2006年03月16日

方言バトン

またまた、面白いバトンを貰って来ました!

「**方言バトン**」!!
この回答は福岡県の柳川市の近くの生まれ育ちのprism11さんからです。

【1.あなたは何をしているんですか?】 あんた〜、なんばしょっとね。
【2.僕(私)はあなたが好きです】 あんたんこつば、すいとったい。
【3.やめてください】 やめっくれんの。
【4.本当にやめてください】 ほんなこつ、やめっくれんの。
【6.おじいさんは山に芝刈りに、おばぁさんは川に洗濯に行きました】
   じっこはぁ山さすばがりに、ばっこはぁ川さ洗濯にいっだと。
【7.我輩は猫である】 おっどんな猫たい。
【8.僕は死にましぇ〜ん】 おらぁ死なね。
【9.よ、よくもクリリンを・・・あいつはもう生き返れない…】
  は〜、あんた、クリリンばうち殺してくれたばいの。
   あんやつぁ、もういっかえらんごつなったたい。
【10.クララ…クララが立ってる】 クララ、ほ〜う、クララの立っとらすたい。
【11.同情するなら金をくれ!】 同情するくれんこつなら金くれんの!
【12.隣の客はよく柿食う客だ】 横んお客さんな〜、よ〜柿ば食わすお客さんばいの〜。
【13.アムロ レイ行きます!!】 アムロ レイ ほんなら行ってくったい。
【14.ドラえも〜ん、なんか出してよ〜】  ドラエもん、なんかくれんの。
【15.君に決めた!】 あがんにしたけんの。
【16.これは本当にどうしようもありません。】 こりゃもうどげんしよもなかたん。
【17.私は油濃い料理嫌いです。】 おりゃ油ん濃かつぁ〜好かんばい。
【18.本当に面倒くさいです。】 は〜、ほんなこつ、せからしか〜!
【19.本当ですか?】 ほんなこつの?
【20.次は誰に回しますか?】 つぎゃ〜だんにすんの?

「私もやりたい!」という方、どうぞ持っていって下さいませ!

 山桜は家人に取材して秋田弁編を鋭意作成予定。
いつになるか分かりませんが、乞うご期待! 
 


posted by 山桜 at 00:00| 東京 ☁| Comment(8) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月12日

菱形とは?

 雛祭りの菱餅は、どうして菱形をしているのか?
検索をかけてみると、人の子を食べる鬼を欺く為、人の子の味がするという
菱の実で餅を作り、その菱の葉の形を模して作ったとの記述があった。

菱餅は下から順に白緑紅の三段重ね。 その色の意味は、
緑は子供(嬰児)
白は心身の潔白
紅は事を成す情熱
を表し、
そして三段重ねは親・子・孫の三代を表し、子孫繁栄を意味しております。

本来、これを半分に切り、片方を父方へ、もう片方を母方へ分け与え、感謝の意を表すものなのです
posted by 山桜 at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月04日

[立春大吉]

snowdrops.JPG

 立春正月、おめでとうございます!

 新暦正月(新暦1月1日)
 旧暦正月(旧暦1月1日、2006年は1月29日)
 立春正月(2006年は2月4日)

 昨日は冬・春の節分。 
豆をまいて旧年中の鬼を退治されましたか?

 大晦日もお正月も三度味わえるこの国この時代に生まれて嬉しいです。
仕切りなおしの機会が多いのは、要領の悪い私には本当にありがたいです。


 写真は、「スノードロップ(和名:待雪草、雪の花、雪の雫)」 ヒガンバナ科

    雪しずく ひかりとどめて 花ころも   (山桜)
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2006年01月07日

春の七種(草)

nanakusa2.JPG okayu.JPG 

 まな板に 旭さすなり 芹薺(せりなずな)          泉鏡花

 
 芹(せり) 薺(なずな) 御形(ごぎょう) はこべら 仏の座

            菘(すずな) 清白/蘿蔔(すずしろ) これぞ七草

                          四辻の左大臣(平安京)

 君がため 春の野にいでて 若菜つむ

            わが衣手に 雪はふりつつ       光孝天皇

 せり   :セリ科
 なずな  :アブラナ科 ペンペン草
 ごぎょう :キク科 母子草(ハハコグサ)
 はこべら :ナデシコ科 はこべ
 ほとけのざ:キク科 小鬼田平子(コオニタビラコ) 
              理科の教科書等に載っているピンクの小花が咲く
              ホトケノザは、シソ科オドリコソウ属の同名異種。
 すずな  :アブラナ科 蕪(かぶ)
 すずしろ :アブラナ科 大根

 七草は田畑が身近だった頃、冬でもロゼッタ(バラの花状に地面に
張り付いた形)化し越冬しているため、手に入りやすい青菜だった。
今でも我が家の庭からはホトケノザ(コオニタビラコ)以外は調達可能。
今年はコオニタビラコの自家調達に向け、根を得る為に「七草セット」
というものを購入してみた。オニタビラコなら沢山生えているのに…。
もし、この根を植えて、伸びてきた草がオニタビラコだったら…
訴えてやる!(苦笑)

 取り分けて置き庭に植えようと目論まない方は、七草の根っこも
全部綺麗に包丁で叩くか擂鉢ですって、貴重な薬効を無駄にしない
ように。 特にセリは根っこの香り高く薬効もあるのでくれぐれも
切り捨てないこと。 なんて、今頃書いても遅い・・・。

 ♪七草 なずな 唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬうちに ストトントントン・・・

 厄を祓う包丁の音と囃子歌は、寒さで縮こまった生命力をも呼び
起こす。 立春までは、未だ「酉(とり)年」。唐土の鳥は大陸から
厄病をもたらすと言われている。 さしずめ(鳥)インフルエンザも
その一つかもしれない。 まだまだ油断めされるな。
 


<<追記 2006-01-11>> 
 単に「七草」と言った場合、それは本来「秋の七草」を指すとのこと。
 「七種」が「春の七草」を指すのだそうだ。
 という訳で、改題致しました^^;

  ことことと 真白き粥に 草緑 

        ゆかしき春の 写し絵のごと    (山桜)

 
ラベル:七草 七種
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2005年12月31日

なまはげの名前

 秋田・男鹿、なまはげが下りてくる真山(しんざん)神社の宮司さんが、
日経新聞29日の文化欄に書かれていた記事によると、真山から下りて
各地区を回った後、最後に回ってお山に帰ると言われる安全寺地区の
なまはげは、3匹のトリオ(他地区では普通赤青2匹1組)で、それぞれに
名前まであるそうだ。

 赤鼻のトナカイの名前がルドルフだと知っていても、なまはげの
名前を知っている人はすくないのではないだろうか。勿論私も初めて
知って嬉しくなり、大掃除中に新聞を切り抜いて大晦日の今日(なまはげ
が来る日)の為にとっておいた。

 なまはげトリオの名前
  リーダー: オクヤマノスケ (四角い顔で頬が丸い)
  乱暴もの: キバノキンスケ
  歌上手 : ササデノサンスケ

 そして現存する最古のなまはげ面は、江戸後期のもので下の写真の
ように恐ろしげな顔ではあるが鬼のような角はなく、赤は男、青は女
とされるそうだ。(このお面だと女の方が恐ろしいような・・・)
kamen2.gif

 ああ、じきに歳神さまの化身のなまはげが我が家にもやって来る・・・?

 「泣く子はいねがー! 怠け者はいねがー!
  親の言うこど聞がね子はいねがー! 親の面倒よく見ねえ嫁ごはいねがー!」

 いません、いません、もう一息最後まで家事に励みますから、お許しを。
 どんぞこっちさ座って酒っこあがってくだっせ・・・。」

 男鹿のなまはげ↓
 http://www.pref.akita.jp/fpd/bunka/oga2003/namahage01.htm

 
 皆様、今年も大変お世話になりました。 
 お蔭様で日々楽しく良い一年を過ごすことができました。
 新年も皆様に幸せがたくさん訪れますように、心よりお祈り申し上げます。
posted by 山桜 at 17:05| Comment(6) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月29日

萎れたる花

 新聞の整理中、ふと読んでいなかったコラムに目が留まる。
こんなことも大掃除の楽しみの一つ(だからちっとも終わらない)。
暫くブログはお休みなどと書いたばかりだが、備忘録。

 27日の日経新聞夕刊1面コラム「あすへの話題/萎れたる花の・・・佐江衆一」の
最後の一文、
「しかし世阿弥はこうも言っている。花がないのに萎れたふりだけしても無駄だ、と。」
コラムの主旨は違う所にある。しかし私は最後のこの部分に強く惹きつけられた。

 早速、元の世阿弥の言葉を「風姿花伝」より検索:

「萎れたると申すこと 花よりも猶上の事にも申しべつ

           花咲かぬ草木の萎れたらんは 何か面白かるべき」


 真の花を咲かせてこそ、真の萎れたる風情を醸し出すことができる。
真の花を咲かせないでおいて、ただ萎れたような振りをしているのは醜く湿っぽい。

 しかるべき時にしかるべき言葉は神様から授かるものだ。今、この言葉を得た。
迎うる年には「もう歳だ」「やはり歳には勝てない」などの愚痴は慎もう。
その時分(年代)ごとの花を咲かせて、いつか真の萎れたる風情を得る為に。


 


posted by 山桜 at 16:43| 東京 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月28日

年の瀬の「瀬」

 いよいよ年の瀬。「瀬」とは水の流れがある所。対する言葉は「淵」だろうか。
流れといってもせせらぎのような流れから激しい急流まで様々だ。

 では、年の瀬の「瀬」とはどんな流れの瀬であろう? 私の脳裏に浮かぶのは、
新しい年を迎える為にしなくてはならないことが一気に押し寄せる「怒涛」の瀬。
ゆるゆると流れていた時の流れが、あれよあれよと加速する難所の瀬。
ここを越さなければ新しい歳神様をお迎え出来ない切羽詰った瀬戸際の瀬だ。

 最近は寒空の下、冬の大掃除はやめて、夏に済ませましょう。
年末の年越の準備から解放され、旅先で新年をむかえましょう。
・・・等という人々も多い。そういう私もどちらも実行したことがある。
正直、楽は楽であったが、とても味気ないものであった。
その上、帰途大雪に立ち往生するという、バチまであたり・・・。

 やはり、節目節目のすべき時にすべきことを行う。
これがご先祖様から伝えられて来た、日本の伝統、あるべき姿。
さまざまな約束事をおろそかにすれば、それなりの新年しか迎えられない。
第一、ろくに掃除も済んでおらず、元旦にだれもいないガランとした家に
どうしてお正月様=歳神様=福の神様がいらっしゃれようか・・・。

 ・・・と、言う訳で目下、年越し準備に大わらわ。 ブログも休止中。。。


 皆様、今年も大変お世話になり、ありがとうございました。
準備万端整って心晴れやかにお会いできる日まで、ご機嫌よう!
どうぞ良いお正月をお迎え下さいませ。 m(_ _)m 山桜 拝

 
posted by 山桜 at 15:21| 東京 ☀| Comment(10) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日

冬至の七種

 我が家では、冬至にはいとこ煮(南瓜と小豆の炊き合わせ)を食べて、柚子湯に入る。
それしか知らなかったが、去年「冬至の七種」という縁起ものがあることを知った。

 冬至の七種: なんきん(南瓜)
          にんじん(人参)
          きんかん(金柑)
          れんこん(蓮根)
          ぎんなん(銀杏)
          かんてん(寒天)
          うんどん(うどん) 「運・鈍(辛抱強い)・根(性)」の出世3要素に通じる。

 全て「ん」が2つつく食べ物で、「んん」=「うん」運がつく、ということだろうか?
一陽来復にあやかって、良い運がつくことを願う気持ちと健康に良い食べ物が一致して
いる所が素晴らしい。昔の人の智慧にはいつもいつも感心させられてばかりだ。


 <追記>
  冬至に柚子湯に入るのは、冬至(とうじ)=湯治 の言葉合わせと、
  黄金色の柚子=金の融通 ということで縁起が良いことによるとか。
ラベル:冬至 柚子 七種
posted by 山桜 at 19:07| Comment(8) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月22日

一陽来復

「一陽来復」 
 ・冬至のこと。
 ・陰の気が極まり、少しずつ陽の気が戻って来ること。
 ・が終わりになること。
 ・逆境・不運など、良くないことが続いた後、ようやく好運が向いて来ること。

 今日は冬至。一年で最も太陽の出ている時間が短くなる日。
春とは名ばかり、実際にはこれから冬本番ではあるが、
明日からは日増しに明るい時間が延びていくのが嬉しい。

 そんな冬至の昼下がり、外での用事を済ませ、我が家の見える角を曲がった時、
目の前に信じられない光景が飛び込んできた。

 我が家の歴史(といっても高々丁度10年だが)と共に成長し、高さ6m以上、
株元の直径20cm余りにもなっていたミモザ(銀葉アカシア)が、根元から
バッサリと折れ、道路に横たわっていたのだ。あまりの出来事に暫し呆然・・・。

 帰途、目も開けられないような強風に煽られた時、持っていた買い物袋が、まるで
ブンブン凧のようにヴ〜〜〜ンと呻り、このまま自分もトトロの如く空に舞い上がる
のではと思う程だった。恐らくその激しい一陣の風がミモザを空へ連れ去ったのだろう。

 何年か前から根元にサルノコシカケのような茸が生え始め、衰えは感じていたが、
まさか折れる程に傷んでいたとは気付かなかった。今年も枝いっぱいに小さな蕾を
びっしりとつけていたのに、とうとう花開くその日を迎えることが出来なかった…。
今年初めて、落ちた種から沢山の芽ばえが生じた訳がようやく分かった。 
己の寿命を悟り子孫を残そうとしていたのか・・・。

 ミモザが去った後、南の空がポッカリと開け明るい光が庭に降り注いでいた。
大きな喪失感と引き換えに、多くの太陽の日差しが戻ってきた。
冬至に文字通り「一陽来復」、新しい運気が巡って来たようだ。
ラベル:冬至 ミモザ
posted by 山桜 at 00:00| Comment(10) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月09日

上弦の月・下弦の月

 今夜は新月から数えて月齢八日めの半月「上弦の月」
半月の形をと見做し、弓の弦が上向きであるとの意味とされる。
しかし、月が昇る時沈む時とでは、弓の弦の上下は逆になる。
上弦の月の場合、昇り始めは弦が下で弧が上、正中した時に弦が垂直になり、
その後沈むまでは弦が上で弧が下になる。

 従って、単に弦が上の半月は上弦の月、と覚えていると月を見た時間により、
呼称がとり違えられることがある。良く本を読めば「沈む時に弦が上向きの半月を
上弦の月、沈む時に弦が下向きの半月を下弦の月と呼ぶ」と書かれているが、
これも「あれ、昇る時だっけ? 沈む時だっけ?」とあやふやになってくる。
右半分が上弦、左半分が下弦、という覚え方もどうも曖昧になりやすい。

 私は弦の上下ではなく、新月から満月の間、ひと月の上半期の半月を上弦
満月から新月の間、ひと月の下半期の半月を下弦、と覚えた。つまり…

  ●新月 〜 半月半月(上弦) 〜 満月満月 〜 (|半月(下弦) 〜 ●新月
   
 あれこれややこしく書いて来たが、本当はもっと簡単な話で、
「半月を描いて下さい。」
と言われたら、殆どの人は右側が膨らんだ月を描く筈だ。何故だろう?

 実は、上弦の月は、お昼頃に昇り・日没の頃に正中・真夜中頃に沈む
反対に、下弦の月は、真夜中頃に昇り・明け方頃に正中・お昼頃に沈む。

今月で言えば、11月 9日(上弦) 月の出12:55 正中18:06 月の入23:23
          11月24日(下弦) 月の出23:48 正中 5:47 月の入12:35

つまり、朝起きて夜寝るという普通の生活をしている人が、夕方や夜半の
帰り道などに見ている半月は、必ず右半分の半月=上弦の月、という訳だ。

 下弦の月は、やっと昇り切った頃には夜が白々と明けてくるので、
滅多に拝めない。はっきりと眺められる時間自体も少ない。
夜更かしした深夜か早起きした朝にしか見ることが出来ない下弦の月は、
二十三夜様として信仰の対象にもなっている。
このことは又、下弦の月が巡って来る時までに調べて書いてみたい。

 




posted by 山桜 at 20:34| 東京 ☀| Comment(6) | TrackBack(1) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月26日

何故、九十九=つくも?

@「ツクモ」はカヤツリグサ科のフトイの古語
 フトイの写真と記事→http://www.hana300.com/futoi0.html

 写真のように細長い茎を沢山伸ばす。これを刈り取り干したものを ムシロなどに編んで用いたので、古くは馴染みの植物だったのだろう。

A「つくも髪」は老女の白髪を示す言葉
 ツクモが刈り取られず立ち枯れたさまや、編まれぬ前にバサリと積ま れたさまは、確かに老女の白髪を連想させたかもしれない。

 私が白髪を思い浮かべるのは寧ろ「翁(オキナ)草」の種なのだか、
 翁草→http://www.hana300.com/okinag.html
 当時はつくも草の方が身近な植物だったのだろう。

B「白」と言う漢字は、「百」から上の横棒「一」を取った形

@→A→Bの流れから、

     「つくも」 = 「白(髪)」 = 「百」−「一」 = 九十九

と転じたことになるが、さてはて…?

 

  ももとせに ひととせ足らぬ つくも髪

                我を恋ふらし おもかげに見ゆ

           (伊勢物語 第六十三段 つくも髪 より)
 


<<2005.11.18追記>>
 「九十九」は「百」に次ぐ数字なので、「次ぐ百(つぐもも)」
 から転じたとの説あり。 



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2005年10月25日

九十九神

 九十九(つくも)神とは、私たちが使う物や道具などに宿る神さまの総称。
九十九とは沢山の物、いろいろな物という意味でもあり、百引く一又は百に
一足りないということで、他に様々な捉え方をすることも出来るようだ。

 長く大切に使われた物には良い魂が宿り、持ち主に幸運をもたらして
くれもするが、未だ使えるのに捨てられたりぞんざいに扱われた物
には悪い魂
が宿り、持ち主に悪さをすることさえあると言う。
(九十九と言う数字には、もう一年使ってくれさえすれば百年もったのに…と
悔しがる物の思いを込めたという説もある)他にも、手放したくないのに泣く泣く
手放された物には、その持ち主の悲しみが宿るとも言う。

 このような神さまは時に妖怪とも呼ばれ、破れ提灯唐傘おばけ一反木綿
などが有名だ。おばけ箒という妖怪は、怖ろしいことに家に不幸を掃きこみ
続けるとか…! 道理で祖母たちは、箒の先を曲げないように、偏らせないように、
毛羽立たせないようにと、色々と気を配り大事にしていた訳だ。

 「物を大切にしないと化けて出るぞ!」と子供を脅かして教育
することは、最近ではいけないことになってしまったらしい。
(子供の人権侵害、幼児虐待、etc...)
こうして物にも魂があるなどいう非科学的な考え方は、「あ〜勿体無い魂」
共に闇に葬られていくのだろうか。

 落ちたものを拾わない、床にあるものを平気でまたいで通る、そんな子供が
増えた。廊下にフックから落ちた体操着袋が落ちていても拾って掛け直すどころか、
平気で蹴る子供までいる。とりわけ大事にされていた文字の書いてあるもの
でも新聞でもお構いなしに踏みつけることさえある。
私の祖母がいれば、問答無用、ピシャリと足をはたかれるところだ。
落し物忘れ物は探しもしないし、勿論記名もされていないので、学校の保管棚は
物であふれかえっている。

大人でもそうだ。建築現場で平気で道具もまたぐ大工さんに驚いたことがある。
「道具は大工の魂」だった時代は終わったのだろうか? 

 目の前のPCにも「九十九神」は憑くかも知れない。
ゆめゆめぞんざいには扱うまいぞ


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2005年10月24日

「一言既出、駟馬難追」

  一度口から出してしまった言葉は、慌てて四頭立ての馬車で取り返そうと
追いかけても追いつくことは出来ない・・・。 
ブログが書けなくなっていたもう一つの理由は、新聞でこの諺を目にしたことだ。

 話し言葉と書き言葉、どちらが正しく自分の意を伝えられるのだろうか?

 話す時は相手が目の前に居て、表情や声の調子など言葉を補う情報が多い。
しかし言葉は発した瞬間に消えていき、双方の記憶の中にしか残らない。
記憶というものは曖昧で、双方に都合のいい解釈が加わって変化する。
同じ場にいて同じ話を聞いた何人かが、全く別の解釈をして他に伝えることさえある。
聞いているような顔をして聞いていないことも、良くあることだ。

 書き言葉は、書いてから何度も読み返し推敲することも出来、どうやら自分で
納得してから発信することが出来る。しかし、いくら絵文字などで補っても
正しく感情を伝えるのが難しいこともある。例え真意と異なった解釈をされても
それを告げて貰えなければ、訂正することも出来ずに残されていく。
ブログへのアクセス数が増えても、コメントを戴ける機会は希少なので・・・。

 結局、話言葉・書き言葉どちらにしても、誤解の生じないよう十分な配りが必要。
そんな風に考えて、暫く書けなくなってしまった。

 ・・・はい。 スランプ?の言い訳です。


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文字を持たずに暮らせた民

 文字は、違う部族(征服者と隷属者など)間の契約の必要性から生じたという説が
ある。逆に言えば、同じ言葉を話す一族の中では文字は必要なかったと言うことだ。
そうして長く文字を持たずに生きてこられたご先祖さまは、幸せな民だったのだろう。

 ご先祖さまは文字に残さぬ代わりに、大事なことは何度も何度も繰り返し話して聞かせ、
語り継いできた。言葉を大切に思う気持ち、言葉への心の込めようも、今とは比べ物に
ならないだろう。そうして人から人へ、自然に内容は磨かれ珠玉となった。

 その伝承は例え文字化されたとしても、祖父母から孫へ、父母から子へ、口から口へ
伝えて行きたいものだ。音にされ初めて命を得る言の葉もあると信じているから。
posted by 山桜 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月15日

十三は縁起がいい

 十三夜のいわれを調べている内に、西洋では良くないことの起きる数字とされている
「13」が日本では縁起が良い数字とされていることが分かった。

 十三詣、十三参り: 十二支が一巡りした次の歳=元の干支に戻った歳で、
               新しい始まりとなり縁起が良い。

 十三月: 十二月の次の年=正月・一月のこと。 
        十二月が一巡りして新しい年が始まり縁起が良い。

 十(とお)三(み)=とみ(富)で縁起が良い。

 十三仏: 初七日〜七七日、百か日、一周忌、三・七・十三・三十三回忌まで
       十三の年忌があり、それぞれに導いて下さる十三の仏様がいらっしゃる。
       十三番目の仏・虚空蔵菩薩は智慧と福徳の仏様。

 また、縁起が悪い数字、九(苦)と四(死)を合わせて縁起の良い十三に
変えてしまおうと言う、次のような洒落?も見られる。

 九里(栗)四里(より)うまい十三里(半):焼き芋のキャッチコピー。 
                      元は十三里だったのに更に「半」上積みした。

 櫛(苦死)屋 → 十三屋


 道理で人の名前、地名、会社名などに十三がつくことが結構ある訳だ。納得。
 (例えば、伊丹十三、十三湖、十三銀行など)

 十三夜が縁起がいいとされる理由の一つもここにあるのかもしれない。

 
  
 

 
posted by 山桜 at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長月十三夜

 お月見と称して月を愛でる風習には、次の二晩があり、両夜の名月を見ると
縁起が良いとされる。又、十五夜を愛でて十三夜を愛でないことを「片見の月」と
忌む地方もある。

 旧暦八月(葉月)十五日(2005年は 9月18日):十五夜、中秋の名月、芋名月・・・
 旧暦九月(長月)十三日(2005年は10月15日):十三夜、後見の月、栗/豆/小麦名月・・・

 ところで何故、葉月十五日の満月を「十五夜」として愛でるのに、長月では十五夜は
無視され、あと少し満月に足りない「十三夜」の月の方を愛でるのだろうか?

 毎年疑問に思い調べてみるのだが、なかなか納得出来る答えがみつからない。
今年は、↓同じことを思い調べていらした先輩のサイトに廻り合った。
「やまとうた」by:水垣久さん
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/orihure4.html
宇多天皇(887〜897)の十三夜の月「無双」賞賛説。やはりここに行き詰る様だ。

 写真や図解で見れば、十三夜の月は確かにまん丸では無いのだが、肉眼で見れば
十三夜の月は、「あ、満月?」と思うほどに丸く見える。宇多法皇も、その夜の月が
あまりに美しかったので十三夜月とは知らず、思わず「並ぶもの二つと無し」とお褒めの
言葉を発せられたのだろうか?

 しかし後の世となれば、上記サイトにも掲載されている和歌のように、
そのわずかに望に満たない月に却って美を見出す様にもなる。

 雲消えし 秋のなかばの空よりも 月は今宵ぞ 名におへりける (西行法師)

 先まくり 今二夜をば 満てずして くまなきものは 長月の月 (能因法師)

 既に満ちてしまって欠けて行くばかりの月よりも、ぐんぐんと満ちていく月に
あやかって元気を貰いたかったのかもしれない。桜も満開より八分咲きを好む、
そんな日本人の気持ちに添い、やがて風習となっていったのだろうか・・・。
posted by 山桜 at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

長月の朔の秋星

 今日は長月(旧暦九月)の(一日、新月)。
秋の夜長の始まる月。朔は満月○の逆さ●の意味。
月明かりの無い夜は本当に暗いが、星を見るにはいい晩だ。

 秋の夜空ただ一つの一等星、フォーマルハウトが見えるだろうか?
(みなみのうお座の口元に光る星。アラビア語で魚の口の意)
秋は夜空もなんとは無しに寂しげだ。この星も近くに明るい星が無く
ポツンと一人ぼっちで瞬いているので、「南の一つ星」と呼ぶ地方もあるそうだ。
またの名を「秋星」とも。秋の訪れを夜空に知らせる星だ。

 そして夜空高く疾駆するは、天馬ペガスス座。
(星座名ではペガスではなくペガスと言う)
胴体部分の大きな四角形が目印で、秋の四辺形と呼ばれる。
和名は枡形(ますがた)星
天高く馬肥ゆる秋。元気になった馬は夜空にも駆け上る勢いの様だ。

posted by 山桜 at 18:26| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月23日

春・秋分の日=お彼岸なのは何故?

 春分・秋分の日は昼と夜の長さが同じになる日。(厳密に言うと少しずれているが)
お彼岸の中心となる日でもあり「お彼岸のお中日」と呼ばれる。

 何故、この日をお彼岸として、お墓参りなどをするようになったのだろう?
彼岸というのは三途の川の向こう(彼方)岸のことだと聞いたことがある。
昼(この世・此岸しがん)と夜(あの世・彼岸)が丁度つり合って、渡りやすくでも
なるのだろうか? 今まで誰も教えてくれなかったし、あまり真剣に考えたことも
無かったが、ふと気になり調べてみた。

 お彼岸は仏教行事の様に思えるが、お盆同様日本古来の祖先の霊を祀る行事と
仏教が一体化して出来上がったもので、日本独自の行事とのこと。 

 彼岸とは極楽浄土のことで、その彼岸へ行けるように、精進潔斎、自分を律し、
人に施し、祈る日々(彼岸の入りから3日間+中日+彼岸の明けまで3日間=7日間)を「お彼岸」という。ただ「彼岸」と言えば春の彼岸のことで、秋の彼岸は「秋彼岸」、「後彼岸」等と呼ばれるとのこと。

 仏教では中道を重んじるので昼夜が半々となるこの日を選んだ等、諸説がみられたが、私には下記の二つが、すんなりと心に納まった。

 @極楽浄土は真西の方角にあるとされている。春秋分の日には太陽が真西に
  沈むので浄土への道(白道)が示される。浄土=彼岸の方角に向かって
  無事自分もそこへ到達出来る様に祈る。

 A春分は種まきの時を知らせ、秋分は収穫の時を知らせてくれる。
   お日様やご先祖様に豊かな実りを願った「日願」「彼岸」が一致した。

 ご先祖様の誰一人欠けても今の自分はこの世に存在しない。
今日のこの日の我が命の恵みを神様、ご先祖様達に感謝しよう。

 そして今日、本当にお日様が真西に沈み浄土への道が示されるかどうか、
コンパス片手に確かめ、ご先祖様とお話しをし、祈りを捧げた。

posted by 山桜 at 19:01| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月21日

何故「月」は「つき」と呼ばれるのか?

 月のことを書いていたら、何故あの夜空で一番明るい天体は「つき」と呼ばれるのか?
と言う疑問がむくむくと湧き上がって来た。思いつくまま、忘れぬ内に書き留めて置こう。

 「つき」又は「つく」と言う言葉:
  付き(く)、憑き(く)、尽き(く)、着き(く)、突き(く)、搗き(く)、点き(く)、・・・

 「つぎ」又は「つぐ」と言う言葉:
  次ぎ(ぐ)、継ぎ(ぐ)、告ぎ(ぐ)、・・・

「付き」が語源だとしたら、地球に付く衛星だから?→この知識は無かっただろう。
                歩いても歩いても自分と一緒に付いて来るから?
             
「憑き」が語源だとしたら、何か不思議な霊性が憑いていると思えたから?        

「尽き」が語源だとしたら、満月○から新月●までの間に段々と光が尽きて行くから?

「着き」が語源だとしたら、魂が昇って行く終着点だと考えたから?

「突き」が語源だとしたら、どんなに長い棒を突き刺しても届かないから?
                突き上げる程高い所に浮かんでいるから?

「搗き」が語源だとしたら、兎がお餅を搗いている様に見えたから?
                *中国では不老不死の妙薬を搗いているという伝説あり。

「点き」が語源だとしたら、明るい光が点いているから?


「次ぎ」が語源だとしたら、天で太陽の次ぎに明るいものだから?
                月読命は天照大御神の次にお生まれだったから?

「継ぎ」が語源だとしたら、満月から新月の満ち欠け(命の廻り)を永遠に継いでいくから?

「告ぎ」が語源だとしたら、満ち欠けによって「時」の流れを告げるから?


「時」!・・・ もしかしたら、 とき→つき に転訛したのだろうか?
                 時読み→月読み これは月の形から時の流れを知るという
                             一番生活に密着した命名かもしれない。

…思いつきのつきはどのツキだろう?
…ツキが良いのつきはどのツキだろう?
…望月と餅搗きは関係あるのだろうか?


<<*箇所 2005.09.22 15:52 追記>>
posted by 山桜 at 17:13| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月20日

月を愛でる呼び名

 旧暦15日=満月は毎月やってくるが、八月十五日の月を特に「十五夜お月さん」と呼び
愛でるように、私たち日本人は、少しずつ欠けていく月を愛しむ呼び名を持っている。

  新暦    旧暦           呼び名         月の出(2005年)
 9月17日 八月十四日 の月 : 待宵(まちよい)、小望月    17:29
 9月18日 八月十五日 の月 : 十五夜、三五の月、望月   17:58
 9月19日 八月十六日 の月 : 十六夜(いざよい)        18:26
 9月20日 八月十七日 の月 : 立待月(たちまちづき)     18:55  
 9月21日 八月十八日 の月 : 居待月(いまちづき)       19:26
 9月22日 八月十九日 の月 : 寝待月(ねまちづき)       20:01
 9月23日 八月二十日 の月 : 更待月(ふけまちづき)     20:41

待宵月は十五夜の一晩前、いよいよ明日は満月という期待が膨らむ月名だ。
 
十六夜は十五夜からたった一日で月の出る時間は28分も遅くなる。
お月さんが出るのをいざよって(ためらって)いると思うのも無理はない。

 立待月は十六夜からさらに29分も遅くなり、月の出はまだかまだかと
背伸びして立ったまま眺め待つ気持ちは良く分かる。

 居待月は立待月より更にさらに31分も遅くなり、立ちくたびれて
座ってしまった頃
のお出ましだ。

 寝待月は立待月より更々さらに35分も遅くなり、もはや横になって
寝て待ちましょうという趣きとなる。

 更待月ともなると寝待月よりなんと更に40分も遅く夜も更けた頃
お出ましとなる。

それでもじっと健気に月を待つ程に、私たちは深く深く月を愛する民族である。


…しかし、残念ながら今晩は月読命は雨にお隠れのようだ…。 

<<2005.09.21 12:05 一部追加・改訂>>
posted by 山桜 at 20:01| 東京 🌁| Comment(6) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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