2026年04月12日

都幾川 巨樹巡り(8)慈光寺 タラヨウ

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2026.03.14 埼玉森林インストラクター会 自然観察会

都幾川 巨樹めぐりの最後は「慈光寺」のタラヨウです。

P3140587 都幾川 慈光寺案内図m.JPG

慈光寺は、飛鳥時代、天武天皇の2年(673年)僧慈訓が当山に登り慈光老翁の委嘱を受け、千手観音堂を建て観音霊場として開基。
その頃、役小角が伊豆の国に配流となり、関東を歴遊して当山に至り、西蔵坊を設け修験道場となる。
奈良時代、唐より来朝の鑑真和上の高弟、釈 道忠により「慈光寺」として創建と伝わる古刹。
源頼朝などの信仰あつく、奉納された国宝「慈光寺経」等の宝物が保存されています。

慈光寺HPより

P3140588 都幾川 慈光寺m.JPG

都幾川 慈光寺 門m.JPG

P3140589 都幾川 慈光寺 扁額m.JPG

P3140590 都幾川 慈光寺 扁額m.JPG

潜ってきた門
P3140597 都幾川 慈光寺 門m.JPG

P3140601 都幾川 慈光寺m.JPG

タラヨウ 多羅葉 モチノキ科モチノキ属
P3140596 都幾川 慈光寺 タラヨウm.JPG
タラヨウの名は、インドで仏教の経文を書くのに使われた貝葉(紙の様に文字を書くのに用いられたヤシ科のタラジュなどの葉を加工したもの)同様に使われることからとの説あり。

P3140592 都幾川 慈光寺 タラヨウm.JPG

P3140598  都幾川 慈光寺 タラヨウm.JPG

タラヨウ(多羅葉)は、葉を傷つけると黒く変色し文字などが書けることから「葉書」の語源とされ、また「郵便の木」として郵便局の傍に植えられていることもあります。

時の鐘
P3140595 都幾川 慈光寺 時の鐘m.JPG

古色を帯びた石仏たち
P3140594 都幾川 慈光寺 石仏m.JPG

P3140593 都幾川 慈光寺 石仏m.JPG

P3140599 都幾川 慈光寺 石仏m.JPG

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2026年04月11日

都幾川 巨樹めぐり(7)椚平稲荷神社

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2026.03.14 埼玉森林インストラクター会 自然観察会

向尾根の山桜と愛宕神社の近くの明るく開けたところに椚平の稲荷神社がご鎮座。

灯篭・石塔
P3140574  都幾川 椚平 稲荷神社s.JPG P3140573 都幾川 椚平 稲荷神社m.JPG

眷属の狐さんたち
P3140577 都幾川 椚平 稲荷神社 狐さんs.JPG P3140579 都幾川 椚平 稲荷神社 狐さんs.JPG

ご社殿
P3140578 都幾川 椚平 稲荷神社 社殿m.JPG

奉納された繭
P3140576 都幾川 椚平 稲荷神社 奉納繭m.JPG

奉納された弓矢
P3140580 都幾川 椚平 稲荷神社 奉納弓矢m.JPG
弓矢の下に並んでいる穴のあいた丸いものは何なのでしょう? 詳しい方、ご教示願えれば幸いです。

椚=苦抜の力石
P3140582 都幾川 椚平 稲荷神社 力石m.JPG
森林施業の力自慢が挑戦中

筆者・山桜にとって大変ご縁のある茨城県の磯に鳥居が立つことで有名な神社さんがなぜ此処に!?
P3140583 都幾川 椚平 稲荷神社 大洗磯前神社m.JPG

椚平稲荷神社縁起
P3140575 都幾川 椚平 稲荷神社 縁起m.JPG

椚平稲荷神社 お祭りの案内
P3140566 都幾川 椚平 稲荷神社まつり案内m.JPG

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2026年04月01日

都幾川 巨樹めぐり(2)萩日吉神社

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都幾川巨樹めぐり(1)では、児持杉中心に書きましたので、こちらでは日吉神社について記しておきます。依って、上から歩いて来た順路ではなく、第1鳥居から社殿に向かって上っていくように再構成しようと思っていますが、記憶が曖昧なので間違っていたらごめんなさい(。。;)

萩日吉神社
P3140500 都幾川 萩日吉神社 由来m.JPG

萩日吉神社の由来

「平の山王様」「萩の山王様」と親しまれるこの萩日吉神社は、社伝によると欽明天皇六年(544)12月に蘇我稲目により創建されたと伝えられます。当初は、萩明神と称されましたが、平安時代初期に慈光寺一山鎮護のため、近江国(現滋賀県)比叡山麓にある坂本の日吉大社を勧請合祀して、萩日吉山王宮に改称したといわれています。源頼朝は文治五年(1189)6月、奥州の藤原泰衡追討に際し、慈光寺に戦勝祈願しその宿願成就の後、慈光寺へ田畑千二百町歩を寄進しましたが、同時に当社へも御台北条政子の名により田畑一町七畝を寄進しています。以後社殿の造営が行われて別格の社となり、元禄十年(1697)以降は牧野家の崇敬が厚く、『風土記稿』には「山王社 村の鎮守なり」と記されています。明治元年(1868)の神仏分離令により、現在の神社名「萩日吉神社」となりました。

当社の本殿は、村内神社の中では最大規模であり、堂々とした荘厳な建物です。そのほか境内には境内社の八坂神社や神楽殿などがありますが、これらの建物を包み込むように広がる社叢は、平成三年三月に県指定天然記念物に指定されています。神社入口には御神木の児持杉もあり、この杉に祈願すれば子どもが授かるといわれ、近郷近在の人々より厚く信仰されています。また、当社の使いである猿にちなみ、戦前まで流鏑馬祭りの日に「納め猿」という木彫りの猿像を神社の参道で売っていましたが、この納め猿とともに渡す縫い針も病気の治癒に効能ありと言われていました。現在、一月の例大祭の日に本殿において「納め猿」のみが有償で求められます。(都幾川村教育委員会掲示より)

日吉神社は、日枝神社とも記し「ひえじんじゃ」と呼ぶのが古来と思うのですが、「ひよしじんじゃ」とも読まれて来ていますね。ひえ神社と読むと「えっ?」と怪訝な顔をされるので、余り声に出して言わないようにしています。別に正しく読めば良いのですけど・・・。

一の鳥居
P3140509 都幾川 萩日吉神社 子持杉m.JPG

鳥居後の「児持杉」 都幾川巨樹めぐり(1)に別記あり
P3140508 都幾川 萩日吉神社 子持杉m.JPG

いろは石段について
P3140510 都幾川 萩日吉神社 イロハ48石段m.JPG

どちらの階段が「いろは石段」だったのか?
P3140499 都幾川 萩日吉神社m.JPG
いろはの文字は確認できませんでした。

二の鳥居
P3140511 都幾川 萩日吉神社m.JPG

P3140497 都幾川 萩日吉神社m.JPG

二の鳥居奥の階段
P3140496 都幾川 萩日吉神社m.JPG

平 忠魂社
P3140512 萩日吉神社 平忠魂社m.JPG

手水舎
P3140513 萩日吉神社 手水舎m.JPG

眷属のお猿さん
P3140514 萩日吉神社 狛猿?m.JPG
猿と呼ばれた秀吉の幼名は日吉丸でしたね。元々お猿に縁があったのでしょうか。

P3140515 萩日吉神社 狛猿?m.JPG

御社殿
P3140516 萩日吉神社 社殿m.JPG

ご社殿右奥のご神木
P3140519 萩日吉神社 社殿右奥のご神木m.JPG

ご神木のうねる太い根
P3140520 萩日吉神社 ご神木の根m.JPG

ご社殿とご神木と御井社
P3140523 萩日吉神社 社殿右奥のご神木m.JPG

御井社 ご神水が湧き出ています
P3140521 萩日吉神社 御井社 ご神水m.JPG

神楽殿 神寂て霊気を感じる風情
P3140517 萩日吉神社 神楽殿m.JPG

神楽殿内部
P3140524 萩日吉神社 神楽殿m.JPG

ご社殿越しのご神木
P3140526 萩日吉神社 社殿とご神木m.JPG

八坂神社
P3140525 萩日吉神社 神楽殿m.JPG

摂社・末社
P3140522 萩日吉神社 摂社末社m.JPG

キツツキ?の開けた穴だらけの戸板
P3140528 都幾川 萩日吉神社 穴あき戸板m.JPG

日吉神社のお祭について
P3140527 萩日吉神社 祭についてml.JPG

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2026年02月08日

新河岸〜小江戸・川越(11)南院遺跡/あんたがたどこさの謎

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2026.01.28 + 2023.02.22 低山はいかい倶楽部
「新河岸川から 小江戸・川越、蔵造りの町を歩く」

【コース】新河岸駅〜砂氷川神社〜新河岸川河岸場跡〜伊勢安〜下新河岸日枝神社〜仙波河岸史跡公園〜愛宕神社(仙波古墳群)〜仙波氷川神社(仙波古墳群)〜中院〜仙波東照宮〜喜多院(昼食)〜富士見櫓跡〜三芳野神社〜川越城本丸御殿〜川越氷川神社〜川越城中ノ門堀跡〜時の鐘〜蔵造りの町(大沢家住宅など)〜菓子屋横丁〜熊野神社

「南院(多聞院)はどこ?」
と思ったら、中院をでて直ぐ右手、高校の敷地の角に「遺跡」として存在していました。

遺跡・・・というには、余りにも雑然と並んでいて茫然と立ち止まりました。明らかに墓石と思われるものも多数ですが、その地中にその方が葬られているとは思えません。一体何があったのでしょう・・・。

川越喜多院 仏蔵院 (北院)、無量寿寺 仏地院 (中院)、多聞院(南院) として栄えたものの、南院は明治の廃仏毀釈の折、理由は分かりませんが廃寺となったのだそうです。何があったのか気になりますが、ネット上では何も出てきません。また川越に行けたら調べてみたいです。

南院遺跡
P1280795 川越 南院遺跡m.JPG

P1280796 川越 南院遺跡m.JPG

P1280797 川越 南院遺跡m.JPG
手彫りに土地の方?のこの遺跡への思いが籠もっているようです。何故、南院だけがこんな扱いを受けているのでしょう。後ろ盾を欠いていたのか、何か障りのあることに触れてしまったのでしょうか・・・。

その上に掲げられている新聞記事には、あの有名な

♪あんたがたどこさ 肥後さ 
 肥後どこさ 熊本さ
 熊本どこさ 仙波さ
 仙波山には狸がおってさ
 それを猟師が鉄砲で撃ってさ
 煮てさ 焼いてさ 喰ってさ
 それを木の葉でおっかぶせ 

の「仙波」は、川越日枝神社の古墳の辺りだという記載が・・・え、どういうことさ!?

諸説あるのですが、私がありそう!と思った説をざっとかいつまんで書きますと、

@これは複数人間の問答歌。
A「〜さ」は、関東の方言。
B関東で仙波山があるのは川越だけ。
C川越には東照宮があり、家康が祀られている。
 
 問「あなたたちはどこから来たの?」
 答「肥後からだよ」
 問「肥後のどこから?」
 答「熊本だよ」
 問「熊本のどこから?」
 答「船場だよ」
 ・・・ここで問者が唐突に語り出す
  「せんばと言えば(川越の)仙波山には狸(家康=江戸幕府)がいてね」
  「それを猟師(倒幕派)が鉄砲で撃ってさ」
  「メチャクチャにしてさ」
  「何事もなかったように隠したよ」

熊本から来た兵隊さんたちに川越の子供達が質問していて、不意に出てきた「せんば」というキーワードから地元の話が倒幕にまで展開したという訳です。なかなか面白い説でしょう?

これを踏まえて毬つきをすると「せんば」で閃いた瞬間、
「仙波山には!」
の処で一際毬をつく手が強くなりそう(笑)

関東では維新倒幕派を良く思わなかった人々も多かったでしょうし、南院をこの様に蔑ろにされた気持も密かに毬突き歌に込めて、鬱憤を込めていたのかもしれません。

熊本の方、ごめんなさい(。。;)
何だか「ばけばけ」での熊本の扱いも酷くて悲しかったです。
嘉納治五郎さんもスルーされてましたし・・・。
私は、熊本も熊本の人も大好きですよ〜!

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2026年02月06日

新河岸〜小江戸・川越(9)中院・星野山 無量寿寺@

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2026.01.28 + 2023.02.22 低山はいかい倶楽部
「新河岸川から 小江戸・川越、蔵造りの町を歩く」

【コース】新河岸駅〜砂氷川神社〜新河岸川河岸場跡〜伊勢安〜下新河岸日枝神社〜仙波河岸史跡公園〜愛宕神社(仙波古墳群)〜仙波氷川神社(仙波古墳群)〜中院〜仙波東照宮〜喜多院(昼食)〜富士見櫓跡〜三芳野神社〜川越城本丸御殿〜川越氷川神社〜川越城中ノ門堀跡〜時の鐘〜蔵造りの町(大沢家住宅など)〜菓子屋横丁〜熊野神社

光西寺の直ぐ先のが中院こと星野山無量寿寺です。

中院(なかいん) 星野山無量寿寺 天台宗 別格本山

鐘楼門 2023.02.22
P2223188 川越 中院 鐘楼門m.JPG
お天気が良いと、この様に明るい雰囲気なのですが

2026.01.28
P1280769 川越 中院 鐘楼門m.JPG
今年は少し曇ってきて厳かな雰囲気に。

2026.01.28
P1280770 川越 中院 鐘楼門m.JPG
少し緊張してくぐりながら・・・

くぐるときに見上げた鐘楼の下の部分
P1280771 川越 中院 鐘楼門m.JPG
鐘の真下に穴が空いていて鐘が見えました。音響効果の為でしょうか。

鐘楼門から入って正面は釈迦堂、その右脇に狭山茶発祥ノ地の石碑があります。

狭山茶発祥之地の石碑
P2223189 川越 中院 狭山茶発祥の地石碑m.JPG

P1280773 川越 中院 狭山茶発祥の地石碑m.JPG

河越茶・狭山茶 起源の由来碑
P1280775 川越 中院 狭山茶起源の由来碑m.JPG

中院は「河越茶・狭山茶発祥の地」としても知られています。元は「河越茶」と呼ばれていましたが、江戸時代に栽培域が広がり「狭山茶」と呼ばれる様になったそうです。

慈覚大師円仁和尚が、当山開山の時、京より茶の実を携え境内に薬用として茶を栽培したのが始まり。川越藩所縁の遠州茶道宗家家元の献茶式も行われています。

不染亭
P1280784 川越 中院 不染亭m.JPG
島崎藤村が奥さま静子さんのご母堂でお茶の師匠でもあった加藤みきさん(お茶名・不染)に贈呈したお茶室。
当初は川越市新富町にありましたが、マンション建築の折、長谷工や表千家会員などの尽力で当院に移設されたとのこと。

桜の頃には、1週間限定で非公開の「不染亭」でのSakura cafe が開かれるそうです。その他、お茶会やお茶の教室も開かれています。
加藤みきさんの墓所も中院にあり、藤村は度々お参りに訪れていたとのこと。

島崎藤村と言えば、以前、大磯を訪ねたとき、ご夫妻の墓所にお参りしたのを思い出しました。

島崎藤村ご夫妻の墓所 大磯 地福寺 2018.03.01
P2281192 (440x330).jpg
新しく改修されたばかりの様子でした。

島崎藤村記念碑
P1280787 川越 中院 藤村記念碑m.JPG

中院 縁起
P1280787 川越 中院 縁起m.JPG
藤村記念碑の横の立て札

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2026年02月05日

新河岸〜小江戸・川越(8)緇川山浄楽院 光西寺

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2026.01.28 + 2023.02.22 低山はいかい倶楽部
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仙波氷川神社を後にし、暫く住宅地を北へ進むと仙波会館を右手に見る交差点、喜多院入口の交差点を過ぎ、川越第一中学校の先に「光西寺」山門に目が留まりました。

さっと拝見出来ただけなのですが、見事な彫刻・・・もう少し足を留めていたかった。

緇川(くろかわ)山 浄楽院 光西寺 山門
P1280767 川越 光西寺m.JPG
「緇川山」写真には写っていませんが、山門の扁額にそうありました。さて、何と読む?  Wikiには「くろかわ」と載っていましたが、お寺の場合、大体音読みが多いのでどうなのでしょう・・・お寺の公式HPにも載っていないのですよ。あまり信者さん以外への広報には力を入れていない雰囲気でしょうか。観光から距離を置き、そっとしておいて欲しいのかもしれません。

P1280767 川越 光西寺m.JPG
寺紋の五七の桐、浄土宗本願寺派の下り藤紋

 開山:永禄九年(1566) 恵誓法師により開山
 宗派:浄土真宗本願寺派
ご本尊:阿弥陀如来

元は石見国浜田(現 島根県浜田市)に建立。江戸時代に入ってからは浜田藩の藩士たちの菩提寺となる。

処が天保七年(1836) 竹島を経由して外国と交易(密輸)していたことが密偵 間宮林蔵により露見、改易の危機となったものの、松平家ということで重臣の切腹と船頭の処分で済みつつ、陸奥国棚倉藩に転封され、当寺も棚倉に移転。

慶応二年(1866)幕府は維新の危機に際し、棚倉藩主 松平周防守康英の英明と外交的手腕を重視し、老中職に任じ川越城主に転封、国内国外の重要政務の責任者とした。それに伴いまた当寺も川越へ移転。千寿院に間借りしていたが直後に版籍奉還・廃藩置県が行われ、新たに独立して寺や建物を建設できなくなり、大正末に漸く現地にて小堂を再建、山門も建て現在に至る。

藩主の移転に伴い転地を繰り返したことから、「士族寺」「お供寺」とも呼ばれる・・・。

ちょっと目に留まった山門から、思わぬエピソードを知ることが出来ました。これも何かのご縁でしょう。

さて、竹島、鬱陵島、松島・・・この名称の正確さに於いて、私如きが書き写してどこか間違えるといけませんので、外務省の見解をご覧下さい。

外務省 日本の領土をめぐる情勢「竹島」

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2026年02月04日

新河岸〜小江戸・川越(7)仙波氷川神社古墳(仙波古墳群)

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2026.01.28 + 2023.02.22 低山はいかい倶楽部
「新河岸川から 小江戸・川越、蔵造りの町を歩く」

【コース】新河岸駅〜砂氷川神社〜新河岸川河岸場跡〜伊勢安〜下新河岸日枝神社〜仙波河岸史跡公園〜愛宕神社(仙波古墳群)〜仙波氷川神社(仙波古墳群)〜中院〜仙波東照宮〜喜多院(昼食)〜富士見櫓跡〜三芳野神社〜川越城本丸御殿〜川越氷川神社〜川越城中ノ門堀跡〜時の鐘〜蔵造りの町(大沢家住宅など)〜菓子屋横丁〜熊野神社

仙波氷川神社 鳥居から
P1280762 川越 仙波氷川神社 鳥居からm.JPG

P1280761 川越 仙波氷川神社 鳥居前m.JPG

P1280759 川越 仙波氷川神社 社殿m.JPG

P1280764 川越 仙波氷川神社 社殿m.JPG

仙波氷川神社古墳
P1280766 川越 仙波氷川神社 古墳m.JPG
直径約15mの円墳。墳頂には石灯籠が建っていました。

P1280758 川越 仙波氷川神社古墳m.JPG

P2223185 川越 仙波氷川神社 古墳m.JPG

円墳の反対側から・・・
P2223186 川越 仙波氷川神社m.JPG
合成したように見える?不思議な雰囲気の写真

仙波二郎安家の山車蔵
P1280763 川越 仙波氷川神社m.JPG

仙波氷川神社 ご由緒 ボケてましたので下に書き出します。
P1280765 川越 仙波氷川神社 由緒ml.JPG

仙波氷川神社 由緒

鎮座地 川越市仙波町4丁目19-1

御祭神 須佐之男命 すさのおのみこと
    倉稲魂命  うかのみたまのみこと
    市杵島姫命 いちきしまひめのみこと

当社の起源は古く、平安時代中期にまでさかのぼる。社伝によれば、後三条天皇の御代の延久元年 ( 1069 )、当地の武士仙波氏の創建とされ、代々にわたり、同氏の篤い崇敬を受けた。

仙波氏は、中世に盛んになった武蔵武士団の一つで、桓武平氏を租とする村山氏から分かれ、この仙波の地を本拠としていた。長徳寺はその居館跡ともいわれ、現在の高階、牛子、福岡、大井方面にまでわてる広い地域を領有していたとみられる。

仙波氏初代家信の子、平太郎信平、次郎安家、三郎家行は、いずれも鎌倉幕府方の武士として武功があった。二郎安家は、建久元年 ( 1190 ) 源頼朝が大軍を率いて入洛した際に都入りし、三郎家行は、その後の承久の乱 ( 1221 ) に際して、都まで攻め上った。仙波氏は室町時代末頃まで勢力を保持していたと思われる、

江戸幕府が開かれると、開府に腑かい関わりのあった仙波の地は、ほぼ全域が喜多院・東照宮に木親され、幕府直轄の天領とされた。徳川家康公以来の将軍家ゆかりの故地として尊重され、幕末に至るまで歴代将軍の格別の配慮に預かった。

明治に入っても、当社は仙波の鎮守と仰がれ、明治十九年(1886)には、字氷川脇の稲荷神社・八坂神社、及び扇河岸の厳島神社が合祀されて、坤為地に至っている。

近隣に鎮座する仙波浅間神社・仙波愛宕神社(富士見町)も古い神社であり、当社と合わせて「仙波三社」として、地域の人々の篤い尊崇を受けている。

御祭神須佐之男命は、天照大御神の弟神。神性勇猛の大神で、罪穢れや災厄を払い清める「救いの神」として、また、殖産業の守護、家内安全・夫婦円満に霊験ある「恵みの神」として、全国の神社に祀られてる。

倉稲魂命は、合祀社稲荷神社の御祭神。稲をはじめ護国法帖を守護される神として、広く尊崇されている。

市杵島姫命は、合祀社厳島神社の御祭神。須佐之男命の娘の神。公開安全・水運守護に霊験あり、導きの神、開運の神として尊崇されている。

奉納 平成二十八年十二月吉日 山田範男


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2026年02月03日

新河岸〜小江戸・川越(6)仙波愛宕神社古墳(仙波古墳群・父塚)

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2026.01.28 + 2023.02.22 低山はいかい倶楽部
「新河岸川から 小江戸・川越、蔵造りの町を歩く」

【コース】新河岸駅〜砂氷川神社〜新河岸川河岸場跡〜伊勢安〜下新河岸日枝神社〜仙波河岸史跡公園〜愛宕神社(仙波古墳群)〜仙波氷川神社(仙波古墳群)〜中院〜仙波東照宮〜喜多院(昼食)〜富士見櫓跡〜三芳野神社〜川越城本丸御殿〜川越氷川神社〜川越城中ノ門堀跡〜時の鐘〜蔵造りの町(大沢家住宅など)〜菓子屋横丁〜熊野神社

仙波河岸史跡公園の端に東屋とお手洗いのある休憩エリアあり、そこから見上げるこんもりとした丘が、嘗ては百基を数えたと伝わる「仙波古墳群」の1つ、中でも一番大きく「父塚」の別名も持つ「愛宕神社古墳」でした。

P1280757 川越 仙波河岸史跡公園 愛宕神社古墳下m.JPG

P1280756 川越 愛宕神社古墳下m.JPG

見上げる程の高さは約6m、東西30m、南北53m。基壇を持つ二段後世の古墳で6〜7世紀のものと思われます。

『新編武蔵風土記稿』に仙波七郎高家の墓所という説の記載あり。仙波七郎高家(家信)は川越を拠点とする仙波氏の祖と言われ、源義朝に従ったとのこと。

円墳とされていますが、南北に長く前方後円墳だった可能性も。現在は愛宕神社が祀られています。

前回、2023.02.22の訪問時にはカワヅザクラが咲き始めていました。
P2223184 川越 仙波 愛宕神社下 カワヅザクラm.JPG

今回も前回も愛宕神社の記録がなく、1枚目の写真に愛宕神社へ続く階段が見えていますが、3枚目のカワヅザクラは1枚目の階段左手に3本ほど見えている木々の下から撮っており、どうやら登らなかった?ようです。既に3年前と1ヶ月前の訪問となり、曖昧な記憶。また要再訪地がふえました。

因みに以前、川越歩きの際に参拝した日枝神社境内、不自然に道路側が削られてはいましたが、
「これは古墳ではあるまいか・・・?」
「何かに呼ばれているような・・・」
と感じていた川越日枝神社の境内左のこんもりも仙波古墳群の1つだったことが今回分かり、「やはりそうか!」と思わず膝を打ちました。

日枝神社の方が道路工事後にこの場所に越して来られたのだそうで、以前は頂上に多宝塔が建っていたのだそうです。

川越、古い歴史の宝庫の様ですのに、ちょっと観光地化の方に熱心なような・・・。遺跡が失われないうちに調査して欲しいと願うばかりです。

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2026年01月30日

新河岸〜小江戸・川越(3)下新河岸 日枝神社

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2026.01.28 + 2023.02.22 低山はいかい倶楽部
「新河岸川から 小江戸・川越、蔵造りの町を歩く」

【コース】新河岸駅〜砂氷川神社〜新河岸川河岸場跡〜伊勢安〜下新河岸日枝神社〜仙波河岸史跡公園〜愛宕神社(仙波古墳群)〜仙波氷川神社(仙波古墳群)〜中院〜仙波東照宮〜喜多院(昼食)〜富士見櫓跡〜三芳野神社〜川越城本丸御殿〜川越氷川神社〜川越城中ノ門堀跡〜時の鐘〜蔵造りの町(大沢家住宅など)〜菓子屋横丁〜熊野神社

下新河岸 日枝神社 しもしんがし ひえじんじゃ

神社の入口左右に、仁王様(裏にも仏様)が彫られた石碑?
P1280729 新河岸日枝神社 仁王石碑1m.JPG

P1280731 新河岸日枝神社 仁王石碑2m.JPG

P1280728 川越 新河岸日枝神社 入口石碑m.JPG

そして、その右にはお地蔵様も・・・
P1280730 川越 新河岸日枝神社 入口地蔵m.JPG
と思ったら、これは参道の正面の観音堂の入口なのですね。

日枝神社社殿(左) と 観音堂(右)  
P1280727 川越 新河岸日枝神社m.JPG

観音堂
P1280732 新河岸日枝神社 観音堂m.JPG
先程は、右の観音堂へ続く石敷の参道の前に立っていたのでした。今は日枝神社の境内の一部?となっているようで、神仏混淆ですね。
観音堂は、この土地の木ノ目長者と呼ばれた者が、娘の病気平癒を祈願して建立。現在のお堂は明治3年4月22日下新河岸の大火後に再建。

もう少しゆっくりと参拝したい処でしたが、一行はどんどん先へと・・・日枝神社は階段を登った一段高い場所にご鎮座なのですが、離れた処からの参拝で失礼しました。

日枝神社 ご社殿
P1280733 新河岸日枝神社 社殿m.JPG

P1280734 川越 新河岸日枝神社 社殿m.JPG

P1280735 新河岸日枝神社 拝殿 本殿m.JPG
ご祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)山・水・大地の神

愛宕神社/天満宮 金比羅社(右奥の石祠) 
P1280736  川越 新河岸日枝神社 愛宕神社m.JPG
諦めきれず、日枝神社右裏手の愛宕神社さんにも手を合せ・・・
愛宕神社は廃仏毀釈前は愛宕大権現を祀る「火伏せの神」
今のご祭神は、伊弉冉命、軻遇突智命
天満宮とも呼ばれているので、菅原道真公も祀られているのでしょう。

日枝神社裏手からの新河岸川
P1280737 新河岸日枝神社 裏手から新河岸川m.JPG

2023.02.22 小さな水路(湧き水?)
P2223170 川越 水路m.JPG

一段下には、厳島神社も見えましたが、これ以上は皆さんにご迷惑をお掛けするのでまたの機会に・・・。

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2026年01月28日

新河岸〜小江戸・川越(1)新河岸駅〜砂氷川神社

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いくら季節とはいえ、もう梅はお腹いっぱい!でしょう・・・? 
梅の勉強をしている間にも出歩いておりますので、そちらのレポも並行して載せていきますね。

2023.02.22 + 2026.01.28 低山はいかい倶楽部
「新河岸川から 小江戸・川越、蔵造りの町を歩く」

江戸との交通の大動脈「新河岸川」を当時の船着き場から遡り、今も「小江戸」と称され「蔵造りの町並」の残る川越の町へ。徳川家ゆかりの寺院や歴史ある神社、史跡、城跡などを巡る「はいかい」をして参りました。

このコースは、一昨年、突然に旅立たれたF氏の企画をほぼ踏襲し、在りし日のF氏を偲びながらの道中でした。

【コース】新河岸駅〜砂氷川神社〜新河岸川河岸場跡〜伊勢安〜新河岸日枝神社〜仙波河岸史跡公園〜愛宕神社(仙波古墳群)〜仙波氷川神社(仙波古墳群)〜中院〜仙波東照宮〜喜多院(昼食)〜富士見櫓跡〜三芳野神社〜川越城本丸御殿〜川越氷川神社〜川越城中ノ門堀跡〜時の鐘〜蔵造りの町(大沢家住宅など)〜菓子屋横丁〜熊野神社

新河岸駅に集合。風の強い日で、いきなり黄色の粉っぽい土の洗礼を受けました。この黄色っぽいサラサラの土(富士火山帯からの火山灰が堆積した「関東ローム層」)が、水はけが良く、川越名物のサツマイモを育てています。

住宅地を通り抜けた川沿いの高台にご鎮座は・・・

「砂氷川神社」
P1280714 川越 新河岸 砂氷川神社m.JPG
(お社の裏手から入って鳥居の方へ抜けています。)

境内の大イヌツゲ
P1280716 川越 砂氷川神社のイヌツゲm.JPG
3年前の下の写真と比べると右半分が失われています。

2023.02.23 のイヌツゲとF氏
P2223155 川越 砂氷川神社 イヌツゲ前の福田さん.JPG
3年前の2月には、イヌツゲもF氏もご健在でした・・・。

P1280717 川越 砂氷川神社 イヌツゲ解説m.JPG
樹齢は平成25年で270年ですので、現在は約280年ですね。

大イヌツゲ隣の境内社「仙元神社」
P1280715 川越 砂氷川神社m.JPG

板碑 
P1280718 川越 砂氷川神社 板碑m.JPG
阿弥陀三尊(観音菩薩・阿弥陀如来・勢至菩薩)の種子と思われる素朴な彫り

手水  灯籠
P1280713 川越 砂氷川神社m.JPG

砂氷川神社 鳥居
P1280723 川越 砂氷川神社 鳥居m.JPG

見上げる大シラカシ
P1280719 川越 砂氷川神社 シラカシm.JPG
幹周 3.88m、樹高18.6m、根回り12.3〜16.08m
枝張り 東西14.3m、南北18.6m 樹齢約280年

2023.02.22
P2223157 川越 砂川越神社 大シラカシ 福田さん.JPG

大シラカシの根元
P1280720 川越 砂氷川神社 シラカシm.JPG

鳥居脇の石垣に食い込む老シラカシの根
P1280721 川越 砂氷川神社 巨木の根m.JPG

ご由緒:
須佐之男命を祭神とする当社は、大字砂の鎮守であり、口碑によれば延享元年の創建と伝えられる。延享元年は、未曾有といわれる寛保二年の大洪水の二年後に当たるところから、水害に困弊した人々が川を鎮めるために川の神である氷川神社を、村内で最も高い丘陵上に奉斎したのが当社の始まりと思われる。

創建当時の御霊代は、金幣であったが、明治の初めに盗難に遭ったため、以後は銅の幣束を奉斎している。このほかにも内陣には、鏡一面と嘉永二年に上新河岸の住民によって奉納された石一個が納められている。現在の本殿は、大正四年に造られたもので、一間社流造り。

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2026年01月25日

浅草七福神めぐり(21終)「午年」に矢先稲荷神社の天井絵「馬」

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

令和八年(2026) 午(うま)歳「浅草七福神めぐり」の締め括り、あんみつで英気を養ってのち、再び矢先稲荷神社に戻って参りました。

こちらの馬の天井絵は、午歳にかかわらず公開されていますが、やはり午の歳に拝見するのが良いご縁でしょう。
拝殿下で履き物を脱ぎ(要靴下類着用)、拝観させていただきます。奉納絵に限り撮影可能です。

mP1080650 浅草 矢先稲荷神社 奉納馬絵.JPG
沢山の馬たちの躍動! 見ているだけで力が湧いて来ます。

天井をみあげれば、「日本馬上史100枚」
神武天皇から西中尉まで、歴史や伝承物語の場面がずらりと並んでいて、

「あ、あれは義経の兜! 鵯越かな?」
「山吹の枝を差し出す娘・・・太田道灌ですね」
「おお、勇ましい女武者は巴御前でしょう!」

などと、ついつい口から出てしまい、周りの方々も巻き込んで絵判事の楽しいひとときとなりました。
全部の題名がついた一覧図があることには、最後に気がつきましたが、お蔭でいろいろ歴史物語を思い出せて良かったです♪

拝観するのが楽しすぎて、全部は撮れませんでしたが一部をご紹介します。
歴史好きの皆さん、下の答えをご覧になる前にあれこれお楽しみ下さい。
(一覧の写真を元に答えを書いたつもりですが間違いがあれば、ごめんなさい。一覧図と向きが違うのですよ・・・)

P1080657 浅草 矢先稲荷神社 馬の天井画m.JPG
護良親王/楠木正行
源義経/平敦盛
八幡太郎義家/渡辺綱

紅顔の美少年、平敦盛。アツモリソウの名の由来どおり背に母衣を着けています。

P1080654 浅草 矢先稲荷神社 奉納馬絵ml.JPG
井伊直孝/阿部忠秋/本多忠勝
山内一豊妻/太田道灌/加藤清正

本多忠勝の鹿角の兜、カッコイイ!

P1080651 浅草 矢先稲荷神社 奉納馬絵ml.JPG
(上段)上杉謙信/明智左馬之介/鞍馬馬
(下段)楠木正成/菊地武光/御神馬

謙信公、少し欠けていて大変申し訳無い。
明智は桔梗紋で分かりますね。

P1080652 浅草 矢先稲荷神社 奉納馬絵ml.JPG
(上段)熊谷次郎直実/北条時宗
(下段)平重盛/源義平

熊谷直実もクマガイソウの名の由来通り母衣を着けています。

P1080653 浅草 矢先稲荷神社 奉納馬絵ml.JPG
(上段)御神馬/梶原景季/本間孫四郎
(下段)鞍馬馬/巴御前/畠山重忠

箙に梅の枝を刺して戦ったと伝わる梶原景季ですね。
巴御前、かっこいいなぁ 
坂東武者の鑑、畠山重忠も素敵!

天井絵一覧 1〜60
P1080658 浅草 矢先稲荷神社 奉納天井絵 1-60ml .JPG

41〜100
P1080659 浅草 矢先稲荷神社 奉納天井絵41-100ml.JPG

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2026年01月21日

浅草七福神めぐり(19)矢先稲荷神社(福禄寿)

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

鷲神社前の大通り(国際通り)を南下、Y字分岐を右に進み、言問通りに出たら右折、金竜小(カッコイイ校名!)学校前交差点を左折すると「合羽橋道具街」。

急に人通り、それも外国人さんが増え、こちらの方が「国際通り」ぽいぐらい。調理道具も人気ですが、一際賑わっているのが食品サンプルのお店!我々もちょっと覗いて見ましたが、お土産に買うには高価すぎ…小さめのキーホールダーでも2,000円前後、見るだけで失礼しました。外国人向け価格? 職人さんの技の結晶ですから仕方ないですかね。

鷲神社から真っ直ぐなら20分程ですが、合羽橋に立ち寄るなら30分ほどで矢先稲荷神社です。合羽橋の交差点の先、右手に案内の看板があるのを見逃さないように。

矢先稲荷神社 鳥居
P1080643 浅草 矢先稲荷神社m.JPG

P1080644 浅草 矢先稲荷神社m.JPG
ご祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 穀物神
     ご神体は上野東叡山寛永寺の祖、慈眼(じげん)大師
     (天海大僧正)の寄進
     木造で翁の型をして稲を荷う 7寸8分 弘法大師作
    福禄寿 
     白髪白髯、調和のとれた円満な福相最高理想のお姿
縁起・由緒:寛永十九年(1642)11月23日、家光公が京都「三十三間堂」を模した「浅草三十三間堂」を建立された際、その鎮守として創建。
京都に倣い「通し矢」が行われており、その的の先に鎮座した事から「矢先稲荷」と称された。
元禄十一年(1698)の火災で「浅草三十三間堂」は焼失し深川に移転。当社はそのまま残され、地域の鎮守となった。

浅草名所七福神 矢先稲荷神社

浅草三十三間堂があった頃の絵図
P1080645 浅草 矢先稲荷神社m.JPG
通し矢を射る的の先に矢先稲荷神社が鎮座しています。

この当時のまま残されているとしたら、鳥居の位置だけ変わっているのかもしれません。

今は鳥居をくぐって右手に拝殿がありましたので、この絵図で言えば、三十三間堂の塀の左手前角の左(馬が向かって行こうとしている箇所)に今の鳥居が立っている感じでしょうか。

周りがすっかり変わってしまっているので想像が難しいですが、目を閉じれば浅草三十三間堂が見えるようでした。

拝殿の天井絵は日本乗馬史をモチーフにした実に見事な100枚で、靴を脱ぎ拝殿に上がれば拝観可能です。今年は折角の午年ですので、拝観の予定でしたが、丁度ご祈祷がなされていたので、我々はあんみつ休憩を先にとり、後程再訪することにしました。

気になる松飾りの結び目
P1080646 浅草 矢先稲荷神社m.JPG
浅草に来てからあちこちで目にしてきて、元ガールスカウト的にずっと気になっているこの結び目。さる処に問い合せをしたのですが、残念乍ら今の処お返事は頂けておりません。

もしかしたら固く解けにくい結び方「男結び」の変形か飾り結びなのかもしれませんが、謎のままです。よ〜くみれば、自分でも結べそう? 縄結びには実用の美がありますね。

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2026年01月20日

浅草七福神めぐり(18)鷲神社(寿老人)

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

浅草七福神めぐりも、あと残すところ2社。吉原弁財天の数分の近くに鎮座されているのが、「酉の市」で授与されるあの福を掻き込む「熊手」で有名な鷲(おおとり)神社さんです。

鷲(おおとり)神社
P1080633 浅草 鷲神社ml.JPG
七福神めぐりの笹のお飾も未だそのままで、今日一賑やかでおめでたい雰囲気!
260108134759559 浅草七福神 鷲神社m.JPG
弁財天と干支のお馬さんが一番目立つ所、いいねぇ♪
P1080642 浅草 鷲神社m.JPG

真っ赤な鳥居が青空に映える
P1080634 浅草 鷲神社m.JPG

次は石鳥居(天保十年建立)
P1080635 浅草 鷲神社m.JPG

石鳥居をくぐって振り返り見ると…
P1080641 浅草 鷲神社m.JPG

行く先には茅の輪
P1080636 浅草 鷲神社m.JPG

お社の真ん中が何やら光ってます!
P1080640 浅草 鷲神社m.JPG

輝く大きな「おかめさん」!
P1080638 浅草 鷲神社m.JPG
天岩戸前で舞った天宇受売命(あめのうずめのみこと)とされています。

「なでおかめ」
P1080639 浅草 鷲神社 なでおかめ説明m.JPG
欲張らず、願いを込めて撫でてお参りしました。どうも鼻(金運)と右頬(良縁)を撫でる人が多いようで以前の写真ではその2箇所が黒ずんでいましたが、金色に塗りかえたのかしら?

さて、おかめさんのインパクトが強すぎて、寿老人さんはどこにいらしたのか…「七福神めぐり」の7日までなら、ココにいらっしゃいますと幟でも立っていたのかもしれませんが、総じて肝心の「七福神」さんを見逃しがちです。

竜宮城っぽい雰囲気の瑞鷲渡殿(神楽殿と拝殿の間)
P1080637 浅草 鷲神社m.JPG

ご祭神:天日鷲命(あめのひわしのみこと)
     国の土地を開き、開運、殖産、商賣繁昌
    日本武尊(やまとたけるのみこと)

縁起・由緒:天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が岩戸の前で舞われた折、弦(げん)という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称される様になりました。

後に日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。この故事により日本武尊が併せ祭られ、御祭神の一柱となりました。

酉の市/酉の祭:上記のように日本武尊が「熊手」を奉納したのが十一月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが「酉の祭」、現在の「酉の市」。正しくは「酉の祭(トリノマチ)」と呼ばれた神祭の日でしたが、市が立ち始め次第に「酉の市」に。

熊手:鷲神社の熊手御守は開運・商売繁昌のお守りとして「酉の市」のみに授与される。一般に「かっこめ」「はっこめ」といわれ神様の御分霊。江戸中期より天保初年頃までは柄の長い実用品の熊手におかめの面と四手をつけたものでした。その後色々な縁起物をつけ今の様な宝船、平、桧扇、文化、みの、御所車など多くの種類となり、毎年流行を取り入れた熊手も話題を呼ぶ。

唐の芋:「子をふやし」「頭になる」との縁起

栗餅、切山椒:粟餅は一名黄金餅ともいわれ、切山椒と共に古くから名物として商われている。

浅草 鷲神社公式HP

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2026年01月19日

浅草七福神めぐり(17)吉原弁財天本宮

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

吉原神社から通りに出て道なりに左に曲がると1分ほどで、飛地として祀られている吉原弁財天本宮に着きました。なんでしょう…すっと入っていけない気持で足が止まりました。

吉原弁財天本宮
P1080623 吉原弁財天m.JPG
当地にあった花園池(のち弁天池とも)に、関東大震災の火災から逃れる為、遊女ら約500名が飛び込み命を落とされたのだそうです。

P1080624 吉原弁財天本宮ml.JPG
東京芸大生による鮮やかな壁画が、当地で沢山の方が亡くなったと知り暗く沈みがちな気持を明るくしてくれました。それでもやはり、コメカミが疼き、肩が重くてしんどかったです。ずっと手を合せておりました。

縁起・由緒:江戸時代初期までこの附近は湿地帯で多くの池が点在していたが、明暦3年(1657)の大火後、幕府の命により湿地の一部を埋立て、日本橋の吉原遊郭が移された。以来、昭和33年までの300年間に及ぶ遊郭街新吉原の歴史が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。

遊郭造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊郭楼主たちの信仰を集める。現在は浅草七福神の一社として、毎年正月には多くの参拝者が訪れる。

池は花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正12年の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、490人が溺死したという悲劇が起こった。弁天祠附近の築山に建つ大きな観音様は、溺死した人々の供養のため大正15年に造立されたものである。昭和34年吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった。(台東区教育委員会)

P1080625 吉原弁財天m.JPG

P1080626 吉原弁財天m.JPG

P1080629 吉原弁財天m.JPG

埋め立てられ僅かに残った小さな池に錦鯉が泳いでいました。
P1080627 吉原弁財天s.JPG

関東大震災被災者のご供養されている吉原観音さま
P1080630 吉原弁財天 吉原観音m.JPG
大正15年建立。

P1080631 吉原弁財天 吉原観音m.JPG

観音様の足元など境内には数多の石碑などが納められていましたが、あまり個人的なご供養に触れるのは良くない気持がして控えました。

吉原では何処にいても華やかさの下の悲哀を感じ、天上での幸せ、転生しての幸せを願わずにはおれません。

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2026年01月18日

浅草七福神めぐり(16)吉原神社・九郎助稲荷他(弁財天)

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

石浜神社〜吉原神社の道中が長く、あちこち寄道していましたが、本筋の「浅草七福神めぐり」に戻ります。

吉原神社
P1080621吉原神社m.JPG

逢初桜(あいぞめざくら)
P1080620 吉原神社m.JPG
逢初とは恋焦がれている人に初めて会うという意味。江戸時代より遊客の出逢いを叶える桜として新吉原入口の玄徳稲荷社脇に植えられ、同じく稲荷社脇にあった「駒止松」、新吉原入口の「見返り柳」と合わせて「廓の三雅木」として知られていました。現在の逢初桜は平成24年植樹。

「藍染」って言う度、何だか胸がときめくのは「逢初」の引き合わせだったのですね。藍染を身に纏うと良い出会いがありそう?

P1080615 吉原 九郎助稲荷他m.JPG
吉原神社は、かつての吉原遊廓にお祀りされていた五つの稲荷神社と遊廓に隣接する吉原弁財天の合計6つの神社がおまつりされています。

P1080616 吉原 九郎助稲荷他m.JPG
由緒・縁起:吉原遊廓と共に歩んでこられた神社。吉原遊廓は元和3年(1617)、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が江戸市中に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町(ふきやちょう)の東隣(現・日本橋人形町周辺)に集めたことが始まり。辺りは葦が生い茂る「葦原」転じて「吉原」と命名される。

次第に吉原が江戸の中心地となって来てしまった為、明暦3年(1667)、当時・竜泉寺村の現在地に移転。以後、日本橋にあった吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」と呼ぶ。

「新吉原」にあった廓の守護神である五つの稲荷社が、明治14年に合祀され「吉原神社」とされました。
・吉原大門手前
「吉徳稲荷社」縁結び・家内安全・商売繁盛・五穀豊穣
・廓内の四隅
「榎本稲荷社」家内安全・商売繁盛・五穀豊穣
「明石稲荷社」火災除け・町内安全
「開運稲荷社」開運・幸運・幸福を招く
「九郎助稲荷社」縁結び・五穀豊穣・所願成就
「吉原弁財天」開運・財運・歌舞音曲芸能上達・弁舌

「お穴さま」
P1080619 吉原神社m.JPG
地中の神様で神社の土地をお守りしています。心を込めてお参りすると必ず福が得られると伝えられ大切にお護りされています。

当初の吉徳稲荷社旧地の社殿は、関東大震災にて焼失。
震災後は水道尻付近の仮社殿にてお祀り。
昭和9年に当地へ新社殿を造営、新吉原隣接の花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀。
昭和20年の東京大空襲でまたも焼失、昭和43年に現社殿が造営されて現在に至る。

新しめのお稲荷さん
P1080617 吉原 九郎助稲荷他m.JPG
九郎助稲荷さんの化身、綾瀬はるかさんがひょっこり現れそうな…

「べらぼう」では吉原に活気を取り戻す為に蔦重が画策した「俄(にわか)」は、九郎助稲荷(現吉原神社)の祭礼として8月1日から晴天30日間行われました。

稲荷社で祭事を行い、廓内では男女の芸者衆が仮装して踊りや芝居を演じながら練り歩きいたり、移動式の舞台(屋台)を引き廻し各茶屋前で出し物を披露したりと大賑わいでした。

あくまでも九郎助稲荷のお祭りの奉祝行事としての催しなので、文化年間頃までは大門に竹を立てしめ縄を張り、祭礼の空間であることを示したとのこと。

P1080618 吉原神社m.JPG

吉原神社 公式HP

ちょっと混乱しがちですが、吉原弁財天は、吉原神社と吉原弁財天本宮の2ヶ所にお祀りされており、「吉原弁財天本宮」は、「吉原神社」の飛地で徒歩1分ほど離れています。東京芸大生による鮮やかな壁画あり…ということで、次にお参りに伺います。

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2026年01月13日

浅草七福神めぐり(12)お化け地蔵(七福神外)

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

案内地図、源内さんのお墓の先にもう一つ気になるもの、載ってましたよね? 

そう、「お化け地蔵」です!

これもちょっと距離感が掴めず、また通りすがりの方に伺うと
「もうちょっと先、左側に見えるから」
「ありがとうございます
 ・・・
「うわうわ、見えて来た〜、本当にお化けだ〜!」

お化け地蔵!
P1080592 浅草 お化け地蔵m.JPG
ど〜んと迫力満点、
流石はお江戸浅草、期待の上を行ってくれるね〜
P1080593 浅草 お化け地蔵m.JPG
享保六年(1721)建立
かつて禅宗の名刹・総泉寺の境内にあり、お寺が震災後に引っ越した後もこのお隣のお寺・曹洞宗 松吟寺(元総泉寺塔頭・松吟庵)と共に遺されたとのこと。源内さんのお墓からお化け地蔵まで結構な距離でしたが、あそこからここまでも総泉寺の敷地内だったとは・・・とてもとても大きなお寺さんだったのですね。

P1080594 浅草 お化け地蔵m.JPG
横から見ると、関東大震災で2つに折れ、修復補強されているのが分かります。嘗ては大きな傘も被っていたそうで、頭部も取り替えられています。

P1080597 浅草 お化け地蔵m.JPG

供養塔
P1080595 浅草 お化け地蔵m.JPG
元総泉寺境内にあった諸仏像等の為の供養塔。
震災で被害に遭ったのでしょうか。

P1080596 浅草 お化け地蔵m.JPG

常夜灯
P1080598 浅草 お化け地蔵m.JPG
こちらも古いもので寛政二年(1790)建立
その右のオレンジ色の案内には'Haunted Jizo'とありました。ちょっとニュアンスが違うんじゃ無いかな。お地蔵様は菩薩さま、そんなおどろおどろしいものでは無いはずなんだけど・・・。

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浅草七福神めぐり(11)平賀源内 墓所(七福神外)

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2026.01.08 花木くらぶ番外編

石浜神社から橋場不動尊方面に戻り白鬚橋の交差点を右折、ガイドブックなどに「地図を見ても迷う」と書かれていた平賀源内さんのお墓を探しました。
P1080577 浅草 平賀源内の墓.JPG

通りかかった地元の方に伺った、
「お墓は分からないけれど、この道沿いに平賀源内と刻まれた石碑が立っている」というのが、これですね!
P1080578 浅草 平賀源内の墓m.JPG

ココを左折するとまた地図が・・・
P1080580浅草 平賀源内の墓m.JPG

P1080579 浅草 奥浅草地図ml.JPG
更にアップ・・・なぜ橋場不動尊や石浜神社が載っていない? なるほど・・・この地図では確かに分かりづらいかも。

迷っている風の人が戻ってきた?ので間違えたのだと思い、通り過ぎた道が実は正解でした。「迷っている風の人」って、自分が迷っているのにね、失礼しました。

住所は台東区橋場なので、「橋場不動尊の裏手」というのは間違いではないけれど、そう書いてあったら本堂の裏かなと思いますよね・・・。それも迷う一因では?

平賀源内墓所入口
P1080581 平賀源内の墓m.JPG
「蔦重ゆかりの地」の幟が立っていました。

「平賀源内墓(国指定史跡)」解説板
P1080591 平賀源内の墓m.JPG
埋葬された総泉寺(秋田・佐竹藩ゆかり)は関東大震災で燃え落ち、板橋に引っ越してしまったけれど、源内さんの墓所は元の場所に保存され、後に築地塀を巡らせて国指定史跡とされたとのこと。

 平賀源内は享保十三年(1728)、讃岐国志度浦(現香川県志度町)に生まれる(生年には諸説ある)。高松藩士白石良房の三男で名は国倫。源内は通称である。寛延二年(1749)に家督を継ぎ、祖先の姓である平賀姓を用いた。本草学・医学・儒学・絵画を学び、事業面では成功しなかったが、物産開発に尽力した。物産会の主催、鉱山開発、陶器製造、毛織物製造などをおこない、エレキテル(摩擦起電機)を復元製作、火浣布(石綿の耐火布)を発明した。一方で風来山人・福内鬼外などの号名をもち、「風流志道軒伝」などの滑稽本や、浄瑠璃「神霊矢口渡」などの作品を残している。
 安永八年(1779)十一月に誤って殺傷事件を起こし、小伝馬町の牢内で十二月十八日に病死、遺体は橋場の総泉寺(曹洞宗)に葬られた。墓は角塔状で笠付、上段角石「安永八己亥十二月十八日 智見霊雄居士 平賀源内墓」と刻む。後方に従僕福助の墓がある。

 総泉寺は昭和三年(1928)板橋区小豆沢へ移転したが、源内墓は当地に保存された。昭和四年に東京府史蹟に仮指定され、昭和六年には松平頼壽(旧高松藩当主)により築地塀が整備される。昭和十八年に国指定史跡となった。

平成十七年三月 台東区教育委員会

P1080589 平賀源内の墓m.JPG

平賀源内さんのお墓 清々しい佇まいが嬉しい。
P1080586 平賀源内の墓m.JPG
大河ドラマ「べらぼう」でも活躍したばかり、今も訪れる人も途切れないようです。
P1080582 平賀源内の墓m.JPG
角塔状で笠付、上段角石
「安永八己亥十二月十八日 智見霊雄居士 平賀源内墓」
P1080585 平賀源内の墓m.JPG

後方 従僕福助さんのお墓
P1080583 平賀源内の墓m.JPG

改修記念碑
P1080587 平賀源内の墓m.JPG

裏面に杉田玄白の碑文ありとのこと・・・
P1080588 平賀源内の墓m.JPG
最後の処だけ分かる。「べらぼう」見てたから。
「嗟非常人 好非常事 行是非常 何非常死」
ああ非常の人 非常の事を好み 
行い是れ非常 何ぞ非常に死するや・・・(合掌)

こちらは・・・「静軒先生之碑」と読めますが、
P1080590 平賀源内の墓m.JPG
下の方は摩滅していて分かりづらい。どのようなご縁なのか??

以前にも書きましたが、私にとって「源内先生」と言えば「天下御免」の山口崇さんなのですが、この日は安田顕さんのファンの方がお参りにみえていました。あの浮世絵の肖像には安田顕さんの方がそっくりでしたね!

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浅草七福神めぐり(10)石浜神社(寿老神)

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*見逃していた写真が出てきたので追加掲載しました。01.25

2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

橋場不動尊前から再び隅田川沿いに北上、右手に白鬚橋をみて道路を渡ると石浜神社手前に広がる石浜城址公園。奥手に石浜神社の大鳥居が見えていますが、お手洗いや休憩はこちらで済ませておくと安心です。

石濱神社の幟が見えて来ました。
P1080556 浅草 石浜神社m.JPG

石浜城址公園入口
P1080557浅草 石浜神社m.JPG

境内入って直ぐ左、外に「こたつ」まである「石濱茶寮 楽」さん
P1080558 浅草 石浜神社 お休み処m.JPG
江戸時代の浮世絵にも描かれていて、名物は「豆腐田楽」「炭火焼き団子」「焼鳥」など。
営業時間は、11:30〜21:00 (水曜定休) 開店前でしたが、中に声を掛けるとお弁当の仕込み中で、残念ながら我々はこたつでお団子を頂き損ねました。遅くまでやっていて、きっとお酒も楽しめるのでしょうね。春の宵など、花見で一杯・・・いいなぁ
(神社参拝可能時間は通常9:00〜16:00)

藤棚の下で、持ち寄りのおやつタイム
P1080570 浅草 石浜神社休憩所 おやつタイム.JPG
こちらは、公園内のお休み処。高い土手の向こうは大川(隅田川)で、この日は冬にしては暖かく心地よい風が頬を撫でてくれました。(時系列順ではありませんが、参拝後の寛ぎのひととき)

七福神めぐりの為の看板と幟
P1080560 浅草 石浜神社m.JPG
石浜神社では、確か「寿老人」ではなく「寿老神」だったと思うのですが、七福神めぐりの皆さんに分かり易いようにでしょうか。

一の鳥居
P1080576 浅草 石浜神社 鳥居m.JPG
安永8年(1780) 麁香様の開帳の年に建立。カマボコ型の笠木は神明型鳥居には珍しい。
(帰りに撮影したので、はためいていた幟が下ろされ始めていました。上の写真と見比べるとバレますね。)

二の鳥居
P1080574 浅草 石浜神社 鳥居m.JPG
寛延2年(1749)建立。額束(がくづか 横柱の中央にある短い支柱)があるのは、神明型では珍しい

笠木がカマボコ型の珍しい形
P1080573 浅草 石浜神社 鳥居m.JPG

石浜神社 社殿
P1080568 浅草 石浜神社m.JPG

P1080561 浅草 石浜神社m.JPG

ご祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ) 
    天の下のすべての根源をなし天地四方を照らす太陽神。
    わが国ご祖神。
    この世と万物の秩序安泰をお守りくださる大神。

    豊受大御神(とようけのおおみかみ)
    天の下のすべてに必要な作物・食物を産み出され、
    お守り下さる神。

縁起・由緒:聖武天皇の御代 神亀元年(724)、勅願によってご鎮座以来1297年の歴史を持つ。源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、蒙古襲来の折の必勝祈念で鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣ご奉納などを経て、中世初めには大社として発展。殊に、千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は篤く、関八州より、多くの参詣者を集めたと伝わる。

麄香神社(あらかじんじゃ) ご祭神は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)の二柱。家室の土台の守り神、さらには木匠の始祖として、安永八年(1779)8月8日ご鎮座されました。大工、家づくり、ものづくりの神様。職方、職人のためのご祭神は、他に類例の少ないところから、江戸末期以来大いに近隣諸職の信仰と人気を呼んだとのこと。

寿老神
P1080572 浅草 石浜神社 寿老人m.JPG
昭和52年(1977)、浅草七福神の復活に際し、延命長寿の神として奉安されたもの。

富士山遙拝所
P1080562 浅草 石浜神社 富士山遙拝所m.JPG

P1080567 浅草 石浜神社 富士山遙拝所m .JPG

白狐神の祠
P1080563 浅草 石浜神社 白狐神m.JPG

白狐神の洞
P1080565 浅草 石浜神社 白狐神m.JPG
この洞に白狐が住んでおり、好物の油揚げを供え「おいでおいで」と呼び、それに応えて白狐が油揚げを食べれば願いが叶うと言われていたそうです。

白狐神の上の宝珠など
P1080566 浅草 石浜神社 白狐神m.JPG

招来(おいで)稲荷神社
P1080564 浅草 石浜神社 招来稲荷神社m.JPG
嘗て、石浜神社南隣に石濱城主の千葉介守胤が一族繁栄を願い、天文年間(1532〜54)に真崎稲荷社を建立。戦場の先駆けへの願いを込め「真っ先」→「真崎」と名付けられたとか。一橋徳川家の祈願所となり庶民の出入りができなくなったかわりに、奥宮として、この招来稲荷神社が設けられました。

さて、浅草七福神めぐりの約半分ほどを歩いたところで、かなり予定時間をオーバー。また参加メンバーにやや疲れが見えて来たこともあり、おやつ休憩(上掲)をとり、昼食処の変更候補を探さねばならず、いろいろ見逃し撮影漏れがあり、次の機会(花見かな〜)が待たれます♪

石浜神社公式HP 
の中の石浜神社縁の「浮世絵」の数々
江戸の風情が楽しめます。この辺りは「真崎稲荷」に因み「真崎」とも呼ばれていたのですね。

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2026年01月11日

浅草七福神めぐり(9)橋場不動尊(布袋尊)

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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

 招き猫と縁結びの今戸神社から隅田川沿いに北上、植物観察抜きなら20分ほどで、橋場二丁目の交差点の先左に橋場不動尊の石柱が見えて来ます。

真新しい石柱には「砂尾山 不動院」と刻んでありました。
P1080548 浅草 橋場不動尊 砂尾山不動院m.JPG
確認すると「砂尾山橋場寺不動院」こちらが正式なお名前ですが、「橋場不動尊」の呼び名で長く親しまれて来たのですね。
古い写真の入口は両側が狭まっており、石柱も左右に2つ立っていたので、最近この様に開けて立て直したのでしょう。

P1080547 浅草 橋場不動尊m.JPG

P1080549 浅草 橋場不動尊m.JPG

P1080547 浅草 橋場不動尊m.JPG
現在の本堂は弘化二年(1845)建立。
小堂ながら美しく、江戸時代の特徴をよく現しています。
江戸時代には、周辺の三条公、有馬侯、池田備前侯等をはじめとする武家屋敷の人々の尊信を集めていたとのこと。
明治末年の大火や関東大震災、戦炎などから、不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍を免がれたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として、信仰の的となっています。

P1080553 浅草 橋場不動尊m.JPG
ご本尊:不動明王(秘仏)

天平宝字四年(760)、奈良東大寺大仏の建立に尽力した良弁僧正が、相州大山寺*で刻まれた一木三体不動(一本の木で三体の仏像を彫る)の内の一体とされる。

*相州大山寺:現神奈川県 関東三大不動「雨降山 大山寺」。あの雨乞い「大山詣」で有名な大山です。

 石尊山→大山→ご本尊と同じ木からのお不動様との出会いというご縁の流れ、有り難し・・・。早速「縁結び」のご利益?

悪魔降伏の威想を備え、信ずる者には必ず霊験を与え給う不可思議の尊像として、古来よりご秘仏とされ非公開。お前立の不動明王像(作者不明 鎌倉期)は周囲を圧する偉容。こちらでお前立の不動明王、薬師如来、布袋尊などのお姿を拝観できます。
「砂尾山橋場寺不動院の歴史・由来・教義」公式HP

縁起・由緒:天平宝字四年(760年)上記三体の内の一体を託された寂昇上人によって開創。当初は法相宗。
寛元年(1163)、中興の祖 教円坊(一説には長円)により、天台宗に改宗され浅草寺の末寺となるが、現在は浅草寺と本末関係はなく、比叡山延暦寺の末寺。

橋場の地名:太田道灌が下総の千葉氏を攻めるため、この地に橋をかけたことから。

砂尾薬師:不動尊と共に薬師如来も安置されています。
「本尊をば砂尾不動と称して一堂に安置し傍に薬師尊あり。是むかし砂尾修理太夫が念持仏にして則同人の建立する寺ならん。文明年間、太田持資入道道灌と砂尾修理太夫「石浜の合戦」におよびしも此辺にしてやありけん。」
等と言う記載が残っているのに、何故か正史と見做されず偽伝扱いされて来ているようです。

寺名にも地名にも「砂尾」が残っているのに、砂尾修理太夫の創建や太田道灌との石浜の合戦が無視されている理由は、上記縁起が余りにも立派であり、また江戸城築城の太田道灌と戦っていたというのは後世では黒歴史となったからでしょうか・・・? お寺側でも新しい資料の出現で、その真偽が解明されることを願っていらっしゃいます。

P1080551 浅草 橋場不動尊 布袋尊m.JPG
布袋尊:江戸時代から伝わる布袋尊像。肩に袋がなくお腹が袋代わりの形をしている珍しいお姿。
「砂尾山橋場寺不動院の歴史・由来・教義」公式HPこちらの下の方までスクロールして頂くとご拝観頂けます。

お地蔵様とお百度石
P1080550 浅草 橋場不動尊 お授地蔵 お百度石m.JPG
HPに記載ありの「石工が夢で呼ばれてお連れしたお地蔵様」でしょうか。

こちらのお寺には「白蛇の夢」の弁財天さんのお話など、興味深い伝えが多く心惹かれます。

樹齢700年の大銀杏 
P1080555 浅草 橋場不動尊m.JPG
本堂の右前に聳えています。江戸時代、隅田川往来の目印になったといわれています。ここの船着き場から吉原に向かった客も多かったそうです。我々もこの日足を運ぶ道筋を、ワクワクしながら通ったのでしょうか。

公式HPの中に、お寺の裏手に「平賀源内」のお墓あり、と書かれていたので、本堂の裏手を眺めてみましたが檀家さん以外立ち入り禁止でしたので、そっと手を合せて去りました。しかし、ご縁あって、この日、なんと源内さんのお墓参りが叶うのです! 
縁結びの福の神、ありがとうございます(^^)

生垣のサザンカ 端正な一重、白、爪紅、品種不明
P1080552 浅草 橋場不動尊 サザンカm.JPG

砂尾山橋場寺不動院 公式HPトップ頁

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2026年01月10日

浅草・七福神めぐり(0)

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2026.01.08 「花木くらぶ」番外編

途中まで書いてしまってから地図を貼ってみたら、「浅草七福神めぐり(もうで)」のことや、そもそも「七福神」って・・・について書いていなかったことに気づきました。

皆さんご存じの通りで今更かとも思いますが、詣でる前に調べたことを備忘録として残しておきます。

浅草名所・七福神もうで 案内
P1200712 浅草七福神もうで パンフml.JPG

P1200711 浅草七福神めぐり 地図ml.JPG
上下(表裏)共に浅草名所七福神会さん編

 *七福神などの名称や表記は、各寺社の表記に準じています。

浅草七福神
江戸文化発祥の地・浅草で七福神めぐりが流行したのは江戸時代からと伝わります。
七福神は複数の寺社で重複して祀られており、浅草では九つの寺社を巡ります。その理由としては、
「九は数の極み、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩であり、集まる意味を持ち、また天地至数易では陽を表わす」
という古事に由来しているとされています。

七福神めぐり(もうで)
仏教(インド)の毘沙門天、大黒天、弁財天。
儒教(中国)の福禄寿、寿老人、布袋尊。
日本古来の神の恵比寿神。
この七柱の神を福徳円満の神として、年の初めに一年の家内安全、息災延命を願って巡拝されました。

「七福神宝船之図」歌川広重
広重 七福神宝船之図m.jpg
後列左より 福禄寿、弁財天、毘沙門天
前列左より 布袋尊、大黒天、恵比須神、寿老人

恵比寿/恵日須
伊邪那岐命・伊邪那美命の間に生まれた子「蛭子」(ヒルコ)、もしくは大国主神の息子「事代主神」(コトシロヌシ)などを祀ったもので古くは「大漁追福」の漁業の神。時代と共に福の神とし「商売繁盛」「五穀豊穣」をもたらす神となった。七福神で唯一、日本由来の神。
風折烏帽子、狩衣、指貫、右手に釣り竿、左手に鯛。

大黒天
インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神。日本古来の大国主神と習合。大黒柱と現されるように食物・財福を司る神となった。また親子関係(大国主命の御子が事代主命=恵比寿)から恵比寿と並んで描かれることが多い。
大黒頭巾、大袋、打ち出の小槌、米俵の上に座る。

毘沙門天
元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神。福徳増進の神であったが、仏教に取り入れられてから、戦いの神としてしだいに民衆に信仰される。日本では毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)と呼ばれる。
甲冑、左手に宝塔、右手には如意宝珠、両足で邪鬼悪鬼を踏む。

弁才天/弁財天
七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。仏教に取り入れられ、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となった。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されることが多い。日本では宗像三女神の中の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、海の神、航海の神、水の神・・・と習合されることが多い。
(白蛇)宝冠、領巾(ひれ)、琵琶を弾く。

福禄寿
道教の宋の道士天南星、又は、道教の神で南極星(カノープス)の化身の南極老人。寿老人と同一神ともされる。福(幸福)と禄(財)と寿(長命)の三つの福を授ける。
短身、長頭(被り物なし)、大きな耳たぶ、長い白髭、経巻をむすびつけた杖と宝珠を持ち、鶴を従える。

寿老人・寿老神
道教の神で南極星(カノープス)の化身の南極老人。福禄寿と同一神ともされる。白鬚明神ともされる。
長い白髭、長頭(目立たないこと、また被り物をしていることも)、「司命の巻(人の寿命が書かれている)」を吊り下げた杖と団扇、桃を持ち、鹿を従える。

布袋尊
唐の末期の明州(現中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の禅僧。大きなお腹に笑顔の大らかな風貌が好まれ、手にした袋から財を出し与えてくれる。弥勒菩薩の化身とも。
太って突き出た腹を露わにし、笑顔で大袋を背負う。

個人的には、いつも「福禄寿と寿老人」が分からなくなります(@@;) 同一神ともされており、似たようなお姿・持ち物なので・・・。

福禄寿は頭に何も被っておらず、鶴を従えているので「頭ツルツル」と覚えようかな。禄が音が同じ鹿を連想させるから間違うのですよね。

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