2005年09月18日

中秋の名月(十五夜お月さん)

 今宵は、旧暦の八月十五日、中秋の名月をお迎えする。

 丸いお盆に丸いお皿に丸いお団子と丸く剥いて白く炊き上げた里芋を
円錐型に積む。(丁度里芋の収穫の頃の名月ということで「芋満月」とも
呼ばれる) 餡や味噌だれはお供え物にはかけない。
花瓶にはススキや季節の花を活ける。

 まん○お月さんが曇らぬように、お盆も○、お団子も○、里芋も○
にする、餡や味噌だれはかけてはいけないのだと、祖母から教えられた。

 「中秋」とは文字通り、陰暦の秋=七、八、九月の真ん中の月の八月、
その八月の真ん中の日の十五日、「秋の真ん中の月の真ん中の」の意。

 「仲秋」と書かれていることもあるが、仲秋は陰暦八月全体のことを
示す言葉。八月十五日のお月さんのことを表すのなら、やはり「中秋」
であるべきと思う。

 十五夜には、家の明かりを全て消して、月明かりを楽しみたい。
ほの青い月明かりは全てを浄化してくれる、優しい慈しみの光。
心身の疲れやほてりを月光浴はすみずみまで癒やしてくれるだろう…。

 十五夜は毎月巡ってくるが、特に陰暦八月十五日の月夜を指すように、
十三夜も特に陰暦九月十三日の月を指すことがある。この場合は
「後の月」「十三夜様」とも呼ばれ、十五夜様と十三夜様の両方の
月を拝まなければ「片見の月」つまり片手落ちとされるので、
十五夜お月さんを拝んだ方は是非十三夜お月さんも忘れずに拝まれますように。

 
そうこうしている内に、お月さんはもうお出ましだった。
今は黄色いお月さん…夜更けにはどんな光に変わるだろうか…


posted by 山桜 at 19:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月15日

お盆の慣わし

 今も続くその土地その土地のお盆の習わしがあると思う。
いつかそういう話を聞き集めに日本中を歩いてみたい。
また、このブログを目に留め、くしこさんの様にご自分の土地の習わしを
教えてくださる方がいらっしゃると、本当にブログを開いたことが良かったと
思えて嬉しい。

(ブログに馴染みの無い方へ: ご意見ご感想・情報など寄せて戴く時は、
 記事の一番下にある Comment の文字をクリックして下さい。
 コメント投稿用のフォーマットが出て、そちらから投稿できます。)

 私の家のお盆の慣わしは、父方の祖父母の故郷新潟のものなのか、
それとも新し物好きな祖母が東京式を取り入れたのか定かではないが・・・

 お盆の入りの日の朝一番で墓参し、ご先祖様を背負って家へお連れする。
夕暮れ時、お盆提灯に灯をともし、その火で家の角でオガラ(麻の茎)を焚く。
(ご先祖様が迷わず家に戻れるようにと祖母が言っていたので、若しかしたら
墓参の前日だったのかもしれない。) 

 お供えは、マコモで編んだ菰の上に、

  ホオズキ、桃、梨、ブドウ、瓜、枝豆、栗などの・・・旬の作物
  (一番新しいものという意味なのか、ミニチュアセットの様な
   未だ小さい作物を選んで盆盛りにしてあった)
  菊の花の形などをした落雁。白桃緑黄色などの色付きのもの

  茄子・胡瓜に4本足を付けて、牛・馬に模したもの

  小鉢に蓮の葉を敷いた上に茄子・胡瓜を細かく刻んだもの
  水鉢とミソハギを葉巻程の太さに束ねたもの

  お参りをする時に、水鉢の水にミソハギの束を浸し、その水を茄子・胡瓜にかける。
  (先程検索したサイトではお米も混ぜるとあった。喉が細り食べ物が通り難い餓鬼を
   救う為細かにし水で柔らかにする為とも、又、食物を無限に増やす為とも・・・)

 また、お盆の間は家のものと同じ食事をご先祖様にも用意する。

16日に家の角で送り火を焚いてお見送りする。負ぶってお墓まで連れて帰る。

 皆様の土地では、いつどんな慣わしでお盆を迎えられるのだろうか?





 
posted by 山桜 at 10:36| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月13日

☆七夕・考A★ 「七夕とお盆」

 今日は月遅れのお盆の入り。

 地域によりお盆の行事を行う時期に違いがあるが、これは明治に新暦採用と
なった折、日本中が一斉に右に倣えとならなかった当時の人々の気概?の賜物
かもしれない。

 新暦7月15日に素直に従った地域:天皇陛下・明治政府のお膝元であった東京など

 月遅れの8月15日を選択した地域:新暦7月15日が繁忙期にあたる農村地域など

 旧暦7月15日を頑なに守った地域:伝統を重んじる古い歴史のある地域など

 (その他やはり繁忙期を避け10日遅れの新暦7月25日とする地域などもある。)

 旧暦の15日には「満月」(お盆の様な月)という灯りがともり、炎暑厳しき時期も去り、
涼風の吹き始めた秋の夕べは、ご先祖さまをお迎えするのに相応しい時期と思える。
今年の旧暦盆は8月19日(入りは17日)・・・旧暦七夕は8月11日、
ほぼお盆の1週間前となる。

 先の「七夕・考」で、七夕は遠きご先祖様を祀る行事だったのではと考えたが、
そうなると『七夕とお盆』は、もっと密接な関係がある様に思えてきた。 
そういえば、七夕飾り盆飾りは、良く似ている。お供えする品々も・・・

 西洋にクリスマスを迎える準備が始まる日がある様に、
七夕はお盆を迎える為の準備を始める日、もしくは、
「先ず遠きご先祖様から供養を始めるお盆の最初の日」
だったとは考えられないだろうか?


 
ラベル:七夕
posted by 山桜 at 16:17| 東京 🌁| Comment(10) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月11日

☆七夕・考★

 私は先日「七夕は何故たなばたと読むのか?」という記事を書いたように、ずっと「七夕」のことが気に懸かり、七夕という行事がどこか謎めいていて、何か大切なことを秘めている気がしてならなかった。

 そんな折、予てより著作を何冊か拝見していた日本文化継承研究会「大和しうるわし」を開かれている、大和古流廿一世当主 友常氏が、「七夕」についてのご講演をされると聞きお話を伺いに出かけた。 

 以下『』内は、友常氏による、友常家の伝承によると・・・、というお話の要約である。

 『七夕は大和古来の祀りと大陸からの伝来が融合して今日の形となったもの。
大和の男=彦は牽牛(牛飼い)ではなく、農民である。その女(妻)は織物で夫を支える織姫。元々は真面目な働き者の日本人のご先祖様夫婦を祀る行事。』

 『中国の牽牛・織女は、逢瀬に夢中になり務めを疎かにした為に皇帝の命により
逢瀬を年一回と定められた。 一方、大和の彦は、村長(むらおさ)が「○○に一度位に
逢瀬を控えよ」と言ったのを、「年に一度!」と聞き間違え自らそう宣言してしまったが為に、その後の運命を自ら招いた。』

 また、私は、日本では太陽や月にまつわる伝承に比べ、星にまつわる伝承の少ないことが気になっていたのだが、これについては・・・

 『農耕民族はお日様と共に暮らすので夜は早く寝る。また闇に対する恐れが大きいので星空を眺めるという習慣は育たなかった。一方遊牧民族は夜通し牧畜の番をする為、星空を眺めて空想を広げる時間が充分あった。』

 友常氏から上記の様なヒントを戴き、何やら私の中の探索遺伝子が蠢き始めた。この様な状態になると、不思議と関連するものにご縁が繋がる(リンクする)ことが多い。ふと立ち寄った本屋で「ヤマトタケル」の絵本に惹かれて立ち読み・・・その帰りには「天皇家の”ふるさと”日向をゆく」梅原猛・著 に目が止まり、買い求めた。

 ヤマトタケルと七夕、最初は何の関連があるとも思わなかったが、後に講演会のことをやゆよんと話している時に、「自分で言ったこで自分の将来が決まるという所大事だよ」と言われ、ハッとした。

 古事記によると、倭健命(ヤマトタケルノミコト)は山の神を討とうと向かう途中、出会った白猪(実は山の神の化身)に向かって「山の神を討った還りに殺そう」と言挙げしたばかりに、山の神の祟りを受け酷い痛手を受け、やがて命を落としてしまう。

 ヤマトタケルと七夕の彦さんには、迂闊に言挙げしたことで、将来の苦しみを自ら招いてしまったという共通点があった。

 又、白い鳥に化身して空へ飛び立たれたことは、天の川の白鳥座*の姿が私の頭の中では重ね合わされる。 西洋の星座であり直接関連は無いのだろうが。

(続きは又後ほど・・・)



 第2部です・・・

 お断りしておくが、私は未だ○○氏の説を支持とか△△氏のファンとか言えるほどの知識も読書量も無い。梅原氏の著書を手に取ったのも初めてで、ただ祝詞の中の「日向の小戸のあはき原」がどこなのか気になったからだった。しかし読み進むうちに、私の関心事、七夕に繋がる要素が次々と現れ胸が高鳴った。

 『彦星=牽牛ではなく、彦は大和の男の代表名で農耕民族である。』この友常家の伝承を前提としなければ、今回の私の考は始まらない。この前提を押さえておいて戴きたい。

 以下、前掲の梅原氏著「天皇家の"ふるさと"日向をゆく」より引用。
「チホ」とは霊力を持った稲穂という意味に解される・・・(略)・・・高千穂は稲作農業の地として知られていたのであると思う。 
 このことは、ニニギノミコトの一族の名前を見ても良く判る。アマテラスオオミカミの息子(すなわちニニギの父)は、マサカツアカカツチハヤヒアメノオシミミノミコトといい、これは「正しく勝つ、私は勝つ、勝つ力の素早い霊力を持った天孫族の立派な威力のある「稲穂の長者という意味である。また彼の妻(すなわちニニギの母)は、タカミムスビノカミの娘ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコトであるが、これは「多くの機織りで織った優れた布の姫」という意味である。
・・・(略)・・・
 そしてこの「稲穂の長者」「すぐれた布の姫」の間に生まれた子が、アメニキシクニニキシマアマツヒコヒコホノニニギノミコトである。・・・(略)・・・「ホノニニギ」とは、本居宣長が言うように稲穂がいっぱい実っているさまを表した名前であろう。]
[『日本書紀』には、コノハナノサクヤヒメは機織りが上手であったという記述がある・・・。以上


 つまり天孫降臨された天皇家の始祖=日本人の遠いご先祖様=ニニギノミコトもその父君も、豊かな稲穂を齎す農耕民族の神であり、ニニギノミコトの母上も妻となられたコノハナノサクヤヒメも機織り上手な姫であったのだ。

 そしてニニギノミコトとコノハナノサクヤヒメが初めて出会ったのは、笠沙の御崎の小川のほとりであると言う。 「笠沙の御崎の小川=カササギの渡せる橋と天の川」そのものではないだろうか? 

 もう一点重要なのは、ニニギノミコトは、妹コノハナノサクヤヒメの姉イワナガヒメを共に娶れば約束された永遠の命をイワナガヒメを帰してしまうことで失ったことだ。これは、自らの意思で示したことにより受けた呪詛という点で、彦・ヤマトタケルの件と共通する。

 これらのことを考え合わせると、七夕祭「日本の一番最初のご夫婦、稲作と機織=日本の大切な産業)の神様を祀る行事」なのではないだろうか? 笹の枝はたわわに実る稲穂、数々の飾りは織物の綾でそれを糸によって織り成しているものとも思われる。

 そして迂闊な言挙げにより呪詛を受けたことを忘れず「言霊に宿る力」を大切にする気持が、短冊で和歌を奉じる現代の祭の形にも受け継がれているのではないだろうか?


 (以上ざっと書き上げたので、以後随時更新するかもしれません。また引用を明記した部分以外は私個人の考察によるものであり、無断引用をお断りします。)

【8月12日追記】
 彦星・織姫、倭健命・弟橘比売命、邇邇芸命・木花之佐久夜琵売
この3組に共通していたことを、もう一つ書き忘れていたので書き加えておくと・・・

 それは「悲恋」であったということだ。

彦星・織姫:お互いに夢中になるがあまり務めを怠り仲を裂かれ、
       年に一度の逢瀬となった。

倭健命・弟橘比売命:
       倭健命の東征の行く手を阻む荒れた海を鎮める為、
       弟橘比売命は海中に身を投じた。

邇邇芸命・木花之佐久夜琵売:
       木花之佐久夜琵売の父大山津見神は、邇邇芸命との結婚を喜んで
       許可したが、邇邇芸命は、石のごとき永遠の命をとの祈りを込めて
       共に送られた姉の石長比売の醜さを疎んじ送り返した為に儚い命の
       運命となった。

       その上、木花之佐久夜琵売は、一夜にして身篭ったことを疑われ、
       出口の無い産屋に火を放った中での出産により潔白を証明しなければ
       ならなかった。・・・などと困難が付き纏った。

       また、この結婚は「天津神」と「国津神」との間の結婚である。
       ロミオとジュリエットの様な障害があったかもしれない。


<<2005.09.05追記>>

 *白鳥座の和名は「十文字星」「天の川星」筑波地方では「筑波の傘星」などと
  呼ばれている(「宙の名前」林完次より)
  鳥と見立てている記録は見つからなかった。
  また、七夕の二星との位置も少しずれている。この為「後七夕」という異称もある。

  このことから、白鳥座=カササギ説は少し無理があるようだが、古来日本には
  カササギは生息しておらず、七夕の伝説上の鳥であった。
  源氏物語・浮舟の巻の「寒き洲崎に立てるかささぎの姿」は、アオサギをのことを
  カササギとして述べたものであるという。(「瓜と龍蛇」網野善彦他編 より)
  青鷺と言っても、頭や羽がやや灰青色を帯びている位で、こちらであれば
  白鳥(しらとり)と呼べるかもしれない。

  しかし、実際のカササギは、カラス科であり頭胸〜背〜羽上部〜尾までは、
  所謂カラスの濡場色と呼ばれる光の加減で緑や紫に光る黒色、肩と風切り羽の先と
  腹部が純白という、黒白の対象が鮮やかな鳥である。
  白鳥(しらとり)と呼ぶのはちょっと難しいか…。



ラベル:七夕
posted by 山桜 at 09:53| Comment(4) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月07日

立秋・祝詞も季節修飾詞替え

 まだまだ猛暑の最中とは言え、暦は「立秋」を迎えた。
これより先は、どんなに酷い暑さでも「残暑」と呼ばれ、
盛りを過ぎた夏への一抹の寂しさを感じる。

 七夕、お盆、秋祭・・・ 秋の行事も次々巡り出す。

 そして、春・夏と勢い盛んだった天の斑駒に変わり、秋・冬は左男鹿が盛りになる。
これは祝詞の最後を修飾する言葉で、今では一年中同じ言葉で終わらせていることが
多いが、嘗ては季節ごとにきちんと変えて奉唱していたことを、鎌倉とんぼさんに
教えて戴いた。

 秋・冬「左男鹿(さをしか)の八(や)つの耳振り立てて・・・」

 春・夏「天(あめ)の斑駒(ふちこま)の耳振り立てて・・・」

 季節の移ろいに心を寄せてきた先人の心のままに、祝詞も季節に応じて奉唱してみてはいかがだろうか?
posted by 山桜 at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月05日

旧暦 7月(文月)朔日

今日は旧暦の文月(ふみづき)朔日(ついたち/さくび)。
「朔=新月●」のことで「望=満月○」の逆さの状態のこと。
地球から見て、月が太陽と同じ方向にあり日の当たらない暗い面を地球に
向けている為、月の姿を見られない状態を言う。
(朔と逆の字の共通の部分は、人が頭を下に大の字になっている形で「さかさ」の意)

 朔●を新月と呼ぶことにはずっと違和感を持っていた。真っ暗で見えない月を
真ッ更な新しいもの好きな日本人が「新月」と呼ぶとはどうしても納得出来なかった。
しかし、昨年色々調べてみたら、朔=新月というのは外来の考え方で、日本では
朔の次に現れるその月最初の晩に見える細い月を新月とも呼んでいたと知り、
やっと自分の感覚とご先祖様の感覚にズレが無かったことが分かり、嬉しく共感できた。

 明後日の7日は「立秋」、猛暑の中にもそこはかとなく「秋」の気配が忍び寄る。
また11日は旧暦7月7日で「七夕」。七夕は、本来は秋の節句である。
このところ色々思い巡らせていた「七夕」考については、その旧暦七夕の11日に
詳しく書きたいと思う。
posted by 山桜 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月31日

全てのことは「神様の」メッセージ?

 ♪子供の頃は 神様がいて 不思議に夢を叶えてくれた
  ・・・
  全てのことは メッセージ    by:松任谷 由美

 何かいつもと違うようなことがあると、この歌を思い出す。
今日はもうブログは書かないつもりだったが、
またまた不思議な3点セットを見たので、書き残して置くことに・・・。

 庭で「ガマ蛙」
 土手で「ウサギ」
 神社参道で「(羽化前の)セミの幼虫」

 何のメッセージだろうか?
 ガマ(ヒキ)ガエル→釜?カエル、引きカエル
 ウサギ→跳ねカエル→羽カエル
 セミの幼虫→脱皮→生まれカエル

 カエル・帰る・返る・変える・・・?

今日は月遅れの大祓。 生まれ変える様に己を変えなさいとのことだろうか?

 そして神社に着くと、お賽銭箱を開けている真最中だった。
なかなか上手く開かぬ様子で、数人の役員さん方が奮闘中。
思わず、神様に「上手く開きますように」とお祈りしたところ、
程なく引き出すことが出来た。こんな様子を見たのは初めてだ。
 
posted by 山桜 at 19:49| Comment(6) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月28日

土用・丑の日

 今年は7月28日が土用の丑の日にあたる。 
一般的には、平賀源内の宣伝で有名になったと鰻や蜆を食べて暑気払いをする日
となっているが、土用とは何か? 丑の日とは何か? そんな風に考える人は
どの位いるのだろう・・・。

 「土用」は春(1〜3月)夏(4〜6月)秋(7〜9月)冬(10月〜12月)とする陰陽道暦の、
それぞれの季節3ヶ月間(90日)の終わりの1/5=18日間であり、年四回巡って来る。
しかし、春夏の陽と秋冬の陰の間に挟まれる夏の土用は最も重要視されている様だ。
夏の土用を挟むと、下の様にきちんと木火土金水(もっかどごんすい)と並ぶ。

 春(木)・夏(火)・夏の(土)用・秋(金)冬(水)

土は死(枯れ・終わり)と生(芽生え・始まり)の両方の揺り籠。
「土用」は先の季節が終わり、次の季節が始まる時の引継ぎ期間の様なものだろうか。

 丑の日は丑の方角が鬼門にあたることから、災厄の起き易い日と考えられ、
鬼門の守り神「玄武」の色「黒」の力を得る為、鰻、蜆、鯉、茄子・・・等の黒いものを
食べる様になったようだ。みなさんの地方独特の土用の食べ物ってありますか?
また丑の「う」が付くということで「うなぎ」が好まれたのかもしれない。
黒毛和牛の「うし」でもいいのかな?

 この辺の話はきっとひらりん・やゆよんの方がずっと詳しいと思う。
上記でおかしい所、補足する所などあったら、公表できる範囲で教えて下さい。

 ところで、私はこの時期に貼られる「うし」というひらがなを、
鰻がうねった形で描かれたポスターが妙に好き揺れるハートである・笑


ラベル:土用 玄武 鬼門
posted by 山桜 at 00:00| Comment(9) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月13日

お盆の思い出

 今日は新暦のお盆の入りなので、お盆にまつわる思い出を・・・。

「迎え火」
 
 お盆の入りの夕には、「オガラ」という固い藁の様なものを家の門口で焚く。
ここが家ですよと煙でご先祖さまにお知らせするのだと大人は言うが、
既に朝早くお墓にご先祖様をお迎えに行き、今お前の背中にご先祖様が
負ぶさっていて、家にお連れするのだと言っていたのに、オカシイじゃない!

 「もう、家の中にご先祖様いるんでしょ? 朝、私負ぶって連れて来た・・・」

 だ〜れも笑って答えてくれなかったので、未だに疑問である。
来る途中で寄り道してはぐれちゃったご先祖様の為かな?

私のご先祖様なら、そういう霊がいてもオカシク無い。
きっと、美味しそうな匂いがしたか、珍しいもの見つけちゃったんだな。(笑)
そんな人の霊は家へ帰る道もうっかり忘れちゃうよね、きっと。

 私の子孫達よ、迎え火、忘れずに焚いておくれよ、頼みます・・・。


「胡瓜と茄子とおばあちゃん」

 迎え火の傍には、割り箸の足を4本さした胡瓜と茄子が供えてあった。
 「胡瓜は馬茄子は牛だよ。 
  ご先祖様は来る時は一刻も早く家へと胡瓜の馬に乗って早駆けで、
  帰りは名残惜しみながら、茄子の牛の背に揺られてゆっくりと
  あの世へ帰られるんだからね・・・。」

そう教えてくれたのは、新潟生まれの暑い夏が苦手だった優しい祖母。

 その祖母の新盆(亡くなって最初の盆帰り)の朝、家への道を祖母を背負って
連れて来る夢を見た。 いつも祖母が散歩の途中で腰掛けていた道の角で、
 「○○ちゃん、ここで休んでおいき、重いでしょ。」
と背中の祖母がなつかしい声で囁いた。
 「全然重くないよ。平気だから・・・」
本当に重さは全く感じず、私は休まず家まで祖母を連れて来た。
そして、そこで目が覚めた。

 今でもあの道の角を思い浮かべると、そこでにっこり微笑んで休む祖母の姿が見える。
そして、「少し休んでいきなさいよ」と言ってくれる。
おばあちゃん、いつもいつも笑顔で見守っていてくれてありがとう。
私もいつか後の世の人に笑顔を思い出して貰える様に生きていくね、
おばあちゃんの様に・・・。
posted by 山桜 at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月07日

七夕さま

 「七夕」と書いて、何故「たなばた」と読むのか
子供の頃、不思議に思った人は結構いるのでは?
でも確かめないうちに段々とそれはそう読むものとして、何も考えなくなる。

 私も何となく、タナバタのバタは機織り姫のバタかな・・・とは思っていたが、
確かめたことは無かったので、この機会に手軽なネット検索をかけて見ると・・・

 @織姫=棚機つ女 で タナバタ説 (つ、は今で言う〜の、の意)
 A古来の農村豊年祈願祭り「種播(タナバタ)祭」と
  宮中の五節句の中の七夕(しちせき)との融合説 があった。

@だと、彦星さんは無視されているのが気になる。
Aが妥当な線かもしれないけれど、七夕と書いてタナバタって随分無理やりな・・・
七のナナのナと漢字の夕の字とバタのタの字が同じだから、何となくOK?笑
すごく大和的な好い加減さでイイかもしれない。

 ちなみに我が家は季節の行事は概ね旧暦で行うので、今日は七夕飾りをして
祈りを込めた人達のために、お星様出てるかしら?と眺めるだけ。

 幸い、雨上がりの靄の懸かった夜空から、ボーっと星明りが幾つか拝めた。

↓七夕について、とても詳しいサイト(未だ全部読みきれていません^^;)
http://enkan.fc2web.com/zatu/10.html
ラベル:七夕
posted by 山桜 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月30日

夏越しの大祓い

 六月三十日は「夏越しの大祓い(なごしのおおはらい)」
一年の半分、半年分の罪穢れを祓い清め次の半年への心構えをする日。

 夕刻、鎮守さまへ参拝し「大祓詞」を奏上。
社務所では崇敬会の方々が賑やかになおらい会。

 始まりこそ、その大きな話し声に心穏やかでなかったが、
次第に祝詞の言葉の中に引き込まれる様に、風に吹かれ心鎮まり
やがて大海原に出で、荒く渦巻く潮合いに呑み込まれ、
地の果てまで息吹放たれ、罪穢れは雲散霧消、消え去った・・・

「明日からは新しい自分。新しい日々の始まり」 
そう思うことが出来る日本の神事がありがたい。
ラベル:夏越 大祓い
posted by 山桜 at 21:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月24日

ことのは は うるわしく

 家族が出かける時には、必ず玄関や家の角まで出て見送る その時に掛ける言葉はいつも同じ。
 「行ってらっしゃい、気を付けて!」
そして戸の内側で手を合わせ無事を祈る。

 そして、その日・・・掛けた言葉は、
 「行ってらっしゃい、頑張って!」

・・・

 「気をつけないで、頑張っちゃった・・・」
半ばおどけて家族は床の中で呟いた。
やはり気付いていたのだ。私が気に掛けていたと同じことに。

 日々の繰り返しの中でも、大切な言葉を疎かにしてはならない。
発した言葉には言霊が籠っている。言葉は呪文である。
 「ことのは は うるわしく」 たかあまのはらに かむつまります
 すめむつかむろき かむろきのみことをもちて
 みたまは ひつきのひかりをやわらけたまふかごとく
 みこころは あめつちのはちめにかよはしめたまふかごとく
 みはやすく ことのははうるわしく こころやわらきて
 もろもろのあしきことわざ わづらひなやみ 
 よこしまのこころ たけきおもはかりをは
 ひむかのおどのあはきはらのしたのせの
 よわくやわらにやわらきたるしおのごとく
 つみといふつみ とがといふとがはあらじと
 はらひたまひきよめたまふことのよしを
 さおしかのやつのみみをふりたてて きこしめせとまおす
 


posted by 山桜 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月22日

夏至の行事

冬至は自然と共に暮らして来た人々にとって太陽の力の甦る特別な日。 日本では柚子湯に入ったり、南瓜を戴いたり、各地で行事が行われる。

一方、夏至はどうなのだろう? 
夏至の前の五月のお節句には菖蒲湯に入ったり柏餅を戴いたり、夏至の後の6月30日には「夏越しの大祓い」が行われたり、土用の丑の日には鰻は戴いたりするけれど、夏至の日の特別な行事や食べ物が思い浮かばない。

日本では、夏至が丁度「梅雨」の時期にかかる為、あまりその存在を意識されなかったのかもしれない。
 
夏を待ち望むヨーロッパなどでは、盛大に夏至のお祭が催されると言うことだ。
ラベル:冬至 夏至
posted by 山桜 at 16:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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