清らかな木漏れ日と甘い香りを降り注ぐ「ハリエンジュ」
先日「日本の神さまの本」へ戴いた一つのコメントの中の
もしこの世に
神が
仏があるのなら
参らなくても
手を合わせなくとも
(手を合わせても良いのですけれどね)
正しく生きてさえいれば
必ずそれが伝わるはず
を読んでから、何故自分は毎朝神仏を拝するのかと、
自分に問い続けていました。
このコメントを拝読したすぐ後に書いた私のお返事は、
私が日々神仏に手を合わせるのは、
「今日も元気に家族揃って朝を迎えさせて
戴きましてありがとうございます。」
という気持ちやこの世に生きている喜びをお伝えしたいからです。
突然ポコンとこの世にどこからか降って湧いた命ではなく、
脈々とご先祖様方が繋いで来て下さった大切な命だという
ことを 忘れない為かもしれません。
でしたが、それだけではありませんでした。
今朝、神さまに祝詞(三科祓)を奉唱していた時にふと感じた、
体の中から湧き上がってくる新しい力、清々しい気持ち、
何と表現すれば・・・俗な例えで申し訳ないのですが、
「毎朝浴びるシャワー」とでも言いましょうか・・・。
お風呂に入ったり、顔を洗ったり、歯を磨いたりする時の
爽快感にも似ています。
祝詞は、「水の流れるが如く」と教えて戴きました。
以来「瀬を流るる水音」を思いながらお唱えしています。
清らかな水、時にさらさらと和(やわら)に、時に深くとどまる如く静かに、
時に激しく力強い水の流れにも似た言霊の力により、特に悪事を
働いたのではなくとも、自然と降り積もる埃のように、日々の
生活の中で積もってしまった身や心の疲れ・穢れを祓い清められ、
新しい「天地の元気」(あめつちのはちめ)を分け与えて
戴ける気持ちが致します。
また、特に祝詞や祈りの言葉を発しなくとも、毎朝神仏に
向かい合う為に、身なりや居ずまいを正そうとすること自体、
新しい日の良いスタートを切るきっかけになるように思います。
新しいもの、清々しいもの好きな我が民族は、仕切りなおし、
けじめ付けも大好きですね。
新しい朝、パンパンと気持ちのいい拍手を打ったり、チーンと
御鈴を鳴らしたりするのも、神仏へのご挨拶と共に、私にとっては
自分への気合入れになっています。
<追記>
もう一つ大事なことがあった。
(一旦床に就いたものの、これを書かないと眠れそうに無く・・・。)
昨日の蛇さん、そして夜来香さんのコメントが私に伝えてくれたこと、
それは、
「神さまは、いつも見ていて下さる。」
「お天道様には、お見通し。」
ということ。 日拝はこのことを肝に銘じる為でもある。
とすれば、昨日の蛇さんの後の丸い蕗の葉は、襟巻きなどではなく、
『日輪』
だったのかもしれない・・・。
このとっつきにくいタイトルの日記にコメントを下さった皆様、
本当にありがとうございます。今宵は大分更けてしまいましたので、
新しい気に満ちたお天道様の下で、お返事申し上げたく存知ます。
おやすみなさいませ〜(*^ー^)ノ☆。.:*:・★。.:*:・☆。.:*:・★