2006年01月20日
「歌仙の饗宴」
佐竹本三十六歌仙絵「柿本人麿」
伝 藤原信実・画 後京極良経・詞
鎌倉時代 重要文化財
出光美術館 古今和歌集1100年記念祭「歌仙の饗宴」展に出掛けて来た。
http://www.idemitsu.co.jp/museum/
三十六歌仙とは、11世紀前期、藤原公任により「万葉集」・「古今和歌集」時代の
歌人たちから厳選された「三十六人撰」の歌人達であり、以後これら三十六人を
歌仙として崇める習慣が一般化されたと言う。
「佐竹本三十六歌仙絵」は、長く秋田藩主佐竹家所蔵だった為「佐竹本」と
呼ばれる現存最古の歌仙絵図で、もとは上下2巻の絵巻物であったが、後世
そのあまりの価値の高さ故、そのままの姿で持ち堪えることが出来ず、遂に
歌仙一人ずつ分割の憂き目に会い、要人の中で生々流転し今に伝わるとのこと。
今回はそのうちの九点が一堂に会する(展示は入れ替えあり。1/31〜は幻の国宝
の中の幻、滅多に世に出ることのない「斎宮女御」が出展される。)
(まつわる話と歌仙すべての復元絵巻→http://www.ex.biwa.ne.jp/~bisite/satake1.html)
まず、我等がご先祖様がたは、「先人の型・形」を残し伝えるのが本当に
好きだったのだなと感じた。 それがまるで何かの使命であるかのように、
忠実に写して伝えようとする。 この熱情はどこからくるのであろうか。
佐竹本にしろ、現存では最古だそうだが、その前にあった絵巻の写しなの
かもしれない。
特に歌聖・柿本人麻呂は、座姿は勿論、硯箱の柄から着物の皺に至るまで
脈々と伝えられ広められながら、次第に神として崇め奉られるようになり、
遂には和歌の神さま住吉大神さえ同じ姿で描かれるに至っていた。
また、山部赤人同一人物説(持統天皇とのスキャンダル発覚後流罪自傷とされるが
実は後に山部赤人と名を変え密かに再起していた・・・?)やら在原業平への生まれ
変わり伝説やら、何かと謎多き興味深い大物である。
思えば言霊を大切にしてきた日本人にとって、心を込めその粋を集めた和歌は、
珠玉の宝であり、天から降りて来た神様の言葉のように崇められたのかもしれない。
嗚呼、そんな大切な和歌や伝えだと言うのに、今の私にはただそれをすらすらと
読むことさえも出来ない。所々読める文字があるという程度なのが実に歯痒かった。
折角遠き時間を経て残されてきたお宝を目の前にして、わが身の不甲斐無さに
打ちのめされた。
三十六歌仙が一同に会して(実際には年代的にあり得ないが)楽しげに饗宴して
いる絵の中から手招きが見えたような気がした。いつか夢でいいからあの中に
入ってお話が出来るように、少しずつ勉強を重ねて行きたい。
<<追記 2006-01-26>>
それにしても、この頃の人たちは佇まいに品がある。ゆったりと寛いでいようと
後ろを向いていようと、ただそこに存在するだけで「絵」になる。
今を生きる人々は、例え礼装してポーズをとってみても、なかなかこうはいかない
ことが多いだろう。寛いでしまえば、ただ、だらしないだけになってしまう。
やはり美しく生きる「型」は一朝一夕では身につかない。
いにしえ人に学んで少しでも、次の世代に美しい日本の生き方を伝えていきたい。
また、上から下へと自然の水の流れままに書かれる書の美しさに、あらためて
惹きこまれた。 やはり日本語は縦書きに命がある。 と、こうして横書きで
書いても説得力が無いが・・・。
2005年11月16日
「伊万里・京焼展」
「色絵雉香炉」 野々村仁清 京焼
上野の改札で既に美術館の券を買う人の列…公園を歩きながら流れを読むと、
一番人気はマティス・ピカソ等印象派を揃えた「プーシキン美術館展」次いで「北斎展」。
あまりの人の多さにプーシキンは諦めた。北斎もお昼時には少しは空くだろうと、
同じ国立博物館内、建物自体が重要文化財「表慶館」で開催中の「伊万里・京焼展」
を先に観ることにした。
平日に、かくも着飾った大勢のご夫人方が上野に押し寄せるのは日常なのだろうか?
若しかしたら、紀宮様のご結婚のお祝いの流れだったのかもしれない。そういえば、
多くの人がとても幸せそうな表情をされていたのが印象的だった。
国内はもとより海外輸出までも視野に入れた量産の道を行った伊万里、一つ一つの
作品に作者の心技の粋を込めた京焼。それぞれの道でともに日本の焼物の世界を
高めあってきたその二つの流れを、比較しながら鑑賞することが出来た。
「染付吹墨月兎図皿」(左・伊万里)、吹墨でほぼ水平に傾いた三日月とその下で
跳ねる兎が描かれている。このように左側が大きく欠けた月では兎の姿は見ることが
できない。月の兎が降りてきて地上で踊っている、と見做して描いたのかな
と空想してみる。若し、描いた人がそんなことを絵に込めていたら何だか嬉しい。
「色絵輪繋文三足大皿」(右・鍋島)、溜息が出るほど完成されたデザイン。
空間の白、組み合わされた文様がきりりと美しい。レプリカでいいから欲しい!
文様自体のデザインでもその組み合せの妙にしても、日本は世界一だと思う。
尾形光琳の弟、尾形乾山の「色絵紅葉図透彫反鉢」(京焼) 外側の絵が前景、
内側の絵が後景となり、内外が一体となって立体的に一本の鮮やかな紅葉の木を
浮かび上がらせている。勝手に「飛び出す絵本様式」と命名。
左は「色絵月梅図茶壺」(仁清・京焼) 月梅図、というのに正面からでは
月と梅を一緒に見ることは出来ない。茶壷である故に、茶を出し入れする時には
上から覗き込む。右は、その茶壷を上から見た所である。
実際に用いる人のみが、その本当の隠された美を見ることが出来るとは、
お茶道具らしい演出だ。
銀で描かれた満月は時代を経て黒色を帯びているが、当時は銀色に輝く月と紅梅の
対比がさぞ見事であったろう。しかし黒い月もなかなか渋みがある。
あえて磨いたり復元したりしないのも、その為なのだろうか?
「銹絵水仙文茶碗」 同じ仁清でも、素朴でどこかはかなげな美しさ。
この白い茶碗にお茶が点てられた時、雪の下で春を待つ緑の息吹が感じられそうだ。
一番上の「色絵雉香炉」は、言わずと知れた「国宝」。
美術の教科書にも載っていたものが目前にあった。 震えた。 正に釘づけになった。
正面から見ると、雉は微かに首を傾げている。 動いた? そう思える命があった。
雌雉が石川県立美術館でこの雄雉の帰りを待っている。
<参照>
東京国立博物館: http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=X00/processId=00
石川県立美術館: http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/index_j.html
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2005年11月15日
北斎展
国立博物館で開かれている「北斎展」と「伊万里・京焼展」を観て来た。
葛飾北斎、19歳で画壇デビュー。次々と名前を変え、その度に新しい試みに没頭、
勝川を破門になってまで他所の流派の画風も学び、75歳で自らを画狂老人卍と
名乗り、数えで90歳までを、描いて描いて描きつつけた人生…。
物凄いエネルギーだ。教科書に載っているような有名な浮世絵は
殆ど70歳過ぎの作品。90になって尚、もっともっと描いて描いて
神の領域まで行くつもりだったそうな…。
本人は満足してなかったかもしれないが、もう十分神の領域に達してたと私は思う。
神さまか空飛ぶ鳥にしか見られないような構図!
一瞬の波や風や生物の動きを捕らえた描写!
版画の限られた技法や色彩の中での鮮やかな表現!
挿絵や漫画から風俗画、役者絵、風景画、宗教画まで多岐に渡る
レパートリー!
…現代で言えば、漫画家、絵本画家、イラストレーター、グラフィックデザイナー、etc.
でもあったというマルチな才能だが、画狂老人とまで言うほどの不断の努力の賜物だ。
今回の展示では、20歳ごろの初々しい作品から各年代満遍なく展示されているので、
その画狂いの日々の歴史を存分に堪能することが出来る。
それにしてもこの作品群の多さ…毎週展示変えを出来る程の画が世界中から
集められたという、千載一遇の貴重な機会である。これだけ描くには、寝ている時
以外、殆ど年がら年中描くことに没頭し続けていたのだろう。正に画狂人だ。
今回印象に残ったこと発見したこと。(山桜の独断と偏見です^^;)
@今更ながら構図の素晴らしさ。北斎は何らかの力で空を飛べたに違いない。
そして、一瞬を正確に記憶できる超能力を持ち合わせていたか、努力によって
身に着けたのだろう。
A一度面白いと思った仕草やポーズは、満足がいくまで繰り返しモチーフとして
取り組む。丸みを帯びた背面逆さ飛びの鳥、胸ビレを両手のように突き出した鯉、
斜め下を向いた人間のような表情の鯉、腹側から見た水中をもがくように泳ぐ亀の
四肢や首の動き、立ち上る煙…などが印象に残った。
B浮世絵の刷りによる出来の違い。
赤富士の初期の刷りと後期の刷りでは、全く印象の違う作品になっている。
波裏も世界一の刷りと言われるものの一枚が今回展示されているので、必見。
C生活の為に描いただろう絵と自分の興味が集中して描いた絵の差。
例え注文であっても、面白がって描いたものには、北斎の描く喜びが満ちているが、
どう考えても「売れ筋」を描かされたというものは、絵は端正であっても面白くない。
D「神奈川沖浪裏」(上掲は部分):大波の向こうの遠景の富士の他に、大波の手前に
もうひとつの富士山が隠されている? 気のせいだろうか??
今日は伊万里・京焼展と両方の展示会を観たのだが、全く重たい疲労感が無かった。
どんなに荒々しい絵であっても、凛とした静寂がある。
周りの音が一切聞こえなくなる程、吸い寄せられる力がある。
日本の美意識とは、神さまのみわざの表現、どこかしら神様の領域に近づいたもの
なのかもしれない。
<参照>
東京国立博物館: http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=X00/processId=00
<<11.17追記>>
今手に取った、日本野鳥の会・奥多摩支部報の中に、歌人・詩人・野鳥研究家、
日本野鳥の会創始者、中西悟堂の以下の言葉があった。
「静寂! その中につまったいっぱいの言葉!
風、峰の松籟――これは言葉ではない。 一つの変幻だ。」
2005年11月11日
ジョウビタキの絵
今日は久し振りに実家へ寄ってお茶を戴いた。
建て替えられた家には、昔の面影はあまりない。
しかし、前の家と同じ位置に作られた和室には、この季節に必ず床の間に
掛けられる、柿の枝の上で睨みをきかせているジョウビタキの絵のお軸があった。
描いたのは父の従兄弟?だったか、親戚の内の一人の日本画家。
私が生まれる以前に夭折したらしい。地元には記念美術館もあるとか。
私はこの人の描いた絵がとても好きで、季節ごとに掛けかえられるだけの
作品が実家にあるのが嬉しい。何故そんなに好きなのかと言えば、多分私と
感性というか目の付け所が近いからなのだと思う。
例えば、このジョウビタキの絵。携帯写真なので分かりにくいが、ちゃんと
嘴の横に髭が描いてある。また背面からの姿もジョウビタキの羽の配色の
美しさを余す所無く表そうという心が見える。
ジョウビタキが好きで飽きることなく観察し、気の強い性格を良く把握して
いなければ、この様に縄張りに目を光らせる気魄のこもった姿は描けないと思う。
先に「ソロモンの指輪」さんからお借りしたお写真が、目に留まったのも、
この絵のジョウビタキの姿が頭の中に焼きついていたからだと思う。
この絵の世間的な価値などは分からない。
けれど、私には懐かしい、心の中の一枚である。
ラベル:ジョウビタキ