2022年02月03日

「鬼滅の刃」節分に鬼を思う

「鬼滅の刃」(吾峠呼世春・作)の世界にどっぷり浸かってしまっている山桜、鬼を祓う「節分」の日に鬼に思いを巡らしてみようと思います。何処へ向かっていくのか書きだしてみないと分かりませんが、流れに任せて参りましょう。

「魂魄」という言葉があります。魂にも魄にも「鬼」がつきますが、この場合の鬼は「未だ頭に毛髪が少し残っている白骨体」の象形文字と言われます。

文字のつくりを見ると、
「魂」の「云」は「雲」の意で、形が無く天に昇っていくもの
「魄」の「白」は、真っ白になった頭骨、地に戻っていくもの

中国の道教では、魂と魄は二つの異なる存在であり、
「魂」は精神を支える気
「魄」は肉体を支える気

易学では、
「魂」は陽に属して天に帰し
「魄」は陰に属して地に帰す

魂魄(心身)が共に備わっている状態は、即ち生きている人間、離ればなれになるのは命が尽きた時。

「鬼滅の刃」に出てくる鬼は、様々な悲しい状況下で本来の「魂」を無くし虚ろになった「魄」に邪な「悪気」(物語上では、鬼の始祖・鬼舞辻無残の血液)が入り込み「悪鬼」となってしまった状態。

「魂」=「精神を支える気」を失った「虚ろ」な状態が、鬼=悪気の入る隙を与えてしまうのです。悪気は、病苦、諍い、災害、飢饉などを招き込み、優しかった人間をも悪鬼に変えてしまいます。太陽の力を秘めた「日輪刀」でとどめを刺され、悪気が抜けていく刹那、人の心を取り戻せた鬼たちはまだ幸いでした。

「悪鬼」=「悪気」とすれば、「良鬼」=「良気」も存在する筈です。「鬼滅の刃」にも、鬼であることを克服し悪鬼を嫌悪し、悪鬼を倒す研究をし続ける鬼が登場します。「泣いた赤鬼」や「鬼太のぼうし」には、優しい心を持った鬼の姿が描かれています。

 さてさて、所で節分の鬼やらいには、鬼が嫌うと言われる「ヒイラギ」「鰯」「豆」がつきものです。何でも鬼は尖った物が嫌い、特に目を刺されるのが嫌い(鬼で無くても嫌ですよね)、魚臭いのも嫌いということで、トゲトゲのヒイラギに鰯の頭を刺して(目刺しの方が鬼には恐ろしいのではと私は思う)入口に「刺して」置きます。

 鰯を使うのは「魚臭い」と共に、鬼の嫌いな「煙が出る」所も大きな理由のようです。そして「豆」は「魔滅」に繋がるから・・・おおっ、そうなると、「鬼滅の刃」の主人公の「炭」治郎と禰「豆」子は、名前からして鬼を退治する宿命を帯びていたのですね!

 物語の中には、鬼を寄せ付けない為に「藤の花のお香」も焚かれています。未読の方の為に詳しくは伏せますが、やがて藤が大きな力を見せます。藤の花の強い香りは確かに邪なものを祓う力がありそうですし、マメ科で好日性、鬼の嫌いなお日様の光を存分に受け、沢山の大きな豆を生らせます。花・莢・豆が有毒。それでも未だ「藤」には他に何か理由がありそうでモヤモヤしています。

 四鬼(金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼)を従えた古の陰陽師・藤原千方なども関係しそうな・・・まぁ、急ぐことも無し、調べたり考えたりする時間を楽しみたいです。

 今日は節分、明日は新しい年の始まりの「立春」。そんな節目に、元々このブログは「天地の理(あまつちのことわり)」に思いを巡らせ遊ぶ場だったことを思い出しました。どうやら鬼に思いを巡らせていたら、良い鬼が来てくれたようです。


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posted by 山桜 at 19:54| Comment(4) | 気になること思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

御嶽と御岳

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【武蔵御嶽(みたけ)神社 奥宮遥拝所】

JR青梅線「御嶽」駅で降り、「御岳山」に向かう多くの人が思う疑問のひとつ、

 『何故JRの駅は「御嶽」で、
  山の名前は「御岳」の漢字を使うのだろう?』

 『山の名前は「御岳山」なのに、
  神社は「御嶽神社」の漢字を使うのだろう?』

 思うに、先ず「御嶽山」と書いた場合は、木曽「御嶽山(おんたけさん)」を第一に指すので、全国に数多ある「おんたけさん」や「みたけさん」の最高峰(3,067M)で筆頭である「木曽の御嶽山」に崇敬の心を表し、こちらは謙り「御岳山」の漢字を用い「みたけさん」と呼んでいるのではないでしょうか。 

 またJRの駅名「御嶽」の方は、御岳山にある「武蔵御嶽(みたけ)神社」最寄りの駅であることから、「御嶽」の字を用いているとのことでした。 ケーブルカーの「御岳山」駅との混同を防ぐ意味もあるのかもしれません。 事実、先日JR御嶽駅で「ケーブルカーの乗り場はどこですか?」と聞かれました。 漢字を違えていても勘違いされる方は存在するということですから、意識的に区別しているのは正解だと思います。

 ところで「嶽」という漢字の成り立ちは、「山」と「獄」。
「獄」は「裁きを受ける場」、
 真ん中の「言」は神への言あげ、またはご神託?
 左右の「ケモノ偏」と「犬」は生贄。

「人の命運を握る程の霊力のある山」との意味と思われます。
「武蔵御嶽神社」の方には「嶽」の字が掲げられているのも「ご神威」の具現でしょうか。

 神社の形としては、

     (神)
   (人・神官)  
    
「山」の麓、「言」神託を得る神官(人)、両脇に眷属の「山犬」
ということも考えられます。(こんなことは武蔵御嶽神社の正式HPのどこにも記載はなく、私の勝手な想像ですので、誤解のありませんように。)

 そのHPでもご祭神の「櫛眞智命神(くしまちのみことのかみ)」
や、櫛眞智命神を祀る旧(明治まで)社名「大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)」
について殆ど触れられていないことも不思議なのですが、調べてみるとどうやら、

「くしまち」=「奇しき=霊妙なる/まち=卜占(鹿卜・亀卜)を司る神」
「おおまとのつ」=「大きく丸い地の津(船着き場)」

とも思われ、これらは上記の「獄」の意味とも一致しそうです。

 「岳」は「嶽」の新字体とされていますが、成り立ちは「丘」と「山」。
「尖ったゴツゴツした山」と言う程の意味で、随分レベルが落ちる気がします。

 何故成り立ちの違う漢字を旧字体と新字体のように扱っているのかにも謎を感じます。

 山伏の修行の場でもある御嶽神社、大口真神として祀られている眷属が山犬(狼)で、日本武尊・倭建命(ヤマトタケルノミコト)を助けてここに祀られたという伝説もあり、愛犬を連れた参拝も許されています。

 「山伏」「嶽」どちらにも「犬」の字が入っているのも興味深いことです。

山伏= 山(神)・人・犬
 嶽= 山(神)・言(人)・犬」

と置き換えることも出来るのでは・・・?

 久し振りにまた、こちらの世界の考察に足を踏み入れてしまったようですが、不思議なことに考えを巡らせていると、あっという間に時が過ぎてくれるので、今の私は大いに救われます。



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2015年02月04日

聖心と清心

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 先日書きました「丁寧に生きる」の中でノートルダム「清心」学園 の文字をご覧になり、「聖心」の誤りでは? と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか? 東京では、皇后陛下美智子様、第8代国連難民高等弁務官・緒方貞子さん、小説家・曽野綾子さんなどの卒業された「聖心」女子大に馴染みがありますので、私も「あら?」と思いました。

 各大学のHPなどを読みますと、

「聖心」は、イエス・キリストの「愛の心」
「清心」は、聖母マリアの「清き心」

 を示す言葉のようです。

「聖なる」を意味する'sacred'は、「犠牲・いけにえ」を意味する’sacrifice'からの派生語だったと思います。 人々の罪を背負い身を捧げられたイエス・キリストの心こそが「聖なる」ものとされるのでしょうか。 「聖心」にはイエス・キリストの心臓そのものを示す意もあるそうです。

 「犠牲」という日本語は重苦しい言葉ですが、「無償の愛」と置き換えることができましょうか。 「無償の愛」はマリア様の「清き心」にもつながるような・・・。 すみません、幼い頃に日曜学校に通い、イエス様降誕の劇などをした思い出はありますが、カトリック信者ではないので、想像で書きました。 誤りがあれば、ご教示戴けると助かります。

<写真はクリスマス・ローズ・ニゲラ 白洲正子さん命名の別名「初雪おこし」>
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2007年04月20日

何故2月は短い

 「旧暦と月遅れ」の記事に、

 『何故、2月は28日しかないのに、他の月に31日を
  設けているのかを、ずっと不思議に思って来ました。』

                        (現代語訳^^)

というコメントを頂戴致しました。 
恐らく同じ思いの方も多いのではないでしょうか?
私もかつて同じ疑問を持ち、調べたことがありますので、
自分の確認の為にも、ここに書き残しておくことにします。

 古代ローマの暦では、3月(March)が新年の始まりで一年は
今で言う12月までの10ヶ月間しか暦がなく、冬のあまり変化
のない時期(今の1,2月)には暦が無い時代がありました。 
そのようなモヤットした期間があったため、3月の始まりも割り
にいい加減に皇帝が「春めいてきたな」と思う日に決めていたとか…

 そして今で言う3月〜12月の間、31日(大の月)と30日
(小の月)を交互に定めていました。 処がアウグスツス皇帝は、
先帝養父ジュリアスが誕生月(今の7月)にJulyとジュリアスから取った
月名を付けたのに負けじと自分の誕生月(今の8月)をAugustと名付け、
Julyより一日少ないのも面白くなかったのでしょう、Augustも31日
にしてしまいました。 それで仕方なく順番が下記のようにずれ…

 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10(古代の月順)
 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12(今の月)  
   小   小    小    小    小  

 ↓

 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12 / 1 2(月)
  小  小 大 大 小   小   /  小

 やがてモヤッと期間だった(今の1,2月)部分にもきちんと月名
が付き、新年は1月から始まるようになりました。 年初で奇数月が
小の月では縁起が悪いとでも思ったのか(これは私の想像です^^;)
1月は大の月とされ、結局皺寄せは全部2月が背負い込んだのですね。
(「贖罪の月」という少し気の毒な名前については後述)

 私は、英語のことが少し分かって来た頃、8本足の蛸Octpus
8音程のOctave、8角形のOctagonなど8に関係する筈のOct-
10月のOctoberについていることが不思議でならずにこのことを
調べ、かつて一年は10ヶ月しか月名がなく、10月は8番目の
月で
あったことを知りました。 また、英語の月名の由来もその時
調べましたので書いておきます。


☆英語の月名の由来☆

1月 January:双顔神Janus(ヤヌス)より(終始の境であるから)
2月 February:贖罪の神Februusより(迎春前の潔斎月であるから)
3月 March:軍神Marsより(春は戦の準備を始める月であるから)
4月 April:美の女神Aprilis(アフロディテ、ヴィナース)より(異説あり)
5月 May:豊穣の女神Maiaより(草木が成長する季節であるから)
6月 June:結婚・出産の女神Juno(ヘラ)より
7月 July:Julius Caesarの誕生月であったことから
8月 August:Augusutus Caesarの誕生月であったことから
9月 Sepetember:7 septem(セプテム)から(-berは〜番目の意)
10月 October:8 Octo(オクトー)から
11月 November:9 novem(ノヴェム)から
12月 December:10 decem(デケム)から


posted by 山桜 at 00:00| Comment(15) | TrackBack(1) | 気になること思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月02日

「の」の字・「の」の音

           画像 359.jpg

 「ナガミヒナゲシ」と「ナガミヒナゲシ」どちらがこの花に
相応しい名前なのかと、多くの人にはどうでもいいようなことを
勝手に思い巡らしているうちに、植物の名前の中の「の」の字には、
何通りかの意味の違いがあることに気が付いた。


1.「野○○系」
   野生の、野原の、野良の=人の役に立たない 等の意。


  <例>
   長実野雛芥子(ナガミ・ノヒナゲシ)
   烏野豌豆(カラス・ノエンドウ)*1
   烏野胡麻(カラス・ノゴマ)*1
   雀野豌豆(スズメ・ノエンドウ)*2
   狐野牡丹(キツネ・ノボタン)*3
   鬼野芥子(オニ・ノゲシ) 

   *1:烏には野と同じく「役に立たない」の意もあるが、上記二つの
   植物については、後にも野がついていることもあり、前者は実莢が
   黒い、後者は茎が黒いなど「黒い」の意の方が強いと思われる。

   *2:雀にも「役に立たない」の意があるが、ここでは烏より小型、
   「小さい」の意の方が強いと思われる。ラスノエンドウとズメノエンドウ
   のの大きさ故に「カスマ草」と名付けられた野豌豆もある。

   *3:子供の頃、金平糖のような実が成るから狐の釦(ボタン)と
     思ってた人いますよね? 私だけ?
    
   ここで気付くのは、野を付けられた植物は、芥子・豌豆・胡麻・牡丹
   と、皆人間にとって馴染みのある大切な植物であるということ。
   つまり、似ているけど役に立たない野良ものを区別する意味が
   あるということだ。


2.「所有格系」
   ○○のもの、○○の為のもの ○○地方の 等の意。


   例: 犬の陰嚢(イヌのフグリ)
      狐の剃刀(キツネのカミソリ)
      継子の尻拭い(ママコのシリヌグイ)
      雀の鉄砲(スズメのてっぽう)
      蝦夷の立金花(エゾのリュウキンカ)


.「形容詞系」
   ○○という特徴のある 等の意。

   例: 白花の蛇苺(シロハナのヘビイチゴ)
      秋の麒麟草(アキのキリンソウ)
      卯の花(ウのハナ)
      現の証拠(ゲンのショウコ)
      小葉のガマズミ(コバのガマズミ)



2.3.の系統では、「の」抜きも多く見られる。   <例>
    烏瓜(カラスウリ) 語源諸説あり、また場を改めて。
    狐薊(キツネアザミ)
    河原撫子(カワラナデシコ)
    薩摩芋(サツマイモ)
    
    語呂・語感の良さの問題か、命名者の好みの問題か。


 ここで、はたと思い出したのは、相撲の醜名(四股名)。
「若乃花」「三重ノ海」「北の湖」・・・ の・ノ・乃の字があって
の字が見当たらないのは何故?
何となく足が流れて縁起が悪そうだから?

 話が横道にそれてしまったが、「の」の字が間に挟まると何となく
一呼吸の間ができて、ゆったりと和むような気持ちがする。

 「の」が無くても意味が通じるなら、「の」抜きが合理的なのかも
しれないが、私は「畳にのの字を書く」ように、ひっそりと和な
「のの字あり」を支持していきたいと思っている。


<<追記 1>>

  のの字といえば、宮崎駿監督のヒットアニメのタイトルには必ず
  入っていることでも有名だ。
  「風ナウシカ」「となりトトロ」「天空城ラピュタ」
  「もののけ姫」「千と千尋神隠し」「ハウル動く城」等等。
  (同じジブリでも高畑勲監督は、特にのの字にはこだわっていない。)

<<追記 2 2006-06-04>>

コメントを戴いてお返事を書く間に、のの字・音の言霊・音霊の
  力を思うようになってきた。

  祝詞ということば自体、「宣()ることば」であるし、のの音が
  沢山使われている。

   筑紫 日向 橘小戸 阿波岐原に・・・ 


  また歌聖・柿本人麻呂も

   あしびき 山鳥 しだり尾・・・

  と、まるでのの繰り返しを楽しむように歌っている。

 
  
posted by 山桜 at 00:00| 東京 🌁| Comment(9) | TrackBack(0) | 気になること思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月15日

弁慶の勧進帳

 昨日、いつもお世話になっている鎌倉とんぼさんに、

  「歌舞伎で弁慶が読み上げる勧進帳が白紙だという話は誤りです。
 持ち合わせたお経の巻物の中の一つを取り上げて読んだのであり、
 歌舞伎の台本(下に引用)にもそう書いてあります。 
 つまり、「勧進帳」とはマッタク別のモノを、それらしく読み上げたり
 すること
を言います。」

と教えて戴いた。私もてっきり弁慶は何も書いていないものをさも書いて
あるように読み上げたものだとばかり思っていたので、早速調べてみた。


 勧進帳:寺院の堂塔の建立などに要する金品・材料の寄付募集の
     趣意を記し、巻物などにしたもの。
     僧や山伏が民衆から寄付を集める時に読み聞かせる。
     (三省堂 大辞林)

 歌舞伎の台本:
  地  元より勧進帳のあらばこそ、笈の内より往来の巻物一巻取り出だし、
     勧進帳と名附けつつ、高らかにこそ読み上げけれ。

 歌舞伎の小道具:
         弁慶の小道具.jpg
          2003年 (財)切手博物館 特別展示より
          (株)藤浪アート・センター提供品

  この小道具を見ると、中までは良く分からないが、確かに題名も何も
  書いていないように見える。歌舞伎という誇張が特徴的な演出上、
   「何も書いて無いのに、すらすらと読んでいる!」
  と見えた方がより印象的なので白紙の小道具?が使われたのかもしれない。

 実際の話として考えた場合、いくら弁慶が大男で中を覗き見られる可能性が低い
としても、沢山ある巻物の中から、わざわざ何も書いていない巻物を取り出して
読むことは無いだろう。何も書いていない巻物を持って歩くかも疑問であるし、
何かが書いてあるものを読む方がずっと本当らしく誤魔化しやすいのだから。
 
 また市川宗家の解釈では、武士(富樫)は畏れ多い経文を上から覗き見たりはしない、
という解釈であったが、仁左衛門が演じた時は少し覗き見たとの記載もある。
(↓「ご機嫌!歌舞伎ライフ」勧進帳 団十郎の家の芸 2002.12.5 より) 
 http://www5e.biglobe.ne.jp/~freddy/watching11.htm

 ネットの検索で勧進帳の記載を探してみても、歌舞伎関係以外の人の書いたものは
「白紙の…」とされているものが多いが、それは若しかしたら上の小道具を見た人の口
から出た不確かな情報が、いつの間にかまことしやかな情報として流布された結果
なのかもしれない。

 ネット情報には、えてしてこのような出所不明の孫引き情報が多いので要注意だ。
私も引用元は出来る限り明記していきたいと思う。

 鎌倉とんぼさん、興味深いお話をありがとうございました。m(_ _)m


<追記:鎌倉とんぼさん談>
 その役者の家によっての型があります。先代の団十郎の弁慶だったかでは、
 紺紙金字の巻物を使ったことがあると記憶していますし、博多人形の中にも
 紺紙金字の巻物を持って、見得を切っているものを見た記憶があります。
posted by 山桜 at 15:44| Comment(8) | TrackBack(0) | 気になること思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする