
ご訪問& ↑ ポチッと応援、ありがとうございます
都幾川巨樹めぐり(1)では、児持杉中心に書きましたので、こちらでは日吉神社について記しておきます。依って、上から歩いて来た順路ではなく、第1鳥居から社殿に向かって上っていくように再構成しようと思っていますが、記憶が曖昧なので間違っていたらごめんなさい(。。;)
萩日吉神社
萩日吉神社の由来
「平の山王様」「萩の山王様」と親しまれるこの萩日吉神社は、社伝によると欽明天皇六年(544)12月に蘇我稲目により創建されたと伝えられます。当初は、萩明神と称されましたが、平安時代初期に慈光寺一山鎮護のため、近江国(現滋賀県)比叡山麓にある坂本の日吉大社を勧請合祀して、萩日吉山王宮に改称したといわれています。源頼朝は文治五年(1189)6月、奥州の藤原泰衡追討に際し、慈光寺に戦勝祈願しその宿願成就の後、慈光寺へ田畑千二百町歩を寄進しましたが、同時に当社へも御台北条政子の名により田畑一町七畝を寄進しています。以後社殿の造営が行われて別格の社となり、元禄十年(1697)以降は牧野家の崇敬が厚く、『風土記稿』には「山王社 村の鎮守なり」と記されています。明治元年(1868)の神仏分離令により、現在の神社名「萩日吉神社」となりました。
当社の本殿は、村内神社の中では最大規模であり、堂々とした荘厳な建物です。そのほか境内には境内社の八坂神社や神楽殿などがありますが、これらの建物を包み込むように広がる社叢は、平成三年三月に県指定天然記念物に指定されています。神社入口には御神木の児持杉もあり、この杉に祈願すれば子どもが授かるといわれ、近郷近在の人々より厚く信仰されています。また、当社の使いである猿にちなみ、戦前まで流鏑馬祭りの日に「納め猿」という木彫りの猿像を神社の参道で売っていましたが、この納め猿とともに渡す縫い針も病気の治癒に効能ありと言われていました。現在、一月の例大祭の日に本殿において「納め猿」のみが有償で求められます。(都幾川村教育委員会掲示より)
日吉神社は、日枝神社とも記し「ひえじんじゃ」と呼ぶのが古来と思うのですが、「ひよしじんじゃ」とも読まれて来ていますね。ひえ神社と読むと「えっ?」と怪訝な顔をされるので、余り声に出して言わないようにしています。別に正しく読めば良いのですけど・・・。
一の鳥居
鳥居後の「児持杉」 都幾川巨樹めぐり(1)に別記あり
いろは石段について
どちらの階段が「いろは石段」だったのか?
いろはの文字は確認できませんでした。
二の鳥居
二の鳥居奥の階段
平 忠魂社
手水舎
眷属のお猿さん
猿と呼ばれた秀吉の幼名は日吉丸でしたね。元々お猿に縁があったのでしょうか。
御社殿
ご社殿右奥のご神木
ご神木のうねる太い根
ご社殿とご神木と御井社
御井社 ご神水が湧き出ています
神楽殿 神寂て霊気を感じる風情
神楽殿内部
ご社殿越しのご神木
八坂神社
摂社・末社
キツツキ?の開けた穴だらけの戸板
日吉神社のお祭について

↑ ポチッとして下さると、ランキングにカウントされます。
応援ありがとうございます
ブログ村 自然観察 PVランキング
<スマホの方は「PC版」選択で、PC版デザインでご覧頂けます。>
【神社・仏閣の最新記事】
- 都幾川 巨樹巡り(8)慈光寺 タラヨウ
- 都幾川 巨樹めぐり(7)椚平稲荷神社
- 新河岸〜小江戸・川越(11)南院遺跡/あんたがたどこさの謎
- 新河岸〜小江戸・川越(9)中院・星野山 無量寿寺@
- 新河岸〜小江戸・川越(8)緇川山浄楽院 光西寺
- 新河岸〜小江戸・川越(7)仙波氷川神社古墳(仙波古墳群)
- 新河岸〜小江戸・川越(6)仙波愛宕神社古墳(仙波古墳群・父塚)
- 新河岸〜小江戸・川越(3)下新河岸 日枝神社
- 新河岸〜小江戸・川越(1)新河岸駅〜砂氷川神社
- 浅草七福神めぐり(21終)「午年」に矢先稲荷神社の天井絵「馬」
- 浅草七福神めぐり(19)矢先稲荷神社(福禄寿)
- 浅草七福神めぐり(18)鷲神社(寿老人)
- 浅草七福神めぐり(17)吉原弁財天本宮
- 浅草七福神めぐり(16)吉原神社・九郎助稲荷他(弁財天)
- 浅草七福神めぐり(12)お化け地蔵(七福神外)
- 浅草七福神めぐり(11)平賀源内 墓所(七福神外)
- 浅草七福神めぐり(10)石浜神社(寿老神)
- 浅草七福神めぐり(9)橋場不動尊(布袋尊)
- 浅草・七福神めぐり(0)
- 浅草七福神めぐり(7)今戸神社(福禄寿)


