2022年08月09日
長崎「平和祈念像」原型
今日は、長崎原爆の日。未だ悲惨な戦争の続くこの世界、平和への祈りを込めて、先日訪れた井の頭自然文化園で出会えた「平和祈念像」原型をご紹介します。
「平和祈念像」原型 北村西望・作
長崎を訪れ、この像に対面したのは未だ20代前半の頃、それまでもそれからも何度もこの像の写真等を見てきましたが、このように穏やかに微笑まれているとは気付きませんでした。2階に上れば、像のお顔の近くまで鑑賞することが出来ます。
写真の撮り方が下手で、実際に見た時の心の奥から癒やされるような優しい微笑みが再現できておらず申し訳ないです。気になる方は是非、実際に確かめにいらしてみてください。
井の頭自然文化園の彫刻館は、A館、B館、アトリエの3棟と屋外展示、合計250点の北村西望の作品が展示されています。猛暑の中、冷房の効いた彫刻館はオアシスで、ゆっくり作品を鑑賞することができました。(文化園のチケットで追加料金なく入館出来ます。)
最後に廻ったアトリエは冷房がありませんでしたが、制作過程や使われた道具、スケッチ等も見ることが出来、北村西望の息づかいが聞こえて来そうな貴重な空間でした。
何でも、住まない約束でここにアトリエを建てて貰いながら、結局住んでしまったお詫びに、作品をこちらに寄贈されたとのこと。
タンポポに囲まれて平和そのもの、カワイイなぁ
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2012年05月26日
ボストン美術館「日本美術の至宝」
金環食に日本中が沸き立った翌朝、上野の国立博物館・特別展「ボストン美術館・日本の至宝」へ、何かを清め流すように激しく降る雨を受けながら、行って参りました。 雨の日の平日にも関わらず結構な人出、里帰りした日本の至宝への歓迎の思いの強さでしょうか。 日本人が日本文化を愛する心の高まりが嬉しいです。
何といっても、日本にあれば国宝級の至宝が明治維新や大震災や大恐慌の中、異国へ脱出し保存状態よく現在まで生き延び里帰りが叶ったのも、審美眼に優れたフェノロサやビゲローや岡倉天心のお蔭で、人がその生きた時代に成すべき使命・ご縁の連鎖=運命の奇跡を考えました。
先ず、至宝の恩人、ビゲローの肖像(伝小林永濯筆)や岡倉覚三(天心)像(平櫛田中作)がお出迎え。
天心先生のお顔って、拝見するたびに誰かに似てる…と思うのですが、誰かがビシッと浮かんでこなくてモヤっとします。 今回、遊行七恵さんのブログで「現在のジュリー説」に、『確かに〜(笑)』とハタと膝を打ちましたが私の中の「あの人」ではないのです。 誰だったかな〜??
パンフ掲載の注目作品が目白押しの中、一番最初に強く心に留まったのは、まるで昨日の「金環食」が仏の姿へと昇華・化身したかのような「一字金輪像」でした。 画像は「文化遺産オンライン」でみつけましたので、興味のある方は下のURLをクリックし、リンク先ページへ飛んでご覧ください。
【一字金輪像:鎌倉時代】「文化遺産オンライン」より
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=38241&imageNum=1
光の中に浮かぶ透明感のある美しい仏様です。 日食というと、何か不吉な予兆のように感じられてぞわぞわしていた心が、この仏様の像を拝見できたことですうっと和らぎ救われました。 ぜひ、画像を大きくしてご覧ください。
【普賢延命菩薩像:平安時代 12世紀中頃 】
病を消し生命力を増すという菩薩さまへ…切なる祈りを込めて。
三頭の象さんが片っ端から病根を引き抜いてくれそうな…。
【吉備大臣入唐(にっとう)絵巻:平安時代 12世紀後半】
http://www.boston-nippon.jp/highlight/02.html
(↑ 展覧会HPのこのページで、柱の陰からこそこそ覗き見やら、お空をひとっ飛びやらのオモシロシーンを垣間見られます。 本当に日本人ってオモシロ好き・笑い好きですよね〜♪)
遣唐使・吉備真備が入唐直後に幽閉された楼閣で、以前唐で客死し今は幽鬼となった阿倍仲麻呂に会い、その霊力の助けを得て、唐人の出す難問に立ち向かっていくという物語絵巻。 大河ドラマ「平清盛」で活躍中、山桜贔屓の松田翔太さん演ずる後白河法皇が制作させた絵巻コレクションの一つだそうです。
<若狭国松永庄(現在の福井県小浜市)の新八幡宮⇒酒井家に伝来⇒大正12年(1923)売りに出されるが、大震災や大恐慌で9年間買い手つかず⇒昭和7年(1932)ボストン美術館所蔵>
【絵巻平治物語・三条殿夜討巻:鎌倉時代 13世紀後半】
こちらはその後白河法皇が絡んだ「保元の乱」の三年後、源平争乱の幕開けとなった「平治の乱(1159)」での藤原信頼・源義朝軍による後白河法皇拉致と三条殿焼打の様子。 その約100年後の制作でもとは15巻近い大作が、現在は3巻と切断された色紙状態の数葉のみ現存。
<三河国西端(しばた 現在の愛知県碧南市)の本多家に伝来?⇒美術市場に放出⇒フェノロサの手を経てボストン美術館の所蔵>
武士の雄叫び、刀と刀のぶつかり、馬の嘶き、炎のメラメラまで聞こえてくるような活写絵巻です。 吉備真備の絵巻のような妄想力満載ものとは違い、とても想像では描けそうにありません。
【屏風松島図:尾形光琳 江戸時代 18世紀後半】
静謐に浮かぶ松島の島々と逆巻く荒波。 光琳らしく図案化された中にもなお生き生きとした躍動感があります。 津波もこのように絵の中に封じ込められたら、少しは大人しくしていてくれるでしょうか。
【鸚鵡図:伊藤若冲 江戸時代 18世紀後半】
はっきりとした色合いや精緻に描き込まれた若冲の絵は苦手だけれど、この初期の作品は絞り込まれた構図で、鮮やかな止まり木?に真っ白な鸚鵡が清楚に浮かび上がり、撫で撫でしてヒマワリの種でもやりたくなる愛らしさです。
【虎渓三笑図屏風:曽我蕭白 18世紀後半】
廬山に隠棲した東晋の僧・慧遠(えおん)を尋ねた陶淵明と陸修静。 三人で話に夢中になっているうちに、慧遠が渡らぬと決めていた俗世への架け橋をうっかり越えてしまったことに気付いて大笑している場面だそうで、見ているこちらまで思わず噴出してワハハな気持ちになってしまいます(笑)
【雲竜図(襖絵):曽我蕭白 18世紀後半】
襖から剥がされた状態でボストン美術館に渡り、このたび修復され公開が叶った作品。 本来は頭と尾の間に胴体部分があったらしい。 それが欠けた為に却って迫力が増しているように思えるのはミロのヴィーナス的効果でしょうか。 蕭白の描くものには、それぞれの個性や思いが表情として良く表されているようで、この龍もどこか自分の持つ破壊的な力を持て余し困惑しているようにも見えました。
【模様小袖白綸子地松葉梅唐草竹輪:江戸時代 18世紀】
他の作品にも言えますが、恐らくボストンに渡らないでいたら、このような美しさでは現存していなかったことでしょう。 日本の美を愛し完璧に保存していてくれた彼の国の人々に感謝です。
何といっても、日本にあれば国宝級の至宝が明治維新や大震災や大恐慌の中、異国へ脱出し保存状態よく現在まで生き延び里帰りが叶ったのも、審美眼に優れたフェノロサやビゲローや岡倉天心のお蔭で、人がその生きた時代に成すべき使命・ご縁の連鎖=運命の奇跡を考えました。
先ず、至宝の恩人、ビゲローの肖像(伝小林永濯筆)や岡倉覚三(天心)像(平櫛田中作)がお出迎え。
天心先生のお顔って、拝見するたびに誰かに似てる…と思うのですが、誰かがビシッと浮かんでこなくてモヤっとします。 今回、遊行七恵さんのブログで「現在のジュリー説」に、『確かに〜(笑)』とハタと膝を打ちましたが私の中の「あの人」ではないのです。 誰だったかな〜??
パンフ掲載の注目作品が目白押しの中、一番最初に強く心に留まったのは、まるで昨日の「金環食」が仏の姿へと昇華・化身したかのような「一字金輪像」でした。 画像は「文化遺産オンライン」でみつけましたので、興味のある方は下のURLをクリックし、リンク先ページへ飛んでご覧ください。
【一字金輪像:鎌倉時代】「文化遺産オンライン」より
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=38241&imageNum=1
光の中に浮かぶ透明感のある美しい仏様です。 日食というと、何か不吉な予兆のように感じられてぞわぞわしていた心が、この仏様の像を拝見できたことですうっと和らぎ救われました。 ぜひ、画像を大きくしてご覧ください。
【普賢延命菩薩像:平安時代 12世紀中頃 】
病を消し生命力を増すという菩薩さまへ…切なる祈りを込めて。
三頭の象さんが片っ端から病根を引き抜いてくれそうな…。
【吉備大臣入唐(にっとう)絵巻:平安時代 12世紀後半】
http://www.boston-nippon.jp/highlight/02.html
(↑ 展覧会HPのこのページで、柱の陰からこそこそ覗き見やら、お空をひとっ飛びやらのオモシロシーンを垣間見られます。 本当に日本人ってオモシロ好き・笑い好きですよね〜♪)
遣唐使・吉備真備が入唐直後に幽閉された楼閣で、以前唐で客死し今は幽鬼となった阿倍仲麻呂に会い、その霊力の助けを得て、唐人の出す難問に立ち向かっていくという物語絵巻。 大河ドラマ「平清盛」で活躍中、山桜贔屓の松田翔太さん演ずる後白河法皇が制作させた絵巻コレクションの一つだそうです。
<若狭国松永庄(現在の福井県小浜市)の新八幡宮⇒酒井家に伝来⇒大正12年(1923)売りに出されるが、大震災や大恐慌で9年間買い手つかず⇒昭和7年(1932)ボストン美術館所蔵>
【絵巻平治物語・三条殿夜討巻:鎌倉時代 13世紀後半】
こちらはその後白河法皇が絡んだ「保元の乱」の三年後、源平争乱の幕開けとなった「平治の乱(1159)」での藤原信頼・源義朝軍による後白河法皇拉致と三条殿焼打の様子。 その約100年後の制作でもとは15巻近い大作が、現在は3巻と切断された色紙状態の数葉のみ現存。
<三河国西端(しばた 現在の愛知県碧南市)の本多家に伝来?⇒美術市場に放出⇒フェノロサの手を経てボストン美術館の所蔵>
武士の雄叫び、刀と刀のぶつかり、馬の嘶き、炎のメラメラまで聞こえてくるような活写絵巻です。 吉備真備の絵巻のような妄想力満載ものとは違い、とても想像では描けそうにありません。
【屏風松島図:尾形光琳 江戸時代 18世紀後半】
静謐に浮かぶ松島の島々と逆巻く荒波。 光琳らしく図案化された中にもなお生き生きとした躍動感があります。 津波もこのように絵の中に封じ込められたら、少しは大人しくしていてくれるでしょうか。
【鸚鵡図:伊藤若冲 江戸時代 18世紀後半】
はっきりとした色合いや精緻に描き込まれた若冲の絵は苦手だけれど、この初期の作品は絞り込まれた構図で、鮮やかな止まり木?に真っ白な鸚鵡が清楚に浮かび上がり、撫で撫でしてヒマワリの種でもやりたくなる愛らしさです。
【虎渓三笑図屏風:曽我蕭白 18世紀後半】
廬山に隠棲した東晋の僧・慧遠(えおん)を尋ねた陶淵明と陸修静。 三人で話に夢中になっているうちに、慧遠が渡らぬと決めていた俗世への架け橋をうっかり越えてしまったことに気付いて大笑している場面だそうで、見ているこちらまで思わず噴出してワハハな気持ちになってしまいます(笑)
【雲竜図(襖絵):曽我蕭白 18世紀後半】
襖から剥がされた状態でボストン美術館に渡り、このたび修復され公開が叶った作品。 本来は頭と尾の間に胴体部分があったらしい。 それが欠けた為に却って迫力が増しているように思えるのはミロのヴィーナス的効果でしょうか。 蕭白の描くものには、それぞれの個性や思いが表情として良く表されているようで、この龍もどこか自分の持つ破壊的な力を持て余し困惑しているようにも見えました。
【模様小袖白綸子地松葉梅唐草竹輪:江戸時代 18世紀】
他の作品にも言えますが、恐らくボストンに渡らないでいたら、このような美しさでは現存していなかったことでしょう。 日本の美を愛し完璧に保存していてくれた彼の国の人々に感謝です。
2011年03月08日
2009年10月28日
皇室の名宝ー日本美の華
東京国立博物館HP
http://www.bihana.jp/
宮内庁HP
http://www.kunaicho.go.jp/20years/touhaku/touhaku.html
学校帰りのケロロンと上野で落ち合って行って参りました。
その前に、お腹が空き過ぎてクラクラ〜というので「韻松亭」でランチを。
高台からの景色を楽しみながら、すっかり満腹になるとケロロン今度は眠くなり、危うく観覧脱落しそうになりましたが、お店の外で演奏されていたリズミカルな木琴の演奏に元気付けられ、東博へ〜♪
「四季草花図」伝狩野永徳
西洋の静物画でも、同時期に咲く筈の無い花々を花瓶に取り合わせた図には違和感アリアリだが、こうして同じ地面から春夏秋冬の花々が一緒に生えている、それも画面の中で季節毎に分かれてもいない情景は奇妙で綺麗過ぎて何か心に響かない。 着物や陶器の柄にもあるけれど、好きになれない。 総花的なんて言葉を思い出す。 敢えて言えば浄土の花園か。
「動植綵絵」伊藤若冲
若冲を見ると、似たような感情がまたも沸き上がる…相変わらず「凄い!」とは思うけれど「いいなぁ♪」ウットリにはならないので、厚い人垣の後ろから遠巻きに眺めるが、全30幅の「動植絵」にぐるりと囲まれてどうにも気疲れが…(苦笑) 羽や鱗肌で埋め尽くされた群鶏図よりも少しでも空間の多い構図があるとほっとする。
雀の群れの中の一羽のアルビノ白雀が描かれていた。 実際に白雀は2度見たことがあるが、仲間外れにされている様子もなく、いたって自然に群れの中で暮らしていたので、こうして絵の中でも健気に生きていてくれて嬉しかった。
若冲の後に円山応挙、横山大観に迎えて貰い、開放感。
研ぎ澄まされた目や尖った切先の渦巻く息詰まる世界から、気持ちのいい風の吹く大自然の中へ踏み出し、思わず深呼吸という気分になる。
狩野永徳の「唐獅子」は流石の迫力で圧倒されたが、出来れば応挙のどこか猫風味な「旭日猛虎図」の虎の背の方に乗ってみたい。
大観「朝陽霊峰」屏風は、左に雲の上に金色に輝く富士の峰、右に真っ赤な朝陽と富士が見下ろす山々。 これは下界から仰ぐ富士ではなく、富士から広く見渡す視線…まさに皇室の秘宝に相応しい。
一方、鏑木清方「讃春」(後の方の部屋の展示)は、川風を受けて幸せそうな船上生活の母子と芝生の上で語らう健やかな女子学生たち…庶民の姿が、天皇陛下の即位を祝う絵として新しい昭和の風を運んでいた。
酒井抱一の「花鳥十二ヶ月図」の優しいおもてなしを受ける。
「こういうの、お好きでしょう?」 ウィスキーのCMの小雪さんにニッコリされるように誘われて寛ぎ楽しんだ…のも束の間…
齢八十画狂人北斎の描く「西瓜図」には、西瓜の持つ妖しい世界を気付かされた。 真っ二つに切られ、真っ赤な腹を晒した西瓜の上に掛けられた薄布の上には包丁が。 その薄布が西瓜の汁を吸って張り付き、その下のスの入った断面を浮き上がらせ、艶かしい。 上に渡した棹には干瓢のように細く透ける程に薄く削られた西瓜の皮がうねうねと螺旋を描いて漂う。
俎板は手術台、西瓜はクランケ、皮は摘出された臓器か…。
北斎に異界へ連れて行かれそうになるのを、次々と現れる宝物の数々が引き止めてくれた。 宮殿以外のどこに飾ったら相応しいのか分からない大きく煌びやかな品々…。 このような世界があるからこそ、伝統技術の技が引き継がれ、またより磨かれてもいくのだろう。 皇室や王室を失えば、この雅もまた失われてしまうだろう。
上村松園の「雪月花」 散りゆく花びらを愛おしんで袂を伸ばす小さな姫君たち、月明かりを受け白い面を輝かせる姫君たち、そっと御簾をもたげ笹に積もった雪を見初める姫、に見送られ心穏やかに会場を後にした。
その直ぐ閉館後、皇太子殿下が同展にお出ましだったとのニュースが…。 なにやら警官や警備車両が目に付く思っていたらそうでしたか。 皇太子殿下はお風邪を召されていらした中でのご訪問。 どうぞお体大切になさって下さい。 ご快癒心よりお祈り申し上げます。
(主な作品の画像は冒頭に掲げたHPの作品紹介頁でご覧になれます。)
Seesaa Blog エコロジー・ブログ 4位
2009年06月05日
日本水彩展
山口ももりさんの作品
(写真がヘボで大変申し訳ないです…)
第97回・日本水彩展 2009年6月1日〜10日 東京都美術館
(期間中無休・最終日入場2時まで)
主催:日本水彩会
平日の3時頃というのに上野公園はまるでラッシュアワーのような人の波、様々な制服姿の修学旅行生と時間とお金に余裕のあると思しき方々等で溢れかえってていました。
ルーブルにも阿修羅像にも目もくれず、私が向ったのは山口ももりさんが所属されている日本水彩会主催の「第97回・日本水彩展」。
世界の宝と言われるような名作の数々の観覧は勿論間違いないと思いますけれど、今を生きている人々が、新鮮な感動を胸に迫る思いを伝えようとこの一年精魂を傾けた作品群は、具象から抽象まで技法も表現も様々で生き生きとした活力に溢れており、とても見応えがありました。
例えて言えば、朝の市場でピチピチの魚や瑞々しい野菜、そして威勢の良い市場の人々の声に囲まれたような、自分自身も活力を受けて元気いっぱいになってしまうような展覧会でした。
帰途、国立博物館を背景に、地方からの修学旅行生が緊張と面映さをたたえつつ、合唱を披露しようとする瞬間に出会いました。 先生方やバスガイドさんが固唾を呑んで見守る中、一瞬の静寂を突き破り空へ向けて飛び出したメロディ!
わっと思わぬ涙がこみ上げてしまい、周りに気付かれぬようにそっと後ずさりしその場を離れました。 後から若い歌声が背中を優しく押し続けてくれました。
幾つになっても生き生きとした感性を作品に現していく人々、今を生きる身も心も若き人々、眩しいような生命力を受けて「私も!」と涙を拭って意気揚々、単純なので足取りまで軽くなり家に向うのでありました。
そんな日はラッキーナンバーも引き当てて
しかも、日付まで全部「3」の倍数〜サン!
2009年02月09日
文字の力・書のチカラ
先日の稽古で「一休・澤庵・江月・江雪」の画賛を学んだ所為か
次は書をもう一度習いに行こうかと密かに思っていたこともあって、
銀座に出たついでに、それほど心積もりしていなかったのに
「文字の力・書のチカラ」展(出光美術館)に立ち寄ることになった。
「文字の力・書のチカラ」−古典と現代の対話−
2009年1月10日(土)〜2月15日(日)月曜休館
こちらに出展されている出光美術館所蔵の国宝・古筆手鑑
「見努世友」
「見努世友」=「見ぬ世の友」である。 痺れんばかりに驚いた!
確かここ数日の間にこの言葉を目にした?聞いた?ばかりだった。
見ぬ世の友から教わった書を未だ見ぬ世の共に伝える古筆手鏡、
なんと胸をつかまれる命名なのだろう。 私も遠く隔たった世の
見ぬ友が思い描いた「見ぬ世の友」の一人になれてとても嬉しい。
一休さんの二大字
心
法
「心」の字は天地逆さでしかも鏡文字に書かれている。
のっけからこちらの心も躍るような楽しい気持になった。
下には「本よりも心の法はなきものを」との書き添え。
本来心の動きに法などないんだよ〜と「心」の文字自体が
体現してくれている訳だ。 流石はとんちの一休さん!
鉄斎の扇面に描かれた「福内鬼外図」は
「鬼」の字がそのまま鬼の姿になり
駆け出して、ほうほうのていで福の投げる豆から逃げている。
江月さんも居た。 これは縦書きでないと伝わり難い…
賓
中
主
々
中
賓
真中の「主」の中の「王」を挟んで、上の「ゝ」と下の「々」
(殆ど「ゝ」のように書かれている)が対比し、全体でまるで
漢字の回文(上から読んでも下から読んでも同じ)のように…
禅寺の和尚さんは軽妙洒脱、深い意味もあるだろうけれど、
先ずは見た目だけで、愉快愉快。
それにしても、まさか一休さんに江月さんにまで会えるとは!
友と呼ぶには畏れ多い方々にここへ呼んで戴けたのだと思い込み、
勝手に胸は昂ぶるばかり。
悦山道宗の三大字
中
|
|
秋
月
「中」の縦棒が長〜く下にゆらゆらと伸びて、空の月の光が
水面に届き、天と地で二つの月がゆらゆら光っているかのよう
棟方志向の二大文字
妙
眞
くっきりとした朱と黒の表装に映える躍動する文字の力。
これ、欲しいなぁ!
家康の「日課念仏」丹精にきっちり並んだ「南無阿弥陀佛」の
文字列がウェーブのようにうねり出す。これも不思議な文字の力。
パソコン文字でも何がしかの不思議を醸し出しそう…
南南南南南南南南南南南南南南南南南南
無無無無無無無無無無無無無無無無無無
阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿
弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥
陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀
佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛
南南南南南南南南南南南南南南南南南南
無無無無無無無無無無無無無無無無無無
阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿
弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥
陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀
佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛
様々な墨色の違いを生かした巻物があった。 うろ覚えだが、
仙高ウんの「般若心経」だったか…。 白地に浮かぶ美しい墨色の
配置と文字の流れ、おどけた作品も多い仙高ウんだが、その美的
センスは卓越している。 あのまま帯にしたら素敵だろうなぁ
伝 藤原公任 「石山切」
趣向を凝らした色紙のうえを流れる仮名はやはり美しい。
「大琳派展」でも姿を見せてくれた本阿弥光悦にも又会えた。
骨や石や陶器などに刻まれた古代文字や歌い踊るような楽しい
アラビア文字の展示もあった。
「文字の力・書のチカラ」温故知新、益々広がる可能性にときめく。
実は母と一緒だった為、いつものようにとくと眺めることができず、
会期は15日(日)までだがもう一度行けたら…と思わせてくれる
私にとっては忘れえぬ展覧会だった。
(会期残り僅か、できるだけ多くの人に見て戴きたいので、
図版なども揃わぬまま、一日も早く!とアップ致しました。)
<追記> 私の記事だけでは覚束ないので、他の方々の記事も
こちらにご紹介させて戴きます。
Takさんの「弐代目・青い日記帳」
美術ブロガーの巨匠Takさんの記事は、人気漫画「とめはねっ!」
まで広がります。 寄せられたコメントも実に興味深いです。
elmaさんの「自分磨き日記」
「遊戯人(さん)の自由な世界」
↑皆さんのブログには図版も多く掲載されていますので、是非!
次は書をもう一度習いに行こうかと密かに思っていたこともあって、
銀座に出たついでに、それほど心積もりしていなかったのに
「文字の力・書のチカラ」展(出光美術館)に立ち寄ることになった。
「文字の力・書のチカラ」−古典と現代の対話−
2009年1月10日(土)〜2月15日(日)月曜休館
こちらに出展されている出光美術館所蔵の国宝・古筆手鑑
「見努世友」
「見努世友」=「見ぬ世の友」である。 痺れんばかりに驚いた!
確かここ数日の間にこの言葉を目にした?聞いた?ばかりだった。
見ぬ世の友から教わった書を未だ見ぬ世の共に伝える古筆手鏡、
なんと胸をつかまれる命名なのだろう。 私も遠く隔たった世の
見ぬ友が思い描いた「見ぬ世の友」の一人になれてとても嬉しい。
一休さんの二大字
心
法
「心」の字は天地逆さでしかも鏡文字に書かれている。
のっけからこちらの心も躍るような楽しい気持になった。
下には「本よりも心の法はなきものを」との書き添え。
本来心の動きに法などないんだよ〜と「心」の文字自体が
体現してくれている訳だ。 流石はとんちの一休さん!
鉄斎の扇面に描かれた「福内鬼外図」は
「鬼」の字がそのまま鬼の姿になり
駆け出して、ほうほうのていで福の投げる豆から逃げている。
江月さんも居た。 これは縦書きでないと伝わり難い…
賓
中
主
々
中
賓
真中の「主」の中の「王」を挟んで、上の「ゝ」と下の「々」
(殆ど「ゝ」のように書かれている)が対比し、全体でまるで
漢字の回文(上から読んでも下から読んでも同じ)のように…
禅寺の和尚さんは軽妙洒脱、深い意味もあるだろうけれど、
先ずは見た目だけで、愉快愉快。
それにしても、まさか一休さんに江月さんにまで会えるとは!
友と呼ぶには畏れ多い方々にここへ呼んで戴けたのだと思い込み、
勝手に胸は昂ぶるばかり。
悦山道宗の三大字
中
|
|
秋
月
「中」の縦棒が長〜く下にゆらゆらと伸びて、空の月の光が
水面に届き、天と地で二つの月がゆらゆら光っているかのよう
棟方志向の二大文字
妙
眞
くっきりとした朱と黒の表装に映える躍動する文字の力。
これ、欲しいなぁ!
家康の「日課念仏」丹精にきっちり並んだ「南無阿弥陀佛」の
文字列がウェーブのようにうねり出す。これも不思議な文字の力。
パソコン文字でも何がしかの不思議を醸し出しそう…
南南南南南南南南南南南南南南南南南南
無無無無無無無無無無無無無無無無無無
阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿
弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥
陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀
佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛
南南南南南南南南南南南南南南南南南南
無無無無無無無無無無無無無無無無無無
阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿
弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥弥
陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀陀
佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛佛
様々な墨色の違いを生かした巻物があった。 うろ覚えだが、
仙高ウんの「般若心経」だったか…。 白地に浮かぶ美しい墨色の
配置と文字の流れ、おどけた作品も多い仙高ウんだが、その美的
センスは卓越している。 あのまま帯にしたら素敵だろうなぁ
伝 藤原公任 「石山切」
趣向を凝らした色紙のうえを流れる仮名はやはり美しい。
「大琳派展」でも姿を見せてくれた本阿弥光悦にも又会えた。
骨や石や陶器などに刻まれた古代文字や歌い踊るような楽しい
アラビア文字の展示もあった。
「文字の力・書のチカラ」温故知新、益々広がる可能性にときめく。
実は母と一緒だった為、いつものようにとくと眺めることができず、
会期は15日(日)までだがもう一度行けたら…と思わせてくれる
私にとっては忘れえぬ展覧会だった。
(会期残り僅か、できるだけ多くの人に見て戴きたいので、
図版なども揃わぬまま、一日も早く!とアップ致しました。)
<追記> 私の記事だけでは覚束ないので、他の方々の記事も
こちらにご紹介させて戴きます。
Takさんの「弐代目・青い日記帳」
美術ブロガーの巨匠Takさんの記事は、人気漫画「とめはねっ!」
まで広がります。 寄せられたコメントも実に興味深いです。
elmaさんの「自分磨き日記」
「遊戯人(さん)の自由な世界」
↑皆さんのブログには図版も多く掲載されていますので、是非!
2008年07月07日
「静物画の秘密展」
ブログ友のTakさんより有り難いお誘いを戴き、国立新美術館(六本木)
で開催中(2008年7月1日〜9月15日)の
ウィーン美術史美術館所蔵「静物画の秘密展」
に行って参りました。 タダヨリコワイモノハナイ? 宿題付きの観覧
でしたので久々にレポ書きます。 怠者にはこういう締めが必要ですな。
(主催側より提供された作品映像が大きく、ブログ右バーの表示が
入りきらずに、下方に行ってしまっています。
見づらくて申し訳ありません。
次の記事をアップしましたので、サムネイル表示に変更します。
1クリックで原寸写真になります。)
国立新美術館外観 故黒川紀章氏の鼓動が聞こえるような…(合掌)
西洋の「静物画」と聞けば、思い浮かべるのは大きな花瓶に溢れん
ばかりに生けられた花々やテーブルの上に豊かに盛られた果物など。
しかしこの日、それが単なる一面でしかないことを、ウィーンの美術館
の副館長カール・シュッツ氏のお話の中で学んだ。
日本語の「静物」とは英語の「Still life」そのものの和訳であろう、
しかし、それは単に「静かなる物」の写生ではなかった。
何と表現したらぴったりくるだろう…。 つい先程までは「生物」だった
狩の獲物も猟銃で撃たれて吊るされれば、血の滴る「静物画」の対象となる
のなら、「時が止まった命」「息が止まった命」とでも言うべきか。
また「静物画」を示す言葉も、nature morte(仏)、natura morta(伊)
となると、「死んだ⇔自然(生命)」と更に反語のような問いかけを
含んでくる。 但し、この場合の「自然」はいわゆる大自然の概念では
なく、「ありのまま」「写実」の意を表すという。
そしてそこに描かれている物にはそれぞれにメッセージがある…と
いう所で、ふいに禅画のことを思い浮かべた。 禅画に描かれている
物には、同じ様に各々に意味付がなされていることが多く、表面的な
絵画でのみならず、見る者に何かを伝えよう考えてご覧の意図がある。
(拙稿「百事如意」に詳細あり。)
作品解説を熱く語るウィーン美術史美術館副館長カール・シュッツ氏
優しそうな青い瞳が…嗚呼、写ってなくて残念。
例えば、このヴァニタス「虚栄」という絵へのシュッツ氏の解説によれば、
それらは禅画よりずっと直接的で分かりやすいが、
天使の持つカメオと指差す地球=カール5世の支配した帝国
髑髏・火の消えた蝋燭=栄華の儚さ
甲冑・鉄砲=戦いの虚しさ
砂時計=過ぎ去ってしまった時
貴金属・金銀貨・美女の肖像等=死後には価値が無いもの
カード=さて? 詳しい方なら何の暗示かお分かりかも…
そして手前の髑髏の前のテーブル上には「NIL OMNE」の文字が刻まれ
ている。 「NIL OMNE=Everything is nothing=全ては空」と言えば
「照見五蘊皆空」。 お釈迦様の悟りと同じ。
人の思考の到達点は洋の東西を問わず、共通点も多い。
そう、静物画といえば花と花瓶。 しかし、こちらも曲者だった。
ありのままの花たちを描いているようでいて…よく見てみると、自然界
では決して同時期に咲くはずのない花々が一緒に生けられている。
(当時は温室栽培は未だ無い筈)つまり、実際にこれら全部の花が生け
られている状態を実際に見て写生したものではなく、別々の時期のもの
を描き合わせていかにもそこに存在した(する)かのように描き出している訳だ。
「時の止まった命」「死んだ自然」…ナルホド。
青いの中国壺という貴重な品に生けられている花々もまた、当時莫大
な富を生む投機の対象でもあり、その価値を永遠に封じ込めた絵画の
価値も相当なものそうな。
儚い命の花々も「死んだ自然」の中で、「永遠の命」を得て莫大な
富を生む、それもまたヴァニタス、パラドクス…う〜ん、頭が捩じれそう。
ここには載せていないが、解体途中の牛の開きやら、死屍累々と言っ
た風情の狩の獲物の「静かなるもの」達の「美」については…?
美味しそうに見えるのか? 蟹や魚等の絵には、私もちょっと食指が動いたし、嗜好の差か。
ルーベンスの美女たちの柔らかな肢体の前で癒され、暫し休憩。
・・・
処で何故この絵が「静物画の秘密展」に並んでいるのでいるのか?
実は背景や脇の小道具などに注目すると、これまた各々に意味が込めら
れているとのこと。 しかも背景/果物・猿を描いたのはルーベンスで
はない他の画家で、3名の共同作業で仕上げられている。
因みに、
インコ=愛 雉=貞節 犬=忠節
イルカ(噴水)=惚れっぽさ 猿=愚かさ
を表しているのだそうな。 今度からこういうモチーフを見たら、
要チェックかも^^; まぁ、もっと素直に楽しんでもよいだろうし、
そういうことが分かると更に面白い発見もあって楽しめる人(私?)も
いるだろうし。
ふっくらした牡蠣に胡椒を一振りレモンをジュッと絞って戴きたい。
これは当時の健康食イチオシの組み合わせだったそうな。
(そうそう、この絵の立体再現コーナーもあり。 暗い画面を覗きこん
でいる人を見たら、変なのと飛ばさずに続いて覗くと見える。)
葡萄とサクランボそれに葉っぱは、どうもガラス細工のようで瑞々し
さが足りないと思うのは、日本の湿度の中でしかそれらを見たことがな
いからだろうか。
若い頃の中尾ミエ似?の肖像は、唯一我が家にも掛けられそうな小品。
静物画の秘密というテーマに沿えば、注目すべきは、可愛らしい胸元で
はなく、右手に持つ高杯やら胸に抱えた果物やら、牡蠣やら布の表情などか。
やはり静物画ばかりでは、ずっと一般の興味を惹き付けるのは難しか
ろうということで、要所要所にこうしたサービス作品が掲げられている
のかもしれない。
最後の大きなプレゼントは、ベラスケスのマルガリータちゃん。
ちゃんと傍らには可愛らしい花と花瓶が添えられている。
内覧会ということで俯瞰写真の撮影が許可されていたが、何をどう
撮るべきか悩んだ末、作品の大きさが大体分かるように人様のお姿を借用し、こんなものを撮ってみた。
← マルガリータちゃんは想像より小さめ。
東京展の後の巡回先(予定)です。
●仙台展
2008年10月7日(火)〜12月14日(日) 宮城県美術館
●神戸展
2009年1月6日(火)〜3月29日(日) 兵庫県立美術館
●青森展
2009年4月〜6月 青森県立美術館
<プレヴューに同行参加された皆さんのレポ>
・Takさん 「弐代目・青い日記帳」
・とらさん 「Art&Bell by Tora」
Takさん、とらさんのお二人の美術展レポは留まるところを知らず、
もうこの展覧会レポも、Top pageから拝見しますと、遥か過去のこと
のように下の方の記事になっており、ビックリでした〜
他の展覧レポも必見です。 見たいもの沢山有り過ぎて困る〜
・kyouさん 「徒然日記」
・m25さん 「Magrittianの道程」
・Nikkiさん 「Megurigami Nikki」
・えみ丸さん 「いつか見た青い空」
(レポは未だのよう? 見つけられなくてごめんなさい!)
←ポチッとクリックの応援、宜しくお願いしま〜す
新しいカテゴリ「生活・文化(全般)」に移動しました。
8日朝は21位にしていました。 ありがとうございます(゜―Å)
で開催中(2008年7月1日〜9月15日)の
ウィーン美術史美術館所蔵「静物画の秘密展」
に行って参りました。 タダヨリコワイモノハナイ? 宿題付きの観覧
でしたので久々にレポ書きます。 怠者にはこういう締めが必要ですな。
(
入りきらずに、下方に行ってしまっています。
見づらくて申し訳ありません
次の記事をアップしましたので、サムネイル表示に変更します。
1クリックで原寸写真になります。)
国立新美術館外観 故黒川紀章氏の鼓動が聞こえるような…(合掌)
西洋の「静物画」と聞けば、思い浮かべるのは大きな花瓶に溢れん
ばかりに生けられた花々やテーブルの上に豊かに盛られた果物など。
しかしこの日、それが単なる一面でしかないことを、ウィーンの美術館
の副館長カール・シュッツ氏のお話の中で学んだ。
日本語の「静物」とは英語の「Still life」そのものの和訳であろう、
しかし、それは単に「静かなる物」の写生ではなかった。
何と表現したらぴったりくるだろう…。 つい先程までは「生物」だった
狩の獲物も猟銃で撃たれて吊るされれば、血の滴る「静物画」の対象となる
のなら、「時が止まった命」「息が止まった命」とでも言うべきか。
また「静物画」を示す言葉も、nature morte(仏)、natura morta(伊)
となると、「死んだ⇔自然(生命)」と更に反語のような問いかけを
含んでくる。 但し、この場合の「自然」はいわゆる大自然の概念では
なく、「ありのまま」「写実」の意を表すという。
そしてそこに描かれている物にはそれぞれにメッセージがある…と
いう所で、ふいに禅画のことを思い浮かべた。 禅画に描かれている
物には、同じ様に各々に意味付がなされていることが多く、表面的な
絵画でのみならず、見る者に何かを伝えよう考えてご覧の意図がある。
(拙稿「百事如意」に詳細あり。)
作品解説を熱く語るウィーン美術史美術館副館長カール・シュッツ氏
優しそうな青い瞳が…嗚呼、写ってなくて残念。
例えば、このヴァニタス「虚栄」という絵へのシュッツ氏の解説によれば、
それらは禅画よりずっと直接的で分かりやすいが、
天使の持つカメオと指差す地球=カール5世の支配した帝国
髑髏・火の消えた蝋燭=栄華の儚さ
甲冑・鉄砲=戦いの虚しさ
砂時計=過ぎ去ってしまった時
貴金属・金銀貨・美女の肖像等=死後には価値が無いもの
カード=さて? 詳しい方なら何の暗示かお分かりかも…
そして手前の髑髏の前のテーブル上には「NIL OMNE」の文字が刻まれ
ている。 「NIL OMNE=Everything is nothing=全ては空」と言えば
「照見五蘊皆空」。 お釈迦様の悟りと同じ。
人の思考の到達点は洋の東西を問わず、共通点も多い。
そう、静物画といえば花と花瓶。 しかし、こちらも曲者だった。
ありのままの花たちを描いているようでいて…よく見てみると、自然界
では決して同時期に咲くはずのない花々が一緒に生けられている。
(当時は温室栽培は未だ無い筈)つまり、実際にこれら全部の花が生け
られている状態を実際に見て写生したものではなく、別々の時期のもの
を描き合わせていかにもそこに存在した(する)かのように描き出している訳だ。
「時の止まった命」「死んだ自然」…ナルホド。
青いの中国壺という貴重な品に生けられている花々もまた、当時莫大
な富を生む投機の対象でもあり、その価値を永遠に封じ込めた絵画の
価値も相当なものそうな。
儚い命の花々も「死んだ自然」の中で、「永遠の命」を得て莫大な
富を生む、それもまたヴァニタス、パラドクス…う〜ん、頭が捩じれそう。
ここには載せていないが、解体途中の牛の開きやら、死屍累々と言っ
た風情の狩の獲物の「静かなるもの」達の「美」については…?
美味しそうに見えるのか? 蟹や魚等の絵には、私もちょっと食指が動いたし、嗜好の差か。
ルーベンスの美女たちの柔らかな肢体の前で癒され、暫し休憩。
・・・
処で何故この絵が「静物画の秘密展」に並んでいるのでいるのか?
実は背景や脇の小道具などに注目すると、これまた各々に意味が込めら
れているとのこと。 しかも背景/果物・猿を描いたのはルーベンスで
はない他の画家で、3名の共同作業で仕上げられている。
因みに、
インコ=愛 雉=貞節 犬=忠節
イルカ(噴水)=惚れっぽさ 猿=愚かさ
を表しているのだそうな。 今度からこういうモチーフを見たら、
要チェックかも^^; まぁ、もっと素直に楽しんでもよいだろうし、
そういうことが分かると更に面白い発見もあって楽しめる人(私?)も
いるだろうし。
ふっくらした牡蠣に胡椒を一振りレモンをジュッと絞って戴きたい。
これは当時の健康食イチオシの組み合わせだったそうな。
(そうそう、この絵の立体再現コーナーもあり。 暗い画面を覗きこん
でいる人を見たら、変なのと飛ばさずに続いて覗くと見える。)
葡萄とサクランボそれに葉っぱは、どうもガラス細工のようで瑞々し
さが足りないと思うのは、日本の湿度の中でしかそれらを見たことがな
いからだろうか。
若い頃の中尾ミエ似?の肖像は、唯一我が家にも掛けられそうな小品。
静物画の秘密というテーマに沿えば、注目すべきは、可愛らしい胸元で
はなく、右手に持つ高杯やら胸に抱えた果物やら、牡蠣やら布の表情などか。
やはり静物画ばかりでは、ずっと一般の興味を惹き付けるのは難しか
ろうということで、要所要所にこうしたサービス作品が掲げられている
のかもしれない。
最後の大きなプレゼントは、ベラスケスのマルガリータちゃん。
ちゃんと傍らには可愛らしい花と花瓶が添えられている。
内覧会ということで俯瞰写真の撮影が許可されていたが、何をどう
撮るべきか悩んだ末、作品の大きさが大体分かるように人様のお姿を借用し、こんなものを撮ってみた。
← マルガリータちゃんは想像より小さめ。
東京展の後の巡回先(予定)です。
●仙台展
2008年10月7日(火)〜12月14日(日) 宮城県美術館
●神戸展
2009年1月6日(火)〜3月29日(日) 兵庫県立美術館
●青森展
2009年4月〜6月 青森県立美術館
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8日朝は21位にしていました。 ありがとうございます(゜―Å)
ラベル:国立新美術館
「静物画展」付録「花の名前」
この絵の花の名前が載っていたら良いのにと仰る方がいらしたので、
分かる範囲で書き出しておきます。
青いアヤメ科の花「ダッチアイリス」
薄黄・黄・青黒のアヤメ科の花「ジャーマンアイリス」
白い小さな釣鐘状の花「スノーフレーク」
青い小さな釣鐘状の花「シラー・カンパニュラータ」
右側後方で暗がりに光る枝もの「薔薇の蕾」?
左斜め上の白い小さな五弁花「さんざし」?
黄に赤縁のチューリップの右の黄の花「八重咲水仙」
〃 左下白い4弁花「大根の仲間の花」?
房咲き水仙(白・黄色・白に黄のカップ)
大きな釣鐘状の花「フリチラリア」(貝母の仲間「チェッカードリリー」)
赤い薄い多弁に青い雄蕊「アネモネ」の八重と一重
アネモネの下の青い五弁花「ツルニチニチソウ?」
フリチラリアの左の赤い花「アネモネ」丁子咲き
薄いピンクの多弁花「薔薇」
青と白の小さい蛸型の花の集まる穂「ヒヤシンス」
青い壺の口周りの小花「勿忘草」(テーブル上の青い小花も)
「プリムラ(西洋桜草)」「ビオラ」「シクラメン」
すみません、時間切れです。 後は分かり次第アップします。
<追記>
プレヴューにご一緒したkyouさんが、会場に展示してあった花の名前の
列記してあるパネルを撮影していらして、送って下さいました。
ご親切にありがとうございます。<( _ _ )>
数字の部分がちょっと小さいですが、見比べてみると…
←1クリックで大きくなります。
挙げてある花名はかなり少ないですが、大体はあってるようです。
(畏れ多くも自分基準の物言い^^;)
シラーカンパニュラータとブルーベルはほぼ同じような花なのでOKとして、
オダマキと書いてあるのは、シクラメン咲きの水仙の見間違え?
他にオダマキらしい花が私には見つかりません。
白い4弁花がバイカウツギのようですね。
透き通っていて、あまり空木の花弁のようには見えませんが…
シベリアリュウキンカはフリチラリアの下の黄色の花かしら?
となると、壺の口の真中あたりの黄色の花は何でしょう?
キャロットフラワーとは人参の花ではないのかな?
人参の花ならレースのような白い小花の集まりですが見当たりません。
私が大根の花の仲間と書いた花が、アラセイトウ(ストック)ですね。
ツリガネソウというのも、大雑把な名前ですが、どれか分かりません。
画像でなく実物ならもう少し判明しそうですが、今の処、この位が
限界のようです。 あまりお役に立てず、申し訳ありませんでした。
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2008年02月09日
小堀遠州・美の出会い展
遠州好 寄木 水指棚 と お道具の取り合わせ
銀座松屋での展示は1月14日で終わってしまい、今頃更新しても…と
思い保存しておりましたが、下記の予定で巡回があるとのことですので、
お知らせ致します。 混み合わぬ内の早めのご観覧をお勧めします。
2月23日(土)〜3月16日(日) 名古屋・松坂屋美術館
3月19日(水)〜3月31日(月) 大丸ミュージアム・KOBE
朱 糸目瓢箪 茶器
小堀遠州(1579〜1647)
武将・建築作庭・茶の宗匠・書画・和歌・総合美のプロデューサー
徳川家康、秀忠、家光の三代に仕え、古田織部に茶を習う。
本阿弥光悦などの文化人と幅広く交流。
家康の居城駿府城普請の功により遠江守に任ぜられ「遠州」を名乗る。
<手掛けた主な建築>
名古屋城・大阪城(徳川時代)・江戸城天守
岡山県高梁市の備中松山城
京都市大徳寺・孤篷(こほう)庵/茶室「忘筌」
太平の世に応じた遠州の美は革新的・洗練・繊細・華麗なる好みは
「綺麗さび」と呼ばれる。
中興名物 膳所 耳付茶入「大江」 根津美術館蔵
招待券が相当数配られたこと(私もその恩恵を賜りました。 本当に
ありがとうございます!)と、TVでの紹介等も相まって、最終日間近
には、階段にまで長い列ができるような盛況ぶりだったそうですが、
幸い私が訪ねた日は、気長に流れに乗れば存分に堪能できる程の混み
具合でした。 目玉?の「プラチナ茶室」も、想像よりもずっと侘びた
月明りを感じるような風情でした。 綺麗寂び、なのですね…。
そのプラチナ茶室の手前に設置されたビデオをご覧になられる方々の
一部が通路まで塞いでおいでで、少々混雑と渋滞を招いていました。
これは会場の設営にも問題ありと思いますが、観覧者も周りの状況に
もう少し心配りがあってしかるべきではないかと思いました。
またご自分の流派と異なる所作に対して、
「あら、変ね」「おかしいわね〜」
などという感想やさざめきが聞こえ、残念に思われました。
こんなことを書いている私も周りの方の邪魔になっていたやもしれず、
自戒を込めて書いておきます。 一方、大部分の方は礼儀正しく譲り
合いの心をお持ちの方々で、あのような混み合う展覧会の中で、他には
殆ど不愉快な思いもせずに居れたのは、流石に「綺麗寂び」を好もしく
思われる方々なればこそと感じ入りました。
高取 円座瓢箪 茶入
ビデオで拝見できましたお家元の濃茶のお点前は、まるでお能を見る
ような洗練された美しさと、形の美しさだけではない実のある(と私には
思えた)所作が印象的でした。
例えば、
・服紗を懐にしまう。(大切に思う気持? 流れが滑らか?)
・茶杓を茶碗の縁ではなく底で打つ(縁の傷みを防ぐ為?)
・戻ってきた茶碗を清める時、指を入れて綺麗に茶を拭い去る。
・茶の付いた茶杓を清める時、建水の上で最初に拭いて汚れた面を
返し違う面で再度拭く。(茶を落とさず、綺麗に拭く為?)
・湯と水を併せて茶碗を漱ぐ(温度差による茶碗の傷みを防ぐ為?)
・拝見から戻ったお道具を持って下がる時、仕服をぶら下げて持つ。
(できるだけ仕服に触れず傷みを避ける為?)
・体の向きを変えず、背から茶道口を下がる。
(このビデオの席では、すぐ後に茶道口があったので合理的?)
見間違い、見損ない、記憶違い、思い違い多々あろうかと思います。
また( )内は未熟な私の個人的感想・想像に過ぎません。
お気付きの方にご教示賜れますれば幸い甚でございます。
お道具は有名所が揃っていて、こちらにも幾つかパンフレットの写真
などからご紹介致しましたが、洗練された「綺麗さび」の美しさに魅了
されました。 お茶碗は上品で滑らかで美しい形で手にとって愛でたい
衝動にかられました。 ただ上品な薄手のお品が多いので、熱くない
かしらと猫手?の私は要らぬ心配を致しました。
御本立鶴茶碗「池水」 北村美術館
(鶴の本絵は徳川家光公作)
お道具も勿論素晴らしかったですが、今回は特に「定家様」と云わ
れる、丸みを帯びた洗練された形式美に整えられた書体に惹かれました。
特に遠州の銘を記す時の文字はデザイン性があって好きです。
今なら「遠州体」活字として登録できそうなほど磨かれた書体です。
↓茶杓には失礼ながら、銘「虫喰」 の書体をアップにしてみました。
←ポチッとクリックの応援、いつもありがとうございます
2008年01月11日
百事如意
年頭に鎌倉とんぼさんが、ご所蔵の幕末の日本画家「山本梅逸」の書画の内「百事如意」・「松」・「鶴」のおめでたい三葉で、
「百事如意、
末(松)代まで鶴のように気高くありますように」
との祈りを込めて画像を公開して下さいました。
その「百事如意」がこちらです。
(ご許可を得て転載させて戴きました。1クリックで拡大できます。)
(「本紙はこのように変色をしてはおりませんが、フラッシュの加減でしょうか茶色が強くなりました。」 とのことでした。)
この書画を拝見しているうちに、
「ここに描いてある柿以外の品々は何だろう?」
「この組み合わせには、何かの絵解きが隠されているのではないか?」
という疑問がむくむくと頭をもたげだし、例の如く、居ても立っても気になって仕方が無い状態に陥りました。
一番右が柿(ということは季節は「秋」)、一番左は多分茸の一種で万年茸の類だろうと目星をつけました。 問題は真中です。 花のようにも見えますが、花首だけを散らすことは縁起の上からも好もしいこととは思えません。 「百事」に掛けて「百合根」ではないかと想像してみました。 しかし、だとすれば「柿」と「茸」で「如意」となるのでしょうか?
そこで鎌倉とんぼさんに伺ってみますと、茸はあの有名な不老長寿薬「霊芝(れいし)」とのこと。「このような書画にはよく描かれる題材です」というお話でした。
キーワードが「柿」・「百合根」・「霊芝」と3つ揃ったところで調べてみますと、このような品々が描かれる場合、夫々に意味が割り振られていることが分りました。
実物でおめでたい図を再現してみました^^
つまり、「百合=百」・「柿(し・じ)=事」・「霊芝=如意」を意味し、3つの画を見るだけで、その意味が分かるようになっているのです。
調べた例を挙げてみますと…
松:不老、仙友、万年、
竹:平安、高節、寒玉
筍:子孫繁栄、健児
梅:仙姿、玉骨、歳寒、香雪、春
蘭:君子、幽香、幽谷佳人、幽客
霊芝:如意、霊寿、長生、万年
蓮: 清客、浄友、花中君子
蓮根:玉節
牡丹:富貴、花王、国香
薔薇:長春
水仙:幽香、歳寒
百合:和合
橘:金砲、吉
大柚:大吉(大橘から)
柘榴:百子、百子同室、多子
葡萄:玉露
これ等を組み合わせて意味を成すものと、二種・三種での決まりものの組み合わせもあるようです。
松・竹「不老長寿」 竹・梅「君子之交」
実南天・水仙「天仙」
椿・柳「一枯一栄」(←椿と柳で「一期一会」に似た言葉とは…)
松・百合根・柘榴「文人閑居」 松・霊芝・橙「不老瑞祥」
水仙・霊芝・実南天「天仙益寿」 百合・柿・柘榴「百事多子」
百合・柿・霊芝「百事如意」
仏手柑・蘭・霊芝「高士清友」 玉蘭・海棠・梔子花「玉堂獅子」
参考サイト:
http://www.suiboku.jp/bun/gadai2.htm 「(c)Nagao Masahiroさん」
http://www.sala.or.jp/~matu/bun12.htm 「煎茶道 松月流」
思わぬことからこんな楽しい絵解きが出来、浮かれた気持で初釜に向いますと、懐石の中には柿膾や百合根、そして玄関に飾ってあったのは、先生のお宅の裏に生えていたという万年茸らしき茸…。
「先生、素晴らしい! これは吉兆ですよ〜」
と申し上げたら、
「どうぞ、良かったらお持ちになって^^
また生えますから…」
と仰って下さったので、お言葉に甘え頂戴して参りました。
その万年茸*、八百屋さんで仕入れてきた百合根、友人に戴いた柿で山本梅逸画伯の真似をしてみましたのが上の2枚目の写真です。
ご覧の皆様にもどうか「百事如意」が叶いますように!
*万年茸=霊芝 なのですが、後でよく調べてみますと、この写真の茸は同じ「マンネンタケ科」の「孫杓子」という種類のようです。
霊芝が落葉樹に生えるのに対し、孫杓子は針葉樹に生え霊芝より柄の部分が長いという違いがあるそうです。
また、マゴジャクシは日本だけの自生種。 梅逸画伯の描かれた茸の柄は同じように長いですね…若しかしたら孫杓子を見て描かれたのかも?
傘の部分の違いは開き加減の差もあると思います。
何の木に生えていたのか今度先生に伺ってみます。
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「百事如意、
末(松)代まで鶴のように気高くありますように」
との祈りを込めて画像を公開して下さいました。
その「百事如意」がこちらです。
(ご許可を得て転載させて戴きました。1クリックで拡大できます。)
(「本紙はこのように変色をしてはおりませんが、フラッシュの加減でしょうか茶色が強くなりました。」 とのことでした。)
この書画を拝見しているうちに、
「ここに描いてある柿以外の品々は何だろう?」
「この組み合わせには、何かの絵解きが隠されているのではないか?」
という疑問がむくむくと頭をもたげだし、例の如く、居ても立っても気になって仕方が無い状態に陥りました。
一番右が柿(ということは季節は「秋」)、一番左は多分茸の一種で万年茸の類だろうと目星をつけました。 問題は真中です。 花のようにも見えますが、花首だけを散らすことは縁起の上からも好もしいこととは思えません。 「百事」に掛けて「百合根」ではないかと想像してみました。 しかし、だとすれば「柿」と「茸」で「如意」となるのでしょうか?
そこで鎌倉とんぼさんに伺ってみますと、茸はあの有名な不老長寿薬「霊芝(れいし)」とのこと。「このような書画にはよく描かれる題材です」というお話でした。
キーワードが「柿」・「百合根」・「霊芝」と3つ揃ったところで調べてみますと、このような品々が描かれる場合、夫々に意味が割り振られていることが分りました。
実物でおめでたい図を再現してみました^^
つまり、「百合=百」・「柿(し・じ)=事」・「霊芝=如意」を意味し、3つの画を見るだけで、その意味が分かるようになっているのです。
調べた例を挙げてみますと…
松:不老、仙友、万年、
竹:平安、高節、寒玉
筍:子孫繁栄、健児
梅:仙姿、玉骨、歳寒、香雪、春
蘭:君子、幽香、幽谷佳人、幽客
霊芝:如意、霊寿、長生、万年
蓮: 清客、浄友、花中君子
蓮根:玉節
牡丹:富貴、花王、国香
薔薇:長春
水仙:幽香、歳寒
百合:和合
橘:金砲、吉
大柚:大吉(大橘から)
柘榴:百子、百子同室、多子
葡萄:玉露
これ等を組み合わせて意味を成すものと、二種・三種での決まりものの組み合わせもあるようです。
松・竹「不老長寿」 竹・梅「君子之交」
実南天・水仙「天仙」
椿・柳「一枯一栄」(←椿と柳で「一期一会」に似た言葉とは…)
松・百合根・柘榴「文人閑居」 松・霊芝・橙「不老瑞祥」
水仙・霊芝・実南天「天仙益寿」 百合・柿・柘榴「百事多子」
百合・柿・霊芝「百事如意」
仏手柑・蘭・霊芝「高士清友」 玉蘭・海棠・梔子花「玉堂獅子」
参考サイト:
http://www.suiboku.jp/bun/gadai2.htm 「(c)Nagao Masahiroさん」
http://www.sala.or.jp/~matu/bun12.htm 「煎茶道 松月流」
思わぬことからこんな楽しい絵解きが出来、浮かれた気持で初釜に向いますと、懐石の中には柿膾や百合根、そして玄関に飾ってあったのは、先生のお宅の裏に生えていたという万年茸らしき茸…。
「先生、素晴らしい! これは吉兆ですよ〜」
と申し上げたら、
「どうぞ、良かったらお持ちになって^^
また生えますから…」
と仰って下さったので、お言葉に甘え頂戴して参りました。
その万年茸*、八百屋さんで仕入れてきた百合根、友人に戴いた柿で山本梅逸画伯の真似をしてみましたのが上の2枚目の写真です。
ご覧の皆様にもどうか「百事如意」が叶いますように!
*万年茸=霊芝 なのですが、後でよく調べてみますと、この写真の茸は同じ「マンネンタケ科」の「孫杓子」という種類のようです。
霊芝が落葉樹に生えるのに対し、孫杓子は針葉樹に生え霊芝より柄の部分が長いという違いがあるそうです。
また、マゴジャクシは日本だけの自生種。 梅逸画伯の描かれた茸の柄は同じように長いですね…若しかしたら孫杓子を見て描かれたのかも?
傘の部分の違いは開き加減の差もあると思います。
何の木に生えていたのか今度先生に伺ってみます。
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2007年11月26日
博多の仙がいさん
指月布袋画賛 を月様 幾ツ 十三七ツ
もう終わってしまいましたが、10月に出光美術館の「没後170年記念・せんがい・SENGAI−禅画にあそぶ−」展に行って参りました。
(会期中にレポを書けば、多少なりとも助けになったかもしれませんのに不甲斐無く…。仙高ウん出光さん、ごめんなさい。)
上の「指月布袋画賛」は出光佐三氏が最初に目に留め購入し、コレクション第1号とした、出光美術館にとって記念すべき作品です。
布袋様とはだかんぼ?の子供は、お月様を指差して仰いで何を楽しそうに話しているのでしょう。 見ている私まで「わ〜い!」と一緒にはしゃぎたくなってしまいます。
「博多の仙高ウん」こと仙豪`梵(1750-1837 逝年88歳)は、良寛・白隠と並ぶ江戸時代を代表する禅僧(臨済宗・古月派)でしたが、紫衣勧奨を三度断り生涯黒衣の僧として通しました。数々の反骨精神を表す逸話や頓知話を残しています。
博多・聖福寺住職を62歳で弟子に譲り隠居してからは、意欲的に旅に出て、修験僧のように山々を登り古社に参り(60歳過ぎで健脚!)、また地誌・史跡の研究探訪、古物収集、珍奇石鑑賞/収集、と益々精力的に生き生きとした生涯を過ごしました。 その間にも禅の教えをユーモラスに描いては広め、その人柄の表れた画は人々に親しまれました。 沢山の人が画を求めて訪れたのでしょう。
うらめしや わがかくれ家は雪隠か
来る人ごとに 紙おいていく
・・・そんな歌が残されています。
道化のような笑みを浮かべた蛙には、どきっとするような画賛が…
坐禅蛙画賛 坐禅して 人か佛になるならハ
頭骨画賛
よしあしハ
目口鼻から
出るものか
良し悪しも所詮は人間の感覚
その人間もいずれは野辺の髑髏…
そんなことを思って歩を進めると、
今度は、流水の中に揺れる葦に賛を添えた「葦画賛」がありました。
よしあしの 中を流れて 清水哉
また黒々と力強い筆致の大きな書「堪忍」の横に風にそよぐ柳の木の描かれた「堪忍柳画賛」には、
氣に入らぬ風も あろふに 柳哉
ブティック店員や女子高生のモノマネで人気の柳原可奈子の名前って、若しかしてここからとられたのでしょうか〜?
シュールな作が続きましたので、次は可愛らしいのを三点。
狗子画賛 きゃんゝ 虎画賛 猫ニ似タモノ
これは何に見えますか? ドラえもん? タマちゃん?
とど画賛 本名トゞ(表示外漢字) 北國海ニ多シ 薬効本艸二見
「とど」となっていますが、パタパタしている尻尾のような後足はアシカのようですし、顔はアザラシにも見えます。 トドもアシカもはっきり区別されていなかったのかもしれませんね。 それにしても「薬効本艸(草)」を調べたらしい画賛にも仙高フ好奇心の強さが垣間見られ微笑ましいです。
自由奔放ないわゆる「仙拷譁@」ばかり見ていますと、ちょっと絵の上手い素人絵かと勘違いしてしまいそうになりますが、よく見れば書も画も実に達者です。 基本をきちんと積んだ人と分ります。
ちなみにこの下の画も仙拷謔フ「布袋」です。 一番上の布袋さんとはエライ違いですね〜(笑) ちょっとピカソみたいとこの時は思ったのですが、後にももりさんのブログでピカソの芸術の原動力は女性への情熱と伺って、複雑な気持(苦笑) でも人間愛には変わりないですよね。
以前、且座の「み菓子」絡みでご紹介しました画です。
一円相画賛 これくふて 茶のめ
そして、あまりにも有名かつ問題作のこちらです。
○△□ いや □△○?
賛がつけられていない為に、様々な解釈が試みられてきました。
かつて海外へ紹介した際の議論の中で、出光氏は「宇宙」と解釈し、鈴木大拙は自著の中でこの説を受け「The Universe」として紹介したそうです。
私は、筆致から見ると、左から順に □→△→○ と描かれていることから、段々角が取れて丸くなっていく姿?などと思いましたが、皆さんはいかが感じられますでしょうか。
私のお気に入りの可愛い仙高ウんキャラクター達です。
芭蕉飛び込む水の音を聞く蛙 お囃子さん あんぐりしてる小犬
サンタみたいな大黒さん 布袋さんの真似する子
利休さんもこの通り
仙高ウんは、万物に仏が宿るとの思いから、不思議な姿を留めた珍奇石の収集という趣味がありました。 天然石そのままでまるで鮑貝のような手水鉢(写真のみ・在「虎白院」)や「神授硯・金剛」と銘をつけた天然石の硯、仙高ェ描いたような愛らしい形の「亀石」、貝とフジツボなどが合体して出来た「貝殻観音像」など、見つけた時の仙高フ嬉しそうな顔が浮かぶものばかりでした。
遺愛品の文机(神社の古材製)・印・茶杓・茶碗、その箱にまで顔がついていて「九十九神」が現れたようです。 もう使われることもなく陳列されている遺愛品たちが、大層機嫌よく見えるのも、存分に仙高ウんに愛された故なのでしょう。
出光美術館は最大の仙鴻Rレクションを持っています。
今回、機会に恵まれなかった方も、是非、次の展覧会をお見逃しなく!
私が思わず展覧会場で声を出して笑ってしまったのは、この仙高ウん展が初めてです。 凝り固まった心をほんわか温めて戴きました。
*やはり仙高ウんの「ガイ」の漢字(涯のつくりの方)は、
文字化けが出る画面があるようで、申し訳ありません。
タイトルはひらがなに変更しました。 若し、内容も読めない
方がいらしたらお知らせ下さい。 本文中の文字も変更します。
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2007年07月03日
肉筆浮世絵(出光)1
「肉筆浮世絵」―その誕生から歌麿・北斎・広重まで―
実はこの展覧会は4月28日〜7月1日まで(前・後期で展示替え)で終了、現在出光美術館は改装工事中です。 そんな訳ですから、既に名だたる美術ブロガーの方々の観覧レポが勢揃いです。 今から私が書くのは、ちょっと偏った視点からのレポになると思いますので、真っ当な観覧レポは、是非、下記の尊敬するお二方のブログをご覧下さいませ。(TB先にも素晴らしいレポがあると思います。)
「弐代目・青い日記帳」(by Takさん)
2007.06.07「肉筆浮世絵のすべて展」
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1036
2007.06.20「肉筆浮世絵のすべて展」(後期)
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1050
「遊行七恵の日々是遊行」(by 遊行七恵さん)
2007/05/07 出光の『肉筆浮世絵』前期
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-819.html
2007/06/13 出光の『肉筆浮世絵』後期を楽しむ
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-850.html
さて、寛文十二年(1672年)という年期が入った最古のものから幕末に至るまでの江戸の風俗を写した浮世絵には、当時の人々の憧れや流行などが描写されていて、それを見て歩くのはとても楽しかったです。
春に見てとうとうレポを書けなかった「三井家のおひなさま」の中にも、明治〜昭和と時代は新しくなりますが、まるで立体版浮世絵のような「風俗衣装人形」が数多く並んでいて、私は内裏雛より寧ろそちらに見入ってしまいました。 少し前のファッション誌やフィギュアを見るような気持かしら?
色々と気になることは多々あるのですが、今回は
1.美人の容貌
2.着物の柄
この2点に絞って着目してみます。
1.美人の容貌
約200年の間の「美人」とされる容貌の移り変わりを肉筆浮世絵の中で追って見ました。
・初期はふっくら頬で目も穏やか画一的なオカメ顔
髪型も髪飾りも未だ大人しい雰囲気
・段々と性格まで分かるような個性的な表情を見せ始め
髪型は凝ったバリエーションが生まれ、髪飾りはこれでもか
という程豪華というか派手というか…(転んだら危なそう^^)
・末期になるにつれて、細面でキリリと切れ上がった目元に
さて、皆さまはどちらの美人さんがお好みでしょう?
私はそうですね〜、ふっくら顔では11番、細面では13番さんかな♪
以下の4方は男性です。 若衆3人と女形・五世・岩井半四郎の「悪婆」
1(無款) 2菱川師宣 3(無款) 4菱川師胤
5鳥居清忠 6懐月堂安度 7懐月堂安度 8川又常行
9祇園井特 10月岡雪斎 11宮川長春 12東燕斎寛志
13喜多川歌麿 14勝川春章 15水野 朝 16窪俊満
17喜多川歌麿 18葛飾北斎 19抱亭五清 20歌川広重
21(無款) 22山崎女籠 23歌川国久 24歌川国貞
(つづく)
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実はこの展覧会は4月28日〜7月1日まで(前・後期で展示替え)で終了、現在出光美術館は改装工事中です。 そんな訳ですから、既に名だたる美術ブロガーの方々の観覧レポが勢揃いです。 今から私が書くのは、ちょっと偏った視点からのレポになると思いますので、真っ当な観覧レポは、是非、下記の尊敬するお二方のブログをご覧下さいませ。(TB先にも素晴らしいレポがあると思います。)
「弐代目・青い日記帳」(by Takさん)
2007.06.07「肉筆浮世絵のすべて展」
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1036
2007.06.20「肉筆浮世絵のすべて展」(後期)
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1050
「遊行七恵の日々是遊行」(by 遊行七恵さん)
2007/05/07 出光の『肉筆浮世絵』前期
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-819.html
2007/06/13 出光の『肉筆浮世絵』後期を楽しむ
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-850.html
さて、寛文十二年(1672年)という年期が入った最古のものから幕末に至るまでの江戸の風俗を写した浮世絵には、当時の人々の憧れや流行などが描写されていて、それを見て歩くのはとても楽しかったです。
春に見てとうとうレポを書けなかった「三井家のおひなさま」の中にも、明治〜昭和と時代は新しくなりますが、まるで立体版浮世絵のような「風俗衣装人形」が数多く並んでいて、私は内裏雛より寧ろそちらに見入ってしまいました。 少し前のファッション誌やフィギュアを見るような気持かしら?
色々と気になることは多々あるのですが、今回は
1.美人の容貌
2.着物の柄
この2点に絞って着目してみます。
1.美人の容貌
約200年の間の「美人」とされる容貌の移り変わりを肉筆浮世絵の中で追って見ました。
・初期はふっくら頬で目も穏やか画一的なオカメ顔
髪型も髪飾りも未だ大人しい雰囲気
・段々と性格まで分かるような個性的な表情を見せ始め
髪型は凝ったバリエーションが生まれ、髪飾りはこれでもか
という程豪華というか派手というか…(転んだら危なそう^^)
・末期になるにつれて、細面でキリリと切れ上がった目元に
さて、皆さまはどちらの美人さんがお好みでしょう?
私はそうですね〜、ふっくら顔では11番、細面では13番さんかな♪
以下の4方は男性です。 若衆3人と女形・五世・岩井半四郎の「悪婆」
1(無款) 2菱川師宣 3(無款) 4菱川師胤
5鳥居清忠 6懐月堂安度 7懐月堂安度 8川又常行
9祇園井特 10月岡雪斎 11宮川長春 12東燕斎寛志
13喜多川歌麿 14勝川春章 15水野 朝 16窪俊満
17喜多川歌麿 18葛飾北斎 19抱亭五清 20歌川広重
21(無款) 22山崎女籠 23歌川国久 24歌川国貞
(つづく)
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2007年06月30日
出光・水曜講演会(改定)
6月13日に行って参りました出光美術館の会員向け水曜講演会の纏めをメモをもとにして書いて置きます。 多分、長くなると思いますが、自分用の備忘録ですのでどうかお許しを。 ご興味をお持ちの方は、是非どうぞ…
演題:「浮世絵の美と芸術−出光コレクションの名品から」
講師: 内藤正人氏(慶應義塾大学文学部准教授・元出光美術館学芸員)
浮世絵=版画、役者絵、美人画
一般的には、このイメージが大きいと思われますが、実際には数多くの肉筆浮世絵が存在します。 また肉筆浮世絵専門の画家も沢山おり、当時は知らぬ人はいない程有名だった画工達が、版画だけを「浮世絵」としていては浮かばれません。
教科書に「浮世絵」の代表作として紹介されている、菱川師宣の「見返り美人」も実は肉筆画です。 又このような上品な美人画は師宣の晩年の作であり、その生涯の全作品を見れば6割が「春画」なのだそうです。
(春画の展覧会というのは見たことがありませんが、これはこれで浮世絵の一大分野として、また人々を魅了した作品群として成人限定としてでも観覧可能になればと思います。 寧ろ海外では浮世絵=春画のイメージが大きいと聞いたことがあります。)
また最近国外からの里帰りなどで展覧会が度々開かれるようになった
「肉筆の」浮世絵が、版画の下絵、原画というのは誤りで、最初から
「絵」としての鑑賞を目的として描かれたものです。 従って、
浮世絵=役者絵、美人(若衆も含む)画、春画、風俗画、肉筆及び版画
ということになります。
若衆が鑑賞の対象であったことで、当時の男色がしのばれます。
先に「画工」と記しましたように、浮世絵を描いた絵師達は「本絵師」としては食べていけず、画才を生かして一般大衆向けに、工房の中心的人物の絵を元に、パターン化した絵を大量に描いていたのです。
(今で言えば、「ブロマイド」「グラビア」等に当たるものを描くイラストレーターとでも言えますでしょうか。)
本絵師として認められない画工達の作は、注文制作ではなく、最初
から安価に大量に売るためのもので「仕込絵」と呼ばれ、如何に優れた作であっても、落款はありませんでした。(後に人気作家となった者の作には有ります。)
<肉筆画も版画もある浮世絵師>(配布された資料とメモ等より)
菱川師宣:第一の功労者。生家は縫箔刺繍業。独修。弟子多数。
鳥居清信:元役者。
奥村政信:多才。浮絵創始者。版元も経営。
石川豊信
鈴木春信:多版多色摺の錦絵
磯田湖龍斎:春信の弟子。安永・天明の美人画をリード。
一筆斎文調:役者絵版画再生に尽力。
勝川春章: 宮川門下春水に師事。役者絵、美人画。北斎の師。
鳥居清長: 八頭身美人
喜多川歌麿(豊章):版元蔦屋と組んだ美人大首絵。
鳥文斎栄之:旗本出身。
歌川豊国:役者絵の名人。大衆好みで写楽を凌ぐ人気。
勝川春英
東洲斎写楽:謎多き絵師。僅か10ヶ月程の活躍で姿を消す。
歌川国貞:3代豊国
歌川国芳
葛飾北斎
菊川英山
渓斎英泉
歌川広重
蹄斎北馬:北斎の弟子
<肉筆画のみの浮世絵師たち> (聴講中のメモより)
懐月堂安度:絵馬屋出身の一派の中心。力強い太い線、豊満、大胆な
類型的美人画。絵島・生島事件に連座し島流し。
宮川長春:師宣の流れを継ぐ美人画。贋作が出るほどの人気。
川又常行:川又派の祖。当時知らぬ者が居ないほどの大人気
川又常正:常行共々、華奢で可憐な愛らしい美人画
歌川豊春:歌川派の祖。酒井抱一も模写した。
<上方の浮世絵師・絵師全体の一割程>
西川祐信:狩野派に師事。版本挿絵(絵本)画工。京美人。
月岡雪鼎:妖艶。上方春画の名手。見立絵。後に芳年に続く系譜。
祇園井特:遊郭経営。異才。妖艶奇怪
*注:( )内の緑色文字は、山桜の感想・意見等で、
内藤先生の講演内容ではありませんのでご注意下さい。
(つづく) 上記内容も暫定です。 追って加筆訂正を入れます。
また、展覧会レポは別記する予定^^;です。
■*■*■*■*■*■*■*■*■*■*■*■*■*■*■*■
先日は浮世絵の定義と浮世絵師たちについての講演部分書きました。
続きましては、「浮世絵誕生の諸要素」についてです。
(配布されたプリントより)
1.近世初期風俗画・又兵衛*派・寛文美人画からの流れ
2.狩野派・土佐派・長谷川派からの流れ
3.奈良絵本等の物語絵本からの流れ
4.(版元・木版画という点から)
木版による文学書の挿図
・版画類からの流れ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1.近世初期風俗画からの流れ
都市景観図ともいうべき名所絵で江戸を描いたものは少なく、僅か10点程しかしられていません。 その中でも「江戸名所図屏風」には、2000人もの人物が、コミカルで生き生きとした姿で描かれており、後に「寛文美人画」と呼ばれる一人立ちの美人画の原型を見ることが出来ます。
こちらはその作者不詳の「江戸名所屏風図」より、かなり洗練されていますが、上は師宣の「遊里風俗図」、そして下は師平の「春秋遊楽図」の一部です。 師宣の「見返り美人」で有名になった、肩越しに振り返る美女の決めポーズは、こうした風俗画の中にも見られ、後に美人画の定番ポーズの一つとなったようです。
「く」の字型にシナを作って肩越しに振り返るポーズ…どうでしょう、今でも色っぽい仕草かもしれません。 鏡の前で試してみてから、ご主人・彼氏の前でご披露下さいね。 結果がどうあれ責任は取れません(笑)
役者似顔絵などもこの系譜に繋がるのでしょうか? どのカテゴリーに入るのかちょっと分かりませんでした。
←古川師胤「立姿美人図」
*岩佐又兵衛: 伊丹・有岡城主荒木村重の子
父・村重の織田信長への謀反により一族処刑
されるも乳母に育てられ母方の岩佐を名乗り、
江戸で絵師として活躍という数奇な運命を辿る。
2.狩野派・土佐派からの流れ
(この部分、メモも記憶も少なくて…)長谷川等伯の弟子たちの中に野に下り、浮世絵師となった者がいたそうです。
3.奈良絵本等の物語絵本からの流れ
伊勢物語などの有名なエピソードを当時の風俗で描く「見立絵」
4.木版による文学書の挿図から
版画で大量に作出することで、絵を手元に置きたいという庶民の要望に応えることが出来るようになりました。 江戸二大悪所と呼ばれる(吉原)遊郭や(歌舞伎)芝居小屋での遊楽の往き帰りに、求めることが多かったようです。
これで、一先ず講演会録はお終いにします。 またふと記憶回路が繋がったら、こっそり改定するかもしれません。
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ラベル:浮世絵
2007年03月07日
「志野と織部」展
出光美術館で開催中の
「志野と織部−風流なるうつわ−」展
2007年2月20日(火)〜4月22日(日)
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/index.html
(会期中のみ有効)に行って参りました。
上・志野草花文鉢 左・織部舟人物文蓋物 右・志野山水文鉢
下・織部舟人物文蓋物
出光コレクションと館外の志野と織部の逸品を一堂に会した初めての展覧会。(パンフレットより抜粋)の触れ込みどおり素晴らしいコレクションの数々でした。 来訪者の数も程々で一つ一つゆったり自分のペースで拝見することが出来ました。
志野も織部も美濃焼で、唐物写から離れ大量生産、堅苦しくない大衆性をめざし、自由で革新的作風を生み出しました。
国宝 志野茶碗 銘 卯花墻(うのはながき)
三井念美術館・蔵
日本で焼かれたお茶碗で国宝に指定されているものは、この「卯花墻」と本阿弥光悦の白楽茶碗 銘「不二山」サンリツ服部美術館(諏訪)蔵 http://shinshu-online.ne.jp/museum/sanritsu/sanritu2.htmの2点だけです。
見る角度により様々に変化する姿と景色を持ち、いくら見ていても飽きることのない面白さがあります。
卯花墻とはどういうものかを示す絵も合わせて展示してあったのですが、その絵のイメージとこの茶碗の文様は似ているとは思えず、何故「卯花墻」という銘がついたのかと考えあぐねておりましたが、命銘者 江戸前期の茶の湯の宗匠 片桐石州が残した箱書きの和歌にヒントがありました。
やまざとの うのはながきの なかつみち
ゆきふみわけし ここちこそすれ
なんとなく(なんとなくですよ)納得致しました^^
つくづくと抽象画の世界ですね。 見る人の心により…です。
志野茶碗 銘 橋姫 表 裏
東京国立博物館・蔵
表と裏としてよいのかどうか分かりませんが、銘が「橋姫」なので、橋がある方を表と書きました。 太鼓橋を渡るとお社があるのでしょうか…静寂と共にどこか寂しさを感じます。橋姫はこの橋を渡ってどうされたのでしょう。
作者が意図しなかったような物語が、お茶碗を手にした人々によって積み重ねられていく、そんな歴史もいとおしいです。
重文 鼠志野茶碗 銘 峯紅葉(みねのもみじ)
五島美術館・蔵
鼠色の釉薬の霜にあたり、紅色から臙脂色になった紅葉のような奥深い色あいです。 波打つ口縁が山の峯のようにも見えます。
亀甲模様は山里の籬、それとも降り初めの雪の結晶でしょうか…
黒織部吊し文茶碗 勧請吊の一例 瓜?と五芒星文
今回はどちらかというと志野の勉強に来たのですが、織部が唐三彩を目指していた節があるなど、興味深い解説を読み、また、従来「吊るし柿」だろうと言われてきた吊し文が道などの結界に吊るす「勧請吊」の類(真ん中のスケッチ・拙い絵でスミマセン^^;)ではないかとする新説に、民俗学好きのアンテナがピピピと反応してしまいました。
そしてナント、この黒織部吊し文茶碗の中には、右のスケッチのような「瓜」が描かれているのです。 お茶を戴くと中から瓜が! まるで瓜から湧き出た霊水を戴いたかのようです。
また写真は無いのですが、黒光りする織部の地にさっと一筆書きで仕上げたような星文(右のスケッチ)の付いた茶碗もありました。
そう言えば、志野の絵付け文様も、橋、籬(まがき。竹などで編んだ簡単な柵、垣根のようなもの)、その籬の亀甲模様または六芒星、五芒星、網干し、鳴子、川、その水辺の水鳥などなど境界線、結界を現すものがとても多いのです。
籠目や亀甲型の六角形は魔除の力があるとも言われます。
また風にそよぐ草木の姿も多く描かれています。
目に見えない神霊の気配を表しているという解説もありました。
お箸と同じように、口に運ぶもの、体に入る食べ物飲み物を入れる器に、そのような魔除と神様のご加護を念じたのでしょうか。
茶の湯という俗界を離れた境地への結界なのでしょうか。
このように長く伝えられ使われ残されて来たものには、古人からの伝言が沢山秘められていることでしょう。 用いて語り合ううちに、何かを教えてくれることがあるかもしれませんね。
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「志野と織部−風流なるうつわ−」展
2007年2月20日(火)〜4月22日(日)
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/index.html
(会期中のみ有効)に行って参りました。
上・志野草花文鉢 左・織部舟人物文蓋物 右・志野山水文鉢
下・織部舟人物文蓋物
出光コレクションと館外の志野と織部の逸品を一堂に会した初めての展覧会。(パンフレットより抜粋)の触れ込みどおり素晴らしいコレクションの数々でした。 来訪者の数も程々で一つ一つゆったり自分のペースで拝見することが出来ました。
志野も織部も美濃焼で、唐物写から離れ大量生産、堅苦しくない大衆性をめざし、自由で革新的作風を生み出しました。
国宝 志野茶碗 銘 卯花墻(うのはながき)
三井念美術館・蔵
日本で焼かれたお茶碗で国宝に指定されているものは、この「卯花墻」と本阿弥光悦の白楽茶碗 銘「不二山」サンリツ服部美術館(諏訪)蔵 http://shinshu-online.ne.jp/museum/sanritsu/sanritu2.htmの2点だけです。
見る角度により様々に変化する姿と景色を持ち、いくら見ていても飽きることのない面白さがあります。
卯花墻とはどういうものかを示す絵も合わせて展示してあったのですが、その絵のイメージとこの茶碗の文様は似ているとは思えず、何故「卯花墻」という銘がついたのかと考えあぐねておりましたが、命銘者 江戸前期の茶の湯の宗匠 片桐石州が残した箱書きの和歌にヒントがありました。
やまざとの うのはながきの なかつみち
ゆきふみわけし ここちこそすれ
なんとなく(なんとなくですよ)納得致しました^^
つくづくと抽象画の世界ですね。 見る人の心により…です。
志野茶碗 銘 橋姫 表 裏
東京国立博物館・蔵
表と裏としてよいのかどうか分かりませんが、銘が「橋姫」なので、橋がある方を表と書きました。 太鼓橋を渡るとお社があるのでしょうか…静寂と共にどこか寂しさを感じます。橋姫はこの橋を渡ってどうされたのでしょう。
作者が意図しなかったような物語が、お茶碗を手にした人々によって積み重ねられていく、そんな歴史もいとおしいです。
重文 鼠志野茶碗 銘 峯紅葉(みねのもみじ)
五島美術館・蔵
鼠色の釉薬の霜にあたり、紅色から臙脂色になった紅葉のような奥深い色あいです。 波打つ口縁が山の峯のようにも見えます。
亀甲模様は山里の籬、それとも降り初めの雪の結晶でしょうか…
黒織部吊し文茶碗 勧請吊の一例 瓜?と五芒星文
今回はどちらかというと志野の勉強に来たのですが、織部が唐三彩を目指していた節があるなど、興味深い解説を読み、また、従来「吊るし柿」だろうと言われてきた吊し文が道などの結界に吊るす「勧請吊」の類(真ん中のスケッチ・拙い絵でスミマセン^^;)ではないかとする新説に、民俗学好きのアンテナがピピピと反応してしまいました。
そしてナント、この黒織部吊し文茶碗の中には、右のスケッチのような「瓜」が描かれているのです。 お茶を戴くと中から瓜が! まるで瓜から湧き出た霊水を戴いたかのようです。
また写真は無いのですが、黒光りする織部の地にさっと一筆書きで仕上げたような星文(右のスケッチ)の付いた茶碗もありました。
そう言えば、志野の絵付け文様も、橋、籬(まがき。竹などで編んだ簡単な柵、垣根のようなもの)、その籬の亀甲模様または六芒星、五芒星、網干し、鳴子、川、その水辺の水鳥などなど境界線、結界を現すものがとても多いのです。
籠目や亀甲型の六角形は魔除の力があるとも言われます。
また風にそよぐ草木の姿も多く描かれています。
目に見えない神霊の気配を表しているという解説もありました。
お箸と同じように、口に運ぶもの、体に入る食べ物飲み物を入れる器に、そのような魔除と神様のご加護を念じたのでしょうか。
茶の湯という俗界を離れた境地への結界なのでしょうか。
このように長く伝えられ使われ残されて来たものには、古人からの伝言が沢山秘められていることでしょう。 用いて語り合ううちに、何かを教えてくれることがあるかもしれませんね。
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2006年11月26日
ももりさん「叡」展
ネットのご縁でお知り合いになれました、
書家・画家の
山口桃里・ももり さん
が出展されていらした「叡」展 @東京近代美術クラブ へ、
この日は、ご本人がおみえになると伺い、初対面に胸躍らせながら行って参りました。
受付の方に
「山口ももりさんはいらしてますでしょうか?」
と伺い、案内された先には、ソフトベレーを被られたお洒落な麗人がご友人と談笑されていらっしゃいました。 ご挨拶申し上げた時、「まぁ!」と私を見詰められたのは、どこまでも見通せるような明るく輝く瞳。 この出展作「スペインの女」の青い瞳そのものでした。
この作品に添えられたももりさんの言葉。
『私の描く女の人って笑ってない。 キッと見据えている。
トッローンとしたしどけない女は嫌い』
だっら〜んと緩みっぱなしの私にはドキリと痛い言葉です。
でもこの女性、私には笑って見えます。勿論ももりさんも笑顔でした^^
この作品はももりさんお手製の額、やや太目の枠の角を丸く面取りし、
根来塗りのように赤の下地に黒味の濃い青を粗く重ね塗りし、絵の際の
面は赤、その他の面は下地の色が所々透けて見えるように生かした塗りで
この絵を引き立てようとされるももりさんの愛情が籠もった素敵な額、に
飾られていました。(色の記憶は違っているかも・・・すみません^^;)
額も含めてすごく欲しかったです。 もうどなたかの所に売れていって
しまったでしょうか・・・例え手許になくとも、永遠に私の心に残る作品で
した。せめてもの思いで、この絵の載っている画集を購入しました。
その画集「山口ももり作品集3」の中で、私が同じ位惹かれたのは、
こちらの絵です。
「思い出の島カプリ」
この絵には、ももりさんのこんなキャプションが付いていました。
『ホンモノそっくりに描けないといって悩んでいるあなた、
絵はウソがいいんです。
いいえ、ホントは、ホンモノより綺麗にしたい。』
上の2点は「ガラス絵」という技法で描かれています。
単にガラスの上に描くのではなく、実はガラスの裏から色を重ねて
描いていくのだそうです。 つまり一番上にのっているように見える
色が一番下、一番最初に置かれた色なのです。 色の重なりは絵の具の
濃度や塗り方によって、変化自在の楽しみがあります。そして版画同様、
描く時と出来上がった作品は左右が逆になります。
想像できますでしょうか? 並外れた右脳の働きがない人には到底
出来ない画法だと思います。 ももりさんは、普通に描けば達者すぎる
=つまらない絵(ご本人談)になってしまう所を、敢えてこのような
「何が起きるか分からない」未知を楽しむ技法を取り入れて、常に
ご自分がワクワクされるものに挑戦していらっしゃるのです。
何と言っても、もう書の世界では超一流を極めながら、絵の世界へ
飛び出してしまわれた方です。 私の大好きなその書画の作品は・・・
素敵でしょう・・・最近はあまり書かれていないとのことですが、
こちらの世界の作品の新作も拝見できたら嬉しいなぁ・・・と切に
思っております。
もっと色々知りたくなった方、山口ももりさんのHPはこちらです。
http://www.geocities.jp/wgwxw444/
そして・・・もう、あちこちで興奮して書き込みまくりましたので、
ご存知の方も多いと思いますが・・・なんと、この展覧会場で思いがけず
むろぴいさんにもお会いしてしまいました!
直前まで出掛けられるかどうかハッキリしなかったのですが、
機会を逃さず間隙を縫って行動を起こして本当に良かったです。
こういう時は、不思議と全てのものが「行け!」と言っているように
感じられるものですね。 それを信じて正解でした。
むろぴいさんは、ご自分でも未知の力を秘められた爆発前の火山、
いえ、もっと上品で洗練された、そう「松風を醸し出す前の茶釜」と
言うような風情の紳士でいらっしゃいました。故郷の金沢のご親戚、
泉鏡花を影で支えていらした又従姉妹さんの家「目細八郎兵衛商店」
の縫い針をお名刺と共に頂戴致しました。 ありがとうございます。
お二方との素敵な出会いのご縁に感謝致します。
素晴らしいひと時をありがとうございました。
記事の中の、上2枚のガラス絵は作品集を私がカメラ撮影したもの、
下2枚の書画はももりさんのHPの画像を、山口ももりさんの許可を
得て貼らせて戴きました。
この記事は皆さんに見ていただき終わった頃を見計らって、
本来の日、11月26日の日記に納め直します^^;
2006年11月14日
「仏像 一木に込められた祈り」
「仏像 一木に込められた祈り」展 を拝観して参りました。
会期限定かと思いますが、詳しくは↓HPをご参照下さい。
東京国立博物館HP(写真は「絵葉書より」以外はこのHP内のものです)
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=3460
読売新聞HP
http://event.yomiuri.co.jp/2006/butsuzo/works.htm
第一章 檀像(だんぞう)の世界 (唐7世紀〜奈良9世紀)
インドで最初の木の仏像は「白檀」を使用。
白檀の自生がない中国では「栢木(はくぼく)」を代用、栢木の自生がない日本では「栢(かや)」を代用したとのこと。
白檀、栢木、栢の共通点は、材が緻密で良い香りがすること。少しでも仏像の香りがきけはしないかと鼻を研ぎ澄ましましたが、香水を身につけられたご婦人の背後ではそれも徒労。それでも微かにしたようなしないような…。
この時代の仏像は頭が大きく手も長いのに脚は短く足もとても小さいという不思議なバランスでした。重要と思われる部分に力が注がれた結果なのでしょうか。
重要文化財 十一面観音菩薩立像
唐時代・7世紀 像高42.1cm 東京国立博物館蔵
第二章 一木彫(いちぼくちょう)の世紀 (奈良8〜平安9世紀前半)
(絵葉書より)
国宝 十一面観音菩薩立像
平安時代・9世紀 像高194.0cm
滋賀・向源寺蔵(渡岸寺観音堂所在)
中国伝来の緻密な香木仏像への憧憬と日本古来の信仰、神様の依代
としてのご神木への信仰が相まり、日本での一木彫文化が花開いた
時代のようです。
木に宿る神性を木の中から彫り出そうとするような、仏師があたかも
ノミではなく心で彫り研ぎ上げたような崇高な魂の触れ合いを感じます。
頭上に浮かぶ様々な面ざしも、違和感なくそこに存在しています。
額の上には仏の化身でしょうか、小さな僧の姿が浮かんでいます。
今回は寺外初公開とのことで、360度ぐるりと拝観できるように
ライトアップされつつ、私達に慈愛の眼差しを注いで下さっています。
第三章 鉈彫(なたぼり) (平安10〜11世紀)
最初拝見した時には、仕上げ前の途中のものかとも思われましたが、わざわざこのノミ跡を残しているということは、ご神木からゆらゆらと仏様が姿を立ち上らせるような、光の表現をしたかったのかもしれないと思いました。
言うなれば、彫刻の印象派でしょうか…なんとなくスーラ、シニャック達のような点描画を思い浮かべてしまいました。
重要文化財 十一面観音菩薩立像
平安時代・11世紀 像高180・7cm
神奈川・弘明寺蔵
そんな風に木漏れ日の降り注ぐ中を歩いている気分をガーンと
打ち払ったのは、こちらのピカソもびっくりの顔面脱皮です!
重要文化財 宝誌和尚立像 京都・西往寺(絵葉書より)
…衝撃で言葉を失いました。
この他にも、正面から見れば確かに柔和に微笑んでいるのに、
側面からは憤怒の表情を浮かべて見える仏様もいらっしゃいました。
これらは立体キュビズム? 日本の彫刻家恐るべしです。
第4章 円空と木喰(もくじき) (江戸17〜19世紀)
最後は対照的な作風の庶民派仏師、円空(1632−1695)と木喰
(1718?−1810)の作です。 生きた年代は違いますが、二人とも
日本中を旅して沢山の独自のスタイルを持った仏像を造りました。
解説には「江戸時代の村の人々の祈りに寄り添った像」とあります。
円空の像はナタで割った木の断面、ノミの跡も残したままです。
この3体の像も背面は木の肌が残ったままで合わせると、元の丸太の形になるのだそうです。
龍王と名付けられた像はもとより、中央の観音菩薩も龍体のように思えます。 水を勢い良く吸い上げる高木は龍神様として崇められることが多いですから、正にご神木から仏の姿が生まれ出ずる瞬間を捉えたかのようです。
善女龍王立像175.6cm・十一面観音菩薩立像
221.2cm・善財童子立像174.6cm
円空作 江戸(17世紀)岐阜・高賀神社蔵
ずっと十一面観音菩薩像に注目して見てきましたが、時代による
お姿の変遷が面白いですね。 その時の人の心を映すのだとしたら、
現代の十一面観音様はどのようなお姿に映るのでしょう…。
一方、木喰の像の表面はなめらかで、頬っぺたが盛り上がりふっくらと丸っこい姿をしているものが多いです。
私は木喰の群像の前に来て、なんだか外国の旅から戻り、急に日本の素朴な村の人々に巡り会ったような気持になりました。(木喰さんがお好きな幽黙さんが手を振りながら迎えに出て下さったようにも感じましたよ^^)
ついでに、私の勝手なイメージだとこのお二人、作風からして「円空・木喰」の名前は逆なんじゃないかなぁ…こういうのって試験で間違えやすいんですよねぇ…^^;
会期限定かと思いますが、詳しくは↓HPをご参照下さい。
東京国立博物館HP(写真は「絵葉書より」以外はこのHP内のものです)
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=3460
読売新聞HP
http://event.yomiuri.co.jp/2006/butsuzo/works.htm
第一章 檀像(だんぞう)の世界 (唐7世紀〜奈良9世紀)
インドで最初の木の仏像は「白檀」を使用。
白檀の自生がない中国では「栢木(はくぼく)」を代用、栢木の自生がない日本では「栢(かや)」を代用したとのこと。
白檀、栢木、栢の共通点は、材が緻密で良い香りがすること。少しでも仏像の香りがきけはしないかと鼻を研ぎ澄ましましたが、香水を身につけられたご婦人の背後ではそれも徒労。それでも微かにしたようなしないような…。
この時代の仏像は頭が大きく手も長いのに脚は短く足もとても小さいという不思議なバランスでした。重要と思われる部分に力が注がれた結果なのでしょうか。
重要文化財 十一面観音菩薩立像
唐時代・7世紀 像高42.1cm 東京国立博物館蔵
第二章 一木彫(いちぼくちょう)の世紀 (奈良8〜平安9世紀前半)
(絵葉書より)
国宝 十一面観音菩薩立像
平安時代・9世紀 像高194.0cm
滋賀・向源寺蔵(渡岸寺観音堂所在)
中国伝来の緻密な香木仏像への憧憬と日本古来の信仰、神様の依代
としてのご神木への信仰が相まり、日本での一木彫文化が花開いた
時代のようです。
木に宿る神性を木の中から彫り出そうとするような、仏師があたかも
ノミではなく心で彫り研ぎ上げたような崇高な魂の触れ合いを感じます。
頭上に浮かぶ様々な面ざしも、違和感なくそこに存在しています。
額の上には仏の化身でしょうか、小さな僧の姿が浮かんでいます。
今回は寺外初公開とのことで、360度ぐるりと拝観できるように
ライトアップされつつ、私達に慈愛の眼差しを注いで下さっています。
第三章 鉈彫(なたぼり) (平安10〜11世紀)
最初拝見した時には、仕上げ前の途中のものかとも思われましたが、わざわざこのノミ跡を残しているということは、ご神木からゆらゆらと仏様が姿を立ち上らせるような、光の表現をしたかったのかもしれないと思いました。
言うなれば、彫刻の印象派でしょうか…なんとなくスーラ、シニャック達のような点描画を思い浮かべてしまいました。
重要文化財 十一面観音菩薩立像
平安時代・11世紀 像高180・7cm
神奈川・弘明寺蔵
そんな風に木漏れ日の降り注ぐ中を歩いている気分をガーンと
打ち払ったのは、こちらのピカソもびっくりの顔面脱皮です!
重要文化財 宝誌和尚立像 京都・西往寺(絵葉書より)
…衝撃で言葉を失いました。
この他にも、正面から見れば確かに柔和に微笑んでいるのに、
側面からは憤怒の表情を浮かべて見える仏様もいらっしゃいました。
これらは立体キュビズム? 日本の彫刻家恐るべしです。
第4章 円空と木喰(もくじき) (江戸17〜19世紀)
最後は対照的な作風の庶民派仏師、円空(1632−1695)と木喰
(1718?−1810)の作です。 生きた年代は違いますが、二人とも
日本中を旅して沢山の独自のスタイルを持った仏像を造りました。
解説には「江戸時代の村の人々の祈りに寄り添った像」とあります。
円空の像はナタで割った木の断面、ノミの跡も残したままです。
この3体の像も背面は木の肌が残ったままで合わせると、元の丸太の形になるのだそうです。
龍王と名付けられた像はもとより、中央の観音菩薩も龍体のように思えます。 水を勢い良く吸い上げる高木は龍神様として崇められることが多いですから、正にご神木から仏の姿が生まれ出ずる瞬間を捉えたかのようです。
善女龍王立像175.6cm・十一面観音菩薩立像
221.2cm・善財童子立像174.6cm
円空作 江戸(17世紀)岐阜・高賀神社蔵
ずっと十一面観音菩薩像に注目して見てきましたが、時代による
お姿の変遷が面白いですね。 その時の人の心を映すのだとしたら、
現代の十一面観音様はどのようなお姿に映るのでしょう…。
一方、木喰の像の表面はなめらかで、頬っぺたが盛り上がりふっくらと丸っこい姿をしているものが多いです。
私は木喰の群像の前に来て、なんだか外国の旅から戻り、急に日本の素朴な村の人々に巡り会ったような気持になりました。(木喰さんがお好きな幽黙さんが手を振りながら迎えに出て下さったようにも感じましたよ^^)
ついでに、私の勝手なイメージだとこのお二人、作風からして「円空・木喰」の名前は逆なんじゃないかなぁ…こういうのって試験で間違えやすいんですよねぇ…^^;
2006年07月09日
岡本太郎「明日の神話」
「明日の神話」プロジェクト・財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団」
http://www.taro-okamoto.or.jp/info/info_shinwa.html
「岡本太郎記念館」
http://www.taro-okamoto.or.jp/
大阪万博シンボル、天井を突き抜けて立つ「太陽の塔」
一番上にウルトラマンのような、無垢なヒヨコのような金色の顔
(スターウォーズのC3POの顔は絶対これがモデルだと思う)、
そして胴体にもう一つ、口を尖らし大きな目で睨む顔があった。
子供の頃には、ただの面白い塔だったが、今よくよく見てみると、
上の顔は洗練され無表情にさえ見える先端科学の顔、下の顔はそれを
支えてきた天地のほとばしる力、ややもすると軽んじられ忘れられ
かねない大自然の怒りのようにも思えてくる。
この岡本太郎の代表作「太陽の塔」とほぼ同時期に作成され、その
依頼主、メキシコの富豪の破産により長い間行方不明となっていた
幻の大壁画、「明日の神話」が、養女として長く太郎と共に歩んで
こられた岡本敏子氏の尽力により発見され日本に運ばれ修復され、
一昨日公開された。
「明日の神話」については、上記のサイトをご覧下さい。特に中ほどで
クリックして開ける岡本敏子氏の寄稿文を是非ご覧になって下さい。
一時は「芸術は爆発だ!」と、時代の寵児のように活躍していた
岡本太郎も、病に倒れてからはひっそりとなりを静めてしまった。
(実は倒れる直前まで筆を握り岡本太郎であろうとしていたと言う)
しかし、寧ろ太郎の死後、敏子氏の活躍により太郎の作品は続々と
世間の目に触れるようになっていった。
それは、「俺が俺らしく好きなことを好きなようにやって生き通す
ことが出来た時、俺に続くものがどっと湧き上がって来るに違いない」
(この言葉は記憶だけで書いているので正確ではありません^^;)
という太郎の遺志を受け継いだ敏子氏の愛と情熱の賜物だ。
そして「明日の神話」が日本に着くその日、敏子氏は太郎の元へ
旅立たれた。 ついに思いを遂げ、二人して「神話」になったのか。
それならば、その思い受けた私達は何をすべきか!
「芸術は爆発だ!」「芸術は挑発だ!」「芸術は呪術だ!」
太郎の作品、そして言葉に触れ、のほほんとしていた私もまんまと
太郎とそして敏子に挑発されてしまったようだ。
http://www.taro-okamoto.or.jp/info/info_shinwa.html
「岡本太郎記念館」
http://www.taro-okamoto.or.jp/
大阪万博シンボル、天井を突き抜けて立つ「太陽の塔」
一番上にウルトラマンのような、無垢なヒヨコのような金色の顔
(スターウォーズのC3POの顔は絶対これがモデルだと思う)、
そして胴体にもう一つ、口を尖らし大きな目で睨む顔があった。
子供の頃には、ただの面白い塔だったが、今よくよく見てみると、
上の顔は洗練され無表情にさえ見える先端科学の顔、下の顔はそれを
支えてきた天地のほとばしる力、ややもすると軽んじられ忘れられ
かねない大自然の怒りのようにも思えてくる。
この岡本太郎の代表作「太陽の塔」とほぼ同時期に作成され、その
依頼主、メキシコの富豪の破産により長い間行方不明となっていた
幻の大壁画、「明日の神話」が、養女として長く太郎と共に歩んで
こられた岡本敏子氏の尽力により発見され日本に運ばれ修復され、
一昨日公開された。
「明日の神話」については、上記のサイトをご覧下さい。特に中ほどで
クリックして開ける岡本敏子氏の寄稿文を是非ご覧になって下さい。
一時は「芸術は爆発だ!」と、時代の寵児のように活躍していた
岡本太郎も、病に倒れてからはひっそりとなりを静めてしまった。
(実は倒れる直前まで筆を握り岡本太郎であろうとしていたと言う)
しかし、寧ろ太郎の死後、敏子氏の活躍により太郎の作品は続々と
世間の目に触れるようになっていった。
それは、「俺が俺らしく好きなことを好きなようにやって生き通す
ことが出来た時、俺に続くものがどっと湧き上がって来るに違いない」
(この言葉は記憶だけで書いているので正確ではありません^^;)
という太郎の遺志を受け継いだ敏子氏の愛と情熱の賜物だ。
そして「明日の神話」が日本に着くその日、敏子氏は太郎の元へ
旅立たれた。 ついに思いを遂げ、二人して「神話」になったのか。
それならば、その思い受けた私達は何をすべきか!
「芸術は爆発だ!」「芸術は挑発だ!」「芸術は呪術だ!」
太郎の作品、そして言葉に触れ、のほほんとしていた私もまんまと
太郎とそして敏子に挑発されてしまったようだ。
2006年05月21日
東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)
天下無敵の晴れ女さんと一緒に、走り梅雨の見事な晴れ間、
目黒の東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)へ出掛けた。
↑「近代建築散策:東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)」
http://maskweb.jp/b_asakanomiya_1_0.html の写真より
この他にも2葉外観写真が掲載されています。
「東京都庭園美術館」公式サイト
http://www.teien-art-museum.ne.jp/
展示は「北欧のスタイリッシュ・デザイン―フィンランドのアラビア窯」
「フィンランド・デザインの良心」と呼ばれるカイ・フランクは、「多種多様な
器によって構成される伝統的なディナーセットの殆どが、一般大衆の生活
には役に立たない」と指摘、真に日常に使われるデザインを求めた。
その流れを組み、今も広く世界の人々に愛され続ける食器たち。
日本の禅僧が用いるような、シンプルな入れ子式食器セット、
カラフルな鉄アレイが重なったようなソルト&ペッパー入れなど、
個性溢れる中にも、共通するスタイリッシュ・シンプルの精神を感じた。
展示を見ながらも、つい旧宮家邸の細部に目がいってしまう。
正面玄関のルネ・ラリックのガラス・レリーフ、シャンデリア、
階段や窓辺の様々に趣向を凝らしたアイアン・モチーフ、大理石の
レリーフ、扉の装飾・・・、そして、宮様の書斎。
狭くなった階段を上がると市松模様の床が広がる「ウインターガーデン」
一歩踏み入った途端、様々な緑の鉢植えと温室独特の匂いを感じた。
実際には、そのようなものは今何一つ無いというのに・・・。
とうとう草霊?が見えるようになったか? 植物あってこその
「ガーデン」、きっと宮様も空っぽのガーデンを寂しがっておいで
なのではないだろうか。
庭園は咲き始めの薔薇と緑に包まれていた。 ひっそり佇む
人けの無い茶室の内部に目を凝らす・・・7月からはここも公開され、
邸内の写真撮影も許可されるらしいので、是非また訪れたい。
「旧朝香宮邸のアール・デコ―小客室新規公開」展
2006年7月8日(土)〜10月1日(日)
美術館を後にして、プラチナ通りを恵比須方面にそぞろ歩く。
カフェでランチ(友人がここで若手俳優FN?を発見!)しながら
喋り通し・・・別のカフェでケーキ&コーヒーで喋り倒す、友がね。(笑)
恵比須への坂を登る途中の店先で、シャムロック(クローバー)型の
白いお皿を発見。 二人して異口同音に、
「これ、欲しい!」
セール中だったし・・・(笑)お店に上がるとアイルランド、ケルト系
のものがいっぱい。 ケルト好きの我らはすっかり寛ろぎ、友は
「ビールが飲みたいな・・・。」
固焼きの一口大のパンにぬられたトラディショナル・パテを肴に
ケルティッシュ・エールを飲む窓辺で、赤く色づき始めた桑の実が
揺れていた。
<<追記 お店情報>>
「ラ・ボエム」白金店 イタリアン・カフェ
http://www.boheme.jp/jp/shirogane/home/location
「ブルーポイント」 レストラン/サロン・バー/パーティスペース
http://www.b-point.co.jp/
「サザーランド」英国骨董・雑貨/B&B風パブ
http://www.sutherland.co.jp/
目黒の東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)へ出掛けた。
↑「近代建築散策:東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)」
http://maskweb.jp/b_asakanomiya_1_0.html の写真より
この他にも2葉外観写真が掲載されています。
「東京都庭園美術館」公式サイト
http://www.teien-art-museum.ne.jp/
展示は「北欧のスタイリッシュ・デザイン―フィンランドのアラビア窯」
「フィンランド・デザインの良心」と呼ばれるカイ・フランクは、「多種多様な
器によって構成される伝統的なディナーセットの殆どが、一般大衆の生活
には役に立たない」と指摘、真に日常に使われるデザインを求めた。
その流れを組み、今も広く世界の人々に愛され続ける食器たち。
日本の禅僧が用いるような、シンプルな入れ子式食器セット、
カラフルな鉄アレイが重なったようなソルト&ペッパー入れなど、
個性溢れる中にも、共通するスタイリッシュ・シンプルの精神を感じた。
展示を見ながらも、つい旧宮家邸の細部に目がいってしまう。
正面玄関のルネ・ラリックのガラス・レリーフ、シャンデリア、
階段や窓辺の様々に趣向を凝らしたアイアン・モチーフ、大理石の
レリーフ、扉の装飾・・・、そして、宮様の書斎。
狭くなった階段を上がると市松模様の床が広がる「ウインターガーデン」
一歩踏み入った途端、様々な緑の鉢植えと温室独特の匂いを感じた。
実際には、そのようなものは今何一つ無いというのに・・・。
とうとう草霊?が見えるようになったか? 植物あってこその
「ガーデン」、きっと宮様も空っぽのガーデンを寂しがっておいで
なのではないだろうか。
庭園は咲き始めの薔薇と緑に包まれていた。 ひっそり佇む
人けの無い茶室の内部に目を凝らす・・・7月からはここも公開され、
邸内の写真撮影も許可されるらしいので、是非また訪れたい。
「旧朝香宮邸のアール・デコ―小客室新規公開」展
2006年7月8日(土)〜10月1日(日)
美術館を後にして、プラチナ通りを恵比須方面にそぞろ歩く。
カフェでランチ(友人がここで若手俳優FN?を発見!)しながら
喋り通し・・・別のカフェでケーキ&コーヒーで喋り倒す、友がね。(笑)
恵比須への坂を登る途中の店先で、シャムロック(クローバー)型の
白いお皿を発見。 二人して異口同音に、
「これ、欲しい!」
セール中だったし・・・(笑)お店に上がるとアイルランド、ケルト系
のものがいっぱい。 ケルト好きの我らはすっかり寛ろぎ、友は
「ビールが飲みたいな・・・。」
固焼きの一口大のパンにぬられたトラディショナル・パテを肴に
ケルティッシュ・エールを飲む窓辺で、赤く色づき始めた桑の実が
揺れていた。
<<追記 お店情報>>
「ラ・ボエム」白金店 イタリアン・カフェ
http://www.boheme.jp/jp/shirogane/home/location
「ブルーポイント」 レストラン/サロン・バー/パーティスペース
http://www.b-point.co.jp/
「サザーランド」英国骨董・雑貨/B&B風パブ
http://www.sutherland.co.jp/
2006年05月11日
燕子花図と藤花図(根津美術館)
数年間の修復を終え昨年遂に蘇った国宝「燕子花図」(尾形光琳)と
重文「藤花図」(円山応挙)が揃って展示されていると聞き、4月の末、
今は既に(5月8日から)改築の為の3年半の長期休館に入ってしまった
根津美術館にGW中の混雑覚悟、降雨高確立中、向った。
根津美術館公式HP http://www.nezu-muse.or.jp/
国宝「燕子花(かきつばた)図」 尾形光琳・筆
(図版の無断転載は禁じられていますので下記公式HP内の画像参照)
http://www.nezu-muse.or.jp/syuuzou/kaiga/10301.html
先ず上のURLの画像(修復前)とは大違いの色鮮やかさに驚いた。
まばゆい金箔の上に浮かび上がる、群れ飛ぶ青い燕型の花と
燕尾のように颯爽とした緑の線描の揺らぎ・・・。
一双の屏風の右図では、中央を花の群れがリズミカルな曲線を
描いて横断し、左図では左上から右下への対角線左下側に花の群れ、
右上側には金箔の空間が広がるという大胆な構図…というよりも
これは光琳得意の意匠−デザインの世界だ。
ある一部分だけを見るのも、一方の図だけを見るのも一興では
あろうが、やはりこれは両方を並べ、しかも屏風として立てた時の
折れの山谷を加えてこそ、光琳の意図を受け止めることが出来る
のではないだろうか。
重文「藤花(ふじはな)図」円山応挙・筆
http://www.nezu-muse.or.jp/syuuzou/kaiga/10323.html
「これって新しいの?」と怪訝そうに燕子花図を眺めた後、
同行した我が子は、藤花図の前で動かなくなった。
「藤、スゴイ。こっちの方が好き。」
分かる。ああだこうだと言うよりも、好きな絵は好きなのだ。
好きと嫌いとどうでもいいの3種類しかないのかもしれない。
そしてもう一つ、ぽそっと・・・
「なんで金色の所は□の模様になってるの?」
どうやらこの子の学校では、美術で金箔のことは教えないらしい。
脂とり紙は使っていても、金箔のことは知らないのだ。
今までちゃんと教えてやらないでいた私も悪かった。
そんなことを知らないでいたということも知らなかった。
やはり、時間をみつけては一緒に過ごす時間をもっと作らねば・・・。
またやはり子供の目から、藤棚か巻きついている筈の寄り木が
省略されていることにも気付かされた。のたうつ樹や蔓の面白さ
さえも花を引き立てる為の花器、朧な背景の風情に思えてくる。
枯れ枝のような蔓から、季節を知って萌え出でた繊細な若葉の彩と
零れる紫の濃淡重なる小花の穂。ここに応挙は夢中で心を注いだ。
その気持ちに引き寄せられて動けなくなったのではないだろうか。
この他には、
八重桜の花びらや紅葉の重なりが盛り上がるような濃絵手法の
「吉野龍田図」。
高く蹴上げた鞠の桃のような下部だけを描いたり、蹴鞠に興じる
お公家さんの付き人が幕の後で欠伸をして寛ぐ姿を描いたりと妙に
リアルな描写が面白い「蹴鞠図」。
http://www.nezu-muse.or.jp/syuuzou/kaiga/10302.html
全てが平面的な風景の中、蛇行する急流だけが生き物のように
立体的な鈴木其一「夏秋渓流図」。
http://www.nezu-muse.or.jp/syuuzou/kaiga/10348.html
季節の花々を一堂に集めて描いた鶴沢探鯨「草花図」や
尾形光琳「夏草図」には花好き仲間の親近感。
私も写真ばかりでなく絵を描こう!
2階の青銅器展示では「ハウルの動く城」?を発見。
茶器の展示は、お庭の茶席からの流れの方々が多くて降参した。
お庭に出ると、春雨に洗われた新緑の中に、デジャブの世界が・・・
さらに雨露光る苔の道を下っていくと・・・
池に浮かぶ一艘の小舟型茶室?休憩所?
この中で、今までにどんな物語が生まれたのだろうか?
<<追記 2006-05-23>>
TBを戴いたTakさんのサイトでは、前期展示「烏図」や絢爛豪華
「吉野龍田図」などが、松風さんのサイトでは、光琳がここの花を
描いたのではとの説がある京都・大田の沢のカキツバタがご覧戴けます!
皆さま、是非クリックして飛んでみてくださいませ。
重文「藤花図」(円山応挙)が揃って展示されていると聞き、4月の末、
今は既に(5月8日から)改築の為の3年半の長期休館に入ってしまった
根津美術館にGW中の混雑覚悟、降雨高確立中、向った。
根津美術館公式HP http://www.nezu-muse.or.jp/
国宝「燕子花(かきつばた)図」 尾形光琳・筆
(図版の無断転載は禁じられていますので下記公式HP内の画像参照)
http://www.nezu-muse.or.jp/syuuzou/kaiga/10301.html
先ず上のURLの画像(修復前)とは大違いの色鮮やかさに驚いた。
まばゆい金箔の上に浮かび上がる、群れ飛ぶ青い燕型の花と
燕尾のように颯爽とした緑の線描の揺らぎ・・・。
一双の屏風の右図では、中央を花の群れがリズミカルな曲線を
描いて横断し、左図では左上から右下への対角線左下側に花の群れ、
右上側には金箔の空間が広がるという大胆な構図…というよりも
これは光琳得意の意匠−デザインの世界だ。
ある一部分だけを見るのも、一方の図だけを見るのも一興では
あろうが、やはりこれは両方を並べ、しかも屏風として立てた時の
折れの山谷を加えてこそ、光琳の意図を受け止めることが出来る
のではないだろうか。
重文「藤花(ふじはな)図」円山応挙・筆
http://www.nezu-muse.or.jp/syuuzou/kaiga/10323.html
「これって新しいの?」と怪訝そうに燕子花図を眺めた後、
同行した我が子は、藤花図の前で動かなくなった。
「藤、スゴイ。こっちの方が好き。」
分かる。ああだこうだと言うよりも、好きな絵は好きなのだ。
好きと嫌いとどうでもいいの3種類しかないのかもしれない。
そしてもう一つ、ぽそっと・・・
「なんで金色の所は□の模様になってるの?」
どうやらこの子の学校では、美術で金箔のことは教えないらしい。
脂とり紙は使っていても、金箔のことは知らないのだ。
今までちゃんと教えてやらないでいた私も悪かった。
そんなことを知らないでいたということも知らなかった。
やはり、時間をみつけては一緒に過ごす時間をもっと作らねば・・・。
またやはり子供の目から、藤棚か巻きついている筈の寄り木が
省略されていることにも気付かされた。のたうつ樹や蔓の面白さ
さえも花を引き立てる為の花器、朧な背景の風情に思えてくる。
枯れ枝のような蔓から、季節を知って萌え出でた繊細な若葉の彩と
零れる紫の濃淡重なる小花の穂。ここに応挙は夢中で心を注いだ。
その気持ちに引き寄せられて動けなくなったのではないだろうか。
この他には、
八重桜の花びらや紅葉の重なりが盛り上がるような濃絵手法の
「吉野龍田図」。
高く蹴上げた鞠の桃のような下部だけを描いたり、蹴鞠に興じる
お公家さんの付き人が幕の後で欠伸をして寛ぐ姿を描いたりと妙に
リアルな描写が面白い「蹴鞠図」。
http://www.nezu-muse.or.jp/syuuzou/kaiga/10302.html
全てが平面的な風景の中、蛇行する急流だけが生き物のように
立体的な鈴木其一「夏秋渓流図」。
http://www.nezu-muse.or.jp/syuuzou/kaiga/10348.html
季節の花々を一堂に集めて描いた鶴沢探鯨「草花図」や
尾形光琳「夏草図」には花好き仲間の親近感。
私も写真ばかりでなく絵を描こう!
2階の青銅器展示では「ハウルの動く城」?を発見。
茶器の展示は、お庭の茶席からの流れの方々が多くて降参した。
お庭に出ると、春雨に洗われた新緑の中に、デジャブの世界が・・・
さらに雨露光る苔の道を下っていくと・・・
池に浮かぶ一艘の小舟型茶室?休憩所?
この中で、今までにどんな物語が生まれたのだろうか?
<<追記 2006-05-23>>
TBを戴いたTakさんのサイトでは、前期展示「烏図」や絢爛豪華
「吉野龍田図」などが、松風さんのサイトでは、光琳がここの花を
描いたのではとの説がある京都・大田の沢のカキツバタがご覧戴けます!
皆さま、是非クリックして飛んでみてくださいませ。
2006年03月29日
木蓮と河原鶸?
無性に大伯父の木蓮の絵が見たくなって、実家へ遊びに行った。
白木蓮、紫木蓮(シモクレン)、つがいの(多分)河原鶸?(カワラヒワ)。
実家にある大伯父の作の中で、私が一番好きな絵だ。
木蓮の花の中で下の小鳥がニヤと笑っている・・・これは雄♂だな。
(右の小鳥の写真はクリックすると少し大きくなります。)
小鳥は羽の黄色と黒の按配から見て、河原鶸と思われるが、
頭の形と嘴がカワラヒワにしてはシャープすぎる。
などと野鳥を観察するようになり、どうも細かい所が気になって
いけない。これは図鑑ではなくて、創作の世界。。。
ちなみに、普通「木蓮」と言えば、「紫木蓮」を指す。
この頃は「コブシと木蓮の見分け方」のように、木蓮が白木蓮を
指すように使われているのを見かけるが、これも時代の流れかな。