2007年01月29日

鏡割りと鏡開き

 アンズさんに鏡餅の戴き方のお返事を戴いてふと思い出したので、
忘れない内に書いておきます。

 このところ、毎年お正月になると耳にして気になっていたのが、
「鏡割り」「鏡開き」という言葉の使い方です。 
私の理解では以下のようだったのですが、最近は混用されていて、
どうも釈然としないのです。

「鏡割り」:酒樽のフタを木槌などで威勢よく割って魔を祓う行事

「鏡開き」:歳神さまの依代だった鏡餅を分かちその分魂を戴く行事
      (お年玉の元祖という説もある)


 慶事に「割る」が忌み言葉であるとされ、結婚式などで代わりに
「鏡開き」が使われるようになったようですが、この用法は正しい
のでしょうか?

 古来、土器などを割って魔を祓う行事はあちこちで(出産などでは
特に割れることによって新しい命が生まれるので)見られますし、
「割る」は決して縁起の良くない言葉ではなく、確か語源は「笑う」
から派生していると記憶しているのですが・・・。 破顔一笑のように
弾けて声を上げて笑う様子から来たものではないでしょうか。

 とは言え、検索してみたネット情報でも混在し、同義語と書かれた
ものさえありました。 辞書には『開く=割るの意』という記載も
ありますし、上記のような言葉の使い分けは私の家だけのことなので
しょうか? 

 『祝の席で「鏡割り」の言葉を使うのは非常識で顰蹙を買います。』
とまで書かれては、モヤモヤしてどうにも黙っていられなくなりました。


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2007年01月15日

七種餅粥

下の方に追記をつけました。 
ご興味をお持ちの方はご参照賜れば幸いです^^(1月19日)


     ??〓 1301.jpg

 今年の小正月の十五日は、小豆粥ではなく延喜式等に記録がある
七種の穀物に倣い、手に入る穀物を集めてお粥を炊いてみました。
15日は望(もち)月で餅粥を食す習慣も聞きますので、お餅も加え、
七種・餅粥モドキとちょっと贅沢してしまいました。

  延喜式(905年)第四十巻の記録
  「正月十五日 供御七種粥料 米1斗五升 粟 黍 稗子 
   ミノ*(草冠に皇・子) 胡麻子 小豆
 各五升 塩四升」

 その他にも、時代、地域によって、七種の穀(作)物は異なり、
(例えば、大豆、大角豆(ささげ)、栗、柿、薯蕷…など)その時、
その土地で手に入りやすいものを使っていたのかもしれません。

 この日の我が家の七種餅粥の品揃えは、
 「玄米、黒米、小豆、ささげ、麦、白胡麻、黄粉(大豆)、餅」
黒米からも赤紫色が出たので、かなり赤色の濃い、魔除力強大な
お粥になりました。(ささげはお赤飯に用いる炊いても切腹しない
小豆に似た豆で、写真で一番目立っているものです。)

 これらの穀物と言えば、古事記では大気都比売神(おおげつひめのかみ)日本書紀では保食神(うけもちのかみ)の亡骸のあちらこちらから
生まれたという神様の化身です。 

 いにしえの人々は、そのような神さまのお力を得て、魔を祓い
健やかに暮らしたいと願ったのかもしれない…などと想像しつつ
ご先祖様方と同じような穀物粥を奉げもち、大神さまにお供えし、
私達もありがたくご相伴させて戴きました。

 *ミノは、牧野富太郎博士によれば、
  長らくミノとされてきた草の実は食用にならず、誤りであるとし、
  この草にはカズノコグサと新たに命名、現在ムツオレグザと呼ばれ
  ている草こそがミノであろうとされていますが…ミノ米について
  何かご存知の方がいらしたら、是非ご教示下さると嬉しいです。

<<追記 2007-01-19>>
 @奈良の酒徒善人さんより、小豆粥は「ススキの穂のお箸」で戴く
  とのコメントを頂戴し、さらに後日詳しく教えて下さったので、
  皆さまにもお知らせ致したく、こちらに転載申し上げます。
  酒徒善人さん、ご協力ありがとうございました。

  『すすきの穂の箸は、穂のついた茎(茎だけで約30cm)で
   茎の部分を箸がわりにして食べます。
   そのすすきの箸は他の花とともに、
   水田に苗代を作るとき豊作を祈願して飾ったと思います。
   なぜすすきなのでしょう?稲のイメージかな?
   小豆粥を炊く火は、前日のとんどの火を昔は使っていました。』
  
   (酒徒善人さんのブログ「e411y」の『冬の華』 http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2007/01/post_b0c0.htmlより)


   さて、な〜ぜ、ススキの穂なのでしょう?
   酒徒善人さんの仰るように豊かに実った「稲穂」のイメージ、
   すすき=漱ぎ から 祓い清めのイメージ、
   ももりさんがヒントを下さったように、丈夫な作物のイメージ、
   茎の中の赤い芯からお日様の力を秘めたイメージ・・・
   いろいろな気持ちが合わさって、ススキの力に肖りたいと願った
   のでしょうか… これからも心に留めて情報を集めたいと思います。

   酒徒善人さんがススキの穂のお箸の写真を撮ってご自分のブログ
   に載せて下さいました。是非ご覧下さい!
   1月19日付『すすきの箸』
   http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2007/01/post_2185.html

 A「枕草子」十五日のお粥に関する楽しげな伝承の記述です。

  『十五日はもちがゆの節供参る 粥の木ひき隠して家の御達女房
   などのうかがふを うたれじと用意して常にうしろを心づかひ
   したる景色もをかしきに いかにしたるにかあらむ打ち当てるは
   いみじの興ありて うち笑ひたるは いとはえばえし』


   これは、もち粥を炊いた木の燃え残りで女性のお尻を叩くと
   子宝が授かると言う(叩いた人が男性なら、その人の子が
   授かるとも)風習の様子を描いたもののようです。

   華やかな方々が子供のようにはしゃいでいる様子が覗えて
   笑い声まで聞こえてくるようですね〜 さすが清少納言!

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ラベル:七種 ススキ
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2007年01月03日

万祝と紅型

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    ??〓 1241.jpg

 引き続き「アクアマリンふくしま」の内部展示のご紹介です。
この水族館は水棲生物の展示などに留まらず、海川と共に育った民族文化も多数、工夫を凝らして展示しています。

 この色鮮やかな染物は「万祝(まいわい)」と言い、房総半島から青森にかけての太平洋岸で見られる、大漁祝に網元から漁師たちに配られるお祝いの引き出物です。反物で配られ個々の家で仕立てたのだそうです。

 木綿地に型染め、派手な色合いのめでた尽くしの模様が印象的です。この鮮やかな配色と型染めの風合い…どこかで見たことがあるような??
そう思って歩いていると…

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     マンタを中心に南洋の生物満載の新作紅型

 別のコーナーで沖縄の紅型の展示に出会いました。そうです、万祝の色合い風合いは、この沖縄の紅型に似ていませんか?

 万祝の発祥地は鰯漁が盛んな房総九十九里とされているようです。万祝としてお祝いを配る文化としては、そこが発祥かもしれませんが、この鮮やかな型染は、房総・安房に渡ってくる前の故郷四国・阿波、さらには沖縄から伝わって来た文化の可能性があるのでは…?

 酉小屋〜鳥追い小屋に次いで、またしても妄想が広がる展示でした。



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2007年01月02日

福島の酉小屋

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                    酉小屋(とりごや)
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    内部の囲炉裏            内部の神棚

 今年のお正月は、福島県のいわきを訪ねました。アクアマリン福島という水族館の外には(内部観覧についてはまた後日)いくつかのテーマでビオトープが作られているのですが、その一角の田んぼの中に、竹で組んだ見たことの無い小屋をみつけました。

 説明板の記述によると…
 
 「酉小屋」とは福島県浜通り地方に伝わる正月行事です。
 正月が近くなると、田んぼの中に竹や木でできた小屋が
 作られます。 中には囲炉裏が作られ、子供が中に入っ
 て、餅を食べたり甘酒を 飲んだりします。

 旧正月には小屋を燃やし正月の神様が煙とともに天に
 帰っていくとされています。この時の火で餅を焼いて
 食べると一年間風邪をひかないといわれています。


 
 家人が秋田育ちの私には、まるで竹でできたカマクラに見えます。カマクラと酉小屋は、どちらが古く発生した行事なのでしょうか。雪のない地方でカマクラを模して酉小屋を作ったのか、それとも酉小屋を模して、雪国ではカマクラを作ったのか…または全く別に同じ様な発想でそれぞれの土地に発生したものなのでしょうか…?

 今、家人が留守で聞くことも出来ず、少し検索して調べてみると秋田の六郷という町での一連の小正月行事の中には、カマクラとは別に、四角く雪を組み上げた「鳥追い小屋」「鳥小屋」と呼ばれる雪室も作られるということで、ますます類似性が浮かんで来ました。

 七草でも「唐土の鳥」は悪い病を運んでくる悪者とされ祓われる対象ですが、稲作民族には稲を食べてしまう鳥は追い祓わねばならぬ嫌われ者のようですね。 

 それにしても、福島の酉小屋も秋田のカマクラもどちらも子供が主役で歳神様水神様と楽しく過ごすという所が、何とも微笑ましく思えます。

 かつて日本の子供ほど愛され慈しまれて育つ子供は世界に類を見ないと、日本を訪れた外国人が感嘆したそうですが、こんな行事を見ると、
本当にそうだったのだと思われます。
 

  銀(しろがね)も金(こがね)も 玉も 何せむに

   勝れる宝 子に及(し)かめやも (山上憶良)


 子供は「子宝」にして、無垢で神様に一番近づける存在として歳神様のおもてなしの任にあたっていたのかもしれない…ふと、そんな風にも思えました。


↓友部丹人さんのブログで茨城の酉小屋が拝見できますので、是非どうぞhttp://blog.goo.ne.jp/tan230/e/8aadf179061b13a55fb6eaa4d61e27bf



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2006年12月22日

冬至

    ??〓 1228.jpg
            
 やっと待ちに待った冬至です。
今年は、一身上の理由(なんだか今流行りですね・苦笑)で、
本当に冬至までが長く長く感じられました。 
太陽の力の復活を待ち望んでおりました。

 冬至は「一年で一番昼が短く、夜が長い日」。
でも、実は「日没が一番早い日」は、その1〜2週前ぐらいの間で
冬至を越すと、徐々に日没が遅くなり、急に昼が長くなったように
感じられます。 昔から、冬至過ぎれば、毎日、畳一目分も日脚が
長くなると言われている嬉しい気持、よく分かります。

 今朝、冬中日が当たらない谷間の村の村長さんが、向かい側の
山に大きな鏡を設置して、初めて冬の太陽の光を呼び込んだという
ニュースを見て、天照大御神さまの古事*を思い出しました。

 大きな鏡に反射した光を見て太陽は、さぞビックリしたでしょうね!

 *弟神、スサノオノミコトの暴れ振りを哀しみ天の岩戸にお隠れに
  なってしまわれたアマテラスオオミカミ様の興味を惹く為に、
  天の岩戸前でアメノウズメノミコトが唄い踊り、神々が
   「素晴らしい新しい日の神様が遣わされて嬉しい」
  と楽しそうに笑いさざめくと、天照さまは気になってそっと岩戸を
  開けて外を覗かれた。 その時サッと鏡が目前に差し出されたので
  ご自分の光を新しい神とお思いになり驚かれた天照様は、力持ちの
  神さまに引き出され、天地には太陽が戻ったという「古事記」のお話。


          ??〓 1226.jpg 
        お日様のような柚子の姿をうつしたお菓子

 過去の冬至関連記事:
 「冬至七種」http://yamasakuran.seesaa.net/article/10969746.html
 「一陽来復」http://yamasakuran.seesaa.net/article/10968927.html
  ↑この記事を読み、我が家のミモザが倒れてから丸一年経ったことに
   気が付きました。 冬至はミモザの命日だったのです…合掌。
ラベル:冬至 柚子 和菓子
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2006年10月30日

重陽の節供

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 今年の10月30日は、旧暦九月九日、「重陽の節供*1」です。

 丁度菊の花の咲き始める頃で、前の晩から真綿(蚕の繭から紡いだままの絹の綿)を菊の花に被せて置き、翌朝、その菊香や露をうつした真綿で身を清める「着せ綿」、薬効のある菊の花をお酒に浸して戴く「菊酒」という風習もあり、「菊の節供」とも「菊花の日」呼ばれています。

 そう言えば、旧暦九月九日はいつも「上弦の月半月」頃に当たるので、夜半の空には弦が上を向き「月の杯」も浮かびますね^^

 また古くは菊のことを「くく」と呼んでいたという説もあります。(例:古事記に記載の万葉仮名表記「久久理比売」は「菊理姫」のこと。
 また「久久」とは「久しく香る」の意。「花と樹の事典」柏書房より)

 それを読んで、私は、「久久」=「菊」→「九九」の連想で、菊の花が重陽の節供の花とされたのではないかとも思いましたが、探した範囲でそういう記述はみつかりませんでした。

 ただ「久久」は中国語で「悠久」の意味があるそうで、その意味からも、中国では同音の「九九」の日、重陽の節供は、家族などで山茱萸(サンシュユ) 食茱萸(カラスザンショウ)の実を髪に飾ったり、<2015-08-11 訂正・追記>袋に入れたりして持ち、高い山に登って天地の神様に不老長寿を願う日として、大切にされているそうです。

 処で「悠久」で思い浮かぶのは、9月6日にご誕生あそばされた秋篠宮悠仁(ひさひと)親王殿下。 帝王切開であれば9月9日を選ばれることも可能でしたのに、6日にされたのは何かきっと他に理由があるのでしょう。 それにしても「菊」と言えば、

   皇室の御紋「菊」=「久久」=「悠久」…

 なにか今年の重陽の節供は、感慨深いものになりました。
 

(以下は少数の子供読者の為の少しやさしい説明です^^)

*1「重陽の節供(ちょうようのせっく)」
  数字の奇数と偶数を、中国で生まれた「陰陽説*2」の考えでは、奇数=陽の数、偶数=陰の数とされます。 

  一桁(けた)の陽数の中で一番大きな数「9」=「陽」の力が一番大きい数、が二つ「重」なるこの日を、「重陽の節供」と呼びます。

  陽の数が重なる日は他にも1月1日・3月3日・5月5日・7月7日(五節供には1月1日の元旦ではなく、1月7日の「人日の節供」が入る)がありますが、中でも古来重要なお祭とされていた9月9日の重陽の節供は、どういう訳か、現代の日本では知識だけが残り、行事は一般的にはすっかり廃(すた)れてしまいました。

*2「陰陽説(いんようせつ)」
  世の中のすべての事柄は、陰と陽という相対した存在により成り立っているという考え。陽と陰とは、例えば、その文字通り、日向と日陰、明と暗、天と地、上と下、表と裏、善と悪、男と女、凸と凹、吉と凶(幸運と不幸)、喜びと悲しみ…このように思い浮かべると、一方の存在がなければもう一方の存在が成り立たないということが分かりやすいと思います。



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2006年10月07日

満月の夜

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 中秋(旧暦八月十五日)の名月は、残念ながら台風の余波の大雨で
お目にかかれませんでしたが、翌7日の晩、雲ひとつ無い澄み切った
夜空に昇ったお月様は鏡のような満月でした。 

 満月は明るすぎてとても私の携帯カメラの手に負えず、代わりに
月明かりに照らし出されたトコブシ(小さなアワビに似た貝)の
真珠色に輝く内面を写してみたら、そこには銀河系宇宙の渦が…
見えませんか…見える人には、きっと見えますよね^^

 一日遅れになりましたが、お月様にお団子をお供えして、
月読命の光を受けお力を授かったお団子を家族みなで戴きました。


<<追記 2006-09-10>>
  「中秋と仲秋」は意味が異なります。 新聞などでも適当に混用
  されているので、混乱されている方もいらっしゃると思いますが…
  
   ↓去年そのことについて書いた記事です。
   「中秋の名月」
   http://yamasakuran.seesaa.net/article/7059871.html
 
ラベル:満月 十五夜 中秋
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2006年10月01日

神無月

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 「神無月(かんなづき)」とは、旧暦十月の別名です。
今年は約3年に一度の閏月(閏七月)があったので、新暦の10/1
よりも2ヶ月近くも遅い、新暦11/21旧暦十月・神無月一日
なります。 まだまだ随分先のことになりますが、10月つながりと
言うことで、新暦10月1日のここに書いておきたいと思います。

 「神月」の漢字があてられていますが、「水月」に長雨で
水が豊富なように、私は様々な実り豊かな「神無月」にこそ、
神様の恵み、ご存在をより身近に大きく感じます。

 「無」は「無し」の意味ではなく、「〜の」という意味の「な」。
従って「水無月」は「水の月」であり、「神無月」は「神の月」
となります。

 「神嘗(かんなめ)祭(伊勢神宮で全国に先立ち行われる新嘗祭。
神様に今年の新穀を奉る収穫祭)」が執り行われる月ということで、
「神嘗月」から転じたものと言う説もあります。

 どちらにしても、穀物や果実の実る嬉しい月、神様への感謝の
気持が特に大きくなるこの月の名前は、「神の月」が相応しいと
思います。

 旧暦十月、出雲国に全国の神様が集まられる(神在祭)ので、その
他の国では、神様がお留守の「神無月」になるという神話は、中世
以降出雲の御師(おし)方の布教により全国に広がったようです。

 私はこの壮大なお話も大好きで、想像するともわくわくしてきます。
きっと神様は今も変わらず、神在祭には出雲に集われていらっしゃる
ことでしょう。 けれど、神様は同時に幾つの場所にもおわすことが
できるのですから、出雲以外の神社が空っぽになってしまうことは
ないのでしょう。 

 神無月は、出雲以外で神様がお留守になるどころか、寧ろ日本国中に
大いにご神気が溢れている、そんな月だと思うのです。
posted by 山桜 at 00:00| Comment(12) | TrackBack(0) | 祖先からの伝え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月28日

絡んだ糸を解く呪文

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 yukiさんの日記を拝読し、母方に伝わる絡んだ糸を解く呪文が
頭に浮かんで参りました。 皆様のお家にも何かそんな呪文が
おありでしょうか? もし秘伝でなければ、是非教えて戴けると
嬉しく思います。 さて、我が家に伝わる呪文は…
 

 「絡んだ糸を解く呪文」

  しゃしゃむしゃら むしゃらのなかの しゃしゃむしゃら

  むしゃらなければ しゃしゃむしゃらなし

 
 この呪文は、決して焦って早口で捲くし立ててはなりません。
こんがらがった糸は、自分の心の在り様を映す鏡です。
 
 呪文を唱えながら、自分が絡んだ糸になって絡みをスルスルと
抜けていくような気持にならなければいけません。
一度で解けなければ、幾度か繰り返してみて下さい。

 私は9割方成功します。 ダメな時は、大抵最初にこの呪文を
唱えずに始めてしまった時です。 何事も最初が肝心です^^;
ラベル:呪文
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2006年09月21日

彼岸花の篝火

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 今年も秋彼岸の入りを知らせるように、真っ赤な篝火が灯りました。
ここは先日、狐の子らの内緒の集いのような蕾を見つけたお地蔵様の
裏ですが、他にもこんなにも多くの彼岸花が植えられていたのかと
驚くほど、あちらこちらに真っ赤な篝火花が灯っています。 

 この頃は白い彼岸花も増えて、紅白めでたい雰囲気の寄せ植えも・・・
嘗ての不吉で不気味なイメージも随分と軽くなって来たようです。

 それが良いのか悪いのか・・・因習を除外して見れば、非常に美しい
愛でるべき花であるという思いも分かります。 しかし、その備わる
毒素で祖先のお墓を動物などから守ってきた「忌み花」としての畏れ
敬いを失わずにいたいとも思うのです。

 手折ってはいけない、家に持って来てはいけない、庭に植えては
いけない・・・などの祖先から伝わる禁忌は、やはり冒してはいけない、
私は今もそう思っています。


<<過去の関連記事>> 左下の「タグ」からも飛べます。

  「曼珠沙華(彼岸花)の名前の由来」
   http://yamasakuran.seesaa.net/article/7302611.html

  「彼岸花・秒読み」
   http://yamasakuran.seesaa.net/article/23848287.html

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2006年09月20日

東西金砂神社・磯出大祭

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 東金砂神社 磯出大祭絵巻 より お神輿を先導される猿田彦命
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 西金砂神社 磯出大祭絵巻 より お神輿を先導される猿田彦命


 私が今回朝日を拝した水木の浜では、今から3年前の未歳2003年3月、72年振り第17回めの、東金砂(かなさ)神社、西金砂神社の磯出大祭が行なわれました。

 3月22日に西金砂神社から、3月25日に東金砂神社からご祭神のお神輿が、お守りする数百人の行列を従え、はるばる30数kmの道のりを経て、ここ水木の浜にお渡りになり、ご神威を高める為にお神輿ごと海に入り「潮ごり」という禊ぎをされました。

 お渡りの途中、所々で田楽舞(国指定選択無形民俗文化財・県指定無形民俗文化財)を奉納するところから「金砂の大田楽」とも呼ばれています。 往復70数km、数百人の行列を仕立て6泊7日をかけて行われる御渡祭は他に類がないと言うことです。

 72年に一度、人生に一度あるかないかの大祭礼、伝統継承の大変さは想像に難くありません。 平安時代より連綿と祭礼を守り続けてこられた歴代の地元の方々に深い敬意を表します。

東金砂神社 806年 標高500m東金砂山頂にご鎮座
      元来神仏混合 日吉(ひえ)神社山王権現を祀る

西金砂神社 806年 標高405m西金砂山頂にご鎮座
      同じく元来は山王権現を祀る
        ご祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
             少彦名命(すくなひこなのみこと)
             国常立尊(くにとこたちのみこと)

 
茨城県HP内「発見!いばらき」より「西金砂神社大祭礼」
田楽舞の映像なども見ることが出来ます。(一部東金砂神社田楽も)
http://www.pref.ibaraki.jp/discover/festival/north/08.html



<<追記>>
  「水木」という地名の由来は、若しかして「御着き」?

  大洗の磯前(いそさき)神社の縁起でも、ご祭神の大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主(おおくにぬし)大神、少彦名命(すくなひこなのみこと)は、海から渡って来られたとある。

  遠い昔、大きなお力を持った方々が海から常陸の国に渡って来られたのは、間違いない史実なのだろう。
 
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2006年09月13日

御名と御印

 昨日「命名の儀」が行われ、新宮さまの御名と御印が発表されました。

        御名 悠人(ひさひと)さま

        御印 高野槙(こうやまき)

 秋篠宮さまは、初めに「ひさひと」の音が気に入られ、後に複数の
候補漢字の中から「悠然」「悠久」などの熟語に用いられている
「悠」の字を選ばれたとのこと。 畏れながら「久仁」さまでは、
久し振りの男子感が強く出すぎだったのでしょうか・・・。
「ゆったりと」「のびのびと」とは、いかにも秋篠宮さまらしいですね。

 江戸っ子にはちょっと難しい発音なのですが、雅なお方には
問題ないのでしょうね^^; 落ち着いて、お名前通りゆったりと
お呼びすることに致しましょう。

         *     *     *

 「槙」と言うと庭木や生垣に使われている針葉樹の中でも広めの
葉を持つものを思い浮かべますが、実はあれは「犬槙(イヌマキ)」で
「高野槙」こそが純日本特産の「本槙」なのですね。 私も今回初めて
確認できました。 実は私、恥ずかしながら樹木系は弱いのです。

 ところで日本書紀の中にはスサノオノミコトが髯(ひげ)から杉を、
胸毛から檜を、尻の毛から槙を、眉毛から樟(クスノキ)を作られた
と言う神話があり、各々の用途まで示されています。
これをまとめてみますと、

    髯   → 杉(スギ)   → 舟
    眉毛 → 樟(クスノキ) → 舟
    胸毛 → 檜(ヒノキ)   → 宮
    尻毛 → 槙(マキ)   → 棺(ひつぎ)

 口が始まりとすれば終わりの部位であるの部分の毛がで、
用途が棺(ひつぎ)と言う所に、私は注目します。

 始まり〜終わり〜始まり・・・月の満ち欠けと同じように、終わりは
また始まり
でもあるのです。 そして棺桶と言えば何だか縁起が
悪いような響きさえしてしまう所ですが、「ひつぎ」と言えば・・・
そうです、「日嗣」、「日嗣の宮」の意味が込められているのかも
しれません。

 「棺」はまた「柩」とも書きます。 ここにも「久(ひさ)」が!
柩は次の世代へ生まれ変わる「繭」なのかもしれません。

(畏れながら、祖母の命日の勢いでここまで書いてしまいました。
 また、あくまでも素人の推測です。 その点くれぐれもご留意下さい。 
 後で書き直すことがあるやもしれませんが、どうぞご了承下さい。)


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ラベル:皇室 日本神話
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2006年07月31日

七夕(旧暦)

 本日は旧暦の七月七日。 七夕の節句です。

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夜空の星の化身・カラスウリの花   月の化身ヒョウタンの花

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 梨・桃・ささげ・大豆・瓜・茄子・アワビの七種とお酒(ささ)の
代用で茗荷・李・隠元・大豆(枝豆)・胡瓜・茄子・お酒で七種に
整えてみました。 気は心ということでお許しを。

??〓 678.jpg
 
  左はm-matagoさんの所で飛翔さんに
 教えて戴いた茗荷のカササギです。
 
  茗荷に薄絹のような花が咲いていると
 本当に 天女の羽衣を纏ったような
 天渡る鳥の姿なのですが、庭に植えて
 いないとなかなか花の咲いた茗荷は
 手に入らず、残念です。 


 今日の夜空は、雲に霞んだ七日月とうっすら浮かぶ☆が一つ二つ。
久々の織姫・彦星の逢瀬を薄雲が優しく包んでいるようだった。
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2006年07月07日

七夕飾り

 今日は新暦の七夕さまの日です。七夕飾りやお供えの用意を
され、短冊に祈りを込めて、宵をお待ちの方も多いことでしょう。

 先日市内の高齢者ホームに、団の子供達を連れて出掛け、
七夕飾り・季節の歌・手遊び等をして、ホームのみなさんと
一緒に楽しく過ごして参りました。 

 その時に教えて戴いた、両面折り紙で作る七夕飾りを一つ
ご紹介します。 簡単に出来て見栄えがいいのでお薦めですよ^^

画像 642.jpg 画像 641.jpg
@裏表の色違いの折り紙を三角に二つ折り A写真のように切れ目を入れる
画像 646.jpg 画像 643.jpg
Bそのまま向きを変えずに開く   C一番中の四角を右に開く
画像 644.jpg 画像 645.jpg
DCの四角と次の枠を一緒に左にEそれらと一緒に次の枠を右に開く
                                  (できあがり)
 Aで交互に入れる切れ目の数は、少なくしても多くしても
  また雰囲気が変わって面白いです。
ラベル:七夕
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2006年07月05日

半夏生(4)・拾遺

 今まで半夏生について書いてきましたが、まとめ切れなかった
話題、その後に集まった情報などをここに箇条書きにして、遺して
おくことにしました。 随時更新します。

「半夏生」の決め方
 従来は夏至から11日めとされたが、現在は天球上の黄経100度
 の点を太陽が通過する日。 毎年7月2日前後。

「天から毒が降る」 天から毒気が降る日とされ、色々な禁忌がある。
 (例)毒が入らないように井戸に蓋をする。
   竹林に入ってはいけない(竹の花が咲いたり消えたりする
   ことがあり、それを見た者は死ぬとされた。埼玉)
   この日に採った筍、山菜、野菜は食べてはいけない。
   この日(またはそれ以後も)作物の種を蒔いてはいけない。
   豆や雑穀の煎りものを禁じる。(志摩・熊野沿岸部)

7月2日は「蛸の日」
 日本記念日協会認定(2001年7月22日付)
 主に関西地方でこの日に蛸を食べる。(毒の吸出し、毒払い、
 タウリンなどでの滋養強壮)

「饂飩の日」
 香川県生麺事業協同組合制定(1980(昭和55)年)
 主に讃岐地方では、饂飩を食べる。(新小麦粉による毒払い)

「はげっしょ鯖」
 主に若狭地方(福井県)では「(半夏生)はげっしょ鯖」と称して
 焼き鯖を食べる。
 (殿様が、普段庶民はなかなか食べられなかったご馳走の焼き鯖で
 この日に栄養補給することを奨励した。)

「半夏半作」
 半夏までに田植えを終えないと半夏半作になる
 (昔の稲の品種は今より田植え時期が1〜2ヶ月遅かった)

「半夏の禿げ上がり」
 梅雨の長雨もこの日には晴れ上がる(香川など)

「半夏雨」
 この日の雨は大雨になることが多い。

・半夏生より5日間は農作業を休む。(この5日間を半夏生とも呼ぶ)

・半夏生の天候によってその年の稲の豊凶を占う

妖怪「ハンゲ」
 ハンゲという妖怪が、この日田畑を徘徊するのでその難をさける。
 (三重・農作業を休む理由の一つ)

「虫送り」 稲の害虫をたいまつの火で追い払い豊作を願う行事。
 炎の行列が緑の水田を幻想的に照らす夏の風物詩(香川・小豆島)
ラベル:半夏生
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2006年07月04日

半夏生(3)・「さなぶり餅」

 奈良の酒徒善人さんのブログ記事で「関西では半夏生に蛸を・・・」
と拝見したのを、私の劣化した脳内で「奈良でも半夏生に蛸を・・・」
と変換してしまっておりました。 また、さなぶり餅についても、
記事を拝見したのが6月初旬でしたので、半夏生ではなくて旧暦の
皐月の行事のイメージになってしまっておりました。
↓酒徒善人さんのブログ記事「さなぶり餅」はこちらです。
http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2006/06/post_6c85.html

 ここにお詫びして訂正致します。申し訳ありませんでした<( _ _ )>

 奈良(大和地方)で、半夏生に戴くのは「さなぶり餅」です。
  sana_ph.jpg
「総本家さなぶりやHP」http://www.naraken.co.jp/tokusan/sanaburiya/より

 酒徒善人さんのブログ、さなぶりやHPにも詳細がありますが、
さなぶり餅の語源は、[さ=田の神様]+[なぶり=昇り]で、
田植えがすっかり終わった半夏生(夏至の11日後、今年は夏至が
6月21日、半夏生が7月2日)の頃(半夏生までに田植えが終わら
ないと作柄が半分以下になると言われている)田の神様にお供えして
豊作を祈願し、その後皆で戴くのだそうです。今はもっと早くに田植え
が終わるので、酒徒善人さんの所のように6月初旬に配られたのかも
しれません。(この時のお餅はさなぶり餅ではなかったようですが)

 また、大和地方は素麺に代表されるように嘗ては小麦文化が身近で、
古くはさなぶり餅といっても糯(モチ)米ではなく小麦餅だったのだ
そうです。 上記の「さなぶりや」さんでは、この小麦餅を復活して
製品化されています。 小麦餅に大豆で出来た黄粉をかければ、
不足しがちなビタミンB群やたんぱく質などを補うことも出来、
これから暑さに向う半夏生には栄養面でも満点だった訳ですね。

 いつもながら、昔の人の経験から来る生活の知恵には感心させ
られることばかりです。


ラベル:半夏生
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2006年07月03日

半夏生(2)・蛸

 幽黙さんの日記で面白いことを教わって来ました!
(あ、関西方面の人には、普通のことなのかもしれません^^;)

 「蛸」「しょう」とも読むので、「半夏蛸」と当て字して書き、
転じて「はんげたこ」、またまた縮めて「はげたこ」とも言うのだ
そうです。

 その「はげたこ」という言葉から「半夏だんご(団子)」が生まれ
売られている所もあるそうで、関西の人の柔らか頭発想に唸りました。
う〜ん、流石ですね〜! 

 また、その後、蛸を食べる理由をいろいろ探ってみたところ、
元々、田植えが終わって一心地ついた頃、
 「稲の根が蛸の足のようにしっかり四方八方に張るように」
 「稲穂が蛸の足のように立派に実るように」

という祈りを込めて、蛸を田に供えて流したのだそうです。

 今は人間様が食べてご利益を得ようとしているのでしょうか?

ラベル:半夏生
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2006年07月02日

半夏生ハンゲショウ(1)

   画像 567.jpg 画像 568.jpg
   横から見たカラスビシャクの苞    その地下茎「半夏(ハンゲ)」
   (白く細長い蛇の首のような部分)   (小さなコンニャク芋のよう)

           画像 566.jpg
          ハンゲショウ「半化粧」「半夏生」


 今日は二十四節気七十二候中の一つ、半夏生
夏至から数えて10日目

 半夏(ハンゲ)とは、サトイモ科の植物カラスビシャクの地下球茎を
乾燥、外側のコルク質を除いたもの(写真右上)で鎮吐、鎮咳、去痰
などの効用がある漢方薬の材料。このカラスビシャクの花が咲く頃を
「半夏生じる頃=半夏生」と呼ぶ・・・
 私が目にした本やサイトには大体上のようなことが書かれてある。

 そのことは知識として頭にはあったが、本当に夏至から10日目頃、
カラスビシャクが咲くのか確認する為に、6月中旬、薬用植物園に
カラスビシャクの在り処を確認しに行った。 ところがなんともう、
その6月中旬には栽培場所の花は殆ど終わり、係りの方に植え込みの
中でひっそりと咲いていたカラスビシャクを教えて戴きどうにか撮影
することが出来たという有様だった。(写真左上)

 若し今日「半夏生」だからと見に行ったとしても、花を見る事は
出来なかっただろう。 咲く時期は地域によって異なるだろうし、
大体は関西中心に考えた方がいいのだろうが、関東で半月以上も
開花が早ければ、関西では普通もっと早かった筈であまり収獲の
目安にならないように思う。 それともこれも地球温暖化の影響
なのだろうか・・・? 

 そこで、私の勝手な仮説だが、一般に薬草は花の咲き始め頃が
一番充実しているので摘み取る事が多いが、それは地上部を用いる
からであって、養分の貯蔵庫である地下茎は花を咲かせたばかりでは、
養分を使い果たしてしまっている。 かといって芽を出したばかり
でもやはりいけないので、
「花が終わって葉が茂り充分養分を蓄えた頃=収穫期=半夏生」
なのではないだろうか? あくまでも「半夏」は地下茎であって、
花では無いのだから・・・。

 一方、同様に半夏生の頃に咲くということでハンゲショウと呼ばれる
ドクダミ科の植物(写真下)もあるのだか、こちらも同じ日に丁度
花穂より目立つ、ドクダミの4枚の苞にあたる上の方の葉が白く
色づき始めていた。 多分、まだこの植物は今も咲き続けているかも
しれないが、「半夏(七月の初め)の頃咲き始める」とは言えない

 ハンゲショウは別名「片白草」とも呼ばれる通り、上の方の葉が
半分白くお化粧したように見えることから元来の意味は「半化粧」
だったという説が真っ当だと思う。

 しかし、地下茎は高名な漢方薬でも花は地味なカラスビシャクより
風にそよぐ白い葉が爽やかで良く目立つ半化粧の方が、夏の訪れを
知らせるこの季節にぴったりだったので、いつしかこちらの方が有名
となり「半夏生」と言う文字を冠されてしまった
のではないだろうか。


           *     *     *

 ところで、酒徒善人さんに教えて戴いたのですが、関西(のどの範囲で
かは不明)では、半夏生の日には蛸を食す習慣があるとのことです。
(検索してみると、蛸の足のように作物が良く根を張るようにだとか、
タコがスタミナ食だから夏バテ防止のため、などと書いてあったのですが、
酒徒善人さんのお宅ではどのような由来が伝わっているのでしょう?)

 以前に冬至は南瓜、では夏至には何を?というような日記を書いた事が
ありますが、やはり日本では夏至は梅雨の真っ只中であり、あまり意識
されずに過ごしてしまい、梅雨明けごろにあたる半夏生の方が注目され
たのでしょうね。

 皆様のお宅では半夏生、または夏至の行事食というものはありますか?
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2006年06月30日

夏越の大祓・茅の輪と蘇民将来

 今日6月30日は、新暦での半年に一度の大祓の一つ「夏越の大祓(なごしのおおはらひ)」の日です。 もう一つの大祓は大晦日12月31日の「年越の大祓」です。

<追記 2006-07-01>
 水無月祓、難越の節供、輪越祭、輪正月とも言われ、一年の半分が終わる六月三十日に、半年分の罪穢を祓うのが大祓式です。 後半期はじめの盆祭を迎える為のお清めの意味を持っています。(後半期の大祓式は十二月三十一日で、お正月を迎える為のお清めの意味を持っています。(中氷川神社 説明書きより)


 暑さに向い疫病の流行りやすいこの時期に、年の前半知らず知らずに犯してしまった罪、積もってしまった穢れを、和紙で作られた人形(ひとがた)・形代(かたしろ)に移し、神社に設けられた大きな茅の輪を∞の字を描くようにに3度くぐってからお宮に詣で祓い清めて戴きます。

<追記 2006-07-01>
 昨日参拝した中氷川神社では、特に∞の字に回ると言う説明は無く、
『茅の輪をくぐりながら、
【水無月の夏越の祓する人は 千歳の命のぶというなり】
と唱え、輪をくぐる時に名前を書いた人形代に息を吹きかけ、人形箱に納めることにより、半年間に渡って身についた罪穢れ、病魔をすっかり祓い去る事が出来ると言われています。』
との説明がありました。


画像 563.jpg
 「人形」「形代」(これには未だ罪穢れは移してませんのでご安心を)

 私もこれから夕刻に神社へ参りますが、その前にこの「茅の輪くぐり」の縁起となる物語、備後風土記逸話の中の「蘇民将来」をご紹介したいと思います。今日この物語に触れることに意味があると思いますので・・・


     『蘇民将来』(備後風土記逸文より) 柴田民三・文

 昔、北の海に、武塔(むとう)の神という神がいました。
 ある時、南の海の女神を訪ねていく途中、備後の国で日が暮れてしまいました。
 『暗くなっては、旅も面白くない。 どこかに泊めて貰おう。』
 武塔の神は、そう思って辺りを見まわしました。

 丁度その辺りには、蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来(きょたんしょうらい)という兄弟が住んでいました。 兄の蘇民将来の家は大層貧乏でしたので、武塔の神は、弟の巨旦将来の家の門を叩きました。
 「お願い申す。 今宵一晩、お泊め下され。」
 ところが、巨旦将来は、
 「人を泊める部屋などは無い。 他の家に頼んでみさっしゃい。」
と、門も開けず顔も出さず、けんもほろろに断りました。

 『不親切な、欲張りめが。』
と、武塔の神は、むかむか腹を立てながら、今度は兄の蘇民将来のあばら家の前に立ちました。
 「今宵一晩、お泊め下さるまいか。」
と、声をかけると、すぐ主の蘇民将来が出てきて、
 「むさ苦しい所ですが、宜しければどうぞお泊り下さい。」
と、丁寧に武塔の神を招き入れました。

 主の言うように、本当に粗末な家でした。けれど、蘇民はいそいそと新しい粟殻を厚く敷いて、武塔の神の座席を作りました。それから、
 「敷物もございません。これにお座りになってお待ち下さい。 
只今、ご飯を差し上げます。」
と言って、台所に行きました。
 けれど、米などありません。粟のご飯を炊いて、武塔の神をもてなしました。食事が済むと、又、粟殻(あわがら)を持って来て寝床をこしらえてくれました。

 武塔の神は、こんな粗末な食事をしたことも、こんな固い布団に寝たことも初めてでした。けれど、蘇民の親切が身に染みて嬉しく、粟のご飯も美味しく食べ、粟殻の布団の上で気持ちよく眠りました。

 夜が明けると、武塔の神は、
 「心からのおもてなし、ありがとうござった。いつまでも忘れることはありませんぞ。」
と、蘇民将来に厚く礼を述べて、南の海に向って旅立って行きました。

 それから、幾年か過ぎたある日でした。武塔の神は、南の海からの帰り道、備後の国を通りかかりました。今度は一人ではなく、八人の子を連れていました。武塔の神は、巨旦将来の家の前を素通りして、蘇民将来の家を訪ねました。そして、
 「蘇民将来よ、いつぞやのお礼に参った。お前の身内の者は、この家に何人いるか。」
と聞きました。 蘇民は、跪(ひざまず)いて
 「私と、妻と、娘の三人でございます。」
と答えました。 すると、武塔の神は、
 「そうか。今夜は、お前達の家の者は、茅(ちがや)で作った輪を腰に着けて休むのじゃ。忘れるなよ。」
と教えました。
 「はい、仰るとおりに致します。」
 蘇民は、武塔の神に言われたとおり、三人で茅の葉で作った輪を腰につけて休みました。
 
 その晩のことです。 恐ろしい疫病神が村中を暴れまわりました。 その為に、巨旦将来をはじめ、村の人達はみんな死んでしまいました。 生き残ったのは、蘇民将来と、その妻と娘の三人だけでした。

 恐ろしかった夜が明けると、武塔の神が蘇民将来の前に現れて、
 「私は、速須佐雄(はやすさのお)の神である。後の世に疫病が流行った時は、
『自分は、蘇民将来の子孫だ。』
と言って、茅の輪を腰につけた者だけが助かるぞ。」
と言いました。

 これが疫隅神社の起こりだと言われています。
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2006年06月14日

ゲッツ豆(蚕豆)

画像 541.jpg

 今年の蚕豆の初物です。 秋田では、初物を戴く時は、
東を向いて大声で「はっはっは〜!」と笑う儀式?があります。
で、ちょっと笑った顔↑にしてみました。 笑って見えます?
髪型から言うと、サザエさんっぽいかも(笑)

          画像 542.jpg   

 蚕豆は、ふわふわの真綿のようなベッドでスヤスヤと寝ている
幸せな赤ちゃんのようです。 鞘とくっついている少し濃い緑の
部分は胎盤のようでもあり、ちょっと「おしゃぶり」のようにも
見えませんか?

 そんな可愛い蚕豆ちゃんを、秋田弁では「ゲッツ豆」と呼びます。
どういう意味? なんでそんな名前なの? ヒントは下の写真です。

            画像 543.jpg

 どうです、この角度・・・かなり色っぽくないですか?
このなめらかなカーブ、ふたつのふくらみは・・・そうです「おしり」
お尻→ケツ→ゲッツ、つまり「お尻豆」って意味なんだそうです。

 このことを聞いてからというもの、蚕豆はお尻の形を確認しないと
戴けなくなってしまいました。 その他の細かい相似点などは
ご自分でいろいろ眺めて発見なさってみて下さいませ〜(*^^*)

 ちなみに家人は私がこの豆の名前を言うのを良しとしません。
秋田でもおおっぴらに口にするような名前じゃないのだとか・・・
皆様もうっかり人前で口になさらない方が良いかもしれません。

          
posted by 山桜 at 00:00| Comment(10) | TrackBack(0) | 祖先からの伝え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする