2023年03月27日

「発芽」ー「朝の詩(うた)」 産経新聞


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「発芽」

     東京都武蔵野市
     大竹 晃子さん

 栗鼠が貯蔵のために
 埋めた団栗は
 掘り起こすことを
 忘れた栗鼠のおかげで
 森の何処かで発芽する

 あなたが
 誰かの胸に埋めた
 優しい言葉は
 あなたが忘れても
 きっといつか
 その人の胸でそっと
 発芽することでしょう

2023年3月27日 産経新聞「朝の詩」より
          (選者 八木 幹夫)

 誰かの胸にそっと
 優しい言葉を埋められて
 いつかそれが
 発芽する日が来るのなら
 それを見られなくとも
 生きてきた意味がある 

 大竹晃子さん
 優しい言葉を
 私の胸に
 埋め込んでくださり
 ありがとう


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posted by 山桜 at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句・和歌・詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月14日

藤原定家と式子内親王(テイカカズラの由来)



                      自然観察ランキング

        式子内親王.jpg

 「名前の由来はまた後で」などと書いては放りっぱなしのこと多々あり・・・で反省。 今回は京都在住の桃里先生もご興味を持ってくださっていると伺って、俄然真面目に書いておくことに致しました。

 テイカカズラは定家蔓と書く通り、歌人・藤原定家に由来した名前です。 簡単に書いてしまえば、
「式子(有職読み:しょくし/しきし、通説: のりこ)内親王を慕っていた定家の魂が乗りうつるが如く、内親王の墓石に這い上った蔓に定家の名を付けた」
と言うことになります。

 式子内親王といえば、かの後白河法皇の娘で賀茂神社の斎院(伊勢神宮の斎宮・賀茂神社の斎院の総称が斎王)でもあり、百人一首でもおなじみの恋の歌

 たまのをよ たえなはたえね なからへは  
        しのふることの よはりもそする
 (命を繋ぎ止める玉の緒よ 
  絶えてしまうものなら絶えておしまい 
  これ以上生き永らえば 忍ぶ思いは隠しきれない)
 
をご存じの方も多いと思います。(山桜訳の稚拙さはお許しを)

 内親王が定家の父である俊成に歌の師事していたこと、定家が内親王の姉君のお側務めのようなことをしていたことから、お近づきになるご縁があり、一まわり程年上の内親王に憧れの思いを抱いていたのではないかと、定家が残した「明月記」の記録から(お歌を賜った? お風邪を召された内親王を何度もお見舞いに上がった等々)想像が膨らまされ、後に能「定家」の物語も生まれています。

 定家は個性の強い癖字で有名で、近年女子学生の間で流行った丸文字の元祖などと言われたこともありました。 小堀遠州はその定家流の文字を好み、更にを洗練させて一つの書体を作ってしまったほどです。

 08-1 063.jpg
 小堀遠州・作、銘の茶杓「虫喰」の文字

国宝「明月記」(定家の真筆が見られます)
http://www.emuseum.jp/detail/100357/000/000?mode=simple&d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E6%98%8E%E6%9C%88&class=&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=1&num=2

 私はテイカカズラが地を這いまわり木に取り付いて登り始めた頃の小さい丸い葉が、この定家文字の雰囲気に似ているように思えてなりません。 自然を愛でた昔の人も、きっとその辺りの類似性に目を留めたのではと密かに思い、遥か古の方々との心の交流に『ふふふ』と心躍らせております。

 式子内親王には定家とは別に、出家時の導師であったのでは?とされる法然との恋の噂もあるようで・・・。 本当の恋心があってもなくても「歌」を詠むことはできますが、人の心に響き後年にまで残る歌は想像だけではなかなか生まれないのではと。 男女の恋など許されない身分の方の想像だからこそ情念が深いのだという説も目にしましたが、「恋に恋する恋心」だけは本物でしょう。 

 何はともあれ、鎌倉時代の歌に秘められた思いを今この時、こうして紐解く機会を「定家蔓」に引き寄せられたこと、その時代の歌や書がちゃんと今も残っていて、その心に触れられること、この幸せに浸って居たいと思います。

 上の式子内親王の札の歌(新古今和歌集)を読み解けば、(これが読めるようになったのも桃里先生のご指導のお蔭です)
  
 山ふかみ 春ともしらぬ 松の戸に 
          たえだえかかる雪の玉水

 (山深く 未だ春とも気付かぬ 松の戸の侘び住い
          途切れつつ落つるは 雪どけの玉雫)

 因みにその定家蔓が絡み付いたとされる式子内親王のお墓と伝わる五輪塔が、般舟院陵(上京区今出川通千本東入ル北側)の西北奥の小さな塚の上に立っているそうです。 桃里先生なら自転車にサッと飛び乗り確かめに行かれるのでは? 本当に羨ましい限りです。 テイカカズラ、今も絡みついているのでしょうか・・・霊となって蔓の絡みを解いて欲しいと願った内親王のお気持ちを汲み、取り除かれているでしょうか。 定家もそんなしつこい男と伝えられて気の毒ですが、それもあの癖のある書体の所為かもしれません。
posted by 山桜 at 12:37| Comment(9) | 俳句・和歌・詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月20日

ひつぢ田

 
 ひつぢ田に紅葉ちりかかる夕日かな   蕪村

DVC00651.jpg

 刈り取り後の田んぼから、再び稲の青葉が伸びてきた様子を「ひつぢ田」と呼ぶのだそうです。 最初に聞いた時には「羊田」と思い込み、
 「なるほど、羊雲のように羊の群れが連なっているようで可愛らしいからかな?」
などと、いつものように早合点。 さて、よくよく考えると、山羊ですらそう見かけなかったであろう昔の日本人が、たくさんの羊が群れている様子を思い浮かべるのは不自然です。 

 季語を調べてみると、「ひつじ田」ではなく「ひつ田」と書かれていました。 「ひつぢ」の漢字は、禾魯(櫓の木ヘンがノギヘン)ですが、意味はどうやら「乾土」「干土」のようで、稲穂を刈った後、水を抜かれて「干上がった田」の様子ということなのですね。

 この写真では、雨の後で田んぼがぬかるんでいるので、厳密にいうと乾土田ではありませんが、そのぬかるみが午後の日差しにきらきらと光り、健気に再生した稲の葉を照らして出している様子が優しげで、暫く見惚れておりました。 蕪村の句の様に紅葉が散りかかるのももうすぐでしょう。
 
ラベル:蕪村 季語 言葉 語源
posted by 山桜 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 俳句・和歌・詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月20日

歌会始・お題「光」

 14日、青く晴れ渡る空の下、皇居・正殿「松の間」に於いて、宮中新年行事の最後を飾る「歌会始」が執り行われました。

 当日は和裁のお稽古でしたのでDVD録画したものを、やっと見ることが出来ました。 録画したお蔭で今までで一番じっくりと見ることが出来、印象的でしたので、備忘録として書き残しておこうと思います。


 日本伝統の和歌の行事でありながら、皇族方が(冷泉家のように昔ながらの装束ではなく)洋装でいらっしゃるのは、一般入選者の式場参列の際の負担を軽くする為のお心遣いでしょうか。 万が一、もしも私が入選するなどという奇跡が起きたとしても、確かに着ていくものの心配はとても大きいです。 民の身になってお考え下さり、ありがたいことと思いました。(思い過しかもしれませんが…^^;)

 さて、最初から民放であれば放送事故?と思うほどの何一つ動くものとて無い静寂の画面…思わずボリュームを上げましたが無音。 ゆっくりゆっくりと静かに静かに進行されるのですね。 現代のスピード、喧しさに慣れてしまっている己が身を反省。

 殆ど身動き無くじっとしている参列者の中で、しきりに頭を動かし隣に話しかけている女性が目に付きました。 何故これしきの時間、じっとしていることが出来ないものかと気になりましたが、やがてその訳を知り、またしても己が短慮を反省。



【覚え書】

「披講(ひこう)」 歌を読み上げ披露すること

 ・一般入選者10名の歌
  (海外20カ国・地域を含む2万3346首の応募から10首)

 ・選者の歌
 ・召人の歌
 ・皇族方のお歌
 ・皇后陛下のお歌 2回
 ・天皇陛下のお歌 3回

「読師(どくじ)」 歌会始の司会者(声を発せず全体の進行を司る)
「講師(こうじ)」 一字一句正確に読み上げる人
「発声(はっせい)」 最初の一句を詠うこと、人
「講頌(こうしょう)」続けて節をつけて唱和すること、人

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



(読師・中央の披講席に座す)
 顔を下座に向け首を縦に降り、講師らに始まりを伝える。
 講師ら、中央の披講席に移動。

(講師)
 年の初めに〜〜〜〜〜〜〜い 同じく〜〜〜〜〜〜〜う
 光〜〜〜〜〜〜い ということを仰せ事によりて詠める歌


<一般入選者の歌>

 京都府 後藤の正樹 (苗字の後に「の」が付き呼ばれる) 引き手として参加した大凧揚げ、不景気の中に明るい希望

 雲間より 光射しくる 中空(なかぞら)へ

                 百畳大凧 揚がり鎮まる


 最初に講師が読み上げる調子は、あの「あると思います」の節回しに近いものがあり、何度も心の中で「あると思います」が浮かんで困りました^^; 

 その後の発声・講頌の節回しも独特です。 文字で表してみれば… 

(発声・1人で)
 く〜〜も〜〜ぉまぁ〜〜〜よぉお〜りぃ〜〜い〜〜
(講しょう・4人で)
 ひぃ〜〜かぁあ〜〜りぃ〜〜〜い さ〜〜し〜〜くぅ〜るう〜う〜
 な〜〜かぁ〜〜〜ぞぉ〜〜らああへえええぇ
 ひゃくぅ〜じょぉ〜おおおおおだあこおおおおおぉ
 あ〜〜がぁ〜〜あ〜り〜〜しぃ〜いずまああるぅ…




 福岡県 松枝の哲哉  久留米絣・人間国宝の孫 重要無形文化財を守る

 藍甕に 浸して絞る わたの糸 光にかざす とき匂ひ立つ



 東京都 野上の卓  定年迫るころ神宿る三輪山に感動、第2の人生へのエネルギーを得る

 あをあをと したたる光 三輪山に 

             満ちて世界は 夏とよばれる




(そしてあの頻りに脇を向く女性に支えられながら、その隣の席の女性がゆっくりと立ち上がりました。)


 大阪府 森脇の洲子(くにこ)

 我が面(おも)は 光に向きてゐるらしき 

             近づきて息子(こ)は シャッターを押す



(ああ、この女性は光を失いながら、その光を詠っていらしたのです。
 脇を向く女性は付添の方で彼女の目になり支えていらしたのです。

 目に見えぬ光を、己が身を包む幸せを、肌で耳で全身でとらえ詠われていました。 知らず涙が頬を伝います…。)




 長野県 久保田の幸枝(ゆきえ) 8歳でサハリンにて空襲に遭う

 焼きつくす 光の記憶の 消ゆる日の 

                 あれよとおもひ あるなと思ふ
 



 兵庫県 玉川の朱美   田を守る人ならではの体感

 梅雨晴れの 光くまなく そそぐ田に

                 五指深く入れ 地温はかれり




 北海道 西出(にしで)の欣司   定年後20年平常運行の使命感が体に染込み離れない

 前照灯の 光のなかに 雪の降り
    
                 始発列車は 我が合図待つ




 群馬県 笛木の力三郎  何度も制覇し今は登れぬ山の頂を妻と眺める日々

 冬晴れの 谷川岳の 耳二つ 虚空に白き 光をはなつ



 静岡県 小川健二   跡継ぎなく1人で150本の蜜柑を栽培の84歳

 選果機の ベルトに乗りし 我がみかん

                  光センサーが 糖度を示す




 東京都 吉川の信行  最高齢94歳 米潜水艦の魚雷を受け、女手1人育ててくれた母の元へ泳いででも帰ると決心した時、日本の海岸の灯台の光が見え…

 灯台の 光見ゆとの 報告に 一際高し 了解の声(旧字)



<選者の歌>

 河野の裕子

 白梅に 光さし添ひ すぎゆきし 歳月の中にも 咲ける白梅




<召人(陛下に特に招かれて歌を詠む人)の歌>

 武川(むかわ)の忠一  夫人に支えられ立ち上がる。 選者を17年務めた90歳戦中派歌人

 夕空に 赤き光を たもちつつ 

                雲ゆつくりと 廣がりてゆく




<皇族代表の御歌>

 文仁親王妃(ふみひとのみこのみめ)

 早春の 光さやけく 木々の間に

                 咲きそめにける かたかごの花



東宮妃(ひつぎのみこのみめ)の御歌>

 池の面(も)に 立つさざ波は 冬の日の

                   光をうけて 明かくきらめく




東宮(ひつぎのみこ)の御歌>

 雲の上(へ)に 太陽の光は いできたり

                  富士の山はだ 赤く照らせり


 最後の句を「赤く染め…?染めたり」と読み違え?書き違え?
椎名桔平似の読師役の方、冷や汗かかれたことでしょう。
(椎名桔平似なのは発声役の方でした(。。;))

 皇太子様、やや戸惑われつつ講師を気遣われるような優しい微笑み…

 その後の講頌は、「照らせり」と正しく唱和しホッとしました。


 

皇后陛下の御歌(きさいのみやのみうた)>

 読師、皇后様から自ら御歌を認められた懐紙を戴き披講席へ戻る
(美しいお筆の文字が少しだけ画面に…もっと拝見できれば…)

「ひかり〜〜〜ぃ」ということを詠ませ給えるきさいのみやのみうた

(天皇陛下の他、皆起立)

(皇后様、天皇陛下に礼)


 君とゆく 道の果(は)たての 遠白く

                  夕暮れてなほ 光あるらし




 発声・講頌と続け、御歌を2回唱和。
(1度目の唱和の余韻の中、輪唱のように続けて2度めを唱和。)

読師が懐紙を皇后様にお返しする。
   天皇陛下の大御歌の書かれた懐紙を戴き披講席へ戻る。


 皇太子様は、常に姿勢正しく前方を見据え堂々とされている。
 秋篠宮様は、興味の向くままに目も顔も向けられる。 
ほぼ同年代の私、なんだか子供の頃のままのお二人のご様子が微笑ましい。

 招待客の東国原知事の顔が覗く…やはり皆が姿勢を正している中、頭を動かしていると目立つ。 もっとも滅多に無い機会、色々見聞したい気持は良く分かる。 そこを映されてしまう間の悪さがお気の毒。




天皇陛下の御製(おほみうた)>

「ひかり〜〜〜ぃ」ということを詠ませ給える御製(おほみうた)

(陛下の他、皆起立)


 木漏れ日の 光を受けて 落ち葉敷く

                 小道の真中 草青みたり



 発声・講頌と続け、御製を輪唱のように余韻の中3度唱和。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 選に漏れた歌も都道府県別に纏められ、天皇陛下の御許へ届けられるとのことでした。 天皇皇后両陛下は、温かな眼差しで一首一首に目を通され、民の歌に御心をお寄せ下さることでしょう。 ありがたいことです。
 

 来年の御題は「葉」

 半紙の長い辺を二つ折りにして、


 右半分に縦書きで

  お題 「葉」

 ○○○○○ ○○○○○○ ○○○○○
 ○○○○○○○ ○○○○○○○

・・・・・・・・・・・・・・・(山折り)・・・・・・・・・・・・・・

 左半分に縦書きで

 〒 住所 
   電話番号
   (ふりがな)
    氏名
      生年月日
 職業


 封筒に入れ、宛名は、


  〒100−8111  宮内庁

    封筒表に「詠進歌」と書き添える。


 応募締切 9月30日

 詳しくは、こちらへ→ 宮内庁HP・歌会始の詠進要領


 皆様、奮ってご応募下さいませ〜

 わたくしも…応募できるような歌、詠めるといいのですが…。 


 
posted by 山桜 at 19:31| Comment(14) | TrackBack(1) | 俳句・和歌・詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月11日

現代発句合「フォト575」

 
  「婆の背に 負われた孫は 十一人」


   なべちゃんさん
       (島根県)


  「フォト575」11/30放送
         *携帯フォト



 江戸時代の「発句合(ほっくあわせ)」の選者として小林一茶の名が彫られた版木がみつかったり、スペシャルドラマ「坂の上の雲」効果で正岡子規の生涯や故郷の様子−松山のあちらこちらに俳句の投稿箱が置かれ優秀作は店先などに張り出され、お年寄りから学生・幼児までが日常的に俳句に親しんでいると紹介されたりと、なにやら俳句に注目が集まっているようです。

 また、衛星第2放送で朝の連ドラを見ていると続いて「フォト575」(月〜金 午前8:00〜8:15 再放送・ハイビジョンでの違う時間帯での放映もあり)という番組が放送されているのですが、これはまさに現代の「発句合」とも言えるもので、毎回心が揺さぶられるような句が紹介され、思わず泣かされてしまうことも少なくありません。 

 五七五の文字だけで情景を思い浮かべられるのが本当の名句なのでしょうが、発句した時にその人が目にしていた情景の写真が添えられていることは、想像力に欠けると言われる現代人にとって大きな助けとなり、共感度は大幅にアップするようです。

 一方、写真あってこそ成り立つ句があり、こちらこそ寧ろ「フォト575」の本道なのかもしれません。



 
  「これ以上 もう飲めませぬ お婆殿」


                     平元一幸さん(広島県) 
                         「フォト575」 12/7放送
 



 
  「おなじだね」「歳が違うね 一世紀」


                   高木 加津子さん(神奈川県) 
                         「フォト575」 12/10放送


 山桜選は、祖母と一緒に育った所為か、お婆さまの写ったものばかりになってしまいました^^; 

 後姿のお婆ちゃんの優しい背の丸み、腰に組んだ働き者の手の温もり、故郷の景色、生活の匂い…私の故郷でもお婆ちゃんでもないのに、懐かしくて胸がきゅっとします。

 2枚目は、お孫さんの困ったような顔がなんとも言えなくて… お婆ちゃんって、孫への愛が溢れるのと同じ様に次から次へと食べさせよう飲ませようとするんですよね〜

 3枚目は、本当に写真が無ければ何のことか分かりませんが、乳母車と車椅子、同じ様に車に乗っている二人の年齢差は100年なんでしょう。 赤ちゃんとお婆ちゃん、お互いに「おなじだね〜」って本当にそう言って笑いあっているように見えます。

 選者が取り上げた作品と選ばれた殿堂入りの句は、こちらのページでバックナンバーを鑑賞することが出来ます。(番組紹介の為ではありますが、転載した作品は皆さんがご覧になり終えた頃には削除しますので公式HPの方をご覧下さい。)

「カシャッと一句 フォト575 作品ギャラリー」 (NHK BSオンライン)
http://www.nhk.or.jp/photo575/gallery/

 そう言えば、友部丹人さんがブログで続けられている「友部丹人旅日記」は正に「フォト575」そのものですよね。 殿も番組に投稿されているのでしょうか〜?


 <追記>

  申し訳ありませ〜ん! 
  つい先程、今日の分の再放送を見てビックリ!! なんと…

  「秋の部」の放送は本日12/11(金)までで、次回放送は
  「冬の部」として来年の2/1(月)〜だそうです。

  それまでは、上のHPで過去ログを楽しみつつ、投稿を期して
  写真と俳句を沢山生み出しましょう♪ 
  私も何か送ってみようかなぁ。。。


Seesaa Blog エコロジー・ブログ 5位 
ラベル:NHK
posted by 山桜 at 13:05| Comment(20) | TrackBack(0) | 俳句・和歌・詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月27日

石垣りん「かなしみ」

       「かなしみ」  

                 石垣 りん

   私は六十五歳です。

   このあいだ転んで

   右の手首を骨折しました。

   なおっても元のようにはならないと

   病院で言われ

   腕をさすって泣きました。

   『お父さん

    お母さん

    ごめんなさい』


   二人ともとっくに死んでいませんが

   二人にもらった体です。

   いまも私はこどもです。

   おばあさんではありません。


     *     *     *



 甘く感傷的な恋の詩より、

 傷ついて病んで血を流す叫びより

 今は年を重ねた人の

 亡き父母への

 詫びのかなしみが胸に迫る。


 お父さん、お母さん

 二人が笑うと

 とても嬉しい。

 私は二人のこどもだから。 
 


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posted by 山桜 at 00:00| Comment(7) | TrackBack(0) | 俳句・和歌・詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

「おとっつぁん」ー 朝の詩(うた) 産経新聞


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おとっつぁん

         神戸市垂水区  
         田中 千代 さん 102歳

早うに逝ってしまった おとっつぁん
なんでやさしい言葉を かけなんだのやろ
なんでもっと親切に せんかったのやろ

親一人子一人で
淋しかった子供時代
私を守ってくれた おとっつぁん

今日も手を合わせて 拝んでいます
千代は元気でおります
おとっつぁん

 2007年5月14日 産経新聞「朝の詩」より
          (選者 新川 和江)



 「母の日」の次の日の朝、この詩を読みました。
102歳になっても尚、早くに亡くなったおとっつあんを
思う娘心… 私は未だ幸いにして親孝行できる時間があると思って
いますけれど、それもいつどうなるかは分かりません。

 「父の日」まであと3週間となりました。 
父の喜ぶ顔をもっともっと沢山見たいと思います。
 
posted by 山桜 at 00:00| Comment(28) | TrackBack(0) | 俳句・和歌・詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月13日

音楽の女神・ミューズ

 雨上がりの光に包まれ 生まれし吾子よ
 完全に無垢なる
 その小さな手の すべらかな感触を
 母の胸は忘れない

 明日 その手でタクトを握り
 友と 友と 友と 
 再び 光に包まれて

 音楽の女神・ミューズ となれ!
posted by 山桜 at 15:18| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 俳句・和歌・詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

秋の日のプリズム


秋の朝日が
窓辺に吊られた雫型のカット・クリスタルに差し込んだ。
夏はその存在を忘れられていたのに、
低くなったお日様の光を呼び込んで、
私はここに居ます!
と突然目覚めたかのようだった。

朝日がクリスタルに当たる最初の瞬間は、
何度見ても心が震える。
宝石の様なカット面でいくつにも分光された朝日は、
部屋中に無数の虹の子を散らす。
クリスタルが少しでも揺らげば、
部屋中の虹の子も一斉に揃って踊りだす。
大人になっていて良かった。
子供の頃これを見たら気が狂ってしまったかもしれぬ。

手をかざせば、自分の手のひらに虹を映す事さえ出来る。
子供の頃、あれほど憧れた虹を、
私は今、遂に手に入れたのだろうか
いいや、手のひらの虹は、つかもうとすれば、するりと逃れる
逃れて虹は、
掴もうとして固く握った私のこぶしの指の先で静かに笑っている。

ラベル:
posted by 山桜 at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句・和歌・詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月04日

「天国」ー 朝の詩(うた) 産経新聞


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「天国」  奈良市 尾上 キミエさん(90歳)
 
人は 死ぬと
天国へ いくらしい
私も もうすぐに
天国へ いくのかな…

いや 私はちがう
天国は 生きてる内に
あるんや

おいしい野菜
すずしい風
おもしろいテレビ
あたたかい人
やさしい人

その中にいる私
私のまわりは
全部天国というもの
posted by 山桜 at 17:12| Comment(4) | TrackBack(1) | 俳句・和歌・詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする