2022年10月07日

「ぐり と ぐら」が くれた幸せ





「ぐり と ぐら」は、私が幼稚園の頃から親しみ、娘のケロも大好きな絵本。特に大きな黄色いカステラを焼いて森のみんなで分け合って食べるシーンが、良い匂いがしてきてふわふわで、おいしそうでおいしそうで、どれだけ憧れたことか!

「あんな大きなカステラを焼いてちぎって食べてみたい・・・」
そう思った人が大勢いる証拠に、出版社の福音館のサイトにあのカステラの作り方まで載っている程です。

「ぐり と ぐら」のカステラをつくろう!

 その可愛い、美味しい、楽しい、素敵な絵を描かれ続けた山脇百合子(旧姓 大村)さんが、天国へ旅立って逝かれました。文を書いていらしたのはお姉さんの中川李枝子さん。姉妹で一緒に絵本を作っていらっしゃるというのもまた素敵な憧れの姿でした。

 私が幾つかの絵本をケロの為に描いたのも、お二人への憧れがあったからかもしれません。

 これからも、お二人の残された、たくさんの絵本やおはなしは、子供心にずっと生き続けます。昔々の子供の私の心にも・・・。

 お空の上でも沢山の素敵な絵を描いて見せて下さい。

 合掌


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2017年05月12日

「永遠の別れ−悲しみを癒す智恵の書」

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 「人は死なない」を読み返した後、何かきっと今の私を、この耐え難い苦しみから救いだしてくれるような本があるのではないかと探し求め、レビューの評価の中で大切な人を失った深い悲しみの中から救ってくれたとの声の多かった、

精神科医 エリザベル・キューブラー・ロス
死と悲嘆に関する分野の第一人者 デーヴィッド・ケスラー 共著の

「永遠の別れ−悲しみを癒す智恵の書」
 Finding the Meaninig of Grief
Through the Five Stages of Loss

を、4月13日(丁度主人の容態が急変して1ケ月目の夜)から読み始め、涙で文字が追えなくなるので毎日少しずつ読み進め、昨晩感動の内に読み終えました。

 『ああ、私の今の状況は正にこれだ』と思える記述が次々と示されていて、やっと分かってくれる人に出会え嬉しくて。 自分の気持ちを的確に言葉にして説明して貰える、今の状況を肯定して貰えることが、こんなにも安堵を与えてくれるものとは思いませんでした。 本書の内容は、どんな媒体にも引用が許可されていないので詳しく書くことは出来ませんが、

 エリザベスはホスピス運動の提唱者の一人で、「死ぬ瞬間」という書の中で、

「悲嘆の五段階」
 否認⇒怒り⇒取引⇒抑うつ⇒受容  について論じた人です。

 これを読み、自分が今どのような段階にいて、それは多くの人が経験する正常な心の動きであることなどが分かり、ホッとしました。 私は今、ようやく抑うつから受容へ移れるかどうかの辺りに来られたのかなと思いますが、そう思ったそばからまた前の段階に戻ったり進めたり、そういうこともまた、深い「悲嘆」の中にいる者には自然なことなのだそうです。 

 そしてまた「悲嘆」とその過程には、「秘められた素晴らしい治癒力がある」ということも教えられました。

 「悲しみ抜くことそのものに大きな癒す力がある」

 「悲しみ抜くことを自分に許さなかった人は、いつまでたっても悲しみから抜け出すことが出来ず、社会へも上手く適応していけない。」

 「愛する人の喪失を受容し、喪失と共に生きることを学べば、心の傷は自然に癒え、愛する人の死という辛く苦い経験をもった新しい自分に成長し、再び歩き出すことが出来る」

 私は今一人ですので、誰に遠慮することもなく、感情の高ぶるままに泣いたり、見えない主人と声を出して話し笑ったりもしています。 散歩に出る時は、ふいに涙が出てきて止まらなくなっても大丈夫なように、帽子・サングラス・マスクをしています。

 主人とは、退院したらまた手を繋いで散歩してくれる約束でした。 
 「手を繋いでスキップもすると、
  自律神経の調和がとれて、免疫力が上がるんだって!」
というと、
 「よ〜し、やるか!」
と冗談めかして笑っていました。 すっかり子供っぽくなっていたので、案外本当にスキップもしてくれたかもしれません。 ですので散歩に出ると右手はいつも主人が握っていてくれて、耳元で声が聞こえてきて、嬉し涙が出て来てしまうのです。 傍から見たら変な人ですよね。 以前は独り言を言って歩いている人を訝しく思っていましたが、今は親近感が持てています。 

 他の人には見えない人が見え、その人と話せる人もいるのです。

【エリザベス・キューブラー=ロス】
(スイス生まれ 独:Elisabeth Kübler-Ross 1926年7月8日〜2004年8月24日)
『死ぬ瞬間』(1969年)の著者として知られる精神科医。 今日では「死の受容のプロセス」と呼ばれている「キューブラー=ロスモデル」「喪失の五段階」を提唱。 まさに死の間際にある患者とのかかわりや悲哀(Grief)の考察や悲哀を癒す仕事(Grief work)についての先駆的な業績で知られている。

      


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2017年04月13日

「人は死なない」

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3年前、一体どんな状態で行われたのか想像するだに怖ろしい、執刀医曰く『どこの医者もやりたがらないだろうね』という、声帯と嚥下機能を温存し癌を取り除く喉と頸部の手術を主人が受けることになった時、私は必ず助かると信じていた一方で、どういう心境からか、恐らくは元々持っていた「生と死」への興味から、

「人は死なない−ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」
矢作直樹 著
(東京大学大学院医学研究科・医学部救急医学分野教授 医学部付属病院救急部・集中治療部部長)救命医療から緩和ケアまで様々な現場を経験してきた臨床医が自らの体験を通しての、

 「神は在るか、魂魄は在るか。」
 「生命の不思議」「宇宙の神秘」「宗教の起源」「非日常的現象」

などについて思索を記した書を読んでいたことを思い出し、再びその書を手に取った。

 いきなり容態が急変しあらゆる手を尽くしても亡くなる人がいる一方で、極めて重篤な状態であったにも関わらず予想を超えて命を繋ぐ人もいる。 飛躍的に医療が進んだと思われている現代においても、人の生命の力については分からないことばかり、それは途方もなく複雑で精緻かつ絶妙なバランスで営まれている。 人が生き残る為の強力な戦略である「多様性・個人差」が、全体像を掴む妨げにもなっている。(近年注目の遺伝子表現形が、安価・短時間・確実に判定できるようになれば道が開かれるかもしれないが。)

「人は必ずこの世を去る」
「自然科学としての現代医学が生命や病気について解明できているのはほんの僅かな部分でしかない。
「人の寿命を医師が覆すことは出来ない」

今、読み返してみて、この辺りの記述に納得を覚える。 
明らかな医療ミスがあった訳でもなく、自分が、また医師が、どこかで何かを間違えたから寿命が縮んだのではなく、これが主人の寿命だったのだ。 それどころか、発病以来16年間、本当によく頑張って生き延びて来てくれたのだ。 強い意志で病に立ち向かう一方で、柔らかな心持を保って「心で治す」を実践して来てくれた賜物だと思う。

科学と宗教についての思索も大変興味深いが、ここではその一部を抜粋・まとめて紹介する。

「人間は、事物現象のメカニズムは解明できても、それらの事物現象が存在する理由について解明することは難しい。 メカニズムが解明されればされるほど、全てが完璧に出来ていることを思い知り、その完璧さこそが人智を超えた『摂理=神』のわざ としか思えない。」

今、大きな哀しみの中にいる私が最も共感するのは、自身の幾度かの臨死体験やご両親が亡くなった時の体験等に基づく次のような言葉の数々だった。

「人は死なない。 肉体は消滅した後も魂は存在し続ける」
「人が持っている本来の能力は、我々の想像をはるかに超えたものである」
「他界した人はいつも自分を見守っていてくれ、いつの日にか再会できる」
「誰かが見ていてくれるという潜在意識が人の良心を保つ」
「足るを知り、必要以上に求めない」

これらの言葉は、主人が旅立ってから後、私を苦しめてきた様々な思い、

「あの時ああしていれば、こうしていれば助かったのではないか」
「私はどこで間違えてしまったのだろう?」
「もっと色んなことをしてあげたかった」
「もっとたくさんの言葉をかけたり貰ったりしたかった」
「なぜ、入院していたのに悪化してしまったのか」
「何一つ変わらない家の中で、主人の姿だけが見えず触れられず辛い」
「たった一人で日々を何の為に生きよと言うのか」

それらに答をみせてくれた。



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2010年08月04日

かなしみの ことり

 子供の頃に読んで聞かせて貰ったお話しというものは、幾つになっても心の中に住み着いていて、何かあると生き生きとした教訓として甦ってくる、母からの贈り物であり私の大切な宝物。

 どんなことがあって、ふいに甦ってきたのかは書きませんけれど、この機会に私の宝物のお話の一つを聞いて下さい。
 



   悲しみの小鳥 〜中国の諺より〜 
                    エリナー・ファージョン作
                    周郷 博 訳

 お金持ちのワンさんのお家に赤ちゃんが生まれました。 
リカちゃんという名前をつけました。 お祝いに来たお友達がみんな、
 「この子はきっと、誰よりも幸せになるよ。
  こんないよいお家にうまれたのだから。」
と、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて寝ているお母さんの所へ来て言いました。 けれども、お母さんはどんな人だって、何もかにも幸せなんていうことは無い、ということを知っていました。

 その晩、お母さんがウトウトしてベッドに寝ていると、悲しみの女神様と喜びの女神様とが、手に小鳥を乗せて入って来るのを見ました。 二人の女神様は、ベッドのそばに来て、赤ちゃんの頭に手を置いて、先ず、喜びの女神様が言いました。
 「悲しい時には、二つの手でパチパチと手を打つのよ」
 それから、悲しみの女神様が言いました。
 「嬉しい時は、静かに静かにしているのよ…」
 そう言って、二人の女神様は手に乗せて来た小鳥を放して部屋を出て行きました。

 リカちゃんは段々大きくなって、嬉しい日や悲しい日が、交じり合って続きました。 リカちゃんの頭の周りには、目に見えない悲しみの小鳥と喜びの小鳥が飛び回ります。 ある時には、悲しみの小鳥の羽の音が、また、別の時には、喜びの小鳥の羽の音が…。

 「おかあさん、私は本当に幸せですよ!」
と、リカちゃんは嬉しくてたまらないというふうに叫びました。 するとお母さんは、よく覚えていて、リカちゃんの頭に手を置いて、こういうのでした。
 「リカちゃん、幸せな時には、静かに静かにしているのよ。
  そうすれば、喜びの小鳥があなたの髪の毛の中に巣を作るからね」

 けれども、もしリカちゃんがおいおい泣いて、お母さんの所へかけて来て、
 「お母さん、私は悲しい!」
とでも言えば、お母さんは、
 「リカちゃん、手をパチパチと打ちなさい。 
  そうすれば悲しみの小鳥は飛んでいってしまうから。
  悲しみの小鳥があなたの髪の毛の間を飛ぶのをとめることは
  できないことだけれど、悲しみの小鳥が、そこへ巣を作らない
  ようにしましょうね。」
と、言ってあげるのでした。
                            (おしまい)


このお話しの元になった「中国の諺」って何でしょう?
少し探してみたのですが、そのものずばりはみつかりませんでした。

次のものは半分は近いのではと思います。


性躁心粗者 一事無成
心和気平者 百福自集 (菜根譚209)
 
ラベル:ファージョン
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2010年02月03日

節分・おにたの黒い豆

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 今年は炊き忘れてかなり賞味期限の切れてしまった黒豆を発見したので、気長に香ばしくなるまで煎って節分用の豆をこしらえました。
 
 黒い豆、普通の大豆よりかなり強そうです。
神棚にお供えしお多福さんのお力も添えて戴き、主人の帰りを待って一家揃った所で、元気に

 「ふくは〜うち〜ぃ! おには〜そと〜ぉ!」

の福招き鬼やらいを致しました。

 ぱらぱらと床に落ちる黒い豆を見ていたら、以前にもご紹介した絵本「おにたのぼうし」を思い出しました。 茶色い子鬼が、貧しく病気のお母さんの看病をしている女の子の為に、茶色い福豆に変身するお話。子鬼がよりによって鬼を追い払う為の豆なるんです。『いい鬼だっているのに』と心の中で寂しく呟きながら…。

 我が家は主に人間の中に住んでいる鬼にむかって豆をぶつけますので、ちょっとね、雪合戦並みに盛り上がりますよ、ふふふっ
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2006年11月03日

永沢光雄「最後の手紙」

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 私は作家・永沢光雄さんの業績を知りませんでした。 
漠然と将棋の人?などと誤解しつつ、産経新聞に連載されていた
「生老病死」という闘病生活を綴ったコラムに引き付けられ読み
続けておりました。

 4年前に下咽頭癌で声を失われ、そのストレスや鬱病、後遺症、
他の病状からくる猛烈な痛み吐き気などに苦しめられ、やがて
アルコール依存症に…。 そんな日々は、私は未読ですが、著書
「声をなくして」(晶文社 2005/05) にも詳しいようです。 

 時にいらいらするほどの甘えた姿、情けない己の有りようを、
こんなことまで書いてしまって良いものかと思う程、正直に書いて
おいでで、思わず引き込まれました。闘病中の人は、周りに心配を
掛けないように、また自分自身に弱さを見せないようにと、気持を
隠すことが多い中、このような記録は、私にとっても、非常に貴重
なものでした。

 その永沢光雄さんが、11月1日、1の3つ並ぶのこの日、不意に
逝ってしまわれました。 未だ47歳の若さでした。 
さぞ無念…そう思った私の安易な想像は、産経新聞の編集者に送ら
れた永沢さんからの「最後の手紙」で打ち消されました。
 
 哀悼の意を込めて、ここに転載致します。  合掌


 産経新聞文化部 桑原聡様

 毎週、私の汚い手書きの原稿を整理して下さって誠に有難う
ございます。感謝の念に堪えません。

 それにしてもつくづく思うのですが、なぜ街の人たちはあんなにも
元気なのでしょうか。かつかつと靴音を鳴らして歩き、地下鉄の階段
もすいすいと登る。病院の待合室の年配の女性たちだってそうです。
待ち時間など気にもせず、患者同士で大声で笑いながら会話に興じて
いる。一体、どこが病んでいるのでしょう。羨ましさを通り越して
嫉妬さえ覚えます。
 
 ところで今日の昼過ぎ、私は猛烈な吐き気に目を覚まされました。
少しでもその気持悪さを楽にできる格好はないかとベッドの上を転げ
回ったのですが、吐き気は増すばかりです。ああ、また腸閉塞かと
言う思いが頭をよぎりましたが、今までの経験からしてそこまでは
至っていないようです。胃薬を飲みましたが状況は変わりません。
これはもう力ずくで眠るに限る。私は今日の夜の分の睡眠薬を口に
放り込みました。

 けれども、昼間であった為か、もう長年愛飲している薬の効果が
なくなったのか、二時間で目を覚ましてしまいました。私は後者だ
と思います。
 けれども、わずか二時間でも眠ったおかげか、吐き気はなくなっ
ていました。私は安堵し、秋の夕暮れの光が入ってき始めた寝室の
天井を眺めました。そして、ふと気づいたのです。


 隣室に、『死』というものが潜んでいることに。 
しかし、私はその輪郭のはっきりとしない、ぼんやりとした『死』と
いうものに脅えることはありませんでした。むしろ慰められました。
これで、やっと楽になれると。


 私に自死するつもりはありませんし、多分しないでしょう。
けれども『死』が向こうからやってきたら甘んじて受けるつもりです。
これからやりたい仕事はいろいろありますが、仕方ありません。
ただ残した妻にいろいろな厄介を掛けることだけに罪悪感を覚えて
います。

 今週末、心臓の検査で大学病院へいきます。
死の影に慰められた人間が、生きる為にだるくて重い体を引き
ずって病院に行くのです。何と滑稽なことでしょう。

 だから人間は面白いのかもしれません。


 桑原さん、これからも私に限りがくるまで、なにとぞよろしくお願い
致します。

                                      永沢光雄

(平成18年(2006)11月3日 産経新聞1面 / 太文字変換は山桜による)



 彼をあの世に連れ去ったのは彼を苦しめた癌ではなく、アルコールに
よる肝機能障害だったそうです。そのような中でよく最後まで律儀に…。

 天寿を全うされて静かに旅立たれた白川先生とは対照的な、短くも
壮絶な人生。しかし共に、最後まで人に何かを伝えることに命を燃やし
続けた人生に頭を垂れます。

 永沢さん、ありがとうございました。
次はどんな人生でしょう。 楽しみですね。 献杯!



                       
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2006年10月30日

菊花の契り

 重陽の節供、菊花の日、というと思い出す物語があります。


   『菊花の契り』
           「雨月物語」より 作・上田秋成

 (あらすじ)

 「軽薄な人と結ぶことなかれ」

 父のこの遺言を胸に、大好きな学問に励みつつ、賢く芯の強い母と慎ましく暮らしていた左門は、ある日ひどい熱病に伏した武士・赤穴(あかな)宗右衛門の看病をすることになります。

 宗右衛門は、旅をしている間に主の城が敵の手に落ちてしまい、急いで駆けつけようとした途中で病に倒れてしまったのです。

 やがて二人はお互いの学問の深さ、信義の厚さに感じ入り、「兄弟の契り」を交わすまでになりますが、病が癒えたある日、宗右衛門は、どうしても城や仲間の様子を知りたい、九月九日の「菊花の日」までには必ず帰るからと固い約束を言い残して、旅立ちます。

 しかし、故郷で身を寄せた従兄弟は既に敵に服従しており、宗右衛門を座敷牢に閉じ込め降伏を強います。 降伏も逃亡することも出来ず、必ず帰ると約束した期日は迫ります。

 ついに宗右衛門は生身の体では叶わぬ遠来の距離を、魂となって飛んでいく決意をし、腹を十文字にかき切って、母と弟の待つ家へ亡霊の姿となって帰り着くのです…。


          *     *     *

 物語の成り行きを知っていても、何度読んでも涙します。 亡霊の身となり約束の日に戻れたものの、喜んで迎える弟・左門の差し出す杯を受けることができず、俯いたまま真実を打ち明ける兄・宗右衛門の姿に、胸が締め付けられます。

 自殺の理由は人それぞれありましょうが、約束を守る為に大切な命をかけた宗右衛門の姿を、命が軽んじられている風潮のある今の世を生きる若者は、一体どう受け止めるでしょうか。 機会をとらえて、一度聞いてみたいと思います。
 


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2006年05月16日

日本の神様の本

 『神話の世界って難しくて困っています。日本の神々の全体のイメージがつかめなくて悩んでいます。もし、オススメの本とかありましたら教えていただけるとうれしいです。』
とのakinoさんからのご要望にお応えしたく、本棚を探してみましたが、私は専門家でもなく読書範囲も狭く浅いので、この機会にこちらに集って下さる方々からのお薦め本、または、以下に掲げられた本はちょっと・・・というご意見等もお聞かせ願えれば、私も是非、参考にさせて戴きたいと思います。皆様、どうか宜しくお願い申し上げます。

 先ず、日本の神様の本といえば、何と言っても「古事記」だと思いますが、あふれるほどに登場される神様の名前を覚えていくだけでも降参してしまいそうになりますよね・・・(笑)
(追記:けれどもその神様のお名前は、神様のことを何よりも語るキーワードであり、とても意味深いものなので、段々と不思議に自然に頭に入ってくるものです。) 

 私は子供の頃に少年少女向けの全集の中ものを最初に読んだので、面白い物語として馴染み親しむことができました。
 (追記)
 少年少女世界の名作文学 第45巻 日本ー1 小学館
「古事記」 内田英雄/文 池田浩彰/挿絵

(その他「風土記」「日本霊異記」柴野民三/文・佐藤広喜/挿絵、
「竹取物語」佐伯千秋/文・玉井徳太郎/挿絵、
「今昔物語」「宇治拾遺物語」「十訓抄」「古今著聞集」倉島栄子/文・鈴木寿雄/挿絵、
「御伽草子」唐沢道隆/文・佐藤広喜/挿絵、
「平家物語」筒井敏雄/文・伊藤彦造/挿絵)
 
 このような子供向けの「古事記」などは図書館で探せば、今でもみつけることができると思います。

 最近復刊となった児童向け神話
 「日本の神話」松谷みよ子/文 司修/絵 のら書房
                              (初版は講談社)

 その前にもっと有名な神話のイメージを押さえておきたいのなら、(自分のイメージの世界を大事にしたい方は別ですが)、私は絵本もお薦めします。

 「日本の神話」 全六巻
        赤羽末吉/絵 舟崎克彦/文 あかね書房
より復刊
                              (初版はトモ企画)
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        第一巻 くにのはじまり
        第二巻 あまのいわと
        第三巻 やまたのおろち
        第四巻 いなばのしろうさぎ
        第五巻 すさのお と おおくにぬし
        第六巻 うみさちやまさち


  このシリーズは、作者による数度に渡る現地取材と念密な資料調査を元に描かれており、各巻についている赤羽・舟崎両氏による解説や裏話、参考文献などの資料的価値も高く、ただの子供向け絵本以上のものがあります。

 最近は有名作家による「古事記」の読みやすい現代語訳なども出ているようですが、訳書の個性が色濃いとか・・・? 私は未読なので、これに関しては何とも言えません。

 また分厚く重い本は、持ち歩きにも不便で(私は)段々読むのが億劫になってしまうので、文庫版を揃えました。

 「古事記」(上)(中)(下) 次田真幸 講談社学術文庫207〜209

  原文の読み下し文、一段ごとの現代語訳、脚注がついており、全体を通して読んだ後、時折興味のある一段を振り返るにも都合が良いです。

 先ず、古事記を通読しても良いですし、もう概ね全貌が掴めているのなら、合わせて日本書紀の大体同等にあたる記述と対照しながら読むのも面白いと思います。

 「日本書紀」(上)(下) 宇治谷孟 講談社学術文庫833、834 

 何しろ色々な解釈、学説がありますから、一度一つのものを読み終えてから、その内容に囚われ過ぎずに他のものも読み比べていくと良いのではないでしょうか。

 そして忘れてはならないのが、各地に伝わる「風土記」です。
本来はもっと多くの地方で編纂された筈ですが、今では、
 「出雲国風土記」がほぼ全て? 
 「常陸国風土記」「播磨国風土記」
 「肥前国風土記」「豊後国風土記」

部分的に欠かて残り、その他の風土記は、他の書物への引用からその存在が偲ばれるのみだそうです。国の権力者の都合に合わせた側面も感じられる記紀に対して、民の生活に根ざした土地の神様のお話は、これらの「風土記」により色濃く残っていると思います。

 また、もっと個々の神様について知りたい、お祭りする神社を知りたい、神々の系譜についても知りたいと言う時には、こちらもソフトカバーで読みやすいです。

 学研エソテリカ事典シリーズA
 「日本の神々の事典」神道祭祀と八百万の神々
           薗田稔(京都大学教授)、
           茂木栄(国学院大学教授)/監修


>akinoさん
お返事が遅くなった上に、力不足でこんな簡単なご紹介しか出来ず
申し訳ありません。皆様方のご支援に期待しております。<( _ _ )>
 


 
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2006年02月03日

「おにたのぼうし」

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文・あまん きみこ  絵・いわさき ちひろ  (ポプラ社)

 節分が来ると、この絵本を思い出す。

 「おにた」は、まことくんの家の物置の天井裏に住んでいて、まことくんが
失くしたビー玉をこっそりみつけてあげたり、雨降りに洗濯物を取り込んで
あげたり、お父さんの靴をピカピカに磨いてあげたり、人に隠れて良い行いを
する黒鬼の子供。

 しかし、いくら良い鬼でも鬼であるため、節分に豆をまかれるとそこに居ることは
できず、冷たい雪に裸足をとられながら、鬼の目を刺すヒイラギを飾っていない
家を探していると、ヒイラギも無く豆のにおいもしない一軒の家をみつける。

 そこは病気のお母さんとその看病をする小さな女の子の家。 
おにたは、女の子が母親を安心させる為に、
 「(近所の人に)節分のごちそうを分けて貰った」
と嘘をつくのを聞き、一生懸命駆け回って温かい料理を揃えてやる。
嘘が本当になって、女の子は驚き嬉しそうに笑顔をみせるが…

 ふと、母親の病を治す為、鬼を退治する豆まきをしたいと言いだす…


  おにたは てを だらんとさげて
  ふるふるっと かなしそうに 
  みぶるいして いいました。
  「おにだって、いろいろあるのに。 おにだって…。」

  こおりが とけたように、きゅうに おにたが いなくなりました。



 後に残ったものは頭の角をかくしていた麦藁帽子とまだあたたかい黒い豆…。
女の子はその豆を麦藁帽子の中に拾い集め、母親を起こさないようにそっと豆を
まきます。


  (さっきのこは、きっと神さまだわ。そうよ、神さまよ…)
 
  ぱら ぱら ぱら 
  ぱら ぱら ぱら

  とても しずかな まめまきでした。


 
 幼い頃この本をを読んでやってから、娘は今までのような豆まきを
喜ばなくなった。 仕方がないので、我が家では、

 「悪い鬼はーそとぉ! いい鬼と福はうちぃー!」

と叫んでいる。
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2005年12月07日

「モミの木」

 mominoki.jpg siawasenamominoki.jpg chisanamominoki.jpg               左:「モミの木」アンデルセン原作、バーナデット絵、ささきたづこ訳 西村書店
中:「しあわせなモミの木」ゾロトウ文、ロビンス絵、みらいなな訳  童話屋
右:「ちいさなもみのき」M.W.ブラウン作 クーニー絵、かみじょうゆみこ訳 福音館
 
 子供の頃、花屋さんの店頭に並ぶ本物のモミの木が欲しかった。
根巻になっていたり鉢植えになっていたりしているので、クリスマスが終わっても
ずっと家にモミの木があるなんてワクワクするし、来年もまた飾れるし・・・。
しかし、記憶のある限り本物を買って貰えたことは無かった。

 大人になり、他所の家でクリスマスのモミの木が驚くほど育ち大木になり
あまり広くない庭を圧迫している様子を見て、両親が頑なに拒否した訳に納得した。
一時流行ったゴールドクレスト等のコニファー類も、今や多くが厄介な大きさだ。

 それはともかく、当時日本でモミの木と言えば「根付き」が普通だった。
木は大切に育てられ、大きくなって困るといって捨てられたり切り倒されたり
したのを見たことは無かった。

 それだけに、アンデルセンの「モミの木」を読んだ時は幼心に衝撃だった。

 小さなモミの木は、大きくなったモミの木がクリスマスの頃になると人間の家々に
連れて行かれるのを羨ましく思っていた。鳥や動物達が、お日様の下の今の幸せ
忘れないようにと言っても、いつか自分にもその順番が来るのを夢みていた。

 やがてその日がやってくるが、なんとモミの木は根元から切られてしまうのだ!
信じられなかった・・・あの夢のような外国のクリスマスのモミの木が、バッサリと
伐採された根無し木だったなんて・・・。

 そうしてクリスマスまでの輝かしい日々、とりどりに飾られたモミの木は幸せの
絶頂にいたが、クリスマスが終われば外に放り出され、誰からも顧みられることも
なく果てていく。 山での幸せを思い出しながら・・・。

 アンデルセンの童話は、「人魚姫」「親指姫」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」
・・・みなどこかに悲哀を含んでいる。アンデルセンの不遇な人生が反映されているとも
言われるが、今でも多くの子供達はこの悲しみを内に抱いたお話が好きだ。
 「哀しいお話を読んで。 涙が出るとすっきりするの。」
おはなし会の時に、そんなことを言う子もいる。

(アンデルセン原作でもD社等によってアニメ化されたものは、ハッピーなお話に
 改変されていることが多い。子供をなめてもらっちゃ困る。「フランダースの犬」や
 「家なき子(母をたずねて3千里)」など、今も多くの人の心に残る名作アニメも、
 胸が締め付けられるような哀しみあればこそだ。)


 子供は子供なりに辛いこと泣きたいことも多いのだろう。
しかし、自由に自分の気持ちを表すことが出来ない子供には代替発露の場が必要だ。
なにはともあれ、泣いてしまえばすっきりすることは、大人でも良くあることだ。
また、他人の悲しみに同調することで、人への思いやりの心が育つこともあろう。

 楽しく愉快なファンタジーも良いが、今や古典的ともなったアンデルセンの世界も
忘れられることなく(改変されることなく)、受け継がれていって欲しい。


上掲の絵本は、左がアンデルセンの「モミの木」を原作とした絵本。
 
中は、都会の変わり者と見られていたおじいさんが、捨てられる寸前のモミの木を
大切に育て、やがてその愛に鳥や子供達が自然に吸い寄せられていくお話。

右は、ちいさなもみの木はクリスマスに毎年掘り出され(切られなくて良かった!)
小さな男の子に会えるのを楽しみにしていた。月日は流れある年の冬、いくら
待ってもお迎えが来ない・・・さて何が起きたのか?
posted by 山桜 at 14:20| 東京 ☀| Comment(8) | TrackBack(1) | 本・絵本・物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月04日

コミック・バトン

やゆよんから、コミック・バトンがタッチされました。
こんなのが流行っているんですね。知らなかった・・・
不○の手紙の類と違うのは、回さないと云々という脅しが付いてない所。
以下の質問に答えて、またバトンを誰かに(渡せたら)渡すのかな?
渡せる相手がいない場合はどうするんだろう? 何人に渡すとかあるのかな?

1.本棚に入っている漫画単行本の冊数
 
 約・・・ざっと500冊位。数えるのメンド臭くなって挫折 

2.今面白い漫画

 PLUTO 浦沢直樹X手塚治:作

  
3.最後に買った漫画
 
 同上

4.よく読む、または特別な思い入れのある漫画

 ポーの一族     萩尾 望都:作
 綿の国星シリーズ  大島 弓子:作
 日出処の天子    山岸 涼子:作
 コジコジ      さくら ももこ:作

 ・・・好みが滅茶苦茶ですね・・・orz
posted by 山桜 at 01:55| Comment(6) | TrackBack(0) | 本・絵本・物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする