀬」)があります。 半年分のつもり積もった穢れを祓い、平穏無事に越えられますようにと、6月の晦日に夏越の大祓の神事はあります。

 年越には神社へ詣でる人がまだまだ大勢いらっしゃいますけれど、夏越の大祓はそれに比べると特に関東ではかなり少ないように思えます。今のように冷暖房が行き届いた家に住んでいても、やはりこの時期(特に旧暦に換算すると)は、寒さ暑さのピークで体調も崩しやすい頃に当たります。 今年の後半のスタートに向けて、気持を引き締める為にも、廃れさせたくない神事と思います。

 大掃除!とまではとても手が回らず中掃除ほどでしたが、普段より少し丁寧に掃除をすませ、今年は勧請元の神社ではなく地元の鎮守さまへお参りしてから、湖に向って深呼吸をくり返し己の中に溜まった穢れを吐き出し清々しい気を胸いっぱいに吸い込んた後、再び神社に詣で大祓詞を奏上してまいりました。 

 大祓詞の中のひとつひとつの言の葉すべてに神様が宿り、音霊として直接身体の細胞を生き返らせてくれるような不思議な感覚に満たされます。 特に速川の瀬に坐す瀬織津比□羊(姫)さまのお名前を口にすると、勢い良く渓流を走る水飛沫やの音を感じ、体の中から浄化されるような気持がいたします。 ありがたいことです。
posted by 山桜 at 23:59| Comment(16) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月01日

八月一日さん

  さて今日は8月1日、皆さんよくご存知の難読苗字の一つに、

  「八月一日(ほづみ)」 (初稲穂を摘む時期であることから)

さんがありますね。 それに因み面白い読みの名前を集めてみました。
(先日の「零余子(ムカゴ)」の件で調べ出してから、脱線してます。)
最近、この手のクイズ番組も多いので、読める方多いでしょうね^^

 一      ニノマエ (2の前)
 二      シタナガ (下の画が上の画より長い)
 三五月   モチヅキ (3×5=15 十五夜月=望月)
 十七夜月 カノウ  (十七夜月は願いを叶えてくれる)
 四月一日 ワタヌキ (衣服から綿を抜く季節)
 九      イチジク (一文字で九)
 九十九   ツクモ  (次ぐ百)
 百々    ドド   (幾百にも流れ落ちる川の流れの擬音から?)
 一口    イモアライ(一つの出口に殺到する様が芋洗い・他諸説有)
 空      キノシタ (空=くう くの字はきの字の下)
 鴨脚    イチョウ (鴨の脚の形は公孫樹の葉に似ている)
 月見里   ヤマナシ (山が無いので月がよく見える)
 小鳥遊   タカナシ (鷹がいないので小鳥が遊ぶ)
 栗花落   ツユリ  (栗の花が落ちると梅雨入り)


 零余子の時に幽黙さんが仰って下さったように、文字面と読みが全く
一致しない表記、沢山あるのでした。 そうなると零余子も案山子も
「そう読むと決めたのだからソレデイイノダ」という訳になりますね。

 そうそう、しつこいようですがドラマ「あんどーなつ」の主人公の
名前のように、音だけ聞くと別の意味を持ってしまう名前もありますね。
ご本人には気の毒な場合もありますが、一度聞いたら忘れられないと
いうメリット?もあります。

  安藤奈津 あんどうなつ → 餡ドーナツ
  浅香唯   あさかゆい  → 朝、痒い
  荒木礼   あらきれい  → あら、綺麗!
  新木謙   あらきけん  → あら、危険!
  小田真理 おだまり   → お黙り!
  川合壮   かわいそう  → 可哀想
  花岡美奈 はなおかみな → 鼻をかみな
  原真紀   はらまき   → 腹巻
  水田麻理 みずたまり  → 水溜り
  村山力   むらやまちから→ 村や町から


 思いがけず、外国語になってしまう名前も…

  田嶋ハル たじまはる   → タージ・マハール
  城島健司 じょうじまけんじ→ジョージ・マッケンジー


 英語で自己紹介するとあれっ?という名前も!
 (最近は、日本人なら姓・名の順のままでもOKのようですが…)

  上岡愛  うえおかあい → アイ・ウエオカ 
  森功    もりこう   → コウ・モリ


 親から子への最初の祈りを込めた贈物「名前」、後でビックリ!に
ならないように、声に出したりひっくり返したり、音も意味もよくよく
確認しなくてはいけませんね〜
 

タグ:珍名
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2008年01月10日

七福神@恵比寿

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    限定醸造「琥珀ヱビス」(サッポロビール)より
 (瓶のヱビスビールの中には数百本に一本、ラベルの恵比寿様の後の魚籠にも鯛が入っているラッキーヱビスがあるそうです!)

恵比寿(えびす)

 別の表記: 恵比須、蛭子、戎、夷、胡 など
 同一神ともされる神: 事代主神(大国主命)、毘沙門天
    特徴: 鯛・釣竿・福耳・風折烏帽子・狩衣指貫 など

 記紀では、イザナミ・イザナギの夫婦神の御子であったが、天御柱を回る国生みの儀式の際、誤って女神の方から先に声をかけた為に、健常にお育ちにならず、葦の舟で海に流されたとされる。 (この辺り男尊女卑・障害者蔑視などと一部に不評とか…視野が狭いと折角の神話も無視され、本意が伝わらない所か子に伝えられる機会も減り残念)

 しかし、流れ着いた地で「夷(えびす)三郎」として大切に育てられたともされ、今もご祭神とする「西宮神社」などがある。

 また「蛭子(ヒルコ)」は手足のない蛭のような子(3年経っても手足が立たなかった)とされることが多いが、太陽女神(ヒルメ)に対する太陽男神(ヒルコ)のではないかとの説もある。

 海からの漂着者(物)が思わぬ福をもたらすことがあったことから福の神の性質を帯びていったのかもしれない。 不幸と思われる生い立ちから、海洋守護・商業・農業の神などとしての返り咲き、鯛を抱え庶民に愛される七福神となっていった経緯など、なかなか謎多き魅力溢れる不思議な神様である。

 「えびす」には「えみし」と同じように東方や海から渡って来た「まつろわぬ民」「異邦人」「蛮族」などの意味もある。 

 またイルカ・鯨などの海洋哺乳類海、漂着する水死体等をも指し、それを網にかければ大漁になるともいう伝えもある。   
 
 特に関西では「えべっさん」と親しまれ「恵比寿講」の人気が高い。 毎年の1月10日前後には「十日えびす」と呼ばれる祭があり、「商売繁盛で笹持ってこい」という関東では耳慣れない掛け声や、笹飾りなどのことを去年?関西のブログ友の何方かに教わりました。 すみません、教えて下さったのはどなたでしたでしょうか〜!? いつぞやは大変ありがとうございました。 <( _ _ )>

 新しい情報を得ましたら、随時追記いたします。


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2008年01月07日

七福神の並び

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      「隅田川・七福神」で戴いた七福神図 

 これまで七日の七草や七草粥については何度か書きましたので、今年
は同じ「七」でも「七福神」のことについて、あやふやな所を確認しつつ、
順次まとめてみます。 (「七福神」全てを書き終えるのはいつになる
ことやら分りませんが、楽しみつつ進めますね。)

 さて先ずは、どのような順で書いていったら良いのか迷います。
年功序列?神様の年齢は見た目(誰が見た?)では判断できませんし、
偉い順って、それこそ誰が判断するのか失礼でしょうし、慣例があるか
どうか調べてみますと…

 「こうでなくてはならない」と言う順列はないようです。
但し概ね次のような規則性がみられました。 

 七福神は恵比寿の他は、インド・中国からの外来の神様です。
(恵比寿は生れてすぐ海に流されていますが、諸国を漂流し遠つ国の
福の神を大勢つれ宝船に乗せ、日本に戻ってこられたように、私には
思えます。)

 ですので先頭は先導する意味に於いても日本の神「@恵比寿」、続いて
遠路遥々に敬意を表しインドの神「A大黒天」「B毘沙門天」「C弁財天」
次いでお隣中国の神、「D寿老人」「E福禄寿」「F布袋尊」

 それぞれの国の中ではあいうえお順。 紅一点の「弁財天」を真中に
元は実在のお坊さんであった「布袋尊」は末席にとの考えもあります。

 七福神めぐりの際、七福神の小像を夫々の寺社で求め、最後に宝船に
並べる時に、悩まれる方々も多いのではないでしょうか。 こちらは
廻った順でも、ご利益を願う神様を主としても良いようです。
上の写真のように巡った地で戴いた図版があれば参考にするのも良い
と思います。 
 何か他の情報をご存知の方は、ご教示賜れますと大変助かります。


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タグ:七福神
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2007年09月01日

月とスッポンと蛾

 さて、ガガ=スッポンで月に似て丸いがまるで異なものと形容されます。
一方、カガ(チ)=蛇で、吉野裕子先生は爛々と光るその目を、鏡=太陽
に肖る説を唱えていらっしゃいます。 

 ただ、太陽は自ら光を発するもの。 鏡はそれを反射して光るもの。
だとしたら、太陽=鏡 よりも 月=鏡 の方が私にはしっくりきます。

 スッポンの甲羅は黒いけれど、月夜に照らされた池では水面の月のように光ってみえるのかもしれません。

  甲羅が 月=鏡(カガミ)に似ている? → すっぽん=ガガ
  目が 太陽=鏡(カガミ)に似ている? → 蛇=カガ(チ)

 スイレンの葉に似た、水面を覆う丸い葉をつける「ガガブタ」という植物も「ガガイモ」同様に「葉の形がスッポンに似ている為」という名前の由来を貰っています。 こちらは正にスッポンの大群が池を覆う蓋のように見えて納得できるのですが、「ガガイモ」の方はどうも腑に落ちません。

 先の日記に書いた少彦名命が纏われていた衣は「蛾の皮」とされています。(鵞鳥説もありますが、私はあくまでも蛾説を支持しています。理由は後述)

 「ガ」の皮を来て「ガガ」の舟に乗って来られた。 
何故、ここまで「ガ」に拘っているのでしょう?? 
昨晩、私の頭の中を駆け巡った妄想を書き残しておきます。

 蛾は夜の虫、すなわち「月」に関係しています。
月と言えば、満ち欠けの「変化(へんげ)」です。 
蛾もまた、卵・芋虫毛虫・蛹・成虫と驚異の「変化」を見せます。
蛾が月神の力を秘めた生物と思われたのは自然なことではないでしょうか。

 特に蛹の殻を破り、全く姿の異なる成虫が表れる神秘性には誰しも目を奪われます。 このような驚異的神秘の力を持ったものと思われたからこそ、少彦名命は「蛾の皮」すなわり「蛾の蛹の殻」を纏っていらしたのではないか、と私は思うのです。

 生まれ変わり・蘇生・新しい清々しい生命力、古来ご先祖さまが憧れ、肖ろうとしてきたものは、現代の私たちの中にも願望として受け継がれています。

 そこで「ガガイモ」です。
ガガイモの実は小さなゴーヤのような形で、熟すと割れて中から真っ白な長い羽衣を纏った種が飛び出します。 そうです、これはまるで「蛾の羽化」のようではありませんか! 全く外からは予期できないような美しいものが、突然生まれてパァッと飛んでいくのですから…。

 ここで「ガガイモ」名前の由来、山桜説を立てました。
「蛾が芋」です。 「蛾」のように蛹(莢)から美しいものを生み出す実をつけることから…いかがでしょう?

 皇室でも蚕・繭に秘められた力を神事として受け継いでいると聞きますし、国造り役に任命された小さな神さまが月と蛾の神秘の力で、大國主命や民のお疲れを癒されたと思うと感無量です。

 (そう言えば、中国の伝説では、月には西王母から不老不死薬を盗んだ夫から、また薬を奪って逃げた「嫦娥」が蝦蟇に姿を変えて住んでいるとされています。 ここにも「ガ」が登場です。)

 もっと妄想を広げれば、大國主命は地球で、少彦名命は月…
粟の穂で飛び出して軌道にのり、地球の周りを衛星として廻っていらっしゃるのでしょうか…。

 宇宙のように妄想が膨張して他のことが手につかなくなるので、この辺で止めて置きましょう。
                      (2007-09-15投稿)

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2007年02月07日

「看脚下」春、笑ふ2

     ? 1427.jpg

 立春の翌日の5日、お稲荷様の縁日、初午の日。 暦の七十二候では
「東風解凍」となったこの日、全く別の所で同じ言葉に出会いました。

 「看脚下」 最初は、りんずさんの節分のお稽古の時のお軸でした。
「かんきゃっか」と読まれることが多いようですが、りんずさんの先生の
「看(み)よ脚下」のお教えの響きが優しくて、私も好きになりました。
 りんずさんのブログ「凛として」より『看脚下』http://blog.goo.ne.jp/_rinnzu_/e/55d4ab546ede354a39a9aa882608e14e

 また、そのほんの数分後、なんと今度は友部丹人さんの所で、丹人さん
の印の文字が読めずに、教えて戴いたのがまたこの言葉でした。 
以下、「友部丹人旅日記」の『庵号〜いをりな』http://blog.goo.ne.jp/tan230/e/c07cb310ed1ec8a3e081c9b247f80583
からの引用です。


 「看脚下」 是 禅宗のおしへなり

 愛媛県大洲市の城願寺住職なる五葉光鐵僧正は次のやふに
 解釈したれり

 自分自身をよく見なさいと。つまり、自分の足元を直しながら、
 我が生き方を深く反省しなさいということなのです。
 足元を見ると同時に、我が人生の至らなさを見て欲しいのです。
 未熟である自分に気づく、発見する・・・。
 足元を見るという事の中には、そういう大事な意味があるのです。

    吾庵号印「質直看脚下庵主」 大山九八 刻(1999.8.1) 
         シチヂキカンキャクカアンシュ


 
 そう言えば、節分の翌朝、ちゃんと拾ったつもりでいたのに、豆を
数粒踏んでしまったという私に、鎌倉とんぼさんより、
 「マメに拾わなくてはいけません」
とのお言葉を頂戴したばかりでした。
 「マメに拾う」=「脚下を看よ」・・・です!
奇しくも同じことをもう前もって戴いていたのでした。 

 そして、その次の日、今度は飛翔さんに、
 「汝の足元を深く掘れ、そこに泉あり」
の言葉を教わりました。 

 もうこれは、どうあっても、私に、
「自分の足元をよく見直しなさい」
と、神仏ご先祖様が教えて下さっているとしか思えません。

 神様、仏様、ご先祖様、そしてお教えを賜りました皆さま、
ありがとうございました。 よくよく肝に銘じて、この新しい
一年を過ごしていきたいと思います。

 そんなことを思いながら歩いている時、ふと足元を見て撮影
したのがこの上の写真です。

 可愛い青い春の妖精が・・・ほら、笑って・・・いますよね?

 青い春の妖精:オオイヌノフグリ、瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳
           その昔聞いた英名は、ベィビー・ブルー・アイズ・・・
           でも、どこにも載っていないのです。


<<追記 2007-02-09>>
  今朝、りんずさんのブログ「凛として」のお客様、
  こなつめさんのコメントからまた一つ素晴らしい学びを
  得ることができました。 
  りんずさん、こなつめさん、ありがとうございます。

  「看」はただ「見る」にあらず、
     「手」と「目」五感を使って見ることなり


なのだそうです。 看護師さんなどは正にそのようなお仕事と思います。


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2007年01月15日

七種餅粥

下の方に追記をつけました。 
ご興味をお持ちの方はご参照賜れば幸いです^^(1月19日)


     ??〓 1301.jpg

 今年の小正月の十五日は、小豆粥ではなく延喜式等に記録がある
七種の穀物に倣い、手に入る穀物を集めてお粥を炊いてみました。
15日は望(もち)月で餅粥を食す習慣も聞きますので、お餅も加え、
七種・餅粥モドキとちょっと贅沢してしまいました。

  延喜式(905年)第四十巻の記録
  「正月十五日 供御七種粥料 米1斗五升 粟 黍 稗子 
   ミノ*(草冠に皇・子) 胡麻子 小豆
 各五升 塩四升」

 その他にも、時代、地域によって、七種の穀(作)物は異なり、
(例えば、大豆、大角豆(ささげ)、栗、柿、薯蕷…など)その時、
その土地で手に入りやすいものを使っていたのかもしれません。

 この日の我が家の七種餅粥の品揃えは、
 「玄米、黒米、小豆、ささげ、麦、白胡麻、黄粉(大豆)、餅」
黒米からも赤紫色が出たので、かなり赤色の濃い、魔除力強大な
お粥になりました。(ささげはお赤飯に用いる炊いても切腹しない
小豆に似た豆で、写真で一番目立っているものです。)

 これらの穀物と言えば、古事記では大気都比売神(おおげつひめのかみ)日本書紀では保食神(うけもちのかみ)の亡骸のあちらこちらから
生まれたという神様の化身です。 

 いにしえの人々は、そのような神さまのお力を得て、魔を祓い
健やかに暮らしたいと願ったのかもしれない…などと想像しつつ
ご先祖様方と同じような穀物粥を奉げもち、大神さまにお供えし、
私達もありがたくご相伴させて戴きました。

 *ミノは、牧野富太郎博士によれば、
  長らくミノとされてきた草の実は食用にならず、誤りであるとし、
  この草にはカズノコグサと新たに命名、現在ムツオレグザと呼ばれ
  ている草こそがミノであろうとされていますが…ミノ米について
  何かご存知の方がいらしたら、是非ご教示下さると嬉しいです。

<<追記 2007-01-19>>
 @奈良の酒徒善人さんより、小豆粥は「ススキの穂のお箸」で戴く
  とのコメントを頂戴し、さらに後日詳しく教えて下さったので、
  皆さまにもお知らせ致したく、こちらに転載申し上げます。
  酒徒善人さん、ご協力ありがとうございました。

  『すすきの穂の箸は、穂のついた茎(茎だけで約30cm)で
   茎の部分を箸がわりにして食べます。
   そのすすきの箸は他の花とともに、
   水田に苗代を作るとき豊作を祈願して飾ったと思います。
   なぜすすきなのでしょう?稲のイメージかな?
   小豆粥を炊く火は、前日のとんどの火を昔は使っていました。』
  
   (酒徒善人さんのブログ「e411y」の『冬の華』 http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2007/01/post_b0c0.htmlより)


   さて、な〜ぜ、ススキの穂なのでしょう?
   酒徒善人さんの仰るように豊かに実った「稲穂」のイメージ、
   すすき=漱ぎ から 祓い清めのイメージ、
   ももりさんがヒントを下さったように、丈夫な作物のイメージ、
   茎の中の赤い芯からお日様の力を秘めたイメージ・・・
   いろいろな気持ちが合わさって、ススキの力に肖りたいと願った
   のでしょうか… これからも心に留めて情報を集めたいと思います。

   酒徒善人さんがススキの穂のお箸の写真を撮ってご自分のブログ
   に載せて下さいました。是非ご覧下さい!
   1月19日付『すすきの箸』
   http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2007/01/post_2185.html

 A「枕草子」十五日のお粥に関する楽しげな伝承の記述です。

  『十五日はもちがゆの節供参る 粥の木ひき隠して家の御達女房
   などのうかがふを うたれじと用意して常にうしろを心づかひ
   したる景色もをかしきに いかにしたるにかあらむ打ち当てるは
   いみじの興ありて うち笑ひたるは いとはえばえし』


   これは、もち粥を炊いた木の燃え残りで女性のお尻を叩くと
   子宝が授かると言う(叩いた人が男性なら、その人の子が
   授かるとも)風習の様子を描いたもののようです。

   華やかな方々が子供のようにはしゃいでいる様子が覗えて
   笑い声まで聞こえてくるようですね〜 さすが清少納言!

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2007年01月03日

万祝と紅型

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 引き続き「アクアマリンふくしま」の内部展示のご紹介です。
この水族館は水棲生物の展示などに留まらず、海川と共に育った民族
文化も多数、工夫を凝らして展示しています。

 この色鮮やかな染物は「万祝(まいわい)」と言い、房総半島から青森
にかけての太平洋岸で見られる、大漁祝に網元から漁師たちに配られる
お祝いの引き出物です。 反物で配られ個々の家で仕立てたのだそうです。

 木綿地に型染め、派手な色合いのめでた尽くしの模様が印象的です。
この鮮やかな配色と型染めの風合い…どこかで見たことがあるような??
そう思って歩いていると…

    ??〓 1254.jpg
      マンタを中心に南洋の生物満載の新作紅型

 別のコーナーで沖縄の紅型の展示に出会いました。
そうです、万祝の色合い風合いは、この沖縄の紅型に似ていませんか?

 万祝の発祥地は鰯漁が盛んな房総九十九里とされているようです。
万祝としてお祝いを配る文化としては、そこが発祥かもしれませんが、
この鮮やかな型染は、房総・安房に渡ってくる前の故郷四国・阿波、
さらには沖縄から伝わって来た文化の可能性があるのでは…?

 酉小屋〜鳥追い小屋に次いで、またしても妄想が広がる展示でした。

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2006年12月22日

冬至

    ??〓 1228.jpg
            
 やっと待ちに待った冬至です。
今年は、一身上の理由(なんだか今流行りですね・苦笑)で、
本当に冬至までが長く長く感じられました。 
太陽の力の復活を待ち望んでおりました。

 冬至は「一年で一番昼が短く、夜が長い日」。
でも、実は「日没が一番早い日」は、その1〜2週前ぐらいの間で
冬至を越すと、徐々に日没が遅くなり、急に昼が長くなったように
感じられます。 昔から、冬至過ぎれば、毎日、畳一目分も日脚が
長くなると言われている嬉しい気持、よく分かります。

 今朝、冬中日が当たらない谷間の村の村長さんが、向かい側の
山に大きな鏡を設置して、初めて冬の太陽の光を呼び込んだという
ニュースを見て、天照大御神さまの古事*を思い出しました。

 大きな鏡に反射した光を見て太陽は、さぞビックリしたでしょうね!

 *弟神、スサノオノミコトの暴れ振りを哀しみ天の岩戸にお隠れに
  なってしまわれたアマテラスオオミカミ様の興味を惹く為に、
  天の岩戸前でアメノウズメノミコトが唄い踊り、神々が
   「素晴らしい新しい日の神様が遣わされて嬉しい」
  と楽しそうに笑いさざめくと、天照さまは気になってそっと岩戸を
  開けて外を覗かれた。 その時サッと鏡が目前に差し出されたので
  ご自分の光を新しい神とお思いになり驚かれた天照様は、力持ちの
  神さまに引き出され、天地には太陽が戻ったという「古事記」のお話。


          ??〓 1226.jpg 
        お日様のような柚子の姿をうつしたお菓子

 過去の冬至関連記事:
 「冬至七種」http://yamasakuran.seesaa.net/article/10969746.html
 「一陽来復」http://yamasakuran.seesaa.net/article/10968927.html
  ↑この記事を読み、我が家のミモザが倒れてから丸一年経ったことに
   気が付きました。 冬至はミモザの命日だったのです…合掌。
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2006年10月30日

重陽の節供

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 今年の10月30日は、旧暦九月九日、「重陽の節供*1」です。

 丁度菊の花の咲き始める頃で、前の晩から真綿(蚕の繭から
紡いだままの絹の綿)を菊の花に被せて置き、翌朝、その菊香や
露をうつした真綿で身を清める「着せ綿」、薬効のある菊の花を
お酒に浸して戴く「菊酒」という風習もあり、「菊の節供」とも
「菊花の日」呼ばれています。

 そう言えば、旧暦九月九日はいつも「上弦の月半月」頃に当たるので、
夜半の空には弦が上を向き「月の杯」も浮かびますね^^

 また古くは菊のことを「くく」と呼んでいたという説もあります。
(例:古事記に記載の万葉仮名表記「久久理比売」は「菊理姫」のこと。
 また「久久」とは「久しく香る」の意。「花と樹の事典」柏書房より)

 それを読んで、私は、
「久久」=「菊」→「九九」
の連想で、菊の花が重陽の節供の花とされたのではないかとも思い
ましたが、探した範囲でそういう記述はみつかりませんでした。

 ただ「久久」は中国語で「悠久」の意味があるそうで、その意味
からも、中国では同音の「九九」の日、重陽の節供は、家族などで
山茱萸(サンシュユ) 食茱萸(カラスザンショウ)の実を髪に飾ったり
<2015-08-11 訂正・追記>
袋に入れたりして持ち、高い山に登って天地の神様に不老長寿を
願う日として、大切にされているそうです。

 処で「悠久」で思い浮かぶのは、9月6日にご誕生あそばされた
秋篠宮悠仁(ひさひと)親王殿下。 帝王切開であれば9月9日を
選ばれることも可能でしたのに、6日にされたのは何かきっと他に
理由があるのでしょう。 それにしても「菊」と言えば、

   皇室の御紋「菊」=「久久」=「悠久」…

 なにか今年の重陽の節供は、感慨深いものになりました。
 

(以下は少数の子供読者の為の少しやさしい説明です^^)

*1「重陽の節供(ちょうようのせっく)」
  数字の奇数と偶数を、中国で生まれた「陰陽説*2」の考えでは、
  奇数=陽の数、偶数=陰の数とされます。 

  一桁(けた)の陽数の中で一番大きな数「9」=「陽」の力が一番
  大きい数、が二つ「重」なるこの日を、「重陽の節供」と呼びます。

  陽の数が重なる日は他にも1月1日・3月3日・5月5日・7月7日
  (五節供には1月1日の元旦ではなく、1月7日の「人日の節供」が
  入る)がありますが、中でも古来重要なお祭とされていた9月9日の
  重陽の節供は、どういう訳か、現代の日本では知識だけが残り、
  行事は一般的にはすっかり廃(すた)れてしまいました。

*2「陰陽説(いんようせつ)」
  世の中のすべての事柄は、陰と陽という相対した存在により成り
  立っているという考え。 陽と陰とは、例えば、その文字通り、
  日向と日陰、明と暗、天と地、上と下、表と裏、善と悪、男と女、
  凸と凹、吉と凶(幸運と不幸)、喜びと悲しみ…このように思い
  浮かべると、一方の存在がなければもう一方の存在が成り立たない
  ということが分かりやすいと思います。
 
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2006年07月04日

半夏生(3)・「さなぶり餅」

 奈良の酒徒善人さんのブログ記事で「関西では半夏生に蛸を・・・」
と拝見したのを、私の劣化した脳内で「奈良でも半夏生に蛸を・・・」
と変換してしまっておりました。 また、さなぶり餅についても、
記事を拝見したのが6月初旬でしたので、半夏生ではなくて旧暦の
皐月の行事のイメージになってしまっておりました。
↓酒徒善人さんのブログ記事「さなぶり餅」はこちらです。
http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2006/06/post_6c85.html

 ここにお詫びして訂正致します。申し訳ありませんでした<( _ _ )>

 奈良(大和地方)で、半夏生に戴くのは「さなぶり餅」です。
  sana_ph.jpg
「総本家さなぶりやHP」http://www.naraken.co.jp/tokusan/sanaburiya/より

 酒徒善人さんのブログ、さなぶりやHPにも詳細がありますが、
さなぶり餅の語源は、[さ=田の神様]+[なぶり=昇り]で、
田植えがすっかり終わった半夏生(夏至の11日後、今年は夏至が
6月21日、半夏生が7月2日)の頃(半夏生までに田植えが終わら
ないと作柄が半分以下になると言われている)田の神様にお供えして
豊作を祈願し、その後皆で戴くのだそうです。今はもっと早くに田植え
が終わるので、酒徒善人さんの所のように6月初旬に配られたのかも
しれません。(この時のお餅はさなぶり餅ではなかったようですが)

 また、大和地方は素麺に代表されるように嘗ては小麦文化が身近で、
古くはさなぶり餅といっても糯(モチ)米ではなく小麦餅だったのだ
そうです。 上記の「さなぶりや」さんでは、この小麦餅を復活して
製品化されています。 小麦餅に大豆で出来た黄粉をかければ、
不足しがちなビタミンB群やたんぱく質などを補うことも出来、
これから暑さに向う半夏生には栄養面でも満点だった訳ですね。

 いつもながら、昔の人の経験から来る生活の知恵には感心させ
られることばかりです。


タグ:半夏生
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2006年07月02日

半夏生ハンゲショウ(1)

   画像 567.jpg 画像 568.jpg
   横から見たカラスビシャクの苞    その地下茎「半夏(ハンゲ)」
   (白く細長い蛇の首のような部分)   (小さなコンニャク芋のよう)

           画像 566.jpg
          ハンゲショウ「半化粧」「半夏生」


 今日は二十四節気七十二候中の一つ、半夏生
夏至から数えて10日目

 半夏(ハンゲ)とは、サトイモ科の植物カラスビシャクの地下球茎を
乾燥、外側のコルク質を除いたもの(写真右上)で鎮吐、鎮咳、去痰
などの効用がある漢方薬の材料。このカラスビシャクの花が咲く頃を
「半夏生じる頃=半夏生」と呼ぶ・・・
 私が目にした本やサイトには大体上のようなことが書かれてある。

 そのことは知識として頭にはあったが、本当に夏至から10日目頃、
カラスビシャクが咲くのか確認する為に、6月中旬、薬用植物園に
カラスビシャクの在り処を確認しに行った。 ところがなんともう、
その6月中旬には栽培場所の花は殆ど終わり、係りの方に植え込みの
中でひっそりと咲いていたカラスビシャクを教えて戴きどうにか撮影
することが出来たという有様だった。(写真左上)

 若し今日「半夏生」だからと見に行ったとしても、花を見る事は
出来なかっただろう。 咲く時期は地域によって異なるだろうし、
大体は関西中心に考えた方がいいのだろうが、関東で半月以上も
開花が早ければ、関西では普通もっと早かった筈であまり収獲の
目安にならないように思う。 それともこれも地球温暖化の影響
なのだろうか・・・? 

 そこで、私の勝手な仮説だが、一般に薬草は花の咲き始め頃が
一番充実しているので摘み取る事が多いが、それは地上部を用いる
からであって、養分の貯蔵庫である地下茎は花を咲かせたばかりでは、
養分を使い果たしてしまっている。 かといって芽を出したばかり
でもやはりいけないので、
「花が終わって葉が茂り充分養分を蓄えた頃=収穫期=半夏生」
なのではないだろうか? あくまでも「半夏」は地下茎であって、
花では無いのだから・・・。

 一方、同様に半夏生の頃に咲くということでハンゲショウと呼ばれる
ドクダミ科の植物(写真下)もあるのだか、こちらも同じ日に丁度
花穂より目立つ、ドクダミの4枚の苞にあたる上の方の葉が白く
色づき始めていた。 多分、まだこの植物は今も咲き続けているかも
しれないが、「半夏(七月の初め)の頃咲き始める」とは言えない

 ハンゲショウは別名「片白草」とも呼ばれる通り、上の方の葉が
半分白くお化粧したように見えることから元来の意味は「半化粧」
だったという説が真っ当だと思う。

 しかし、地下茎は高名な漢方薬でも花は地味なカラスビシャクより
風にそよぐ白い葉が爽やかで良く目立つ半化粧の方が、夏の訪れを
知らせるこの季節にぴったりだったので、いつしかこちらの方が有名
となり「半夏生」と言う文字を冠されてしまった
のではないだろうか。


           *     *     *

 ところで、酒徒善人さんに教えて戴いたのですが、関西(のどの範囲で
かは不明)では、半夏生の日には蛸を食す習慣があるとのことです。
(検索してみると、蛸の足のように作物が良く根を張るようにだとか、
タコがスタミナ食だから夏バテ防止のため、などと書いてあったのですが、
酒徒善人さんのお宅ではどのような由来が伝わっているのでしょう?)

 以前に冬至は南瓜、では夏至には何を?というような日記を書いた事が
ありますが、やはり日本では夏至は梅雨の真っ只中であり、あまり意識
されずに過ごしてしまい、梅雨明けごろにあたる半夏生の方が注目され
たのでしょうね。

 皆様のお宅では半夏生、または夏至の行事食というものはありますか?
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2006年06月30日

夏越の大祓・茅の輪と蘇民将来

 今日6月30日は、新暦での半年に一度の大祓の一つ「夏越の大祓(なごしのおおはらひ)」の日です。 もう一つの大祓は大晦日12月31日の「年越の大祓」です。

<追記 2006-07-01>
 水無月祓、難越の節供、輪越祭、輪正月とも言われ、一年の半分が終わる六月三十日に、半年分の罪穢を祓うのが大祓式です。 後半期はじめの盆祭を迎える為のお清めの意味を持っています。(後半期の大祓式は十二月三十一日で、お正月を迎える為のお清めの意味を持っています。(中氷川神社 説明書きより)


 暑さに向い疫病の流行りやすいこの時期に、年の前半知らず知らずに犯してしまった罪、積もってしまった穢れを、和紙で作られた人形(ひとがた)・形代(かたしろ)に移し、神社に設けられた大きな茅の輪を∞の字を描くようにに3度くぐってからお宮に詣で祓い清めて戴きます。

<追記 2006-07-01>
 昨日参拝した中氷川神社では、特に∞の字に回ると言う説明は無く、
『茅の輪をくぐりながら、
【水無月の夏越の祓する人は 千歳の命のぶというなり】
と唱え、輪をくぐる時に名前を書いた人形代に息を吹きかけ、人形箱に納めることにより、半年間に渡って身についた罪穢れ、病魔をすっかり祓い去る事が出来ると言われています。』
との説明がありました。


画像 563.jpg
 「人形」「形代」(これには未だ罪穢れは移してませんのでご安心を)

 私もこれから夕刻に神社へ参りますが、その前にこの「茅の輪くぐり」の縁起となる物語、備後風土記逸話の中の「蘇民将来」をご紹介したいと思います。今日この物語に触れることに意味があると思いますので・・・


     『蘇民将来』(備後風土記逸文より) 柴田民三・文

 昔、北の海に、武塔(むとう)の神という神がいました。
 ある時、南の海の女神を訪ねていく途中、備後の国で日が暮れてしまいました。
 『暗くなっては、旅も面白くない。 どこかに泊めて貰おう。』
 武塔の神は、そう思って辺りを見まわしました。

 丁度その辺りには、蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来(きょたんしょうらい)という兄弟が住んでいました。 兄の蘇民将来の家は大層貧乏でしたので、武塔の神は、弟の巨旦将来の家の門を叩きました。
 「お願い申す。 今宵一晩、お泊め下され。」
 ところが、巨旦将来は、
 「人を泊める部屋などは無い。 他の家に頼んでみさっしゃい。」
と、門も開けず顔も出さず、けんもほろろに断りました。

 『不親切な、欲張りめが。』
と、武塔の神は、むかむか腹を立てながら、今度は兄の蘇民将来のあばら家の前に立ちました。
 「今宵一晩、お泊め下さるまいか。」
と、声をかけると、すぐ主の蘇民将来が出てきて、
 「むさ苦しい所ですが、宜しければどうぞお泊り下さい。」
と、丁寧に武塔の神を招き入れました。

 主の言うように、本当に粗末な家でした。けれど、蘇民はいそいそと新しい粟殻を厚く敷いて、武塔の神の座席を作りました。それから、
 「敷物もございません。これにお座りになってお待ち下さい。 
只今、ご飯を差し上げます。」
と言って、台所に行きました。
 けれど、米などありません。粟のご飯を炊いて、武塔の神をもてなしました。食事が済むと、又、粟殻(あわがら)を持って来て寝床をこしらえてくれました。

 武塔の神は、こんな粗末な食事をしたことも、こんな固い布団に寝たことも初めてでした。けれど、蘇民の親切が身に染みて嬉しく、粟のご飯も美味しく食べ、粟殻の布団の上で気持ちよく眠りました。

 夜が明けると、武塔の神は、
 「心からのおもてなし、ありがとうござった。いつまでも忘れることはありませんぞ。」
と、蘇民将来に厚く礼を述べて、南の海に向って旅立って行きました。

 それから、幾年か過ぎたある日でした。武塔の神は、南の海からの帰り道、備後の国を通りかかりました。今度は一人ではなく、八人の子を連れていました。武塔の神は、巨旦将来の家の前を素通りして、蘇民将来の家を訪ねました。そして、
 「蘇民将来よ、いつぞやのお礼に参った。お前の身内の者は、この家に何人いるか。」
と聞きました。 蘇民は、跪(ひざまず)いて
 「私と、妻と、娘の三人でございます。」
と答えました。 すると、武塔の神は、
 「そうか。今夜は、お前達の家の者は、茅(ちがや)で作った輪を腰に着けて休むのじゃ。忘れるなよ。」
と教えました。
 「はい、仰るとおりに致します。」
 蘇民は、武塔の神に言われたとおり、三人で茅の葉で作った輪を腰につけて休みました。
 
 その晩のことです。 恐ろしい疫病神が村中を暴れまわりました。 その為に、巨旦将来をはじめ、村の人達はみんな死んでしまいました。 生き残ったのは、蘇民将来と、その妻と娘の三人だけでした。

 恐ろしかった夜が明けると、武塔の神が蘇民将来の前に現れて、
 「私は、速須佐雄(はやすさのお)の神である。後の世に疫病が流行った時は、
『自分は、蘇民将来の子孫だ。』
と言って、茅の輪を腰につけた者だけが助かるぞ。」
と言いました。

 これが疫隅神社の起こりだと言われています。
posted by 山桜 at 00:00| Comment(19) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月06日

下町風俗資料館

sitamatifuzoku.JPG  koujinsama.JPG
  「銅壺屋の住まい・作業場)     作業場の上の荒神(火の神)棚
      パンフレットより

 先日、湯島天神と不忍池弁天堂へ詣でた時、最寄の下町風俗資料館を訪ねた。
(台東区立下町風俗資料館HP:http://www.taitocity.net/taito/shitamachi/ )

 1階には、古き良き江戸の風情をとどめる大正時代の東京の下町の街並みが、
大店(おおだな)の花緒(鼻緒)問屋から、長屋の中の駄菓子屋銅壺屋(どうこや)、
そして通路の植木鉢や物干しや辻のお稲荷さんにおみくじ(ちゃんと引ける)まで、
当時実際に使われていたものを用いて忠実に再現されている。

 何より嬉しいのは、靴をぬいでそのお店や長屋に上がることが出来ることだ。
箪笥の引き出しの中には、ちゃんとその家の人が身につけたような着物や小物が、
茶箪笥の中には茶器などの揃えが、押入れの中には布団やアイロンや裁縫道具が
納められていて、自由に手にとって眺めることが出来る

 柱時計は今もチックタックと時を刻み、どこからか物売りの声も聞こえてくる。
(階段の踊り場にその声を聞けるコーナーあり) 私にとっては、まるで今はビルに
なってしまった神田の祖母の家にタイムスリップしたようであり、懐かしさが
胸一杯に込み上げてくる。しかし、同行した小学生の子供達も、初めて体験する
空間である筈にも関わらず、
 
 「何だかなつかしいような気持ち」
 「あ〜癒される〜」
 「こういう所に住んでみたいなぁ」
 「静かな中で柱時計の音がいい感じ」
 「天井が低くて部屋がちっちゃくて落ち着く」
 「ずっとここに居たい…」


 などと、そろばんをはじいたり炬燵(こたつ)に入ったり火鉢をかき混ぜたり、
挙句には畳の上でゴロンと横になって寛ぎながら、口々につぶやいた。

 「君達に流れる血は、受け継がれた遺伝子は、
          ご先祖様たちの記憶を美意識をちゃんと覚えてる!」

…そのことが、無性に嬉しい日だった。


 
 <<追記>>
   尚、2階には子供に(大人にも)人気の昔遊び玩具コーナーと通常は、
   銭湯の再現(番台に上がれる)、下町・年中行事などに縁の展示があるが、
   この日は戦時下の人々の暮らしの特別展が催されていた。
posted by 山桜 at 00:00| Comment(10) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月28日

年の瀬の「瀬」

 いよいよ年の瀬。「瀬」とは水の流れがある所。対する言葉は「淵」だろうか。
流れといってもせせらぎのような流れから激しい急流まで様々だ。

 では、年の瀬の「瀬」とはどんな流れの瀬であろう? 私の脳裏に浮かぶのは、
新しい年を迎える為にしなくてはならないことが一気に押し寄せる「怒涛」の瀬。
ゆるゆると流れていた時の流れが、あれよあれよと加速する難所の瀬。
ここを越さなければ新しい歳神様をお迎え出来ない切羽詰った瀬戸際の瀬だ。

 最近は寒空の下、冬の大掃除はやめて、夏に済ませましょう。
年末の年越の準備から解放され、旅先で新年をむかえましょう。
・・・等という人々も多い。そういう私もどちらも実行したことがある。
正直、楽は楽であったが、とても味気ないものであった。
その上、帰途大雪に立ち往生するという、バチまであたり・・・。

 やはり、節目節目のすべき時にすべきことを行う。
これがご先祖様から伝えられて来た、日本の伝統、あるべき姿。
さまざまな約束事をおろそかにすれば、それなりの新年しか迎えられない。
第一、ろくに掃除も済んでおらず、元旦にだれもいないガランとした家に
どうしてお正月様=歳神様=福の神様がいらっしゃれようか・・・。

 ・・・と、言う訳で目下、年越し準備に大わらわ。 ブログも休止中。。。


 皆様、今年も大変お世話になり、ありがとうございました。
準備万端整って心晴れやかにお会いできる日まで、ご機嫌よう!
どうぞ良いお正月をお迎え下さいませ。 m(_ _)m 山桜 拝

 
posted by 山桜 at 15:21| 東京 ☀| Comment(10) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日

冬至の七種

 我が家では、冬至にはいとこ煮(南瓜と小豆の炊き合わせ)を食べて、柚子湯に入る。
それしか知らなかったが、去年「冬至の七種」という縁起ものがあることを知った。

 冬至の七種: なんきん(南瓜)
          にんじん(人参)
          きんかん(金柑)
          れんこん(蓮根)
          ぎんなん(銀杏)
          かんてん(寒天)
          うんどん(うどん) 「運・鈍(辛抱強い)・根(性)」の出世3要素に通じる。

 全て「ん」が2つつく食べ物で、「んん」=「うん」運がつく、ということだろうか?
一陽来復にあやかって、良い運がつくことを願う気持ちと健康に良い食べ物が一致して
いる所が素晴らしい。昔の人の智慧にはいつもいつも感心させられてばかりだ。


 <追記>
  冬至に柚子湯に入るのは、冬至(とうじ)=湯治 の言葉合わせと、
  黄金色の柚子=金の融通 ということで縁起が良いことによるとか。
タグ:冬至 柚子 七種
posted by 山桜 at 19:07| Comment(8) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月22日

一陽来復

「一陽来復」 
 ・冬至のこと。
 ・陰の気が極まり、少しずつ陽の気が戻って来ること。
 ・が終わりになること。
 ・逆境・不運など、良くないことが続いた後、ようやく好運が向いて来ること。

 今日は冬至。一年で最も太陽の出ている時間が短くなる日。
春とは名ばかり、実際にはこれから冬本番ではあるが、
明日からは日増しに明るい時間が延びていくのが嬉しい。

 そんな冬至の昼下がり、外での用事を済ませ、我が家の見える角を曲がった時、
目の前に信じられない光景が飛び込んできた。

 我が家の歴史(といっても高々丁度10年だが)と共に成長し、高さ6m以上、
株元の直径20cm余りにもなっていたミモザ(銀葉アカシア)が、根元から
バッサリと折れ、道路に横たわっていたのだ。あまりの出来事に暫し呆然・・・。

 帰途、目も開けられないような強風に煽られた時、持っていた買い物袋が、まるで
ブンブン凧のようにヴ〜〜〜ンと呻り、このまま自分もトトロの如く空に舞い上がる
のではと思う程だった。恐らくその激しい一陣の風がミモザを空へ連れ去ったのだろう。

 何年か前から根元にサルノコシカケのような茸が生え始め、衰えは感じていたが、
まさか折れる程に傷んでいたとは気付かなかった。今年も枝いっぱいに小さな蕾を
びっしりとつけていたのに、とうとう花開くその日を迎えることが出来なかった…。
今年初めて、落ちた種から沢山の芽ばえが生じた訳がようやく分かった。 
己の寿命を悟り子孫を残そうとしていたのか・・・。

 ミモザが去った後、南の空がポッカリと開け明るい光が庭に降り注いでいた。
大きな喪失感と引き換えに、多くの太陽の日差しが戻ってきた。
冬至に文字通り「一陽来復」、新しい運気が巡って来たようだ。
タグ:冬至 ミモザ
posted by 山桜 at 00:00| Comment(10) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月26日

何故、九十九=つくも?

@「ツクモ」はカヤツリグサ科のフトイの古語
 フトイの写真と記事→http://www.hana300.com/futoi0.html

 写真のように細長い茎を沢山伸ばす。これを刈り取り干したものを
 ムシロなどに編んで用いたので、古くは馴染みの植物だったのだろう。

A「つくも髪」は老女の白髪を示す言葉
 ツクモが刈り取られず立ち枯れたさまや、編まれぬ前にバサリと積ま
 れたさまは、確かに老女の白髪を連想させたかもしれない。

 私が白髪を思い浮かべるのは寧ろ「翁(オキナ)草」の種なのだか、
 翁草→http://www.hana300.com/okinag.html
 当時はつくも草の方が身近な植物だったのだろう。

B「白」と言う漢字は、「百」から上の横棒「一」を取った形

@→A→Bの流れから、

     「つくも」 = 「白(髪)」 = 「百」−「一」 = 九十九

と転じたことになるが、さてはて…?

 

  ももとせに ひととせ足らぬ つくも髪

                我を恋ふらし おもかげに見ゆ

           (伊勢物語 第六十三段 つくも髪 より)
 


<<2005.11.18追記>>
 「九十九」は「百」に次ぐ数字なので、「次ぐ百(つぐもも)」
 から転じたとの説あり。 


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posted by 山桜 at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月31日

全てのことは「神様の」メッセージ?

 ♪子供の頃は 神様がいて 不思議に夢を叶えてくれた
  ・・・
  全てのことは メッセージ    by:松任谷 由美

 何かいつもと違うようなことがあると、この歌を思い出す。
今日はもうブログは書かないつもりだったが、
またまた不思議な3点セットを見たので、書き残して置くことに・・・。

 庭で「ガマ蛙」
 土手で「ウサギ」
 神社参道で「(羽化前の)セミの幼虫」

 何のメッセージだろうか?
 ガマ(ヒキ)ガエル→釜?カエル、引きカエル
 ウサギ→跳ねカエル→羽カエル
 セミの幼虫→脱皮→生まれカエル

 カエル・帰る・返る・変える・・・?

今日は月遅れの大祓。 生まれ変える様に己を変えなさいとのことだろうか?

 そして神社に着くと、お賽銭箱を開けている真最中だった。
なかなか上手く開かぬ様子で、数人の役員さん方が奮闘中。
思わず、神様に「上手く開きますように」とお祈りしたところ、
程なく引き出すことが出来た。こんな様子を見たのは初めてだ。
 
posted by 山桜 at 19:49| Comment(6) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする